最終更新日(Updated)'05.10.04 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第602号)
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・しらをびのうた  栗林こうじ (とびら)
・季節の一句    荒井孝子
男声(主宰近詠)仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
       
柴山要作、高見沢都々子 ほか    
14
・白魚火作品月評    水野征男 40
・現代俳句を読む    渥美絹代  43
百花寸評       田口一桜 46
・こみち(緑と風景)  横田じゅんこ 49
・第13回「みずうみ賞」募集  50
・「俳句研究」転載      53
・「俳句朝日」転載  55
・桧林ひろ子句集評  笠原沢江   56
・栃木会白魚火会
  「今蘇る神橋」
吟行句会         鶴見一石子
58
・俳誌拝見(坂)   吉岡房代  60

句会報 ふれんどりー句会(出雲)

61
・エッセイ(随筆)  松田千世子    62
・今月読んだ本      中山雅史       63
  今月読んだ本      佐藤升子      64
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
     内山実知世、奥田 積 ほか
65
白魚火秀句 仁尾正文 114
・窓・編集手帳・余滴
       


 鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕       

一部のみ。 順次掲載

 


   盛   夏  安食彰彦

もんぜんの犬ねころんで夏来たる
蕎麦を打つ漢の背の玉の汗
湖からの涼風に身は解脱せる
朝涼やお茶の煎れ方七ヶ条
日時計の文字はサルビア十一時
鹿網の中に三つ四つ青蕃茄
いにしへの千手観音蝉の殻


  

 蝉 時 雨  鈴木三都夫

紫は気位の色花菖蒲
点滅の息づく草の蛍かな
蝉の穴一つ見つけてよりここだ
松原をはみ出してくる蝉時雨
日焼け止め手伝はされてゐる男
靴を手に波踏むだけの老の夏



  目   薬    武永江邨

綿菓子のよく売れてゐる夏祭
綿菓子に顔の隠るる祭の子
気だるさに目薬落す昼寝覚め
茄子の紺艶増す雨の降りにけり
棟上げの起重機ぐいと日の盛り
甚平を着て痩身をもて余す

    

 合 歓 の 花  白岩敏秀

初蝉の鳴きゐるあたり仰ぎけり
夜遊びの猫の戻らず合歓の花
朝の市紺積み上げて茄子を売る
ひしめける青さのなかに蓮咲けり
片陰に葬の参列者となれり
炎天やビルの鉄骨立ちあがる


 日 焼 の 子 大屋得雄

紫陽花や川を真下に無人駅
青葭の蛇籠に紅の蟹走る
新造の木の香の匂ふ鮎の舟
日焼の子生花教室より戻る
夏川の風波立ちし石切場
赤蜻蛉紅が淡いと思ひけり


 海 の 日  織田美智子

河骨のひとつ咲きけり茅舎の忌
海の日や十七階のレストラン
山の家貝風鈴の鳴つてをり
山水に浸して早桃五つ六つ
しろじろと朝の月あり花はちす
貝殻を置く七月の飾り窓


  蓮   華  笠原沢江

蓮華増ゆ葉裏返しの風立ちて
空堀を覆ひ尽して花茗荷
舟虫の逃げる速さを楽しめる
小遣ひは金魚掬ひで使ひ果て
合唱の蝉の息つぎくひ違ふ
海上の花火背山に谺せる



  

 

白光集 〔同人作品〕 巻頭句

 
 仁尾正文選


     
         柴山要作

炎天やチアリーダーの真白き歯
涼風のそよろと生るる大水車
旧江連家の百二十畳の涼
空蝉の焼きの入りたる鉄の爪
かなかなや相聞のごと鳴き交はす


        高見沢都々子

籠にあまる夫丹精の苺かな
緑濃き木立を透けるけふの宿
吹き上ぐる湖風に飛ぶ夏帽子
夏空を映して青き山の湖
ふり仰ぎそれと知りたる沙羅の花




白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句 

           仁尾正文選
  
     
  
