最終更新日(Update)'25.12.01

白魚火 令和7年12月号 抜粋

 
(通巻第844号)
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12月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  岡 弘文
深秋 (作品) 檜林 弘一
小さな花 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  浅井 勝子、小嶋 都志子
白光秀句  奥野 津矢子
第三十三回「みずうみ賞」発表
令和七年度 栃木白魚火 第二回鍛錬吟行会 石岡ヒロ子
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  工藤 智子、福本 國愛
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(流山)岡 弘文

おねだりは桃の缶詰ふうじやの子  熊倉 一彦
          (令和七年二月号 白光集よ)
 昔を思い出す懐かしい句だ。風邪をひき熱が出ると食欲はなくなり冷たい喉越しのいいものが欲しくなる。今はともかく高度成長が遂げられる前の昭和は冷蔵庫もなくアイスクリームはもとより季節外れの果物なども望むべくもなかった。そこで登場するのが桃や蜜柑の缶詰だ。普段は贅沢品で買ってもらえないが風邪をひいたとなれば話は別でおねだりを聞いてもらえた。ふうじやの子はこの時代の作者だろう。

来客を待つストーブのあかあかと  小村 由美子
          (令和七年二月号 白魚火集より)
 冷え込んだ冬の夕方であろうか。作者や家族は暖かい台所や居間で過ごしている。そこへ急にしばらく会っていない友から訪ねたいとの連絡が入る。片付いていない居間に通すわけにはいかない。あわてて応接間の石油ストーブの火を点ける。あかあかと燃え上がる。段々と暖まってくる。一安心。という筆者にも経験がある情景を想像した。暖かい部屋で旧知の友とは話がはずんだことだろう。

地方紙に包まれ届くかぶら鮓  池本 誠
          (令和七年三月号 白魚火集より)
 かぶら鮓は北陸金沢の名産だ。作者のふるさとは金沢か。金沢では家庭で漬けることもあるという。親戚か幼友達か縁者からお正月にふるさとの味をと送られてきたのだろう。しかも商店の包装紙でなく読み慣れた懐かしい地方紙に包まれて。かぶら鮓を味わう前に新聞のふるさとのニュースに目が止まる。ふるさとの空気と味を一度に味わった至福の時であったに違いない。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 虫の声 (出雲)安食 彰彦
捜し物してゐる吾につくつくし
卒寿子に法師法師と法師蟬
つくつくし忙しくなる今日の午后
独り居の吾になにやら虫の声
昼の虫父の墓標の裏側に
虫時雨部屋の唐紙締めにけり
虫すだく一番風呂に入りけり
足許の鳴く虫の声靴を脱ぐ

 新米 (浜松)村上 尚子
よく笑ふ人を真中に敬老日
パレットに残る絵具や秋夕焼
新米研ぐマニキュアの星躍らせて
人を呼ぶやうに木犀匂ひくる
椋鳥に追はれ夕日の沈みけり
虫の音に半歩踏み出す技芸天
行き付けのカフェなどなくて南瓜煮る
書きかけてしばし秋思の筆を擱く

 秋の雲 (浜松)渥美 絹代
病室の夫に届けよ祭笛
太梁は裏山の松盆の風
神木の影を大きく九月来る
転院の夫の見てゐる秋の雲
葛咲くや乗り遅れたる汽車の音
堂守の三坪の畑に藤袴
秋時雨針山にまだ母の針
鳴つてゐる踏切遠し今日の月

 草の命 (唐津)小浜 史都女
暮れてより畑の匂や韮の花
稲の花かぐはしけふも草を引く
肌色に馴染むマニキュア庭の秋
忘るるも生くるあかしや菊の酒
秋のこゑ薬草園に踏み入りぬ
風の来て盗人萩の紅うばふ
薬草のへくそかづらも実となりぬ
末枯の草の命の匂ひけり

 喧喧の (宇都宮)中村 國司
朽ちゐても名札は王女秋薔薇
夕霧や石修羅の句碑休めよと
露草のひとつひとつの観世音
律儀とは彼岸の入りの彼岸花
喧喧の会果てし夜や蕎麦の花
五人の子それぞれ四十路実紫
白金の雲にくろぐろ赤とんぼ
檻の鶴すこしはなれて女郎花

