最終更新日(Update)'25.02.01

白魚火 令和7年2月号 抜粋

 
(通巻第834号)
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2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  寺田 佳代子
年惜しむ (作品) 檜林 弘一
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 白岩 敏秀ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
  伊藤 妙子、山田 眞二
白光秀句  村上 尚子
令和7年度「同人賞」・「新鋭賞」発表
広島水曜俳句会平和公園吟行記 森田 陽子
白魚火創刊七十年記念全国俳句大会(松江)参加記(諸家)
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  野田 美子、長田 弘子
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(多摩) 寺田 佳代子 

宇宙人と交信をする犬ふぐり  鈴木 誠
          (令和六年三月号鳥雲集より)
 野山に春の到来を知らせる犬ふぐりは、早春の日溜りに群れてブルーが美しく、春の訪れを実感する優しい花だ。
 地を覆うように咲く小花を、星屑を撒いたようだと詠まれることはあるが、作者はその先の宇宙にまで想像の幅を広げた。犬ふぐりは宇宙人と交信しているのだと。
 よく見ればパラボラアンテナのような花の形。一斉に空を向くアンテナは本当に宇宙人と交信しているかもしれない。楽しい発想に犬ふぐりをこれまでと違う目で見ることになりそうである。

木の根明く大きな鳥が餌台に  小林 さつき
          (令和六年五月号 白光集より)
 木の根明くとは雪国での春先の現象。樹木の根元から雪解けが始まり、ドーナツ状に地面が見えてくる。樹木の生命力を実感し、雪国に暮らす人々は春を迎える弾む思いをこの語に託していると言う。
 作者は旭川在住。この時期をどんなに待ち望んでいるだろうか。まだまだ周囲は雪に覆われているが春もそこまで来ていることが見えてくる。
 ある日窓から見える庭の餌台に空からふわりと大きな鳥が舞い降りた。餌台には色々な鳥が訪れるだろうが、今朝はひときわ大きな鳥が。作者の驚きと喜びが想像できる。大きな鳥は希望に満ちて幸せを運んでくれる象徴のようだ。

幸せと言へばさうかも春炬燵  町田 由美子
          (令和六年四月号 白魚火集より)
 春炬燵にあたりながらこんな時間の過ごし方も幸せと思ったのだろう。「幸せと言へばさうかも」と、心の呟きがこちらに届いてくる。このような心持ちで暮らせば幸せで過ごせるのは間違いない。春炬燵が効いた一句だ。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 山の日 白岩 敏秀
青空へ音を返して木の実落つ
しぐれ癖つきし因幡の雲低し
山茶花のはげしく散つて月夜かな
振袖の蝶となりたる七五三
山の日の短し木の葉散り急ぐ
押さふれば膨らみ返す落葉籠
日の温み残る落葉を焚きにけり
ひとり居てもの煮る匂ひ花八手

 おでん酒 (出雲)安食 彰彦
客来たる煮ゆる音するおでん酒
おでん酒またまた例の箸使ひ
おでん酒笑ひの箸を伸ばしけり
おでん酒息子は箸を口で割く
おでん酒客は眼鏡を外しをり
あのことは互ひにふれずおでん酒
孫の嫁ほほほと笑ひおでん酒
さういへば妻も笑顔やおでん酒

 鬼瓦 (浜松)村上 尚子
冬に入る沖ゆく船は灯を点し
小春日やずり落ちさうな鬼瓦
人声にうかれ牡丹の返り花
遠山へ日差しの移る枇杷の花
足元の水より翳り山眠る
着ぶくれて書肆の通路をゆづり合ふ
鯛焼の尾頭に湯気一つづつ
一匹となり綿虫のついてくる

 麦の芽 (浜松)渥美 絹代
紅葉かつ散る山羊の小屋とれしあと
なまくらな包丁冬の立ちにけり
薪棚にまきのぎつしり猟期来る
釣りし魚海にもどせば鴨の声
小春日の漁師の小屋に洗濯機
くくられて売らるる茶碗冬夕焼
境内に火を焚きしあと山眠る
かすかなる地震や麦の芽二寸ほど

 北の日溜り (唐津)小浜 史都女
二階まで大楠の影柿を干す
むらさきにももいろに山暮早し
散紅葉水神さまは石ひとつ
冬紅葉ふはふは積んで休み窯
楠守のゐて丁寧に落葉掃く
冬の蚊の叩かれに来て叩かれぬ
遺跡野の北の日溜り冬すみれ
かじけ猫汝も楠を守りたるか

