最終更新日(Update)'12.03.01

白魚火 平成24年3月号 抜粋

(通巻第679号)
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 3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    星 揚子
「木偶回し」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
挾間敏子 、大村泰子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          齋藤 都 、陶山京子  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(宇都宮) 星 揚子

  
卒業す以下同文の一人にて 花木研二
(平成二十三年五月号白光集より)

 三月は卒業の季節。幼稚園から大学まで、それぞれの学校で卒業式が行われる。これはあまり大きくない学校であろうか。代表者ではなく、卒業生一人ひとりに校長先生から卒業証書が授与されているようだ。
 私も四十年ほど前に中学の卒業式で、「以下同文の一人」として卒業証書を受け取った。最初の生徒は全文を校長先生にはっきりと読んでいただけるが、二番目以降は「以下同文」なので、同じことなのにあまりにあっさりとして、少し物足りなさを感じてしまったりもする。
 この句の場合、卒業するのは作者か、作者のお子様であろうか。俳味のある表現でありながら、みんなと同様に無事に卒業できることの喜びを感じているのが伝わってくる。

恋猫のジャングルジムの中にゐて 弓場忠義
(平成二十三年五月号白魚火集より)

 立春が過ぎまだ寒い二月、夜になると何ともうるさい声が聞こえ出す。近所の赤ん坊の泣き声かと思って聞いていると、どうやら猫の声。まだまだ寒いと感じているのは我々人間であって、猫には恋の季節が始まっているようだ。恋猫は時に唸り、甲高い声を発して、毎夜これを聞かされると、猫好きであっても閉口する。だが、明くる朝、憔悴しきった姿で帰って来るのを見ると、なんとも哀れでいとおしくなる。
 この句は恋猫がジャングルジムの中にいるのが見えているのだから、夜ではなさそうだ。恋のためなら何でもできる?この猫、まさかジャングルジムに上っているのではあるまいが、下で行動を起こそうとしているのか。それとも、何もできずにうろうろしているのか。いずれにしても、「ジャングルジム」の言葉によって、これから恋の冒険が始まろうとしているように感じてしまうから不思議だ。
 この後、この猫の恋の行方はどうなったのだろう。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 和 三 盆  安食彰彦
奥の細道ふと口遊む年賀客
訪ひくれし賀客に下賜の和三盆
慶応と書かれし箱の雑煮椀
読初む中曽根総理の初句集
冬ばかり大斐伊みても湖みても
猫入る注連飾らるる轆轤座に
普段着のままどんど火の傍に
平凡てふ幸せ欲しき老の春

 初 電 話  青木華都子
大綿のふはと夕日の中に消ゆ
十個ほどころ柿干して石工小屋
人住まぬ石工の小屋の冬紅葉
雪を被て三百本の杉襖
韓国は予報通りの雪の朝
雪掻きをしてをりソウル駅の前
除夜の鐘撞くや佳きことあるやうに
韓国で逢ふ約束の初電話

 鹿の足跡  白岩敏秀
鯛焼の温み大事に提げ戻る
冬木立砂丘にかたき影落す
初雪やジャングルジムに星透けて
山眠る一重瞼のこけしの目
冬草の土手より雀飛び立てり
水鳥の白を浮かべて湖しづか
買ひ出しのうしろ姿の師走かな
分校に鹿の足跡冬休み

 頻   繁  坂本タカ女
頻繁に蜂くる残り黄菊かな
向きになり剥くむきにくき栗の皮
虎落笛枕を胸に当てて読む
狐火のはなしに口を尖らする
思案顔してをり蜜柑むいてをり
伐り倒す庭木に御酒を神無月
大根引くうしろ海鳴り日本海
秒針の音して動く夜半の冬

 虎 落 笛  鈴木三都夫
紅葉且つ散るためらひの無かりけり
枯れ伏してゐて面影を残すもの
臆病に蕊の覗ける寒椿
寒禽の風に劈く荒岬
逞しく生きんと挙る冬木の芽
杉戸絵の寺格に適ふ松と鶴
砂丘荒れ簀垣を揺する虎落笛
花時計律儀に刻む師走かな
 初 日 記  山根仙花
人生の余白を生きて日向ぼこ
手にとりて読みつぐ一書冬の雷
盆栽の鉢に余りし落葉かな
わが影を連れ小春日の野を歩く
数へ日のひと日賜る日本晴
水明り火明り年の明けにけり
初鏡手で拭き顔を寄せにけり
初日記栞に紅き飾り紐

 山 の 神  小浜史都女
烏瓜すこし離れて二つかな
猪垣の頑丈なるも破られし
干柿に雨後の日差しのまはりくる
宿場茶屋縄長ながと吊し柿
日溜りにあつまつてくる冬たんぽぽ
凍蝶や鳥居の低き山の神
煤払ひ小芥子の頭撫してより
妹が二日泊りぬ実南天

 神の国原  小林梨花
冬雲を豊かに神の国原は
初海苔の一筋づつを神佛に
きらきらと海面に弾む初日影
福袋覗き少女のやうな声
お降りの音の高まる夕ごころ
喰ひ積の伊予蒟蒻を噛み締めて
めらめらと海へどんどの炎かな
香を身に纏ふ御堂や初句会

