最終更新日(Update)'25.11.04

白魚火 令和7年11月号 抜粋

 
(通巻第843号)
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11月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  小村 絹代
新涼 (作品) 檜林 弘一
海鳴り (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  山羽 法子、妹尾 福子
白光秀句  奥野 津矢子
檜林主宰をお迎えして 西村 ゆうき
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  広谷 和文、浅井 勝子
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(松江)小村 絹代

心地よき出雲訛やぬくめ酒  荻原 富江
          (令和七年二月号 白光集より)
 出雲弁は古代出雲の住民が東北地方に移住したとする説もあるが、k音が消失する読み方などから、古代の畿内語から分岐した方言と考えられている。
 だんだん(有難う)、足がはしる(痛い)、おんぼら(のんびり)、そげな(そんな)。日常会話でついつい出てくる。この句は松江の全国大会の時であろうか、良く解らない出雲弁が身振り手振りで話されたのを、心地よきと表現された。温め酒が静かに心を満たしてくれる「晩じるといふ里言葉稲の花」古川先生の名句は誰もが諳んじる出雲弁の代表句であろう。

枯菊焚く明治の母の文も焚く  陶山 京子
          (令和七年一月号 白光集より)
 菊の花は華やかな香りと鮮やかな色で心を豊かにしてくれる。枯れてゆく菊には一入哀れを感じる。その枯菊を焚いている中にお母さんの文も一緒に焚いた。明治生れのお母さんの文はいったいどんな文であったろうか。作者宛なのか、お父さんとの楽しい交換の文だったであろうか。読者に楽しい想像の余地を与えてくれている。

香一本くゆらせ秋の声をきく  小林 さつき
          (令和七年一月号 白光集より)
 秋彼岸であろうか、線香を上げしずかに菩提を弔う。その香は風に乗ってゆく。まわりには秋の草花が咲いて、かすかに蟬の声が聞こえる。それは亡き人の声であったかもしれない。
 墓前にたたずむ作者の姿が浮かび上がり、心に残る一句である。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 門火焚く (出雲)安食 彰彦
空梅雨やをろちの河のなくなりし
喜雨浴ぶるひとりの孫の三輪車
スーパーを出る本降りの喜雨来たる
赤ん坊を抱き里に行く喜雨の中
朋来たる喜雨に唐傘差しながら
大空に何か異変か暴れ梅雨
暴れ梅雨天覆る覆る
門火焚く寿樹のために賑やかに

 ぼんのくぼ(浜松)村上 尚子
目に見えぬものの声聴く原爆忌
盆波に乗りそこねたるうつせ貝
通夜の客残暑のことをいくたびも
初秋の風を捉ふるぼんのくぼ
見馴れたる街の明かりも秋めきぬ
つくつくし切羽詰まつてきたりけり
天井へ着くまで積まれ今年米
花芒おのれの丈に溺れをり

 燕帰る (浜松)渥美 絹代
広島忌大地も河も水を欲り
底紅や井戸の湧きつぐ母の家
でこぼこの土間抜くる風盆用意
かなかなや打撲のあざのうすれゆく
草の花修験の道を雨が打つ
まだ熱の残るアイロン虫の声
木造の駅舎の燕帰りけり
新米の焚きあがるまで針使ふ

 煙出し (唐津)小浜 史都女
炎天に真向ひ卒寿目指しけり
風鈴まつり昔のままの煙出し
裏側の波もしろしよ晩夏光
関所へのへくそかづらも実となりぬ
しごくにも力の入るちから草
台所あづかり盆の十四日
露けしや文の詰まれる小抽斗
八十年戦後を生きて梨をむく

 固太り (宇都宮)中村 國司
さいせんを日除に地蔵固太り
さまざまな警報ありし秋の空
バス通ふ真葛すだれの切通し
秋の水濁れり緋鯉にごらせて
みちくさの道にお前は穴惑
れんざんに句碑の歳月貴船菊
さはやかや堂塔背負ふ天邪鬼
神々にいろまだ見せじ秋の山