 浮玉 (北見)金田 野歩女
反魂草の領地果てなし虫時雨
秋彼岸考妣偲べど郷遠し
穴惑野仏古りし山路かな
浮玉のゆらゆら沖へ鮭の網
よく漬かる一口大の秋茄子
杜さやか文字堂々と開拓碑
秋空へ陽気な調べ鼓笛隊
どの皿へも酸橘を搾る阿波の人

 夜長 (東京)寺澤 朝子
虫の夜やいま月蝕の月渡る
母祥月秋海棠は母の花
取り出してただ見るだけの秋のセル
「順に逝け」伯父の遺言秋彼岸
烟るごと月日遠のく鰯雲
地に影を落として飛べり秋の蜂
院主在さぬ寺の山門名の木散る
ふたたびの夢に目覚むる夜長かな

秋の金魚 (旭川)平間 純一
合唱の男声響くきびあらし
稲穂刈る盆地の空の真青なる
吹かれつつ日を追ひたれば秋桜
月食の深夜ラジオと夜食粥
杜鵑草古りゆく北の六角堂
秋茜小さき墓地を予約せる
夜更しの秋の金魚や夜爪する
薄日差す木の腰掛にとんぼ逝く

 秋高し (宇都宮)星田 一草
新涼の風胸いつぱいにペダル踏む
秋高し山湖に浮かぶ雲の影
灯を消してひとりの闇に虫を聞く
相聞の虫の音いよよ闇深む
崩れつつ結びつつして芋の露
秋高し紺屋とんとん屋根修理
数ふればとんぼう増ゆる水の上
夕映えに溶けゆく遠嶺秋惜しむ

 十三夜 (栃木)柴山 要作
筧落つる水音さやかに地蔵笑む
三百年の幹の貫禄枝垂栗
田の色のパッチワークや国庁址
秋蟬のけふを限りと墓標杉
蜘蛛の囲のなりにびつしり露の玉
方三里遊水地てふ虫の闇
老いてこそ一日ひとひ一笑草の花
十三夜の甍白々蔵の街

 女郎蜘蛛 (群馬)篠原 庄治
廃屋に金の糸張る女郎蜘蛛
松の葉のしづくきらりと涼新た
山里のすみずみまでも豊の秋
秋暑し刈り残したる草猛る
新涼を運び込み来る今朝の風
いただきし新米匂ふ朝の膳
秋雨に背中打たるる露天風呂
畑仕事釣瓶落しの日が急かす

 秋の水 (浜松)弓場 忠義
風紋の影立ち上ぐる秋の暮
閼伽桶の家紋を濡らす秋彼岸
暁に月を残して露結ぶ
我が影の上を流るる秋の水
ねんごろに研ぎ水こぼす今年米
はらからと暮らしたる町蚯蚓鳴く
御油出でて本坂越えや藤袴
竹春のせせらぎ聞こゆひとところ

 湖心 (出雲)渡部 美知子
ここへきて秋蟬声の限りかな
見送りてまた見送られ星月夜
径ふさぐ秋の湖岸の草の丈
矢印と逆方向へ穴惑
西郷忌畳廊下を大股に
しろがねの光を散らす秋鰹
知らぬ子と秋の青空見上げをり
鳥渡る湖心の綺羅を標とし

 湖の波 (出雲)三原 白鴉
八雲忌や机の脚の細き影
去年の染み残る七輪秋刀魚焼く
のぼりゆく螺旋階段月まろし
月今宵寄せて音なき湖の波
幼鳥を真中に雁の渡りけり
日を弾く稚児の天冠秋祭
円墳の暗き羡道秋のこゑ
ホチキスで綴づる草稿秋深し

 長き夜 (札幌)奥野 津矢子
ふるさとは地球背高泡立草
底紅の暮れて鳥居の古りにけり
秋雲を集めて太る駒ヶ岳
露の玉草は草色ひからせて
長き夜の机に忙しなき付箋
秋の海いくり一つに鳥一羽
屋根石の野分に吹かれゐたりけり
朴の実や神輿舎の千社札