     函 館  内山実知世

イワオヌプリ夏鶯が横切りぬ
夏つばめだんだん低くなる軌跡
笹の葉を沈めてをりぬ夏の沼
山上湖目ざす登山となりにけり
翡翠の番の来たる山路かな


       東広島  奥田 積

抱きあげてひまはりに顔近づくる
炎天へ出でゆく人を見てをりぬ
ヘリコプターよぎりてゆくを籐寝椅子
夜の秋のさらさら落つる砂時計
酔ひ覚ましの水や厨のちちろ虫




 白魚火秀句
仁尾正文

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イワオヌプリ夏鶯が横切りぬ 内山実知世

 大きな辞典にニセコアンヌプリというアイヌ名の高峰があるが、イワオヌプリという名は見えない。アイヌの山であることは間違いないが何処にあってどんな山かは分らぬ。だが厳めしくて歯切れがよくて神の住む山ではないかと思わせる語感が残る。つまり「イワオヌプリ」は詩語として十分な固有名詞だ。有名な波郷の「嬬恋村」や三鬼の「露人ワシコフ」系の固有名詞。この作者は「イワオヌプリ」という名に魅かれて何の註も付けさずに一語で勝負した。あっぱれである。

空蝉の焼きの入りたる鉄の爪 柴田要作
                         (白光集)
 空蝉の足先は一ミリ程であるが、脱皮の折草木にしっかりと打ち込んで体重を支えていたであろうことは誰も疑わぬ。あの足先は焼きの入った鉄の爪なのである。かく詠まれると納得しない者は居ないのであるが、空蝉の足先を焼きの入った鉄の爪だとは誰も詠まなかった。そこがこの作者の手柄である。同掲の
  旧江連家の百二十畳の涼  要作
 厚い屋根、厚い壁で築かれた旧家の大広間がすずしい。句は、七、五、五のしらべで耳ざわりが少しく違うのは大構えの家への畏敬を表したのであろう。この句、原句は「百三十畳」であったが添削した。実際にはそうであったのであろうが字余りになってひびきがわるい。「百二十畳」の方が遥かにすずしい。支考の『俳諧十論』の中で芭蕉は「俳諧といふは別の事なし。上手に迂詐をつく事なり。」と言っている。添削句が原句よりすずしいと思われるのは、上手に嘘をついたから。この方が原句よりは作者の思いにより適っている筈だ。

夜の秋のさらさら落つる砂時計 奥田 積

 「夜の秋」は晩夏の夜秋の涼味を感じることで青木月斗などは秋の季題にすべきと主張したが虚子が夏の季語に決めた。「日脚伸ぶ」が冬「日永」が春の季語の如く「夜の秋」が夏であるところに日本人の敏感な季節感覚が見え、虚子の見識に感服した。 そのうな微妙な、感覚的な「夜の秋」であるから取り合せが極めてむつかしい。掲句の「さらさら落つる砂時計」は爽やかでかなり適った取り合せである。この句に限らず伝統俳句では一句佳句が生れると類似句がどっと生れる。波多野爽波は「伝統俳句は既に九五パーセントは耕されている」と言ったが、類似句を怖れていては俳句は作れない。結果的に類似句になった場合はしっかり対応すればよいので怖れることはない。

籠にあまる夫丹精の苺かな 高見沢都々子
                       (白光集)
 今月厚労省から発表された二〇〇四年度の統計によると日本人の平均寿命は、男が七八・六四歳、女性は八五・五九歳であった。六十五歳以上を老人というから男は十四年程女は二十年余の余生があることになる。
 掲句は、いい余生を送っている具を示している。健康な夫君が丹精して育てた苺が籠を溢れたという。幸せ感は人それぞれ皆異なるがこの作者は今が倖せの真只中だと言っているかのようだ。

樺太の地図を貼りある海の家 奥山美智子
                         (白光集)
 樺太に近いオホーツク海付近の、とある海の家。そこには樺太の地図が貼られていた。太平洋戦後樺太がロシアに返還されて六十年経った。だが、この辺りには戦前の樺太を故郷として懐かしんでいる人が沢山居るということである。樺太の地図が貼られているということがそうであるし、その地図に目を凝らしているこの作者もきっと樺太生れであろう。

龍笛が暑さをぬうて聞えくる 渡部美知子
                          (白光集)
 龍笛は横笛の美称である。名器であるから掲句の龍笛を奏しているのも名手、人工の冷房などは施されてない夏座敷が舞台であろう。離れた所でこの笛を聞いている作者。暑さの中を縫うてくる笛ではあるが音色はすずやかこの上なかった。

