最終更新日(Updated)'06.03.02
 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第607号)
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    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    柴山要作
十二月八日主宰近詠)仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
       
伊藤 徹、鈴木百合子 ほか    
14
・白魚火作品月評    水野征男 41
・現代俳句を読む    渥美絹代  44
百花寸評    田村萠尖 47
・田口一桜氏 逝去 50
・俳誌拝見 (曲水)      吉岡房代 52
・こみち(古寺巡り)  陶山京子 53
・「俳句」十二月号転載 54

句会報「葵句会」

55
・合同句集「実桜」出版祝賀会の記   三浦華都子   56
・「俳壇」十一月号転載 58
・「山陰のしおり」 一月号転載 59
・今月読んだ本       中山雅史       60
今月読んだ本      佐藤升子      61
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
     大石ひろ女、渡辺晴峰 ほか
62
白魚火秀句 仁尾正文 111
・平成十八年度 白魚火全国大会案内  114
・平成十八年度 白魚火全国大会申込書
・窓・編集手帳・余滴       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 戌 年   安食彰彦

日の丸のごとき初日を拝みけり
神官は朱の狩衣歳旦祭
戌年も六回目なり年迎ふ
白魚火の歳時記をまづ読み初む
国造家床の間に置く獅子頭
初仕事投句の封を切り始む
御降りに濡るる駅伝選手かな

  
  

 齢 愛 し    鈴木三都夫

ビルの影崩して鴨の移りけり
池の鴨散らばつてゐて混み合へる
作務僧の一穢の落葉許すなし
葉隠れにして南天の紛れなし
牡丹の冬芽の影は踏むまじく
齢愛し無用の用の日向ぼこ


   雪    栗林こうじ

畑に墜つ鴨のありしを妻に言はず
耳萎えの調子合はせつ年の果
一都居の取り拂はれし深雪かな
数へ日のでんと構へてゐたきもの
雪積みて十万石の堀凍つる
抱き申す賓頭盧揺らぎ廻さるる

 鰤 起 し   鶴見一石子

むささびの声してよりの籠り堂
犬吠の海鳴る神の鰤起し
雪女雪の外湯を溢れしむ
水神に水奉り実千両
如何してもとどかぬ日差し藪柑子
襤褸市にでんと置かれし臼と杵
 初 飛 行  青木華都子

ひと回り大きな夫の耳袋
鶴首の壷に活けたる実千両
駐屯地接客の間の寒の梅
初飛行乗り込むヘリの一番機
護衛ヘリ前後左右に初飛行
枯芝にヘリコプターの着地点


  極 月  佐藤光汀

軒氷柱律あるごとく雫せる
雲間より月冴えざえと通夜帰り
逝くといふ旅立ち冬木たち尽くす
極月の雪美しき十四日
極月や小銭殖して帰り来る
枯木山星屑綺羅をこぼしけり


 歳 晩    
           故 田口一桜
農一揆村史に遺る畦田豆
いつ時に散る山茶花を歎きけり
名の知れぬ虫が虫呼ぶ花八手
実万両雪を頂き三日過ぐ
日差同じ皇居天皇誕生日
燐寸の火擦りてひろがる歳新た


 初 鴉   三浦香都子

初鴉影をおほきく飛び立ちぬ
雪晴や一坪ほどの蝌蚪の沼
ふはふはと煮炊きの匂ひ雪積る
風花の似合ふ札幌大通り
零下二十度駅前の鳩の群れ
本流のところまで川氷りけり


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    仁尾正文選


       伊藤 徹

柏餅あきなふ軒のくくり猿
奈良町の家並夏めく虫籠窓
練供養散華にのびる手のあまた
奈良格子拭きこまれたる薄暑かな
春日社の拝殿に葺く菖蒲かな



     鈴木百合子

ひとまはり小さくなりし干大根
霜の夜の鉦の余韻のまだ消えず
草の戸に朝日あまねく枇杷の花
新しき帯を鳴かせり藪柑子
ふるさとの山河しづもり初茜




白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


    多 久  大石ひろ女

うしろ手で引き寄せてゐし蓮根舟
松飾終へたる指の脂洗ふ
表札を手彫りに替へて年迎ふ
書初に山水汲んで来たりけり
復元の古墳になづな仏の座


  津 山  渡辺晴峰

天辺のか細き枝に木守柿
重ね着をぬいで樵に取りかかる
節くれの木にてこずるや年木割
悴みし手で焚きつくる薪風呂
散兵線なして寄せ来る冬の涛
  


  白魚火秀句
仁尾正文
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うしろ手で引き寄せてゐし蓮根舟 大石ひろ女

