最終更新日(Update)'06.05.27 | ||||||||||||
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・しらをびのうた 栗林こうじ | とびら | |||||||||||
・季節の一句 金井秀穂檜 | 3 | |||||||||||
猫柳(主宰近詠)仁尾正文 | 5 | |||||||||||
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか | 6 | |||||||||||
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 星 揚子、小林布佐子 ほか |
14 | |||||||||||
・白魚火作品月評 水野征男 | 41 | |||||||||||
・現代俳句を読む 渥美絹代 | 44 | |||||||||||
百花寸評 澤 弘深 | 47 | |||||||||||
・俳誌拝見(草林) 森山暢子 | 50 | |||||||||||
平成十八年度「みづうみ賞」発表 | 51 | |||||||||||
・こみち(安らぎの通勤タイム) 星 揚子 | 66 | |||||||||||
句会報 「群馬白魚火 文月会」 |
67 | |||||||||||
・「甘藍」二月号 ・「たかんな」二月号 ・「道」二月号転載 |
68 | |||||||||||
静岡白魚火会総会記 坂下昇子 | 69 | |||||||||||
長野白魚火会 「松代吟行弥生句会の記」 陸川直則 | 70 | |||||||||||
・「俳句朝日」-三月号転載 | 56 | |||||||||||
・今月読んだ本 中山雅史 | 72 | |||||||||||
・今月読んだ本 影山香織 | 73 | |||||||||||
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載) 横田じゅんこ、梶川裕子 ほか |
74 | |||||||||||
白魚火秀句 仁尾正文 | 124 | |||||||||||
・窓・編集手帳・余滴 | ||||||||||||
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鳥雲集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
一部のみ。 順次掲載 | |
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五色旗 安食彰彦 啓蟄や農学博士講演会 甥の婚梅の日和を賜ひけり 雲の影抜けて春嶺輝けり 犬ふぐり松の根元に獣網 春うらら畑の隅の風見鶏 春潮になぶられてゐしクレーン船 白木蓮 鈴木三都夫 凍滝の一縷の水の緩みそむ 切つ先の流れを抻きし葦の角 白木蓮の百灯点す御宝前 白木蓮の影の触れあふ風の中 菜の花に見頃があれば今見頃 干潮の礁引き寄せ磯遊び 若布干す 桧林ひろ子 菜の花に夕日とどまる中洲かな 一湾の光を集め若布干す 供華の花選りゐて蝶を発たせけり もてなしや芹も三つ葉も庭のもの 片栗の花のあえかに揺れ揃ふ 青空の中より忽と雲雀落つ |
初 蝶 白岩敏秀 春の雪砂丘に高さ足しにけり 黄水仙五年二組の札の立つ かけ流す墓石の水の温みけり 初蝶の風にとまどふ翅づかひ 茎立つや市民農園ひとつ空く 住みつきし猫に餌やる鳥曇 田 螺 武永江邨 ほんのりと蜷の道見ゆ午後の川 たくらみをしてゐるさまの田螺かな 田螺這ふでこぼこ道をでこぼこに 田螺鳴く一輌電車の山陰線 雛飾るこまめな大正生れかな 大正の直立不動のひひなかな 桃の花 織田美智子 うぐひすの初音の届く父母の墓 踏青の小さき靴をはかせけり 土間に置く蓑や背負子や桃の花 手擦れたる大工道具や日の永し ちちははの山河や桃の花が咲き 茎立つや言葉足らざる悔のあり |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
仁尾正文選 | ||
