最終更新日(Update)'12.06.01

白魚火 平成24年6月号 抜粋

(通巻第682号)
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 6月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    諸岡ひとし
「桜鯛」(近詠)  仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
佐藤升子 、藤田ふみ子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
平成二十四年度  第十九回「みづうみ賞」発表
句会報 白梅俳句会 船木淑子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          大久保喜風 、吉川紀子  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(唐 津) 諸岡ひとし

  
子の墓を訪ひ母の日の終りけり  荒井 孝子
(平成二十三年八月号 白光集より)

 「母の日」は、母への感謝の日である。
 作者の御子息は、親の励ましと子の奮起が功成り、医学生として成長されていたが、学業半ばに忽然と急逝されたのである。御両親の悲嘆は如何ばかりだっただろうかと思われる。
 時を経ても忘れることのない愛息との思い出、墓参の度に甦える思慕の情。
 毎年巡り来る「母の日」は愛しい息子の追憶の日でもある。

田水張り小学校は浮島に  柴山 要作
(平成二十三年八月号 白魚火集より)

 田を耕し、田をならす代掻が終わると、田に水を張って行く。水を張るには、上の田から水を落すか、溝から引くか、水車や動力で揚水するかである。そして畦塗りをし、ようやく代田となる。
 その代田のさざ波に揺れる校舎。学校から流れてくる子供たちの声。蛙の鳴き声。如何にも平和がもたらす田園風景そのものである。

採りたての胡瓜棘もち自己主張  高添ふく代
(平成二十三年八月号 白魚火集より)

 胡瓜は新鮮であればある程、棘が鋭く、ささると、思わず悲鳴をあげることもある。
 棘が胡瓜にとってどんな役目をしているかわからないが、作者は、胡瓜を疑人化して、棘は胡瓜の自己主張と断定した。そこにこの句の面白さがある。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 桜  安食彰彦
啓蟄や一年たちぬ三一一
剪定の鋏しづかに奏でをり
携帯の請求八万四月馬鹿
パトカーに追ひ抜かれたり四月馬鹿
もういちど千鳥お城に花筵
こみあげてくるさびしさや花万朶
眼の奥にさくらさくらの咲き満ちて
なかんづく去年に植ゑたる糸桜

 さくら餅  青木華都子
春寒し短か目に髪切りつめて
余寒なほ用件のみの置き手紙
啓蟄や未だ未だ続くとふ余震
下校の子道草が好き地虫出づ
嫁菜摘む似ても似つかぬ三姉妹
日帰りの旅の土産の花菜漬
花三分寝釈迦手枕してをりし
刃物屋に隣る駄菓子屋さくら餅

 黙  祷  白岩敏秀
ままごとの卓は切株犬ふぐり
恋の猫水舐めてまた闘志だす
啓蟄の土踏み父母の墓へ行く
黙祷の一分間の春寒し
雉子鳴くや朝の畑に雨ひかる
木の芽風芝生の円座より笑ひ
沈丁花日暮れの庭に雀来る
映りゐて流れに触れず雪柳

 メルボルン紀行  坂本タカ女
冬麗や尾翼のマークカンガルー
ビル街の真夜駈け抜け冬の雷
シドニーの夜の明けきらぬ落葉掃き
オペラ座や大つごもりのトラヴィアータ
ギャラリーに雀とびこむ冬日かな
貸自転車駐輪場や返り花
冬晴や樹の上怠惰なるコアラ
海来るリトルペンギンを待つ冬の月

