最終更新日(Update)'26.01.01

白魚火 令和8年1月号 抜粋

 
(通巻第845号)
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1月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  三原 白鴉
年深し (作品) 檜林 弘一
砂丘 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野 津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  高橋 茂子、相澤 よし子
白光秀句  奥野 津矢子
令和8年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表
令和七年度秋季白魚火鍛錬会報告 中村國司、川又 夕、若狹昭宏、塚田康樹
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  山田 眞二、妹尾 福子
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(出雲)三原 白鴉

まづ笑顔作りて覗く初鏡  岡 久子
          (令和七年四月号 白魚火集より)
 「初鏡とは、新年になってから初めて鏡に向かって化粧をすること。また、その鏡自体をもいう。」と歳時記にあるが、この季題で発表された多くの句を読むと実際にはもっと広く詠まれているように思われる。
 さて、この句であるが、初鏡を覗く直前から覗き込むまでを詠んだ句。これから鏡に向かって初化粧をするのであるが、そのときに仏頂面や不景気な顔をして鏡に映っては論外。そんな表情ではこれから始まる一年の縁起が悪い、今年も昨年以上に良い一年でありたいと作者ならずとも思う。したがって、まだ素の顔であっても出来うる限りの、とびきりの一年の始まりに相応しい笑顔を作って鏡に映る。そういう作者の心が良く表れている。

日本晴れと太き一行初日記  後藤 春子
          (令和七年四月号 白魚火集より)
 こちらも前掲句と同様一年の最初に行うことであり、その初めの行為や内容がこの一年を左右するのではないかと験を担ぎたくなるようなことである。
 筆者の住む山陰出雲の元日は、雲の間に初日を拝することはできたが雲が多くとても快晴とはいかない日であった。作者のお住まいの名古屋は日本晴れの元日を迎えられたようだ。寝につく前に真っ新な日記帳を開く。日付に続いて天候を記入する欄がある。今日は新年に相応しいとりわけ穏やかな快晴の一日であった。今年は今日の天気のように素晴らしい一年になりそうだ、そうあって欲しいものだ。そういう予感と希望を込めて、まず筆太に「日本晴れ」と書いた。その後行を改めてその日にあったこと、今年への希望などをいつもの大きさで記して日記帳を閉じた。そんな景が浮かぶ。きっと良い一年となることだろう。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 穴まどひ (出雲)安食 彰彦
露草にしやがみこみたるひまごかな
秋の宵電話の声は泣きながら
ためらはず叱つてをりぬさはやかに
練習の笛の音かすか雁渡る
長き夜や彼の彼女に長電話
万葉の夜ではないかちちろ虫
柿熟しするりと咽に滑り込む
編集になやみのありぬ穴まどひ

 馬肥ゆる(浜松)村上 尚子
みちくさは今も大好き草の花
そこだけに風見えてをりをみなへし
近道と聞きて踏み込む葛の花
行きゆきて花野の端にたどり着く
咲き満ちてどの秋草の名も知らず
子どもらを乗せては牧の馬肥ゆる
きつつきに叩かれ森の暮れにけり
虫の音や灯の点く家とつかぬ家

 秋の蝶 (浜松)渥美 絹代
パレットの上をしばらく秋の蝶
我を見る若き自画像秋時雨
宵闇や足を汚して猫戻る
松の香をまとふ庭師や秋夕焼
檸檬ふたつ母亡き家の庭にもぐ
溶接の火のとび釣瓶落しかな
烏瓜引けば谷より発破音
退院の夫に走りの柿をむく

 夜這星 (唐津)小浜 史都女
秋の七草口にするたび指を折り
雨意すでにうなじにありぬ吾亦紅
まだ色の足らぬ紫式部かな
満潮の刻のしづけさ鰯雲
本閉ぢてけふを思へり夜這星
団栗を拾ひし日あり拾ひけり
箒草小さきものより色付けり
神の留守小さき方の鈴鳴らす

 予州 (宇都宮)中村 國司
冬近し高ゆく鳥の鳴く声も
煙あがる予州農家の冬支度
板壁にふたり凭れて青蜜柑
揺れ方の諸国おんなじ秋桜
松山の城も見をさめ城雲忌
大会の人花となる冬となり
人住まぬ城や一朶の帰り花
今生に逢へぬ人なり冬薔薇