 二十年程前 鳴門市の蓮根掘を見たことがある。枯蓮を刈って蓮田を干しあげているが、湿田なので掘ると水が出る。大きな柄杓で汲んでは掘り進めていた。蓮根の走り具合の見当をつけて掘るのだが短い柄の四つ鍬に体重を預けて掘り、土は一鍬一鍬後へ抛り投げていた。農機がこれ程発達しているのに蓮根掘の決定的な機械は未だないようだ。折々テレビで見るのも圧力水でジェット水流を作り泥を穿っている程度。蓮根は疵がつくとすぐ傷み出すので商品にはならず、神経を使った重労働に今も変りはないようだ。当時蓮農家へは嫁の来手がないと嘆いていたが‥‥。
 掲句は、掘った蓮根を積む蓮根舟を引っ張って手元に置いている。「うしろ手で引き寄せてゐし」は無意識にである。みごとな蓮根が今や掘り出されんとしているからだ。苛酷な蓮根掘が心を躍らせた一瞬を据えて具象的に表現したところが秀抜。

奈良格子拭きこまれたる薄暑かな 伊藤 徹
                               (白光集)
 この作者は、虚子等も行っていたように作句を一年間寝かせている。一年経って前年作を見直すと瑕瑾がよく見えるのでよい方法であるが一年間分の貯えが大変である。何時も白魚火の三月号には前年の三月に作ったものを発表していたが、今回は五月の句二ヶ月程先取りしたようだ。
 掲句の奈良格子は、格子の縦部分が太く横が細く作られた、奈良独特の格子である。縦の桟には昔馬の手綱が結えられたという。現存するのは旧家か老舗かのものであろう。
 古都奈良には国宝、重文級の社寺が多く、歳時記にも祭礼や行事が沢山採録されている。だが、一見の者が奈良へ赴いてそれらを詠みこなすことは難しい。多くは報告俳句になっているのはそのせいであろう。
 この作者の今回の一連五句の中で「練供養」がハレの祭典であるが後の四句は奈良の普段の顔である。「くくり猿」や「虫籠窓」にしても多くの読者が知っているので一句一句が身近かなものに感じられる。一連がしっとりとした情緒を漂わせているのはその為だ。

悴みし手で焚きつくる薪風呂 渡辺誠一

 薪や廃材を割って風呂を沸かしている景を折に見かける。電気やガス風呂に比し体の芯が温もり、又湯が冷めにくいといわれる。
 掲句の風呂も昔ながらのもののようだ。あるいは薪風呂に愛着があって普段は電気温水風呂だが、時々薪風呂を使っているのかもしれない。薪風呂は杉落葉などで焚きつけ細木の榾を燃し薪に燃え移らせる。寒くて悴んだ手で風呂を焚きつけているのである。
 掲句は、一見億劫な仕事のように見えるが薪風呂へ郷愁のようなものがあるよう感じられる。自分で焚いた風呂の楽しみは格別なのであろう。古きよき時代のものは大事にしたいものだ。

新しき帯を鳴かせり藪柑子 鈴木百合子
                         (白光集)
 新しい帯を下ろして、初めて締めている。まず帯を巻いたとき、さするときゅっと微かな音がする。この音がたまらないのだ。帯を締めたときにも音がするが、帯を結び終わって軽くさすったときの音が最高である。作者はこれらを「鳴かせり」と表現したのが、うまい。更に季語に置いた「藪柑子」が絶妙である。
 はらからに母はかすがひ単帯 西嶋あさ子 の「単帯」に感じ入ったが、人事句の成否は、毎回申し上げるように季語にある。

寒波来と承知の旅の眼鏡拭く 清水和子

 今年の異常な寒波による大雪で百人余の死者が出たとのことである。掲句も大雪を怖れつつも、のっぴきならぬ用ができて北国へ旅行の途上にある。
 この句の佳いのは座五の「眼鏡拭く」。何でもない所作ではあるが、上句の切迫した雰囲気を和らげている。作者も膝に置いた眼鏡を拭くことによって不安をまぎらわせようとしているかのようだ。

駅伝の終はれば箱根山眠る 諸岡ひとし

 一月二日、三日の大学駅伝、いわゆる箱根駅伝は新季語となった程関心が高くなっていて、テレビの視聴率も十数パーセント以上のようである。
 箱根駅伝が季語として通用するというので色々と試みたが成功しなかった。対して掲句は、いとも簡単に、しかも見事に箱根駅伝を詠み上げた。「箱根山眠る」が成功の因だ。

