最終更新日(Update)'12.05.01

白魚火 平成24年5月号 抜粋

(通巻第681号)
H24.2月号へ
H24.3月号へ
H24.4月号へ
H24.6月号へ


 5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    計田美保
「鉋屑」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
中山雅史 、飯塚比呂子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 群馬白魚火 文月会 坂本清實
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          岡あさ乃 、西田美木子  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(東広島) 計田美保

  
さざ波は風のハミング夏に入る  岡 あさ乃
(平成二十三年七月 白光集より)

 初夏の風はまことに爽やかなものである。風に当たることそのものを楽しみたい気持ちになる。そんな風を作者は肌で感じているが、細かに立つ水面のさざ波にも、風を発見した。初夏の陽光にきらめくさざ波は風の産物。そしてそこに風の奏でる調べを聞いている。触覚的なものを視覚的なものに発見し、そこから更に聴覚的なものを感じ取っているのである。ハミングとは声を鼻に抜きながら歌うメロディーである。さてどんな歌なのであろうか。この歌は、初夏の到来を悦ぶ作者の心にもさざ波を立たせていることだろう。



江ノ電のフリー切符や風薫る  黒川美津子
(平成二十三年七月号 白魚火より)

 江ノ電は藤沢から鎌倉までの全長十キロ、時間にして三十五分の区間である。あっという間についてしまうが、フリー切符となると話は別である。区間内にある湘南海岸、七里ヶ浜、稲村ヶ崎、由比ヶ浜等々、古都鎌倉はおしゃれな若者の街であり、日本の歴史を背負っている名所でもある。そんな鎌倉を初夏の一日、何度も車両を乗り降りしながら散策できるのである。何とも楽しい一日ではないか。江ノ電は車窓からの眺めもすばらしい。民家の軒先すれすれの路地を走っていたかと思うと、次の瞬間には大海原が広がっている。単線で、車掌のアナウンスも一段と親しみが持てる。車両が多彩なのも楽しみの一つである。昔ながらの緑とクリーム色の車両もあれば、最新型の車両もある。どの車両が来るのかとホームで待つのは期待が膨らむ。
 私もかつて江ノ電に乗って鎌倉を訪ねたことがあるが、この句によって、そのときの潮や花の香りが蘇ってきた。「風薫る」という季語に感謝したい。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 白  魚  安食彰彦
春愁や老眼鏡の鼻すべる
吾に身をあづけ白魚かなしかり
食膳の白魚に影ひとつづつ
啓蟄などどうでもよろし吟醸酒
柩にも春の日差のとどきけり
散歩なら斐伊土手がよし揚雲雀
日曜日とがめられずに朝寝かな
春の風邪伏して一日漫画本

 桃の酒  青木華都子
ものの芽の疼き出したる雨の夜
いつの間といふ間のありて梅ひらく
二、三輪なれども庭の梅匂ふ
散り初めし梅一、二輪二、三輪
囀の二羽三羽来てまた一羽
流れにも強弱のあり水温む
やや日脚伸びしと思ふ外厨
旅の荷に京の土産の桃の酒

 美術館  白岩敏秀
寒雀来る分校の水飲み場
立春や売約済みの画廊の絵
春浅し土を削りて畝正す
手に乗する和紙の軽さの薄氷
二分咲いて梅の香りの美術館
恋の猫四肢伸びきつて塀越ゆる
日の土手に座せば風来る犬ふぐり
春風や轆轤にまはす壺の影

 古美術店  坂本タカ女
降る雪や灯の入りたる古美術店
考へてゐて立ちあがる冬灯
飲みきらぬ鰭酒鰭の沈みをる
口喧し雑学博士鍋破
追儺式終へて気作な憎なりし
人形に関節ありぬ雪あかり
翅を持つ樹の実を雪の上に拾ふ
息白し笑ひし髭の笑ひけり

