最終更新日(Updated)'05.03.30. | ||||||||||||
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・しらをびのうた | (とびら) | |||||||||||
・季節の一句 山根仙花 | 3 | |||||||||||
ゆくりなく(主宰近詠) 仁尾正文 | 5 | |||||||||||
鳥雲集 (一部掲載) |
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白光集(正文選) (巻頭句のみ) 出口サツエ,奥野津矢子 ほか |
14 | |||||||||||
・白魚火作品月評 古橋成光 | 41 | |||||||||||
・現代俳句を読む 渥美絹代 | 44 | |||||||||||
百 花 寸 評 今井星女 | 47 | |||||||||||
・こみち(出逢い) 友貞クニ子 | 50 | |||||||||||
・「俳句」二月号転載 | 51 | |||||||||||
・中日新聞転載 | 52 | |||||||||||
・俳誌拝見(沖) 吉岡房代 | 53 | |||||||||||
句 会 報 さざ波句会 | 54 | |||||||||||
・柳まつり全国大会 | 55 | |||||||||||
・今月読んだ本 中山雅史 | 56 | |||||||||||
・今月読んだ本 佐藤升子 | 57 | |||||||||||
白 魚 火 集(仁尾正文選)(巻頭句のみ) 小玉みづえ,吉澤桜雨子 ほか |
58 | |||||||||||
白魚火秀句 仁尾正文 | 109 | |||||||||||
・白魚火六〇〇号記念基金寄附者御芳名 | 112 | |||||||||||
・窓・編集手帳・余滴 |
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鳥雲集 〔白魚火 幹部作品〕
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白光集 〔同人作品〕 巻頭句 仁尾正文選 |
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出口サツエ 歳の市ものの匂ひの中を行く 人日の賀状の束の積まれあり 手相見も見らるる人も着ぶくれて 湯上りの赤子のあくび冬うらら 潮の香の乗換駅や日脚伸ぶ 奥野津矢子 冬怒涛線を成さざる水平線 寒鴉まづは大きな声で啼く 自画自賛したくなるほど雪掻きぬ かんじきの紐締め直し締め直し 図に描いてありかんじきの結び方 |
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白魚火集〔同人・会員作品〕 巻頭句 仁尾正文選 | |
松 江 小玉みづえ 羽子板の向後も若し曽我五郎 きらきらとビルの陰より凧揚がる 牡蠣を割る刃先にこぼる瀬戸の潮 じやがいものどれも芽が出て寒に入る どこにでも座る若者冬日向 長 野 吉澤桜雨子 本陣の老松にある淑気かな 初春の辻の手つなぎ道祖神 色褪せし壁画をろがむ深雪寺 雪嶺の紫だちて暮れにけり 山峡の野風呂を襲ふ吹雪かな |
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白魚火秀句 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
仁尾正文 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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羽子板の向後も若し曽我五郎 小玉みづえ 曽我五郎時致は鎌倉時代初期の武士。兄十郎祐成と力を合わして父の敵工藤祐経を富士の裾野の巻狩の折見事に討ち果したが、十郎はその場で斬られ、五郎も捕えられた後討たれた。十郎は二十一歳五郎は十九歳であつた。旧暦五月二十八日に降る雨を「虎が雨」(季語)というのは十郎の愛妾虎御前の十郎に流した涙が雨になつたといわれるもの。 掲句。若く凛々しい曽我五郎の押絵が付いている羽子板に作者は魅かれた。十九歳で死んだ五郎はその後何百年経つても十九のまま。世阿弥が「若さは天然自然の芸」と言つたように、人々の脳裡にも謡曲や歌舞伎の世界に於ても曽我五郎は何時も若さに輝いている。 潮の香の乗換駅や日脚伸ぶ 出口サツエ (白光集) 潮の香のする乗換駅というと三原駅や下関駅が頭に浮ぶ。乗換駅だから街も大きく車中から見える港も船の出入りが賑やかである。海からの風に乗つて潮の香が車中に届いたのである。冬至の後少しずつ日が伸びてゆくが「日脚伸ぶ」を実感するのは一月下旬、春隣の頃だ。