最終更新日(Update)'25.03.01

白魚火 令和7年3月号 抜粋

 
(通巻第835号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  山田 惠子
年新た (作品) 檜林 弘一
潮けむり (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
  野田 美子、浅井 勝子
白光秀句  村上 尚子
旭川白魚火新年句会 吉川 紀子
山越ケイ子さん(函館)の句集発行祝賀会  広瀬むつき
令和六年栃木白魚火忘年俳句大会報告  杉山 和美
令和七年栃木白魚火新春俳句大会  谷田部シツイ
わかくさ句会安食彰彦先生の卒寿をお祝いして 土江 比露
坑道句会吟行句会報 ―閉校間近の北浜小学校を訪ねて― 三原 白鴉
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  高橋 茂子、鈴木 誠
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(磐田)山田 惠子

春の日をころがしてゐるガラス玉  岡 久子
          (令和六年五月号 白光集より)
 待ちに待った春の訪れ、柔らかな日差しに誘われて出た庭先で見つけた光る物、それはガラス玉でした。そっと掌に乗せると春の光にキラキラ輝いています。それを見て子どもの頃の遊びを思い出されたのではないでしょうか。「日をころがして」の表現に惹かれました。春の暖かさ、色、ゆったりとした時の流れを感じます。

桜咲くただそれだけで良き日なり  内山 純子
          (令和六年六月号 白光集より)
 桜は春の訪れを象徴する花です。作者は函館にお住まいであり、尚のことこの季節の到来を待ち侘びていらっしゃる事でしょう。簡潔な表現ながら、だからこそ、辺りの静けさや作者の喜びがひしひしと伝わってきました。

目に浮かぶ生家の間取り月朧  佐藤 やす美
          (令和六年六月号 白魚火集より)
  「生家の間取り」の措辞に私自身の昔の生家の景がありありと浮かんできました。祖母が居て、父母、弟が居て季節ごとの暮しがあり、その声までも聞こえて来るようで懐かしさが込み上げてきました。仄かに潤んだような春の月に郷愁をかき立てられる句と思います。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 ひまご (出雲)安食 彰彦
すぐ来るか出雲訛の焼鳥屋
師の齢すでにこしをり蜜柑むく
残さるる余生は俳句注連飾る
大晦日彼女も卒寿長電話
顔洗ひ角帯を締め読始
泣き顔のひまごに笑窪お元日
大泣きの子に大爺のお年玉
書初の筆のはじめはひまごの名

 ベレー帽 (浜松)村上 尚子
歳晩の街ゆく僧のベレー帽
数へ日やしぶきを上げて舟帰る
A面よりB面親し年忘
会ふこともなき人に書く賀状かな
米櫃のこめを均して年送る
どの窓も海へと開きお元日
すぐそこに母がきてをり手毬唄
着ぶくれて三度の飯はちやんと食ふ

 冬木の芽 (浜松)渥美 絹代
テーラーと小さき看板冬木の芽
テレビよりシュプレヒコール大根煮る
くくられて売らるる茶碗冬夕焼
羊羹のまつ黒な箱冬ざるる
絨毯の深紅のばらに木馬置く
揚げ舟の底に貝殻山眠る
大年の雀軒端をつつきをり
寒禽や電波時計の狂ひ出す

 わが畑 (唐津)小浜 史都女
楠守のやうに動かぬかじけ猫
忘れゆくこと怖ろしき冬の虹
わが畑に冬至南瓜のひとつかな
ごばう天うどんをすすりクリスマス
線香の灰すこし捨て年用意
初日記書き終へけふを遠くせり
遺跡野に背伸びしてゐる仏の座
眉月の落ちてきさうな凍畑

 生命線 (宇都宮)中村 國司
煤逃に真つ青の空さもありぬ
極月の迷惑メール止まずなり
元日を火の見のやうな電波塔
師の声音しつかと慕び初山河
てのひらに生命線と初日遇ふ
白鳥に餌をと夫婦いそいそと
世の栄え平らならずも冬の月
眠る人こころに浮かぶ干蒲団