 石畳 (北見)金田 野歩女
耳馴れぬ気象の用語初嵐
秋の灯を傾げ俳都に着陸す
秋遍路蠟燭の火を手で囲ふ
鶏頭花市電行き交ふ石畳
秋刀魚船戻る鷗を従へて
椿の実坊ちやん像の下駄に置く
靄霽れて裾現るる紅葉山
蔓竜胆矢印のみの道標

 冬支度 (東京)寺澤 朝子
うち仰ぐ西塔東塔秋澄めり
歌垣の山ひつそりと木通熟る
神泉を汲むあふちの実踏みしだき
吾亦紅手折りてくれし友逝きぬ
貴船菊咲きめぐらせて漢住む
亡夫植ゑし榠樝の実る生家跡
菊膾吾の晩節のすこやかに
割烹着嫌ひを通し冬支度

 雪虫よ (旭川)平間 純一
塩ぱんの塩の味はひ秋の声
赤げらを探しあぐねるレンズかな
日時計の二時とんぼうが好きな時
妹の野分連れきてすぐ帰る
まるめろの誰かの顔に似てをりぬ
村中の刈田を統ぶる大雪山
雪虫よタカ女の胸に抱かれよ
岳に雪神の息吹の吹き下ろす

 ふるさと (宇都宮)星田 一草
新米のとどきふるさと恙なく
まな裏に故郷の山河栗を剝く
三叉路を右へふるさと今日の月
コスモスのささやく風を耳うらに
秋茄子の紫紺の極み掌に
竹林の葉ずれの音や秋しぐれ
ビル狭間ぬつと顔出す後の月
十月の夕べ窓辺のノクターン

 秋桜 (栃木)柴山 要作
手古舞の錫杖しやんしやん秋澄めり
おらが屋台曳くうれしさよ天高し
意地と誇り掛くるぶつつけ秋の辻
ぶらんこを漕ぐ少年の爽やかに
竹春の一日ひとひ苦吟もまた楽し
わが車庫に知己の顔して石たたき
防人のいしぶみ雑木紅葉かな
大鬼怒の帯なす綺羅や秋桜

 秋遍路 (群馬)篠原 庄治
秋の蚊の捨て身の技にやられけり
畑仕事釣瓶落しの日が急かす
道の辺の石みな仏秋遍路
瀬戸の海寄する細波音爽やか
風音の籠る木立に冬近し
枯れ初むる蟷螂すがる開拓碑
やはらかな日差し分け合ふ花八手
初雪の浅間山見る廻り道

 杣の小屋 (浜松)弓場 忠義
木道の一歩一歩に秋惜しむ
十六夜や指の狐がコンと鳴き
秋しぐれ屋根に石置く杣の小屋
一筋の水の色づく秋の山
初鴨のつぎつぎ降りてまづ潜き
ゆく水の先は知らねど秋ざくら
間引菜のみどりを足して朝餉汁
爆ずる音聞かんと藤の実の下に

 膝小僧 (出雲)渡部 美知子
まろまろと三五の月の出で来たり
祝宴の新酒の杯を高く上ぐ
秋闌けていよよ色増す海の紺
秋の日を分け合ふ小さき膝小僧
境内に買ふ焼栗の大袋
風置いてつとあがりたる秋の雨
ハロウィンの魔女としばらく立ち話
柿落葉重なり合うて眠りけり

 幸せのにほひ (出雲)三原 白鴉
幼鳥を真中に雁の渡りけり
曼珠沙華列の伸びゆくウォーキング
虫食ひの穴も親しき柿紅葉
堰く石の水裏返す秋の川
傘差して浸かる足湯や櫨紅葉
冬に入る足裏に硬き砂利の音
茶の花や水路に渡す板一枚
幸せのにほひ取り込む干蒲団

 ふくらはぎ (札幌)奥野 津矢子
鯉はねて蒲の穂絮を飛ばしけり
石垣に添うて秋蝶のぼりゆく
依代の石の苔むす雁渡し
一羽には一羽の水輪鴨来る
野紺菊「鮭」一文字の供養塔
秋の声とどく足湯のふくらはぎ
椎の実拾ふ八方に子規の句碑
夕星やのんど伸びきる雁の棹