 早 春 譜  鈴木三都夫
堂縁に雨だれを聞く牡丹の芽
矍鑠と焔立ちたる牡丹の芽
山門へ芽吹く高さの辛夷かな
平凡を是とし句も亦犬ふぐり
防風を摘みたる爪のまだ匂ふ
潮騒を離れて高き揚雲雀
砂濡らし渚を舐る春の波
流れ若布を渚に拾ふほまち漁
 初  燕  山根仙花
竹林の込み合ふ暗さ冴返る
春寒し寒しと池を一巡り
残り鴨二羽ゐて二羽の水脈並ぶ
春の夜の耳輪きらりと座につけり
放し飼ふにはとり千羽春の草
やはらかに結ぶ風呂敷春灯下
振つて畳む雨傘匂ふ木の芽雨
初燕喜々とわが家のあたりとぶ

 母の形見  小浜史都女
枝垂梅筑紫次郎にしだれけり
芽木冷や黒磯黒く潮満ち来
海底の見えゐて深し磯青む
百千鳥潮入川のふくれくる
火にあたり漢としばし白魚待つ
潮の香の濃くなつてくる白魚簗
寿司桶も母の形見よ入彼岸
花冷や笊のかたちにざる豆腐

 木 の 芽  小林梨花
旅伏嶺の裾広々と麦青む
山茱萸の咲くや古川の忌の近し
本陣の茶室白梅明りかな
水色の空へ辛夷の蕾上ぐ
芽柳や水かさ増えし大蛇川
渓流に沿うて人住む梅の里
カラフルな遊具の濡れて木の芽雨
少年の声城趾まで木の芽吹く

 菊 根 分  鶴見一石子
蔵の街蔵の切れ目を初燕
首塚の更地となりし迷ひ蝶
杉並木神の御領も霾れり
坐せば立ち死ぬる暇なき目借り時
桜餅葉脈にある日の匂ひ
菊根分この土の香が好きなのさ
余白なき生き方がよし春北斗
さくら咲くけふある命神に謝す

 風 光 る  渡邉春枝
てのひらに余る椿の一花かな
初蝶やひと日エプロンかけ通し
春遅々と土に汚れし犬の鼻
暮れかぬる机に平家物語
切り株のしるき年輪山笑ふ
水脈に水脈つらねて瀬戸のうららけし
風光る一人ひとりに海展け
海峡に架かる橋脚初ざくら


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 鴬  辻すみよ
雨の日は雨の重さに梅の散る
初音聞く雨のけぶらふ中にゐて
鴬の雨に鳴くことためらはず
雪柳風の姿を見せにけり
かたかごや小夜の中山峠口
三月の水に跳ねたるあめんばう

 桜 咲 く  源 伸枝
坊守の髪のリボンや春の風
卵抱く雉子に雨の募りたる
春愁や指に遊ばすボールペン
くり返し読む診断書春の雷
鳥声を真似る口笛桜咲く
国分寺の一打の鐘に春惜しむ

 春 の 星  横田じゅんこ
ふんはりと椅子の羽織れる春セーター
炉塞ぎの畳冷たくありにけり
落雲雀みんな入れと麦畑
縺れてはすぐにほどくる芹の水
母のこと逝きし子のこと紫雲英摘む
春の星仰ぎ疲るること知らず

 名草の芽  浅野数方
猫座る駄菓子屋一軒あたたかし
春の鴨沼の空気を膨らます
同心の入植系図陽炎へり
名草の芽窓辺に並ぶ蝦夷日誌
亀鳴けり蝦夷開拓の不動尊
春愁や寝そべる熊の皮に座し

 雪  柳  渥美絹代
雛納遠山にまた雪のきて
花通草母といつぱい話したり
鳥帰る病名夫と聞きてをり
外泊の風のやはらか雪柳
鳥雲に外見るための椅子一つ
清明や白雲ほぐれては流れ

 揚 雲 雀  柴山要作
日輪を底ひに置きて水温む
道祖神峠の春はまだ遠し
許されて摘む山寺の蕗の薹
春星出づグランド均らす球児かな
末黒野に土筆塊り生れにけり
揚雲雀峡の一村事もなし

