最終更新日(Updated)'06.10.03 

白魚火 平成17年3月号 抜粋

(通巻第606号)
H17.10月号へ
H17.11月号へ

H17.12月号へ
H18.1月号へ
H18.3月号へ

    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
・しらをびのうた  栗林こうじ とびら
・季節の一句    浅野数方
松明あかし(主宰近詠)仁尾正文  
鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
       
田原桂子、古藤弘枝 ほか    
16
・白魚火作品月評    水野征男  41
百花寸評    田口一桜   44
・現代俳句を読む    渥美絹代 47
俳誌拝見 (草炎)      吉岡房代 50
・  「白魚火賞発表」  51
・こみち(縁)  高橋京子 61
・「新鋭賞」発表 62

句会報   「円坐C」(浜松)

66
平成十八年度
    白魚火全国(静岡)大会について
  早川俊久
67
琵琶湖方面吟行報告    今村 務 70
・中央アジアの真珠ウズベキスタン旅行記   大野静枝 72
栃木県白魚火会飛山城跡吟行記   大野静枝 75
・句集評 清水静石句集「耕して」の世界 水鳥川弘宇 76
「須賀川松明あかし」県鍛錬吟行会報告 柴山要作 78
「風雪」十二月号転載  80
随筆 百度石   笠原沢江 82
・今月読んだ本        中山雅史       83
・ 今月読んだ本      佐藤升子      84
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ)
     影山香織、山口あきを ほか
85
白魚火秀句 仁尾正文 134
・窓・編集手帳・余滴
       


鳥雲集
〔無鑑査同人 作品〕   
一部のみ。 順次掲載  

 
御 殿  安食彰彦

空覆ふ大木椎の実を降らす
路地奥に吹く風の音破芭蕉
美しき鳥の名知らず冬の沼
立ち止まり鴨の動きを追ひにけり
鴨の池二つをつなぐ橋ひとつ
花石蕗や音羽御殿の夫婦像
冬桜刻は静かに流れけり
  
  

 紅葉狩  鈴木三都夫

ポケットに句帖一冊紅葉狩
源流の奈落へ落す崖紅葉
峨峨と山ダムの汀の草紅葉
千仞のダムの碧潭紅葉散る
見えてゐて素つ気なかりし返り花
引き返すこと忘れゐし紅葉狩


  冬めくや  澤田早苗

冬めくや温めてふくむ常備薬
冬めくや診療待つ間の椅子固く
冬めくや母のおさがり陽に当てて
冬めくや母が遺愛のもの羽織り
採血の針の冷たき小春かな
炉開きや老の指図の灰均らす
        

  
荒北風   水鳥川弘宇

かささぎの鋭声に寒波来たりけり
腹式呼吸課して寒夜の床の中
灘かけて一喝したる冬の雷
北風荒れて用をなさざる波殺し
浜シャワー使ふ若者寒日和
閉店の目立つ歳末セールかな


 帰り花   宮野一磴

部活の灯こぼるる銀杏黄葉かな
寄せてある河童の地蔵穴まどひ
スナックは鮨屋の二階西鶴忌
獺祭忌大歳時記を持て余す
芙蓉枯れ午から開く骨董屋
子の辞書を今も重宝帰り花


 小春日  富田郁子

小春日や散歩の犬に道ゆづる
冬うらら川のほとりに石鼎碑
千体仏に首欠けもあり花八つ手
分かち食ぶ新嘗祭のお洗米
おろち酒の次はあつあつ大根焚
短日や一番星が塔の上