鬢頭盧廻し先頭歩む徒となりぬ 陸川直則

鬢頭盧廻しわが作らずば世に句なし 一都 
 先師西本一都のこの作品により「鬢頭盧廻し」は季語として定着し、多くの歳時記に載るようになった。正月六日、長野の善光寺では、参拝人が鬢頭盧尊者を撫でて負わせた、一年間の厄災を払い落す。荒縄で尊者を縛り、福杓子で叩きながら外陣を引廻すのである。
 昭和三十六年長野地方貯金局長として転勤して来られた先師は、毎年この鬢頭盧廻しの句を詠み沢山の作品を発表された。
相伝の季とし鬢頭盧廻しかな 一都 
もあり、門弟たちに鬢頭盧廻しが季語として永続することを望んだ。頭掲句の直則氏も今年鬢頭盧廻しの先頭に立って行事に参加し句を生した。先師が喜ぶよい供養をされたのである。

年賀状顔の浮ばぬ人一人 挟間敏子

 毎年沢山の賀状を頂くが、まだ会ったことはないが毎月の選句により名前を覚えている人は多い。ただ、年に二、三枚名前を全く知らぬ人から頂いて困ることがある。掲句は名前は知っているが顔を思い出せないもの。こちらの方が選者よりは困惑度は少し軽いか。

炭焼くや口止め近きうす煙 篠原庄治

 炭窯の中に立て並べた榾に火が付くと、後は焚口の空気孔の調節だけになる。水分がまだ多いとき煙突の煙は黒くて重い。この時今薬用にされている木酢が取れる。かくて何日かが過ぎると水分は少なくなり、煙もうす紫を帯びて軽くなる。空気の口止めの時期が近づいたのである。口止めした後は窯内の炭が冷めるのを待って窯出しをする。
 炭焼きにとっては心弾むのが掲句の頃。

アメリカの子の平仮名の年賀状 中田秀子

年賀状国籍違う孫一人 原 あや子
 孫俳句は採らぬ選者に唯一採らしたのがあや子作。この孫は国際結婚によるのであろう。対して頭掲句は孫であるのには違いないが国籍は不明。多分に日本国籍のような気がする。

葉牡丹の渦緩みなく抱き合へる 峯野啓子

 葉牡丹の固く巻いた渦。「緩みなく抱き合へる」の「抱き合へる」が先師唱導の写生だ。
 

 その他の感銘句
  白魚火集より
すつぱりと裸木となる大銀杏
あらたまの年青みつつ明けてきし
紅蓮の火菊に情念あるごとし
風鎮の釣合ひ直す水仙花
年の暮喪中はがきの乱れ来る
満ち潮や横綱晴れの大旦
冬雁や兄弟みんな離れ住む
運どんを食べて讃岐の大晦日
年の瀬の無音で動く振り子かな
着膨れのわれ見て笑ふ吾のをり
柚子香る初湯うれしき夜明けかな
手品師のやうに柿剥く厳つき手
電飾の冬木路上のミュージシャン
七草や道筋をかへ四品摘む
畳の染みは家族の日記年暮るる
木村以佐
浅見善平
大石越代
久保田久代
有田きく子
渡部八代
加藤美保
一宮草青
中村義一
石原登美乃
加藤徳伝
塩野昌治
大城信昭
藤田文子
山田敬子

  白光集より
内外にゐて窓を拭く年の暮
寒禽の神通力の眼かな
城濠に次々鴨の着弾す
若潮の静かに寄する渚かな
挨拶を背中できいて葱きざむ
十二月八日未明の読書かな
笹鳴きの二声三声あとは風
天井の竜に手を打つ寒四郎
初日の出水平線に滲み出る
田仕舞や昼の風呂焚き夫を待つ
小松みち女
宮川芳子
五十嵐藤重
曽根すゞゑ
森 淳子
重岡 愛
飯塚美代
川上一郎
田中九里夫
佐野栄子


百花寸評
     
(平成十七年十二月号より)   
田村萠尖


形だけ追はれては逃ぐ稲雀 島田眞知子

 稲が実ってくると雀たちが群れをなして田を襲ってくる。それを防ぐため、古くから鳴子、案山子などの鳥威しが使われてきたが、雀も賢くなって人と雀の智恵くらべがはじまった。筆者の地でも威し銃など使っていたが、実害がないと一度は逃げ去ったものの又やってくる。この繰り返しが稲刈りまで続いてゆく。「形だけ」の上五がうまく使われている。