 孕 み 鹿  西村松子
龍神の賽櫃に賽打ちて春
師の句碑に木々はこぞりて芽吹きたる
仮名文字のやうな風紋鳥帰る
一舟もなき三月の湖の藍
前足を折りてより座す孕み鹿
原発の塔見えてをり芹を摘む

 石  人  森山暢子
舟と舟寄せ合ひ魞を挿しはじむ
日沉の国や和布を天日干し
石人は瞼をもたず鳥雲に
永き日を膝くづしたる女身仏
神木の洞のねぢれや捨雛
俯しに松風を聞く捨雛



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 佐藤升子

春月やかすかに動く甕の水
ゆふがたの風吹くころの桜かな
春愁のあご載する手のありにけり
春の波筬打つ如く浜に寄す
春ともし珈琲碗は備前焼



 藤田ふみ子

落椿水に乗りつつ華やぎぬ
手に届く高さに雛母の部屋
クレヨンの黄色すぐ減る春休み
剪定の鋏の音の弾みけり
大凧の風使ひきる高さかな



白光秀句
白岩敏秀

ゆふがたの風吹くころの桜かな  佐藤 升子
 
 夕方は昼と夜とが交替する境界の時間帯。桜にとっては昼と夜の観客が入れ替わる幕間でもある。雪洞が点けば夜桜。そのための化粧直しの時間でもあろう。
 雪洞もとでまた別の美しさを見せて呉れる桜への期待がこの句にはある。夕風がその期待を少しばかり煽っているようだ。
 「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」。与謝野晶子のうたを口ずさみたくなる。
春の波筬打つ如く浜に寄す
 青々とした海、広々とした渚が見えてくる。渚に崩れる小さな波音も聞こえてくる。
 水平線から足許まで続く海原を経糸にして、筬を打ち込むように渚へ寄せてくる春の波。まるで波の筬の動きで、一枚の藍布が織りあがっていくようだ。春の波を筬に喩えた作者の感性が新鮮だ。

大凧の風使ひきる高さかな  藤田ふみ子

 平成二十二年に浜松で行われた全国大会の時に中田島砂丘に行った。砂丘では凧揚げの練習をしていた人がいて、大凧を自在に操っていたのには驚いた。浜松の凧揚げ合戦の凧は四帖と六帖が適していると「浜松まつり会館」から聞いた。
 揚句は風を使い切って唸る大凧を描くことで、男達の勇壮な姿を描いている。糸を引っ張って踏ん張る脚の張り、盛り上がる筋肉そして雄叫びや光る汗。男達の全てのエネルギーが凧の高さに爆発している。見えるものの描写から見えないものを引き出して臨場感がある。

数字にはならぬ幸せ春きざす  小林さつき

 さりげない日常のさりげない実感が表白されている。赤ん坊が笑ってくれた幸せは数字にならないし、病人が頷いてくれた安心は数字にはならない。幸せはグラムでもセンチでもパーセントでもない。さしずめ「春きざす」と感じる幸せはその最たるものである。

客去にて俄かにしたる花の冷え  村松ヒサ子

 賑やかさ和やかさ暖かさなど全てを客が持ち帰ってしまった。客間がもとの静けさに戻ったときに感じた花冷え。現実の花冷えに心理的な冷えも加わっての「俄か」なのであろう。それほどに楽しいひとときがあったということだ。美しい花の夜に美しい思い出が残った。

初蝶の庭の起伏をたしかむる  早川三知子

 初蝶にとってこの世は未知の世界。どこに美しい花があり、どこに美味しい蜜があるのか全く分からない。だから初蝶はそれを探して波打つようにゆっくりと上下に飛ぶ。
 揚句の初蝶も上を飛び、下を飛んで庭の起伏を確かめているという。初々しい蝶の翅づかいを見ている作者の目が暖かい。

石段の上に人声梅香る  榛葉 君江

 「石段」で高いところにある梅と分かる。「人声」で人出の多いことが分かる。そして「梅香る」でかなりの本数の梅であることが分かる。
 声と香りの世界から目に見える世界を描きだしている。みごとな写生句である。