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星 揚子 また一人畑に出てをり暖かし 城跡に神楽殿あり花吹雪 風を帆に受け座禅草咲きにけり 水芭蕉どこからとなく水湧きて 電車やや傾き止まる梨の花 小林布佐子 出漁の決まりて山の笑ひけり 大正を継ぐ料亭の春のれん 春禽のくる窓朝のたまごやき 花まつり京都の飴の桜色 春泥や坂を上りて小学校 |
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
仁尾正文選 |
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藤 枝 横田じゅんこ 雛壇のうしろ空箱など積まれ 剪定の手当り次第らしく見ゆ 防風だけ見ゆる目となり摘みにけり 気散じのいつか夢中の磯遊 逃げ水の上を行く子の失せにけり 松 江 梶川裕子 虫出しや百枚の田の神起す 街道に紺屋一軒木の芽風 畑を行く一羽の雉の鳴かぬまま 蓬生ふ荒鋤きの田の匂ひけり 水に浮く羽毛一枚暮遅し |
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白魚火秀句 |
仁尾正文 |
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雛段のうしろ空箱など積まれ 横田じゅんこ 幼児の頃、郷村には分限者の二、三軒を除いては段飾りの雛はなかった。尉と姥の雛の軸を掛けて、御殿雛と称するミニの内裏雛が飾られるのが一般であった。 掲句に接して雛段の幅も奥行も高さも十分な裏の空間に雛の空箱や調度の小箱が暫時置かれているということに頷いた。同時にそのことが新鮮にも思われた。毎年雛段を飾る仲間に尋ねると、殆んどがそうしていて常識的なことのようであった。ならば、こういう場面を詠んだ雛の例句も何句はあるだろうと思い『日本大歳時記』をはじめ手持ちの数種類の歳時記を開いてみたが、例句は一句もなかった。当り前すぎて詠む価値がないと一般に思われているのであろうか。 だが、例えば食事。朝、昼、晩と誰もが必ずとっていて珍しくも何ともないのであるが食事に係る作品はおびただしく、秀句も多い。 掲句に取り組んだこの作者は筆者と違い、よく知っていることではあるが、あえて着眼してみたのかもしれぬ。何れにしても筆者には掲句がとても面白かった。 風を帆に受け座禅草咲きにけり 星 揚子 (白光集) サトイモ科の蒟蒻や蝮草の花はまことに薄気味がわるい。同じサトイモ科の座禅草は前者ほどではないが、暗紫色の仏焔苞にもその気はあることはある。が、座禅草という仏教に係る名のせいか虔ましい気にさせられるのである。緯度の高い所や標高の高い寒冷地の湿地や水辺に群生する。 掲句の「風を帆に受け」の帆は、座禅草の肉穂花序(仏像に似ている)をつつむ仏焔苞。内部の花序を大切に風から守っているのである。仏焔苞を「帆」と写生したところが、印象派風の写生で一句に位を与えたのである。 虫出しや百枚の田の神起す 梶川裕子 春初めて鳴る初雷は、啓蟄の頃が多いので「虫出しの雷」あるいは「虫出し」といわれる。農民の信仰篤い田の神は、秋の収穫祭が済むと山に移り山の神となって杣に崇められる。山の講祭が冬に行われるのはその為。春になると再び田の神として山を下りてくるという忙しい神である。 掲句は、田起しにはまだ間があるので田の神が夜遊びでもして朝寝をしていたのかも。すると虫出しの雷が一喝し叩き起したのだという愉快な作品だ。なお、この句の「百枚の」は誇張。出雲平野の広々とした田ととってもよいし、棚田とみても自由である。くすぐりが効いて面白かった。 出漁の決まりて山の笑ひけり 小林布佐子 (白光集) 「山笑ふ」は「春山淡冶にして笑ふが如し」という漢詩から貰った季語。木の芽が膨んで木々が潤んだような状況を「笑ふが如し」と比喩したものであるから「浅間山笑ふ」「御岳山笑ふ」等峻岳に使うのは誤り。また元々比喩に発しているのであるから「笑ひころげる」とか「微笑む」とかのバリエーションもよくない。中には「山笑ふ」には滑稽なものと取り合わさなければならぬと錯覚している向きさえある。 掲句は選者が唱導している、まっとうな「山笑ふ」だ。 