 湯宿 (宇都宮)中村 國司
あす知らぬ湯宿枯山啼く鴉
鴉背に眼のあるごとし枯木山
国原にあまた神の名石蕗の花
かつて大花野なりけさ大枯野
ふつくらと菊を縛れる冬の宿
終活と言へなくもなし落葉焚
早暁の出で湯に香あり冬紅葉
枯れゆけるものに草木星もまた

 冬ぬくし (東広島)渡邉 春枝
廃屋の庭に彩ます実南天
冬ぬくし本屋の椅子にもう少し
目薬の一滴づつに冬深し
今もある夢を育てて冬のばら
対話なく一日の暮れぬ冬夕焼
念願の一書得てより冬ぬくし
降り出して雨音高き年の暮
昨夜の句の早や色褪せし年の内

 反抗期 (北見)金田 野歩女
切干を戻し亡母のレシピ本
底冷や土器の継目はみな斜め
卵酒出番の多き片手鍋
木道の果て日本海大枯野
流木を幾度も晒す冬の波
週日の閲覧室に咳一つ
虎落笛我にもありし反抗期
湯の里の陽は暮れたがる冬至かな

 冬が好き (東京)寺澤 朝子
日に燦と波郷忌日の木守柿
手に重き天金の書や冬に入る
百句吟行約し別るる小春空
女子駅伝いまたけなはや紅葉散る
父の忌のしぐれ模様となりにけり
子の来る鯛焼包み頰に当て
しやりしやりと浅漬食みて子は二十はたち
神在の国に生まれて冬が好き

 生姜糖 (旭川)平間 純一
棉吹くや雲州生姜糖製す
長棹に鋤簾操る冬の霧
さはさはと波来る稲佐冬茜
軍都いま美しきや雪のななかまど
つつ立てる枯あぢさゐのセピア色
農を継ぎ枯木の折るる如死せり
荼毘に付す親族うから痩せをり冬ざるる
喉仏最後に拾ふささめ雪

 風邪 (宇都宮)星田 一草
朝光げに濡れ色深く式部の実
熱き茶と饅頭のある夜なべかな
冬田道久しくなりぬ子守唄
新幹線北へ冬田の飛んでゆく
うすうすと風邪うつうつと二日過ぐ
男体山のすつきり晴れて風邪の癒ゆ
吹き飛ばしつつ集めゆく落葉かな
詰め込まれ膨らみ返す落葉かな

 五年日記 (栃木)柴山 要作
男体山なんたいの耀ふ薙や今朝の冬
虫どちのまほら日の満つ花八手
少年にたちまち返る落葉山
献体慰霊碑綿虫たゆたへり
老いの夕餉けふも湯豆腐もどきかな
風邪の妻の指示が頼りのお三どん
考の歳と並びし朝枇杷の花
五年日記買ふや八十路の誕生日

 山茶花 (群馬)篠原 庄治
晩酌や柚子味噌一箸舌にのせ
末枯の下に径ある城址かな
風なくも散る山茶花のしきりかな
はらからの又一人逝く枯山河
緩くなる画鋲の穴や暦果つ
ひようひようと鳴る熊笹や山眠る
凩や道一筋の山の街
藪つばきほどよき数の二三輪

 灯火親し (浜松)弓場 忠義
灯火親しときをり足を組み変へて
柿紅葉去来の墓は石一つ
秋惜しみをれば水面に魚飛べり
立冬や季寄せに付箋貼りつけて
駄菓子屋に放課後の子ら一葉忌
海原に夕日の道や神の旅
縁側に冬日ころがる一日かな
切干の笊遠州の風の中

 小春風 (東広島)奥田 積
紅葉あかり渓流に立つ岩の数
駅伝の観客去りて笹子翔ぶ
膳立てに工夫勤労感謝の日
ポキポキと音立て歩く冬の山
旧道の商店街の冬構
花弁いくつほんのりかをる冬桜
荒壁の土のぬくみや懸大根
孫娘のやうなナースや小春風

 遠三瓶 (出雲)渡部 美知子
おだやかに晩じるの句碑冬はじめ
一葉忌姫鏡台につげの櫛
借景のすくと伸びたる冬木立
路地奥の人を待ちをる焼芋屋
双眼鏡出てより鴨の伸びやかに
粕汁に肩の力の抜けてゆく
冬の灯の下に笑みたる土人形
冬ざれや朝日に浮かぶ遠三瓶