卒業生去りたる後の椅子の列  竹田 環枝

 縦列、横列に整然と並ぶ椅子。先ほどまで卒業生達が腰掛けていたものだ。彼等はこの椅子に座り色々なことを学び、色々な思い出を作ってきた。その椅子がらんとした講堂に取り残されている。
 卒業という喜びあとにくるさびしさ。それを「椅子の列」ときっぱりと断ち切った。断ち切った力が卒業生達への大きな期待につながっている。彼等に贈る暖かいエールである。

新しき靴音のする四月かな  仙田美名代

 四月は新しいスタートの月。入園、入学、入社等々…。四月の靴音はこれら全てを包み込んで軽快だ。
 夢と希望に溢れ、浮き立つような靴音が街角や路地に響いている。新しい靴音を聞きながら作者も読者も若い日に帰っていく。


    その他の感銘句
てのひらに水の香残る月おぼろ
教室の窓より飛べりシャボン玉
いかるがの里の蓬を摘みにけり
やはらかく日の暮れてゆく花御堂
村中をめぐる水音春祭り
山独活の香や故郷に兄独り
忘れ鍬しつとり濡らす春の雨
境内の骨董市に若布売
あの世でも世話好きですか涅槃西風
芽柳の橋を渡りて美術館
春立つや玉湯散らして刃物打つ
本堂の仏の耳に余寒かな
人影のまばらになりて梅匂ふ
後手に少女持ち来るつくしんぼ
降り足りて雲の切れゆく花の山
弓場 忠義
竹元 抽彩
大澄 滋世
田久保柊泉
横手 一江
後藤 政春
曽根すゞゑ
五十嵐藤重
三浦 紗和
福永喜代美
坂東 紀子
内藤 朝子
安食 充子
田中 藍子
古藤 弘枝


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 川 崎  大久保喜風

啓蟄や杏色なる宵の月
玄海の浪音を背に松露搔く
片隅に押しやられたる春炬燵
紅梅を見て白梅に佇ちつくす
春の汗匂はぬほどに滲みけり

 
 旭 川  吉川紀子

ひざの上ジャンプしてゆく恋の猫
運針の糸ひきしぼる日永かな
遺されし者達の黙鐘朧
春愁や真夜にはうぢ茶熱くして
先輩のアーチをくぐる入学児



白魚火秀句
仁尾正文


玄海の浪音を背に松露掻く  大久保喜風

 松露は、菌類の食用きのこ。春と秋海浜の松林中に生じ、球状で傘茎の区別がない。特有の香りがあり吸物の実などに使われる。掲句は作者の故郷唐津市の虹の松原だろうか。
 この句では、さりげなく置かれた「玄海の浪音」が色々なことを思わせる。軍歌「戦友」には「玄海灘で手を握り名を名乘ったが始めにて」という歌詞がある。又二度にわたった元寇では何れも神風が吹き蒙古軍が退散した。逆に日本が何回も朝鮮へ侵攻した歴史がある。殊に太閤秀吉は名護屋城を拠点にして二度にわたり出兵した。切支丹弾圧により多くの殉教者が血を流し「隠れ切支丹派」は現在も当時のままの信仰を守っているという。
 唐津の先祖の墓を丁寧に守っている作者に子守唄のごと聞こえた玄海の浪音は、さまざまな事を蘇えらせたのであろう。

先輩のアーチをくぐる入学児  吉川 紀子

 若々しい作品である。入学式の終りに新二年生がペアで手のアーチを作りその下を一年生が、はにかみながら潜っている。此の頃は幼稚園から小、中、高校まで一貫の学校もあり受験に苦しむ園児もある。対して掲句はフツウの小学校のフツウの入学式。のびのびとして楽しそうなのはそのせいであろう。
 同掲の「春愁や真夜のほうじ茶熱くして」も季題趣味を離れ普段着のくつろぎが見える。

