最終更新日(Updated)'05.03.30.

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第596号)
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    (太字文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた (とびら)
・季節の一句     山根仙花
ゆくりなく(主宰近詠 仁尾正文 
鳥雲集(一部掲載)
白光集(正文選) (巻頭句のみ)
    出口サツエ,奥野津矢子 ほか
14
・白魚火作品月評    古橋成光 41
・現代俳句を読む    渥美絹代  44
百 花 寸 評  今井星女 47
・こみち(出逢い)  友貞クニ子 50
・「俳句」二月号転載    51
・中日新聞転載   52
・俳誌拝見(沖)       吉岡房代 53
句 会 報     さざ波句会 54
・柳まつり全国大会  55
・今月読んだ本  中山雅史 56
・今月読んだ本  佐藤升子     57
白 魚 火 集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
   小玉みづえ,吉澤桜雨子  ほか
58
白魚火秀句 仁尾正文 109
・白魚火六〇〇号記念基金寄附者御芳名  112
・窓・編集手帳・余滴
       

 鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕            
                                            一部のみ。 順次掲載

 

 寒 牡 丹  渡邉春枝

眠る山起こさぬやうに頂へ
藁苞に日のとどまりし寒牡丹
寒泳の少年母へ抜手切る
たつぷりと一人の時間外は雪
早梅や庄屋なごりの太柱
日脚伸ぶ駅構内のパン売れて


 木   屑  小浜史都女

新築の木屑の匂ふ四温かな
風花や木端を焚けるドラム缶
棟梁と言葉のはづむ春隣
寒鯉をなだめるやうに見てゐたる
寒雁やどの島もまだうづくまる
飛んできて花菜に休む鉋屑


 梅 探 る  能美百合子

杖といふ山路の伴侶冬椿
清浄の支流の支流寒椿
探梅や雨となりたる峠越え
梅探る火葬場の前通りぬけ
麦の芽の不揃ひ農夫老いにけり
寒深し畑をつぶし新道路
 
 ど ん ど  田村萠尖

湯の町の学舎消ゆる冬木の芽
老いばかり村に居残り雪を掻く
筆太に傘寿越えたる吉書かな
風上に片寄つてきしどんどの輪
燃え盛るどんどの奥の榛名山
どんど守る仁王のごとき消防士


 風   花  桧林ひろ子

風花や胸よりひらく舞扇
青い鳥ゐさうな気配龍の玉
寒の水喉元過ぎて鳴りにけり
箒目の正しき古刹牡丹の芽
梅探る沖に白波立つ日かな
木枯しや喉に張りつくオブラート


  鮟   鱇    橋場きよ

独身を通す美貎や石蕗の花
マニキアを濃く鮟鱇の鍋奉行
しまひ湯に海鼠となりてまどろみぬ
風邪ですかと言はれてよりの風邪心地
なうなうと呼びくるシテや雪催
謹呈の二字おそれつつ読始
 

白光集 〔同人作品〕 巻頭句   仁尾正文選


             出口サツエ

歳の市ものの匂ひの中を行く      
人日の賀状の束の積まれあり
手相見も見らるる人も着ぶくれて
湯上りの赤子のあくび冬うらら
潮の香の乗換駅や日脚伸ぶ


            奥野津矢子

冬怒涛線を成さざる水平線       
寒鴉まづは大きな声で啼く
自画自賛したくなるほど雪掻きぬ
かんじきの紐締め直し締め直し
図に描いてありかんじきの結び方


白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句  仁尾正文選
  
   松 江  小玉みづえ

羽子板の向後も若し曽我五郎
きらきらとビルの陰より凧揚がる
牡蠣を割る刃先にこぼる瀬戸の潮
じやがいものどれも芽が出て寒に入る
どこにでも座る若者冬日向


   長 野  吉澤桜雨子

本陣の老松にある淑気かな
初春の辻の手つなぎ道祖神
色褪せし壁画をろがむ深雪寺
雪嶺の紫だちて暮れにけり
山峡の野風呂を襲ふ吹雪かな

                          


 白魚火秀句  
仁尾正文
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 羽子板の向後も若し曽我五郎  小玉みづえ

 曽我五郎時致は鎌倉時代初期の武士。兄十郎祐成と力を合わして父の敵工藤祐経を富士の裾野の巻狩の折見事に討ち果したが、十郎はその場で斬られ、五郎も捕えられた後討たれた。十郎は二十一歳五郎は十九歳であつた。旧暦五月二十八日に降る雨を「虎が雨」(季語)というのは十郎の愛妾虎御前の十郎に流した涙が雨になつたといわれるもの。
 掲句。若く凛々しい曽我五郎の押絵が付いている羽子板に作者は魅かれた。十九歳で死んだ五郎はその後何百年経つても十九のまま。世阿弥が「若さは天然自然の芸」と言つたように、人々の脳裡にも謡曲や歌舞伎の世界に於ても曽我五郎は何時も若さに輝いている。