 塩飴 (北見)金田 野歩女
糸蜻蛉重さありなし草の先
猛暑日や喝入れ仕込むカツカレー
原爆忌蛇口捻れば旨き水
ポケットに塩飴一つ涼新た
豆図鑑花野にひらく栞紐
唐黍を捥ぐ音四方に夜明けかな
塩泉の足湯に憩ふ初紅葉
濁り酒道産子拘らざる気質

 涼新た (東京)寺澤 朝子
端渓硯ゆづるときめて洗ひをり
伊丹ごほりに住みし歳月鬼貫忌
国ぶりの団子供へて迎盆
仏前へ朝夕灯す盆提灯
にぎやかに三男来たり梨提げて
幾昔踊りしことも夢のごと
束の間のまどろみ草の絮とんで
涼新た胸にふつふつ旅ごころ

 秋灯の橋 (旭川)平間 純一
銀蠅のつぎつぎ集まるみみずの死
月涼し冷やして食ぶるミルフィーユ
すがすがしく選手宣誓夏旺ん
御裾分けをおすそわけする胡瓜かな
手から手へ渡して流す流灯会
流灯の流るる先の闇に消ゆ
秋の雨仁王の忿怒少し解け
秋灯の橋に灯りて流れ聞く

 桔梗 (宇都宮)星田 一草
夏の夜や戦後を語る母と居て
サイダーに思ひ沸き立つ泡の数
空蟬の見つむる虚空何かある
向日葵の立ち尽くしたる疲れかな
ばりばりと空を剝がして雷雨来る
崖なせる城攻め上ぐる葛の花
はちきれむ桔梗の蕾ふくらんで
訃の報せ朝かなかなの鳴く日かな

 秋高し (栃木)柴山 要作
蟬時雨藩主の高き墓標杉
黄泉の国へ誘ふ暗さ蟬の穴
大生簀明日なき鮎の犇めける
八十年の戦後危ふし原爆忌
女郎花バケツにあふる轆轤小屋
貴船菊にも賽銭童子佛
葦に埋まる越名こえな河岸跡秋入日
天を指す百丈の句碑秋高し

 草紅葉 (群馬)篠原 庄治
晩酌の肴に適ふ冷奴
遠嶺の稜線透ける今朝の秋
一呼吸置いて鳴きつぐ法師蝉
盆迎へ刈り広げたる仏道
紺碧の空筒抜けに鵙高音
吹かれきて湖面さ迷ふ秋の蝶
湖心より生るる細波秋の湖
湧く水の小流れゆらす草紅葉

 花屋の二階 (浜松)弓場 忠義
新涼の峰より雲を放ちけり
釣竿を伸ばす縁側涼新た
八月の浜にジープの轍かな
秋暑し酢物一品足しにけり
鯊舟の錨下ろして潮まかせ
美容院は花屋の二階小鳥来る
白桃に小刀ぬらし手を濡らし
朝顔や犬を撫ぜゆく通学路

 喪に急ぐ (出雲)渡部 美知子
秋扇一本加へ喪に急ぐ
道しるべ泡立草の黄に埋まる
初嵐問診票の問十個
神の山黒々とあり星月夜
道一つ違へて出合ふ花畠
雲が雲追ひこして行く白露かな
句碑の辺のとんばうふいに群れ始む
花野道下りて風と別れけり

 消失点 (出雲)三原 白鴉
ほむらなく燃ゆる苧殻の軽さかな
流灯の寄りゆく川の流れかな
研ぎ減りし粗砥に掛くる秋の水
鶏頭の襞を深むる日暮かな
頂上やすぐそこにある秋の雲
畦川の濁り一筋落し水
キャプテンの胸の翼や鷹渡る
離陸機の消失点の秋の雲

 文机 (札幌)奥野 津矢子
緑蔭をはみ出すベンチ空いてをり
秋の初風筋雲を曳いてゆく
沼杉の気根の闇へ鉦叩
八月の記憶亀の子束子干す
新盆や牧師が坂を上り来る
文机に切手並べて星の恋
ぶら下がる健康優良児のゴーヤー
鈴懸の葉裏を返す素風かな

 一都句碑 (宇都宮)星 揚子
夏帽子被れば少女句碑の前
鳶職のラジオ体操朝曇
賽銭のこんもり石地蔵灼くる
滝の前に立てば滝音ばかりなり
いくたびも流灯波にお辞儀して
ほろ苦きカフェラテ二百十日かな
秋風や字配りのよき一都句碑
鯉の尾を振ればさざ波秋の声

