最終更新日 (updated) 2025.02.01
白魚火全国俳句大会(松江)参加記(諸家)
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松江白魚火全国大会に寄せて (苫小牧) 斉藤 妙子
白魚火創刊七十年記念全国大会(松江)に参加して (函 館) 加藤 拓男
全国俳句大会参加余録 (北 見) 金田野歩女
おお、出雲大社 おお、一都句碑 (宇都宮) 星  揚子
白魚火全国俳句大会(松江)白魚火東京句会参加記 (流 山) 岡  弘文
白魚火誕生の地 松江全国大会に感謝 (群 馬) 天野 萌尖
全国大会と松江・出雲を旅して (牧之原) 藤田 光代
白魚火創刊七十年記念全国大会参加雑記 (浜 松) 砂間 達也
白魚火創刊七十年記念全国俳句大会(松江)に参加して (磐 田) 齋藤 文子
松江大会のこと (鳥 取) 西村ゆうき
感謝状を受けて (出 雲) 荒木千都江
友を誘って大会へ (東広島) 石原 幸子
   令和7年2月号へ


松江白魚火全国大会に寄せて
(苫小牧) 斉藤 妙子

 秋晴の下、ホテル一畑にて全国大会開催。北海道より駆けつけた北見・札幌・旭川・苫小牧の総勢十二人の吟行と句会の様子を記します。

十月二十五日
ほぼ一日がかりで松江に到着。何とか宍道湖の夕日に間に合い、素晴しい夕焼けにみんなの顔がほころびました。

 秋入日すとんと胸に染み渡る  好 恵
 宍道湖の秋の入日の只ならず  美木子
 宍道湖に西日ストーンと秋の夢 哲 子
 宍道湖は暮しの中に鴨来る   琴 美

感動を胸に収めホテルに到着後期待の夕食ですが、花の金曜日。ことごとく断られ五軒目にして入店。注文をすれば出て来る食事。当たり前ですが、主婦にとって家事からの解放はとっておきの御褒美であり、有難い事です。ホテルに戻り明日の時間の確認を済ませ各々の部屋につきました。疲れていてもなかなか寝つけず、私はいつもの如く「深夜便」を聞いていました。俳句を作るために来た思いは、みんな一緒です。明日はどうなることやらと思いつついつしか眠りにつきました。

十 月二十六日
松江観光の一日です。堀川めぐり、松江城の急階段を登りきった天守閣からの眺め、北海道では感じる事のない古都の魅力。歴史ある建物に目が奪われます。塩見縄手の道を誰かが何かを見つけては立ち止まり、行きつ戻りつ進みます。一休みを兼ねお堀端の木のベンチに座り外で句会を行いました。

 初鴨の湖底を覗いて来し眼  野歩女
 小鳥来る水の都の石の橋   数 方
 船の舵大きく切りて城は秋  やす美
 色鳥の声の明るく松江城   節 子
天高し登つてのぼつて天守閣 悦 子

 句会後はレイクラインバスで駅前に着き買物タイム。
夕食を取りながらの句会。予約して頂いた店は料理が美味しく大満足。元気な女性陣に圧倒されつつ黒一点の公春さん大奮闘。にぎやかに句会が行われました。

神在月あの子この子に土産買ふ 公 春

十月二十七日
 午前中は月照寺見学。お寺の方が要所要所を解説して下さり大変勉強になりました。その後天倫寺に移動し、西本一都句碑にて記念撮影。
大会会場に着き三句提出するとほっとしました。眠気が襲いますが和田華凜氏の会員の高齢化と減少の話と若々しく可愛らしい声に聞き入ってしまいました。懇親会に入り隣の方とのおしゃべり少し。みなさん席を立って活発に過ごされていました。

十月二十八日
 二回目の投稿後、竹内まりやさんの歌が流れる会場に入りました。昨日提出した句が手元に配付されてあります。
いよいよ句会が始まり緊張の時間です。仲間の句が読み上げられる度に笑顔の交換。たまたま私の句も選ばれました。すると昨日同じテーブルについた隣人の方がわざわざ来てくれたのです。さすが縁結びの神様出雲と実感致しました。
三泊四日の長いような短いような時間でしたが俳句に向きあう時間がしっかりとれた事は今後の俳句作りにも役立ちそうです。

光ること大事と師の句菊日和 津矢子

 末筆になりましたが大会に当たり、地元のみな様、行事部のみな様のご苦労に感謝いたします。ありがとうございました。そしてみな様お疲れさまでした。また元気な顔でお会い出来る事を楽しみに筆をおきます。

祝七十白魚火永久に豊の秋 妙 子


白魚火創刊七十年記念 全国大会(松江)に参加して
(函館)加藤 拓男

 大会前日、松江へ向け函館空港に集った四名に別途参加の一名の計五名(むつき、実知世、京子、拓男、智子)が今大会の函館からの参加者。函館は肌寒いものの快晴、先ずは乗り継ぎの羽田を経由し出雲空港へ。気流の影響で暫く空港上空で旋回の上、少し遅れて午後四時過ぎに到着。函館を出てから六時間強の長旅、両便とも満席だったこともあり、全員はや疲れ気味でありました。
それでも、空港に立っていた「歓迎 白魚火全国俳句大会」の看板に元気を貰い、好天気にも背中を押され、一路松江に向かいました。

 乗り継ぎの羽田空港鳥渡る 拓 男

 穭田が広がり、白鳥が群れなす大地を進むと、やがて野鳥が空を舞い、湖面に遊ぶ宍道湖が見えました。
ホテルにチェックイン後、ライトアップしている松江城に向かいました。既に、すっかり暗くなっており、お城の周りを散策している人はほんの僅か。それでも鈴虫がなき、天守閣が夜空に浮かび上がる光景は何とも風情豊かなものでした。暗い中よく見ると、お城の石垣に刻印らしきものが浮かんでいました。

 石垣の石に刻印虫すだく 京 子

 松江城から県庁への通りを歩いていたときに南京櫨の並木を見つけました。

 店先に櫨の実を干すせともの屋 実知世

 ホテルに戻る途中で遅い夕食を取り、長い一日が終わりました。
翌日の大会初日、朝一番で出雲大社へお参りへ。一畑電車の松江しんじ湖温泉駅まで歩くこと三十分、ハロウィンの飾り付けがされた八時前の電車に乗り込みました。日曜早朝のせいでしょう、電車は空いており自由に席を変わりながら宍道湖を存分に見ることができました。宍道湖の大きさとおだやかさはどこから見ても心なごませてくれるものでした。湖には水鳥が泳ぎ、遠くの湖面には黒い点のようになって多数浮かんで見えました。

 宍道湖に万羽の鳥や秋澄みぬ むつき

 今は神在月もあってか、早朝にも拘らず大勢の参拝客が大社に向かっていました。
「神の国」の空気を感じながら松の参道を進み、拝殿へ。二礼四拍手一礼と口ずさみながら拝礼、家族安寧を祈りました。お詣りの後、駆け足でご縁横丁を覗いたり、以前訪れた際に立ち寄った蕎麦屋さんを探したりしました。足に休息を与えようと、立ち寄ったのが神門通りの出雲ぜんざいのお店。抹茶とぜんざいを頂き暫しの休憩。結局、ぜんざいがこの日の昼食となりました。幸いなことに、直ぐタクシーがつかまり松江に直行。前泊のホテルに寄り朝預けた荷物を引き取り、大会会場のホテル一畑へ。受付、投句開始の正午を大分過ぎていたものの時間内に無事受付、一回目投句を済ますことができました。
 前日以来、ハードなスケジュールの連続でしたが、講演会までの時間を利用して西本一都師の句碑を訪ねました。
記念講演会は、午後三時から「風詠」主宰和田華凜氏より、「俳句と私〜伝統芸能と神話〜」と題して行われました。最も歴史ある結社の一つである「諷詠」の四代目主宰を三十数歳で継がれたご苦労も含め、大変興味深い講演でありました。伝統芸能の能と俳句、神話と俳句のお話を通じ俳句の奥行きの深さを学ぶことができました。
総会が滞りなく開催された後、懇親会に。懇親会は余興の安来節が流れる中、和気藹藹かつ盛大に行われました。別行動だった智子さんもテーブルで合流、函館からの参加者全員で写真撮影となりました。