 狭間 (宇都宮)星 揚子
揺れて揺れて土手のコスモス広ごりぬ
ぎゆうぎゆうに坊ちやん電車秋うらら
色変へぬ松漱石のデスマスク
ゆく秋や子規の書きたる阿弥陀籤
澄む秋のからくり時計伸びにけり
大きさの異なる狭間や夕紅葉
洞窟に百の仏像秋深し
どどどんど水軍太鼓秋の暮

 熟柿 (浜松)阿部 芙美子
痛風の秋刀魚内臓まで食へり
秋なすび憎つくきほどに皮固し
熟柿食む口に馴染まぬカタカナ語
秋時雨箱に絡まる刺繍糸
引く波に足取られをり鳥渡る
石二つ川原に拾ふ秋思かな
シャツのロゴ読めぬまま着て文化の日
初時雨出港の銅鑼鳴りにけり

 秋潮 (浜松)佐藤 升子
橋七つ渡りて伊予へ秋澄めり
斎田の四囲をめぐらす鳥威し
木の実拾ふ土の匂を近くして
水軍の島の爽籟小早船
野葡萄の色を揺らして手繰りよす
秋潮の渦巻くを見る息遣ひ
秋雨の道後温泉めぐりかな
子規の句碑漱石の句碑秋深し



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 秋土用 (浜松)大村 泰子
野分晴亀がきれいに泳ぎけり
海鳴りを聴く秋茱萸を口にして
仕込み桶の箍新しく秋土用
酒蔵の影を運河に柳散る
紅葉且つ散る自販機で買ふココア
深秋の凭るる椅子の軋みけり

 秋惜しむ (多久)大石 ひろ女
廃校の校歌の山河秋惜しむ
群青の玄海灘を鳥渡る
美濃和紙の手触り秋を惜しみけり
今生の色を尽くして烏瓜
虫食ひの子規の文机秋ともし
筆塚の刻字を洗ふ秋の雨

 三号館 (呉)大隈 ひろみ
この坂を上れば母校鰯雲
小鳥くる煉瓦造りの三号館
川沿ひに古書市の立つ秋日和
一冊は明日返却日夜長の灯
色鳥来もうすぐ人に譲る庭
これほどに捨つるものあり鵙高音

 秋惜しむ(浜松)塩野 昌治
崩れたる棚田いくつか鳥渡る
色鳥や海を遠くに殉教碑
秋風の生まるハーレー過ぎてより
渋柿を噛めば斜めに雲走る
霜降や何するでなく湯を沸かし
小書院の梁に釘痕秋惜しむ

 渡り鳥 (鳥取)保木本 さなえ
鈴虫や拳の幅に窓をあけ
秋澄めり見慣れたる山名を知らず
墓洗ふきれいな風に吹かれつつ
木の実蹴る少年後を振り向かず
椎の実を踏み椎の実を拾ひけり
渡り鳥舟屋の軒の混み合へる

 天高し (群馬)鈴木 百合子
秋うららぼつちやん列車ゆらゆらり
爽籟や蒼天を突く天守閣
秋風の忍び込みたる矢狭間かな
天高し磴にひびける遍路杖
城山の石垣釣瓶落しかな
脇門に大き乳鋲を雪螢

 翼欲し (牧之原)大塚 澄江
秋の空鳥と翔ゆく翼欲し
数珠玉を採るお手玉に足りる数
紅さして敬老の日の上座かな
梯子なほ足らざる高さ松手入
句碑の山いまごろ木の実降るころか
冬浅しごしごし洗ふズック靴

 牛川の渡し (浜松)林 浩世
向う岸見ゆる渡船場野紺菊
秋の色船頭呼ぶに板打つて
船頭の昔語りや残る虫
海釣りの親子に釣瓶落しかな
海よりの風豊かなり棉実る
深秋や城の井霧を吐くといふ

 秋の草 (東広島)挾間 敏子
休むとき翅畳み替へ川とんぼ
合宿の西瓜係の役もらふ
水引の紅散る宮の手水鉢
客間にも仏にも活け秋の草
水引に触れねば行けぬ観音堂
向ひ来て直角に逸れ鬼やんま

 厄日 (松江)小村 絹代
蒼天へ白き腹みせ鰡跳べり
かすかなる赤子の寝息星月夜
ファックスの吐き出す白紙厄日かな
堂前へ深き一礼栗拾ふ
ふるさとへ続く路線や彼岸花
鎮魂の海へ一声雁渡る