 浄闇 (出雲)三原 白鴉
浄闇に浮かぶ斎服神等去出祭
銀杏落葉降る校門に校長に
茶の花や目薬師にある百度石
返り花護國神社に母の像
冬夕焼岬に尽くる遊歩道
真つ先に日の来る畑枇杷の花
独酌やじつくりと炊く鰤の粗
冬桜堂に掲ぐる和歌一首

 木の実降る (札幌)奥野 津矢子
木の実降るわかつてゐてもいつも不意
紅葉且つ散るや自由な別れ道
りす跳んで秋から冬に入りにけり
小春日や上枝下枝に雀来て
雲州のあしたの色の返り花
落葉風遠き会釈の美しき
ヒッコリーてふ大樹冬雲濃く淡く
落葉搔新聞小説読んでから

 足音 (宇都宮)星 揚子
掃かれたる土にいきいき散る紅葉
足音が先に来てをり落葉踏む
綿虫や等間隔の鐘の音
抱き上げて二本括りの大根干す
一葉忌の釦嵌めゐる指の腹
右耳のマスクを外し電話かな
アラームの二度目鳴り出す霜の朝
ビル間よりビルに日の差す十二月

 山眠る (浜松)阿部 芙美子
我ひとり雲のひとすぢ芒原
花野よりパラグライダー飛び立ちぬ
縄文の土偶の女神返り花
大綿や静かに坐る観世音
酉の市出て占ひの店に寄る
豆腐屋の湯気にかをりや霜の花
ファスナーの嚙みたるザック山眠る
首反らし啼く丹頂の空暮るる

 一雨 (浜松)佐藤 升子
礼状をしたためてをり神無月
船小屋に一雨過ぎぬ十二月
凩やショーウィンドーに灯の残り
吊つて干す束子勤労感謝の日
全集の一巻の失せ神の留守
山茶花に明るき声のとどきをり
山頂の小さき祠茶の咲けり
みづうみの明るさに鳰見失ふ



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 二度咲 (浜松)坂田 吉康
清秋のガラス細工の展示室
二度咲のつつじに俄雨通る
初霜の中を一番列車かな
百年の煤染むる梁虎落笛
しゆんしゆんと薬缶の滾る霜夜かな
しろがねの縁もつ冬のちぎれ雲

 未だ未だ楽し (苫小牧)浅野 数方
滑空の比翼の鳶や神迎
晩学も未だ未だ楽し大根干す
小春日やこきりと肩の骨鳴らす
百幹のひかり勤労感謝の日
容赦なく来る晩歳や冬あたたか
風向きの変はれば弾む朴落葉

 花八手 (一宮)檜垣 扁理
婚礼の庭やひひらぎ花つけて
遠望の鈴鹿山脈布団干す
一病を酒呑む元気冬満月
みかん色の冬あかつきや部屋に射す
きのふよりくれなゐまさる冬茜
小天狗の遊べる杜の花八手

 ペンキ絵 (浜松)林 浩世
銭湯のペンキ絵匂ふ冬はじめ
眼の奥を覗かれてをり神の留守
水鳥へしづかに雨の降りつづく
木曽馬も御岳山も小春かな
宿帳に夫の名勤労感謝の日
風向きの変はつてきたり神迎

 寒竹の子 (浜松)大村 泰子
走り書きのレシピ机上に冬隣
冬銀河箱根細工の楊子入れ
海鼠腸の前菜星の見ゆる席
冬籠夫が着てゐる父のもの
北山時雨宿の精進料理かな
寒竹の子やゆつくりと雲が過ぎ

 栗ひとつ (牧之原)小村 絹子
栗ひとつ歯固めにしてお食ひ初め
蓑虫の這ひ出づる様見て飽かず
昼間から一本つけて走り蕎麦
蜑今朝は大根引いてをりにけり
出曲輪の茶畑花の盛りかな
笹鳴の確と二こゑ二の曲輪

 冬の蝶 (島根)田口 耕
立冬の烏ひよこひよこ畦歩く
染めのこる白髪勤労感謝の日
目を閉ぢて乳のむ赤子里神楽
森を抜け一気に空へ冬の蝶
磯の辺を走る白波冬日差す
冬菊やお骨拾へば砕けたる