 藪 柑 子  鶴見一石子
霜柱大地の鼓動湧くごとし
けふの風硬しと笹子鳴けるなり
山眠る那須の噴煙いま刻む
竈猫主貌して尾をふれり
着ぶくれて齢重たくなりしかな
九十九里日脚一寸二寸伸ぶ
穏やかなたつき大好き藪柑子
ワープロで為すこと多し去年今年

 炉   話  渡邉春枝
潮風を受けて色濃き冬椿
抽出しの一つ開かざる年用意
炉話の尽きて大黒柱あり
ふぐ刺の一切れづつに弾む声
五百基の石の燈籠初明り
年新たもう農村と言へぬ郷
粥柱明治の父母に仕へたり
空白の心を満たす水仙花


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 沖縄にて  今井星女
眞青なる沖縄の海鳥渡る
小鳥来るひめゆり平和祈念館
動員学徒二百五十の露の墓
戦争の爪あと今も冬の濠
時雨るるやどこ歩きても慰霊塔
糸満の浜に浜木綿花あげし

 菊 日 和  織田美智子
菊日和記念写真は十二人
室の花ひとりに広き八畳間
冬三日月赤子の泣きてをりにけり
喪服着て師走の街を通り過ぐ
着ぶくれて屈託もなく笑ひ合ふ
ナースセンターの受付に置く聖樹かな

 年 迎 ふ  笠原沢江
背山より明るくなりし初日影
御明りを灯し佛間に年迎ふ
香ほのと床の間にある淑気かな
と見かう見して臘梅の一枝剪る
ならはしの年越蕎麦をしるしほど
頃なれば脳裡に開く梅一樹
 初  雀  上川みゆき
初夢や螺鈿の蝶を追ひ掛くる
寒き土手歩みて少し忘じけり
白壁に風通り来し水仙花
昼月が夜の色となり河凍つる
初雀小枝に風の唄からむ
すぐつかぬ螢光灯や初御空 

 風  垣  金田野歩女
落葉掃く疾うに禿びたる竹箒
風垣の板反り返る蜑の家
稜線にすとんと冬の流れ星
霊水に先客のあり雪の森
すがれ家の残る標札虎落笛
孵化場の真ん中通る冬の水

 夕  波  上村 均
寒林の隙を朝日の昇りけり
川中の一叢の芦枯れにけり
冬紅葉瀬音に混じる鳥の声
一斉に夕波鴨を放つなり
葱を抜く農婦に夕日やはらかし
オカリナの聖歌流るる冬の夜



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  鹿 沼  齋藤 都

書き出しの決まらぬ手紙青木の実
神木の瘤にとどまる冬日かな
足元を這ひあがり来る寒さかな
霜の花きらりと光る木椅子かな
手をつなぎ母子の歩く冬木立


  雲 南  陶山京子

山の家へ日差しこぼるる大晦日
実万両活けてととのふ客間かな
松の内読みつぐ平家物語
若菜摘む夫の編みたる手籠もて
風に乗り木戸の臘梅匂ひくる


白魚火秀句
仁尾正文

足元を這ひあがり来る寒さかな 齋藤  都

 寺社の石段や山の道を登っていると足元にしばれるような風が吹きつけて体が震い上がるような寒さを覚えたのであるが「這ひあがり来る」には重たい、やり切れない心象をしらべに乗せているよう思えた。
 昨年は、大地震、大津波等国難ともいうべき災害に襲われた。又今冬の寒冷、豪雪、寒の旱は、二酸化炭素放出による地球温暖化のせいではなかろうか。氷河が解け、南極や北極の氷が解け、極端な干魃や大水や台風が後を絶たず地球は崩壊の危機に瀕している。「足元を這ひあがり来る寒さ」は如上を暗示すると思えてならない。
 なお、一連の作品は一物仕立てが多い。この手法には写生の技が欠かせない。写生による具象が作者の思いをおよそ読者に伝え得たと思われる。そこに注目した。

実万両活けてととのふ客間かな 陶山 京子

 平穏で清々しい一句である。年用意の一齣であろうが、一処を克明に描写することで、一家のたたずまい、正月の家例だけでなく、この家の人々の心ばえ迄垣間見えてくる。
 「過疎」とか「凛然」というような措辞の投句稿が結構多い。これらの作者は、こういう言葉で言い果したと思っているのであろうが読者には何も伝わってこない。掲句の如く過疎の、凛然の一処を克明に描写して欲しいのである。

