最終更新日(Update)'06.08.26
 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第611号)
H17.12月号へ
H18.1月号へ
H18.2月号へ
H18.3月号へ
H18.4月号へ
H18.5月号へ
H18.6月号へ
H18.8月号へ
H18.9月号へ

    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    村上尚子
旅人主宰近詠仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
       
林 やすし、井上栄子 ほか    
13
・白魚火作品月評    水野征男 40
・現代俳句を読む    渥美絹代  43
百花寸評    田村萠尖 46
・俳誌拝見 (氷室)      森山暢子 49
・第14回「みづうみ賞」作品募集について 50
・こみち(スローライフ)  中山まきば 51
・能美百合子氏逝去 52
 句会報「佐賀白魚火合同吟行会」 54
・「燎」「若竹」「田」転載 56
浜松白魚火総会  島田愃平 57
 白魚火飯田・中津川合同句会の記   後藤よしこ 58
・俳句文学館転載 60
・今月読んだ本       中山雅史       61
今月読んだ本      影山香織      62
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     渥美絹代、大庭南子 ほか
63
白魚火秀句 仁尾正文 112
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  


   湖  安食彰彦

湖の風まだかたし花大根
弁当の蓋に付きたる山椒の芽
かたまりてかたまりて咲く鳴子百合
鼓草今日は良きことばかりかな
足許に咲く寄る辺なき白すみれ
黄沙降る眞言密寺の甍にも
黄沙降る細波寄する渚にも  

  

 竹 の 秋  鈴木三都夫

ひとひらがひとひらを生む落花かな
花屑の流れの帯となりにけり
咲けば散る花のやうには生きられず
田植機に梃摺つてゐる女かな
その色のかりそめなれど竹の秋
祝はるる子の無き母の日なりけり

   
  躑躅燃ゆ  石橋茣蓙留

山吹や英訳源氏物語
誰訪ひてひたすら歩む春の闇
亀鳴くや電気仕掛の犬の顔
心中の革命躑躅燃えてをり
桐の花寿命と余命天秤に
革命の五月や朝の団子虫

 浦 島 草   笠原沢江

花見客降りて一輌離さるる
山内の物もて造る花御堂
帆を上げて浦島草の一と溜り
山帰来咲いて狭まる木の根径
竹の子の包みずつしり湿りをり
乗用車畑に停めある茶摘季


  柏 散 る   金田野歩女

お地蔵の肩よりしづる春の雪
はだれ野や蝦夷栗鼠鞠のごと弾み
春禽や裏山日に日に膨らみぬ
蕗の薹持ち変へて手を繋ぎけり
柏散る墨の薄れし道標
玉葱に泣かされてゐる人磨忌


