最終更新日(Update)'12.07.01

白魚火 平成24年7月号 抜粋

(通巻第683号)
H24.4月号へ
H24.5月号へ
H24.6月号へ
H24.8月号へ


 7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   檜林弘一
「緑立つ」(近詠)  仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
荒木千都江 、栗田幸雄  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          荒木千都江 、篠原庄治  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(名 張) 檜林 弘一

  
川床料理北山杉の箸を添へ  石田 博人
(平成二十三年九月号 白光集より)

 立夏を過ぎると京都三条・四条界隈の鴨川沿いの料亭では一斉に川床を迫り出し始める。近年、温暖化の影響か、盛夏の頃の京都市内は川床と言えども涼を求めることが難しくなっている。掲句はむしろ高雄、あるいは鞍馬・貴船といった京都北部エリアの川床料理を想像したい。特に、貴船川沿いの川床は場所によっては清流が床下わずか一尺ほどに流れており、涼味満点である。おりしも、並べられた料理には北山杉を削りだした地産地消の箸が添えられているという。せせらぎを聞きながら北山杉の香も漂う川涼みの一句である。

半夏生おしやれして見るピカソの絵  谷山 瑞枝
(平成二十三年九月号 白光集より)

 「半夏生」、夏至から十一日目、七月二日ごろにあたり、この頃から梅雨が明ける。この伝統的な季語への取り合わせは、意表をつくような「ピカソの絵」である。歳時記によればこの季語には農事の背景がある。「半夏半作」という言葉もあるように、この日までに田植えを終えないと半作になるというから、農事作業上のクリテイカルな目安とされていた日だとわかる。田植が終り、農家にとってはようやく一息をつける頃なのである。掲句は農事と結びつけなくとも、うきうき感が感じられる。ピカソ語録のひとつに「明日描く絵が一番すばらしい」がある。これは巨匠の残した一万余の絵画作品のパワフルさを物語る。作者は梅雨明けの陽射しの中、展覧会へ足を運び、ピカソの絵に元気をもらったに違いない。「おしゃれな」季節の一句に共感したい。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 白 牡 丹  安食彰彦
白牡丹住持笑顔で迎へけり
白牡丹方丈広く開けにけり
白牡丹そびらに亀の池ありて
白牡丹しづかにゆるる風生れて
近づけばまどかなにほひ白牡丹
横ざまの雨白牡丹崩るるか
白牡丹褒めそやしつつ帰りけり
白牡丹塔頭に傘忘れけり

 蕗のたう  青木華都子
二代目の女将は二十歳蕗のたう
落椿陶工房は留守らしき
花菜畑黄の絨緞を敷きつめて
見おろして見上げて花の山登る
ほろ酔ひのうたた寝が好き桜の夜
搾乳の牛に番号山笑ふ
掘りたての竹の子土間に山の宿
雨乞ひの夜蛙声の嗄るるまで

 綿 菓 子  白岩敏秀
堰までは静かな流れ芹の水
沈丁花真昼の空気飽和して
綿菓子のふくらんでくる春祭
頭から揺れのはじまる葱坊主
蠅生まれしあはせさうに翅ふるふ
赤ん坊に指にぎらるる花の昼
囀りの高まつてくる枝の揺れ
花大根道の岐れて人別る

 白い太陽  坂本タカ女
蒟蒻玉十字縛りに提げ来たる
カーテンに取つ手がありぬ隙間風
春を待つ茶屋の万古の大急須
風花や弟けふはピアノの日
雛の日のむかしのカレーライスかな
啓蟄の蜘蛛を踏みたる土踏まず
落ちゆける白い太陽雪解山
雪解遅々駅へのメインストリート

