最終更新日(Updated)'05.04.28 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第597号)
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・しらをびのうた (とびら)
・季節の一句     上川みゆき
牧童(主宰近詠 仁尾正文 
鳥雲集(一部掲載)
白光集 (仁尾正文選)(巻頭句のみ)
    安澤啓子、小林布佐子 ほか
14
・白魚火作品月評    古橋成光 41
・現代俳句を読む    渥美絹代  44
百 花 寸 評  青木華都子 47
・こみち(ひとりごと)  山本千恵子 50
・「俳壇」三月号転載   ・中日新聞転載   51
・俳誌拝見(圭)       吉岡房代 52
句 会 報     花野句会 53
・平成17年度白魚火全国大会について  安田青葉 54
・オホーツク体験記  奥野津矢子  57
・ 随筆        寺澤朝子 59
・今月読んだ本  中山雅史       60
・今月読んだ本  佐藤升子     61
白 魚 火 集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
   塚本三保子,上武峰雪  ほか
62
・白魚火六〇〇号記念基金寄附者御芳名  111
白魚火秀句 仁尾正文 102
・ 白魚火全国大会申込書 115
・窓・編集手帳・余滴
       

 鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕            
                                            一部のみ。 順次掲載


 
  春  安食彰彦
 
春水の柴折戸の前をどり行く
竹藪の竹がうつむく春時雨
嶺よりの風まだかたし牡丹の芽
春時雨盆地の町の丸ポスト
芽吹き初む桜の枝に傘かくる
黄泉穴は風の遊び場梅白し
山里に耕人ひとり見あたらず


  春愁ひ 大久保瑞枝

節分の鬼が目を剥く患者食
出口まで介添試歩や春寒し
梅見月歩行器を連れ足慣らし
風船は空へこの身は儘ならず
春の夜の安静時間持て余し
病窓の雨垂れ数へ春愁ひ


   立 春 白岩敏秀

雪原を断ちて鉄路のひかり伸ぶ
立春や土の匂ひの風来たる
雪解川ひかりの棒となり流る
冴返る海千条の波頭
菖蒲の芽日のさざ波に育ちをり
下萌や少女駈け出す野の広さ


   窓   武永江邨

春そこに来てゐる窓を開けにけり
はだら雪ただ見るだけの窓なりき

春遅し何かに躓きゐるらしく
春風に向へば癒ゆる目の窪み
春風やスクラム組める腕欲し
病床へ紙雛大事に運び来し


   草の餅 大屋得雄

猪垣の残るや鶏を放ち飼ひ
春寒し鞄の中に守り札
雪残る跡切れとぎれに獣道
猿の出て春椎茸を根刮ぎに
食材の残り菜の花活けにけり
ひと臼は塩の小豆の草の餅

 
   
  風 花 織田美智子

忘れゐし遠州ことば空つ風
裸木に雀の学校はじまれり
風花の殊に休耕田に舞ふ
ひと息に二月の土を起しけり
紙で指切つてしまひし余寒かな
遠山に雪ありひとり剪定す

 
   花種蒔く 笠原沢江

小流れの底まで日射し芹青む
風紋のささら移りに風光る
一と部屋に米寿の雛初ひひな
花種を蒔く指先の縒加減
穏やかな雨が促がす菊根分け
山裾の井溝溜りに蝌蚪屯


  雪まつり  金田野歩女

四温晴びいどろ館の万華鏡
かまくらの低き戸口を屈み入る
啄木鳥穴を覗いて歩く輪かんじき
微笑みは共通言語雪まつり
青き眼の隠れてをりぬ雪眼鏡
居酒屋を出でて小樽の余寒かな


   卒 業 上川みゆき

無住寺の空あをあをと辛夷咲く
物芽出づ白寿ことほぐ日なりけり
神南備の山麓にゐて耕せり
卒業や背に蛮声の応援歌
履きしまま洗ふ長靴鳥帰る
春しぐれ喪帰りの海真つ平


    夕 雲 上村 均

田から田へ飛礫のやうに寒雀
浅春や海から戻るブーメラン
マラソンの殿が過ぎ犬ふぐり
田を鋤くや夕雲雨を滴らす
梅の木に箒立て掛け僧は去ぬ
前方に照る山のあり青き踏む
 

