一月一日付で白魚火発行、編集人安食彰彦氏に副主宰を委嘱した。
荒木古川先生が昭和三十年九月白魚火を創刊して以来先生は没年の平成十二年一月号(通巻五三三号)まで一貫して発行、編集に身を挺して来られた。白魚火は、この間一号の欠刊も遅刊もなく、本年八月号で六〇〇号に達する見込みである。 俳句雑誌を発行し続けてゆくのには、発行、編集業務が根幹であるということを古川先生は如実に指し示された。安食氏にもこの任を担って戴きたく白魚火の副主宰を委嘱した次第である。
会員諸兄姉のご支援ご協力を切望したいのである。
|
ほりばた |
ししょく |
|
濠端に |
紙燭を灯し八雲の忌 吉岡房代 |
『しまね俳句歳時記』(平成七年、島根県俳句協会刊)によると小泉八雲(ラフカディオ・ハーン=一八五〇〜一九〇四)は英国人を父に、ギリシャ人を母としてギリシャに生れ、幼時はアイルランドで過ごし、十九歳の時単身渡米、新聞記者として活躍した。一八九〇年(明治二十三年)三月来日、島根県尋常中学(現松江北高)と尋常師範学校で英語を教えるため八月松江に着いた。(中略)小泉家の次女セツが家事一切の世話をし(中略)ハーンはセツの婿養子となり日本に帰化し、姓は小泉、名を八雲と改めた。以来、熊本高校、文化大学、早稲田大学の講師をしたが、一九〇四年九月二十六日突然狭心症の発作で倒れた。(後略)
長々と引用したのは、講談社の『日本大歳時記』をはじめとし角川書店、雄山閣出版、明治書院、文芸春秋社やその外から出ている歳時記には「八雲忌」が録されていないのである。
現在、ハイクという日本語が国際語として諸外国に通用するようになっている、つまり、俳句が全世界に普及しているのである。明治六年に来日し四十年間在日した英人B・H・チェンバレンに次いで八雲が西洋に俳句等々の日本独自の文化をよく伝え、俳句国際化の先駆者の役を担ったのである。俳句界においては見落してはならない八雲の忌日が多くの歳時記から欠落していることは、歳時記編纂に問題があるように思えてならない。
今年は八雲没後百年、掲句の如く、松江城の濠端の路上に紙燭を並べるなどして心の籠った修忌がなされたようである。
シャツを脱いでみると二の腕の上方に青痣があった。これ程の痣ならばかなりの打撲であった筈であるが全く覚えがなかったのだ。こういう体験は誰にでもあることであるが、掲句はそれを「夜の長し」と取り合わせてポエム(詩)を生んだ。作者の感性のよさに驚いたのである。同掲の
さやけしや受話器持つ手に右手添へ 升子
は一転してしとやか。左手で取り上げた受話器に右手を添えて話し相手にかしこまっている。「さやけしや」と詠嘆するような電話の内容だったのであろう。
起伏のある広い牧場。一処に小流れがあり牧馬が毎日一、二回水を飲みにここに集ってくる。水場へ続く牧場のくねくねした小道は牛馬が踏み固めて自然に出来たものだろう。
「穂芒や」と初秋の穏やかな景物を見せておいて「水場へ続く牧の道」と伸びやかなしらべで一句を仕上げている。気候も天気も作者の心も平安そのもののようだ。
藪つ蚊など構つて居れぬ竹を伐る 金井秀穂
仲秋の竹の春は竹の成長期で、最も質が良いのでこの頃竹を伐る。まだ耳元ではわんわんする程藪蚊もたかってくるが竹伐り作業では蚊に構っている暇はない。
掲句は「藪つ蚊など」とわざと上句を六音にしているのは「こやつ奴」という嫌悪感をひびきで表出したもの。
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
は中八音、「槍投げて」の「て」が青年期の淡い愁いをよく出した秀句。掲句もこれに通じる。
ほし |
だいこ |
吊されて力抜きたる干 |
大根 萩原峯子 |