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
    仁尾正文選

  奥田 積

ななかまど散り敷きてをり兵舎跡
鷹の爪干したる庫裡の外竈
教へ子を見舞ひて戻る芙蓉かな
仏像の縁起も聞いて文化の日
瓢の笛吹いて自祝の誕生日


  高橋花梗

神輿舁く男の中に女をる
荒神輿大向うより声かかる
提灯に火入れ神事や秋の雨
神鈴の鳴りづめなりしけふの月
虫残る夜をこめて舞ふ神楽かな


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選


      浜松 影山香織

秋澄むや鶯張りのよく鳴きて
蒟蒻玉干されて南信濃村
山茶花や女子大通り今日も雨
冬ぬくしじつと動かぬ鯉の髭
霙るるや膳所(ぜぜ)の灯を遠くより


      徳島 山口あきを

落葉掻く後被りの野球帽
果物の色濃くなりぬ冬はじめ
城垣の岩に貌あり石蕗の花
ゆりかもめどこ行くも橋渡らねば
手話の指輝いてゐる小春かな


  白魚火秀句
仁尾正文
当月英語ページへ

蒟蒻玉干されて南信濃村 影山香織

 蒟蒻はサトイモ科の多年生の作物。里芋と同じように日照の少ない所でも二年も三年もかかって成育し、初冬に掘られる。普通は洗って皮を剥き板状にして乾燥して常時蒟蒻が作れるようにするが、掲句は自家用のようだ。蒟蒻玉のまま軒下に並べて乾かしている。
 蒟蒻玉から直接蒟蒻を作るのには、皮を剥いて板状に切る。これを時間をかけて茹でる。茹でたものを餅搗機等で丹念に搗き、石灰乳を加えた後成形して煮沸すると出来上がる。
 掲句の南信濃村は、昨年飯田市と合併したが遠信の境をなし、フォッサマグナ(糸魚川――静岡構造線)が村を貫通している。元亀三年武田信玄が三万余騎を率いて上洛のため越えたのが遠信の国境兵越峠、青崩峠であった。
 こうした地理や歴史を知らなくても、掲句の南信濃村は絵になる。「南信濃村」があるイメージを呼び起し「ミナミシナノムラ」というしらべが穏やかな山村を浮き立たせた。
 秀句である。

瓢の笛吹いて自祝の誕生日 奥田 積
                        (白光集)
 瓢の笛は、瓢の実ともいわれ柞の木に出来る虫こぶのこと。中に居た虫が殻を出るとき穴を二つ空けるので、口をつけて吹くと、ひゅう、ひゅうと鳴る。
 統計上老人の範疇に入れられている私どもは誕生日が来ても嬉しくない。妻や子供達もそれを知っているので誕生日祝いなどは一切していない。掲句の「自祝の誕生日」も、まだ若いこの作者にしてさえそうである。一つ取った齢を確認した程度、「瓢の笛吹いて」が気持を表徴している。 同掲の
教へ子を見舞ひて戻る芙蓉かな 積  
の「芙蓉かな」が作者像をよく示している。

手話の指輝いてゐる小春かな 山口あきを

 楽しそうに手話を交わしている二人。手話のできない作者であるが、手の動かし方や表情や体の弾みから楽しいものであることがわかったのである。「小春かな」と姿よく治めた。
 採らなかった句稿の中には「縁小春」等が多かった。三音の季語に俳人は何故か二音の名詞をくっつける癖がある。「街薄暑」「風五月」「街師走」等々。言葉を窮屈にして、くっつけた物が重複感をもたらしてブレーキになっているのに気づいてないようだ。歳時記の例句を見れば一目、「小春かな」「小六月」の結びばかり、「緑小春」などは一句もない。

虫残る夜をこめて舞ふ神楽かな 高橋花梗
                            (白光集)
 残る虫がかすかな音を出している頃の神楽。夜通しの神楽というから集落挙げての祭。観衆はどの舞の仔細まですべて知っていて舞処の人々の心が舞人と一枚になっているのである。掲句は、そのようなムラの連帯と神楽の伝承に胸を張っているのだ。
 出席者が千名を越える大きな宴会のアトラクションに石見神楽が演じられたことがあった。二十名に余る演者が万全の衣装や装置をもって四十分程熱演した。しかしこれを見た出席者は最初の二、三分。後は酒を酌み交し談笑する者ばかり。演者も淋しそうであった。これは主催者の思い違い、有名な神楽なので拍手喝采を期待したのであろうが、出席者の目的は神楽を見ることではなかった。掲句の神楽が今後も伝承されて行くであろうことは観衆と一体化しているからだ。

