最終更新日(Update)'25.10.03

白魚火 令和7年10月号 抜粋

 
(通巻第842号)
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10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句  鈴木 誠
夏惜しむ (作品) 檜林 弘一
一番星 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭1位〜10位のみ掲載)
白光集 (奥野津矢子選) (巻頭句のみ掲載)
  小林 さつき、野田 美子
白光秀句  奥野 津矢子
白魚火集(檜林弘一選) (巻頭句のみ掲載)
  青木 いく代、高橋 茂子
白魚火秀句 檜林 弘一


季節の一句

(浜松)鈴木 誠

百歳の葬列長し秋高し  深井 サエ子
          (令和七年一月号 白魚火集より)
 百歳まで生きられた長命なお爺さん又はお婆さんのお葬式、その百年の歴史は色々な人達との縁によって綴られていて、その人達の長い列が生きた証を物語っているようです。そしてその葬列は澄み切った秋空の下を厳かに進んで行く。美しい景が目に浮かぶ素晴らしい句だと思いました。

秋の蚊や飛び立てぬ程血を吸ひて  伊藤 妙子
          (令和七年一月号 白光集より)
 この句を読んで、よたよたと這う蚊の姿を想像し、思わず笑ってしまいました。私にも経験が在ります。気が付けばお腹が真っ赤に膨らんだ蚊、つぶすと結構な血が吹き出ます。
 でも、この句ではこの蚊のその後が分かりません、叩いて潰したのか?それとも、そっと逃がしてやったのか?私は後者で在ってほしいと思います、何故なら、この蚊のお蔭で、このユーモラスな良い句が出来たのですから。楽しませて頂き有難う御座いました。

兄ちやんの彼女も入れて栗ごはん  小嶋 都志子
          (令和七年一月号 白光集より)
 お兄ちゃんと言えば当然、弟も妹もいるのでしょう。そればかりかお兄ちゃんの彼女までいるのですから、となれば、お爺さんお婆さんもいらっしゃると思われます。家族大勢でわいわいと賑やかに栗ご飯を頂いている景が浮かびます。ひょっとしたら、この彼女は近い内に、この家の嫁になるのかな?と想像したくなるような楽しい、良い句だと思いました。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 海の日 (出雲)安食 彰彦
海の日や散りたる伯父はレイテ島
白靴の眼をつむりつつ四拍手
蟬もしや出雲弁かもおほやしろ
拝殿の隅に消えゆく蟻の列
コーヒー店出れば炎天大鳥居
蟬の尿頭に受くる松葉杖
炎天の男は無言千木眺む
戦止むあの日みんみん啼きたるか

 雲の峰 (浜松)村上 尚子
一斉にひらく水門南吹く
夏つばめ河口の空をくつがへす
海月浮く波一枚に身をゆだね
沖をゆく船に目を遣る通し鴨
夏霧を分けて出てゆく漁舟
砂絵より鳥の飛び立つ雲の峰
白南風や喫水深く船帰る
突堤に砕く波音八月来

 虫の声 (浜松)渥美 絹代
暮れてよりくぐる茅の輪のさやぎをり
丸見えのカフェの厨房梅雨あがる
団塊の世代老いたり氷水
遠雷や小骨の多き魚煮る
夏の夜のどこかで笛をさらふ音
河鹿笛聞きつつ手打ち蕎麦を食ふ
指先に残る白墨ぎすの鳴く
浸したる豆のふくらみ虫の声

 小さき嘘 (唐津)小浜 史都女
紫陽花の夜はひといろとなりにけり
山滴り一枚岩の子安仏
てこずれる蚊帳吊草や草を引く
深海の水欲し旱続きけり
いしぶみは語らずただに灼けゐたる
風鈴や遥かを生きて来るなり
整然と杉山はあり秋隣
くちなしや小さき嘘に口籠る

 熊来 (宇都宮)中村 國司
然もあらむ土用鰻の日に熊来
熊の名を訊いてあそべや青蛙
万緑や熊のうはさもその中に
蓮すずし莟の並べて目の高さ
蓮池の辺に置き去られ赤き靴
鮎釣の腰を沈めてゐる荒瀬
油蟬已み天ぷらの揚がりたる
夾竹桃父のちちははどんな顔