 宍道湖を風とめぐりて秋惜しむ 智 子

 大会二日目は生憎の雨でしたが、朝、ホテルから眺めるしじみ漁は圧巻でした。宍道湖を埋め尽くすほどの「じょれん」漁の舟数で、しじみの水揚げ量が全国の漁獲量の九割を超すとされる一方、しじみの保全に、週三日の休漁日を設ける等様々な対策を採られた結果であると心底思いました。
 天候のこともあり、この朝の吟行は見送りに。
 二回目投句の後、俳句大会が始まりました。参加者全員の作品集と入選句集の冊子が用意され、更に代表選者の入選句、特選句が披講と同時に正面の大きなスクリーンにパワーポイントを使い投影され、大変効率的に行われて、主宰他の選評、講評までスムーズに大会が進行されました。
 実知世さんの句が特選に選ばれ、他の方の句も入選があり喜び合いました。
 帰りの飛行機の関係で、句会の途中で退席せざるを得なかったのは残念でした。帰路は米子空港からやはり羽田乗り継ぎの函館空港便でした。

 忙しい三日間でありましたが、全員元気で函館に戻ることが出来ました。
 最後に本大会の運営に当たられた皆様に心より感謝申し上げます。



全国俳句大会参加余録
(北見) 金田野歩女

 十二月二十八日
 大会は成功裡に終わった。創刊七十年の節目の創刊の地出雲での開催ということで、記念講演会もあり、参加者も約百八十名とあって、華やかで盛大で記憶に残る大会となった。行事部の皆様の、そして島根の皆様の準備の良さが其処此処に伺えて感謝だった。
 私は、帰りの便がうまく繋がらず、大会を終わってもう一泊の旅程だったので、大会終了後ぜひ一度訪ねてみたいと思っていたところに向かうことにした。
松江しんじ湖温泉駅から一畑電車で雲州平田駅に下車。そこからハイヤーでと思ったが見当たらない。駅員さんに尋ねると、「そこなら歩いても大丈夫」と言って道順を詳しく親切に教えて下さった。「駅前の道をまっすぐ、あの建物のところを曲がって」と。そして、歩き出して間もなく橋が。橋の欄干の親柱には「湯谷川」の文字。この辺りはかつて古川先生が編集長をされておられた折、編集手帳に時折登場した名前だ。「湯谷川の辺の畑に大根を蒔いた」等々。橋の上で先生をお偲びした。ということは、千都江さんはこのお近く?
 駅員さんに教わった目印の建物に近づくと、そこには何と「報光社」の銘板が。そして、白魚火が生み出される現場を拝見したいという思いが急に湧いてきたが、迷惑だろうか?という戸惑いも同時に湧き上がり、まずは目的地へと向かうことにした。
 目的の場所もすぐ分かり、用を済ませた帰路、やはり報光社さんを訪ねてみたいと思った。多分再訪の機会はもうないと思えたから。お仕事中の迷惑も顧みず事務所の戸を開けた。
 名を名乗り、用向きをお話すると、ほどなく工場長の吉川さんが出てこられ、工場を案内してくださるという。吉川さんの案内で中にお邪魔すると、整頓された工場は機械がいっぱい。原稿が製本になるまでに「こんなことが機械にできるの?」と思う賢いものから、一つ一つの手仕事まで、社員の皆さんの管理と厳しいチェックによって一冊の本や雑誌が出来上がっていく様子が良く解った。突然の闖入者にもかかわらず仕事の手を止めることなく機械やパソコンに向かっていて下さったのにほっとした。
 「十一月号が出来ています」と吉川さん。手に取って見たかったが、出過ぎた行為と思い留まった。
事務所に戻り、女性社員の方から名前を尋ねられ、答えると「ああ、分かります」とのこと。社員の皆さんは、誌友、同人の名はきっと文字で覚えて下さっているのだと嬉しかった。
 私は、編集や校正を担って下さっている編集部の方達は、ここの一室を借りて作業をなさるのかと想像していたが、それぞれの方がご自宅でというお話だった。集まるのは発送の時のみとのこと。それは又ご苦労なことだと思う。ということは、編集部員間の連携や連絡、報光社さんとの連携等密でなければならないのだから。投句の選者とのやり取り、入力、校正、印刷製本などを考えれば、投句から二か月を要するというのも納得だった。
 創刊以来七十年、一度の遅配も欠号もなくきちんと届けられていることにただただ感謝しかない。帰宅後、十一月五日に工場で見た十一月号が届いた。「ようこそ」「ありがとう」と一礼して封を開けた。


湯谷川


報光社


おお、出雲大社 おお、一都句碑
(宇都宮)星  揚子

 神在月には少し早い十月二十六日(土)、翌日からの白魚火創刊七十年全国俳句大会(松江)に参加するために島根県に向かった。
陰暦十月は今の十一月頃で神無月だが、八百万の神々が集まる出雲では神在月。自分が行く所に次々と神様が集まって来られることを考えると、心が浮き立つ。せっかちな神様はひょっとしたら、もう着いていらっしゃるかもしれない、などと勝手な想像をしてみる。
 栃木県白魚火会からは十六名が参加。
 今回の大会参加記では、大会前の出雲と松江の旅の思い出を中心に記すことにする。
 私は柴山要作先生、加茂都紀女さん、渡辺加代さん、石岡ヒロ子さん、熊倉一彦さんの六名で行動を共にした。九時二十五分羽田発の飛行機で出雲へ。機内では、高度がみるみる上がり、外気温がぐんぐん下がってマイナスになっていく様子が表示され、十数年振りに飛行機に乗る私は少し緊張した。
 出雲空港からはジャンボタクシーで出雲大社へ向かう。出雲には白魚火社があり、安食先生はじめ多くの方がお住まいになっているので、タクシー内での話題もそのことに。外を見ると、田んぼには、牛の飼料の藁を白いビニールに詰めたロール状のものがいくつもころがっていた。その景色の先には、築地松が旧家らしい家を囲っている。築地松は平成九年の白魚火全国大会(島根)の時に初めて見て、初めて知った言葉でもあった。当時はもっと多く見られたように思うのだが・・・。
 平成九年は加茂さんが白魚火賞を私が新鋭賞を受賞した年であった。その時も出雲大社に寄ったが、急ぎ足で回ったので、今回行ってみるとかなり印象が違っていた。
 大社入口の「出雲大社」の力強い文字は、今は亡き私の書道の師、中島司有先生の揮毫によるもの。出雲に行くなら、ぜひ見たいと思っていたので、うれしさも一入だ。秋晴の真っ青な空の下、記念写真をパチリ。鳥居を三つ潜って行くと、澄み渡った秋空へ、眉のきりりとした大国主大神の像が両手を広げていて、これぞ神様のいらっしゃる出雲だ、と感激した。さらに左手奥に目を移すと、大きな日の丸が大空にはためいているのが目に飛び込んで来てびっくり。後で七十五畳もあると聞き納得した。二礼四拍手一礼。自分の打つ拍手が大きく響き、願い事が叶えられるような気になって、それだけで満足してしまう。
 その後、ジャンボタクシーは松江へと。

