最終更新日(update) 2005.04.04 |
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鳥雲集 〔白魚火幹部作品集〕 一部のみ。 順次掲載
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秋 さ ぶ 沢田早苗
台風一過月渡りくる恵那の嶺々
秋めくや母の年忌をなし終へて
ひいらぎの花錆びそめし小糠雨
抽出を引けば母の香秋深く
今日のこと今日なし終へて虫を聞く
折からの師走の門を渡る月
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小 六 月 水鳥川弘 宇
小春日や雲より淡く島浮かぶ
裏戸より生家を訪へり花八つ手
風裏にひと山なせる柿落葉
入れ代はり妻の出て行く小六月
冬うらら転げ来し球投げ返す
句座みんな年相応に着ぶくれて
村 芝 居 富田郁子
村芝居一番人気の武蔵坊
成田屋と見紛ふ弁慶さはやかに
堪忍の神崎与五郎冷まじや
馬方の泣きに柝を打つ床冷えて
役者みな吏員局員懸巣鳴く
村芝居はねて役者に見送らる
一 茶 忌 栗林こうじ
街道の冬霧籠めに一茶の地
結界をなせる落葉の嵩なりき
黒土の畑堆き漬菜屑
一茶忌の兜太のはなし奔放に
一茶の墓落葉深きに安らへる
甘酒をいただき一茶忌を了ふる
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痰 切 飴 宮野一磴
澄みきりし蔵の名水注連締まる
大樽の竹箍冬の樽師小屋
ふくべ床均らされて蔵冬に入る
初雪のあとの彩濃き酒林
切れ間なき落葉を掃ける蔵男
蔵元の痰切飴や小六月 |
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白光集 〔同人作品〕 巻頭句 仁尾正文選
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一人笑ひしてゐるやうなかりんの実 横田じゅんこ
朝寒の顔の混み合ふ電車かな
落葉焚より線香の火を貰ふ
ほんたうは怠け者かも浮寝鳥
襖絵の虎が此方を向いてをり
青空にジェット機の雲菱紅葉 鈴木 匠
新刊にサインをもらふ文化の日
立冬や携帯電話ぱちと閉ぢ
火熾しの課外授業や雪ばんば
眼鏡なきことに気付きぬ返り花
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白魚火集 〔同人・会員作品〕 巻頭句 仁尾正文選 |
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剪定の松葉燃しゐる冬安居 静 岡 野沢建代
猟犬のジープの窓に首出せり
法螺吹きの猟人の肉買ひにけり
猪鍋と決まり句友へ触れを出し
冬紅葉ハーレーダビツトソン止まる
瀬戸の海へなだるる甍鳥渡る 東広島 岡田暮煙
身に入むや清盛塚のかく小さき
猪垣を隔て作柄話しをり
山裾を縫ひゆくバスや木守柿
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白魚火秀句 |
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仁尾正文 |
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法螺吹きの猟人の肉買ひにけり 野沢建代
この句の法螺吹きは大げさにものをいう人。針小のものを棒大にいうのである。だが、法螺吹きにうじうじした陰湿な者はいない。多くは声高で喋りまくるネアカなのである。「法螺吹き」の猟師から買ったのは、きっと猪肉であろう。わいわい騒ぎ立てて売買したが結局はかなり負けさせられてしまった。明るくてユーモラスな一句。こういう面白い作品に出合えるのも選者冥利である。同掲の
冬紅葉ハーレーダビットソン止まる 建代
のハーレーダビットソンは米国製のオートバイ。一五〇〇cc級とか二〇〇〇cc級の大型車で戦前からオートバイマニアにはこたえられないものである。黒皮製の繋ぎ服に身を固めた恰好いいライダーがハーレーダビッドソンを作者の前にぴたりと停めた。オートバイを、ライダーを眩しみているのが季語の「冬紅葉」だ。
落葉焚より線香の火を貰ふ 横田じゅんこ
(白光集)
墓前で線香に火を付けるのは仲々である。ほんの少しの風にもマッチやライターの炎が揺れてしまうからである。線香付け用のカバーのついたライターがある位である。
掲句は、墓地苑であろうか。落葉掃きの人が落葉焚をしている。焚火のしっかりした炎から線香の火を貰ったのである。 何でもない材料、上手く作ろうという意図があるわけでもないのだが、一句を読み下してみると耳ざわりがよい。どの言葉づかいもこなれていてナイーブなのである。同掲の
襖絵の虎が此方を向いてをり じゅんこ
も低声の諷詠であるが迫力がある。大きな御殿の重厚な襖が描き切れている。
猪垣を隔て作柄話しをり 岡田暮煙