一つ家の夫よりメール夜の長き 出口サツエ

 広い家なので夫妻は別々に居間や書斎を持っているのであろう。メールの来た合図があったので見ると、声を出せば届く隣の部屋の夫からのものであった。夫婦の茶目っ気がほほえましい。こういう句に読者は癒やされる。

鈴の鳴る遍路杖買ふ冬日和 浅野数方

 この鈴はりんと読みたい。遍路の杖につける上等の鈴は、よく澄んだ音色で百メートル先迄も聞こえる。一番札所であのすずやかな遍路の鈴を聞くと、発心の旅に出るのだという気持がおのずと湧いてくる。

猪道の湿りてをりぬ雑木山 牧沢純江

 「わが俳句足もて作る犬ふぐり 一都」は掲句のように現場に立って現場が発する声を掬い上げよという教えだ。掲句の「猪道の湿りてをりぬ」はそこに身を置かねば詠めないもの。「湿りてをりぬ」という描写は凄い迫力がある。

浅漬に柚子のちよつぴり加減かな 角田しづ代

 「柚子のちょっぴり加減」が傑作。浅漬に柚子の香が程よく効いておいしいのである。この作者の造語か、方言か。どちらにしてもよくこなれているので俳句に使える言葉だ。

山茶花のそばに新たな掲示板 大久保喜風

 恐ろしくぶっきらぼうな一句である。だが、この掲示板は地域の人々の要望によりやっと立ったのではなかろうか。それは季語の「山茶花のそばに」が明るいからだ。仮に「臘梅のそばに」では作者の思いは伝わってこない。「山茶花のそばに」は掲示板を有情にした。

神楽果て須佐之男が押す車椅子 高橋陽子

 この神楽も地域が一丸になって盛り上げていることが分かる。夜も更けてやっと神楽が終わったとき、神楽の主役である須佐之男役が身内(母親ではなかろうか)が車椅子で最後まで見てくれたことを喜び、いたわっている。心暖まる一シーンだ。

一連の柿の干場所日々変はる 奥田スサエ

 細竹に五六個の干し柿を吊した一連。冬の日を追い、風が吹けば風を追い、雨からは退避して毎日の如く移動している。作者はその手間暇を楽しんでいるのである。

火渡りや秋葉の山に小雪降る 松本文一

 有史前から人類は落雷や火山噴火等によって火を知った。命を奪う怖ろしいものである反面、火による恩恵で生活や文明が飛躍的に向上した。火を尊び火を怖れる心も亦有史前からであった。今全国各地に残る火の祭典のおびただしいこと、春夏秋冬を問わず各地で行われていることから推しはかれる。一端だけ申すと、鞍馬山の火祭は秋、秋葉山は冬、遠州の方広寺は春、京都の愛宕神社は真夏である。選者はこれらは火と人々との係りが極めて深く永く伝承されて来たのでどの火祭も季語として認めることにした。但し「二月十六日方広寺」という前書が必然である。掲句は前書なしの完璧な火祭詠である。「秋葉山」と場所が出て「小雪降る」と十二月十五、十六日にの火祭の時期も示されているのである。
 

 その他の感銘句
  白魚火集より
三瓶野のすでに雨なる濃竜胆
余生なほ身辺雑多咳をして
左手に持つ耳掻きや小六月
みどり児のうすき爪切る小春かな
吾亦紅挿せば引き立つ備前焼
ぐいと飲む新酒の枡に顔映る
十二月八日青春真盛り
冬紅葉バイクの百台来て止る
短日や大人気ないと独り言
火祭りの客鯛焼に列なして
都鳥遊覧船に蹤いて来し
自然薯を車を停めて呉れにけり
こまごまと垣根を移る笹子かな
秋祭駐在さんに餅もらふ
寄せ鍋に漁火はるか灯りけり
池田都瑠女
才田素粒子
篠原庄治
渡邊喜久江
門脇美保
新屋絹代
鈴木喜枝
清水和子
計田美保
菊地タイ子
野上 晳
沢柳 勝
鷹羽克子
大関ひさよ
増田尚エ