    春  嶺   上村 均

ゆるやかに春嶺の裾海に入り
桃咲くや峻岳空に競ひ立つ
山桜奥宮目指す杖を借り
チューリップ石の小人が楽奏で
戸口より湖まで数歩月朧
本棚の句集抜き出す春の夜     
 


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    仁尾正文選

林やすし

遠足の誰れもが触る仏足石
受け口の魚拓ばかりや万愚節
歌垣の山とつたへて春の虹
出たがりの犬先立てて花の昼
   悼
春雷の斯くいつまでも鳴ることよ


     井上栄子

奥山に一軒屋あり遅桜
夜桜や男ばかりの歌聞ゆ
姫神に男ぜんまい長けてをり
百姓の早風呂をたて菜種梅雨
燻炭を買ひ来て菊の根分けかな


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


浜 松  渥美絹代

鳥帰る幾筋もある塩の道
一八やよき風とほる母の家
鳥雲に入るや飯場を解きし跡
堂裏に聞けり松蝉一度きり
青葉木菟鳴きて八十八夜かな


島 根  大庭南子

鈍行の汽笛遥かや林檎咲く
鍬浸す筧の水もおぼろかな
廃屋多き小集落や木瓜の花
ケビンの窓どれも開けあり木の芽晴
女生徒の抱くチューバに花の影



  白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ


鳥帰る幾筋もある塩の道 渥美絹代

 「敵に塩を送る」は上杉謙信が塩不足で悩む宿敵武田信玄の甲斐に越後の塩を送ったという故事で知られている。海のない甲斐や信濃,美濃や飛騨等では近世塩を手に入れることが大事中の大事であった。
 塩の道は,太平洋側からの南塩ルートが,相良・秋葉山ルート,三河・足助ルートなど七ルートあり,日本海側からの北塩ルートは糸魚川・千国ルート他があった。
萬緑や古志の国より塩の道 一都
は千国ルートを詠んだもの。
雁の列しばらく塩の道に沿ふ 正文
は相良・秋葉山,フォッサマグナの中の青崩峠ルートでの作。このルートは秋葉山詣の信仰の道であり,絹の道,お茶の道でもあった。今も所々に当時の塩の道が残っているが,至る所に急坂がありくねくねと曲り,人馬一体になって塩を運んだ苦難が偲ばれる。
 一都,正文作と頭掲作は勿論個別の作品であるが,塩の道への思いは同じだといっても差支えない。それだけでなく一般に,有季定型の伝統俳句は,極端に言えば殆んどが類想だといっていい。同一民族の日本人が四季の移り変りの正しい国土の中で季節を通して抱くものは当然似たものになる。そこに〇・一パーセント程でも新味が出れば俳句は新しくなっていっているといってもいい。(但し類句はいけないが)。現代俳句と元禄の俳句を見比べてみるとよく分るであろう。
 昭和六十二年に俵万智氏が出した歌集『サラダ記念日』は斬新な口語短歌で,その年の歌壇の賞という賞を総嘗めにし二百何十万部も売れた。この天才歌人により歌壇は一変するのでないかと思われたが,二千年の歴史を持つ和歌の根幹は揺るがなかった。俳句においても同じ。新しいものへの挑戦は大事だが,俳人挙げての地道な精進が大事である。

歌垣の山とつたへて春の虹 林やすし
                       (白光集)
 上代男女が山や市に集って互に歌を詠み交し遊んだ行事が歌垣。一種の求婚方式で性の解放が行われた。掲句は歌垣があったと伝えられている山を仰いでいると春の虹が懸っていた。一句は「春の虹」を眩しんだ作者の心がよく伝わってきた。
 万葉集に高橋虫麻呂の「筑波嶺に登りて耀歌をせし日に作れる歌」として「(略)未通女壮士の佳き集ひ かかる耀歌に 他妻に 吾も交らむ あが妻に 他も言問へ この山を 領く神の昔より 禁めぬ行事ぞ 今日のみは(略)」がある。掛け合いの佳歌を詠んだ者に人気が集ったり,舞や会話で意気が合えばその夜は公認で自由に性が開放された。
 ちまちました現代人にとって古代人の大らかさは憧憬であるとこの句は言っているようだ。

鍬浸す筧の水もおぼろかな 大庭南子

 この作者は白魚火歴は長くないが,本格的な俳句修練を永年積んできたであろうことは作品を見ればすぐに分る。
 夕霞が夜の帳が下りると朧となり,人々は「春宵」とは少うし違う情緒を覚える。その心の色合いが「鍬浸す筧の水」で,具象化がよく果されている。春耕の後の軽い疲れを筧の落す水のひびきが癒してくれるのだ。漠々とした「朧」の情感をはっきりさせたところにこの作者の容量を感じる。

姫神に男ぜんまい長けてをり 井上栄子
                       (白光集)
 富士山の祭神は木花之開耶姫。三瓶山も佐比売というから姫神であろう。これらは山自体が神であるが掲句はそうした姫神を分祀した祠であろう。すぐ近くに男ぜんまい(食用にはならぬ)が長けて葉を拡げている。一つ一つは何でもないものであるが,これが取り合わされると俄然面白くなった。視覚から姫神の「姫」と男ぜんまいの「男」が何となく艶冶。言葉には言霊というものがあるといわれるが,文字にも何か不思議なものがあるような気がする。ためにこの一句は少しユーモラスにもなった。

旧暦の桃の節句の宿場町 鈴木桂子

 今年の旧暦の雛祭は三月三十一日。大宿場であった浜松が都市化が進み宿場の面影をすっかりなくしたので掲句は磐田市の旧見附宿であろう。ここには梲(うだつ)の上った家が連って宿場町の名残がある。家の中を覗いてみると雛壇が飾られ桃の花が見え幼児の頃がなつかしく思えた。
 掲句には動詞がない。ために言葉が少ないような感じ,つまり単純化が果され一句に速度が産れた。そうした詩形の中で作者の言いたいことはすべて表現している。秀句だ。