 今朝の秋 (浜松)阿部 芙美子
鈍行に登山帰りの足投げ出す
洗濯機で洗ふズックや夏終る
秋に入る柱時計の螺子が切れ
病み上がりの粥炊いてをり今朝の秋
秋暑し崖に貼り付く秘境駅
針に糸通せると言ふ生身魂
送火のあとそれぞれに帰りけり
この頃の涙もろさよつづれさせ

 盆の月 (浜松)佐藤 升子
千の風鈴回廊に影おとす
アンプルに小さきストロー土用入
群青の空一枚や酔芙蓉
盆の月踏切小屋のありしころ
桔梗のひらく気配の朝かな
単線の終着駅や昼の虫
川に沿ひ行けばたしかに秋の風
秋天へ五重塔の立ち上がる



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 手の中へ (磐田)齋藤 文子
捌きたる鯛の歯尖る夏の果
八月の信号機より鳥のこゑ
背伸びして届く吊革今朝の秋
秋天へボールを投げて見失ふ
終戦記念日塩飴を嚙み砕く
木の実降る新郎新婦の手の中へ

 朝顔 (藤枝)横田じゅんこ
那智の石を床の間に置く夏の果
朝顔の折目しづかに開きけり
怪獣のおもちやと帰る地蔵盆
ラ・フランスこれより他のもの買はず
よく笑ふ嫁来て稲の香のにほふ
切株の年輪あらは小鳥来る

 すでに秋 (牧之原)坂下 昇子
朝蟬の声より晴れて来たりけり
魂送背より闇の深まり来
草に吹く風も光もすでに秋
鳳仙花夕日の触れて弾けけり
枝先の揺れを楽しむ蜻蛉かな
蜩の鳴きて川原はまだ暮れず

 八月 (浜松)塩野 昌治
噴煙の雲になりゆく今朝の秋
八月の流木武者のごと尖る
銀漢のいくつか零れ夜汽車の灯
星飛んで仔山羊しづかに眠りたる
掃苔や美空ひばりに泣きし母
千屈菜や乾き切つたる畑の土

 八雲と棉の花 (松江)西村 松子
一本にひとつの木霊蟬生る
棉の花活けて八雲とセツの部屋
青胡桃遠山は雲放ちけり
裏庭に立秋の風来てをりぬ
秋立つや生きとし生くるものに雨
絵日記の子に朝顔の赤咲けり

 土用灸 (浜松)林 浩世
炮烙の文字煤けをり土用灸
土用灸身ぬちに芯の通りたり
ぼたぼたと火の藁落とし虫送り
虫送火の粉月へと舞ひあがる
目鼻なき地蔵を拝む終戦忌
護摩札をかざす焰や秋気澄む

 虫の声 (鳥取)保木本 さなえ
新涼や夜明けの空に星残り
ひたひたと秋となりゆく海のいろ
秋うららバスは港に折り返し
ときどきは空を見上ぐる秋日傘
足もとに日暮来てをり虫の声
朝の露強き光となりて落つ

 かなかな (浜松)大村 泰子
新涼や礼拝堂の金のノブ
かなかなや土管ふたつの隠れん坊
尼寺の読経に和する虫の声
秋暑し射的の屋台灯を落とす
鯊日和入江を走る雲の影
秋簾硯を削る鑿の音

 盂蘭盆会 (苫小牧)浅野 数方
太陽のしたたり背に原爆忌
航跡に続く航跡星迎
たくましく生きてをりけり天の川
大皿に唐子の遊ぶ盂蘭盆会
風呂敷の温もりほどき盆の月
秋の蟬鳴かねばならぬ時のあり

 銅剣 (鳥取)西村 ゆうき
噴水の音立ち上がる昼の黙
街歩く顔に炎暑を張りつかせ
フィナーレの花火の後の夜空かな
銅剣に鮫の線刻星走る
とんばうや湖は平らに雲映し
桐一葉夜のはじまりへ滑り入る