 落葉掃く (鳥取)保木本 さなえ
風音の少し尖りて冬に入る
足音のよく働いてゐる師走
落葉掃く音軽やかなリズムかな
石蕗の花森に消えたる鳥一羽
やんはりと力抜けゆく柚子湯かな
星空をもどれば暖炉燃えてをり

 木の葉髪 (群馬)鈴木 百合子
穭田に水の溜れるひとところ
遺句集の序文の長く木の葉髪
観音のまなこ潤す夕時雨
梵鐘の余韻にひたる小六月
冬ぬくし溶岩の裂け目に五円玉
寒鯉の水尾をひろげてまつしぐら

 クリスマス (中津川)吉村 道子
水濁す鯉の尾ひれや散もみぢ
神の留守階飛ばしゆく昇降機
朗読のひとり三役一葉忌
百歳の描くふる里冬夕焼
くじ引きのおほかみ役やクリスマス
高々と鉄橋の跡冬銀河



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
村上尚子選

 伊藤 妙子(名古屋)
冬はじめコンドル羽根を広げたり
櫨紅葉写生する児の輪に散りぬ
小春日の部屋の奥まで日の届く
冬空へマスト三本突き出せり
童謡を聞きストーブを出してをり

 山田  眞二(浜松)
毬栗の落ちたる墓を拝みけり
やくかいな役を賜る神の留守
五番線の点字ブロック片時雨
西京の冬日を返す甍かな
出不精になつてしまへりちやんちやんこ



白光秀句
村上尚子

童謡を聞きストーブを出してをり 伊藤 妙子(名古屋)

 長い間仕舞われていたストーブもいよいよ出番である。しかし少し面倒なことをするには、気持を押してくれるものがあるとありがたい。その発端となったのが「童謡を聞き」である。
 なお「ストーブ」の既成の句の殆どは、そのものの様子や囲んでいる光景で終っている。
 一読してこの句の視点の新しさに注目した。聞いたばかりの好きな童謡を復唱しつつ、すっかり冬仕度が整ったに違いない。
  櫨紅葉写生する児の輪に散りぬ
 櫨紅葉は銀杏やもみじに比べ数こそ少ないが、美しさにおいて劣ることはない。写生に来ている子供達にも選ばれた場所でもある。その楽しさに応えるかの様に、櫨は色付いた葉を惜しみなく浴びせかけている。

西京の冬日を返す甍かな 山田 眞二(浜松)

西京さいきょう」は西の都、いわば京都の異称である。この光景は町の近くの高みから京の町全体を見下ろしているのだろう。
 京都には数多くの著名な神社仏閣があり、それぞれが数百年の歴史を背負ってきた。この甍の特定はされていないが、その一つ一つに冬日が差し、印象を強く訴えているかの様に見える。それらと向き合う作者の胸の内にも長い人生の思い出が蘇ってくる。
 京都はいつ訪れても良い場所だが、冬の落ち着いた佇まいも捨てがたい。
  やくかいな役を賜る神の留守
 「やくかい」は色々な場面に使われるが、ここでは「面倒なこと」と解釈するしかない。思ってもいなかったことを突然任され、やれやれと思いつつも受けざるを得なかった。いわば〝青天の霹靂〟といった状態。
 「神の留守」との取合せも妙味である。

かく老いて鉛筆削る神の留守 佐藤 琴美(札幌)

 誰しも年を取ることは免れない。しかしどう取るかである。「かく老いて」と潔く受け止めつつ鉛筆を削っている。作句のルーティーンなのだろうか。季語との因果関係もないはずだが、こう言われてみると納得せざるをえない。

鳥の影さして山茶花散りにけり 鈴木 利久(浜松)

 庭木の中でも馴染のある山茶花。咲きつつ散る様子はよく詠まれてきたが、「鳥の影」の一瞬を捉えたことにより山茶花に新しい息吹を感じた。

夜空よりはづして来たる吊し柿 冨田 松江(牧之原)

 軒先に並ぶ自家製の吊し柿であろう。家族の団欒の中で〝そう言えば〟と急に思い付いた。外は既に真っ暗である。しかしそこは勝手知ったる場所。思っていた様に丁度食べ頃であったことは言うまでもない。

こたつ板子の落書は消せぬまま 妹尾 福子(雲南)