  白光集より
火祭のほてりを醒す霜夜かな
笹鳴きや小流れに砥ぐ山刀
喪に籠る家族に長き夜となりし
語り部の息を継ぐ時榾木足す
柿を干す母に似てきしこと言はる
いのししの足ぶらさげて山男
掛茶屋にお茶もてなさる小春かな
頼朝の海に降りこむ初時雨
大根抜き屁つ放り腰を心して
義経にどこか似てゐる菊師かな
松本光子
梅田嵯峨
鍵山さつき
海老原季誉
石川詩都女
中西晃子
榎田まき子
木下緋都女
永田松江
稲村貞子


百花寸評
     
(平成十七年十一 月号より)   
田口一桜

待ち合はす小さきバス停草茂る 森野糸子

 広い北海道ながら、ここはささやかなバス停。友を待つ間ふと気づくと、新しい草が茂り始めています。息吹きが語りかけるやさしさ。

天国かとお花畑を歩きけり 野村智子

 初のお花畑行きであったのでしょう。貴女の驚きは、思いの外のものでした。天国かと思う思いが卆直で、心中の全てを語りました。

連日の猛暑峠を越しにけり 細越登志子

 一気に攻めたてられる連日の北海道の猛暑。それがある時、峠を越したのかと感じられる肌の反応、季は移り始めたのでしょうか。

尾を引きて蛍飛び交ふ深き闇 柴田倫子

 何も目新しい言葉は一つもありませんが、蛍の姿は目によく浮かんできます。欲を言わず蛍を追う写生の目が生かされました。

電柱を登りつきたる葛の花 唐沢みつぎ

 写生の目を一層突きつめたような句です。登りつきた葛の姿を思うと、もう先行きのない道が思われて、人事ならぬ思いになります。

本堂の百畳涼し法話聞く 伊能かつ

 詣で慣れたお寺でしょう。百畳の中に身も心もゆったりとほどいているかのようで、涼しさの中は別天地を思わせます。

炎熱のポストに便り落しけり 菊間千代子

 ポスト通いの私も、あっと思いました。炎熱の中のあの赤いポスト、自分の暑さを思うばかりですが、一通の先行きが思われます。
亡母りん様宛に暑中の見舞かな 奥村 綾

 明治のお生まれであったでしょう。亡母りんの名が物語っていますが、今もりん様で届く暑中見舞い、りん様の縁が偲ばれます。

田草取り一番風呂をもらひけり 稲垣よし子

 朝に田に入れば、昼に休み、過ぎれば又田に身を曲げる。風呂を用意する側も、受ける方も深い信頼感にある。こんな姿を残したい。

あの人も爺々となりし秋まつり 久保美代子

 なんと失礼なと言いたいところ。しかし、祭に出会ったあの人とは、どんな人。もとあるところから見れば、自分に返っているのか。

炎天に目を見開きし鬼瓦 塩野昌治

 はっと気づいて驚くのは、こういう時のことではないでしょうか。普段の姿を異様にしているのは炎天。そこを見据えて生きました。

二階から誘ふ声あり遠花火 檜林弘一

 普段からの同じ二階同志のよしみが伺えます。声をかければ通じ合う距離からの知らせが楽しい。はるかな花火の色が美しい。

夕焼けの旅伏嶺をみて鎌をとぐ 多久田豊子

 出雲平田に横たわる旅伏山は、人々の神のより所、朝夕に伺う山の機嫌は天気にも通じよう。鎌を研ぐ光は明日を明るくしている。

種茄子に結ばれてあり紅き紐 名原功子

 なんでもないことのようだが、よく考えると、枯れゆく茄子と同色であってはならない。多年の農家の智恵が、紅紐に生きている。

おがら焚きまづもてなしの風呂沸かす 岡あさ乃

 おがらで風呂を沸かすとは、この上ないおどろきです。私の田舎でも麻を作りました。ぐんぐん延びて背を越す。そんな麻を刈り倒して特設場で蒸す。大変な作業をへて皮をむく。緑の皮から離れたつややかな骨の美しさ。沢山な量はからんで納屋二階に積まれましたが、ほとんどは屋根替えに使いました。そんな麻がらがもてなしの風呂に使われるとは、どんな香りを生むのでしょうか。

