最終更新日(Updated)'06.09.09 |
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・しらをびのうた 栗林こうじ | とびら | |||||||||||
・季節の一句 奥田 積 | 5 | |||||||||||
湖 国(主宰近詠)仁尾正文 | 7 | |||||||||||
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか | 8 | |||||||||||
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ) 田原桂子、古藤弘枝 ほか |
16 | |||||||||||
・白魚火作品月評 水野征男 | 44 | |||||||||||
・現代俳句を読む 渥美絹代 | 47 | |||||||||||
百花寸評 青木華都子 | 50 | |||||||||||
・「俳句」十二月号転載 | 53 | |||||||||||
白魚火東京全国大会 ・ 白魚火通巻六百号記念全国俳句大会グラビア |
58 | |||||||||||
・ 東京全国白魚火大会大会記 | 68 | |||||||||||
・ 大会作品 | 73 | |||||||||||
東京全国大会参加記 | 83 | |||||||||||
・ 韓国旅行(チマチョゴリ) 青木華都子 | 94 | |||||||||||
・「俳壇」十一月号転載 | 96 | |||||||||||
・俳誌拝見 (伊豆) 吉岡房代 | 97 | |||||||||||
・こみち(函館山を歩く) 吉田智子 | 98 | |||||||||||
句会報 栃木白魚火 |
99 | |||||||||||
・古川句碑探訪 天野和幸 | 100 | |||||||||||
・今月読んだ本 中山雅史 | 102 | |||||||||||
・ 今月読んだ本 佐藤升子 | 103 | |||||||||||
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ) 大野静枝、西村松子 ほか |
104 | |||||||||||
白魚火秀句 仁尾正文 | 154 | |||||||||||
・窓・編集手帳・余滴 |
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鳥雲集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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紅葉狩 安食彰彦 赤松に巻き付く蔦の紅葉かな 谷紅葉伯耆街道七曲り 黄葉透く裏大山の三の沢 山毛欅黄葉木洩日ことに美しく 紅葉狩隣りの席のベレー帽 くれなゐのいろもさまざま谷紅葉 その先に半島見ゆる谷紅葉 野牡丹 鈴木三都夫 戸袋に昼の虫鳴く茶室かな 曼珠沙華忽然として燃え失せし 日の当りきてかりそめの薄紅葉 野牡丹に日暮一日づつ早き 枯蓮の風にあらがふ術もなし 蜜柑山ひとなだれして高からず 刈田晴 三島玉絵 田の神は山へ還りぬ刈田晴 宅配便の庭に来てゐる柿日和 菩提寺の本堂障子貼つてをり 地に伏せし弥生住居や草もみぢ 新藁の注連跳ねてをり塞の神 一磴に息継ぎ場あり楝の実 冬に込る 森山比呂志 窯出しの壷光り合ふ柿日和 坊の柿極楽色となりにけり 一村の甘くなるまで柿を干す 吸ひ込まれさうな青空柚子は黄に 花野みち来て焼香の列に入る 剃刀の匂へる冬に入りにけり |
子規旧居 今井星女 朝顔や二軒長屋の子規旧居 少年の頃の画帖も子規忌展 長谷寺の萩の盛りを訪ねけり 大佛の御ん顔に霧雫 蔦もみぢ一と葉一と葉の色違ふ 又来よとトラピスチヌの薄紅葉 花八手 大屋得雄 自転車を乗り捨て零余子とりに行く 竿竹をくるりと回し柿を採る 日の当る風のかしらに柿を干す 雲の上その雲の上冬夕焼 里神楽太刀刃こぼれのしてをりぬ 雨けぶる窓の高さに花八手 落 葉 山根仙花 蕎麦の花連山紺を重ね合ふ 風と来て風と去りゆく秋の蝶 一燈をとり巻く闇の虫時雨 枝川もその枝川も水澄めり 落葉して気安くなりし雑木山 落葉聞く夜は胸に手を置きて寝る 子規忌 坂本タカ女 絵馬掛ける裏参道や狐花 獺祭てふ酒に凭るる子規忌過ぎ 石撫でて読めぬ梵字や曼珠沙華 剥き出しの仁王の臍や草紅葉 品切れの稲荷のみくじ秋黴雨 やんま過ぐ水車が水につまづける |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