運動会済みて一人の金次郎 森田竹男

 筆者が小学校に通った頃は、どこの学校でも二宮金次郎の銅像が立っていて、先生からよく学びよく働くお手本として教えられたものだった。
 平成の世になってからも、このなつかしい像が学校の片隅にぽつんと立っているのを時折見かけることがある。
 秋の運動会のひと日、家族連れが金次郎像の前でにぎやかに弁当を広げ、子供達の元気のよい声がひびきわたる。
 運動会の終了とともに、再び孤独となってしまう金次郎をモチーフにした作者の詩心を評価したい。

盛りこぼれさうな露天湯鰯雲 大滝久江

 零れそうに盛りあがった露天風呂に肩までつかり、仰ぐ空には見事ないわし雲が流れている。まさに至福のひととき。
 旅心をかきたててくれる明るい一句。

うしろ向きに歩ひて惜しむ花野かな 石原登美乃

 花野と言う言葉からくる感じは、はなやかな美しさと、晴れ渡った青空を連想させてくれる。その反面、そこに咲く女郎花、吾亦紅、なでしこ、松虫草などはどちらかといえば、つつましやかな花が以外と多い。
 出会った草花の感触を楽しんできた花野もやがて尽きようとしている。時には振りかえり、時にはうしろ歩きをしながら花野との別れを惜しんでいる作者の姿が、見えてくるような臨場感のある句。

長考の一手打ち込むちちろ虫 角市正人

 ぽんぽんと快調に打ち進めた碁の局面も難所にさしかかった。
 ああ打とうか、いやこの手の方が……と長考が続く。
 ようやく打つ手が決まり、力強く石を置く。難局を打開したかの一手。
 今まで聞こえなかったちちろの声が急に耳をよぎった。

長き夜の又始まりし個室かな 高添ふくよ

 又始まりしの又と、個室によって作者の環境がしのばれ、秋の夜の長さをしみじみと感じさせてくれる。

飛び込みし小兵の勝てる草相撲 門脇美保

 神社の祭典などで行われる草相撲の景で、その登場者が子供達であると一層面白い。
 飛び入りの小柄な豆力士が、太った相手をみごとに倒し大喝采を受けた。 
 神の国松江の作者だけに、この草相撲が活々としてきた。

ミニトマト頬ばりながら薯を掘る 滝井光子

 作者が北海道の人だけに、この句の鑑賞に二の足をふんだ。
 北海道の馬鈴薯掘りは九月に入ってからのようであるが、筆者の地では七月には掘ってそのあとに、白菜や大根を蒔くのが通例となっている。
 七月の頃のトマトは成長期にあり、フレーム育ちのトマトでなければ食べられない。 
 そこで、大歳時記を開いてみると、トマトは晩夏、馬鈴薯は初秋に分類してある。
 どうやら歳時記の上では北海道に歩があるように思われるのだが……。

胸濡らし秋の七草抱へ来し 山田ヨシコ

 秋の七草の名を言ってみて、といわれてもすらすらとは答えられないし、野に出かけても採り揃えることはむつかしくなってきた。二つでも三つでも取れれば良しと思わなければならない。
 掲句の「胸濡らし」がすばらしい語句で、下五の「抱え来し」を十分に活かしている。

両手振り台風一過の海を見に 太田昭子

 両手振りの発想によって心配された台風も無事通過し、晴々とした気持ちで、まだ波の高い海の様子を見に出かけた作者の弾むような姿が目に見えてくる。
 上五の働きで勝負あったといえる句。

秋の暮いくたびも道尋ねけり 越知隆一

 家族ともどもはじめての温泉地へ出かけたのだろうか。
 途中、思わぬ渋滞に巻きこまれ、予定より随分と遅くなってしまった。秋の日暮れは早い。先を急ぐ心が不安をつのらせ、道を何回も尋ねてしまう。
 秋の日暮れに不案内の地を旅する人の心がよく伝わってくる。

大笑ひして実を零す栗の毬 鈴木ヒサ

 栗が実を落とすさまを、人にたとえて大笑いしたからだとするユーモアたっぷりの句である。 殺伐な世の風潮の中に、こうした明るい句があることを喜びとしたい。
 この作者の次ぎの句にも心をひかれた。
名月に星あることを忘れをり

稲妻の遠州灘に刺さりけり 加茂康一

 茫茫とした遠州灘に突き刺さる稲妻の壮大さが目に浮かんでくる。
 海なし県では味わえない情景の一つで、一度は見たい願望の湧く句である。
 

     鑑賞してみたかった句
   赤くなることに一途な鷹の爪
   栗飯の栗数へつつ盛り分けぬ
   風白くなる程芒揺れてをり
   がら空きの電車の中の秋日ざし
   小望月湖に預けて帰りけり       
萩原峯子
河島美苑
島村康子
長岡みよ
郷原和子

  筆者は群馬県吾妻郡在住
禁無断転載