 秋澄むや何はともあれ師の句碑へ 揚 子

 タクシーを止めて、句碑を探しに小高い所を上って見るが、句碑は見つからず。お寺もない・・・?その後、広い道に出て、来た方へ歩いて行くと、タクシーを降りたすぐ南側に天倫寺の屋根が見えた。急いで境内の句碑のありそうな所を再び探すと、宍道湖が一望できる特等席のような所にあった。「あった」というより「御座しました」と言った方が相応しい佇まいだった。
 初明り大宍道湖を展べんとす
 これは歳時記にも載っていて、「犬ふぐり」の句と共に私の好きな句の一つだ。宍道湖に目をやると、この初明りの情景が目に浮かんで来るようだった。句碑は人の背の高さほどもありどっしりとしていた。句はゆったりと五行に散らして書いてあり、大らかさとともに余白が宍道湖の大きさを感じさせる構成になっている。格調も高く、さすが一都先生。
 創刊十年(昭和四十年)に建立した旨の説明があり、今年が七十年なので、六十年経つことになる。句碑は汚れもなく周りも自然な形で整備されていて、句碑建立の時の白魚火の方の熱い思いや、句碑を守って来られた方々の志を感じた。両手で句碑に触れると、秋の日の優しい温もりが伝わって来る。帰り際に法事を終えたばかりの住職さんが来られたので、皆でご挨拶を申し上げた。
 その後、国宝松江城に行き、天守に登る。
 この日の万歩計は一三九二四歩。
 翌朝、ホテル一畑ロビーに八時半に集合し、「堀川めぐり」に。橋の高さが低いところでは船の屋根が下げられるので、屈んで抜けるまでじっと耐える。松江城の濠には鴨がいて、船の中の自分と同じ目の高さであることが何とも不思議だった。外から船を見ていた時と、船の中から外を見るのとでは景色が全然違う。頭の中で思い描くのと、実際に見たり体験したりするのはこうも違うのだ。俳句を作る上でも、一面から見るのではなく、別の面から見ると新しい発見があるに違いない。
 大会では白岩先生、村上先生、渥美先生、檜林先生はじめ多くの先生方や誌友の皆さんにお目にかかれて、本当にうれしく思った。
 和田華凜先生の講演も創刊七十年の大会に相応しい充実したものだった。
白魚火全国俳句大会は、親交を深める場でもあり、参加することに意義があると、年々強く感じる。最後に、行事部をはじめ島根県の方々には大変お世話になり、改めて御礼申し上げます。ありがとうご ざいました。



白魚火全国俳句大会(松江)白魚火東京句会参加記
(流山)岡  弘文

 白魚火東京句会は、寺澤朝子先生の指導を仰ぎ、萩原一志幹事の取りまとめの下、総勢十六人が月一回の句会を持っています。毎回、兼題の二句、当季雑詠の五句を出し、相互に選句をするとともにみんなでそれぞれの句を批評しあっています。季節を選んでは都内各地の吟行もします。
 「足もて作る」俳句を目指し、「楽しく進化」をモットーに、和気藹々ながらも切磋琢磨しています。
 今回の白魚火全国俳句大会には九人(一志、のり子、晶子、佳代子、美香子、惠美子、秀明、桃子、弘文)が参加しました。伯備線特急やくもの陸路を始め、米子、出雲、萩・石見空港への空路など三々五々島根入りしました。大会役員の一志さんは大会準備に余念なく吟行はできませんでしたが、八人は単独だったり数人連れ立ったりそれぞれに松江城下、宍道湖、出雲大社などを吟行しました。もちろん割子の出雲そばも堪能しました。
 大会前日の夜には一同が松江城近くの居酒屋に会し、この日の吟行の様子を語り合い、次なる吟行先の情報交換をしました。美酒に酔いつつも皆の頭の中では吟行句の推敲が行われていたようです。
 大会初日の午前中は、足もて作ろうとまた朝早くから三々五々吟行に出かけました。たくさん作った句の中から自信の三句を投句の後、記念講演まで時間があったことから、八人そろって大会会場近くの天倫寺にある西本一都先生の句碑を訪ねました。句碑は宍道湖を望む小高い丘の上にあり、「初明り大宍道湖を展べんとす」を味わいながら絶景に見とれました。
 一都句碑から戻り、諷詠の和田華凜主宰の記念講演を興味深く拝聴しました。平均年齢が八十歳を超えるという諷詠の主宰が五十代の颯爽とした女性であることにびっくりするとともに熱のこもった語り口に聞き入りました。
 夜に入っての懇親会は、我々九人で固まらずあちこちのテーブルに座り、全国の句友と旧交を温め、また新たな親交を結ぶとともに、白岩主宰を始めとする白魚火幹部の謦咳に接し、楽しく有意義なひと時を過ごしました。
 大会二日目の句会にはみな緊張して臨みました。
東京句会からは、佳代子さんの「よろけつつ乗り込む船や色鳥来」が村上尚子代表選者の特選に、秀明さんの「秋惜しむヘルン旧居に虚子の句碑」が小浜史都女、奥田積及び石川寿樹代表選者の特選に採られました。

 以下は、たくさん作った句の中から各自が一句を選んで自ら解説したものです。

 秋深し澄みて動かぬ伯耆富士 一 志

 特急「やくも」からの車窓の景です。米子の手前で車内放送があり、進行方向右手を見ると見事な大山の姿が現れ、フランスからの観光客の一団も大きな歓声。深まる秋をしみじみと感じたひと時でした。

 ほめられてポーズ決まりし七五三 のり子

 七五三のお詣りで賑わう八重垣神社。五歳男児と三歳女児の家族。プロのカメラマンらしき女性が大声で盛り立てるがなかなかポーズをとらない男児。母親の声にやっとポーズ。カメラマンがすかさずほめると何度もポーズが決まったのです。

 角のなき一都の句碑や風さやか 晶 子

 写真で見た句碑が宍道湖を眼下にどっしりと、温かみのある姿で感動しました。お会いしたかったなあと思いました。

 よろけつつ乗り込む船や色鳥来 佳代子

 堀川めぐりの船は人気で三十分待ちで乗った船は満席でした。最後の方で乗り込んだときには船は揺れており、よろけないように気をつけたつもりですが、狭いところで靴を脱ぎよろよろと。お堀の水は豊かでその先に天守閣を望み、鳥の声、鴨の遊ぶ景色を堪能しました。

 秋晴や城のしやちほこ尾を跳ねて 美香子

 大会前日、晶子さん、佳代子さんと松江城へ。築城四百年を過ぎた国宝天守は質素ながらも落ち着いた佇まいが美しい。半面、望楼の鯱は天に尾を跳ね上げ動いているようにも見えた。上々の秋晴に私も鯱も浮かれていたのかもしれない。

 湖の香と鯖雲の寄す朝松江 惠美子

 大会当日の朝早く松江駅から松江城へと出かけました。次第に潮の香が濃くなり空には大振りの雲が風に乗って宍道湖から寄せてきました。松江に来たとしみじみ感じて詠んだ句です。

 行く秋や出雲に祖母の生家訪ふ 秀明

 出雲大社門前の神門通りの日の出館という旅館が祖母の生家です。短時間でしたが七年ぶりの訪問には東京句会の岡さんに同行いただきました。同じく句友の方々も前を通られたとのこと。良い思い出ができ感謝します。

 紅葉の堀を小舟のすべりゆく 桃 子

 松江の堀川遊覧船に乗った際、運良く船首の方に乗ることができ、まだ紅葉し始めたばかりの木々や、堀をのんびり泳ぐ鴨を船上からゆっくり見ることができました。低い橋をくぐる時は、他の方たちと一生懸命身をかがめながら笑い合い、とても心に残る体験となりました。