 蹲躅句碑  鈴木三都夫
いのちなが句碑へ蹲躅の緋と燃えて
蹲躅燃え句碑の光陰安らけし
杖借りて句碑を訪ぬる蹲躅かな
苞弾き弾き咲き継ぐ蹲躅かな
淡々と桜を残す夜のとばり
桜散る明日の風を待ちきれず
借景の富士を隠して花ふぶく
ばらばらに散つて筏を組む桜
 みどりの夜  山根仙花
雲雀野を杖振り上げて歩きけり
過ぎし日の文の束焼く鳥曇
み仏に及ぶ遅日のひかりかな
文机に肘つき春を惜しみけり
長き文書き終へて春惜しみけり
咲き満ちて水音通ふ花辛夷
一碗の粥の白さやみどりの夜
代田澄み峡に物音なかりけり

 蝶 の 恋  小浜史都女
蝶の恋ただ美しく見てゐたり
川原にも降りてゐたりし踊子草
どの花にも合ふ小手毬をまた生くる
五月来る飛び石ひとつづつ跳んで
耳さとき鯉もゐるなり夏はじめ
封切らぬ香水夏の来たりけり
緋牡丹の緋の濃き雨となりにけり
存分に草引きし手のかがやけり

 誕 生 仏  小林梨花
濡れ縁に傘を立てかけ灌仏会
いと小さき誕生仏や厨子出でて
持ち寄りし花もて飾る花御堂
供へたる百花の明かり降誕会
衆生みな誕生仏に額衝きて
艶やかな光を放つ甘茶仏
花祭振舞はれたる茶飯の香
仏生会終へし宝前雨の音

 海  朧  鶴見一石子
天平の丘天平の花床几
夜の桜紫暈し白暈し
花篝狐の儀式見るやうな
小礁の混沌として海朧
苗木市ところ仕切りの縄とどく
鼺鼠のみひらくまなこ夜の新樹
汐引きし渚の朝の跣かな
人の世は掟の多し花楝

 白 木 蓮  渡邉春枝
夜は夜の風を集めて白木蓮
渚まで鳥の足跡さくら東風
湯の里の足湯ほどよき遠桜
さくら散るかすかな音へ象の耳
新装の店舗こみ合ふ遅日かな
針に糸素直に通り夏きざす
乾杯のワインの琥珀聖五月
牛舎より仔牛顔出す若葉風


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 牡 丹 島  富田郁子
地続きの島へ牡丹の百花見に
紅ほのか虚子もめでたる白牡丹
とばぬやうゴム紐つけし夏帽子
国展入選通知が届く聖五月
東京国展二日続きの緑雨かな
機内食もとより麦酒などは無し

 惜  春  橋場きよ
言の葉にすれば「玉響」薄氷
兼好忌いま諾へることばかり
水仕事手順よく済み朝桜
紅白梅いづれが女御か中宮か
夜半書きて昼春眠をむさぼりぬ
惜春や夢に逢ふ人みな若く

 かたかご  田村萠尖
反り深きかたかごに陽のやはらかく
ひと雨にかたくりの花褪せにけり
閊へつつ鶯らしき声となる
咲ききつて石楠花雨に白みけり
谷沿ひの道の明るし濃山吹
紫木蓮空に向ひて咲き揃ふ

 こでまり  桧林ひろ子
マネキンの一足先の更衣
燕来る不意に子供の来さうな日
こでまりのてんでに吹かれゐて素直
原子炉を掠めて鳥の帰りけり
音程の怪しきもゐて囀れる
あかときの雨の上がりしチュウリップ

 遠  足  武永江邨
血縁の子が遠足のしんがりに
野辺へ出て遠足の列乱れがち
桜蘂降るやかすかな樹の匂ひ
五月来る一樹一草みな光り
あめんばうひと掻きごとに光りけり
蓮浮葉くぐれる水に生くるもの

 日  永  桐谷綾子
入院の夫に日脚の伸びにけり
都忘れさりげなく活けゆかしけれ
ほろと散りやまぶきほろとまた散りぬ
日永かな木の芽の匂ふ笊を干す
祭笛息継ぐたびに唇を舐め
父の忌のその日のごとく木の芽雨