 年新た (東広島)渡邉 春枝
朝刊の運勢をまづ年新た
年ごとに変はる街並初日さす
山門に説話の知らせ年明くる
名園の池をめぐりて初日受く
初春の宮の石段登り切り
よく笑ふ嬰を抱きしむ三が日
人だかりして店内の初神楽
大家族でありしは昔年酒酌む

 利尻昆布 (北見)金田 野歩女
神無月また減便の路線バス
製糖所終夜操業寒昴
靄霽れて塒の鶴のシルエット
枯枝に色の綺麗な鳥の群れ
湯豆腐の拘り利尻昆布の出し
憂さ一つ抛り出したる年忘
初句会圧倒さるる佳句秀句
雪の野を貨物列車の長き旅

 初座敷 (東京)寺澤 朝子
ちちははの余慶に生きて冬ぬくし
おだやかに住み成す日々や返り花
冬の庭ベンチに杖を休ませて
工芸展出でて師走の貌となる
言ひ切りて一句を締むる霜夜かな
雑踏をすこし離れて飾売
神棚に松あをあをとお元日
軸の書の「夢」の一文字初座敷

 年忘 (旭川)平間 純一
舞ふ雪に潤む満月青邨忌
湯豆腐をつつく本音は言はずとも
光明の明日を照らす冬至かな
大いに吞む大いに笑ふ年忘
北狐つつつと渡る街の路地
娑羅の実も雀も零れ深雪晴
雪を搔くもうひと押しのどつこいしよ
吹雪く夜の妻を見送る漢かな

 しぐれ (宇都宮)星田 一草
鵯の声の高ぶる実南天
皇帝ダリア二階の窓を覗くかに
咲き満ちて空に溶け入る冬ざくら
幾ばくの余命と思ふ落葉道
落葉して欅の梢空に満つ
かたくなにひと葉の残る橡冬木
こつこつと路地の靴音寒に入る
湯めぐりの傘に音立つしぐれかな

 根深汁 (栃木)柴山 要作
男体山なんたいの耀ふ薙や今朝の冬
波郷忌や昼のおでんに少し酔ふ
ソーラーパネル千枚抱き山眠る
デパ地下を出づればほろり夕時雨
日向ぼこ兼ぬるキッチンカーの飯
十年日記買ふや八十路の誕生日
読みさしの気になる一書十二月
故郷も昭和も遠し根深汁

 初明り (群馬)篠原 庄治
新布もて大黒恵比須の煤払ふ
一つ灯を落とし独りの年暮るる
朝晩に計る血圧去年今年
寺院神社堂の浮き立つ初明り
初日影しづかに移る百句塚
気負はずに生きて八十路や明の春
畏まる曽孫の膝へお年玉
残照の湖に三日の日を惜しむ

 占ひは凶 (浜松)弓場 忠義
ふところの仔犬顔出す三の酉
冬耕の人影伸ぶる畝の先
餌台にパンの耳置く冬日和
西方に真ん丸の月凍てにけり
大くさめ話のつづき見失ふ
占ひは凶なりポインセチア買ふ
みづうみに凸凹の杭ゆりかもめ
軽トラの空箱にほふ年の市

 冬苺 (東広島)奥田 積
蠟梅の日を受けてゐる浄土かな
雲を抜く鉄塔冬の青空に
牡蠣打女どつと笑うて止めざる手
わが庭の茶垣の花に気づきゆく
石庭の石の一つに冬の鵙
冬苺ここらでちよいと一休み
日を返す水面や苞の寒牡丹
冬落暉仏舎利塔の金色に

 夢一つ (出雲)渡部 美知子
ふるさとは路地多き町冬うらら
華やかな卓に加はる蕪汁
障子越しに風の機嫌を伺へり
ギザギザの水平線や冬怒濤
着ぶくれてなほ一枚の思案かな
寒風や飛ばし読みする由緒書
湯たんぽをたぷんと鳴らし足元へ
夢一つふくらんでゆく初御空

 著者検印 (出雲)三原 白鴉
漱石忌著者検印の朱の滲み
冬の湖足で舵取る漁舟
入れば刻ゆるりと流れ掘炬燵
梵鐘の一打に増ゆる冬の星
惚け封じの神にも寄りて初詣
富士に日の上る暦の淑気かな
真つ新な未来を開く初日記
四日はや湖心へ舟の水脈を引く