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野津矢子選

 山羽 法子(函館)
先陣を切る空港のサングラス
足踏みのミシン畳に夏館
蜘蛛の囲を解く呪文を二つ三つ
岩桔梗風知り尽くす草の丈
蔓茘枝ジャックの登りたき高さ

 妹尾 福子(雲南)
雨しとど傾ぐことなき鶏頭花
押せば鳴る幼のおもちやちちろ虫
藤袴香り纏ひて奥宮へ
曼珠沙華煩悩捨つる香を焚く
出来秋やかしこみ進む神の前



白光秀句
奥野 津矢子

蔓茘枝ジャックの登りたき高さ 山羽 法子(函館)

蔓茘枝は茘枝の傍題で、ゴーヤーと呼ばれる事が今では一般的になったと思う。ここ二年程日除けも兼ねてゴーヤーを育てているが段々手がとどかなくなり踏み台を使って採っている。掲句の「ジャック」は童話の「ジャックと豆の木」に出てくる牛と豆を交換してしまった少年ジャックと解る。茘枝の蔓から想像力を膨らませてジャックに辿り着いた。この作者はもっと高みまで登っていくだろうと期待させてくれた句である。
 岩桔梗風知り尽くす草の丈
高山植物はなべて丈が短い。山の気候に左右されるためだが適応する力が凄いと感じる。岩桔梗も五~十五センチメートル程で青紫色の花を横向きに開く。山の風を知り尽くしているからなのだと言われるとなるほどと納得出来る。その証明が草の丈にもあらわれている。山の好きな作者の観察眼が鋭い。

雨しとど傾ぐことなき鶏頭花 妹尾 福子(雲南)

鶏頭を間近で見る事があまりないので、あの複雑な襞はどうなっていてどこに種があるのかと興味が湧く。雨が降って濡れても傾ぐことはないと作者は表現している。しっかりとした花茎なので簡単には傾がないのだろう。〝鶏頭の十四五本もありぬべし〟の正岡子規の句も難しく、白岩敏秀前主宰が総合誌「俳句四季」の花の歳時記に寄稿された鶏頭の文章で勉強させていただいた。〝鶏頭を叩いて種をわづか採る 白岩敏秀〟の句が掲載されている。
 出来秋やかしこみ進む神の前
今年の作物の出来が良かった事が解る句に安堵した。作者が住む雲南市の三刀屋は稲作が中心で兼業農家が多いところと辞書に載っていた。豊作に感謝して神の前にかしこみながら初穂を納めている厳かな儀式が映像となって浮かんでくる。
みのりの秋と神に心から感謝したい。

割箸の先に水飴涼新た 鈴木  誠(浜松)

一読して郷愁を感じた。水飴の透き通った程よい柔らかさを割箸をくるくる回しながら太らせて絡め取った事を思い出す。普通の塗箸ではうまく取れない。やはり割箸でなければいけない。据えられた「涼新た」は無理がなく自然。

脱け殻の白き一寸いぼむしり ⻆田 和子(出雲)

「いぼむしり」は「蟷螂」の傍題。脱皮することを今回初めて知った。画像を見ると「白き一寸」に納得できる。一生に七回程脱皮を繰り返すらしい。掲句の「いぼむしり」の措辞に愛情を感じるが飼育をしているのであろうか。

星月夜美空ひばりを聞きながら 市川 節子(苫小牧)

流れるような詠み方に好感が持てた。美空ひばりは没後三十年も経っているが我々の年代だと知らない人はいないはず。
固有名詞と「星月夜」の季語がぴたりと収まりリズムの良さが際立った句に仕上がった。

端役から順に夕餉か村芝居 五十嵐好夫(札幌)

村芝居といえども主役、脇役がいて端役も何人かいるはず。掲句は夕食の芝居の場面か、あるいな実際の夕食時なのかはっきりしないが一つの場面に焦点を当てている。「夕餉か」の「か」は誰が端役なのかは作者もよくわからないが、と少し風刺の効いた独特の句になったと感じた。

秋の風不意に差し歯のとれにけり 鈴木けい子(浜松)

経験者にはよく解る句。すぐに歯医者に電話を入れてとれた歯を持参して嵌めてもらわなければ・・・前歯だったら尚のこと。「秋の風」があまりにもぴたりとはまって作者の慌てている様子が見えてユーモラスで前例のない句と思う。

客の去り亡き母の去り盆の去り 仲島 伸枝(東広島)