袖口に風遊ばせて野蒜掘る 佐藤 勲

 野蒜摘む,野蒜掘るは三月の季語であるが,この作者の住む三陸北部では四月の下旬頃であろう。この頃土地の人々は,蕗,蕨,薇,独活などの山菜採りに大童である。野蒜掘りもその一環。野蒜の一番旨いのは球根であるが箆を用いないと掘れない。厚着を脱いだ袖口に「風遊ばせて」野遊びを堪能している。永くて厳しい冬が去った喜びは一入であることを伝えてきた。

茶摘女の埒明けよろし口も手も 久保田久代

 「埒明け」は物事のはかどりのよい気さくな人のこと。明るい性格であるから,この人の周りにはいつも談笑の渦が巻いている。その上手八丁,口八丁であるから茶摘も捗り,結構重労働の茶摘みの疲れも感じさせないのである。

地球儀を廻して春の塵払ふ 澤 弘深

 地球儀の埃を払うには当然の如く地球儀を廻さなければならない。従って掲句は何の変哲もない句かというとそうは思われない。地球温暖化もさることながら,イラク,パレスチナやアフリカや東欧の何ヶ所では戦火が絶えない。そういう個所を探し見ながら埃を払っているのである。
 二年程前,ある俳句綜合雑誌に「イラク戦争と俳人の態度」というような趣旨の特集があり意見を求められた。のっけから趣旨に反対の人や返答しづらい人は無回答だったと思うが,回答者の大半は,俳人といえどもイラク戦争に無関心であってはならぬ,作品化すべきであると答えていた。が,イラク戦争の秀句はお目にかかっていない。筆者は「俳句という詩型にイラク戦争のような時事を負わすべきでない」とニベもなく否定した。もし筆者がイラク戦争を詠むとするならば,このように衣裳をすっかり変えてしまうであろう。

軒菖蒲憶良の代より子は宝 山口菊女

 万葉集巻五の山上憶良の歌
 銀も金色も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも
は古代この方現代に至る迄親心に変わりないことに感じ入る。端午の節句の菖蒲は「尚武」に語呂が合い邪気を払い健康を祈るもの。

  

   その他の感銘句
    白魚火集より
朔の潮寄せて八十八夜かな
鳥の巣の高みに見えて癒え近し
囀や法話を暫し聞きもらす
会釈して田植機道を過ぎりけり
記念樹に杖を預けて花疲れ
くる年もふたりで見たし夕桜
胴の間に一枝活けたる花見船
春筍を掘る時のみの細き径
若葉風吾子に生え初む真珠の歯
山藤の頼れるものはみな掴み
揚雲雀落つるまで目を離さざる
月の出に咲く大輪の白椿
卒園の子に貰ひたるスイトピー
一も二もなく打たれたる百足かな
おだやかな春の月なり不況なり
才田素粒子
杉田満都代
栗田幸雄
川本すみ江
島津昌苑
平塚世都子
野澤房子
影山みよ子
渋井玉子
浜崎尋子
服部遊子
曽我津矢子
田久保とし子
富田育子
竹田 環枝

    白光集より
白といふ色の全き白牡丹
日の落ちて野蒜摘みたる指匂ふ
甲斐駒は雲の中なる花の里
下萠の生命の歌がきこえくる
喜寿傘寿集うて作る桜餅
人力車枝垂桜の岸に沿ひ
蕎麦喰ふに流儀のなくて藤の風
花の山ベンチがあれば人の居て
縁談のすすむ八十八夜かな
春霞眠たさうなる遠き峯
大川原よし子
寺本喜徳
鎗田さやか
佐藤美津雄
原千恵子
吉村道子
鈴木敬子
富澤洋子
小沢房子
後藤泉彦


百花寸評
     
(平成十八年四月号より)   
田村萠尖


雪深し蟹歩きして擦れ違ふ 広瀬むつき

 昨年末から今年の二月にかけて、記録的な大雪によって各地に被害をもたらせた。
 朝から降り続く雪、掻いても掻いても降り積もり、体力の消耗も激しく除雪の巾も狭くなってきた。行き交う人も斜に身を寄せて擦れ違って行く。
 〝蟹歩きして〟の措辞が、深雪の中を互にいたわり乍ら行く人間模様をうまく表現されている。