 百合根の仮眠 (札幌)奥野 津矢子
銀杏落葉このみちゆかば少年期
片付けて机の広き寒さかな
行きしまま軍靴戻らぬ雪催
鋸屑に百合根の仮眠十二月
吊橋を差して悴む指の先
愉しさを振り撒くふくら雀かな
浮寝鳥傷もつ一羽混じりをり
着ぶくれて開拓村をひた歩く

 父の声 (宇都宮)星 揚子
冬紅葉赤穂浪士の慰霊塔
初日さしだんだん丘の起き上がる
素つぴんのすこし澄まして初鏡
犬の綱伸びてゆきたる恵方かな
家族分の輪ゴムの括り賀状来る
買初の本のにほひを開きけり
初電話少し遠くに父の声
春待つやさらさら青き砂時計

 聖樹 (浜松)阿部 芙美子
冬晴や園児のつなぐ手と手と手
檀家減る寺に客あり冬至梅
決心の固き子の眉寒北斗
抱つこされ聖樹の星に手が届く
火口湖の沼は五色や山眠る
ひた走る道冬空のあるばかり
蒐集の切手を足して寒見舞
悴める指ポケットの飴が触る

 枯野人 (浜松)佐藤 升子
朝刊の四コマ漫画冬ぬくし
開山の裔の堂守つはの花
川波に朝のひかりや冬桜
枯野人やをらイーゼル出しにけり
山眠る小さき口の投句箱
着ぶくれて入る古書店の二階かな
包丁を当つれば大き冬林檎
歳晩の止り木に足たらしをり



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 マフラー (松江)西村 松子
冬耕の土くれの影ほぐしけり
詩囊ゆるぶなマフラーを巻き直す
枯野行くとほき記憶をたぐり寄せ
枯野の音引きずりて貨車過ぎにけり
銀杏落葉バス終点の海の音
海鳴りに師のこゑのあり年つまる

 クリスマスカード(中津川)吉村 道子
日の当たる冬田のにほひ翁の日
クリスマスカードに富士の切手貼る
雪雲の野麦峠へ近付きぬ
三尺の杉玉木曽の雪催
ポインセチア抱へて夫の帰りけり
手話使ひうたふ幼児クリスマス

 日のぬくみ (藤枝)横田 じゅんこ
葱提ぐる信号待ちの男かな
更け来たること忘れをり炉を囲む
小包の紐とく膝や年つまる
染物師悴む指を火にほどく
日のぬくみここに集めて冬牡丹
正月や漱石スーツ子規和服

 鴨の陣 (多久)大石 ひろ女
残照の湖のさざ波冬紅葉
潮入の川知り尽くす鴨の陣
千羽鶴折る病室に聖夜来る
朴落葉十一文を重ねけり
裸木となりゆく夜の風の音
冬満月獣が庭を通りけり

 初雀 (群馬)鈴木 百合子
干蒲団叩き榛名嶺響かせり
大いなる夕日離さぬ枯芒
仕舞湯の柚子に首筋くすぐられ
数へ日やレジの周りの電子音
ひとひらの風花眉に受け止むる
苔むせる父の句碑の辺初雀

 冬菜畑 (浜松)坂田 吉康
木がらしや小さき画廊にムンクの絵
物の怪の何処にひそみ山眠る
マンションの影の被さる冬菜畑
読み止しに眼鏡をはさむ漱石忌
文鎮に龍の浮彫虎落笛
太白の一際白く枯野かな

 握力 (宇都宮)松本 光子
蛇穴に入る千体の石佛
乾杯はオレンジジュース文化の日
針を持つことの久しく一葉忌
握力を測る勤労感謝の日
留守がちの窓辺にポインセチアかな
極月の手帳に余白なかりけり

 銀杏散る (牧之原)坂下 昇子
佇めば我へ我へと銀杏散る
黄落の真つ只中にゐて寂し
風の後追うて駆け出す落葉かな
箒目の流るる方へ枯葉舞ふ
また一つ星の生まるる枯木立
まつ先に虻の見付くる枇杷の花

 五郎助 (浜松)大村 泰子
一陽来復ハム工房にワイン買ふ
五郎助の森の静寂やぶりけり
カフェに置く李朝の簞笥冬ぬくし
鰹節を削る炬燵に背を向けて
年つまる長きブーツを磨きたり
橋くぐる漁舟や寒夕焼