仁尾正文選 | ||
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田原桂子 鴨の来て遠き湖面を輝やかす 正座して義経の菊着せ換ふる 真葛今高架の柱登り詰め 十三夜路地に小豆を炊く匂ひ 蕎麦の稲架組みをり影を濃くしつつ 古藤弘枝 歳時記にわが名を拾ふ夜長かな 牛膝したたかな根を抜きあぐね 朝顔の種熟れてゆく順に採る 秋の旅海見えくれば衿正す 玄海のここが故郷秋没日 |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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宇都宮 大野静枝 棉摘みの横一列の五十人 コーランに聞き入るつるべ落しかな 塊のやがてぱらぱら雁落つる 鳥渡る一塊もあり帯もあり しばらくは雁の渡りを見て佇てり 松江 西村松子 やつと立つ仔牛に敷ける今年藁 みづうみに風荒き日や菜を間引く 海の音山の音聞き柞散る 宍道湖の水錆びてをり冬に入る 舳先ぐいと上げ立冬の蜆舟 |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
当月英語ページへ |
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謹賀新年。昨年のこの頃は白魚火創刊六百号記念の諸行事に追われていたが、昨年九月二十四日の祝賀パーティを終え一くつろぎをして以来、今月号は早くも通巻六百五号である。白魚火の発行は一刻の遅滞も許されないのである。次の目標である創刊七百号に向かって、会員諸兄姉は作品向上に一層の精進をされると共に発行所に御声援御鞭撻をお願いしたい。 棉摘みの横一列の五十人 大野静枝 棉は東アジアが原産地で、仲秋蒴果が裂けて白い棉の実が見えるようになる。「棉吹く」といわれるこの頃「棉を摘む」というと中国人や印度人が思い浮ぶが同掲に コーランに聞き入るつるべ落しかな 静枝 があるので、中央アジアのイスラム教徒の棉摘みのようである。広い棉畑に五十人程が横一列になって棉を摘み進んでゆく。最近テレビでよく見るように、緯度が結構高いので厚くて長い衣服を着て、棉摘みの五十人が折り返すと一日が終るという程広大な畑が想像される。 今や海外詠作品は少しも珍らしくないが、この一連五句は前掲のコーランの語以外は、日本のどこの地方でも見られる景である。やたらと片かな語の多い海外詠に比し、しっくりと落着いているのは「雁の渡り」「鳥渡る」が日本と同じように見えたからであろう。 十三夜路地に小豆を炊く匂ひ 田原桂子 (白光集) 陰暦九月十三日の月すなわち「十三夜」を「後の月」等々の名称で賞でるのは古い中国にはなく日本独自である。前月の名月を堪能したので、二度目は満月でなく少し欠けた十三夜月を、という所が如何にも日本人的な風趣である。 掲句は、路地を通っていて小豆を炊く匂いに遭遇した。ふと月を仰ぐと十三夜の月であることに気付いた。席題に出た十三夜ではなく、十三夜を詠もうとする構えが少しもない。<名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉>のような苦吟の跡はない。普段の、庶民的な風雅が期せずして出た佳什である。 海の音山の音聞き柞散る 西村松子 打ち寄せる波音を聞き、木々を鳴らせる風音を聞いているのは勿論作者である。が、句の上では柞を主役にしている。つまり海の音山の音を聞きながら柞が散っていると擬人化しているがあくどさがない。「海の音」「山の音聞き」「柞散る」と一見三段切れのようであるが、上句は対句で作者の思いを伝えてきている。技ありの一句というべきである。 朝顔の種熟れてゆく順に採る 古藤弘枝 (白光集) 毎年丁寧に朝顔を咲かせている人は、きっとこのようにして種を採るのであろう。熟れ過ぎてどこかへ飛んで行ってもいけないし、未熟で発芽しないのも困る。毎日採るに適したものを熟れた順に採る。朝顔への慈しみがないと出来ないことである。 写生のしっかりした句は、しばしば象徴性をもつが、掲句も自然界の順縁を暗示しているのかもしれない。