歳時記の本意は皆そのように書かれているが、筆者はこの季語よりしきりに「生命の輝き」を覚える。 掲句は、いわゆる中七や切りである。「引つぱりて動かぬ橇や引つぱりぬ 素十」「まのあたり天降りし蝶や桜草 不器男」のごとく一句をしつかりと切つたしらべが耳快よい。頭掲句は日脚伸ぶ頃の旅情、新月日に心を弾ませた中七や切りである。 山峡の野風呂を襲ふ吹雪かな 吉澤桜雨子 「露天風呂」「野天湯」は投句稿に毎月沢山あるが、絶賛するような句には仲々遭遇しない。殆んどが、温泉宿のもので視界や見方が限られているので千篇一律になるのであろう。 対して掲句は「野風呂」である。語感からは、高い入場料を取られてきれいに造られた「露天風呂」ではなく、人工の施されてない出で湯を思う。「山峡の野風呂」は囲いもなければ脱衣場もない。吹雪く日は吹雪かれるまま。「野風呂を襲う吹雪」に自然界の素顔が見られる。迫力十分な一句だ。 自画自賛したくなるほど雪掻きぬ 奥野津矢子 (白光集) 今年は全国何処でも豪雪だつたようだ。地震のあつた中越地方の四メートルにも及ぶ積雪や屋根の雪下しが連日テレビで放映されて雪国に住む人々の労苦がよく分つた。 札幌に住むこの作者も、何回も何回も屋根に上つては雪掻きをした。近年稀な積雪であつたので例年になく汗をかいた。それが「自画自賛したくなるほど」の働き。オリンピックのある金メダリストが「がんばつた私を褒めてあげたい」と言つたが、この作者も自分を褒めてやつている。 はちきんの飲みつぷりよき毛糸帽 川端慧己 「土佐のいごつそう」は広辞苑に「土佐地方の方言。気骨があること、頑固者、高知県の気性を表す語。」と出ている。「はちきん」も「方言、向こうみずな者(高知県)」と日本国語大辞典にある。両者とも如何にも、土佐らしい方言である。毛糸帽を着た一見おとなしそうな掲句の主人公、大盃を口も離さず飲み干した。「はちきん」という方言が生き生きとした一句。 寒念仏北へ北へと進みけり 小村 嫩 寒行の一団が唱名しながら、北へ北へ進んでいる。一句はただそのことだけを描いているが、はなはだ思念的である。信仰篤い寒念仏のひたむきさが声調によりよく出ている。 日向ぼこ記憶の中の母と居て 浅野智佐子 穏やかに日向ぼこしている。そのしぐさが生前の母とそつくりになつていることに驚いたのである。母の齢に一年一年近づき、しぐさだけでなく日向ぼこの愉悦も分り、記憶の中の母と同座しているよう思われたのである。 祓ひ事終へてどんどの火付け役 山下勝康 立つ煙にほむら飛びつくどんどかな 塚本美知子 前句は神社におけるどんど焼き。神官が祝詞をあげお祓いをした後、どんどの種火を持つた火付役が登場した。一句は火付役が出てきた。その刹那だけしか詠んでないがそれで十分だ。場面が克明であれば省略した所は読者が補つてくれる。 後句。燻つていたどんどの火が、ある時一度に炎立ちした。立ち上つた炎は折々千切れて何かに飛びついているかのようだ。「ほむら飛びつく」が確かな写生である。 デーケアに裃着せられ年女 広川初子 今日は一日デーケアセンターで世話になることになり出向くと、年女だからとて裃を着せてくれて豆を撒いた。作者は今年満齢九十六、八度目の年女であつた。白魚火では最高齢の元気なこの作者にエールを送る。 年用意スイングジャズを聴きながら 舛岡美恵子 こちらは一転して若々しい。スイングジャズを聞きつつお節料理でも作つているのであろう。ジャズのリズムを満喫したのは作者だけではない。 春立つ日お寄りの席の賑はひぬ 大石こよ 「お寄り」は御寄講、浄土真宗の信徒が在家で開く親睦会である。昔は食事が出たり汁紛が出たりしたが今は簡素になつている。毎月持回りで講のメンバーの家に集り読経の後談笑する。よい伝統が未だ残つていて結構だ。 松過ぎの仲見世に買ふ唐辛子 坂東紀子 松も取れ普段の暮しに戻つたある日浅草の仲見世へ寄つて七 味唐辛子を買つた。褻 日常 の象徴が唐辛子の買物である。 この話決まりつけむと寒の紅 青木いく代 (白光集) 美人が眉をつりあげて怒ることを「柳眉を逆立てる」というが、この句は正にそのこと。寒紅が濃ければ濃い程その怒りは凄い。 春雪の塗れ付いたる道しるべ 田中九里夫 (白光集) 春雪が解けてべたべたになつた雪泥が道しるべを汚した。「マミレツイタル」というひびきが、如何にもうつとうしい。 幸せは我が手でつくる小豆粥 山田しげる (白光集) 「しあわせは歩いて来ない、だから歩いて行くんだよ」という「三百六十五歩のマーチ」がある。幸せは与えられるものではなく掴み取るもの。季語に置いた小正月の「小豆粥」は肩肘張らない決意を示している。
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百 花 寸 評 |
(平成十七年一月号より) |
今 井 星 女 |
筆者は 函館市在住 |
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