 潮の香の乗換駅や日脚伸ぶ  出口サツエ
                                 (白光集)


 潮の香のする乗換駅というと三原駅や下関駅が頭に浮ぶ。乗換駅だから街も大きく車中から見える港も船の出入りが賑やかである。海からの風に乗つて潮の香が車中に届いたのである。冬至の後少しずつ日が伸びてゆくが「日脚伸ぶ」を実感するのは一月下旬、春隣の頃だ。歳時記の本意は皆そのように書かれているが、筆者はこの季語よりしきりに「生命の輝き」を覚える。
 掲句は、いわゆる中七や切りである。「引つぱりて動かぬ橇や引つぱりぬ 素十」「まのあたり天降りし蝶や桜草 不器男」のごとく一句をしつかりと切つたしらべが耳快よい。頭掲句は日脚伸ぶ頃の旅情、新月日に心を弾ませた中七や切りである。

 山峡の野風呂を襲ふ吹雪かな  吉澤桜雨子

 「露天風呂」「野天湯」は投句稿に毎月沢山あるが、絶賛するような句には仲々遭遇しない。殆んどが、温泉宿のもので視界や見方が限られているので千篇一律になるのであろう。
 対して掲句は「野風呂」である。語感からは、高い入場料を取られてきれいに造られた「露天風呂」ではなく、人工の施されてない出で湯を思う。「山峡の野風呂」は囲いもなければ脱衣場もない。吹雪く日は吹雪かれるまま。「野風呂を襲う吹雪」に自然界の素顔が見られる。迫力十分な一句だ。

 自画自賛したくなるほど雪掻きぬ  奥野津矢子
                                    (白光集)
 今年は全国何処でも豪雪だつたようだ。地震のあつた中越地方の四メートルにも及ぶ積雪や屋根の雪下しが連日テレビで放映されて雪国に住む人々の労苦がよく分つた。
 札幌に住むこの作者も、何回も何回も屋根に上つては雪掻きをした。近年稀な積雪であつたので例年になく汗をかいた。それが「自画自賛したくなるほど」の働き。オリンピックのある金メダリストが「がんばつた私を褒めてあげたい」と言つたが、この作者も自分を褒めてやつている。

 はちきんの飲みつぷりよき毛糸帽  川端慧己

 「土佐のいごつそう」は広辞苑に「土佐地方の方言。気骨があること、頑固者、高知県の気性を表す語。」と出ている。「はちきん」も「方言、向こうみずな者(高知県)」と日本国語大辞典にある。両者とも如何にも、土佐らしい方言である。毛糸帽を着た一見おとなしそうな掲句の主人公、大盃を口も離さず飲み干した。「はちきん」という方言が生き生きとした一句。

 寒念仏北へ北へと進みけり  小村 嫩

 寒行の一団が唱名しながら、北へ北へ進んでいる。一句はただそのことだけを描いているが、はなはだ思念的である。信仰篤い寒念仏のひたむきさが声調によりよく出ている。

 日向ぼこ記憶の中の母と居て  浅野智佐子

 穏やかに日向ぼこしている。そのしぐさが生前の母とそつくりになつていることに驚いたのである。母の齢に一年一年近づき、しぐさだけでなく日向ぼこの愉悦も分り、記憶の中の母と同座しているよう思われたのである。

祓ひ事終へてどんどの火付け役     山下勝康
立つ煙にほむら飛びつくどんどかな 塚本美知子

 前句は神社におけるどんど焼き。神官が祝詞をあげお祓いをした後、どんどの種火を持つた火付役が登場した。一句は火付役が出てきた。その刹那だけしか詠んでないがそれで十分だ。場面が克明であれば省略した所は読者が補つてくれる。
 後句。燻つていたどんどの火が、ある時一度に炎立ちした。立ち上つた炎は折々千切れて何かに飛びついているかのようだ。「ほむら飛びつく」が確かな写生である。

 デーケアに裃着せられ年女  広川初子

 今日は一日デーケアセンターで世話になることになり出向くと、年女だからとて裃を着せてくれて豆を撒いた。作者は今年満齢九十六、八度目の年女であつた。白魚火では最高齢の元気なこの作者にエールを送る。

 年用意スイングジャズを聴きながら  舛岡美恵子

 こちらは一転して若々しい。スイングジャズを聞きつつお節料理でも作つているのであろう。ジャズのリズムを満喫したのは作者だけではない。

 春立つ日お寄りの席の賑はひぬ  大石こよ

 「お寄り」は御寄講、浄土真宗の信徒が在家で開く親睦会である。昔は食事が出たり汁紛が出たりしたが今は簡素になつている。毎月持回りで講のメンバーの家に集り読経の後談笑する。よい伝統が未だ残つていて結構だ。