豆を撒く気配もなかり両隣 鮎瀬 汀

 節分の豆撒きの風習は、核家族の進むにつれて少なくなってきている。
 向う三軒両隣りとよくいわれる近所でも、鬼やらう気配もなく静もりかえっている。
 春を待つなつかしい行事も、だんだんと減ってゆく淋しさがこの句の中に感じられる。

診察を終へて出口の焼芋屋 桑名 邦

 血圧も安定しているし、血糖値も大丈夫ですよと医師から告げられ、ほっとした気持で病院を出た。近くの焼芋屋がいつになく大きく見え、急に空腹を覚えた作者。
 下五の焼芋屋の働きによって、健診の結果まで察せられるところにこの句の良さがある。

居酒屋の灯り吹雪の道標 奥村 綾

 吹雪の中に見えかくれする灯火。それが居酒屋の灯りで、吹雪く夜の道しるべともなっている。
 居酒屋の灯りが吹雪く夜を一層詩的なものにしてくれている。雪の夜のロマンすら感じられる句。
歯切れよい挨拶交す寒稽古 矢野智恵子

 稽古着に着替え、吐く息も白々と互に挨拶を交す道場での情景が目に見えてくる。
 歯切れのよい短い挨拶。若者たちの寒さも跳ね返すエネルギーが、直に伝わってくる心地よい句である。

風花の空が夕焼してをりぬ 荒木千都江

 〝かざはな〟というひびきから、雪に関連する季語の中でもっともやわらか味のある美しさを感じさせてくれる。
 夕焼のはじまった空に舞う風花の優美さを淡淡として捉えられた詩情ゆたかな作品である。 水原秋桜子、加藤楸邨、山本健吉監修の日本大歳時記の風花の解説の中に、上州地方では、脊梁山脈を越えて晴天に雪片が飛来することがあり、それを土地では吹越と言っている。と書いてあるが、土地の者からすると、風花よりも吹越の方が荒っぽく、時には谷の日を奪い雪片が強く吹きつけてくることすらある。やはり風花と吹越とは一味違ったものとの実感が強いのである。

里道に銀の小流れ猫柳 丸田信子
 まだ色づかない早春の里道に沿って、猫柳が花穂をつけている。猫柳の花は、やわらかく滑らかな銀ねずみ色をしており、日に輝く小さな流れのようだと作者は詠じられた。
 〝銀の小流れ〟とは粋な表現で、猫柳の特長をたくみに捉えられている。

大寒や更地となりし老舗跡 中村美奈子

 系列下の大型店の進出が田舎町まで波及してきた。その煽りを受けて客足は次第に減って、老舗もついに閉鎖する羽目となった。
 更地となった老舗跡に立ったとき、大寒の風が一際身に沁みるのだった。
 身につまされる思いの句である。

忘年会鹿一頭を手土産に 野村智子

 鹿一頭を忘年会の手土産にした。作者は旭川の人。さすがにやることが大きい。
 北海道には鹿が多いとは聞いていたが、掲句に接しその思いを一層強くした。
 忘年会の句としては異色のもので、おおらかな明るさのある作品である。

吾が畑のものふんだんにおでん鍋 永瀬あき江

 寒い夜のおでん鍋は格別である。
 家中揃ってふうふうおでんを吹きながらの食事は至福の一刻である。
 鍋の主役の野菜類はすべて自家生産の新鮮なものばかり。
 ふんだんにの表現から作者のお宅の家族構成まで想像され、おでん鍋の大きさも目に浮かんでくるような楽しい句。

往還を行くねんねこの足見えて 荻原富江

 忘れかけていた〝ねんねこ〟の句に出合い、なつかしさと同時に過ぎ去った歳月の長さを思いおこさせてくれた。
 ねんねことは、赤ん坊をおんぶするための小さな掻巻、別にねんねこ半纏、子守半纏とも言っていた。
 今どき珍らしいねんねこ姿を見た作者の目が光った。ねんねこから足が見えていたのだ。この発見が往還へと結びつき、古き時代を偲ばせる句となった。

凧高く上げて男を上げにけり 藤田ふみ子
 掲句に出合って、筆者の少年時代がなつかしくよみがえってきた。
その当時は凧上げが盛んで、自分の家で作った凧が主流であり、中には飛行機の型をしたものまで作り、桜の木の皮や、ゴムを使って唸りまで工夫するという凧ブームの時期であった。 去る五月五日子供の日のテレビ放映で、浜松市の町内あげての凧上げの状況が紹介されていた。その盛会さに驚きもし、なつかしさもをも感じた。無数に乱舞する凧、凧、凧、その中にあって他を寄せつけず高々と上った凧に、男を上げた誇らしそうな姿が句の中に見えてくるようである。