 神々を待つ大鳥居空高し 弘 文

 大会を前に出雲大社に詣でました。間もなく陰暦の十月、全国の神様が出雲に集まられる神在月です。神迎祭、神在祭の日を記した表札のある大鳥居を潜り拝殿に向かいました。空を見上げると青く澄みきった空が広がっていました。このとき思わず作った句です。

 来年の白魚火全国俳句大会の開催地は、子規、虚子を始め多くの俳人が輩出した松山に決まりました。明年松山に全国の句友と共に集うことを楽しみにしつつ、松江を後にしました。


一都句碑前で


白岩主宰を囲んで


白魚火誕生の地 松江全国大会に感謝
(群馬)天野 萌尖

 昨年の札幌大会にて次回開催地は松江市と発表があって、白魚火社誕生の地松江での大会には是非参加したいとの思いで群馬白魚火会会員に声を掛け、半年前から吟行地、歴史や文化、生活、グルメなど調べて、日程は前々泊の三泊四日の旅と決め、群馬勢七名で参加しました。以下、私たちの大会前の松江、出雲吟行の様子を紹介したいと思います。

 第一日目
 羽田空港で飛行機の計器に不具合があって出雲縁結び空港到着が遅れましたが、事前に予約していた観光タクシーが待っていてくれ、神在月に日本全国から出雲に集まる神々が第一歩を記す稲佐の浜を最初の吟行地として訪れることができました。砂浜が広く長く続いて、浜の先端の大きな岩「弁天岩」のてっぺんにはお社が配されており、静かに波が寄せて神聖な浜と感じました。
 そこから出雲大社に移動しました。大鳥居から社殿へはやや下り坂となって「下り参道」と言われて出雲大社の特徴のひとつです。群馬県富岡市、上州一之宮貫前神社も社殿が尾根のふもとにあるため坂を下っての参拝になります。のんびりと下って行くと銅鳥居の奥に大注連縄を張った拝殿の前に出ます。拝殿の前に風の通り道があるかのように、赤とんぼ十数匹が悠々と飛んでいました。御本殿の右側には東十九社、左側には西十九社が配されて、神在月には全国から出雲にお越しになった神々のお宿になる社です。御本殿を逆時計回りで一周しました。神楽殿前に掲揚されている日の丸は七十畳敷と言われ、出雲大社のシンボルのひとつ、壮大な景です。

 行く秋に稲佐の浜の砂を手に 百合子
 秋の浜波のつくりし潮ゑくぼ 庄 治
 神在月神の足音の稲佐の浜  萌 尖
 まほろばの出雲大社や薄紅葉 定 由

 出雲大社を後に平田へ移動して、木綿街道にて三原副編集長と合流して平田と木綿街道の町並みをご案内していただきました。出雲で栽培された原料の棉が船によって水路の整備された平田に集積され、加工され、また平田船川から宍道湖へ中海へそして米子、境港へ、全国各地へと運ばれました。平田は木綿の流通を通じて日本全国津々浦々とつながりを持っていたということです。
 街道の店々の裏手には船着き場があり「駆け出し」と呼ばれていました。木綿商家だけではなく造り酒屋、醤油屋、和菓子屋、生菱糖本舗などもあり、吟行をしながら地酒や使用目的ごとに異なる醤油やお菓子の店を覗き、買物、散策も楽しむことが出来ました。

 駆け出しの木綿街道秋の川 萌 尖

 続いて訪ねたのは木綿街道からすぐ近くの愛宕山公園内にある古川句碑。きれいに整備された句碑を眺め、句を作り、そして皆で写真を撮りました。
 思い起こせば、平成八年白魚火誌通巻六百号記念大会が出雲玉造温泉に全国から会員二百二十余名が集まり盛大に開催されました。記念事業の最大の行事は、愛宕山公園に建立された古川主宰の句碑のお披露目でした。
 「晩じるといふ里ことば稲の花」 古 川
 小さな公園に二百二十余名が集まり、古川主宰と句碑とともに各会が入れ替わり立ち替わり記念の写真を撮っていました。主宰も笑顔で応えておられました。それまで主宰の笑顔を見たことがなかったのでとても新鮮な驚きもありました。古川主宰のご幼少の時代は男が人前で笑うな、泣くな、しゃべるなという時代でしたから、笑顔の主宰はみんなを明るくしました。そんな愛宕山公園での出来事がとても印象に残っています。私はその年の十二月にひとり旅で句碑を訪ねました。静かな師走の公園にひっそりと冬木立に句碑が立ち、傍のベンチに座り半年前の記念大会をのんびりと思い出していました。古川主宰句碑と愛宕山公園を白魚火の心のふるさとと思っています。白魚火誌の「お便り」コーナーに平田の町を歩き句碑を改めて拝見にお伺いしたことを投稿したら、古川主宰から「遠方から句碑を見に来てくださってありがとう」とお礼のお手紙をいただいたときにはまさかと驚きに心から感激いたしました。石原裕次郎氏の名曲「恋の町札幌」三番
 寂しい時 むなしい時
 私はいつも この町に来るの
 どこかがちがうの この町だけは
 なぜか私に やさしくするの
 以来二十七年、一畑電鉄雲州平田駅からこの歌を口ずさみながら心の向くまま、足の向くまま歩いてもう十数回訪ねています。
 二十七年前のこの瞬間に立ち会った二百二十余名の方で今も在籍している会員の方が何人いらっしゃるのかなと思うこのごろです。
 かつて古川主宰の句碑に、群馬の盟友鈴木吾亦紅氏が日く「古川は物を知らねえ。稲の花は朝早く咲くんだ。晩じる頃には咲かないんだ」。しかし、古川主宰も稲の花が朝咲くことはよく知っておられたと思います。稲の花が咲く頃が一番日が長く晩じると挨拶を交わす時期だということを詠んだ句だと吾亦紅氏もそのことはよく知っていてあえて「古川いい句を詠んだな」と祝ってあげたい気持ちをちょっとだけ意地悪したくなったのでしょう。「名人だけが知る名人の心」お二人は終生の盟友でした。

 飛行機の遅れて出雲帰り花  志 郎

 この日の泊まりは平田。夕食は三原副編集長と編集部のみなさまと懇親会をしました。俳句談義からよもやま話と出雲料理と地酒に酔い、和気あいあいの楽しい時間を過ごしました。編集部のみなさまお忙しい中、ありがとうございました。

 錦秋を使ひきつたる旅の宿  富 江
 球児らと同じテーブル食の秋 美名代

 第二日目
 一畑電鉄に乗り、雲州平田駅からまつえ宍道湖温泉駅へ車窓の旅です。松江から出雲へ、出雲から松江へは宍道湖畔を走る一畑電鉄に乗車するのが好きです。はじめて乗車した際に一畑口駅でのスイッチバックが不思議でした。なんでこのようなスイッチバック?と思ったのですが、当初は一畑口駅から線路が延びて一畑薬師駅までの路線だったそうです。戦争中、不要不急な線路とされ、レールは軍に接収されて一畑口駅までになり、スイッチバックになり現在に至ったということで、これも戦争遺跡のひとつです。そして、秋鹿町駅「あいかまちえき」は好きな駅名です。秋は紅葉、紅葉は鹿、秋に鹿と駅名、秋をめいっぱい感じられるすてきな駅名です。ちなみに町名は「あいかちょう」です。