 帆立貝 (北見)金田 野歩女
帆立貝届く田舎の佳き暮し
服の裾子に摑まるる螢の夜
海峡の烏賊火寂しき漁始め
青田晴大雪山の水豊か
国道を川に変へたる大夕立
ハモニカの上手な男の子キャンプ村
打水の直ぐに干されてしまふ日よ
下駄の鈴燥いでをりぬ庭花火

 夜の秋 (東京)寺澤 朝子
青しぐれ片身ぬらして子の戻る
蔦茂る路地の奥より水の音
白檀のかをり微かに古扇
恋秘めし遠き彼の日の京風鈴
白さるすべり父の叱責唯一度
雲切れて夕日燿ふ晩夏かな
細身のペンすらすら書けて夜の秋
祈ること多き八月来たりけり

 昆布刈る (旭川)平間 純一
風鈴草ふと師の声のするごとく
万緑や朱きレンガの捨てサイロ
黒々と暁闇の海みづくらげ
濃く淡く潮目の蛇行明易し
蝦夷丹生やただ潮騒のするばかり
小舟から身を投げ出して昆布刈る
朝焼や一隻灯し漁に出る
海の日の海へなだるる牧場かな

 灼くる (宇都宮)星田 一草
朝の路地掃くを日課に沙羅の花
真つ白な雲流れゆく青田かな
蟬の殻拾ふ城址に悲話あまた
浮いてこい覚めしばかりの子の笑顔
ぼんのくぼに清水のタオル歩き出す
路地灼くる風の動かぬ午後三時
列島の真つ赤に灼くる落暉かな
少年の海を見つむる晩夏かな

 晩夏 (栃木)柴山 要作
枇杷熟るる上枝は禽の解放区
空蟬の金剛力の鉤の爪
滝行に印を結びて子ら挑む
暴虐の止まざる連鎖劫暑かな
夏の夜の三本立の浅き夢
寄する波に晩夏のにほひ遠き恋
星影の近くなりたる晩夏かな
鈍色の池塘遠近晩夏光

 極暑(群馬)篠原 庄治
捩花の縒り解けたる終の花
鰥夫にもときには涙冷奴
戯言を聞き流しゐる端居かな
一瀑の音澄み渡る谷深し
森羅万象音を断ち切る極暑かな
一族の肩寄せ合へる墓洗ふ
蜩の連れ鳴く山里暮れにけり
乗り継ぎのリフト追ひ越す秋茜

 帰省子 (浜松)弓場 忠義
風鈴の過ぎし月日を近くして
胡坐かき浅草にゐて泥鰌鍋
海の日や潮入川に魚跳ねて
帰省子の話の切れ目なかりけり
山の端に崩るる夕日月見草
万緑へ牛の一声とどろかす
一笊の実梅のかをり二夜かな
短冊に絵文字の交ざる星祭

 四拍手 (出雲)渡部 美知子
梅干して今一度聞く天気予報
そんなことどうでもよろし蒸暑し
風死せり隠ケ丘へつづく径
遠く来て真名井の水に涼をとる
天焦がすほどに大千木灼けてをり
一条の滝に吸はるる四拍手
国つ神も肩で息する暑さかな
水打つて風新しき社家通り

 ホルンの音 (出雲)三原 白鴉
神紋に遺る金箔揚羽蝶
千年の古寺の石燈苔の花
立秋の湖岸に太きホルンの音
耳寄せて聴く朝顔の密か事
瘡蓋めく陸橋の錆残暑なほ
路地に積む魚籠のにほひや秋暑し
けふの日を静かに畳む木槿かな
草の花境界杭に市のマーク

 手の平 (札幌)奥野 津矢子
青すすき手の切れさうなしなやかさ
軽鳧の子の影ジグザグに繫がりぬ
手の平は甲より熱しかき氷
退屈と無縁の蟻の出入口
新種てふさくらんぼ空開いてをり
裏返るかなぶんに空高くあり
夜を遊び惚けてからすうりの花
炎暑居座る七曜の長くなり

 二羽の雀 (宇都宮)星 揚子
硝子伝ふ雨をぺろりと守宮かな
白南風や二羽の雀の尾を上げて
連山にぶつかるまでの青田風
空蟬や一番うへの枝の先
ゆつくりと開けば白紙落し文
梯子より下りて庭師の汗拭ふ
吹かれきて空蟬風を摑みたる
夏の夜の海てらてらと舟屋かな