白光集 〔同人作品〕 巻頭句   仁尾正文選


     安澤啓子
                          
のどけしや毎戸に魔除け十団子
裏口に置く呼び鈴や沈丁花
家例なる建国の日の小豆飯
茶座敷の一輪の白椿かな
永き日や三和土の隅に砧石


    小林布佐子

琉球の白き貝殻春立ちぬ
魚は氷に上る遠嶺の光りけり
大安吉日旅先に買ふ春シヨール
ジエツト機が雲置いてゆく猫柳
笑ひたる大きな山を目のあたり


白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句  仁尾正文選
  
     静岡  塚本三保子

傘ささで小走りにゆく春時雨
零さじと剪れど零れて梅匂ふ
春の泥踏み来し靴を草で拭く
蒔くにまだ間のある花の種を買ふ
フリージアの一輪開く毎の癒え


   足利  上武峰雪

磨り減りし磴山門の落椿
紅梅の枝先懸魚に届きさう
メトロ出て銀座の春を諾へり
すぐに澄む芹の水なり濁しけり
甘茶佛銅の杓にて浴せけり

 
             

 白魚火秀句
仁尾正文
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フリージアの一輪開く毎の癒え 塚本三保子

 フリージアはアヤメ科の花、三月末頃菖蒲に似た細い葉の中から茎を上げて数個の蕾をつける。百合状の小花は下から順次咲き上がってゆき芳香がある。掲句は、フリージアが一輪一輪咲き上る度に病状がよくなっているという実感。「日にちが薬」のたとえのように日毎目に見えてよくなっている。「一輪開く毎の癒え」という名詞止めがきりりとしている。右肩上がりの傾向で癒えているのだが、病気のことだから折には厳しい日があるのかもしれない。
 蒔くにはまだ間のある花の種を買ふ 三保子
 同掲のこの句もやさしくて穏やか。この余裕が病状を軽快させているのであろう。

 茶座敷の一輪の白椿かな  安澤啓子
                 (白光集)
 茶座敷というのは広辞苑によると「茶をたてる座敷。茶席。茶室。」と出ている。この句は「一輪の白椿かな」が凛とひびき、句の姿を端正にした。千利休が関白秀吉を茶に招いたとき、みごとに咲いている庭の朝顔のすべてを摘み取り茶室の一輪だけを見せたという話が伝えられている。茶花は亭主のもてなしの心を象徴したもの。掲句の「一輪の白椿」も季節や咲き具合などをよく吟味したものである。「茶座敷」という語感はリラックスした茶席のような感じもあるが、その客が茶花に感動しているのである。亭主の心づかいは十分に伝わっていた。
 同掲の家例なる建国の日の小豆飯 啓子
建国の日の是非が今も論じられているが、作者の家ではずっと、この日赤飯を炊いて祝ってきた。何の疑いもなく。家例というものには「何故か」は要らないのである。

 すぐに澄む芹の水なり濁しけり  上武峰雪

 先師西本一都の昭和七年の作に
 芹ぬきし濁りながれてゆきにけり
がある。純客観写生句であるが思念的な面ももっていて、一都の傑作の中に入れるべき作品だと思う。一都作が水の豊かな芹田であるのに対し、頭掲句は、引いてきた田芹を小流れで洗っている景。根っこの泥を振り洗うと水が少し濁るがすぐに流れは澄む。水の濁りを楽しむがごとき繰り返しであるが、早春の野山も水も清澄である。同掲の
 紅梅の枝先懸魚に届きさう 峰雪
の懸魚は破風の拝みの下またはその左右に付ける装飾。塔頭の懸魚に届きそうな紅梅の大樹である。この作者は語彙の入った引出しを一杯持っている。

 ジェット機が雲置いてゆく猫柳  小林布佐子
               (白光集)
 青天にジェット機の白い飛行機雲が走り、眼前には猫柳の毛衣が輝いている。そういう景が鮮明に描き出された。「ジェット機が雲置いてゆく」がみごとな技。こういう句があるとしばらくは「飛行機雲」が詠めないのではないか。このとき、作者には生気が漲っていたことを示す写生である。

 火鑽りもて鑽りしとんどの忌火かな  岡崎健風

 「火鑽り」は乾いた桧などに木口の棒を当て激しく摩りもんで切り出した火、忌火は斎き清めた鑽り火である。昔ながらの清浄な種火をもってとんどが始った、という句であるが、荘重なしらべは遠き代の闇をまで思わせるのである。

 白き芽のほちむ種芋貰ひけり  坂本清實

 「ほちむ」は「芽などが大きくふくらむ、という群馬県勢多郡横野の方言」と日本国語大辞典にある。辞典を介して「ほちむ」が分れば掲句は一目である。
 方言にらんごくといふ冬の菊 一都
の句碑が飯田市長清寺にある。先師も詩になる方言は大切にした。ただし、「らんごく」も「ほちむ」も辞典というキーワードがあるので読者に伝達できた。どんな方言でもという訳ではない。

 餡パンの餡までぬくし山笑ふ  谷山瑞枝

 「山笑ふ」は「春山淡冶にして笑ふが如し」という漢詩から季語になったもの。雑木山の梢が芽吹き出して潤んだようになったのものが「山笑ふ」である。従って「御岳山笑ふ」とか「浅間山笑ふ」はいただけない。又「山笑ひころげる」というバリエーションの過ぎたものも採れない。中には「山笑ふ」にはユーモラスなものを取り合わさなければならぬと勘違いしている向きもある。掲句は、真っ当な「山笑ふ」だ。