 子の成長と共に大事にしてきたものとも別れを告げなければならないものがある。落書の一つ一つは思い出につながる。明らかに成長の証を目の当たりにした。一年の約半分は忘れられている「こたつ板」が意表を突く。

落葉松の香る十一月の雨 工藤 智子(函館)

 落葉松は姿そのものも美しいが、紅葉も美しい。北海道の十一月ともなればどうだろう。そこへ降ってきた雨。その瞬間に「香る」と思ったのは作者固有の感性。抒情的な詩の一編と出合った心境にさせられる。

大綿の飛んで入日の転げ落つ 鈴木 竜川(磐田)

 上八迄は言えることかも知れないが、下九に至り短日の景を巧みに言い表わしていることに合点がゆく。対照的なものに石田波郷の境涯を知る強烈な一句〈綿虫やそこは屍の出でゆく門〉を思い出した。

遅参してすわる上座の寒さかな 青木 敏子(出雲)

 「上座」というからにはそれなりの席であることが分かる。多くの視線を浴びつつあれよあれよと上座に祭り上げられ戸惑うばかり。「寒さ」は肌ではなく気まずさを言っている。

牡蠣鍋の一悶着を鎮めける 五十嵐好夫(札幌)

 お互いに言い分を主張して話は治まらない。そこへ湯気の立ち上る牡蠣鍋が据えられた。視線は一斉に鍋に注がれ諍いなど無かったかの様に箸が行き交う。
 おいしい物を食べる効果の一つと言えよう。

晩酌の父と勤労感謝の日 栗原 桃子(東京)

 「勤労感謝の日」としては異色であることに目を止めた。日常的な晩酌も娘や嫁に声を掛けられればこの上ない喜びであろう。核家族の多い今の家庭の中で日本の良き時代を彷彿させる。


その他の感銘句

コーヒーは「セルフでどうぞ」冬の虹
せせらぎの聞こゆ樒の返り花
落栗の拾はれたくて草の上
枯葉舞ふ車夫の真つ赤なスニーカー
霧雨や一葉ひと葉に音もなく
甘く煮てパイに焼かれて冬林檎
餡かけの豆腐を冬のはじめかな
フォルティシモに終はる演奏冬に入る
木の葉髪今なら「ごめん」と言えたのに
「次郎物語」のエンドロールや外は雪
冷たさを言訳にして手をつなぐ
横文字について行けぬや木の葉髪
一病息災勤労感謝の日
しつとりとマスクの布目濡れてをり
里神楽子らはをろちに巻かれたく

大菅たか子
宇於崎桂子
岡  久子
山田 惠子
岡部 章子
萩原 峯子
沼澤 敏美
中山 啓子
小澤 哲世
平野 健子
鈴木くろえ
八下田善水
杉原  潔
奈良部美幸
舛岡美恵子



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 愛知 野田 美子
友来る蔓ごと通草引つ提げて
雁渡る動物園の円き空
ライオンの低き咆哮山眠る
冬木の芽番屋小さく畳まれて
天狼やパン齧りつつペダル漕ぐ

 浜松 長田 弘子
よく変はる角の看板秋うらら
賑やかに万羽のむくの宿りけり
宵寒や電池ひとつを買ひに出る
立冬の夕日見てより投函す
八雲旧居の玻璃のゆがみや花蕨



白魚火秀句
檜林弘一

雁渡る動物園の円き空 野田 美子(愛知)

 実景をさりげなく詠まれたような感もするが、その背景にはなんらかの作者の思いを感じる一句である。動物園は、様々な鳥獣が檻の中に生息し、来園者を楽しませる施設だが、ある意味で閉塞感のある場所でもある。一方、見上げた空に飛来する雁は自由であり、その対比にはわずかながら切ない思いもありそうである。「動物園の円き空」という表現は、シンプルながら実景に即した適切な具象把握と思う。
  友来る蔓ごと通草引つ提げて
 下五の表現は少々ぶっきらぼうなことばであるかもしれないが、俳句でいつも品のあるきれいな言葉を使う必要はない。掲句では、このフレーズがまさに蔓付きの通草を具象化している表現と言える。この友の姿態や表情もなんとなく見えてきそうである。

よく変はる角の看板秋うらら 長田 弘子(浜松)