 夏の夜 (浜松)阿部 芙美子
遠郭公疲れたる目に手を当てて
スカートの裾の触れたる茅の輪かな
向日葵にゆつくり夜の降りてくる
滴りや観音堂は崖に沿ひ
夏の夜の野外音楽堂にジャズ
虹立ちてLINEに既読付きにけり
あの雲の辺りがきつと天の川
鉦の音の染むる念仏踊かな

 窓 (浜松)佐藤 升子
大いなる土偶の腰や梅雨あがる
陶枕の山河に遊ぶ夢の中
ところてん話は早い方が良い
窓に日のいつまでもあり冷し酒
汗みどろの背よりリュック下ろしたり
引売りの声を遠くに籠枕
渾身の集中力で麦酒つぐ
向日葵の千本ほどをまのあたり



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 朝ぐもり (浜松)坂田 吉康
平飼ひの鶏が土蹴る朝ぐもり
夏蝶の迷ひ込んだる通し土間
橋の上に遠く橋見え夕涼み
小さきほど動き忙しく熱帯魚
ラジオより「牡丹燈籠」夜半の夏
半分は雲の中なるお花畑

 蟬 (牧之原)坂下 昇子
水輪生む何かが居りぬ梅雨の池
子の指を上りつめたる天道虫
傘立に捕虫網立て授業中
教室の窓に来て鳴く油蟬
翅音たて蟬の飛び付く夜の障子
きのふまで音してゐたる籠の虫

 鬼瓦 (浜松)林 浩世
白南風や丁寧にだし取つてをり
鬼瓦に水と一文字日雷
棟梁の指図短し日の盛
夜店の灯宝石箱の金メッキ
片蔭に体合はせて立つてをり
夏の果水面とろりと船溜り

 雲海 (浜松)塩野 昌治
廃線のレールを近く昆布干す
蝦夷丹生や原野の先のオホーツク
行くあてのあるとは見えず黒揚羽
雲海やコッヘルに湯の沸いてをり
教会の丘に風吹くうなぎの日
向日葵や赤子泣いてはすぐ笑ふ

 砂防垣 (鳥取)西村 ゆうき
白日傘朗報のごと風通る
日雷婦長の襟の三本線
飛び込みを終へ少年の声太き
砂に脱ぎたるサンダルの遠くなる
夕涼み瀬音は風を送り出し
夏果や風の迷路の砂防垣

 鈴木三都夫先生 (藤枝)横田じゅんこ
夏みかん剝くに握力足らざる日
割烹の裏口にある日向水
夕焼を使ひ切つたる舟帰る
洗顔の水を散らして今朝の秋
生きていまさば百歳の師よ秋蛍
山水のつまづく音や秋暑し

 日焼子 (群馬)鈴木 百合子
花合歓や導師の閉づる柩窓
通り雨茅の輪をくぐりをふる時
昼下り茅の輪に少し疲れ見ゆ
炎昼に斎竹色を失へり
日焼子の西校庭に円座組む
今朝の秋欄間の鶴の嘴長く

 硯切り (浜松)大村 泰子
ほつれたる葉の匂ひたる茅の輪かな
滝壺に行者の声ののまれゆく
涼風や赤ペン耳に硯切り
夕焼やリュックに犬の貌のぞく
黒柿の硯の箱や敗戦忌
夕空を濡らす雨音盆の家

 浦の宮 (呉)大隈 ひろみ
水無月の庭あをあをと暮れゆけり
並び打つ柏手涼し浦の宮
すらすらとは書けぬ返信百合にほふ
夏のれん掛けて裏まで抜くる風
万緑や目鼻失せたる磨崖仏
明易や入江にもどる漁舟

オーデコロン(出雲)石川 寿樹
今生の泳ぎ納めに稲佐浜
劇薬の効かぬ晩夏の仏かな
アロハシャツ欲しと突然妻の言ふ
禿頭に触れて風鈴鳴り出せり
古寺ののんど潤す清水かな
死出の荷にオーデコロンを取り寄する