はち切れんばかりであった生大根が吊し干しされて萎びてきたさまを「力抜きたる」と一足踏み込んで描写した。客観写生には主観が大いに働かなければならぬが、出来上がった作品は掲句のごとく主観の跡が払拭されてないといけない。
おも |
|
琵琶打ちの面 |
ほのかなる月の宴 高見沢都々子
|
琵琶打ちは、この句の場合は琵琶の演奏者である。「面ほのかなる」は月影に照らし出された面輪。「琵琶打ち」「ほのかなる」「月の宴」と美しい言葉を連ねて一句自体を雅びやかに完結したのは作者の芸による。
義経の菊人形に惚れ直す 藤田ふみ子
判官贔屓という言葉は、薄命な英雄義経を愛惜することから生れた。菊人形では凛々しさと愁いとを強調して義経を作るのである。判官贔屓の作者はしげしげと見て改めて惚れ直した。「惚れ直す」が抜群におもしろい。
黄熟した柚子の実は美しいが、この句は「柚子の木」として一且柚子の実を隠し「十一月の日射しかな」と再びスポットライトを当てて黄金色に輝く柚子を浮き立たせた。 みごとな手法である。
嫁ぎ鳥水占ひの吉と出る 林やすし
|
せんわた |
とおだいせん |
|
仙渡し |
遠大山のかがやける 黒田邦枝 |
前句の「嫁ぎ鳥」は鶺鴒のこと。イザナギ、イザナミ両神の「みとのまぐはひ」にこの鳥が尾を振りつつ先導したのでこの名がついた、と歳時にあった。四十余年作句してきてこの季語を知らなかったことを白状しておく。
後句の「仙渡し」はどの歳時記にもなく、調べてみると「大山の初雪」とのことであった。山陰地方では通用している季語だという。富士の初雪が九月六日頃だから「仙渡し」は十月初旬頃か。詩語のような地方季語、全国区にしたいものだ。
|
こん |
しじゅうごねん |
|
婚 |
四十五年の月日着膨れて 古藤弘枝 |
金婚まで後五年。永いようでいてアッという間でもあった。その感慨を「着膨れて」で表徴した。「伊達の薄着」「伊達すりゃ寒い」という言葉がある。「着膨れて」はその逆、質実、不粋な半生であったという述懐である。
そつじゅ |
くがつじん |
|
なんとなく過ぎて卆寿 |
の九月尽 |
山口吉城子 |
前句と軌を一つにした作。作者は九月末日をもって満齢九十歳になったようでめでたい。この作者を入れて白魚火では九十歳以上が八人以上居る。何れもが健吟されていて、私共には大きな励みになっている。
|
その他の感銘句 |
|
白魚火集より |
|
|
正座して風生庵のそぞろ寒 |
村松典子 |
|
藁塚の作りかけなる一つあり |
中山雅史 |
|
逃げ易き峽の日を追ひ豆叩く |
池田都瑠女 |
|
川二つひとつになりて鵙鳴けり |
樋野洋子 |
|
薄紅葉お茶を淹れなほしませうか |
川崎ゆかり |
|
お十夜の花生け終へし膝払ふ |
谷口泰子 |
|
朴の実や老の疎遠を許されよ |
前川きみ代 |
|
朝寒の牛の鼻息見えて来し |
関うたの |
|
赤ん坊に豊かなくびれ小鳥来る |
山岸美重子 |
|
表札にペットの名前小六月 |
橋本快枝 |
|
木犀や修道院の高き塀 |
花輪宏子 |
|
赤い羽根すこしお洒落につけくれし |
広岡博子 |
|
柿紅葉桜紅葉と日々掃けり |
杠 和子 |
|
うすもみぢ見むと山寄せ遠眼鏡 |
錦織高子 |
|
クリークに菱の実取りの桶浮ぶ |
太田尾利恵 |
白光集より |
|
|
掃くあとに風の置きゆく柿落葉 |
青砥静代 |
|
寸寸といふ言葉あり破れ蓮 |
大滝久江 |
|
完走し快気を祝ふ菊の酒 |
高添すみれ |
|
稲刈りしあとに雀の降るやうに |
滝見美代子 |
|
野分中直立したる忠魂碑 |
西村輝子 |
|
稲架解きて里の日暮の早まりし |
山田ヨシコ |
|
強風に腰の曲りし大根引く |
麻生清子 |
|
不揃ひの朱盃登拝の神酒を注ぐ |
五十嵐藤重 |
|
木の実落つ流線形の猫の伸び |
小林さつき |
|
死ぬるときは千草の花があれば良い |
布施里詩 |
|