 松過ぎの仲見世に買ふ唐辛子  坂東紀子

 松も取れ普段の暮しに戻つたある日浅草の仲見世へ寄つて七
味唐辛子を買つた。褻 日常 の象徴が唐辛子の買物である。

 この話決まりつけむと寒の紅  青木いく代
                                 (白光集)
 美人が眉をつりあげて怒ることを「柳眉を逆立てる」というが、この句は正にそのこと。寒紅が濃ければ濃い程その怒りは凄い。

 春雪の塗れ付いたる道しるべ  田中九里夫
                          (白光集)
 春雪が解けてべたべたになつた雪泥が道しるべを汚した。「マミレツイタル」というひびきが、如何にもうつとうしい。

 幸せは我が手でつくる小豆粥  山田しげる
                        (白光集)
 「しあわせは歩いて来ない、だから歩いて行くんだよ」という「三百六十五歩のマーチ」がある。幸せは与えられるものではなく掴み取るもの。季語に置いた小正月の「小豆粥」は肩肘張らない決意を示している。
                        

その他の感銘句

白魚火集より
売初や薬種屋百の小抽出 森井杏雨
出損ふ嚏に顔を戻しけり 古川松江
大凧を揚げて男を上げにけり 渋井玉子
目も耳も林中にあり狩の犬 村上尚子
若水や億光年の星明り 星 揚子
文机にどこからとなく隙間風 福間都早
立春や地球は青き水の球 小林さつき
佗助や都合悪しきに耳もたず 川本すみ江
初鞴火花散らして刀鍛冶 右崎光芳
間引く木に目印を付け山始 中山まきば
豆撒の目のこしの福拾ひけり 大石春江
父のこと母のことなど寒土用 山本千恵子
初景色岬の涯まで新市内 石井玲子
戦友の賀状女の文字でくる 加茂康一

白光集より
釘ぎぎと抜きて春立つ日なりけり 田久保柊泉
目を開けて魚は凍れり多喜二の忌 山高悦子
剪定や私流といふ流儀 大石ます江
塩壺に塩ぎつしりと寒の入り 源 伸枝
マスクして隣の犬に吠えらるる 斉藤かつみ
川底にさしくる初日姿川 増山正子
どんどの火浴び良き年の予感あり 内山実知世
早暁やぴきぴき鼻毛凍てつける 国谷ミツヱ
山頂の連写にはづす耳袋 森山世都子
午前四時除雪車町を廻りをり 梅沢ていじ
      
     

   百 花 寸 評     
(平成十七年一月号より)   
  今 井 星 女 

 
  謝つてばかりや風の秋桜  土江ひろ子

 何を謝っているの? と思いきや、秋桜さ―と云われて意表をつかれた思いがした。
 秋桜(こすもす)が揺れているのは常識なので、あたりまえ。それが掲句のように表現されると俄然おもしろくなる。俳句は常識にとらわれない、自由な発想が良しとされる。
 いわゆる優等生的でない方がおもしろく、俳諧的なのである。既成にない新しい句を詠まれた作者の感性に敬服した。

 冬麗や富士を箱根の高みより  稻川柳女

 日本一の富士山はどこからも見ることは出来るだろうが、箱根マラソンのコースで有名な、この山のあたりで見る富士はやっぱり最高であろう。「冬麗」とは何と美しい季語であろうか。雪の富士に対して、最高の的確な季語の冬麗,を持ってきて、みごとな作品となった。

 菊人形衣裳は未だ三分咲き  大石ちよ

 秋になると各地で菊人形展が開催される。筆者も数年前、青森県弘前市の菊人形展を見に行ったことがあるが、毎年NHK大河ドラマの主人公をテーマにしていた。
 掲句、菊人形展は初日だったこともあって、人形の衣裳は蕾の菊ばかりだった。それもやっと三分咲きの固さが残る菊人形の衣裳。対照物をよく見て、三分咲きと見た発見の喜びが佳句に溢れていておもしろい。ちなみに、
 白魚火前同人会長の沢田早苗先生の代表句
『菊人形恥ぢらふ袖のまだ蕾』
は私の大好きな作品である。

 一葉忌紙縒で綴づる覚え書  海老原季誉

 昔、役所の公文書は、和紙で作った縒(こより)で綴じたものである。
 縒は和紙を一糎巾に切り、右の親指と人差し指で先端をねじり左指をそえて、捩りながら丈夫なこよりを作る。縒はぴんと立たなければ不合格である。新人官吏の仕事は縒作りから始った。
 明治生れの大先輩は刻み煙草の煙管の掃除に縒はかかせないものだったので、皆さん器用に縒をつくっていた。
 樋口一葉の時代も、縒は生活にかかせない必需品だったと思う。掲句は一葉を偲んで格調高くうたいあげた秀句。覚書は大事な書類にちがいない。