 冬牡丹  鈴木三都夫
風花の落花の景となりにけり
風花の本気になつてきしが止む
風花のひとさし舞うて消えにけり
たまゆらの日差しを媚びし冬牡丹
一輪の開ききれざる冬牡丹
冬牡丹はにかみ咲くは人を恋ふ
ここだ咲きここだ踏まれし藪椿
片手間の方丈様の春子榾
 鳥帰る  山根仙花
大欅一枝の乱れなく枯るる
笹鳴や海を背に立つ童子墓
早春の流れの音に沿ひ歩く
海の音ここに遠のく落椿
八重椿落ち分校の庭飾る
芽吹かんと空へ爪立つ雑木山
一枝の反りを豊かに梅ひらく
鳥帰る後ろ振向くこともなく

 一病息災 小浜史都女
遠き鳰遠く見るのもよかりけり
かいつぶりはづかしがりやかも知れず
夜の浅蜊泥を吐くことやめてをり
石二つのせて仏や名草の芽
壱岐近く見えてゐるなりさくらの芽
橋架けても島は島なり風光る
二の丸の椎より高き鳥の恋
一病息災僧が称へてあたたかし

 隠れ里  小林梨花
探梅や瀧の上なる隠れ里
荒神に山神水神笹鳴けり
落武者の墓ひつそりと薮椿
雪の果磴に零るる紅き花
雪解けてしつとり在す丁地蔵
雪解水鳴る一峡の小学校
忘れ雪木戸に小鳥のちちと鳴く
春清水掬ぶ眼下に日本海

 地震胎動  鶴見一石子
地虫出づ地震の胎動知らぬ貌
蝌蚪の紐ゆるみて空の蒼さかな
木の芽雨確かに木の芽ふくらめり
麦を踏みシーベルト踏み生きぬべし
地蔵橋渉り首塚蝶生る
愡けばうし札売るお寺山笑ふ
教室の出口は一つ大試験
地に生きて迷はず大地耕せり

 土  雛  渡邉春枝
日々の歩の道を違へて梅三分
野火を守る人のゆらりと影絵めく
先づ飾る夫手づくりの土雛
開かれしままの教科書雛の間
アネモネの咲く度めぐる夫忌日
古墳群抱きて山の芽吹き初む
石棺にかすかな息吹き草青む
葺石の形さまざま地虫出づ


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 日脚伸ぶ  金井秀穂
つくばひの水音幽けし春隣
蝋梅の浅黄の滲む雨雫
福寿草雪被ること二度三度
犇きて蕾囲めり芽水仙
日脚伸ぶなほ老骨に鞭打たん
雨垂れの音の忙しき春の雪

 金縷梅  坂下昇子
風花を追ふ稚の手の蝶になり
今年また庭忘れずに蕗の薹
紅梅と見分くるほどに膨らみぬ
白梅の蕾犇く雨の中
金縷梅の花の縺れを風が解く
行き止まりばかりの多き蜷の道

 浅き春  池田都瑠女
今引きし漢字を忘れ春寒し
春禽やあるとき聡き夫の耳
ちひさきは指に絡めて芹を摘む
躓きし己を叱り春の泥
店先に猫柳活けなんでも屋
親に孝ならずじまひや春ショール

 迎春花  大石ひろ女
参道をすこし外れて蕗の薹
山の子の頬つぺの赤く雪達磨
初蝶の未だ影持たぬ高さかな
朗読を朝の日課に迎春花
薄氷にかちかちと日の当りけり
紅梅や蔵に醤油の計り売り 

 笑ひ皺  奥木温子
裏山に狐の鳴ける夜を一人
病院へ夫を預けてゐて寒し
冴え返る夜や失恋の歌を聞く
笑ひ皺ふやして果つる女正月
ため息も言の葉のうち春浅し
青空へ助走の構へシクラメン

 紅  梅  清水和子
年毎にふる里遠くなる寒暮
木洩日の届く紅梅開きけり
料峭や後円墳の洞の闇
原人の立ちてゐさうな春の雪
きさらぎのからたち青き棘ばかり
春禽や名札ばかりの万葉園