暑気払ひ夫と湯豆腐食うべけり 田中いし
                           (白光集)
 暑気払いというと普通酒や薬を飲んで暑さをしのぐのである。だが、掲句は夫と冬の湯豆腐を作って食べたというユニークな暑気払いである。この句を見て体調に合せてあたたかいものを食べて元気を出すのも暑気払いであることが理解できた。何も生ビールなど冷たいものの飲食だけが暑気払いなのではないのだ。

祭髪眦にさす紅すこし 高橋静香

 刻をかけて丁寧に祭髪を結って貰った。和装なのか、法被に足袋脚絆の装なのかは不明であるが仕上げに眼尻にうす紅をさして貰った。つまり、画竜に点睛が打たれたのだ。かくて祭衣装の少女像が一枚完成したのである。

碧魚忌や都忘れを文机に 滝見美代子

 平成七年六月二十四日藤川碧魚先生が逝去されて早や十年が経った。同人集選者として多くの門弟を育て、その人たちが成長して若い仲間を増やしている。豪放磊落な気性で酒とカラオケをこよなく愛した。
 掲句は、都忘れを一枝文机に挿して碧魚忌を修している。先生健在ならば白魚火六百号記念大会も更に盛り上がったのに、という思いが一句からは滲み出ている。

夕焼を目正月とし夫とかな 牧沢純江

 目正月は、目の正月、目の保養ということ。みごとな夕焼に夫妻は見入って十分に堪能したのである。目正月といういい言葉を持ってきて秀句に仕上げたのである。

塩着せて重石をきつく瓜漬くる 中西晃子

 大きな桶に瓜を漬けている、それは「塩着せて」「重石をきつく」でよく分る。殊に「塩着せて」がおもしろい。この地方の主婦言葉かもしれぬが初めて耳にした。「塩着せて」がこの句を印象深い作品にした。

下駄履きのくりくりつむり浴衣着て 鈴木桂子

 「下駄履き」「くりくりつむり」「浴衣着て」というと筆者の少年時代と変らぬ風景である。だがこの句の「下駄履き」も「丸坊主」も「浴衣着」も現代のおしゃれである。母親たちは目を細めてこの姿を打ち眺めている。

検診の朝朝顔のひとつ咲く 稗田秋美
 
 健康診断で再診を指示された検診であろう。大したことはないと思いつつも今朝は少し億劫。ふと目を落した庭に朝顔が一つ咲いていた。平常なら気にもしない朝顔なのだが。

サヌカイト製の風鈴よく澄みて 松原政利

 サヌカイトは讃岐岩。漆黒の緻密な安山岩で讃岐の白峰山に多く産する。叩くと金属性のよい音がするので南部鉄風鈴のように風鈴に多く用いられている。
 
                      

その他の感銘句

白魚火集より
口にして暑さますます募りけり 大石登美恵
草の葉にすがる空蝉爪の鋭き 牧野邦子
蓮の葉のざわめいてゐて静かなる 大川原よし子
堀割の豊かな流れ夏椿 田原桂子
好き嫌ひ言はせず土用鰻買ふ 橋本志げの
休耕田向日葵真直ぐ咲きにけり 神保紀和子
きりぎりす畳の上に来て鳴けり 青砥静代
投網解禁初物の届きけり 戸倉光子
捩花を描きひとすぢ紅を入れし 河野幸子
対岸に夕立来てをりレモンティー 林 浩世
名古屋場所大和男の子の不甲斐なさ 鬼塚 弘
教材で仕上げし浴衣よく似合ひ 藤元基子
切手にも気配りのあり夏見舞 剣持妙子
夏祭人に混じりて小犬来る 廣川恵子
白南風や生きもののごと砂走る 加藤芳江

白光集より
頭陀袋に足す峰入の陀羅尼助 後藤よし子
名の知らぬ草に花あり暑気中り 佐藤升子
水番の夫を待ちをる朝の膳 岩崎昌子
樹の揺れて大夕立の来る気配 小林久子
鳶職の静かな昼餉原爆忌 石田博人
バンガロー同志や携帯電話して 伊藤巴江
山門の松に凌霄咲き登る 武田美紗子
祭囃子手持無沙汰の道具方 稲野辺洋
椰子の木に背もたれかけしサングラス 吉田容子
片思ひ金の泡立つ生ビール 小林さつき
            