 被爆川越えて綿虫とびにけり  宮川浜子

 忘れもしない昭和二十年八月六日、広島に原子爆弾が落され、多くの命が犠牲になった。作者は広島の人。原爆ドームのそばを流れる大きな川の堤にたたずむと、六十年前の悲しい思い出が昨日のようによみがえってくる。
 綿虫がいっぱい飛んでいる。綿虫は雪虫、雪螢ともいわれ羽のある小さい虫だが、ふとこれは原爆犠牲者の生れ変りの姿かもしれないと作者は思ったのだ。
 筆者も戦後、広島で開催される原水爆禁止世界大会に出席し、その夜、太田川での流灯会に参加した。隣り合わせた老婆は、吾子の名を記した灯籠をしっかり胸に抱いていた。私は泣きながらゆっくりと灯籠を川に流した。
 戦後六十年たっても、その悲しみは決して消えない。

 表札にペツトの名前小六月  橋本快枝

 一読これは佳句だと思った。玄関の表札に愛犬の名前を掲げている家があった。
 ペットは家族の一員だとよくいわれるが、こうまでなさるとは驚きだ。この家のご主人は並々ならぬ愛犬家なのであろう。
 季語の「小六月」が絶妙で、作者の優しい心情が読者にも伝わってくる。
 余談になるが、我が家の犬が先日、老衰(十九歳)で亡くなった。幼名は「アレックス」、成犬となって「今井の太郎」と名づけた。精悍な顔つきをした柴犬で、迷子になっても必らず家に戻ってきた。この度、動物ペット霊園から、こんな手紙がきて、いささか私もびっくりした。
 「今井家愛犬太郎ちゃんの火葬も終り、納骨し御供養させていただきました。ついては、初七日、四十九日、百ヶ日には当霊園に眠るお子様達に合いにきてご焼香下さればきっと喜ぶと存じます」
 ペットは正に家族の一員だ。

 物忘れ茗荷の所為にしてしまふ  稲村貞子

 どういうわけか昔の人は「茗荷をたくさんたべると物忘れする」と云ったものだ。この作者は何とユーモアに長けたお方なのだろうと思わず笑ってしまった。
 私なども最近物忘れが多くなり、「あれ!何をしにこの部屋にきたんだったっけ……」なんてことがしばしばあって苦笑いしてしまう。物忘れはボケとは医学的に違うそうなので、あんまり心配しなくてもよいそうな。茗荷のせいにしてしまう作者に共感。

穂の重さ手応へありて稲を刈る 赤城節子
自家用に一竿だけの稲架かくる 吉田智子

 今は稲刈りといえば、ほとんど機械刈りだが、昔は手刈りが主だった。豊作の年は稲穂がはちきれんばかりに重く、手刈りでのその感触はたまらなく嬉しい。
 「七八株一束にして稲を刈る 節子」
も実際に体験しなければ出来ない句。
 赤城さんは函館市郊外の大きな農家の出身である。
 二句目、吉田さんの作品は一竿だけの天日干しの稲に焦点をあてた佳句。
 稲も乾燥室で干すより、天日干しの方が、味が良いそうである。手間はかかるが、自家用米は昔ながらの天日干しの米を食べたいのである。
*
 褒められてをりぬ秋刀魚の焼き具合    勝本恵美子
 皿の上秋刀魚の焼ける音のせり        三輪晴代
 秋刀魚焼きおろしたつぷり添へにけり  今村文子

 秋の味覚は何といっても秋刀魚である。私らの子供の頃は七輪に炭火を起し、金網の上で、生きのいい秋刀魚をならべて焼いた。
 秋刀魚の脂が炭火に落ちるとボーと炎が上り、煙が出る。団扇であおぎながら、上手に焼くのにはちょっとした腕がいる。ほめられている作者の笑顔がみえてくる。
 二句目、焼きたての秋刀魚を皿にのせると、余熱でジュウジュウ音を立てていた。おいしそう。主婦の生活実感の中での佳句。
 三句目、秋刀魚には大根おろしが一番合う。おろしをたっぷり添えた一皿は、何よりの庶民の好物で、栄養満点の一品。
 物の本によれば、秋刀魚漁が始まったのは、延宝年間(一六七三〜八一)の頃だそうで、秋刀魚の呼び名は狭真魚(サマラ)祭魚(サイラ)などといわれ、江戸期では(三馬)と書かれ、明治期に入ってから秋刀魚という漢字が付けられたとか。ちなみに、北海道の釧路港は日本一の秋刀魚漁で賑わっている。

 

 筆者は 函館市在住     


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