 風花 (鳥取)保木本 さなえ
年つまる煮干しの頭ほろ苦し
ポストまで足跡つけて今朝の雪
朴落葉掃かず一枚づつ拾ふ
初夢の母の手とればやはらかし
風花の吸はるるごとく海に消ゆ
御降りの松葉の先の雫かな



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
村上尚子選

 野田 美子(愛知)
巻き上がる銀杏落葉の中に我
霜月の水に筆の穂ほぐしたり
臘月の列車傾き過ぎゆけり
鉄瓶に錆の出でたり開戦日
プラントの煙溶けゆく冬の空

 浅井 勝子(磐田)
長生きの善しや悪しやと納豆汁
ぽつと手の空き数へ日の月曜日
虎落笛雲を飛ばしてをりにけり
重宝の鍋を磨きて年惜しむ
父母の忌や風の師走のどんづまり



白光秀句
村上尚子

巻き上がる銀杏落葉の中に我 野田 美子(愛知)

 銀杏は色付き始めから印象深いが大木ともなれば一層人目を引く。冬になると梢から散り始め地上を色取る。しかし風が吹けば風の意のままとなる。「巻き上がる」とは余程強い風であろう。作者はその中に一体となっている。過去の句は散った様子で終っていることが多いが揚句は異色とも言える。読者は自分がそこに居る様な感覚に捕らわれる。
  鉄瓶に錆の出でたり開戦日
 昭和の時代に火鉢に乗っている鉄瓶を見ることは珍しくはなかった。「錆の出でたり」はその歳月を語っている。最近は鉄瓶すら見ることも少なくなり、「開戦日」も忘れられつつある。日本人としてかつての戦争と貧困は決して忘れてはならない。

父母の忌や風の師走のどんづまり 浅井 勝子(磐田)

 「どんづまり」は接頭語の「どん」を付けて師走のいよいよ押し迫っていることを表している。その頃に亡くなられたご両親の忌日である。上州のからっ風は広く知られているが、遠州地方でも負けないほどの風が吹くことがある。あの日の冷たい風の中での出来事をしみじみと思い出している。
  長生きの善しや悪しやと納豆汁
 二〇二三年の世界平均寿命の一位は日本だった。喜ぶべきことだが日本の人口は年々減る一方で高齢化に歯止めが掛からない。しかし個人では為す術もない。
 納豆汁は山形岩手などの自慢の郷土料理として知られており、栄養面でも申し分ない。熱々の椀を手にする作者の呟きが聞こえてくる様な気がする。

刃物砥ぐ間も冬の日の移りけり 鈴木 利久(浜松)

 「冬の日」は日差しそのものと、冬の一日を差すがこの句は前者。又刃物にも色々あるが、これは鎌等の外で使う物を想像する。砥石の上で動く手元の日差しを見て冬の日の短いことを実感している。

着ぶくれて郵便局へしげしげと 高橋 茂子(呉)

 「着ぶくれ」は動作の鈍さやマイナスの印象が強いが、そうではないところに注目した。手紙が来たらすぐ返事を書き、一刻も早く相手に気持ちを伝えようとする作者の人柄を垣間見た思いである。

歳晩の空を余さず星光る 山田 哲夫(鳥取)

 星空は一年中見えるはずだが、年の暮ともなると色々なことに思いを巡らせる。満天の星の一つ一つと一年の出来事に思いを重ねているのだろう。「空を余さず」は感慨を代弁している。

冬の雲飛行機雲を置いて行く 大石 初代(牧之原)

 この冬の雲は晴れた空に時々通り過ぎて行く雲である。その下を一筋の飛行機雲が行く。これは上空の風の強さに気付いたことによる表現。「冬の雲」の視点の新しさが目を引く。

冬茜下降してくる熱気球 太田尾利恵(佐賀)

 ここは作者のお住まいの佐賀市であろう。茜の空から自分に向かって熱気球が降りてくるという一齣。冷たい夕日に顔を染めつつ喜んでいる作者の顔が見えるようだ。

山道に冬満月の通り道 髙部 宗夫(浜松)