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野 津矢子選

 高橋 茂子(呉)
風が繰る絵本のページ小鳥来る
晩鐘の一打に木の実落ちにけり
銀杏散るままに暮れゆく裏参道
夕紅葉島に流るる寺の鐘
心地よき丸太の椅子に秋惜しむ

 相澤 よし子(牧之原)
風紋にきらの生まるる秋日かな
名月を草木静かに称へけり
波音に声攫はるるすがれ虫
風吹けば色の乱るる秋桜
栗ごはん皮剝く手間も味のうち



白光秀句
奥野 津矢子

風が繰る絵本のページ小鳥来る 高橋 茂子(呉)

季語「小鳥来る」は新版角川大歳時記では「渡り鳥」の傍題に載っている。その前は「小鳥」の傍題でそれ以前の月別季寄せには「小鳥来る」が主題で傍題が「小鳥」になっている。
季語の変遷は難しく悩ましいが「小鳥来る」の季語は心に優しさを届けてくれる、楽しい気持ちがプラスされる。
風が絵本を繰るようなポエムと夢をあたえてくれる。
 晩鐘の一打に木の実落ちにけり
 夕紅葉島に流るる寺の鐘
掲句の二句とも鐘の音が聞こえてくる。場所の表記がないので同じ所ではないかもしれないが木の実が落ちて木々が紅葉して秋の雰囲気がそこはかとなく漂っている。目の前の景を心静かに自分の中に取り込んで無理のない平明な詠み方に共鳴することが出来た。

名月を草木静かに称へけり 相澤よし子(牧之原)

月に対して人々は特別な関心と感情を抱き昔から詩歌に多くうたわれている。中秋の名月にいもや団子、薄などを供えて月を愛でる。団子の数や形には地方色がみられるらしい。
秋草が茂り露が結ばれ虫が鳴く季節、「草木静かに」で静謐さが際立ち「称へけり」で完結させている句に心が安らぐ。
 栗ごはん皮剝く手間も味のうち
栗の鬼皮、渋皮を剝くのは時間も手間もかかるので私は市販の下処理の終わったもので栗ごはんを炊くが、掲句を読んで反省。「手間も味のうち」とは・・馴れた作者の手際の良さが見えてきて美味しく出来上がるのは間違いない。句も自信作と思う。

口上の長き呉服屋秋暑し 周藤早百合(出雲)

知識が豊富な呉服屋のご主人があれもこれもと着物、反物を広げて流れるような説明付きで見せてくれる場面が目に浮かぶ。秋になっても暑い日が続き長話は少し辛い。良い買物が出来たのだろうかと余計な心配をしてしまう。「秋暑し」の季語が効いている句に仕上がった。

公園に移動図書館ちんちろりん 小杉 好恵(札幌)

ちんちろりんと鳴きながら松虫が移動図書館を待っている・・とは思わないが、ちんちろりんと言われるといかにも本好きな虫がいるようでわくわくしてくる。取り合わせの句ではあるが想像力が一句一章にしてくれる。

風に耐へ雨にも耐ふる木樵虫 町田 志郎(群馬)

「木樵虫」は「蓑虫」の傍題で「鬼の子」と詠んだ例句も多い。朽ちかけた柵や大きな古い甕の縁などにぶら下がっているのを見かけたことがあるが、掲句の作者のように風にも雨にも耐えてけなげな虫だと感じたことはない。次は愛情を持って見てみようと思う。因みに色紙を小さく切って置いたら上手に簔を作ったと聞いた事がある。

紅玉や頰の真つ赤な昭和の子 本倉 裕子(鹿沼)

今夏の暑さのせいか今年は林檎が高値で驚いている。紅玉はリンゴの栽培品種で真紅で、酸味が強いが昔はよく食べた記憶がある。どっぷりと昭和に浸かった子供だった。
季語「紅玉」と「昭和の子」の距離感が良い句になった。

平服で済ます法事や栗ごはん 三浦 紗和(札幌)

昨今は葬儀も簡素化が進んでいるのではないかと思う。掲句は誰の何回忌なのかは分からないが故人を偲ぶのに平服での法事が暖かく感じる。季語の「栗ごはん」が効いていて心のこもった法事だったのでは、と余韻を感じさせてくれる句に好感が持てた。