窓越しの風さやかなり今朝の秋 池森二三子

 普段は思ってもいなかった窓の風にさやかさを覚えるふしぎさ。ふり返って見ると、今日立秋という季節の節目の中にいるのです。

重陽や水の匂ひの風たちぬ 田村扶実女

 旧暦九月の菊の節供。人々はそれぞれの思いに菊を祝う。川の町か、かすかな匂いが風に流れます。感性豊かな流れを感ずる人であります。

炎天下阿呆天国阿波の国 高橋宜建

 踊り出したら終りを知らぬ阿波の国。阿呆が身についています。これが喜びの生きがいの国。阿呆が生きてきます。

退院や大合唱の虫のこゑ 高添ふく代

 大合唱の中の退院とは、心はずみます。虫の声が貴女の居場所を語って、感激ではありませんか。


 筆者は松江市在住
         
  

社会保険センター浜松俳句講座円坐
琵琶湖方面吟行報告

(十一月六日)
今村 務

 吟行に熱心な上村講師、阿部さん、大村さん達の主導で、今年三回目の吟行を十一月六日に実施。今回は円坐教室A・B・Cの受講生のみで、仁尾主宰、上村・清水両講師を含め二十一名が参加。大型バスにゆったりと席を占め七時半浜松を出発。吟行目的地は琵琶湖湖畔の堅田、義仲寺、瀬田の唐橋。東名、名神をひた走って竜王I・Cで降りる。豊かな近江平野を過って守山市より琵琶湖大橋を渡って、十一時半堅田に着く。守山市に入る頃より琵琶湖が右側に広がり、入江には沢山鴨が群れていた。琵琶湖大橋の右側は海の様に広く長浜、賤ヶ岳方面は霞んで見えず、左側は楕円形状に奥に細長く浜名湖より少し狭い。この内湖の周辺は近江八景中七ヶ所が点在する観光の名所史跡が多い。
 主吟行地の堅田は琵琶湖大橋を渡った処で、両湖の隘路を扼する交通の要衝である。約一時間半自由吟行する。見所は湖上の通行安全を願い千体の阿弥陀仏を収めた浮御堂、そこから見る琵琶湖の眺望。鴨・鴎は沢山見られたが、堅田の落雁と謳われた雁は見られなかった。満月寺には芭蕉の「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」の他幾つかの俳人の句碑があった。近くの千福寺の第十一代住職は芭蕉の最古参の門人千那で、芭蕉もこの寺に泊り多くの句を残している。又堅田は湖上の通行徴税権を握っていた湖族が有名で、その祖は朝鮮から連れられて来た人達と聞いていたが、湖族資料館で確かめることが出来なかった。昔栄えた堅田の町並みにその面影が残っていた。
 十三時市内のホテルで昼食、食後直ちに句会に入る。投句三句、互選五句。阿部芙美子さんの披講、上村、清水両講師の選の発表、最後に仁尾主宰の選と講評で十五時頃句会終了。
 バスで大津市中心部にある義仲寺に移動、約一時間吟行する。義仲寺は勿論この地で討死した木曽義仲の菩提を弔った寺であるが、この寺に松尾芭蕉の墓があることでも有名。大阪で死んだ芭蕉の遺言により弟子達が運んで義仲の墓に並べて葬った。その他寺内には無名庵(芭蕉が滞在し地元俳人に俳句指導した庵)翁堂(芭蕉や弟子達の座像や画像がある)粟津文庫等があり、俳句の聖地として俳人必見の史跡である。境内には芭蕉や門人たちの句碑が十九もあるが、その一つ芭蕉の「行春をあふみの人とおしみける」により如何に芭蕉がこの土地と人を愛したかが分かる。今一度ゆっくり訪れてみたい処だ。
 瀬田の唐橋は交通渋滞が予想され今回は中止し、十七時頃大津I・Cより名神に乗り帰途につく。粟津S・Aを過ぎた頃左側に近江富士が見えた。大垣-小牧間が渋滞し浜松に帰着したのは二十一時半であった。
 主催者は新しい人達に積極的に吟行の参加を呼びかけていたが、今回多数参加してくれ喜んでいる。又句会の成績も大変良かったと仁尾先生のお褒めの言葉があった。先生より吟行はバスに乗ったときから見聞するもの總てが対象であると言われたが、さすがベテランの人達は着眼点が広く感心した。
 句会の成績を下記します。