母の文字沢庵石に残りけり 海老原季誉

 沢庵漬けの重石に墨で書かれた母の文字が残っていた。どんな字が書かれていたのだろう。塩の量かな、漬け込んだ日付かなと想像しただけでもなつかしくなってくる。
 母への思いを今に継ぐ心を打つ句である。


  筆者は群馬県吾妻郡在住 


浜松白魚火総会
島田愃平

四月九日に浜松楽器博物館研修室にて、仁尾主宰、鈴木三都夫先生をお迎えして総会ならびに総会句会をおこないました。
 会員一二六名中、八三名の会員が出席し、仁尾主宰、三都夫先生から祝辞をいただき総会に入り、人事、予算決算、来年度行事などが討議されました。
 執行部より、六月の全国大会について報告し、浜松白魚火の総力をあげ、来浜される会員に満足していただける会にするため会員各位の協力を要請しました。
 そのあと十七年度の各賞受賞者の表彰を行いました。引き続き、総会句会が行われ、別添のごとく特選、入選が選ばれ、三都夫先生、仁尾主宰から丁寧な講評をいただきました。
 安澤啓子さんが、白魚火賞受賞の実力をみせ、〈本降りとなり虫出しの雷一つ 啓子〉が三都夫先生からの特選一位をはじめに、全員の先生から特選、入選を受け、又互選でも十一票をとり、受賞に花を添えました。
 五時から会場を隣接の名鉄ホテルに移し、句会には御用事でお出になられなかった、水野先生からお祝辞と選句の講評を受けたあと懇親会に入りました。
 全国大会の懇親会司会者に予定されている、天竜句会の山下勝康、松沢桂、川島和男さんが軽妙な司会をされて会も盛り上がり、大笑いのうちに、全国大会での活躍を誓い合い解散いたしました。
 
特選句 


  仁尾 正文選

望遠鏡初鶯に間に合はず 景山みよ子
天辺に声忘れきし初雲雀 村上尚子
切符買ふ春の手袋一つ脱ぎ 清水和子
海抜は五百メートル麦を踏む 植田美佐子
そつけ無く男が通る寒牡丹 野沢建代


  水野 征男選

届きたる真赤な新車風光る 宮沢やよひ
宮大工目指すとふ子や春立ぬ 甘蔗 郁子
利休忌や丹念に研ぐ花鋏 影山香織
白寿なる父の盛装インバネス 甘蔗郁子
卒業の子等に隠れし母の丈 松沢 桂


  鈴木 三都夫選

本降りとなり虫出しの雷一つ 安澤啓子
二人ゐてひとつの音や緑摘む 大村泰子
豆撒くも拾ふもひとりそこそこに 鈴木敦子
行く雁のまだ見へ残る最後尾 松村智美
沈丁のわけても香る月夜かな 宮川芳子


  鈴木 夢選

一羽翔ち二羽翔ち百羽鴨帰る 長谷川千代子
本降りとなり虫出しの雷一つ 安澤啓子
ふきみその嫁にお株をとられけり 平田くみよ
天辺に声忘れきし初雲雀 村上尚子
鳥帰る乗り放題といふ切符 新村喜和子


  上村 均選
 
駅伝の走者春風残しけり 大城信昭
鳥帰る乗り放題といふ切符 新村喜和子
春寒しスープに散す溶き卵 鈴木啓子
切る紙のみるみる人となる朧 林 浩世
窯変の壺に手折りの藪椿 福田 勇


  織田 美智子選

三河湾一望にして鳥帰る 岡部章子
届きたる真赤な新車風光る 宮沢やよひ
望遠鏡初鶯に間に合はず 景山みよ子
本降りとなり虫出しの雷一つ 安澤啓子
囀や幅いつぱいに川流れ 渥美絹代