白光集
〔同人作品〕   巻頭句
奥野津矢子選

 小林 さつき(旭川)
南風吹く小瓶の中の星の砂
アロハ着て呑気な村の役場かな
心太虫養ひと言うて食ぶ
水筒と日傘の武装では足りぬ
のろのろと風車の回る残暑かな

 野田 美子(愛知)
射干や格子のつづく裏通り
焙烙灸みな堂縁に腰掛けて
駒草や雲を眼下にがれ場越ゆ
壁走る紙魚それなりの影を持ち
夏空や峡を縫ひゆく一輛車



白光秀句
奥野 津矢子

南風吹く小瓶の中の星の砂 小林さつき(旭川)

南寄りの風を「南風みなみ」と呼ぶのは関東以北の太平洋岸だけでその他の地方では「はえ」「まじ」などを使っている。
夏の風には数多の呼び方があり歳時記の解説者による説明に南北に長い日本列島をしみじみと感じる。
掲句はそこに〝小瓶の中の星の砂〟を取り合わせて南の島を連想させている。沖縄県の竹富島で星の砂を探した経験がある私は土産物として小瓶に詰められているのを買ってきた。
星の砂は有孔虫の死骸で人類が地球上に出現するよりもはるか昔から存在していると載っているが、やはり小柳ルミ子の唄がすぐ頭に浮かぶ。北から南へとさらりと詠んでいて読者をロマンチストにしてくれる句と思う。
 心太虫養ひと言うて食ぶ
暑い日につるつるとした心太は食べやすく整腸作用もある。「虫養い」は空腹を一時的にしのぐための軽食で、京都弁との事だが知らなかった。この句もさりげなくさらりと詠んでいて、この作者の句にいつも勉強させられる。

焙烙灸みな堂縁に腰掛けて 野田 美子(愛知)

今年の猛暑は恐怖を覚えるほどだが作者の住む愛知も相当暑いと思う。掲句は「焙烙灸」(土用灸の傍題)をしてもらうために堂縁に腰をかけて待っている。みなとあるのでそれなりの人数が土用の丑の日に集まっているのがわかる。少し疲れた顔が浮かんでくる。何とかこの夏を乗り切りたいとここに集まったのだ。頭痛にも効くと言われているが作者が頭痛持ちでなければ良いのだが・・・。
 駒草や雲を眼下にがれ場越ゆ
季語の「駒草」で涼しさを感じる句に仕上がりホッとしたが、「雲を眼下に」とは高い山に登っているのだ。がれ場は岩石がごろごろとある急な斜面で歩くのに神経を使う。何とか無事に越えて安堵と達成感のある句になった。

道草の子に囲まるる落し文 岡  久子(出雲)

今は塾に行くとか習い事もあり道草の暇はないのかもしれない。それでもみんなで歩いて帰る時間は楽しい。そこになんと「落し文」が。「これ何?」と顔を寄せ合い手に乗せて見る。
きれいに畳まれている落し文を開いて見る子はきっといるだろう。その興味が俳句への興味になれば嬉しい。

一日の始まる麦茶冷やしをり 清水 京子(磐田)

暑い一日が始まる。今日の分の麦茶を作り冷やしている作者の後ろ姿が見える。頑張って今日も乗り切ろうとの決意を感じる前向きな句に仕上がった。

えぞにうやいつもはみ出す大きな字 市川 節子(苫小牧)

えぞにう(蝦夷丹生)はその名の通り北海道の山野に多く自生する。高さ一~三メートルになり傘を開いたような大きな花は「にうの花」と詠まれてきたが新版角川歳時記には載っていない。掲句の作者の字は大きくきれいで読みやすい。

夏座敷遺影の母の目路にをり 町田 志郎(群馬)

母の遺影の前でお参りをしている作者。いつも目の合う位置で話しかけているのでしょう。お母様も然り。自分は元気でいますと答えている様子が見える句。

茉莉花の庭に大きな鞍馬石 松山記代美(磐田)

京都の鞍馬から産出する鞍馬石は沓脱石や飛石として使用されると載っている。「茉莉花」はジャスミンの別名でサンスクリット語の「マリカ」が語源、白い香りと言う意味だそうだ。
掲句は「茉莉花や」と切れ字を使わず断切なく一句一章で詠んでほのかな香りの庭の雰囲気が出ている句になった。