 畑電の片道切符小鳥来る  百合子
 紅葉行く一畑電車秋鹿町駅 萌 尖

 一畑電鉄を満喫して松江入りしました。松江と言えば国宝松江城。千鳥城とも呼ばれ宍道湖畔に四層五階の黒漆塗りの大天守は日本現存天守閣十二城のひとつです。丘の石段を登っていると多くの会員にお会いし、みなさん「わが俳句足もて作るいぬふぐり」の白魚火俳句の神髄を実践しておられました。天守最上階からの眺めは三百六十度の大展望、宍道湖、松江城下、出雲平野、大山、三瓶山まで一望に見渡せる醍醐味に殿様気分を堪能しました。

 鯱に流れを変ふる秋の雲  百合子
 望楼や松江城下の薄もみぢ 富 江
 天高し格調高き松江城   定 由
 深秋や興雲閣に鳶の笛   志 郎

 城の北側稲荷橋から新橋を渡り、ふれあい広場乗船場から堀川遊覧船に乗船して船上から城や町並みを眺め、船頭さんの案内の出雲ことばに癒され、名調子の民謡には拍手喝采でした。

 堀川の橋桁被ふ蔦紅葉      志 郎
 秋タ焼船頭の言ふ「だんだん」と 美名代

 二日目最後は、日本の夕陽百選に選ばれている宍道湖のタ日。嫁ヶ島のすぐそばを通過するサンセットクルージング船で湖を真っ赤に夕陽が染める宍道湖を充分に堪能しました。

 宍道湖に日矢一文字秋落輝  庄 治
 秋うらら大宍道湖の一都句碑 定 由

 第三日目
 前日の松江城の隣、塩見縄手の小泉八雲記念館と小泉八雲旧居そして武家屋敷へ吟行に出かけました。小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンはギリシャに生まれ、アメリカで日本の文化に接して日本という国に興味を持ち来日して日本の地を踏みました。松江中学の英語教師として松江に赴任して、日本の文化、生活を海外に紹介しました。旧居では八雲の書斎、目の悪い八雲の仕事がしやすいように特注で作られた足の高い机と椅子が展示されていて、自由に座ることができて八雲に思いをはせることが出来ました。来年四月のNHK朝のドラマは小泉八雲の妻セツ氏をモデルにした「ばけばけ」の放送が決まりました。明治の松江の町並みや生活を見ることが出来ることが楽しみです。
 塩見縄手武家屋敷は上級武士の屋敷が公開されていて、長屋門、玄関と脇玄関、座敷と奥座敷、主人の部屋と家族の部屋、茶室、台所、庭など当時の生活を窺うことができます。

 初時雨玉砂利光る武家屋敷 美名代

 続いて訪れた八重垣神社では鏡の池で良縁占いを体験しました。紙のお札に五円玉を載せて早く沈むと早く嫁ぐ、遅いと嫁ぐのが遅くなり、岸から近くで沈むと近くに嫁ぎ、離れて沈むと遠方に嫁ぐと言われてみんなでお札の行方に一喜一憂していました。以前に来た際にはズルして五百円を載せてもなかなか沈まずに枝で突いて沈めてしまいました。バチが当たったのか、良縁とは無縁な生活をしていますが、白魚火という良縁に恵まれて多くの先生、先輩、友人と充実の俳句生活を送ることができ、神様に感謝です。

 鏡池に一喜一憂秋高し  萌尖

来年の大会は愛媛県松山市と発表がありました。松山は正岡子規の故郷、俳句の聖地として俳句を志す者なら一度は松山で一句詠みたいと思っていることでしょう。天野家は伊予の国宇和地方の出身です ので、私も松山開催を心から喜んでいます。松山は何度も訪れていますが、市内は松山城、道後温泉、子規生家、秋山好古、真之生家、坊っちゃん列車など吟行する地が盛りだくさんです。
みなさま、次は松山でお会いしましょう。



全国大会と松江・出雲を旅して
(牧之原)藤田 光代

 全国大会には静岡白魚火から五名参加しました。大会前日の十月二十六日私達(会長の小村さん、選者の横田さん、行事部の田部井さん、中さん、そして私)は、富士山静岡空港から出雲へと出発しました。山陰への初めての旅に私は心弾んでおりました。飛行機は日本列島を横断して天の橋立方面へ向かい、出雲へと弓なりの航路で、一時間十分程のフライトは静かで快適でした。
 出雲空港到着後、田部井さんは、直接大会会場のある松江へ向かい、私達はタクシーで、穭田が続く広々とした出雲平野の田園風景を見ながら、出雲市内へと向かいました。
 初めの吟行地は「稲佐の浜」。八百万の神は十一月、この浜から出雲へ入られるということです。日本海に沿う浜は、傾き始めたオレンジ色の太陽が目映いばかりでした。写真を撮っていると、浜の管理員さんが、太陽を背景に四人が両手を上げている写真を撮ってくれました。思いがけない楽しい写真となりました。
 この稲佐の浜でお砂をいただき、夕暮迫る出雲大社の二の鳥居より神苑へ。高い松並木が迎えてくれました。見るものが多くスケールも大きい神苑。色鳥の声を遠くに、皆、心を研ぎ澄ませているようでした。気が付けば足元燈が灯る参道となってきたので、四の鳥居から、「神迎の道」通りにある当日の宿「旅館すたに」へ急ぎました。
 宿は純和風で、庭のある落ち着いた佇まいでした。夕食は地元の蜆汁、肉料理、蕎麦などで、地酒も頂きながら、吟行のことや三都夫先生のことなどを話しながら和やかな時間を過ごしました。
 明けて大会一日目の二十七日は、朝食前の六時過ぎ出雲大社へ朝参り。散歩をしている地元の人達がいて、神苑が散歩コースであることが羨ましかったです。前日の四の鳥居から拝殿、御本殿、素鵞の社とそれぞれで参拝。素鵞の社裏側では昨日のお砂を清められたお砂と交換し、大しめ縄の神楽殿へと進みました。出雲は神の国として私には遠い存在でしたが、やっとこの地に立つことが叶い心から嬉しく思いました。持ち帰ったお砂は後日、自宅の松と梅の木の根元に納めました。
 降り始めた小雨の中を宿に戻り、朝食後タクシーで松江市内へ。途中車窓からは、濃く淡く霞んでいる宍道湖が続き、ローカルな一畑電車と交差しながらの道中を楽しみました。
やがてタクシーは松江市内に入り、堀川舟を見ながら松江城へと上りました。最上階の望楼からは、四方秋の色に染まった城下町松江が一望できました。
 お城見学のあと大会会場に入り、受付、投句を済ませ、記念講演までの時間に昼食をと小泉八雲旧居方面へ。「神代そば」という蕎麦処と決め、十数名のお客さんに続き外で待つこととなりました。講演の時間を気にしつつタクシーを待たせ、割子そばを頂き、大急ぎで大会会場へ戻りました。
 総会に先立って行われた「諷詠」主宰の和田華凜さんの講演は、興味深く聞くことができました。「喧嘩して月へ帰ると言ってみる」の句に、こんな時期も…と思いながらも幼少期からのご自身について、にこやかにお話しされる姿には貴いものを感じました。
 講演後の総会、式典の表彰式も滞りなく終わり、懇親会となりました。懇親会では懐かしい先生方、選者の方、全国の句友とお会いできました。その中にいて、こうして句友が一堂に会することができる「白魚火はすごい」と思いを新たにしました。
 大会二日目の二十八日の句会では、同行の皆さんは特選や入選に入られましたが、私は残念ながら…でした。句会後先生方からの選評があり、白岩主宰からは細やかなご指導も頂きました。毎月の俳誌の「春夏秋冬」欄などでもっと勉強しなければと反省いたしました。
 二日間の大会も無事終わり解散となって、私達はまた吟行を兼ね、松江の老舗の菓子処二か所へ立ち寄り、先師の一都句碑を訪ね、湯町窯の焼物を買うなどして空港へ向かいました。行事部の田部井さんとはほとんどご一緒できず申し訳ないと思いつつ、小村さんが組んでくださった旅程で楽しい松江、出雲の旅ができました。
 最後に、大会関係者をはじめ地元の皆様にはたいへんお世話になりました。心からお礼申し上げます。同行の皆様にも心から感謝しています。