 饂飩打つ (宇都宮)星 揚子
こほろぎやバンダナきつく饂飩打つ
爽やかや百体仏の家族めく
丸木橋朽ちたり曼珠沙華の群れ
一匹も逸れずに進む鰯雲
潦の光る青空曼珠沙華
蓮の実の飛ぶや木洩れ日揺れてをり
くうを切るテニスのサーブ秋高し
梅擬まつ赤四五粒零れたり

 水の秋 (浜松)阿部 芙美子
集落の「月」まで二キロ水の秋
碑のいはれは知らず草の花
蟷螂のいたづらつ子の貌に似る
長き夜の鉄瓶湯気の立ちてをり
陶土打つ唐臼の音天高し
いわし雲溝を挟んで美濃の国
鏡師のみがく神獣秋澄めり
秋深し湖北に多き観世音

 深秋 (浜松)佐藤 升子
人影の遠くなりたり花野風
月明や口に出したる悔いのあり
秋彼岸虎の絵柄のマッチ箱
尖塔を鷗のよぎる爽気かな
水源に小さき祠初紅葉
鳥渡る手押しポンプの修理中
雲間より薄日のさしぬ櫨紅葉
深秋の湖へ入りゆく山の水



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 竹箒 (呉)大隈 ひろみ
山国の空の碧さや秋桜
この先はもう獣道男郎花
竹箒の音よく響く白露かな
星月夜瀬戸に散らばる島の数
行く人のまれなる小道草の花
この坂を上れば母校鰯雲

 草の花 (鳥取)保木本 さなえ
草の花いま出来ることひとつづつ
新米を大きく握り子に持たす
鰯雲砂丘を越えて海へ出る
稲雀仲間を増やし戻りくる
萩刈つて風の通路をつくりけり
村中に日のゆき渡る柿の秋

 金管の音 (磐田)齋藤 文子
蛇口より微温き水出る厄日かな
爽籟や国旗掲揚台に鳩
富士山へ向かつて歩く草の花
校舎より金管の音豊の秋
「笑点」の出囃子秋刀魚焼き上がる
霧はれて牛百頭の中にをり

 鳥渡る (浜松)塩野 昌治
ふんはりと二百十日のオムライス
トースターちんと音立て野分去る
初月や牛舎にうすき灯のひとつ
大師堂へ月光の路地抜けてゆく
鳥渡る石あれば積む石の上
手入れよき杜の土俵や小鳥来る

 台風 (浜松)坂田 吉康
桃を剝く桃やはらかく持ちかへて
針山へ闇の中よりすいと来る
台風の過ぎてかんかん照りの町
スリッパの音は夜学の彼の教師
雲ふたつ即かず離れず鯊日和
ステッキに手擦れの艶や天高し

 風立ちぬ (浜松)林 浩世
風立ちぬ九月の沼に鳥の影
寝落ちたる子に添うてゐる夜長かな
いはくらを出で磐座へあなまどひ
大楠に祈る手を触れ秋の声
神主の鳴らしてくるる瓢の笛
蓮の実発射準備のできてをり

 手書き文字(群馬)鈴木 百合子
裏庭を埋むるひとつに赤のまま
堂守は留守となりたり昼の虫
観音の御御足の先葛の蔓
蒼天を押し上ぐるかに曼珠沙華
粗壁に罅の走れり秋の風
身に入むや少なくなりぬ手書き文字

 つくつくし (多久)大石 ひろ女
つくつくしけふの命を鳴き尽くす
ひとりでに点る門灯ちちろ鳴く
ぽつねんと覚めて夜長の砂時計
純白を初めの色に酔芙蓉
もう一度行きたき島の秋夕焼
秋燕さよならのごと旋回す

 利尻富士 (多摩)寺田 佳代子
海峡に潮目いく筋秋気澄む
空高し一本道は崖に果て
山頂に月の添ひくる利尻富士
真四角を崩すに惜しき新豆腐
爽やかや窓拭く腕を伸ばしきり
しんがりの夫とんばうを摘みくる

 野菊晴 (東広島)吉田 美鈴
単線のホームに迫る葛の蔓
なほ勢ふ坪畑の草ちちろ鳴く
定位置に戻る星々野分あと
連なりて木道渡る白露かな
チェリストの弓振り上ぐる秋の宵
酒蔵の名水巡り野菊晴