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 中山雅史

湖のかき曇りたる椿かな   
挿し木して間口の広き百姓家          
鳥帰る橋のたもとの夕べかな          
川音の向うにも人あたたかし          
一村は一川に沿ふおぼろかな



 飯塚比呂子

こぼれ来て雀弾める四温かな
窯出しの壺をならべてあたたかし
児のひひな母のひひなと飾りけり
灯を落す闇にひひなの視線かな
春一番右に傾ぎし宛名書き



白光秀句
白岩敏秀

鳥帰る橋のたもとの夕べかな  中山 雅史

 揚句は「鳥帰る」と「橋のたもとの夕べかな」とに分けた二行書きのように叙してあるが、「夕暮れの橋のたもとで北へ帰っていく鳥を見送った」という一行詩である。
 橋は端。つまり我々が住む領域の周辺部はまた別の領域、別世界の入り口でもある。別世界へ帰っていく鳥を見送るにはぎりぎりの場所が橋のたもとだ。去っていくもののかなしさも残されたもののさびしさもこの一所に踏み留まる。
 鳥はやがて大空の点となり消え、作者の影も日没とともに消える。「夕べの橋」という一日を巡る時間に「鳥が来て鳥が帰る」という季節の循環の時間を重ねて詩情がある。
川音の向うにも人あたたかし
 雪解けの豊かな川音の向うに人がいる。そして作者と同じ空気を吸っている。その連帯感や信頼感が時候の暖かさと重なりヒューマンな思いが伝わってくる。我々は人が協力し合うことや絆がどれほど大切かを痛いほど知っている。

こぼれ来て雀弾める四温かな  飯塚比呂子

 冬の暖かい日溜まりの中で、楽しそうに遊んでいる雀の姿が見えてくる。「こぼれ来て」は三寒の冬将軍の指からこぼれてきたようであり「雀弾める四温かな」は春の女神の掌で雀が弾んでいるようだ。
 寒さは直線状に駆け足で来るが、暖かさは螺旋状に寒暖を繰り返しながらゆっくりと来る。歩みは遅くとも確実に近づいてくる春。その喜びと活気が雀の弾みのなかにある。

酒蔵の小窓の開く春の雪  友貞クニ子

 作者は東広島市の方だから、この酒蔵は西条町ものだろう。西条は名だたる酒どころである。
 酒づくりは稲の取り入れが終わってから桜の咲く時分まで続く。この蔵の酒造りはもう終わりに近づいたのであろう。春雪の中に小窓が開けられている。杜氏たちもやがて故郷へ帰っていくことだろう。酒蔵の小さな窓が大きな春を呼び寄せている。

雛飾る二間続きの座敷かな  徳増眞由美

 二間をひろびろと開け放ち、雅やかな雛や調度を飾る。これも和風建築ならではのことである。今はだんだんと襖や障子の部屋が消えていっている。これらは湿気の多い日本の気候風土に適した家具だ。兼好法師の「家の造りやうは夏を旨とすべし」(『徒然草』第五十五段)の趣旨にも副っている。
 開ければ大広間、閉めれば個室。狭い箱を出たお雛さま達は二間続きの大広間でゆっくりと寛いでいるのである。格式のある家のただずまいや雅な雛の永い歳月が伝わって来る句。

ふところのやうな日溜り犬ふぐり  横手 一江

 「ふところのやうな日溜り」とは魅力的なフレーズだ。母親のふところに抱かれているような十全の暖かさがある。そのなかで眼をぱっちりと開いたように咲く犬ふぐり、ときおり吹く風は揺り籠。日溜りなかで可憐な小さな春が揺れている。

雛飾るあの子この子も嫁がせて  山田 春子

 今までは娘たちのために飾ってきた雛であるが、今は自分のために飾っている。あの子もこの子も嫁いで、妻となり母となって、それぞれの娘たちに雛を飾っている。
 「雛飾る」とすっきりとした表現に娘たちの幸せに安堵する気持ちとこれからは自分の人生を楽しもうという気持ちが重なっている。雪洞に照らされた雛の顔が明るい。