 秋日傘渡部美知子さんかしら 横田じゅんこ
 色変へぬ松や大社の朝参り  小村 絹子
 秋澄むや大山雲を突き抜けて 中  文子
 宍道湖に光あやなす秋夕焼  田部井いつ子
 色変えぬ松望楼の松江城   藤田 光代


白魚火創刊七十年記念全国大会参加雑記
(浜松)砂間 達也

 今回初めて、他県で開催された全国大会に参加させていただきました。
 全国からお集まりの白魚火会員の皆様のご活躍については、多分ほかの句友の皆様が詳細にお書き下さるものと思いますので、私は、「雑記」として、浜松市から参加した、自分の周りのこまごましたことや感想を書かせていただきたいと思います。
 さて、私の所属する浜松白魚火会は静岡県西部の浜松市を中心として活動しており、会員は百人余。当会では、このたびの松江大会を迎え、会員の皆様が、安全かつ確実、迅速に松江大会に参加できるよう、まさに「至れり尽くせり」のツアーが考案されました。これもひとえに山田副会長の細かい調整とご尽力が功を奏したものと思います。
 私事で申し訳ないのですが、三年前の東京両国大会の時、初めて全国大会に参加しようと思い、自分で張り切ってホテルの予約等をして、行程など考えていたのですが、出発する前日というまさに土壇場で、職場の同僚の「コロナウイルス感染疑惑」が発生。断腸の思いで涙を飲んで全てをキャンセルしたのです。その後、前回の札幌大会では、自分の仕事の重要案件と大会が見事にかち合ったことで、最初からあきらめました。
 そして今年は、白魚火のふるさとといってもよい松江大会。今度こそという気持ちで春先から、仕事が大会予定とかち合わないよう慎重にスケジュールを調整し、ツアーはうまい具合に少なくとも行きは電車。帰りの飛行機にはちょっと困ったと思いましたが、ツアーでみんなと一緒に行くことを決意しました。実は飛行機が嫌いなのです。
 直前の二週間は人ごみを避けて、またコロナウイルスなどという余分なものをいただかないよう、じっとしていたのは言うまでもありません。
 大会前日の出発日は午前五時起床、最後の詰めの甘さで皆さんにご迷惑をお掛けするなど絶対に出来ないので、早めに起きました。前日に用意しておいた朝食と水分補給で無事「爆弾投下」し、午前六時すぎの下り電車に滑りこんでいよいよ二泊三日の大会参加旅程の開始です。
 浜松白魚火会で今回のツアーに申し込まれた方は、選者の先生方を始め総勢三十人。浜松駅の新幹線口のロビーには、既にそれらしき方々がちらほらとお集まりで、幸いなことに定刻には全員が集結されました。今回は某大手旅行社のベテランガイドさん付きの「至れり尽くせり」ツアーで、切符などの手配や心配もなく、まさにエスカレーターに乗ったかのようなスムーズさで行程が進みます。新幹線こだま、のぞみ、そして伯備線特急やくも、と二回の乗り換えでも、一人の欠けもなく無事にこなし、はんなりとした島根なまり?の残るバスガイドさんの待つ出雲市駅にあっという間に到着です。
 ガイドさん曰く神在月に至る直前でまだまだ八百万の神様がたは到着していらっしゃらないとのご説明、出雲の地元の皆さんにとって「八百万の神様がた」というのはまるで今そこにいらっしゃるような身近な存在なのだなあと感心いたしました。
 その神々が到着される稲佐の浜は残念ながら車窓からチラッと見ただけで、通過してしまったのですが、稲佐の浜の直前に交通信号機があったのが記憶に残っています。

 神在月稲佐の浜の信号機 達 也

 さて三十年ぶりに来た出雲大社には、高さ四七メートルの掲揚塔に畳七五枚分といわれる大日本国旗が音を立てて翻っています。以前に訪れた際には翻ってはなかったですが、ガイドさんによれば、良い天気の日でないと掲揚されないとのこと。このでかさでは、急な雨でも取り込めないでしょうから、納得です。余りの大きさにスケール感が狂ってしまって、写真で撮っても大きさがわからないくらいの「見とれる」大きさでした。この日はほかにも、神魂神社にお参りし、その特徴ある古いお社を観させていただいたり、宍道湖の夕日を眺めたりと、久しぶりの観光三昧でした。
 翌日も大会受付まで、堀川遊覧や塩見縄手の見学、残念ながら松江城は遠くから見るだけでしたが、堪能しました。
 そして、会場のホテル一畑に戻って、受付と初日の投句も済ませて、いよいよ大会の始まりです。大会は、創刊七十年記念講演、総会、式典とスムーズに進んで、懇親会へ。
 とまあ、無事大会に参加し、吟行も出来たし、もちろん観光もできたし、松江って、しっとりと落ち着いた良い街だし、宍道湖はいい景色だし、全国の会員の皆様とも会話が弾んだし、写真も撮ったし、ほんと今回、無理してでも頑張って来てよかったなあ~としみじみ思いつつ、そろそろ先生方に一献おつぎして、と上座のあたりに行ったら、某先生がにこにこ手招きして私を呼び止め、何やら封筒を手渡してこられました。それで、そんな訳で、このような駄文を書く羽目になっている訳です。
 さて、明けて翌日は、俳句大会。そこで代表選者の選に私の一句を採っていただけたのは、想定外のうれしい結果でした。励みになります。
 そののち各選者の皆さまの句評をいただきましたが、何といっても主宰の句評、《「句を選ぶ」には、二種類ある。このような大会の場合の「選」は「落とす選」である。ミスをしないこと。誤字、文法の誤りの句は採らない。「出来た出来た」でなくて今一度確認すること。自分を客観視して推敲せよ。》とのお言葉は、おっちょこちょいが過ぎる私にも間違いなく響きました。
 来年の大会は十月二十六日、二十七日の日程で愛媛県松山市において開催とのこと。またお会いしましょう。今度は飛行機なしで行けそうですから。
 追伸、忘れていました。浜松白魚火では、フェイスブックを始めました。かく言う私がその管理人です。あまり更新頻度は多くありませんが、浜松白魚火会の活動を、俳句入門講座とか句会の話題、そしてもちろん今大会の話もアップしてまいりますので、「浜松白魚火」で検索してみてください。



白魚火創刊七十年記念全国俳句大会(松江)に参加して
(磐田)齋藤 文子

 令和六年十月二十六日朝、浜松白魚火会会員三十一名は浜松駅より東海道新幹線に乗り込みました。旅にでる喜び、友人に会う喜び、俳句三昧の時間を過ごすことができる喜びで車両の中の賑やかなこと。
 岡山駅でお弁当を積み伯備線の「やくも七号」に乗換えました。

 出雲へといくつも秋の川越ゆる 京 子
 田仕舞の煙の中を伯備線    尚 作
 駅弁を膝に車窓の豊の秋    いく代

 米子で山陰本線へ乗入れ、十三時出雲へ到着。ここからは貸切りバス、低音でゆっくりした口調のガイドさんが出雲弁で迎えてくれました。
 稲佐の浜を車窓より眺めながら出雲大社へ、雲ひとつない秋晴れ、七十二畳もある日の丸が悠々と翻っていました。