 うかれ猫ソプラノで餌ねだりけり  藤江喨子

 猫の声は元々ソプラノであるが恋猫は相手の気を引くため一層高音になる。その癖は餌をねだるときにも尾を引いていたというユーモラスな句である。滑稽は俳諧の原初的な一翼であった。こういう笑いを誘う句も結構である。

 縒もどし金縷梅の花咲き出せり 永井昭二郎

 「まんさくの花びら縒を解きたる 正文」とモチーフは同じであるが、類句とはいえない。頭掲句の「縒もどし」は固く縒ったような花びらが解けて戻ったという描写であるが、「縒を戻す」という言葉を十分に認識させる。縒を戻すのは別れた男女がまた一緒になることをいうので頭掲句は俄かに人間くさくなった。

 うとうとと猫化の夫の春炬燵  井上科子

 「猫化」は「猫になったよう」という造語であろうが仲々おもしろい。おかしみも出ている。炬燵に寝そべっているうちに、うとうとしているまに、まるで猫のようだ、と揶揄しているのだ。

 食初の皿鉢にでんと桜鯛  川崎久子

 皿鉢は高知県独特の郷土料理。径五十センチもある大皿に色々な料理を盛り合せた豪快なものだ。ここでは出た皿鉢の数が宴会の規模を示すのである。食初の皿鉢の真中に大きな桜鯛がでんと置かれた。待望久しかった長子の食初めであろう。

 粕漬けの樽の封解く初音かな  藤井敬子

 粕漬けを仕込んで日が経った。出来は如何かと胸弾ませて樽の封を切った、丁度その時鴬の初音が聞えた。一句は「樽の封切る初音かな」の滑らかな声調がよい。場面転換の「初音かな」ではあるが、言葉としては上句からずっと繋っている。「かな」止めは、この句のように流れる如く繋いで最後に「かな」で切ることが手法。高速道路で急ブレーキをかけたような、衝撃が「かな」の切字効果である。

                       

その他の感銘句

白魚火集より
豌豆の花ぺちやくちやと話好き 山口あきを
風に出て初蝶風に消えにけり 橋本快枝
風光る真正面の男坂 間渕うめ
コップ酒山盛りに注ぐもづく和 川上けいし
啓蟄や佛花より出づ小さき虫 石前暁峰
凍解や借り長靴に足泳ぐ 高岡良子
肝心の薙刀失せし古雛 大石ます江
小積みある座禅ざぶとん梅の寺 脇山石菖
しなやか巫女の黒髪梅二月 牛尾澄女
薇ののの字の向きを変へて活く 河野幸子
石村を挙げ渡良瀬の葦を焼く 荒川政子
消す役も控へ畦火をつけ廻る 木暮千代子
春の虹原爆ドームより立てり 計田美保
木目込みの雛の顔のふくよかさ 鈴木桂子
雛あられワイングラスに盛られけり 田久保とし子

白光集より
盃の底に金粉光悦忌 梅田嵯峨
春立てり電車に乗って髪染めに 谷口泰子
水仙の芽を嘴に見立てけり 佐川春子
桃色の猫の足裏や春の泥 安達美和子
酒蔵の持主変る寒の入り 奥山美智子
温室のオウムが返すこんにちは 剣持妙子
冬薔薇八十八本届きたる 畑瀬志津香
青天に煙上げたりしづり雪 萩原しず江
山茱萸の枝に鋏の力入れ 高橋富士子
冬の薔薇位牌の文字を二字隠す 荒木 茂
            


   百 花 寸 評     
(平成十七年二月号より)   
  青 木 華都子   

 
  往診の大先生の冬帽子  青木いく代

 総合病院に行くと一日がかりになってしまうのです。小半日待たされて、それだけで体調を更に悪化させてしまうのです。逆に家族の体調を常に解ってくれている家庭医は地域住人の一人一人の顔色に気づかってくれるのです。往診をしてくれて、脈をとり、額に手を当てて、二た言三言の問診に、それだけで病人は安心するのです。さり気なくいつも被っている冬帽子、作者はその冬帽子をさり気なく季語に据えて、大先生健在、嬉しいですね

 あきらめる事も余生やちちろ鳴く  八下田善作

 「あきらめる」は「諦める」なのです。中七の「余生や」で上五の「あきらめる」が柔らかく受け止められると同時に作者の心のゆとりが伝わってくるのです。余生とご自身が言える、文字に出来ることは、余力なのです。「ちちろ鳴く」と季語を座五に据えて情こまやかな一句。