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野津矢子選

 浅井 勝子(磐田)
焦げくさき日の匂あり豆莚
父母のなき家の広さをちんちろりん
秋簾居留守使つてをりにけり
散骨の海のおだやか鳥渡る
鯔飛んで川の光を引きにけり

 小嶋 都志子(日野)
野の花の魚籠に盛られて寺の市
秋思ふと市で手にするブロマイド
骨年齢それなりとあり蚯蚓鳴く
トロ箱の海より秋刀魚摑みとり
鯖雲や三角屋根の旧駅舎



白光秀句
奥野 津矢子

父母のなき家の広さをちんちろりん 浅井 勝子(磐田)

なにも説明のいらない平明な句に好感がもてた。以前主宰が「余韻」「深み」「味わい」を感じさせるのが平明な句と書いておられた。季語の「ちんちろりん」は松虫の事で鳴き声がそのまま季語になっている。中七に「や」の切れ字を使わずに父母の家で鳴く虫の声は、家の広さを際立たせ作者の秘めた寂しさでもある。
 散骨の海のおだやか鳥渡る
散骨を自然葬の一つの形態として節度をもって行われる限り違法性はないと法務省が見解を出している。これからの葬送で散骨を希望する人は増えてくるのではないかと思う。
散骨の経験が無いので詳細は解らないが掲句は海の穏やかな日に海洋への散骨を行った。季語の「鳥渡る」の斡旋に無理がなく、青空の中をふわりと海へ散ってゆく遺骨の白さが清々としている。作者のおだやかさも感じとる事が出来る。

秋思ふと市で手にするブロマイド 小嶋都志子(日野)

お寺に市がたっているので何気なく眺める。何か欲しい物があるわけではないが見て廻るだけでも楽しい気分になりゆっくり歩く作者。目に入ったのが昔集めた好きな俳優、好きな歌手のブロマイドで手に取って見ていると昔の事がよみがえる。「秋思」の季語を据えた事で過ぎさった日々の懐かしさと甘酸っぱさが伝わってくる。
 トロ箱の海より秋刀魚摑みとり
今年は秋刀魚が久し振りの豊漁で何度も食卓にだされたのではないかと嬉しく想像する。掲句は発砲スチロール製のトロ箱に入っている秋刀魚を「トロ箱の海より」と詠んで、遠景の海を詠嘆して近景のトロ箱から秋刀魚を摑みとる。新鮮さを際立たせている魅力のある句になった。

敬老日残せるものは何だろう 髙橋とし子(磐田)

九月の第三月曜日が国民の祝日の一つ「敬老の日」。「としよりの日」として昭和二十六年に始まったとある。その頃の高齢者は今より老人のイメージが強かったと思うが今はお元気な方が多く、昔の年齢の七~八掛け位が今の年齢と聞いた事がある。つまり今の八十歳は昔の五十六歳~六十四歳位かと思いながら。掲句の「残せるものは何だろう」の措辞に私も考えさせられた。

ふしくれの手もて稲刈る三角田 原田 妙子(広島)

毎日よく働く作者が見えてくる。三角の田圃の稲は機械で刈ることは難しく手で刈らなければならない。馴れた事とはいえ大変な作業だ。働いた勲賞の手と思えば愛おしくなる。

蟷螂や三角顔の宇宙人 中村 早苗(宇都宮)

宇宙人にはまだお目にかかったことがないが「蟷螂」の顔がそうなのかもしれない。想像するだけで怖いようなわくわくするような感覚になる。思考を飛ばして知的直感を句にした作者の挑戦に嬉しくなる。

新米の袋を抱へ息子来る 花輪 宏子(磐田)

新米の袋抱へて弟来る 磯野 陽子(浜松)

今年の米不足には驚かされた。「古米」「古古米」等の備蓄米もあまり見かけないまま新米の時期になり米不足が少しずつ解消されてきてほっとしている。掲句の二句は「息子」と「弟」の違いはあるが待ちに待った新米を届けてくれて、母として姉としての感謝の笑顔が見えてくる。類句、類想句ではあるがほっこりとする句。
(類句、類想句については仁尾正文先生が「白魚火燦燦」の八十四ページに見解を述べておられる。)

ボイジャーの果てしなき旅星月夜 奈良部美幸(栃木)