冷房やつい見てしまふ注射針 稗田 秋美(福岡)

病院に来ているのだろうか。程好く冷房が効いて、気分がものすごく悪い訳ではないと想像する。先ずは採血からはじまると思うが注射の苦手な人は顔を反らす。しかしこの作者(患者)は注射の針が血管に刺さるのをつい見てしまう。私もじっと見る方なので共感出来る句。

膳に添へ錠剤七種日日草 森田 陽子(東広島)

お膳に薬が七種類も出されている。何の薬かは解らないが、年を重ねると何種類も薬が出て飲み忘れもしばしば。掲句は美味しそうに仕立てられて飲み忘れはなさそうだ。薬にもなる「日日草」の季語が即かず離れずで効果的。

土用干候文の手紙あり 浅井 勝子(磐田)

土用干しをしている作者。その中に「候文の手紙」があり、手に取って読み始めた。私も興味が湧き候文を調べてみると文語体の文で現代の「あります」と書く部分に「候」を用いる。
昭和二十一年に公用文が口語体に改められ現在はほとんど用いられないそうだ。何が書いてあったのだろう。

旱魃やダム湖の底の見えてをり 井原 栄子(松江)

農作物の凶作の原因は旱が多い。雨不足でダムの底が見えている状態では田圃のひび割れを早く救うのは難しい。
一方で線状降水帯が発生して豪雨になる地域もあり本当に大変な情況で心が折れそうだ。


その他の感銘句

テーブルを一つ継ぎ足す盂蘭盆会
土用灸足の三里に印つけ
夏豆や探偵やつと種明し
独り居を蠅虎の見てをりぬ
昼寝してまた積ん読が増えにけり
骨切りの音に始まる鱧料理
風鈴をあまた吊るして目の薬師
これやこの大雪山のお花畑
生くるとは残さるる事木槿咲く
膨れたる母のポケット茗荷の子
分け合へば地球は余る西瓜切る
梅干すや夫の自慢の庭の石
奉行所の畳廊下や風薫る
蝦夷にうや直ぐに見つかるかくれんぼ
匙の上ふふふと揺るるゼリーかな

荻原 富江
渡辺 伸江
砂間 達也
山田 惠子
鈴木くろえ
岩井 秀明
古川美弥子
山羽 法子
渡辺 加代
佐藤やす美
遠坂 耕筰
江⻆トモ子
高山 京子
服部 若葉
安川 理江



白魚火集
〔同人・会員作品〕   巻頭句
檜林弘一選

 浜松 青木 いく代
雲の峰スタートラインに置く十指
岩肌の苔を太らせ滝しぶき
枡に酌む冷酒肴は能登の塩
結論から始まる話冷し酒
瑠璃蜥蜴の見られてゐるは承知なり

 呉 高橋 茂子
夫看取る青水無月の夜の潤む
ゆつくりと喪の帯を解く夏夕べ
揃へたる藍のぐいのみ夏灯
貝殻を波に返す子晩夏光
夏惜しむ宿より橋の先を見て



白魚火秀句
檜林弘一

岩肌の苔を太らせ滝しぶき 青木いく代(浜松)

観照の効いた一句と言えよう。岩肌に生える苔は、長い時間をかけてじわじわと繁茂していく存在。そこに「滝しぶき」という激しさを持つ存在が一句の中で出会う。この場面では苔がただ「潤う」「育つ」ではなく、「太らせ」と表現したところに作者独自の見方がある。苔がしぶきを浴びてふっくらと肉厚になっていくというのである。「太らせ」という言い方にわずかに擬人的な違和感を覚えるかもしれないが、それがこの写生句に新しい息を吹き込んでいるとも言える。
 結論から始まる話冷し酒
人間臭さのある一句である。この場の冷し酒は単に飲み物としての清涼感だけでなく、夏場の社交と酔いの雰囲気を含んでいる。一から話を始め、結論が最後という長話は気短な人にとっては厄介なものである。「結論から始まる話」という言葉から、くどい話の枕を省き、すぐに本題へと進む、そんな様子に、よく冷やした酒のキレの良さと、話の切れ味が重なる。季語「冷し酒」が小気味よく効いた一句と思う。

夏惜しむ宿より橋の先を見て 高橋 茂子(呉)