栃木白魚火会
『今甦る 神橋』
…吟行句会

鶴見一石子

 栃木白魚火会は、四季それぞれ各支部の持ち回りによる吟行会を実施している。
職種の違う方々の集まり、吟行会に誰でも参加の出来るよう、四月に開かれる定例総会で日程と吟行地を予め会員に周知し、計画が立て易くしている。これは、栃木白魚火会の創設された昭和五十二年から続いている。
今回は、青木華都子支部長の「花みずき支部」の担当で実施された。
吟行地は、平成十一年十二月に世界遺産に登録された日光東照宮の『神橋』。
神橋は、大谷川にかかる全長二十七メートル、幅六メートルのアーチ型木橋。黒塗りの橋桁以外は、総朱塗りの美しい橋である。
 夏蝶と一緒に渡る神の橋  華都子
 神橋の一方通行岩煙草  政 子
 半世紀振りの朱の橋風香る  文 雄
 万緑や流れの青と朱の橋と  健  

勝道上人の日光開山にまつわる伝説から、『山菅の蛇橋』と呼ばれていたが、寛永十三年、酒井忠次がこの橋を寄進し神橋と名を改めた。
この神橋が、平成九年から八年間にわたる改修工事を行い、総工費は約八億円、厖大な額をかけ本年三月に竣工した。
四月二十日から約一年間特別公開されている。
特にこの期間は、特設観覧台から下部構造を見学できるとのことで七月二十四日に吟行会が行われた。

 神橋の橋桁に下り涼しかり  シヅイ
 神橋の乳の木の風冷んやりと  タケ子
 
神橋は、山間の渓谷に用いられた「はね橋」形式としては我国唯一の古橋であり、日本三大奇橋(錦帯橋・猿橋)の一つ。

 橋脚は鳥居の形岩煙草  光 子
 川底の石の涼しき丹塗り橋  一石子

神橋の対岸に一際大きな老杉がある。「太郎杉」と呼ばれ、東照宮のシンボルであり親しまれている。樹齢約五三〇年。

 太郎杉樹肌に蝉の殻二つ  華都子

 日光市と背合わせに今市市がある。市で力を入れている一つに杉並木公園がある。

 杉並木いにしへの道大茂り  イチ子
 三百年太りし杉の木下闇安納  久 子
 芝固く身の丈低き捩り花  ツタ子
 女峰青嶺間近に杉粉水車かな   一 草

日光杉並木街道は国の特別史跡、天然記念物の二重の指定を受けており、樹根の特別の保護のため敷地の周辺の公有化に努め整備を行い、地域文化を伝承する施設として水車や民家を復元している。

 山の気に心開くや岩鏡  正 子
 水動き風動きゐし青すすき  幸 子
 尊徳像四方より見ゆ夏座敷  洋 子
 呼応してめぐる水車の凉しかり  桂 子

今市での産業の一つとして杉線香の生産が盛んであり、その動力として、かっては水車が使われ数多く見られた。
当時を懐かしむ多くの水車が公園の流れに沿い目を楽しませてくれる。

 緑挽く水車の軋みたのしめり  文 雄
 朝曇り水が水押す水車静 女
 ゆつくりと廻る水車の風凉し  小林久子
 重連の水車の遅速苔凉し  一 秋

大水車を始めとしさまざまな日本の水車十基と世界の水車四基が整備されている。

 真水生む水車のきしみ黄釣舟  房 子
 観覧車のやうな水車や雲の峰  要 作
 万緑の水奪ひあふ水車  政 子
 苔の花水車は休むこと知らず  洋  

公園の西は日光街道、東側は、長閑な田園風景が広がっている。 電車が時折通り過ぎて行く。

 空っぽの快速電車蝉凉し  光 子
 草いきれ髪の先まで包まるる  秀 子
 網張りの水車の森に蝉鳴けり  タイ子
 玉あぢさゐ弾け簪突き出せり  揚 子

杉並木公園と日光街道の西側に面し『滝尾神社』がある。
本日の三ヶ所の吟行地のひとつ。この社は、日光開山の祖勝道上人が日光二荒山神社開山の時、ご神体を移したものであり、四月十四日・十五日に神社の例大祭が行われる。

 杉並木催合う神苑藪茗荷  恵 子
 田心姫祀る宮居の落し文  正 子
 蟻の列猿の腰掛よじ登る  静 枝

一歩足を踏み入れ参道を進むと、角を一本頂いた狛犬の社守りが機嫌よく迎えてくれる。

 狛犬の阿吽の空に草矢吹く  静 女
 神杉に来て神の蝉かもしらぬ  華都子
 
二十七名の参加の今回の吟行会は、車九台に分乗し句会場の『日光千姫物語』に十二時十分に集合し、花みずき支部の至れり尽くせりの接待と昼食をいただいた後、和やかに俳句会が開催され、十六時三十分現地解散となった。