夜空を見上げて米国の無人探査機ボイジャーに思いを馳せた作者の果てしなき思いが読み手にも伝わる。一九七七年に打ち上げられた二機のボイジャーは二十一世紀になっても二〇二五年頃までは稼働してデータを送ってくると予想されているとか・・。本当に孤独で果てしない旅に気が遠くなりそう。

一寸の土偶に乳房秋うらら 坂口 悦子(苫小牧)

小さな土偶に焦点を当てた句。縄文時代の遺跡から出土して女性像が多く呪術的な意味もあるらしい。早期の土偶は顔や手足が省略されているが乳房ははっきり認められるため女性像と解るらしい。掲句はおよそ三・〇三センチメートルの土偶、顔を近づけて観察している作者の視線があたたかい。「秋うらら」は万象が澄んでいて少し寂しさを感じるが、小さな土偶には合いそうだ。

住職に戻る教師や草の花 鈴木 利久(浜松)

教職をしていた人が住職に戻るという。定年後なのかは解らないが寺を守るための選択。季語の「草の花」の素朴さがそのまま天職としての住職を受け入れて達観している元教師の姿勢かと・・。作者は檀家さんなのだろうか。

重陽や漢字検定合格す 中山  仰(川越)

陽数の重なる五節句の一つ重陽は旧暦九月九日の節句で菊の花盛りでもあるので菊の節句とも言い祝の行事である。
作者は漢字検定試験に挑戦して見事合格、まことにおめでたい句である。


その他の感銘句

秋燕空の高さに紛れ込み
水遣ればとび出してくる飛蝗かな
爽やかや医師の真紅のネックレス
揺るるたび色を零してをみなへし
コスモスやどこでも止まる縄電車
メリーゴーランド金秋の風の中
栗拾ふ先生ふいにすばしこく
秋刀魚焼く少し太目に戻しけり
元寇の折の石積み秋夕焼
蓑虫や術後ベッドに身を沈め
安永の石の大仏小鳥来る
恋々と母の思ひ出星月夜
秋澄むや雨情の歌碑の白き文字
ぶさいくに飛んできちきち草に消ゆ
水占の紙沈みゆく秋思かな

福本 國愛
清水 京子
埋田 あい
佐藤やす美
栂野 絹子
宇於崎桂子
本倉 裕子
髙部 宗夫
古橋 清隆
遠坂 耕筰
菊池 まゆ
山西 悦子
佐藤 淑子
川本すみ江
高橋 宗潤



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 函館 工藤 智子
人波をぬけて海辺の風涼し
洗顔の水たつぷりと今朝の秋
遊覧船より秋の灯を眺めたり
朝顔のひかりをためて咲きはじむ
飛行機の最終便に浮かぶ月

 鳥取 福本 國愛
秋の蝶風に引かれて空に消ゆ
十六夜や捲る手擦れの古語辞典
ゆるみなき稲架組む父の縄捌き
味噌汁をあたためなほす台風過
忽として木犀の香の路地に満つ



白魚火秀句
檜林弘一

人波をぬけて海辺の風涼し 工藤 智子(函館)

人波という言葉にはどことなく都会や観光地の雑踏を想像させるものがある。動的な人の流れの中を抜け出し、「海辺の風」に至るという詠み口は、身体の移動と心の解放が重なり合う巧みな表現であるとともに、季語「涼し」によって、熱気の中に一瞬訪れた爽快な作者の感覚を鮮やかに読者に伝えている。一句一章のリズムが自然で滑らかなこともこの季題の効果に繫がっている。この句は読者によっては既視感が感じられるのかもしれないが、「人波を抜けて」といういわば都会的なリアリティと季語効果により、既視感を拭う現代感覚の句に仕上がっている。
 朝顔のひかりをためて咲きはじむ
日の出前後の朝顔の姿を作者の主観で捉えた一句。朝顔の開花は、まさに朝日の訪れとともにある。この句では「光をためて」と表現し、この植物の開こうとする刹那を描いている。朝顔の句は外形的あるいは静的な描写に片寄りがちの場合が多いような気もする。朝顔が「光」という無形のものを内に吸い込み、それを力として開こうとしているという表現は、きわめて繊細な見方である。この句には、この朝の作者自身の心持も投影されているのであろう。

十六夜や捲る手擦れの古語辞典 福本 國愛(鳥取)