 秋天へ千木高々と大社     浩 世
 拍手を打つたび増ゆる蜻蛉かな 升 子
 天高し山のかたちのさざれ石  勝 子

 大社は神在月を前に賑わっており、外国の観光客も大勢おられました。
 その後、神魂神社へ向かいました。伊弉冉、伊弉諾の大神をお祀りしている本殿は、大社造の現存する最古のもので国宝に指定されています。また国造の祖神である天穂日命が高天原から天下る際に乗ってこられたと伝わる鉄窯も祀られていました。山を背にして立つ社殿は、国宝にもかかわらず雨風に曝され鄙びてはいましたが、晩秋の夕暮に凜と佇む姿は神々しく見えました。
 翌日は、松江市内をバスで回り、堀川めぐりの舟に乗りました。

 菊日和身体畳んで舟に乗る   達 也
 時には安来節が飛び出す船頭の話を聞きながら、橋を潜る度に身を屈め歓声を上げました。その後、松江ならではの「ぼてぼて茶」を頂きました。泡だてた番茶におこわ・煮豆・漬物などを載せて啜ります。お味は…。八雲旧居や武家屋敷では、各地の白魚火の方と再会し喜びの声を交わしました。

 秋灯下ヘルンの小さき虫眼鏡  浩 世

 午後からは、記念大会として「諷詠」の主宰和田華凜先生の講演を聞きました。後藤夜半・後藤比奈夫・後藤立夫・華凜先生と四代にわたる俳句の家にお生まれになった方ならではのお話は興味深く、またお母様との出雲の旅の思い出は心温まるものでした。
 続いて大会が始まり、主宰の挨拶、次に各受賞者の表彰が行われました。浜松の受賞者は、

 新鋭賞      前川 幹子さん
 みづうみ賞秀作賞 宇於崎桂子さん
 同        山田 惠子さん
 同        山田 眞二さん
と名前が告げられる度に誇らしく思いました。
 懇親会では、本場の安来節が披露され大きな拍手がわきました。
 会がすすむにつれ、初めてお会いする方とも打ち解け、話が弾みました。同じテーブルの東広島の佐々木さん親子は、お母様の智枝子さんが俳句を詠んでいられるのをみて、娘の美穂さんも始められたとのことで、白魚火の未来が明るくなるのではと嬉しくなりました。
 大会二日目、小雨模様の中、ホテルの目の前の宍道湖に蜆船が出ているのを見ながら朝食を取りました。
 自由吟行の後の句会では、先生方の選句が披講され、続いて表彰が行われました。
 やはり俳句の型として「や」切れ名詞止めの句は力があると感じました。
 最後に来年の開催地は、「松山」と発表されました。言うまでもなく俳句の聖地。再会を約して会は終わりました。
 行きは六時間の列車の旅でしたが、帰りは空路、出雲縁結び空港から富士山静岡空港まで一時間十分。さすが飛行機。出雲、松江での楽しい思い出とお土産を抱え、空港の中のお店でもさらにお土産を増やして旅を終えました。

 宍道湖に雨見えてをり神の旅 文 子

 最後に、行事部の皆様には大変お世話になりました。
 また、浜松のお世話をして下さった山田眞二様はじめ皆様にもお礼申し上げます。


松江大会のこと
(鳥取)西村ゆうき

 〇旅のはじまり
 大会前日の十月二十六日、朝一番の特急で松江に向かいました。松江駅の観光案内所で日御碕の崩落した道が通れるか尋ねると、無料の臨時バスが出ているとのこと。時刻表と地図を貰って松江しんじ湖温泉駅へ急ぎました。一畑電車に乗り継ぎ、秋晴れの宍道湖に沿って出雲大社駅へ。
 到着すると時刻はちょうどお昼。バスの待ち時間に名物の出雲蕎麦をいただき、やっとひと息つきました。定刻に来たマイクロバスは満席で出発。これで目的地の日御碕へ行けると安堵しました。
 道路は一部片側通行でしたが、風光明媚な「出雲松島」の海岸沿いを快適に走ります。終点の日御碕灯台は、青空と日本海に白亜の姿が美しく映えていました。しかし帰りのバスが来るのは三時間後。その間に日御碕神社へ行くことにして、折り返すバスに再び乗りました。

〇日御碕神社
 境内でパンフレットを探しますが見当たりません。人気のない社務所の脇で「パンフレットをいただけませんか」と声を掛けると「御由緒書ですね」と若い神職が応対してくださいました。
 その御由緒書によると、日沈宮(ひしずみのみや)には天照大御神が祀られて日本の夜を守り、伊勢神宮では昼を守っておられるとのこと。一方の神の宮(かむのみや)には素戔嗚尊が祀られ、根の国の霊地として厚く信仰されて来たとのことです。
 しばらく朱色の華麗な楼門や社殿を見学して参道を戻ると、焼き烏賊の香ばしい匂が漂って来ました。匂に誘われて茶店に入り、さっそく焼き烏賊を注文。甘酒でしばらく休憩し、走り書きの句などを整理していると帰りのバスがやって来ました。

 〇大会一日目
 今年の大会は隣県での開催なので、何かお手伝いがあればと行事部の田口耕さんにお伝えしていたところ、想定外の披講という大役をお受けすることになってしまいました。
 当日、役員は十一時に集合。入力室で行事部長の平間純一さんに到着を知らせ、昼食後に戻ると出句が始まっていました。部屋には緊張感が漲り、皆さんが黙々と入力作業をしておられます。もう一人の披講担当の原みささんは既に資料を広げておられ、ご挨拶するととても美しい声の方でした。
 大会一日目は、講演会、総会、表彰式、懇親会と順調に進んで終了。懇親会後に打合せ場所へ行き、みささんや行事部、入力担当の方々と集まって投句された句の読み合わせを始めました。作品集には振り仮名がないので、読み方に詰まるとそのつど原句を探していただき、読みを確認する作業が続きます。気が付くと十一時半、わたしたち二人はそこで部屋に引き上げ、さらに読む練習をしました。

 〇大会二日目
 朝八時に入力室に行くと、選者の選句結果が入力され、選句集となって次々に印刷されています。選句用紙に昨夜確認した振り仮名を書き込み、みささんと披講の分担を決めました。十時の句会開始ぎりぎりまで担当部分を練習します。
 俳句大会が予定時刻通り永島のりおさんの司会で始まりました。机にお茶と喉飴を置いて準備万端。句を読み始めると、その呼吸にぴたりと合わせて山田眞二さんがその画面を大スクリーンに投影してくださいます。選句結果は読む順番に句が並べてあり、とても読みやすくなっていました。みささんと交互に読み進めるうちに俳句大会が無事終了。二人で「終わった」と手を取り合いました。みささんのリードのお蔭で大きなミスもなく、無事に務めることが出来ました。
 この大会は、先生方はじめ行事部や入力担当の方々、準備運営に関わられた皆様のお力に支えられて成り立っていると、その一端を見ることが出来た大会でした。二日間が大盛会となり本当に良かったと思いました。