猪垣にあり蕎麦畑の出入口 百合山羽公
羽公にお供をして三河で見た猪垣は石を積み上げて砦のようであったが、人や車の出入口はしっかり開かれてあった。 猪による農作物の被害が拡がっている為猪の鼻の高さに裸電線を二本張り弱電流を通した猪垣もあるが、多くは七、八十センチのトタンを張り巡らして猪除けにしている。掲句もそのようなトタンであろう。猪垣越しに隣田の農夫と今年の作柄を話している。
景がよく見え、声調も穏やかであるから、今年の作柄は台風の被害もなく満足した結果だったようである。
立冬や携帯電話ぱちと閉ぢ 鈴木 匠
(白光集)
携帯電話は、今や小学生にまで普及して何時でも何処ででも通話に、メールに使われている。筆者も一応持ってはいるが使うのは専ら吟行の山中や待ち合せの時だけ。確かに便利であるが若者のように器用には使い切れてない。
掲句は、軽くて小型の携帯電話を使い終って、ぱちと折ったところ。如何にも若者らしい軽妙な所作であるが、これに「立冬や」と重い季語を被せた。バランスのとれた取り合せがこの作者の感性である。なお、「携帯」だけでは携帯電話にはならぬ。何れは国語に認められようが今はまだ無理である。
日記買ふ青きバナナの房を提げ 沢柳 勝
スーパーの籠も持たずにバナナ一房だけを買った。その帰り、さまざまな日記売り場を通っていて衝動的に日記を買ってしまった。
「日記買ふ」句としては未だ見たことのない一句である。期せずして得た一句は、いわば授ったというべき。抜群に面白い。
地団駄を踏みて落すや靴の雪 萩原峯子
地団駄踏むは、怒って、またくやしがって激しく地面を踏むこと。人形浄瑠璃や芝居ではこの時析の音が響いて感情を音で表現している。掲句は、大上段の打ち出しであるが何のことはない、靴の雪落しであった。龍頭蛇尾のような句であるが、この機智も悪くない。
手渡しにおろす遺影や煤払ひ 中組美喜枝
客間の鴨居の上に先代夫妻、先々代夫妻などの遺影が掲っている。普段は忘れるともなく忘れていたのだが、煤払いのときは脚立を立てて丁寧に手渡しで煤逃げをさせている。
何か事があるときに故人の生前を思うことが供養の本質であろう。
わが料は羊羹なりき闇夜汁 依田照代
闇夜汁とは闇汁ともいって、気の置けぬ者同志が持参の料を明かさず、電灯を消して鍋に入れて炊く。闇の中であるから箸にかかったものが何であるか、いぶかしがって食するという楽しい会である。
掲句は、持参した料が羊羹だったというのが面白い。甘いがとろとろになったものを食わされた人は不気味であったにちがいない。
石かまどして大寺の芋煮会 池田都瑠女
芋煮会は、里芋を主にし、茸、白菜、葱、豆腐に糸こんにゃく等を鍋にして野外で楽しむ。東北地方が盛んであるが、伊予の宇和島あたりでも行われている。仙台の伊達政宗の庶子が宇和島藩主に封ぜられたとき東北の風習も付いて行ったようだ。
掲句は、大寺の庭の一処に石を組んで竈を築き大鍋で芋煮をしている。「石かまどして」が野趣に富む芋煮会を具象化している。
手伝ひといふ邪魔の来し障子貼り 久保田久代
この手伝いは幼い孫であろう。障子貼りをしていると、手伝うといって、いらぬ手を出す。「手伝ひといふ邪魔」ではあるが、作者は結構うれしいのである。選者は頑なに「孫」の句を採らぬが、孫を詠むならこのように、との見本である。
団栗が渦の目となる洗濯機 兵藤文枝
ポケットに仕舞って取り出すのを忘れた団栗が洗濯機の渦の目となって廻っている。有名な鳴門の渦潮の目は径十メートル余深さが数メートルのものもある。洗濯機に廻る団栗を鳴門の渦の目になぞらえたところが手柄の一句だ。
菊日和千回記念の句会かな 山崎てる子
「江の川吟行句会」は故田室澄江氏が起し現在能美百合子さんが指導している、結社を超えた句会である。週一回の吟行句会を行っているが満二十年で千回に達したという。継続は力、立派なことである。ちなみに明治三十年柳原極堂が松山で創刊した「ホトトギス」は今月一二九八号である。
己が影三頭身や寒の月 竹渕秋生
ミスコンテストの一位に選ばれるのは八頭身のスマートな容姿だという。掲句は寒月に映った自分の影が三頭身に詰っていたという。影のことだから何もおかしいことではないが少しく身を退いた表現である。
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その他の感銘句 |
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白魚火集より |
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萱葺きの兜造りや炉のけむり |
浅沼静歩 |
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富士の嶺を遠見に住むや吊し柿 |
高岡良子 |
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雲の下雲走り過ぐ樗の実 |
西村松子 |