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 荒木千都江

咲き満つる静かな重さ朝桜
走りくる水に崩るる花筏
紅さして鏡の中の春の顔
水平線ふくらんでくる春岬
地を打ちて風にこでまり弾みをり



 栗田 幸雄

初つばめ軒に好みのありにけり
つばくろや音かろやかに葛布織る
物の芽に雨の明るき一日かな
地球儀の小さな列島さくら咲く
菜の花や蛇行大きく黒瀨川



白光秀句
白岩敏秀


咲き満つる静かな重さ朝桜  荒木千都江

 「さゆゆさと大枝揺るる桜かな 村上鬼城」は満開でしかも動いている桜。揚句は満開の重さに微動だにしない桜。
 朝の新鮮な大気のなかで、盛り上がるように咲く桜のボリューム感がひしひしと迫ってくる作品である。しかも、「咲き満つる」としてなおも咲き満ちようとするエネルギーすら感じられる。懸命に咲いて咲き満ちて、そして旬日で潔く散っていく桜。桜花には日本人の美意識が凝縮されている。
紅さして鏡の中の春の顔
 男性の入っていけない世界が女性の化粧の世界である。もっとも近頃は男性も化粧をするらしい。そんな話を聞いて眉をひそめるようでは、もはや後期の年代の部類だ。
 口紅をひけば化粧はできあがり。鏡の中の自分に、にっこりと笑って春の顔をつくる。そして、颯爽と町へ出かけて行く。活動的な春の始動である。

菜の花や蛇行大きく黒瀨川  栗田 幸雄

 「黒瀨川」は黒潮のこと。黒潮は日本列島に沿って流れる暖流。藍黒色の潮流で幅一○○キロメートル、流速は毎秒一・五メートルにもなるという。
 蛇行する黒潮と一面の菜の花を組み合わせた海と陸の景が壮大である。山からの俯瞰であろう。景に立体感がある。近景の菜の花、遠景の黒潮そして背景の空や山の色など、読者に様々なことを想像させながら句に無理がない。詩情の大きさが句柄を大きくしているからだ。「成長し深化を続けている」(仁尾主宰の言葉)作者がいる。

演歌師も手品師もゐる花筵  福田  勇

 勿論、プロの演歌師や手品師ではない。素人である。
 今年は桜の開花が少し遅れたようだ。その分開花したときの喜びは大きい。早速、あちらこちらに花筵が広げられ、賑やかな宴が始まる。マイクを握れば演歌師、酔った手で皿を裏返せば手品師。昼間は戦う企業戦士たちも花筵の上では楽しそうに変身していく。それが愉快だ。

手づくりのコップがふたつ新茶汲む  高村  弘

 俳句に数詞を使うことはなかなか難しい。常に何故ひとつか、どうしてふたつかがつきまとうからだ。しかし、この句の「ふたつ」は動かない。もし「ひとつ」であったらどうか。きっと、新茶ではなく古茶になっていただろう。それほどこの「ふたつ」は効いている。
 手作りの二つのコップに注がれたあたたかな新茶。言葉はなくとも気持ちは通い合う間柄である。そうなるまで二人が共同して重ねてきた長い歳月。手作りはコップだけではない。二人の人生なのだと思う。

良寛忌雀と同じ日差し浴ぶ  井上 科子

 我々の知る良寛さんは日暮れまで子ども達と鞠をついて遊び、落栗の山道は危ないから月が出てから帰れとすすめる優しい人である。良寛さんは江戸後期の禅僧。家を捨て寺を捨て七十歳で恋に燃え、越後の五合庵で七十四歳の生涯を閉じた。忌日は陰暦一月六日。
 その良寛忌に作者は縁側、雀は庭で、伸びた日差しをそれぞれに楽しんでいる。同じ日に同じ日差しを共有している作者と雀は、まるで百年の知己ようで楽しそうだ。優しい良寛さんは決して「天上大風」を起こさないだろう。