 
選者作品と特選句

 仁尾正文
秋尽くる一日近江に遊びけり
神の留守熊手箒を立て並べ
浮御堂石蓴畳に鴨を置き

 上村 均
秋雨や剥落しるき倉の壁
手入れ好き松こぞるなり鴨の湖
湖を背に芭蕉の句碑や秋深し

 清水和子
降り出して刈田明るき近江かな
初しぐれ芭蕉現はれさうな路地
みづうみの凪ぎて時雨の浮御堂

 仁尾正文特選(番号順)
風籟の冬の兆しや浮御堂  長谷川千代子
降り出して刈田明るき近江かな  清水和子
滋賀の湖水草紅葉の寄せて来し  阿部芙美子
秋雨の剥落しるき倉の壁  上村 均
渡り来る湖畔の風や秋深む  今村文子
ひと雨のありしあふみの野紺菊  大村泰子
初しぐれ芭蕉現はれさうな路地  清水和子
空と湖同じ色して浮寝鳥  栗野京子
紅葉せる柞に胡麻のごとき種  今村文子
冬鴎皆風上に顔向けて  鈴木 誠

 上村均特選(番号順)
風籟の冬の兆しや浮御堂  長谷川千代子
時雨るるや堅田古道の寺社  三井欽四郎
降り出して刈田明るき近江かな  清水和子
渡り来る湖畔の風や秋深む  今村文子
山門の脇につましき石蕗の花  三岡安子

 清水和子特選(番号順)
浮御堂の縁をぬらして初時雨  阿部芙美子
行く秋や千体仏の燭絶えず  塩野昌治
しぐるるや明かりの洩るる虫籠窓  大村泰子
冬構あるがまま立つ神楽殿  弓場忠義
志賀の浦未だ疎にして鴨の群  松下葉子


栃木県白魚火会
 飛山城跡吟行記 
大野静江

  年間行事に因る吟行会を十月三十日に催した。参加者は二十二名で、先ず飛山城主の菩提寺同慶寺に参った。城主十四累代の墓は寺の中心の一段高い所にあった。今も続く子孫の建立した墓碑は黒御影石の立派なものであった。境内は山茶花の盛りで、かたわらには一叢の零余子があり通り抜けの肩に触れて零れた。
 零余子落つ城主の墓の前にかな  黒崎タケ子
六地蔵に参れば
 秋風に頬撫でられし六地蔵  桜井イチ子
庫裡に目をやれば
 寺の児の一人遊ぶや小鳥来る  大野静枝
等思い思いに作句した。約一時間吟行後、飛山城跡に移動した。
 飛山は城が築かれる以前は、出土品から、「烽家」即ち「のろし」を上げる施設であったと推定される。築城は一二九三―九八年とされ「烽家」から飛山城となる。築城のころは戦国争乱の時代で幾度か落城がありその都度再建された。豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした後の破却の命により廃城になったとされている。
 昭和五十二年三月に国の史跡に指定されたことから公園としての整備が進められ今日に至っている。堀は六号櫓台は五箇所、将兵の詰所、木橋、塀重門等が復元され、散策しやすく道も整備された。散策の道を逸れると忽ち草虱に飛びつかれ、山百合の実の大きさに驚いたり句材は限りなくちらばっていた。十一時半には句会場に集合し、昼食をはさんで五句出句十句選で句会に入った。
 突然の体調不良で欠席された青木華都子様から沢山の賞品の寄贈があり、それを含めて全員に賞が出て、有意義に句会が終了した。