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小春日の柱時計のふいに鳴る |
澤 弘深 |
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先になりあとになりして雪螢 |
高見沢都々子 |
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凩や火伏せの神は正一位 |
稲川柳女 |
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黄落に幽冥界を見たりけり |
荒木唐水 |
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小春日や米搗く水車よく廻る |
米沢 操 |
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笹子鳴く今来し道のあたりから |
相沢よし子 |
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箒目の崩れぬほどの初時雨 |
宇賀神尚雄 |
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紙漉の重たき紙を重ねたり |
富田育子 |
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球根を植ゑて勤労感謝の日 |
大田尾千代女 |
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子には子の母には母の小春かな |
丸谷寿美子 |
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ざうざうと葉が騒ぎだす神の留守 |
石本浩子 |
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参道の祖母を従へ七五三 |
鬼塚 弘 |
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白光集より |
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残菊の添へ木そおつと直しやる |
水鳥川栄子 |
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震度三ほどの嚏の二つ三つ |
大山清笑 |
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文化の日男の茶会賑へり |
甲賀 文 |
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立冬や出精値引きの明細書 |
大澤のり子 |
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新しき草鞋を締めて海苔を摘む |
小沢房子 |
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奉仕値のつきし仏具や師走市 |
中野キヨ子 |
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新米を磨ぐ水音のやはらかし |
稲村貞子 |
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咳き込めば眠れぬ犬も飛び出し来 |
大庭万沙子 |
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新年や子宝の湯は爺ばかり |
篠原俊雄 |
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▼句会報●●●●●●● |
群馬白魚火 原町支部 "句会報 転載"と重複掲載)
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清水春代 |
平成九年御指導していただいた吾亦紅先生が御逝去された時、若桐会が解散状態になっておりました。このままではいけないと思い今迄共に学んでいた人達に声をかけ、平成十年九月より会名を「原町支部」と改め少人数ながら句会を再会。今迄のように句会終了と同時に散会では親交を深めることはむずかしいと考え、会場を吾が家にしていただき、句会終了後お茶を飲みながらの俳句談議や、世間話しなどでなごやかな刻を過ごしておりました。