だが、そのことを殆ど感じさせない所に完成度が見える。 決論を急ぐ性なり柿の種 鈴木敬子 この作者の既作に 水になど流せぬ話梅は実に 敬子 自分史に戦争いくつ水中花 というような人事句があり、季語の斡旋のうまさを思ったことがある。人事句は述懐が多いので作者の胸の内を明すのは季語に語らせるより外にない。人事句の成否は季語によると言ってもよい。 頭掲句も、上句はこの作者らしいきっぱりとした述懐。それを受けた「柿の種」という季語が面白い。上句とはかなり距離があるが無縁では決してない。どこかに瓢々とした味もある。一面に激しいものを持つが、どこかで間が抜けたところもある。そんな作者像が浮び上ってくる季語だ。 飛石はをんなの歩幅木の実落つ 高間 葉 飛石は茶室に限らないが何処のものも女の歩幅の間隔だという。言われてみると確かにそうだろうと思う。 わが俳句足もて作る犬ふぐり 一都 は戸外に出て、よく歩きよく物を見て作句せよという先師の教えである。が、見ているようであっても見えてないものが結構多いということをこの句は示す。見えてないのは詩心に至らぬところがあるからだろう。 日程の埋まりし手帳冬に入る 中島啓子 今年の立冬は十一月七日。既に年賀状が売り出され、十二月例句会に行われる忘年会の予定も決まる。又文化祭へ出品の準備等々手帳への記載は例月よりずっと多い。手帳に一つ一つ予定を書き込む度に又一つ齢を重ねるのだという実感が湧いてくる。 燈下親し文房四宝左右にかな 増田一灯 文房四宝とは、筆、紙、硯、墨をいう。作者は燈火を明るくして色紙などの揮毫をしようとしている。硯箱を右に置き色紙を左に置いた図であるが、「文房四宝」と重々しく表現して自らを励ましている。 一番光る星探す星月夜 大作佳範 星月夜は月のない満天に星がよく輝いている夜。何十万光年というとてつもなく遠い所の星や一等星二等星等美しい星を眺めていると気宇が壮大になる。掲句はそれらの中で一番よく光る星を探し出そうとしている。 一句のしらべは七・五・五であるが上々の出来。無理に五七五にすると「星探す一番光る星月夜」となり意味が不明となる。五音も七音も一息で吐ける日本語に最も適したひびきである。七五五の名句は数多くある。 見てしまふまだ柔らかき鵙の贄 大石ますえ 鵙の贄は乾涸びたものが多いが作者の眼に入ったのはまだ何時間も経っていない贄。柔らかくて触ると動き出しそうである。「見てしまふ」は見まいとしていても目に入ってきた、うす気味悪いものだった。 着膨れて檻の外にはヒトが居る 池谷貴彦 先般NHKの放映で旭川市の旭山動物園が出た。例えば水族館。普通は水槽の外から人が水生動物を見るが、ここでは水槽の中にガラスのトンネルを作り水生動物が人を見下すようなユニークなもので興味深かった。 掲句も主人公は檻の中の動物。着膨れて檻の外に居る人間はヒトという一動物に過ぎないのだ。 コスモスの中コスモスの絵を仕上ぐ 原 和子 選者は、外来語を表記する外は片かなが好きでないと申し上げている。にもかかわらず掲句は片かな語が二つも入っている。これを秀句に抜いたのは、しっかりと計算ができているからだ。 |
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百花寸評 | |
(平成十七年十月号より) | |
青木華都子 | |
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夏つばめ速度制限なかりけり 大石登美恵 広々とした空を自在に飛び回れる夏つばめはうらやましいですね。地上は車社会、速度制限を守れない人が必ず事故を起すのです。スピードの出し過ぎや交通ルール違反者、毎日のように新聞やテレビによって悲しいニュースはいただけません。〝夏つばめ〟テレビのアンテナに要注意。 すこしいい気分になりぬサングラス 佐藤恵子 サングラスをかけて、たまには気分転換も必要なのです。洋服に合わせて、ファッションの一部にもなるのです。自分でも気付かなかった一面の発見になるのかも知れません。解放的な気分を味わうのも楽しいですね。また、夏のぎらぎらする日差しを、さえぎるためには、実用も兼ねて、一つや二つは持っていたいですね。バックの中に持って出かける小旅行も何故か浮き浮きして、人の心を明るくするサングラスには魔力があるのです。 