料峭や薔薇の形に盛る刺身 奥木 温子 春先のめでたい内々の祝宴であろうか。赤身の刺身を薔薇の字のように盛ったというのである。「薔薇」という字は画数も多く辞書を手離せないかもしれぬが重り合い、包み合った薔薇の花弁のような字である。「バラ」などと植物図鑑めいた表記をするものがあるが味も素っ気もない。「バラ」は造花でしかない。 治聾酒に酔ひ聞き返しをりにけり 五嶋休光 治聾酒は春の社日(春分に近い戊の日)に酒を飲むと耳の不自由な人が治ると言い伝えられてきた。 治聾酒の酔ふほどもなくさめにけり 鬼城 という境涯を嘆いた鬼城の先例があるが頭掲句は、治聾酒が効いてきたような気がして聞き返したというもの。深刻な鬼城作よりもずっと明るい。軽症なのであろう。 新顔の帳場に据る春祭 伊藤巴江 この帳場は春祭の会計係。成人になって初めて村役から帳場詰めを指示されて少し緊張しているのである。村の祭や共同作業で役を貰い、これをこなしつつ伝統を次の代へ継いで行くのである。掲句の新顔の初々しくて頼もしさに魅かれた。 黒髪に染め戻し子は卒業す 牧野邦子 男子の大学卒業生であろう。髪を色々な色に染めて楽しんでいた学生時代も終りを告げ、就職も決ったので黒髪に染め戻して卒業式に臨んだのである。卒業子の決意も一句も清冽だ。 ふらここの男の子を空に運びけり 篠崎吾都美 ぶらんこに乗った当初は少し臆病であった男の子が馴れるに従って「もっと強く揺って」とせがむのである。作者も気分が乗ってきて空高くへ抛り投げた。「空に運びけり」が秀逸である。 雪山の輝き遥か蓬摘む 加藤美保 日本アルプスにしても富士山にしても蓬を摘む頃はまだ白鎧々、晴れた日にてらてらと光り輝いている。その景を遠くに見ながら蓬を摘んでいる。 遠景を雄大に、近景を的確に描き一幅の絵を見るごとく見事な作品に仕上げた。 少しづつ春の小川になりにけり 大作 佳範 テレビの全国天気予報を見ると札幌はまだ最低気温が氷点下であったり、雪だるまのマークが出たりする。だが、そこに住んでいる人には木の根が明いたり雪解水が溢れ出したりしながら小学唱歌の「春の小川」の景に確実に近づいているようだ。待ち望んでいた春に北国の人々は心躍らせている。 鰓ぴんと張り兜煮の桜鯛 青木いく代 嬉しさの具象が「兜煮の桜鯛」である。その上に「鰓ぴんと張り」である。慶び事に作者の胸が躍動していることがよく分る。 小枝より零るる刹那鳥交る 遠坂耕筰 交尾期の鳥獣の雄の交尾権獲得争いにはすさまじいものがある。並居る雄を退けてやっと雌を得ても、その交尾は一瞬である。 掲句の刹那は仏教用語で、指で一はじきする間が六十五刹那だという。小枝から零れた雌雄が相寄るのが一刹那だと句は言うが、交尾時間の一瞬間とのイメージが重なる。 |
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百花寸評 | |
(平成十八年三月号より) | |
澤 弘深 | |
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表札は夫の名のまま年迎ふ 守屋ヒサ 毎年、新年を迎えると神棚に鏡餅を供え、夫と一緒に柏手を打って祝っていた。しかし、今年の新年は、共に祝っていた夫が亡くなっていないのである。せめて、夫の表札はそのままにして新年を迎えることとした。 新春詠ではあるが、夫のいない淋しさと夫への愛惜の情を奥底に秘めた抒情詩となった。 セータの首出るまでの児の悶え 海老原季誉 セーター(sweater)は、[汗をかかせるもの]という語源が示すように、温かくて軽く動きやすい上半身向きの防寒服で、被って着るようになっている。幼児は、頭が大きく成長が速いので、セーターなどすぐに着にくくなってしまう。 掲句の中七から下五の措辞は、幼児の様をみながら、その成長を見守リ育むという愛情をユーモラスに叙している。 小春日や猫の親仔の大欠伸 北原みどり 小春日は、初冬の頃の春のように暖かく穏やかな日和で、春よりも短く、寒さに向かう緊張が和らぐ一時でもある。 掲句では、猫の温かい親仔関係が大欠伸によって結ばれ、季語の小春日と共鳴し増幅されて、読む者の心に快く響いてくる。 