ご主人を見送られた惜別の句柄が今月の投稿に並んでいた。掲句はその連作の最後に据えられた一句である。句を単体として鑑賞する場合でも、今年の夏の終わりを愛おしむ心情を含んだ作品と思う。宿という滞在の場にあって、旅の一区切りを感じさせる。加えて「橋」は向こう側へと続く象徴でもあり、その「先を見る」視線は、去りゆく夏への名残と、未来への思いの両方を含む。過度な表現に走らず、旅の心境をそのまま言葉にしたところに余韻がある。夏の終わりの旅情と人生の余情が重なる秀句である。
 夫看取る青水無月の夜の潤む
「青水無月」とすることで、しっとりとした青みのある六月の夜が描かれている。「夫看取る」という重い言葉で始まる一句だが、中七以降で受け止めた客観表現に情感が籠められている。この句には作者の主観と自然描写が重なり合っており、心情を直接的な言葉に頼らず、景に情を託したところに深さがある。

吾を捨てて風と往きたき日傘かな 富田 倫代(函館)

日傘という物に魂を宿らせた視点が新鮮で、作者の自由な発想力が光る一句である。日用品である日傘を生命のある存在として登場させている。日傘に「吾を捨てよ」と言わせることは、裏返せば作者の願望でもあろう。夏の明るさと、そこに潜む「解放への憧れ」とが同居する一句ともいえる。

打水の終ひの水は足にかけ 大石登美恵(牧之原)

ひとしきり打水をしたあと、残った水を無駄にせず、自らの足にかける。少しばかりの涼を得る小さな仕草である。「打水」という伝統的な夏の風習に、素朴で人間的な所作を重ねることで、涼感と生活感が立ち上がる。読者にも身体感覚を伴わせる点が、この句の魅力の一つ。

太陽を背負ひて来たる夏帽子 内田 景子(唐津)

大げさな表現のようでいて、「太陽」と「帽子(あるいは帽子をかぶった人)」の関係を的確に捉えているため、素直に一景が立ち上がってくる。帽子は本来、日射しを遮るものだが、ここでは太陽を背負ってやってくると表現することで、強い日射しと夏の時候の勢いを表すことに成功している。助動詞「たり」は場合によっては強調が行き過ぎることもあるが、この句の場合は力強く印象的な一句となった。

緑蔭に吟行の句の集まり来 福本 國愛(鳥取)

このところの夏場の吟行は、厳しさを増している。しかしながら、季題が溢れている季節である。多彩な切口の吟行句を生み出す絶好の機会でもある。掲句は吟行を終えた人々の句が持ち寄られ、とりまとめをこの緑蔭で行おうという場面であろうか。「人々が集まってきた」と言わず、「吟行の句の集まり来」と表現しているのがポイント。吟行会は俳句によって仲間同士の心をつなぐ活動。直接「仲間」や「人」と書かずとも、背後には緑蔭で安堵する人々の気配を感じさせる一句。

日本の夜の深さよ祭笛 広谷 和文(旭川)

「日本の夜の深さよ」と始めることで、夜の広がりや静けさ、日本の歴史の深みなども感じさせる。末尾に「祭笛」が置かれることで、夜の静寂の中に祭の音が響く情景が立ち上がってくる。祭の夜を簡潔かつ立体的に描いた作品。


    その他触れたかった句     

薄墨の和紙に滲める夏見舞
デパートは駅へ近道日の盛
夏の果水平線より風受くる
主語の無き二人の会話西瓜食ふ
秋簾硯切る窓開け放ち
宅配の人影黒き大暑かな
蚊遣香記憶に祖父の長煙管
梅雨晴間色の溢るるキルト展
試飲待つ樽の貯蔵所蔦紅葉
何もなき日のシャンパンの泡涼し
日雷眼鏡探してゐるところ
生垣の角そろへをり盆用意
八卦見のゐる日盛の骨董市
窓際は私の居場所今朝の秋
風死すや渋谷は今日も工事中

富樫 明美
鈴木 竜川
服部 若葉
町田由美子
高井 弘子
横尾 雅子
岡  久子
中山 妙子
松永 敏秀
長沢 成美
浅井 勝子
府川 洋乃
植田 喜好
脇山 石菖
塩澤 涼子


禁無断転載