嬉しさを秘めたる日傘回しけり 杉浦延子 嬉しさが伝わって来る一句です。日傘をさすと、つい回したくなりますね、「秘めたる」が微妙ですね。かたくなに秘めているのではなく「何か良い事あった?」と聞かれると、くるくると日傘を回しながら「実はね」と、その嬉しさを素直に話すことが出来て、嬉しさが更に心まで弾ませるのです。 熊蝉に負けて話を中断す 谷口泰子 夜が明けると同時に鳴き出すひと声が、やがて、これでもか、これでもかと熊蝉ではたまったものではありません。大事な会話、楽しい会話の中に、じいじいと割り込まれては少々腹の立つ気分になるのも解かるような気がします。しかし声を振りしぼって鳴き続ける熊蝉に「負けて」とした掲句は作者のやさしさなのです。 蝉しぐれ聞きつつコーヒータイムかな 名波綾子 同じ蝉の句でも蝉の種類も聞いた場所も違うと、自ずと受け止め方も違って来るのです。朝の涼しいうちに家事を済ませて、作者はほっとひと息、こだわりのマイカップで少し濃く、気分によってはアメリカンに、作者には蝉しぐれが癒しのコーヒータイムとなったのです。 一人言しては一人の盆支度 原 菊枝 一つ一つ確認をしながら盆支度をしているのでしょう。お盆になると帰って来る子供達の顔を思い浮べながら、一人でする盆支度も苦にならないのです。仏壇もきれいに浄めてお客さまを待つ準備がすっかり出来て、明日は迎え盆「お迎えに行きますからね」と仏さまに声をかけて、お線香を手向けて、つい一人言になったのですね。 香水の一滴仕事のけじめとし 山田秀子 朝食の準備から一日が始まって「行ってらしゃい」と出勤する家族を送り出して、お掃除、洗濯と主婦は目が回るように忙がしいのです。やっと一段落、気分を一新して、ちょっとした仕事を持っている作者は、見事に変身、一滴の香水を忘れないことも女性としての身だしなみなのです。見習わなくてはなりませんね。いつ迄も若さを保つためにも……。 何もせぬ事に疲れし暑さかな 田中藍子 地球温暖化のせいか、今年の夏は異常な暑さだったのです。何をしないでいても汗が流れて、一日中だらだらとして何もしないでいると尚疲れるのです。暑いからこそ体を動かして、動いたことによって流す汗の方が気持がいいのです。暑さに向かっていく気力で心地良い疲れになるかも知れません。 妻今日も何やらの会白日傘 浅見善平 昨日も今日もなのでしょう。いつも留守番役のご主人、「何やら」お気持が解かるような気がします。白日傘をさして、お出かけの奥様の後ろ姿が、やけに浮き浮きしているように見えて「何やら」少々気になりますね。 土用灸すゑて寄り道鰻買ふ 中野キヨ子 土用灸をすゑて血液の循環が良くなり足取りも軽く、寄り道は夕食にと肉厚の鰻を買って健康そのものの作者の姿が伺えます。やがて蝉の声から虫の声に変って、夏の疲れが出て来る頃、土用灸の効き目が持続していて夏ばて知らずの作者なのです。 のつけからリズムに乗れぬ踊りかな 古川松枝 踊りは先ずその輪の中に入ってリズムに乗ることから始まるのですが、作者は自分なりのリズムで踊りを楽しんでいるのです。周囲の目も声も気にせず、堂々と自分流の踊りに拍手を送ります。 採り頃はとうに過ぎたる胡瓜かな 渥美尚作 葉の陰に隠れて大きくなり過ぎた胡瓜は、子供の腕の太さ位になって、お化け胡瓜とでも言いましょうか、それが意外に、おいしいのです。店頭では見かけない大きな胡瓜は、歯ごたえも、みずみずしさも最高なのです。 子の熱の下がりて聞ゆ蝉時雨 中島美津子 蝉の声は耳ざわりになったり、ほっとひと息をつかせたり、短かい命を思い切り鳴いている蝉の声は最高の句材なのです。掲句、夏風邪でもひいたのでしょうか、高熱のお子さんを夜通し看病して、一夜が明けて、お子さんの熱も下がって、朝からうるさいはずの蝉時雨が、母と子を元気付けるように「じいじいじい」と安堵の蝉時雨なのです。良かった。 |
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その他の感銘句 | |
起立礼窓全開に梅雨明くる 時計みな刻のちぐはぐ夏に入る 緑蔭に歩兵連隊歴史の碑 空蝉をそつとかばんにしまひし子 朝顔の蔓が二階を覗きけり 帯ぽんと叩き浴衣の着付すむ |
山口あきを 吉澤みわ 加茂康一 石本浩子 芳村鈴子 舛岡美恵子 |
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筆者は宇都宮市在住 |
禁無断転載 |