盆を詠んだ沢山の句を読ませていただいた。先祖を供養する諸々の行事にも終りはある。掲句のように時系列に詠んで気持ちの整理をつけている作者。一抹の寂しさが残る句であるが潔いとも思う。

言ひたきこと言へぬままなりラムネ飲む 沼澤 敏美(旭川)

「言ひたきこと言へぬまま」までは誰もが頷ける事だと思うが問題は「なり」と断定して未だに引き摺っている作者がいる事だ。今更言えない事かもしれない。「ラムネ」の季語から多分昔の事なのではないかと想像出来る。ラムネを飲んで気持ちの整理がついて前向きな句になったと思いたい。

ミッキーにどこか似てをる蛍草 寺田 悦子(松江)

ミッキーはディズニー漫画のキャラクターでミッキーマウスの事だと思う。露草の傍題の「蛍草」、掲句を読んでからじっくりと見てみた。青い大きな花びらが確かにミッキーマウスの耳に見えてくるから不思議だ。対象をよく観察して想像力を働かせた句に仕上がった。

旱畑雨降れば陽が欲しくなり 関 仙治郎(群馬)

雨不足で水田がひび割れているのをみると心が痛む。待ちに待った雨が降れば今度は豪雨となり太陽が恋しくなる。
「陽が」と強く表現しているのが素直な願望の句。


その他の感銘句

ふる郷の山はぼた山盆の月
図書館の庭の裸婦像秋の風
輪になれば仕切る子のゐて庭花火
風の道を猫と分け合ふ三尺寝
バス待つてをり五箇所ほど蚊に刺され
鳩吹くやこぶしの中に風まはる
八月や御巣鷹山に風集む
秋ざくら俺には出来ぬ墓仕舞
夜店の灯小さき剣士とすれ違ふ
ドイツ語のカルテの太字鷗外忌
蟬時雨旧居留地のビルに降る
鈴虫や抜打ちテスト配らるる
さやけしや髪切つて聞く風のこゑ
檀家衆老いも若きも西瓜割り
原爆忌水を追ひゆく水のひだ

石田 千穂
中間 芙沙
小嶋都志子
浅井 勝子
森  志保
砂間 達也
町田 志郎
中村 公春
栗原 桃子
富田 倫代
土井 義則
熊倉 一彦
高山 京子
松田独楽子
髙橋とし子



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 旭川 広谷 和文
日本海の色となるまで泳ぎけり
夏果の寺に地獄図極楽図
芸終ふる猿の背中に晩夏光
登り来てこれが最後と墓洗ふ
魚干す空き地灯して踊りけり

 磐田 浅井 勝子
八月大名ハワイへ十日ほどと言ふ
腕組みて海を見てをり終戦忌
棚経の僧怱々と帰りけり
切れ味の戻る木鋏涼新た
ビル掃除のゴンドラ小さし天高し



白魚火秀句
檜林弘一

日本海の色となるまで泳ぎけり 広谷 和文(旭川)

「泳ぎ」という季語は夏の明るさや開放感を呼び起こす。
その一方で「日本海」という語が持つ重量感、深さ、などが対比され、雄大な自然のなかの人の存在が浮かびあがってくる。俳句は今この時を詠む文芸であるので、この句は海岸から沖へ向かって海の色が濃く変わるまで泳ぎを進めているというのであろう。
日本海の色という詠み口は色の具体化はされていないが言い得て妙であり、「なるまで泳ぎけり」という構文も、読者に達成感を伝える迫力を感じさせる。日本海という大自然の包容と、人間の身体感覚を結びつけた作品といえる。
 芸終ふる猿の背中に晩夏光
晩夏光は夏の日差はまだあるものの、すでに衰えや翳りを含み、秋への移ろいを思わせる。掲句は、いわゆる猿回しのイベントの景か、もしくはその芸の練習風景であろうか。夏の終盤を迎えたこの猿の後姿に、作者はふとした感慨を覚えたのであろう。明るさ、賑やかさを前提とする猿の芸と、それが終わった後の猿の背の静けさや虚脱感。そんなコントラストが一句に感じられる。この猿に対する作者の心持が季語に語られている。