感謝状を受けて
(出雲)荒木千都江

 十月二十七日、二十八の二日間、全国から百七十七名の参加を得て、白魚火創刊七十年記念全国俳句大会が松江において開催されました。
 大会は、諷詠主宰和田華凜さんの記念講演会に始まり、午後五時三十分から総会、記念式典が行われました。式典では、同人賞、新鋭賞、みづうみ賞、同秀作賞の表彰が行われ、その後受賞者代表の謝辞がありました。
 続いて、創刊七十年を記念して功労者二名の表彰がありました。お一人目は、永年編集長として白魚火誌発行に尽力された安食彰彦先生。先生は、体調不良のため残念ながら欠席されたため、編集部の原和子さんが代わりに感謝状を受領されました。二人目として、同じく長らく編集部にあって遅滞なき白魚火発行に尽力したとして私の名前が呼ばれ、「はい」と大きな声で返事をして壇上へと登りました。
 白岩主宰より、編集長をよく補佐し、白魚火誌の確実な発行に意を注ぎ、白魚火の発展に多大な貢献をされたと記された感謝状をいただき、心から嬉しく、感謝の気持ちで一杯となりました。副賞として、すてきなボールペンをいただき、続く懇親会では乾杯の音頭も取らせていただき、感激しました。
 思い返せば、平成二十七年から句友の皆さま方の出句の受付、整理、選者への発送等の仕事をはじめました。最初は慣れないためなかなか思うようにできなかったのですが、安食編集長、各先輩諸氏からいろいろアドバイスをいただき、今日に至っております。今は亡き仙花先生、小林梨花先生にもいろいろ教えてもらいました。
 二〇二一年から土日の配達の休止、配達日の繰り下げなど郵便局のサービスの変更があったりして気をもむことが多くなりましたが、この受賞を糧にこれからも皆様のために頑張っていきたいと改めて気を引き締めたことです。
 二日間の大会を終えて家に帰り、古川の仏壇に感謝状を供え、この度の松江での全国大会が大盛会のうちに終わったことを報告いたしました。


友を誘って大会へ
(東広島)石原 幸子

 大会前日
 全国大会の前日の十月二十六日、広島からの参加者十七名は、東広島の各所でマイクロバスに乗車し、松江道の三良坂インターチェンジより三刀屋木次インターチェンジを経由して最初の吟行地加茂岩倉遺跡に着きました。館長の説明によると農道の普請をしている時に沢山の銅鐸が出土したそうで、年代は二千年前(弥生時代)との事でした。その当時の技術や暮らしぶりを想像しました。

 秋深し銅鐸の舌響く丘    由紀子
 目覚めたる銅鐸あまた暮の秋 光 恵

 次は松江の八重垣神社へ。縁結びの神様がいらっしゃるそうで、和紙に硬貨を置き池に浮かべて早く沈めば良縁が早く来るとか。お孫さんのために占っている方もいらっしゃいました。
 石碑の前で記念撮影。ハイチーズ。

 願ひ事浮かべて秋の声を聞く 美  穂
 神在月出雲の旅や夫と行く  有川幸子
 秋澄むや神代の恋の成りし宮 挾間敏子
 八重垣神社の連理玉椿を後に月照寺へ。門前で当日から開かれていた松江城大茶会の案内があり、この茶会のため書院からの庭を眺めることはできませんでしたが、皆で、松平家菩提寺の広い境内を散策しました。大亀の形をした寿蔵碑の頭をなでて願掛けを。白壁の屋根の上より栴檀の実が緑色に輝いていました。

 秋うらら雷電手形比べ見る 石原幸子

 次は松江城、堀川巡りです。船の時間調整で松江城内の散策。私はその間に松江神社へ御朱印を頂きに行くと、外国の方も並んでおられました。時間を気にしつつ乗船場で二番目の船に。鴨が水遊びをし、亀は石の上で日向ぼこ。鷺は枝にじっとしていました。秋の日を浴びながら下船しました。

 船頭の歌に手拍子秋うらら 伸 江
 秋気澄む船頭の唄響く橋  智枝子
 出掛ける前は曇りでしたが、夕方には青空となりました。旅の荷をそそくさと部屋に入れ、夕陽を見にマイクロバスで出発です。県立美術館のロビーを通り抜け、宍道湖畔に散らばり夕日の落ちるのを待ちます。ほどなく期待通りの真っ赤な夕日が湖を染め、ゴールデンロードを作りました。歓声が上がり、同時にカメラのシャッター音があちこちより聞こえてきました。太陽の沈むのを見て余韻に浸りました。

 宍道湖に光の帯や秋没日   徳永敏子
 宍道湖へ足投げ出して秋夕焼 和  恵
 バスのお迎えでホテル白鳥へと戻り、夕食の御馳走を前に有川光法さんの音頭で乾杯。特選を目指そうとの挨拶に大いに盛り上がり、お腹いっぱい、一日の疲れを癒しました。各部屋に戻り、三句の句作りをして休みました。

 タカ女なし休光もなし秋北斗 積
 大会初日
 一夜明けて大会初日、バイキングで朝食を済ませ、この日は呉から来られた四人も共にマイクロバスで天倫寺へ。お庭は綺麗にしてあり、石蕗の花に迎えられました。一都句碑の前で記念写真。眼前には宍道湖が広がり、眼下に一畑電車が走る風光明媚な所でした。
 丘に建つ一都の句碑や秋の風    光 法
 師の句碑にそつと触るるや石蕗の花 妙 子
 乳鋲ある山門くぐり石蕗の花    京 子
 寺を後に堀川端へ。小泉八雲旧居の玄関前に瑠璃柳が植えてあり、小さな花が一輪落ちていました。ハーンの住まいは家の周りが庭になり、どちらを見ても綺麗な緑でした。

 腰高きハーンの机身に入みぬ 弘 子

 武家屋敷には沢山の部屋があり、玄関前で侍の人形が出迎えてくれました。釘隠しのふくら雀の文字数が多く、なかなか俳句にはなりません。

 鎮もるる藩主の廟や蚯蚓鳴く 澄 恵
 廟門の影濃くなりて秋惜しむ 麻 紀

 蕎麦処八雲庵で抹茶わらびと白玉のぜんざいを食べしばしの休憩。バスが来るまでの自由時間で堀川を歩きながら、土産物店では土産を買い、また散策。南京櫨が少し紅葉していました。ベンチで句を作りながらバスを待っていました。

 「仙花」さん其処に居さうな秋の宵 サツエ
 鍛冶橋を渡れば城下天高し     ひろみ
 ハロウィンに集へる子等や城下町  マリ子
 大橋の擬宝珠秋の夕焼雲      三惠子

 バスに乗り会場へ、受付と三句投句を済ませ、書籍売場で俳句帳を求めました。荷物をホテルに置いて、十五時前に会場に入り創刊七十年の記念講演会「俳句と私~伝統芸能と神話」を待ちました。講師は諷詠主宰和田華凜先生。
 資料に添って講話があり、分かり易くユーモアもあり有意義な時間でした。引き続いて十七時より総会、十八時三十分より懇親会がありました。今回松江大会に一緒に行こうと声をかけ、道中も共に過ごした初参加の友と二人で席を探し、奥田先生と同席になりました。苫小牧、宇都宮、東京、松江の方とのテーブルで、ご当地の話を聞いたり写真を撮り合ったりしました。舞台での民謡グループの安来節の踊りと唄とが良かったです。呉の大隈さんより次回の開催地松山の発表とともに楽しかった懇親会も終わりホテルへ戻りました。

 大会二日目
 大会二日目の二十八日朝、宍道湖にはたくさんの蜆船が出ていました。船を眺めながらの朝食も早々に会場へ。いよいよ俳句大会です。昨日の第一回投句の選句結果の発表があり、披講と同時に正面の大スクリーンに入選句、特選句が次々に映し出されます。とても分かり易く勉強になりました。
 最後に主宰と選者代表による講評があり、俳句大会は終了、最後に奥田積さんの万歳三唱で解散となりました。外は時雨れており、列車で帰る呉の方を松江駅へ送り、私達はホテルで昼食を食べバスで家路へ。松江道を通り、途中休憩の高野の道の駅にてお目当ての大きくて新鮮な大根を買う人もいました。こうして三日間の大会参加日程を無事に終えることができました。大会関係者の皆様には大変お世話になりました。

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