 狛犬や神の忘れし落し文  一石子

 
 


   百 花 寸 評     
(平成十七年七月号より)   
  田口一桜


 巣の鷺も吾も子育て真つ最中 三浦和子

 巣の見える近くにお住まいか。今、眼も手も離せない気遣いの時なればこその鷺への理解。しかし「真っ最中」に、めげない喜びがある。

冬囲ひ解きたり視界ひろがりし 平 さつ子

 あの厳しい冬に耐えてくれた冬囲いの、風雪にすがれた姿を解く。同時に開ける視界は、くらしの広がりであり春を迎える感動である。

倖の数だけ咲けよクロッカス 山田春子

 春先がけの地面そのものから生まれて花開くクロッカスは、土の息吹きであり喜びである。倖せあらばあるだけ咲けと歓呼している。

苗木植う土の匂ひの風渡る 山田三恵子

 春を迎えた三月、なだらかな山裾であろうか苗木植えが始まっている。手元の杉苗の香を払うように、動く土の匂いが渡る喜びだ。

雲水の眉一文字緑立つ 鈴木 シゲ

 四月ともなると、松はこぞって若緑の芯を立てる。そんな寺の息吹の中、太々とした眉を横一文字の雲水。若くも凛々しい対称だ。
 
母の手を思ひ出しつつ菊根分 竹澤和枝

 かって母上は、菊の株分けを懇切に手がけ、秋へいそしまれた。そんな仕種や手付きを思い偲びながらの根分。母を思う心が深い。

後れきて群れに紛れし蝌蚪一つ 篠原庄治

 やっと一人立ちのできるお玉杓子であろうか。群れの流れに遅れていた一つが、やっと群れに紛れ込む。園児遠足の姿のようだ。

すき込みて土豊かなりうまごやし 後藤泉彦

 田にとって肥やしとなるうまごやし。生命力盛んなこの草の鋤き込みは、これまた農家の伝える知恵である。土豊かな安心がある。

一目惚れしてまだ買へぬ植木市 久保美代子

 どう見てもこの植木はいいと、一目で惚れた動悸が伺える。しかし庭のどこに合うか等思うとすぐには決断できない、植木の魅力。

一階の花十階の花の雲 大庭よりえ

 一階にある桜は、トンネルのように目前ゆさゆさと華やか。目的の十階に上がってのぞくと、正に花の雲のよう。桜二景に技あり。

帰る鳥今列島を見渡して 檜林 弘一

 鳥帰るの季節、今しも旅立ちの鳥は、高度を上げて隊列を正す。やがて隊列は北を指す。鳥たちは今胸の下に列島を見ているとの大景。

石段に腰かけしばし初音聞く 勝部好美

 宮か寺詣でか。森に入ったとたんに鶯の初鳴きに出会う。ときめきの心を石段に下ろす。じっと聞き入る「しばし」は、至福の時である。

人影の見えぬ山里櫻咲く 吉岡柏枝

 今や山里は、働き手のほとんどは町へ出かけて、昼の人影を見る事は少ない。そんな留守、旧字の櫻はひとり枝を張り咲いている。

仰ぎ見る大東京の朧月 澄田みち

 広い空の月を知っている者にとって、大東京の夜空はどうなのか。立ち並ぶビルのはざ間から仰ぐ朧月は、区切られた空間の世界か。

雨蛙畏まりゐる楓鉢 森木朴思

 仕種剽軽にしておとなしやかな雨蛙。それがしかも主人愛するところの、楓の鉢にちょこなんと畏まっておるのだ。愛しさ一倍。

耕して土の眠りを覚ましけり 島村康子

 固く引きしまった田の面の土は、息を止めて眠っているかのようだ。そこに鋤が入ると途端に新しい肌が覚めて呼吸するという喜び。

サクランボ雀にいくつ残さうか 土方智恵子

 愛嬌があって、人のくらしに最も近く親しむ雀。サクランボの木が庭に一本もあるか。よく来る雀に、やさしい数をつぶやいている。

里山の賑はひてきしわらび採り 脇山保子

 木々が芽を伸ばし、わらびが頭を出し始めると、見計らったように人の足が集まるのだ。自然の恵みを唯採るだけの賑いなのだろうか。