沢山の音弾みゐる春の湖  江角トモ子

 沢山の音とは何であろうかと思いつつ読み終えて納得。読んでいて出てくるであろうと思う言葉が出てくるとがっかりさせられるが、この句は違った。
 沢山の音とは万物の活き活きした息づかい。それを弾むと感じたのは、それに感応した作者の感性。山を縫い村や野を流れて来た川である。その川の集まる春の湖には様々な音がある。

成約は妻の一言農具市  町田  宏

 身に覚えありの一句。
 日常の小遣い範囲の買い物であれば問題ないが、それ以上の額であったり、不要不急の買い物となるとつい妻の懐が頼りとなる。
 掲句の場合もかなり値の張る買い物であったのだろう。大蔵大臣の妻の一言で契約が成立した。勿論、値引はしっかり交渉済み。めでたし、めでたしである。家庭の円満とは、案外こんなところにあるのかも知れない。


    その他の感銘句
蛇穴を出づ少年のふくらはぎ
啓蟄やフランスパンは立てて売る
筋雲が二月の空を掃いてゐる
ひひなみな遠眼差でありにけり
落葉松の夢みるごとき芽吹きかな
山焼の火種抱へて走り来る
雪消えぬ土にかすかな動きあり
春めくや夜の路地行く女靴
雑木山影の明るき二月かな
冬籠一筆箋で足る便り
風止むを待ちて椿の落ちにけり
花うぐひ跳んで矢切りの渡しかな
伸ばしたる電気毛布の外の足
石庭の渦春光の動きけり
春めくや句帳の端の料理メモ
村上 尚子
岡 あさ乃
奥野津矢子
星  揚子
後藤よし子
大塚 澄江
河島 美苑
松原 政利
根本 敦子
内田 景子
大川原よし子
和田伊都美
中山 雅子
加藤 美保
国谷ミツヱ


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 出 雲  岡あさ乃

地球儀を回して拭ふ春の塵
陽炎や歩道のライン引き直す
受験絵馬目立つところに掛け直す
涅槃西風土佐に向きたる志士の墓
千年を絶やさぬ灯火春の雪

 
江 別  西田美木子

梟の狩の瞬時を氷像に
氷像に命吹き込む鑿の先
命綱外し雪像完成す
調理師の余技の氷像コンクール
氷彫る大工道具の研がれあり



白魚火秀句
仁尾正文


地球儀を回して拭ふ春の塵  岡 あさ乃

 地球儀の春塵を拭うのには大低の人がこのようにする、ありふれた状景である。だが、作者が「春の塵」に全体重をかけていることは見逃せない。まず思い浮ぶのは、地球温暖化により南北極の氷や氷河がどんどん溶けていること。ギリシャの経済に端を発した欧州の金融危機。ロシアの大統領選挙や北朝鮮のミサイル問題、中国の軍時力の増強やイランの石油輸送の阻害等々。東日本の震災特に福島原発事故は世界的な問題になっている。これら国際的な憂慮を作者は「春の塵」に込めているのである。
 歌人上田三四二は、心は物を通さなければ読み手に伝わらない、というようなことを言った。掲句の具象的な描写が即ち「物」。如上のような作者の「心」が読み取れたのである。

調理師の余技の氷像コンクール  西田美木子

 一連五句は、今年二月六日から十二日迄の七日間札幌大通り公園で行われた恒例の雪祭りの景である。国内外から二百万に余る観光客が集まり賑わったことをテレビで垣間見た。雪像の代表的なものは、会津若松城とタージマハル教堂。大きな構えの建物は瓦一枚一枚や壁画の仔細まで巧緻を尽して作られていた。こうした雪祭りの目玉になる氷像を直正面から詠むことは難しい。作者は掲句の如くその中の一部分を丁寧に詠み重ねて、組写真のように五句でもって全体の景と雰囲気を描き出し得た。
 調理師は器用な人が多く、大皿の刺身の妻に大根と人参で兎と亀を作って添えることなどは、たやすいことである。雪祭りの氷像が予定通り終ったので、一くつろぎをして余技の粋を競ったのであろう。こういう一齣から雪祭り準備関係者の安堵が十分に感じられる。