八月大名ハワイへ十日ほどと言ふ 浅井 勝子(磐田)

「八月大名」とは、農家が稲作等に一息を入れ、ちょっとした祭りや遊興を楽しむという素朴な季語である。そこに「ハワイへ十日ほど」と現代的なリゾート旅行を重ねたことで、極めて伝統的な季語が一枚皮を脱いでいる。十日ほどという詠み口にリアルさがあるとともに、ハワイ行にまでスケールアップしたことで、時代の変遷に対するユーモアとちょっとした風刺も同居する作品である。
 ビル掃除のゴンドラ小さし天高し
大都市の高層ビルを清掃するための吊りゴンドラ。近年のガラス張りによる建築物の清掃作業等でよくみかける景である。日常の労働の道具でありながら、俳句に取り込まれることで、現代的な景が立ち上がる。ゴンドラもビルも秋の澄み渡った高空の下では、ちっぽけさが際立つ。「小さし」と「高し」という言葉の対照が心地よい。

富士山に雲の湧きつぎ夏蓬 青木いく代(浜松)

富士山と足元の夏蓬を一つの画面に収め、遠近・大小・動静の対比が巧みな一句。富士山の雄大さと、山頂近くに絶えず湧き上がる雲の動きが生き生きと描かれ、「湧きつぎ」という表現が動的で、目の前に見るような臨場感を出している。夏蓬は素朴な植物であり、遠く聳える富士との対比と奥行き感を出している。

処暑の風入れよ合宿最終日 小嶋都志子(日野)

処暑は暑さが峠を越えて和らぐ時候の意。晩夏から初秋への移行期を象徴している。閉じられた合宿という場における日々の終わりを象徴する季語としても処暑は適うと思われる。処暑の季感と一瞬の開放感を鮮やかに描いた現代的な夏の終わりの一句。

ひとけなき昼の僧院さるすべり 野田 美子(愛知)

さるすべり(百日紅)は、夏を代表する花のひとつと言える。鮮やかな紅や白の花を初秋まで長期間楽しめ、夏の名残の明るさや華やかさにとても存在感がある。
掲句は、無人の僧院の昼の静けさに、百日紅の色彩を配置し、静謐さと季節感を併せ持つ余韻のある一句となった。

波音に押され初月出でにけり  柴田まさ江(牧之原)

初月は旧暦八月初めの月をさす。歳時記には中秋の名月を待つ心持ちがあると記述がある。秋の夜の海岸に、波の音に包まれながら昇る初月を描き、夏の喧騒が去った後の仲秋の息吹を伝える詩情豊かな俳句。「押され」という動詞に波音を背景に月の出が静かに迫ってくるような情景が浮かぶ。

稲刈つてすつぽんぽんの輪中村 後藤 春子(名古屋)

輪中は水害を防ぐため、河口付近の村落を堤防で囲い込んだエリア。木曽三川の下流付近が有名である。この輪中のエリアでも大規模ではないが稲作が営まれているのである。今年も稲刈が終わり、輪中の辺りはすっきりとした景になった。「すっぽんぽんの輪中村」という比喩は言い得て妙である。輪中の景の様子はもちろん、村の一体感や自然との同化のニュアンスも背景に感じられるフレーズである。


    その他触れたかった句     

真菰の馬乗つて来られよ華奢な母
朝の日を浴ぶる百坪草の花
前のめりに下駄動き出す阿波踊
どこからかイマジンの曲秋に入る
フィナーレは破れかぶれの揚花火
秋雨や傘の雫の美しく
もろこしや裏表無く笑ふ人
年ひとつ取りて立秋ケセラセラ
鍬担ぎ帰る夜道に蚯蚓鳴く
星空を読み解く神話夏休
豪快な翁の踊炭坑節
ゆうゆうと三越前にあかとんぼ
星空へ雲がらくがきして涼し
逆打の若き巡礼稲の花
お祓につづき古墳の草むしり
新涼や友の増えたる句会場

中山  仰
森下美紀子
松浦 玲子
山田 惠子
山田 哲夫
沼澤 敏美
真野 麻紀
松田独楽子
貞広 晃平
安部 育子
富樫 明美
西山 弓子
山西 悦子
松原 青風
牧野 敏信
鮎沢 百恵


禁無断転載