百本に百の喜びチューリップ  相澤よし子

 細見綾子に「チューリップ喜びだけを持つてゐる」の句がある。太陽に向かってひたすらに咲くチューリップを喜びの姿として捉えている。
 チューリップが大きく開くのは喜びの表現。風に大きくゆれるのは喜んでいる証拠。太陽と大地の恵みに花開いたチューリップ。自然の欠けることのない円満相が百本のチューリップに表現されている。

穏やかな茶摘日和となりにけり  伊藤 巴江

 技巧を弄することなく、思わず口に出た言葉に純真な響きがある。
 今年の八十八夜は五月一日であった。穏やかな日和に始まった茶摘作業。すべてを放下して、起伏する緑の茶畝に同化したいような一句である。

春田打つ女の上げし鍬の影  高野 房子

 鍬の陰影がはっきりと見える句。
 降り上げる/狙う/打ち下ろす、耕し動作が五七五のリズムに乗っている。浅く忙しく打つ鍬ではない。春田打ちのエッセンスだけを描き出して力がある。


    その他の感銘句
豆腐屋のつり銭濡れて春の暮
酢を利かせ飯粒正す五月かな
空港の案内嬢の夏帽子
菜の花の土手ゆるやかに曲りけり
若葉して山の素性の見えて来し
気配して竹の子掘りのゐるらしき
春の虹岬へ向かふバスに乗る
運動靴白く乾きて木の芽張る
地球儀になき青空や四月馬鹿
桜餅今この刻の大事なる
松の芯陶土を寝かす荒筵
三月の声美しき雀かな
チューリップ兎の耳のよく動き
笹小屋守はいつも朗らかクロッカス
日時計に日の薄かりし昭和の日
大村 泰子
阿部 晴江
西田美木子
牧野 邦子
須藤 靖子
梶山 憲子
田中ゆうき
岩崎 昌子
山田 敬子
太田尾利恵
片瀬きよ子
佐藤 恵子
池森二三子
石川 純子
七條きく子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 出 雲  荒木千都江

父の忌のこの月この日桜降る
桜散る十三回忌修しけり
法要の灯は春の色もてり
紫木蓮仏の花と仰ぎをり
初蝶の土手を平らに過ぎにけり

 
 群 馬  篠原 庄治

伏せ葱の坊主頭を揃へけり
鳴き落ちて野の色となる雲雀かな
戯れに千切る若草乳を噴く
早蕨を手折れば山の音生る
首振つて睡気を醒ます目借時



白魚火秀句
仁尾正文

父の忌のこの月この日桜降る  荒木千都江

 「父の忌」の父は先師荒木古川主宰である。先生は平成十二年四月十四日に逝去され早くも十三回忌が行われた。「桜降る」は遅桜であろう。山桜やそめいよしのは「桜散る」であるから「桜降る」は大きくて重い遅桜の的確な描写である。
 古川先生は、昭和三十年白魚火を創刊し、中村春逸選者の三年を除いては遠隔地の西本一都先生と息を合わし編集発行を永年担当し来年末には創刊七百号を迎える白魚火は、一号の欠刊も遅刊もなく継続している。古川先生が築き上げてこられた大きな功績である。
 筆者は、昭和三十六年旧平田市の鉱山に在勤し、縁あって古川先生に初心者ばかり十数名の句会指導を六年間にわたり戴いた。坑道句会という命名も先生。毎月第一土曜日の夕刻バスで来山され二時間半じっくり指導を得た。この間一度たりとも先生は休まれなかった。筆者が昭和四十一年岩手へ転勤し鉱山も昭和五十年頃閉山となったが、以後も松浦村風氏を激励し、平田方面から大勢の作家を連れて来て続けてくれた。村風氏亡き後は小林梨花さんの北浜句会が面倒を見てくれ「坑道北浜句会」として「坑道」の名を残して下さったことに感謝している。坑道北浜句会は今も毎月松江や旧出雲市、旧大社町から三十余名が集り、島根県では隋一の白魚火句会となっている。すべて古川先生のご恩である。