満月の翌日、少し遅れて月が昇る十六夜は、ためらいや余韻を含む季語。その月明の静かな時間の中で、古語辞典を手に取る行為を描いている。「手擦れの古語辞典」という表現は、長年の使用で擦れた紙や角の手触りを伝え、知の営みと時間の堆積を静かに感じさせる。古語辞典という重厚な対象を、十六夜というやや陰影のある場面に置くことにより、静かにして深みのある一句となった。
 忽として木犀の香の路地に満つ
「木犀」は香りという嗅覚的要素が全面に溢れる季語といえる。その香りをあまりにもストレートに詠むと常套になりやすいので、そこには作者の独自の見方、感じ方が要求される。掲句もそのリスクは多分にあるが、作者は「忽として~路地に満つ」という見方をされている。気が付いたら知らぬ間にこの路地に木犀の香が充満していた。という作者の驚きが感じられる一句。瞬間性+香り+空間描写の組み合わせが具象的である。

懐メロはなべて恋歌秋の暮 本倉 裕子(鹿沼)

「懐メロ」は過去の流行歌を指し、聴く者の記憶を呼び覚ます。続く「なべて恋歌」は言い得ている。当世のJPOPにももちろん恋歌はあるが、過去の歌と比べれば、とてもドライなものであり、懐メロの多くがウエットな恋愛を主題としていることを暗示している。季語は一句をさらに具象化すると言う。「秋の暮」は、日没の哀愁や夕闇の空気感を伝え、懐メロの呼び起こす感情と自然の寂しさを重ね合わせている。

あみだくじのやうな来し方今日の月 山田 惠子(磐田)

名月と語り合いながら過去を振り返ることは多々あろう。掲句の「人生はあみだくじのようなものだった」という比喩が軽妙である。人生の節目には必ずと言ってよいほど、二択三択の場面が訪れる。その選択の積み重ねが現在の自分の在り様に繫がっている。過去の選択の良否を振り返ることはもう意味がないのかもしれないが、名月を眺めることができる今の幸せをよしとする。そんな良夜であろう。

丸き石平たき石へ秋の水 小林さつき(旭川)

石の形状と水の流れを取り合わせ、清涼感と自然の静的な美を描いた写生句。「丸き石」「平たき石」と形状の異なる石を並列することで、視覚的対比が生まれ、石の存在感が強調される。また、流れる秋の水と静止する石のコントラストにより、秋の静寂と水の透明感が読者に鮮明に伝わってくる。なお、秋の水は、川・池・泉など自然界にある淡水を指すのが本意である。ときおり、水道水や海水などを秋の水として詠んだ句が散見されるが、これらは季語としては相応しくないと思われる。
秋ともし行間広き童話集 岡  久子(出雲)

秋の夜の静けさを背景に、童話のぬくもりを描いた一句である。作者は秋灯のもとで童話集を開いているが、焦点はストーリーそのものではなく、「行間広き」という一点に置かれている。秋灯の静かな光がその余白を照らし出し、作者の想像や、心の間合いを包み込む。童話という題材も効果的で、子どもの頃に親しんだ物語を再び手に取るという記憶の温もりを感じさせる。この句に派手さはないが、秋の夜の情緒を凝縮した一句といえる。


    その他触れたかった句     

稲穂波うねりて湖へ流れこむ
地球儀にたどる思ひ出夜長かな
往還を過る黒猫秋暑し
もてなしのうどんを啜る秋遍路
青柿や遠目差の徐福像
胡弓の音坂を登り来風の盆
歌声は最古の楽器草雲雀
赤飯を米券に変へ敬老日
山間の句碑の清掃秋気澄む
夜なべの灯消して日記の灯を点す
露の世の露人の寝墓供花一つ
秋澄めりチセ守午後のチセ燻す
秋の風壁のらくがき消し去りぬ
秋燕や奥の細道結びの地
早世の父のぐい飲み十三夜

森脇 和惠
山西 悦子
浅井 勝子
岡  弘文
鳥越 千波
滝口 初枝
真野 麻紀
榎本サカエ
松山記代美
大庭 南子
赤城 節子
今泉 早知
森下美紀子
伊藤 達雄
熊倉 一彦


禁無断転載