日銭得て春泥重き靴を脱ぐ  佐藤  勲

 作者は岩手県野田村に住んでいたが今回の震災で津波に遭い一瞬にして家を流され、妻と二人必死で逃げて助かった。残った家財はその時の車一台のみ。現在仮設住宅に住む。掲句は日雇の仕事を終わって玄関で春泥の重い靴を脱いでいるところ。平成七年の神戸、淡路大震災に被災した友岡子郷氏の作品に
二階は無事なれば帰雁の見えにけり 子郷
先立ちしいくたりにけふ霜柱     〃 
など震災という語はどこにもないが心に沁みた。俳句に作者名が必ず着くが、これなくしては俳句の髄は見えてこない。頭掲句の「重き靴」も被災して仮設住宅に暮らす作者であるからとてつもなく重い。

水色のガスの炎や冴返る  榛葉 君江

 冴返るという目に見えぬ気象を水色のガスの炎で見せた。声調も緊っていて冴返りの厳しさが際立っている。秀句である。

星の数ほど嚔して空見上ぐ  石川 寿樹

 花粉症であろう。立て続けに嚔して目も鼻もぐしょぐしょ。星の数ほどと少し大仰に言ってみて自らを揶揄したのだ。そう詠じた後改めて星空を見上げたというユーモラスな句である。

春愁や石投げ水を驚かす  木村 竹雨

 何か原因があって、物憂いのではないが心が晴れない。さくらの芽も膨らんできて春はもうそこまで来ているのにである。そんなもやもやを払拭したくて石を拾って池に投げてみたところ予期せぬ大きな音がして池を驚かせた。とりも直さず作者が驚いたのである。

鶯や達者な耳を授りて  中組美喜枝

 拙い鳴声をしていた鶯も正調になりつつある。毎日聞いていると確実に上手になっていることが分かる。それを聞き分けている達者な耳は親からの授りものだ。改めて両親を想ったのである。

大の字に寝てみる深雪晴の丘  広瀬むつき

 同掲に「まづ人の通れるだけの雪を掻く」があり、来る日も来る日も豪雪との格闘が続いている。そんな中で空が真青に晴れた一日を得たのである。雪の丘で「ヤケノヤンパチ」気味で大の字に寝てみたのであるが、いい気分で疲れも取れたような気がした。

麦を踏む時折白き山を見て  倉成 晧二

 一昔前の麦踏みか。現今は畝を設けずばら撒きの麦畑だから、麦踏み用の農機があるのかもしれない。句は折々残雪の遠嶺に目をやりながらの作業、余裕のようなものが見える。


    その他触れたかった秀句     
をととひの日記けふ書くあたたかし
小机に飾る一輪白椿
落椿踏まじと拾ふ歩幅かな
一枚の水が堰落つ雪解川
喪帰りのソファーに沈む余寒かな
対岸に一灯ともり冴返る
卒業期師であり親でありしこと
籠り居て友遠くする余寒かな
草の餅旧姓でまだ呼ばれたる
うやむやに刻過ぎてゆく二月かな
爪ばかり伸びてくるなり啄木忌
春浅し香炉まはして焼香す
菓子箱で作る塵取り日脚伸ぶ
アリバイは床の足跡恋の猫
薄氷やきりりと締むる袋帯
田久保柊泉
大久保喜風
加藤 明子
竹元 抽彩
金原 敬子
保木本さなえ
重岡  愛
原沢 はつ
高添ふく代
矢野智恵子
高田 喜代
川本すみ江
佐藤 恵子
本倉 裕子
大橋 瑞之

禁無断転載