大味も何故か許せる初西瓜 山崎けい子

 自分ながら手間暇かけて育てた西瓜なのだろう。やっと熟れ姿を確かめての初西瓜だが大味。それを許せるのも身内育ちだからだ。

   筆者は松江市在住
     


  今月読んだ本

佐藤升子
 句集『梨の花』 金箱戈止夫著

 著者は昭和三年長野県生まれ。昭和五十一年齋藤玄に師事「壺」入会。平成六年「壺」主宰。角川俳句叢書(14)として出された第四句集で、三七〇句を収録する。俳人協会幹事、北海道文学館評議員。
 杜甫ならば妻に贈らむ梨の花
 戦乱を憂え民を嘆く詩が多く憂国の詩人といわれた杜甫を、著者は最も尊敬しているという。村の平和な生活を詠んだ杜甫の「江村」の一節、「老妻ハ紙に画イテ棋局ヲ為リ、稚子ハ針ヲ敲イテ釣鈎ヲ作ル」をあげて、彼の国を思う心は家人を思う心から発していると、あとがきに記している。著者は、父・母・妻故郷を詠んで、
 仙花紙に褪せし父の句書を曝す
 母の世を継いで小さき実南天
 病む妻へ野の一と枝の梅もどき
 故郷また他郷となりぬ梅も老い
 他郷での暮しも長くなりもう故郷となった、在住の北海道の地を詠んで、
 空蝉や女名はなき開拓碑
 日本の涯の断崖昼の虫
   玄師に<すさまじき垂直にして鶴佇てり>の句ありとして、
 旅初め垂直の鶴見にゆかな
 集中、筆者の感銘した句は多い。他に、
 長考に入れり青鷺田に吹かれ
 くやしさに棒となりたる海鼠かな
 青鷺がじっと佇んで微動だにしないところは、まるで作り物の様である。筆者には仲々句にはできなかったが、掲句、「長考に入れり」と「田に吹かれ」の表現には多いに共感をさせられた。この海鼠も青鷺も人のありさまとも見えてくるのである。
 人あればこそのふるさと黄水仙
 杜甫を尊敬するという著者は、「身近な人たちをもっと大事にしていきたい」として、この句集を愛する人達に贈ると記す。
   角川書店発行 二六六七円(税別)

  句集『金剛山』 小林たけし著


 著者は昭和十三年石川県生まれ。昭和五十八年「狩」入会、平成三年「朱雀」同人参加、平成四年「狩」同人。俳人協会会員。本句集は『鹿』に次ぐ第二句集である。
 平成六年より十五年迄の「狩」に発表した作品より鷹羽狩行師が再選され、帯に抽出十句と鑑賞三句をあげておられる。
「<岩山の岩を揺すりて蝉時雨>蝉の声が岩を揺する等という事はない。が、そう言いたくなる程の激しい蝉時雨なのである。同じ事は<山動くごとし金剛山の霧>にもいえよう。――<日のさして浮かび上りし返り花>季節はずれに咲く花のあわれを、“日のさして浮かび上りし”によって見事に定着させた」と、記しておられる。
 探梅や名のみ残りし平家谷
 すべるごとくに水流れ紅葉谷
 水底に鯉のかたまる厄日かな
 夜桜や高層ビルはまだ灯り
 物を見る静かな眼を感じさせられる。第四句は夜桜と高層ビルの組合せが珍しい。
 除夜の鐘つく一身を撞木とし
 仏間よりはじめ旧家の畳替
 濡れてゐる竹林の道仏生会
 大寺の屋根のふくらむ良夜かな
 第一句、「一身を撞木として」が巧み。新しい年への期待と祈りを込めて一心に撞くのである。第二句、「仏間よりはじめ」の措辞が旧家らしく、畳職人の動きや開け放たれた家内までが眼に見えてくる。何れの句も、対照の適確な把握と表現の巧みさで、句の世界や情景が鮮明になっている。
 句集名は、山の霊力により体調の回復の願いを込め、日毎仰ぎ見る大阪府下最高峰で美しい三角形の金剛山に因みつけたと、著者はあとがきに記しておられる。
  ふらんす堂 二六〇〇円(税込)

 筆者は浜松市在住
禁無断転載