日本橋渡れば香るべつたら漬 岩井 秀明(横浜)

東京の隅田川と外濠とを結ぶ日本橋川に架かる橋。その橋を渡ればべったら漬の香りがすると言う作者。浅漬け大根(べったら漬)を売るべったら市が開かれるのは十月十九日~二十日で、麹がべったりとついているところからこの名があると知るとなんとなく麹の香りがしてくる句に納得できる。

冬近し借りつ放しの古語辞典 松永 敏秀(浜松)

歴史的仮名遣い、文語文法等辞典は必需品で古語辞典も欠かせない。ちょっと借りたつもりが長くなり冬が近づいてきた。決して返すのを忘れていた訳ではない。返すときには勉強の成果が出ているはず。

渋柿に口中どつと疲れけり 磯野 陽子(浜松)

口の中が渋くなってきた句に滑稽味があり、表記の「口中どつと疲れけり」も俳諧味のある纏め方で上等な渋柿の句に仕上がった。

ど忘れの他は上々鰯雲 大石登美恵(牧之原)

よく出来た標語のような秀句に元気を貰った。どうしても思い出せないことにうじうじしていても仕方がない。その他の事はこの上なく良い。鰯雲のなんと自由で大らかなことか。


その他の感銘句

遺言書の話など出る虫の秋
山粧ふ四方八方子規の句碑
花野みち駅まで残り百メートル
口中を炎の海に唐辛子
いにしへの道分の石秋惜しむ
馬返しいざ紅葉のいろは坂
撫でてみる大根の真つ白き肌
鳥類の薄き骨格銀杏散る
栗拾ふ毬は土竜の穴に込め
青空を半分残す秋時雨
夜毎来る窓の守宮の太りけり
わんぱくもきちきちばつたも生け捕りに
窓拭きの点呼きりりと天高し
芒野の風の煌めく遠会釈
どんぐりへ園児を放つ寺の庭

鈴木 利久
市川 節子
森  志保
小村由美子
服部 若葉
熊倉 一彦
江角トモ子
山羽 法子
三島 明美
斉藤 妙子
古川美弥子
安部実知子
荻原 富江
福本 國愛
三島 信恵



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 浜松 山田 眞二
切株の円心にたつ秋気かな
とりあへず新蕎麦二枚酒二合
秋風に扉のヒンジ鳴つてをり
色鳥のひかりの欠片つつきをり
思ひ出は鈍色のネガ秋暮るる

 雲南 妹尾 福子
子規の句をつい諳ずる柿の秋
菊日和老舗に並ぶ伊予絣
新走注ぐ徳利に子規の歌
秋寂ぶや子規堂裏の五輪塔
秋思ふと虚子筆塚の唯ひとつ



白魚火秀句
檜林弘一

切株の円心にたつ秋気かな 山田 眞二(浜松)

漢詩から採用した季語は多々あるが、この秋気もその一つ。固さはあるが、引き締まった語感があり、秋の清々しい空気感が感じられる。作者の眼前にある切り株には同心円状の幾重の年輪が刻まれている。その切株の中心から、秋気が立ちのぼるように感じられるというのである。作者の感じる「秋気」はこの伐採された樹木の命の残像としての気でもある。切株の中心に宿る気が、秋へと転じる季節感を象徴的に描いているとも言える。対象をよく見て、よく感じた末の一句であると思う。
 思ひ出は鈍色のネガ秋暮るる
上五を「思ひ出の」とすると一句のニュアンスは、今目の前にある思い出のネガという物の意味合いが強くなる。「思ひ出は」と表現をすることで、この作者の思い出が鈍色のネガのようなものであるという心象風景的な意味合いを帯びてくる。思い出にあるほろ苦さを、鈍色のネガに託していると言える。季語「秋の暮」は、この比喩的世界を柔らかく包み、現実の季節の移ろいにつなげる役目を果たしている。

菊日和老舗に並ぶ伊予絣 妹尾 福子(雲南)