 足跡のついて来さうな落葉道  山崎タカ子

 静けさや落葉踏む音ついてくる  森 明子

 一句目は、「ついて来さうな」自分の足音ではなく、なんとなくその気配を感じる少し距離を置いての落葉を踏む音であり、二句目は「足音ついてくる」と前句よりその距離が近いことが解かります。いずれも誰かと、おしゃべりをしながらの落葉道ではなく、このように場所が違っても、同じような景を思い浮かばせるのですが、しかし、それでも微妙に違う。それが俳句の妙なのです。

 からからと後追うて来し落葉かな  飯塚葉子

 明かるく作者と落葉とのリズムが楽しい一句。

 寝ころべば枯草にある日の匂ひ  北原みどり

 寝ころんで思い切り手足を伸ばし、雲一つない青空を仰いで、枯葉の匂いとお日さまの匂いに、いつまでも寝ころんでいたい、そしてしばらくの間、時間が止まっていてほしいと思いつつ軽く目をつむると、幼なかった頃の作者がそこにいるのです。耳を澄ますと、かすかな風の音、小鳥の声にしばしの癒しの時なのです。

 焚く菊の煙に花の色のあり  加藤美保
 菊は花の命が意外に長いのです。咲いている間は勿論、その色が褪せて枯れ尽くすまでその香を失わないのです。掲句にふと牡丹焚きを思い出しました。枯菊を焚くときと同じように牡丹を焚いたその煙にも花の色があるのです。菊を焚き菊供養をしながら、その煙の色を見逃さなかった作者の目がそこにはあったのです。

 避難所のおにぎりひとつ冬ぬくし  田口三千女

 新潟地震災害に心を寄せての一句なのでしょう。震度六以上の強震、一日に何度となく起こる余震、小、中学校の体育館を避難所に身を寄せて、一睡も出来ない夜が何日続いたでしょうか。水や食事の不足する中で、配られた一つのおにぎりに、人のあたたかさを味わいながら、束の間の窓越しの日射しに「冬ぬくし」と感じさせる、一句をほっとさせる季語なのです。年が明けて避難所から仮設住宅に移り住んでも未だ未だ不安な日が続いているのです。新潟は日本一雪深い所であり、その上今年は例年になく雪が多く、毎日屋根の雪下ろしに明け暮れて、立春は名ばかりです。でもみな強く生きている姿に感動するばかりです。避難所でのおにぎりの味が、やがて遠い思い出話になれるようにと作者も願っているはずです。

 あてもなき日々の暮らしや落葉焚く  鈴木喜枝

 健康で何の心配事も無く俳句三昧の作者は「あてもなき日々」とご自身の今の幸せに気付いていないのかも知れません。掃き寄せた落葉を焚き、一句をしたためました。やがてすっかり葉も落ちて、落葉焚きの季節から、寒い冬を目の前にして「あてもなき」と気を抜くことも生活のリズムに必要なのです。

 寒の水裏返しつつ和紙漉ける  浅見善平

 左右の腕の力が同じでなければ均等に漉けない難かしさがあるのです。水裏返すにはベテランの業……。

 冬ざくらやさしきことは強きこと  相沢よし子

 やさしさの奥にある強さ、強いから、やさしくなれるのですね、日の色に溶け込んでしまいそうな冬桜のように。

 口癖に寒い寒いと予後の夫  田久保扶久絵

 健康な人でも一日に寒いと何度かいいます。予後であれば寒さは尚のこと……。

 とりとめもなき長話日短  福永喜代美

 気のおけない人との長話は、気分転換でありストレスの解消にもなるのです。

 覚え無き擦り傷なりし冬囲ひ  早坂あい女

 指先や手の甲など筆者にも覚えがあります。

 クレーンの怪獣のごと冬岬 山根 恒子

 おもしろい表現ですね、「怪獣のごと」とは。

 我が家にも軒に一竿吊し柿  錦織美代子

 ふる里に思ひめぐらす吊し柿  外山則彦

 「吊し柿」は、日に日に皺を重ねて、また、ひと霜にあたると粉を吹き更に甘味が増すのです。

その他目に止まった佳句

凩に言葉も髪も吹かれけり 阿部晴江
客入れば鈴鳴る茶房小鳥来る 赤城節子
軍艦のごとき靴履き霜の朝 岡本千歳
七五三味噌つ歯見せてよく笑ふ 五十嵐藤重
沼暮るる三角に曳く鴨の水尾 五嶋休光
こびりつく土を落して鍬納 本多笑月
日に一度歩くこの畦冬菜畑 佐藤都葵
浜菊や崖に跳び付く礁波 山西悦子
冬薔薇三面鏡の後髪 金原敬子
返したき一言収め根深汁 井上科子

   筆者は宇都宮市在住
     


禁無断転載