 道以外の周囲の森は木々が鬱蒼としている。その中の一本の道を歩いている。月はまるで先導するかの様に道を照らしている。人が通る為の道だが、「月の通り道」だと思ったのは作者ならではの感覚である。

子の蒲団干すや電車に乗る頃か 山田 惠子(磐田)

 どこの親も帰省する子を待つ気持ちは同じである。してあげたい事はたくさんある。その準備の一つが蒲団を干すことだった。日が一杯に差すベランダへ広げている。「電車へ乗る頃か」は子を待つ母の慈愛に満ちている。

氷柱下げ列車ホームにたどり着く 高田 喜代(札幌)

 氷柱は自然の景色の中で見ることが一般的だが、この句は北国ならではの景。電車も定刻に到着することすら儘ならない時がある。「たどり着く」は寒さによる支障や困難を代弁している。

行きつ戻りつ白鳥を数へけり 渡辺 加代(鹿沼)

 白鳥が毎年越冬のために日本へ飛来してくる湖沼がある。姿を見ることに加え、その数を確かめることも楽しみの一つである。日を変え、場所を変えて見るとまた新しい発見がある。しばらく楽しみが続くことであろう。


その他の感銘句

虎落笛目玉見開く風見鶏
赤きもの一つ身につけクリスマス
義士会や墓石を照らす月まろし
柚子風呂や特別光る星ひとつ
山影の迫つて来たり冬田打
末席に着いてマスクをかけ直す
無影灯眩しく手術室寒し
寄る波の下に引く波冬の月
冬銀河父の忌なれば尚光る
クリスマス美顔器等はもういらぬ
年の瀬や卒寿二人に会ひにゆく
斐川野の畝まつすぐに芽麦伸ぶ
きそはじめ振袖に舞ふ千羽鶴
隙間風ふすまの山河越えて来る
枯蘆の河口に潮を湛へをり

福本 國愛
花輪 宏子
植松 信一
谷田部シツイ
石原  緑
藤田 眞美
砂間 達也
髙橋とし子
仙田美名代
稗田 秋美
本倉 裕子
⻆田 和子
菊池 まゆ
中西 晃子
才田さよ子


 

 今月をもって白光集選者を退任することになりました。この十年間全国の皆様を身近に思いつつ多くを学ばせていただきました。
 白魚火の伝統を守りながら、時代に沿った結社として発展することを願っております。
ありがとうございました。

 

白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 呉 高橋 茂子
冬薔薇鋏の音にこぼれけり
霜晴や消印の濃き封書あり
たそがれの雨脚早し冬木道
冬至南瓜彩ほつこりと煮上がりぬ
大年や灯す内子の絵蠟燭

 浜松 鈴木 誠
じやんけんで何時も負くる子冬の虹
オリオンが見つめてゐたり峡の村
手の平の二つ加はる焚火かな
日時計の影伸び切つて十二月
連結器のガシャンと鳴りぬ去年今年



白魚火秀句
檜林弘一

冬薔薇鋏の音にこぼれけり 高橋 茂子(呉)

冬薔薇の寒気の中に健気に咲く様は、力強さを感じることもあるし、哀れな感を抱くこともある。掲句は剪定の場面を描いているのだろうか。冬の寒さの中で咲く薔薇の強さと、その美しさが鋏の剪定の一瞬で散ってしまう儚さが対照的である。「こぼれけり」という詠嘆が、冬の静けさの中、冷たい剪定鋏の音と花びらの散る微かな音を呼び起こす。
 霜晴や消印の濃き封書あり
「霜晴や」という上五の切れから、冬の凛とした冷たさと晴れやかな空気を読者に感じさせる。「封書あり」というからには、何通かの封書のなかに消印の濃い一通の存在があるような感がある。この手紙の差出人や、中味などは句柄からわからないが、濃い消印という何気ない日常の中の景の切り取りが俳句になった。この季語は濃い消印をより鮮やかに具象化している。

連結器のガシャンと鳴りぬ去年今年 鈴木  誠(浜松)