   吟行句
 溝蕎麦や鬼怒の流れを砦とし  鶴見一石子
 櫓台つなぐ土塁の草もみじ  江連江女
 秋陽入る将兵詰所の無双窓  野澤房子
 木洩れ日を拾ふ城址や石蕗の花  増山正子
 城趾より見下ろす鬼怒の水澄めり  野上 晢
 椎茸を育て城跡守りゐたる  松本光子
 内濠を攻め落したる泡立草  小川惠子
 黄落や陽もさらさらと城址かな  阿部晴江
 草虱掃ふあとにも草じらみ  小林久子
 のろし台水引草の丈短か  谷田部シツイ
 深山へと踏み入りこぼる式部の実  黒子ツタ子
 草じらみ払ふ声ありそこここに  冨澤洋子
 百合の實の拳はちきれさうにかな  星田一草
 毒茸と知りてぽんぽん蹴散らしぬ  星 揚子
 城跡やあつけらかんと朴落葉  柴山要作
 人を恋ふ飛山城址の草じらみ  斉藤 都
 城壁の暦日木の実降りやまず  高島文江
 狼煙棒指す秋天の雲迅し  加茂都紀女


栃木県鍛錬吟行会報告
「須賀川松明あかし」
柴山要作

 ◇栃木白魚火では、十一月十二(土)、十三(日)の両日、仁尾正文主宰をお迎えして福島県で鍛錬吟行会を行った。
 芭蕉の「奥の細道」の史跡を訪ねながら主宰の指導のもとに参加者一同(二十名)作句力の向上を目指し、充実した時を過ごした。
 十二日の出発時に降っていた雨も東北高速道の那須高原SAに着く頃にはすっかり止み、初冬の陸奥の風景を堪能できた。

 山装ふ喝采のごと雲涌きて  杉田満都代
 みちのくの刈田をよぎる風の舞  佐藤都葵
 天領の嶺きはやかに刈田道  増山正子
 八溝連山襟を正して眠りをり  高橋静女
 みちのくに入る冬に入る山河かな  上武峰雪

 ◇最初の吟行地到着までの時間を利用し、主宰から個人的に指導を頂くことになった。鶴見会長の発案に主宰の協力を得て実現したものである。主宰の隣の席に各人が座り、作句上の悩みや当面する課題等についての質問に主宰からご指導頂き、大変好評であった。
 ◇文知摺観音は、芭蕉が「奥の細道」の途次訪れ一句認めた文知摺石があることで有名である。現在は曹洞宗の寺院で文化財が多く残されており、芭蕉、子規の句碑もある。
 色変へぬ夫婦の松や芭蕉句碑  江連江女
 紅葉冷え香の焚きある史料館  加茂都紀女
 時雨又来てくもらする信夫摺  大野静枝
 文知摺の石に空蝉冬に入る  五十嵐藤重
 綿虫や剥落しるき多宝塔  野沢房子
 シャッターを切る間綿虫舞ひゐたる  松本光子

 ◇文知摺観音はちょうど紅葉(黄葉)の真っ盛りで、しばしこれに見とれながらも各自作句に没頭した。

 紅葉尽して一枚もまだ散らず  仁尾正文
 文知摺や散らすに惜しき紅葉山  高久都季江
 句碑の文字濡しままなり照紅葉  柴山要作
 文知摺の銀杏黄葉を栞りけり  星田一草
 クレヨンの赤より明き冬紅葉  鶴見一石子
 目の届くかぎり燃えゐる冬紅葉  池田都貴