早蕨を手折れば山の音生る  篠原 庄治

 早蕨は芽を出した蕨だが早に接頭語の語感があり「愛し」という気持が込っているよう感じられる。早蕨を手折ると山の音が生れたのである。疾風が木々を鳴らす音や百千鳥の囀が賑やかなのである。だが、この句の「山の音生る」は、はなはだ思念的である。春の山河の造化を司る佐保姫神の声のような気がする。一句の清朗な声調がそう思わせる。

山ぢゆうの笹の起きたる風の音  根本 敦子

 「笹起きる」という季語は一般の歳時記には殆んど収録されていないが北海道の『葦牙・北方季題集』に出ていて、北海道の作家に好まれている季語のようだ。「北海道の長い冬の間積雪の下で、笹は折り重ったまま春を待っているのであるが、雪解けと共に葉を現わし、やがて勢いよく雪をはね返して立上る姿はまこと潔い。(中略)北国に住む人にとっては、この現象が起きると、春を迎えた実感が湧いてくるのである」
 掲句の鑑賞には、右の解説が言い尽している。

アルプスに真向ふ茶店青き踏む  大澤のり子

 作者の済む飯田市の近くを走る南アルプスの連嶺は、五月になっても雪が輝いていてすばらしい。句は踏青の頃茶店から見た南アルプス。美しい景を美しく詠み上げて産土を称えたのである。

裏庭で夫と野点し春惜む  柴田 佳江

 夫と裏庭で野点するとは雅びたことである。利久の侘茶のこころもこのようなものでなかろうか。惜春という抽象的な季語を画にして見せてくれた。

如意輪寺低き軒端に燕飛ぶ  佐藤 升子

 如意輪寺は吉野山にある浄土宗の寺。後醍醐帝が吉野に行在所を定めた時の勅願寺であった。正平三年(一三四八)楠正成の長子正行が過去帳に一族郎党の名を書き連ね、如意輪寺の扉に矢尻で「帰らじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と書き残し、四条畷の合戦に出陣し戦死した。
 掲句の低い軒端を飛ぶ燕に、辞世の歌を刻む正行を思い重ねた。「低き」の語が重々しい。

かたくりに屈めば膝に地の湿り  挾間 敏子

 片栗の花の丈は二十センチ程であるから、しげしげと見たり、カメラに納めようとする跪ずかねばならぬ。掲句の「膝に地の湿り」はその具象であるが「跪く」は深い敬意を表る言葉、ここでは屈んで片栗を愛しんだのである。

算盤の玉驚ける新茶の値  大石美千代

 新茶の売買は、算盤の玉を弾いて行い、商談が成立するとシャンシャンシャンと手を打つ。掲句は余りの高値の取引きに算盤玉が飛び上がる程驚いたというユーモラスな句。

蒲公英や旅は男を詩人にす  久次米誠至

 俳人も俳句を作らぬ男も旅に出ると旅情が湧いてきて皆んな詩人になる。伊勢講や遍路の旅も信仰だけでなく旅に魅かれた一面も大きい。


    その他触れたかった秀句     
名画見て湖見て八十八夜かな
塩水で選りし籾種蒔きにけり
総代の羽織袴や花まつり
本棚へ戻す句集や夕ざくら
忠魂碑落花の滝に洗はれし
うぐひすや高千穂峽の屏風岩
花桐はむらさき夢はなんの色
流氷の海原眩しオホーツク
田植終ゆ苗に風呼ぶ力あり
鶯のはたと声止み耳すます
桜湯のゆらり花びら解きにけり
新緑のトンネル続く里の道
逆さまに花の蜜吸ふ目白かな
梅雨入りして翡翠の里の神話かな
田起せば蛙鳴きだすその不思議
久家 希世
荻原 富江
福田  勇
野田 弘子
曽根すゞゑ
七條きく子
山口あきを
高山 京子
江連 江女
山口 菊女
菊間千代子
大野 洋子
豊田 孝介
奥村  綾
小玉 信恵

禁無断転載