白魚火飯田・中津川合同句会の記
後藤よしこ

 四月十八日、白魚火飯田の皆さんがおいでいただける中央道中津川インターのバス停へ橋場きよ、井原紀子、後藤よし子の三人でお迎えに出ました。
 にこやかな七人の方とお会いして、その足で中津川の高台にあります夜がらす山荘長多喜へと向かいました。中津川の出席者はみんなここで待っていてくれて、早速庭へ通させていただきました。ここは、天皇陛下が皇太子の頃に御宿泊になり、木曽の神宮美林へと向かわれた名園です。あたかもこの日を待っていてくれたかのように、つつじ、花桃、辛夷が咲きそろっていました。加えて桜が少し散り初めていて、この時季にこの庭に立てることなどめったにない美しさでした。
 落花を肩に草庵の潜り戸を入りますと炉がしつらえてありまして、虚子や牧水の古きよき時代の鳥屋の句や歌など詠まれたものが残されてました。草庵の前庭にその碑が建てられていて、二三片の花が散って来ました。建物や庭も当時のままに残されてありますので、文人が好んで来られる宿です。折から鶯が鳴き親睦句会日和と申しましょうか春を満喫しました。 梅田嵯峨さんのお知り合いでしたので、ご厚意をいただきまして部屋へあげてくださり、お茶やお茶うけまで賜わり一同恐縮しました。飯田の方達からの御心づくしの名菓もここでいただきながら自己紹介などしまして、もうずっと以前からのお友達のような雰囲気になりました。時間よ止まれと心から願ったことでした。こんなお持て成しを受けて心を残しつつ会場へ向かいました。
 途中桃山公園に、花も咲いて珍らしい岩がありますので立ち寄りました。会場のディア中津川へ着き、コーヒーで一息入れいよいよ今日の本番の句会に入りました。
 五句出句、これより清記のペンの音のみで緊張した空気が流れました。
 七句選でしたので、みんなよい句が出ていて選にも困りました。互選にはみんな大きな声で名乗り合いました。井原紀子さんが名札を作成、各自の前に立ててもくれましたし句会の進行しやすいような手配してくれて、お互いの顔と名前がよく判ってスムーズに会が運んだと思いました。
一略字を使わない、清記を正しくする
一送りがなについて、名詞は送りがながいらない場合が多い
一いらない言葉を削る
一説明的に思いを述べないで物に語らせ季語に語らせる
 橋場きよ先生より、以上のようなきびしくてそして心あたたまる御指導をいただきまして、みんなも頷きながらこれからの作句の励みになりました。



狂言の笑ひ稽古や山笑ふ 橋場きよ

  橋場きよ特選

鶯のよく啼きシーツよく乾く 井原紀子
草笛や大きくうねる千曲川 吉村道子
野遊びや椅子取りのごと保母の膝 杉浦延子




  
各人一句
土筆野に二日ほどして出る疲れ 橋場きよ
岐阜蝶や春の女神の名を持ちぬ 伊東美代子
花筏水の形のなすがまま 井上科子
風生の謳ひししだれざくらとも 井原紀子
木馬道朽ち木苺の花白し 梅田嵯峨
随神の弓矢古りけり花の昼 大澤のり子
春祭里の言葉をしばし聞く 大野洋子
白炎の辛夷は闇を眠らせず 大山清笑
紅梅がひらりつくばひ万華鏡 後藤泉彦
幣こぶし恵那はいづこも水流れ 後藤よし子
さざなみにつがいの鴨のすべりゆく 佐川春子
神坂なる信濃比叡や幣こぶし 菅沼公造
青々としやきしやきと蕗煮あがりぬ 杉浦延子
乙女らのミュールはづみて春きざす 田口啓子
戦没の兄の慰霊や黄砂来る 早川英子
口下手の婿のお酌や春の宵 本田咲子
氏神に供え振舞ふ桜餅 松原トシエ
青空に産み落とされて紋白蝶 吉村道子



 ディア中津川の方でも句会に支障のなきように明るい部屋が用意してあり、その折々にお茶も出してくれました。この句会に当りまして中津川の会員みんなで分担して迎えることができまして、そこには友情も生まれて一つことに取り組む喜びがありました。
 恵那山に阻まれ近いようで遠いお隣りの飯田の皆さんがおいでくださり、心からうれしくこれを機に今後ともこの合同句会を繋げて行けますように、お互に切磋琢磨したいと思いました。句会終了後、四方話をしましたが、伊東敬人さんのお話もでて、飯田の皆さんのやさしさに触れて故人のお話は供養になると申しますので、伊東敬人さんを偲びました。また今年のうちにお会いしたいと飯田の方達もおっしゃってくださり、とてもうれしくあたたかい気持に包まれて会を終わりました。
  平成十八年四月
 

禁無断転載