 この作者の俳句は、日常の出来事をあっさりと詠み下しているものの、どこかしら妙味を感じさせる。掲句では、作者のよく通る道すがらか、買い物先の景なのか、だれもが経験するような一景であろう。どんな看板かは言っていないが、この季題からしてどぎつい絵柄の看板でなく、趣きのある看板が、比較的短期間に紙芝居のように変っているというのであろう。季題に語らせることは大事である。
  宵寒や電池ひとつを買ひに出る
 この句も、電池が切れたので買いに行くという日常の一コマである。「ひとつ」というのは何気ない表現だが、ちょっとした切迫感を感じさせるのである。宵寒という季語がそう思わせるのかもしれない。無駄な言葉を省き、焦点を絞った作品。

非常口の扉の軋み冬に入る 平野 健子(札幌)

 軋むは、俳人好みの言葉のひとつかもしれないが、なんでも軋ませればよいというものではない。ただし、掲句の非常口の軋みは言い得て妙である。普段あまり使われていない非常口だが、ここぞという時にはしっかりと役割を果たさなくてはならない。冬に入ればこそであろう。

散り敷きて茶の花の蕊つまびらか 柴田まさ江(牧之原)

 牧之原台地の広大な茶園に茶の花が一斉に咲き、まさに冬に入ろうとしている一景である。つぎつぎと地面に散り敷いていく花の蕊が黄金色に輝く。とても小さな花ではあるがよく観察すれば掲句のとおりであると思う。時折、「お茶の花」と叙した句があるがこれはいただけない。また、歳時記の例句には、茶の咲く、茶の木咲く、なども散見されるが、いかがなものであろうか。ちょっと苦しげな表現ではないかとも思う。

小雪やユーカラ織の花瓶敷き 佐藤やす美(札幌)

 小雪は初冬の十一月二十二日ごろに当たり、そろそろわずかながら雪が振り出す頃。と歳時記にある。ユーカラ織は北海道旭川発祥の手織り物。これから厳しい冬を迎える作者は、たぶん暖色系統のユーカラ織の花瓶敷を準備したのではないかとも。二十四節季の季題には使いこなすのがなかなか難しいものもあるが、掲句では小雪という季題とつかずはなれずの取り合わせが妙。

短日の足音すぐに風となる 栂野 絹子(出雲)

 暮早しの時候。往還に人々が足早に通り過ぎていくのである。足音が遠ざかっていくという事実を、そこに吹き抜けている風がさらっていくかのようであるという把握をされた。その表現として「すぐに風となる」と単刀直入に詠み下したところが潔い。

枯木星重荷をひとつ下ろしけり 畠山 淳子(鹿沼)

 葉をすべて落として枯木のようになっている木々の向こうに輝く冬の星が見えている。植物と天体を結びつけた季題だが、ウエイトは冬の星に掛かっているのであろう。この重荷は作者の心の中にあった重荷であろうか。重荷を下ろした作者をこの木々とすれば、輝く冬の星座は作者の安堵の心や、新たな目標を象徴しているのかもしれない。

奥之院までの参道けらつつき 森  志保(浜松)

 啄木鳥のつつく音が奥行のある参道沿いに響いている。「けらつつき」は、元々「きらつつき」とも。「きら」には木を削る音や叩く音を表す擬音語としての意味があるとされており、この鳥の特徴を音から捉えたものとされる。奥の院へと続く参道の静寂をけらつつきの音で具象化しているともいえる。


    その他触れたかった句     

みづうみの風を抱きたる帰り花
大会の暫しの余韻冬に入る
歳時記を入れ替へ終はる冬仕度
虎落笛闇に牙むく鬼瓦
捨てられぬ物に囲まれ冬に入る
味見して歯脱けとなりぬ吊し柿
ふとそこに夫居るやうな日向ぼこ
浜名湖に富士の初冠雪を見る
やはらかき日差し集めて冬の蝶
庭園の水はちよろちよろばつたんこ
湯畑の湯気を散らして空つ風
きのふ孫けふは曾孫の七五三
草も木もゆきかふ風も冬隣
初霜や真空管の冷めやらず
置きざりの木の舟一つ枯蓮田

山田 眞二
安部 育子
高橋 宗潤
八下田善水
吉原絵美子
滝口 初枝
伊藤喜代子
吉原 紘子
細田 益子
高山 京子
樋田ヨシ子
佐久間純子
坂本 健三
松永 敏秀
髙木 恵子


禁無断転載