「去年今年貫く棒の如きもの 虚子」では、年の変わり目の連続性を一本の棒に例えて描いている。掲句では列車の連結器の「ガシャン」という擬音語がダイレクトに新年へしっかりと繋がる瞬間を表現しており、力強くかつ印象的である。
 手の平の二つ加はる焚火かな
焚火の場面のある一点にフォーカスした作品。この句で例えば、幼子の二人加わるとしたらどうであろうか。悪くはないが、焦点が定まらない常套句になってしまう。掲句は、よく観察して焦点を絞るという俳句のセオリーに沿った作品といえる。

花八手飛石わたる下駄の音 妹尾 福子(雲南)

「花八手」はとても地味な花だが、生命力、および冬季ならではの美しさを感じることもある。この花の咲く庭に、「飛石わたる下駄の音」という動的な描写が加わることで、静かな庭に生き生きとした人の気配がもたらされている。下駄の音をきっかけにして時間や空間が一瞬にして動き、庭の静寂にアクセントを加えている。この庭内の静と動、自然と人間の関わりが描かれている。

雪女ウオッカを抱いてやつてくる 白井  雄(愛知)

雪女は日本の民間伝承に登場する霊的な魔物である。しばしば人々を凍らせて命を奪う存在として描かれ、俳句でも様々な場所に神出鬼没の登場をするのである。掲句はウオッカという酒を取りあわせたことで、常套句の範囲を超えている。そもそもウオッカはロシアをはじめ東欧、北欧を起源とするアルコール度の高い蒸溜酒。 雪女がこの酒を抱いてくるという描写に、奇妙さやユーモアが少なからず込められている。いまや雪女も海を越えて大陸からもやってくる。まさにインバウンドの時代である。

被爆樹の冬芽にひかりあたりをり 佐々木智枝子(東広島)

素直な客観写生句であり、被爆樹に思いをよせる作者の心持が冬芽に語られている一句である。深読みかもしれないが、昨年末、日本原水爆被害者団体協議会へノーベル平和章が授与された。戦後ようやくその貴重な活動が全世界に認められた。この句を一読して、そんなことを背景に感じられる方が多くおられるのではないか。掲句は尊い一句と思う。露骨に反戦を叫ぶような俳句はいただけない。

冬凪や皿に一尾の深海魚 青木いく代(浜松)

冬の静かな海の情景を背景にした一句。冬凪は実景ではなく、作者の心象風景なのかもしれない。一方、「皿に一尾の深海魚」という具体的な描写は、深海からの来訪者のような、少々不思議な雰囲気を生み出している。この取り合わせにちょっとシュールな感じを受ける俳句である。

求められ聖夜のラストダンスかな 中村 早苗(宇都宮)

聖夜という神聖な時間に、ラストダンスを踊ることは、感傷的な意味合いがあろう。このダンスはその時間が限られていることや、その後の余韻や別れが予感できるからである。誘われてではなく、求められがこの場面に相応しい措辞である。人生の一瞬一瞬は大切なものである。

大皿に引力で盛る芋煮かな 田中 一恭(旭川)

この俳句は、芋煮という素朴な料理を「引力で盛る」と表現することで、芋の存在感や重さや力強さを強調している。芋煮を皿に盛る表面的な場面だけを詠んだら、単なる食事の準備の一句に終わってしまう。俳句の誇張表現には賛否はつきものだが、ここぞという場面での目端の効いた誇張はインパクトがある。


    その他触れたかった句     

山眠るまだ読み掛けの文庫本
香煙の絶えぬ義士塚冬日和
膝揃ふ曽孫九人へお年玉
駅伝や吾にも風のある如く
冬ざるる屯田兵舎土間広し
宿坊に白黒テレビ山眠る
ゴム長とゴム前掛けと頰被
千社札の縦よこ斜め冬ぬくし
湖を揺さぶつて搔く寒蜆
熱の子の代役はパパ聖夜劇
堀を行く女一人の炬燵舟
ときどきは目ざめてをりぬ浮寝鳥
己が影踏みしめてゆく年の暮
黒雲の奥なる初日疑はず
病人と思へぬ程の初笑

松永 敏秀
植松 信一
田中 知子
塚田 康樹
山羽 法子
川上  勝
斉藤 妙子
加藤 雅子
福本 國愛
鈴木けい子
江角トモ子
高田 喜代
中田 敏子
大滝 久江
榎並 妙子


禁無断転載