半年位して、今少し人数がほしいと思い、峨堂先生に声をかけ、指導かたがたお願いしたところ心良く参加して下さった。 会員には高齢の方、夜仕事をもつ方とそれぞれなので、毎月一回午后に句会をし、当季雑詠で五句投句五句選にてやっております。 幸、吾が家の庭には八十種余りの庭木が植えてあり、四季それぞれ花が見られるので、思いつくまま、ときには兼題を出し、庭を見て一句などということもあり、なごやかな笑い声の絶えない会として続いております。 昨年、五周年を記念し、手作りの句集らしきものを作りました。その中には、亡くなった人の句もありますが、これからも俳句を楽しむ会として続けてゆく積りです。
峨堂先生始め、高齢化が進み、若い誌友の定着が今一のことが悩みの種ですが、新誌友が一人でも多く参加して下さることを祈りながら、会を続けたいと思っております。 |
愛嬌を振り撒く嬰や小六月
路地裏に独り者住む花八ツ手
秋の風跡かたも無し生家かな
国道を風吹き踊る木の葉かな
参道の夕暮のばすお茶の花
有髪なる導師まぶしき十夜参り
銀杏黄葉どさつと散りし神の庭
意のままに吹かれてをりし枯尾花
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峨 堂
幸 子
文 女 清 香
翆 峰
紀和子
鳳仙花
晴 代 |
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百 花 寸 評 (白魚火平成十六年十一月号より)
田 口 一 桜
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青芒揺れて彼方に日本海 守屋ヒサ
夏を迎えた北海道の青芒。風に揺られる姿は、生気に満ちて若さを感じさせます。その彼方にきらりと光る日本海のとり合わせが美しい。
黒雲の峠越えけり蕎麦の花 前川きみ代
天気の不調か、黒雲の坐る峠越えは、心急かれる思いであろう。ところが広がる蕎麦の花の明るさにつつまれます。白の世界が鮮やか。
息をつめ線香花火囲みをり 三浦昌代
子ども達にとっていよいよ見慣れないものとなった線香花火。瞬発の美しさに、息をつめて見守る眼のかがやきが見えてきます。
波際が夕日に染まる初秋かな 飯塚昌江
打ち寄せる波が白くなってのびる所、夕日が映えます。真夏の強さがしだいに薄れる夕波に、秋を感じます。初秋が句を生かしました。
川の音聞えさうなる鮎を焼く 見城早苗
川を離れた鮎に寄せる心が偲ばれ、川の音が聞こえそうという鮎の姿が目に浮かぶ。川の音の聞こえるという感覚がいとしいのです。
秋冷や夜更けて雨の降り始む 北原みどり
秋冷に対し、夜更けて雨の降り始むと、さらりと受けて、秋冷の夜更けを偲ばせ、降り始めた雨の音を聞いているのです。岩肌にもんどり打つて滝しぶく 坪井民子
滝しぶくで、もんどり打つの常套語が生き返りました。吹き上げるしぶきが、滝壺に立ち上がり、躍動感のある句になったのです。
峠よりアルプス見ゆる葛の花 岡部章子
登り着いた峠から見るアルプスの壮大さ。そんな峠をなだれる葛の花に目をもどす心の動きが、景を身に引き寄せています。
切り口の松脂光る炎天下 藤田文子
切り口の松脂光るは、実景にすぎないが、炎天下となると、松脂の光りと匂いが生き返ってきます。正に炎天下の営みです。
百本の松明勢ふ虫送り 大庭よりえ
百本の火の流れを思うだけでもすでに雄大。しかしそれは、次第に勢いを上げ、勢い合っています。この活動感は「勢ふ」一語の働きです。
真菰茣蓙青き宝前夏祓 布施里詩
真菰を簡略に編んだものであろうか。それを青きとしたので、その新しさが強調され、神前さわやかな夏祓が目に浮かびます。
高稲架に稲投げ上げし五千束 名原功子
夫の構える高稲架へ稲を投げます。聞くだけでも大変な労力。やっと終って稲架を見上げ、調べて気付く五千束。例えようのない満足感。
待宵の蹲踞水をこぼしけり 加藤雅子
今宵の月にばかり心が向いていたところ、蹲踞のこぼす水の音に気付いたのですが、この水音ささやかながら、豊かに心に響くのです。
幼な児に知らされ仰ぐ秋の虹 山根恒子
幼な児は目を中空に、親は目の下の道を気遣っていたのだろう。知らされて仰ぐ虹の淡さ、共通の世界を得た喜びです。掌に受けてたしかむ稲の花 原田妙子
稲の花は気温の上がった午前から開くという。花は稲の命であると同時に農家の命でもあります。掌にそっと受ける姿が、心を語ります。
鉄焦げるやうな匂ひの大暑かな 島村康子
実際に鉄工所の多い町なのかもしれない。鉄の焦げるような異様な匂いの真夏日を、大暑かなと受け止めて、句を正座させました。
ぴゆうぴゆうと台風に屋根飛ばされぬ 田村扶実女
ぴゆうぴゆうとは、仲々使えない言葉だが、さて屋根飛ばされとなると、本当にもがり笛のような風であったかと、納得させられます。
台風の波に消さるる防波堤 谷美冨士
太平洋から襲う台風の威力は筆舌には尽しがたい。どっと寄せる波に打ち消される防波堤、町の生命線に懸ける願いがこもります。
盆過ぎて又も淋しき町となる 吉原ノブ
中山間地の悩みがここにもあるのです。又も淋しきには、伝来の町に残る人々のそうであっては欲しくないとの思いが、ひそみます。
筆者は松江市在住
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