松山全国大会は初めての開催地であったが、参加者はみな松山の文化に触れ、充実した二日間を過ごされたことと思う。この作者も、松山の景を身近に引き寄せて詠まれた作品を今月号に並べられた。「菊日和」は、澄んだ明るい秋天を感じさせる季語と思う。どこか柔らかく、気品のある光を感じさせる。一方、伊予絣は当地の伝統織物。素朴ながら品があり、藍色などの落ち着いた色合いが特徴と言える。菊日和~老舗~伊予絣という言葉の階層が美しく、吟行句としても独立した一句としても安定感のある秀句。
 子規の句をつい諳ずる柿の秋
柿はグルメ志向であった子規の好物の一つ。子規の柿を詠んだ句はとても多く、法隆寺の代表句はもちろんのこと、あまり知られていない作品まで幅が広い。ともすれば、掲句は付いているとの意見もあろうが、季語「柿の秋」でしっかり一句を支え、作者の主観と季節感が過不足なく調和している。松山の吟行途中、俳人子規をさりげなく思い出し案じられた作品と思う。

巡礼の行く先々に小鳥来る 松原 青風(高松)

「小鳥来る」は秋の季語として人気が高い。しかしながら、その本意は北方からの渡り鳥ということであって、たまたま小さな鳥が眼前に来てかわいらしい、ということではない。この渡り鳥の本意を踏まえて詠むことが大切である。掲句は秋の遍路行を詠んだものと思うが、長い巡礼の旅路の先々に現れる小鳥の姿に癒されるものがあるというのであろう。巡礼人も渡り鳥も似たような境遇にあるような感がしないでもない。巡礼の旅路と渡り鳥の出会いが織りなす味わい深い一句。

リバイバル映画にひとり秋深し 岡  久子(出雲)

リバイバル映画という言葉には、時間が巻き戻されるような響きがある。かつて観た名作の映しだされるスクリーンの前に座った途端に懐かしい空気に包まれる。「ひとり」という言葉を不用意に使うと、俳句では気取った感じを与える場合もあるが、この場面では、友人や家族とではなく、自分だけのひとりの世界にいるという意がこの言葉に宿っている。映画作品の中味はわからないが、季語「秋深し」がこの映画の世界に浸る作者の心持と重なりあう。

夏の月火照る大地の静もれる 相澤よし子(牧之原)

夏の月の傍題に、月涼しがあるように、日中の暑さと対比した夏の月の姿には、秋の月とは少し異なる情緒がある。掲句はそんな心持ちを詠まれた一句であろう。句作においては、景を指し示し季語に語らせるということが肝要である。この句では、直接、月の様子を詠まずに、取り合わせとして、火照る大地が鎮まっているという景を指し示しているところが妙である。月涼し、としたほうが句意がわかりやすいとも言えるが、少々、理が匂い始めるかもしれない。歳時記には見出し季語(主題)のあとに傍題がいくつか並んでいる。傍題には興味深いものも多々あるが、一番確かで強いものは主題であると思う。

山よりのはがき一枚別れ鳥 杉山 妙子(浜松)

この季語は、歳時記を見ると「鷹の山別れ(初秋)」の傍題として記載がある。鷹の雛が巣立ちをし、親から旅立つという本意である。この句の取り合わせは多種多様なことを想起させる。「山よりのはがき一枚」という便りに、「別れ鳥」という秋の季語が重なることで、読む者の心に静かな余韻を残しそうである。人それぞれに解釈はあろうが、秋の静かな移ろいや人の心情を優しく織り交ぜた味わい深い作品である。


    その他触れたかった句     

みな覗く鉄砲狭間小鳥来る
松山城どこから見ても秋うらら
火鉢置く子規青春の三畳間
鯛めしに二つの流儀秋高し
十五夜や古墳背にして野外劇
クラス会に付添ひもゐて茸飯
一人では出来ぬシーソー鰯雲
烏瓜当てずつぽうに蔓手繰る
秋旱ジャングルジムの色褪する
手に取りて炎のやうな柿落葉
秋の蚊を連れ戻りたる作業服
子 竹馬や親と同じ背同じ顔
早朝のバックミラーに秋の山
抽選器ゆつくり回す秋うらら
廃船の海へ向きをり冬怒濤

高井 弘子
原田 妙子
川本すみ江
加藤 拓男
野田 美子
森下美紀子
坂本 健三
柴田まさ江
伊藤 達雄
田中 京子
池本 則子
松村 幸子
栗原 桃子
北城なお子
土屋加代子


禁無断転載