干大根難なく二つに曲がるほど 森上勝夫 昔はどこの家でも大根を漬けていた。束ねて干した大根を、桶の中の塩を混ぜた糠に漬け、重石で圧した。大根の干し具合や漬け込み方の違いで、各家の味や色の特色があった。 掲句の中七から下五の措辞は、漬物の熟練者でなければ解らないことであり、流暢な調べと併せ、その知識と経験に感銘を受けた。 舞ひ散りてなほ舞ひ止まぬ枯葉かな 郷原和子 冬季には、草木の茎や枝についている葉も地上に落ちた葉も枯れ色となり、寂蓼感の漂う世界となる。 作者は枯葉に新たな生命を与え、躍動感の溢れる存在とした。上五から中七にかけての畳み掛けるような叙述と「枯葉かな」の切れ字は的確で、詩情を高くした。 身に覚えないと言はせぬ懐手 富岡秋美 懐手は、寒さしのぎに和服の懐へ手を入れることからできた言葉で、無心でいるとか、何もしないとか、拒絶するとか、傍観するなどの気持ちを表すときにも使われる。 掲句の懐手は、強く拒絶する意思が鮮明であり、季語に向けての直線的な叙述に好感が持てる。 老いてなほ夫ある幸せ寒の星 川島昭子 星は、秋から冬にかけてが明るく美しい。特に、寒の星は、寒光が鋭く、厳しいほどに鮮やかに輝いている。 掲句は、「老いてなお夫ある幸せ」という身近なものに「寒の星」という強烈な存在感のある季語をもって構成させた。この構成によって、小説的で奥深いものを感じさせられた。 煮凝りに仕あげて夫に供へけり 飯塚 葉子 煮凝りは、寒中に膠質の多い鰈等の魚の煮付けを放って置いて固まらせ寒天状したものである。この独特な舌ざわりと風味を好む夫のために、魚の煮付けから特別に煮凝りをつくり、夫への供養とした。 掲句からは、夫への深い愛情と去りし日の楽しかった暮らしのことなどが偲ばれる。 着ぶくれて母の墓前に集ひけり 舛岡美恵子 着ぶくれは、寒気を防ぐため体裁をかまわずに衣服を重ね着して体が膨らんだ状態を指している。寒気の厳しい季節には、高齢者の方が亡くなられるのも多い。 掲句は、母の忌日に親族が身なりなど構わず万障繰り合せて集われたときの写生であり、優れた人事句でもある。 路地にまで渋滞続く年の暮 吉田志希子 年の暮は、家庭では新年を迎える準備に追われ、街は歳末の大売出しや催しで賑わっている。 掲句では、「路地にまで渋滞続く」と詠いながら、「年の暮」の喧騒を鮮やかに叙述している。 年の瀬や窓拭きだけは夫の役 藤田多恵子 年の瀬は、新年を迎える準備で家族みんなが役割を分担している。平素は家事に従事しない夫も、「窓拭きだけは」と役割を担っているのである。年の暮の慌ただしさの写生ではあるが、温かい家族関係まで想像でき、魅力的な作品となった。 手鏡に息吹きかけし初化粧 伊能かつ 初化粧は、新年になって初めて化粧をすることである。鏡には、人の魂が宿るとされているだけに、息を吹き掛けて綺麗にしてから顔を映すのである。 掲句は、生活の一こまからも抒情詩が生まれることを教えてくれる。 初夢は幼い頃のこととばかり 福田芳女 初夢によって一年の運勢を占ったりする。しかし、吉夢など、めでたい夢を都合良く見られるものではない。 掲句は、初夢の句らしく明るく詠いあげられた。 七草やそこだけ土手の輝けり 宮崎隆行 七草摘みに出かけ、七草の生えている土手だけが輝いて見えたのである。だれでも経験するようなことだが、その一瞬を捉えて句づくりされたのは見事だ。 寒雀一かたまりで飛びにけり 多久田豊子 掲句は、寒雀をじっくりと観察しての写生であろう。中七の「一かたまり」の措辞が好い。寒雀の群れが飛んでいく様子が眼に浮かぶようだ。 好き嫌ひなき子に育ちちやんちやんこ 岡あさ乃 掲句は、豊かな自然環境で育った健康優良児を誇らかに詠ったものと思われる。この句の内容に即応して、句の調べも明るく、季語の斡旋も適切である。 文の来て電話もありて小正月 高添ふく代 松の内の間忙しく働いていた女性が心ゆくまで楽しむことができる小正月を迎える様子が、生き生きと詠われている。 掲句の上五から中七にかけての畳み掛けが心の昂りを伝えてくれる。 筆者は松江市在住 |
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