 ◇次に須賀川市に戻り、芭蕉ゆかりの十念寺、可伸庵跡を吟行した。この時すでに武者隊出陣の太鼓が鳴り響き、松明あかしの雰囲気が盛り上がっていた。
 鵯の驚き鳴ける触れ太鼓  荒川政子
 名の木散る祭りばやしを聞きつ散る  菊地タイ子
 名の木散る墓地に墓標に句帳にも  高島文江
 冬一番風にあたりて十念寺  小林久子

 ◇市役所の敷地の一角にある芭蕉記念館で第一回目の句会を行った。五句出句、句選のため、時間が足りず主宰にはご迷惑をお掛けしたが、大変充実した句会となった。主宰の特選に入った上位三名には主宰の短冊と青木副会長よりの俳句カレンダーが贈られた。
 ◇句会終了後急いで夕食をとり待望の松明あかしの会場である五老山に急いだ。
 「松明あかし」は、その昔伊達政宗との戦いに敗れた須賀川城の武者たちを弔う伝統行事である。若者が長さ十メートル、重さ三トンの「大松明」を初め三十七本もの松明を山頂に担ぎ上げ、次々に点火するもので、陸奥の初冬を飾る風物詩になっている。特に五老山付近は身動きが取れないほどの人出で、夜空を焦がす炎が見物人の顔を赤々と照らしていた。暗い上、人込みの中での作句で苦労したが、各人感動を何とかまとめようと奮闘した。
 麓では勇壮な太鼓の演奏などもあり名残は尽きなかったが、八時に切り上げ、宿泊先の棚倉町のホテルに向かった。到着するまでの約一時間、主宰から第一回目の句会の講評と指導をいただいた。
 ◇翌十三日は白河関跡で吟行をした後、直ちに関の森公園内のレストランで第二回目の句会を行った。前日同様、主宰の特選に入った上位者には短冊と俳句手帳が贈られた。

 火祭の炬火火達磨となり倒る  仁尾正文
 松明のうしろの闇の頬被  鶴見一石子
 百丈の松明冬の夜を焦がす  星田一草
 かつ散れる紅葉を溜めし古関蹟  上武峰雪
 火祭の松明縺れ合ひ崩る  五十嵐藤重
 集合は阿部商店の冬外灯  大野静枝
 ¥平体(5)火祭太鼓女が打てる夜の紅葉  杉田満都代
 松明の煙の中の大嚏  池田都貴
 火祭の冬の裸が太鼓打つ  加茂都紀女
 立冬の犬が引きゆく車いす  佐藤都葵
 月天心一瞬の火柱宙に散る  高久都季江
 冬帽子夜祭見むと深かぶり  高島文江
 須賀川の大松明に冬来る  松本光子
 天を突く冬の火祭闇破る  小林久子
 煽られて火の粉の嵐冬の月  菊地タイ子
 凩や火祭待機の消防車  野澤房子
 大松明男の素肌冬の月  荒川政子
 火の雫落す松明冬の星  江連江女
 闇裂きし松明の火や冬銀河  高橋静女
 松明の紅蓮や山を眠らせず  増山正子
 武者松明冬空駆くるごと炎上  柴山要作

 ◇句会終了後、名物の天ぷらそばを昼食にとり、直ちにバスに乗車、主宰を東北新幹線の新白河駅にお送りした。主宰は駅に着くまで二回目の句会の講評と日頃の選句を通じて痛感されていることなどについて懇切丁寧に指導してくださった。
 主宰お見送りの後、白河城跡を吟行し帰途に着いた。この時の句は後日鶴見会長がまとめ、主宰の添削を仰ぐことになった。
バスの中での反省会では、「日程が厳しかったが主宰から指導を受けられ有意義な二日間であった。」「今後も年に一度は鍛錬吟行会を持つようにしてほしい。」などの意見が出された。 末筆となりましたが、今回の鍛錬吟行会に際し、格別のご指導、ご高配を賜った仁尾主宰初め、安食副主宰、編集部・同人会事務局に心よりお礼申し上げます。


禁無断転載