卒業の子に指先を向け拍手  清水 純子

 この拍手は卒業式の式辞や祝辞へのお座なりの拍手ではない。可愛がっている子にだけ向けた心からなるお祝いの拍手である。「指先向けて」の描写が秀抜だ。

瀬戸またぐ赤き橋桁木々芽ぶく  西田  稔

 呉と倉橋島との間の音戸瀬戸は幅九十メートル、潮流の早い重要な航路である。掲句はそこに架かった音戸大橋だろう、と思う。木の芽のやわらかい緑と赤く塗られたアーチ型の橋桁の調和がみごとである。
 昨年広島白魚火会の忘年句会に招かれた。ここでは句会後全参加者が一言意見や感想等を述べる慣わしがある由。この日は各人二分位で自己紹介をしていたが堂々としていた。この作者は、白魚火集の何年何月号のこういう自作にこういう添削を受けたと二十句程を丸暗記で述べた。添削の内容を暗記しているということは身についたということ。感服すると共に選者冥利を覚えた。

芽柳や天守を望む馬溜り  栂野 絹子

 馬溜りとは城門の内外に沢山の馬を立て並べるために設けた空地。俳句は詞芸であるから語彙を豊かに持つということは大切である。

春灯下和韓辞典に首つたけ  和田伊都美

 栃木県日韓女性親善協会長を二十五年も続けている青木副主宰の韓国語は一流で夫君の訪韓には通訳として同伴するという。この作者が親善協会員かどうかは別にして和韓辞典に首ったけで勉強していることは良い。何にでも興味をもつことは老化を遅らせる。

春ですね青き小花と黄たんぽぽ  山本 秀子

地虫出て俳句作つてみませんか  青木 源策

 共に口語俳句である。筆者は終生有季定型歴史的仮名遣を守る積りだがよい口語俳句は採ることにする。
 昨年の角川短歌賞「一人・教室」は愛知県の女子高三年生。また平成二十三年の宮中歌会始めに富士市の女子高三年生の「駐輪場かごに紅葉のついている君の隣へ止める自転車」が入選した。いずれも口語短歌である。平成二十三年の国民文化祭でも長崎工高三年の男子生徒の「ラムネシュワッ天地ひつくり返し飲む」が静岡県知事賞になった。一方昨年の「俳句甲子園」の優勝校東京開成高は、有季定型旧かなであった。今後文語俳句、口語俳句が切磋琢磨して共存する時代になるであろう。

見置きしてふた巡りして苗木買ふ  知久比呂子

 苗木に限らず衣料にしても靴にしても一度見ていいなあと思いながらも他も探す。がやはり最初に見置きしたものを買う主婦のショッピングの楽しさ、誰もが覚えのあるもの。

別れ雪ぴしやり決まりし歩の一手  中村 和三

 将棋では歩の使い方が上手くなれば段が貰えるという。掲句は快心の一手の歩である。一挙に勝勢に傾いたことが分る。季語の「別れ雪」もよく効いている。


    その他触れたかった秀句     
耕して耕して母老いにけり
初桜嬰児の乳歯見えてきし
耕して土の生命の蘇る
前山に初音谺を返しけり
畑返すときどき土に話しかけ
雛の軸納むるに手を洗ひけり
どこからも見ゆ菩提寺の山桜
春障子線香立ての灰平ら
待春や鏡の被ひ全開に
春の泥落して行きし宅配便
今直ぐに行きたい心地梅便り
爪先の余る靴下春寒し
黄金の花片十四福寿草
畑打ちし夜の快き疲れかな
腕時計交換をして卒業す
早川 俊久
村松 典子
渡部 幸子
篠原 庄治
保木本さなえ
奥野津矢子
中野キヨ子
重岡  愛
橋本喜久子
水出もとめ
石川 純子
内田 景子
清水 孝を
永瀬あき江
鈴木 順一

禁無断転載