箒目の波立つ十二月八日 檜林 弘一

 昭和十六年十二月八日、当時旧制中学一年生(十三歳)の筆者は、この日の朝礼で校長が昂奮を隠さず訓示したことを覚えている。大本営発表によると「本八日未明帝国陸海軍部隊は、西太平洋において米英軍と交戦状態に入った」と。一方海軍の連合艦隊はハワイの真珠湾に空軍と特殊潜航艇によって米国の太平洋艦隊を奇襲し大きな被害を与えたというニュースに日本中が沸いた。米国へは真珠湾攻撃前に宣戦布告する手筈であったが暗号が傍受されていたためこれが伝わらず卑怯だと宣伝されるに至った。掲句の「箒目の波立つ」はこのような事柄を言っているのだ。
 さて、今号の投句稿に「開戦日」という季語が沢山あったが、筆者は「開戦日」は季語として認めない。名だたる書店から出ている歳時記には「十二月八日」の副季題として「開戦日」があることは知っている。戦後生れた俳人の中には十二月八日を知らぬ者があるのでこれを季語とするのは肯定するのだが。
 人類は有史以前からも部族間で、あるいは地域間で数え切れぬ程殺戮を繰り返してきた。が、「開戦日」となると第一次世界大戦や普仏戦争あるいは米西戦争の如く宣戦布告をしたもの以外は開戦の日は特定できない。「十二月八日」の副季題の「開戦日」は、「太平洋戦争開戦日」としなければ、季は定まらない。以上の理由で、単独の開戦日は季語の資格がないと考える。

束の間の箱根の山の初樹氷 松本 義久

 恒例の正月二日、三日の箱根駅伝は歳時記に新季語として収録されているものとないものがあるが、筆者は季語として認める。駅伝では小田原中継所から昔の「箱根八里」を芦の湖近く迄走るが最高九〇〇メートルの標高差を馳け抜ける。掲句もこの走路近辺で見付けたものであろう。あの場所で、あの高さで樹氷を見つけて作者は感嘆したことが分かる。選者も驚いたが「足もて作る」俳句には恩寵があるものだ。

逝きし人に贈る一打や除夜の鐘 寺本 喜徳

 作者は昨年妻を失くされた。女性は連れ合いを亡くした後三十年も四十年も健やかに過す例は多いが、男は寝食に不馴れなため妻を失うと疲れ果てる。そして、この度妻の存在の大きかったことを思い知らされる。掲句の、亡き妻に贈る除夜の鐘の音は男たちの胸に沁み込んだ。

ゆつくりと湯船より抜く去年の足 篠原 庄治

 群馬白魚火会々長のこの作者は昨年大病をし、今は予後をゆっくり、ゆっくり養っている。掲句は浴槽の中で除夜の鐘を聞いたのであるが、元気な方の足が先に上がり、浴槽の片足を引き上げている図。「湯船より抜く去年の足」が白眉の措辞だ。

飛石の小さき歩幅笹子鳴く 鷹羽 克子

 作者は茶道教授。この露地の飛石は茶室迄のもので、石と石の距離は三十センチ弱。寄付き待合に招じられて以来この飛石を渡ることも既に茶事である。閑雅な中に鳴く笹子が一層侘びの風趣を深めているのである。


    その他触れたかった秀句     
ひとつまみ塩を振り入れ棚探し
恩師より字の乱れたる賀状来し
狩の首尾大き猪見せに来る
ささやかなお茶飲む会も年忘
美容院の熱きコーヒー寒の入り
牡蠣割女貝より固く口閉ざし
小春日や置き薬屋のもつ矢立
水底に魚眠らせて永面鏡
抱き上げて笑顔二つの初鏡
山門の敷居尺角竜の玉
煤逃げの夫に遮断機下りてをり
師走とは師も走るなり子も走る
夕暮れて雪となりたる男体山
時雨るるや今日も昨日もをととひも
日本海の風を集めて虎落笛
鈴木百合子
山田 俊司
田原 桂子
曽根すヾゑ
高添すみれ
加茂 康一
友貞クニ子
檜垣 扁理
中  文子
金子フミヱ
金原 敬子
大久保尚子
財川 笑子
勝部アサ子
友貞 尚子


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


  挾間敏子

一通に切手貼り足す十二月
歯科で遇ひ茶舗でまた遇ふ年の暮
子を勝たす加減のありて歌留多会
静けさは寂しさに似て松の内
着ぶくれて反原発の署名せり

  
  大村泰子

小春日の手にのせ木綿豆腐かな
富士山の見ゆる大根はざのみち
豆腐売り去りて竿売り年の内
雲行きの怪しくなりぬ年の市
数へ日の植木屋腰に縄の束


白光秀句
白岩敏秀

子を勝たす加減のありて歌留多会 挾間 敏子

 子ども達のはしゃぐ声が聞こえてくる。大人達の明るい笑い声が聞こえてくる。そんな家族揃って過ごす楽しい正月の歌留多取りである。
 子どもは取った歌留多の数の多さに少しも疑いを抱いていない。全て自分の実力と思っている。大人がそれとなく負けてやり、そのことによって、子どもに自信をつけさせていく。といって、勝たせすぎも負けすぎも逆効果。その微妙な加減のツボをしっかりと押さえている作者である。
  静けさは寂しさに似て松の内
 主婦にとってめでたいときは、また忙しいときでもある。忙しさや賑やかさが去って、静かさが戻ってきたときに感じる寂しさ。作者は淋しいと感じる胸の中でその時の楽しさを蘇らしているに違いない。デリケートなこころの綾をそっとしておきたい句。

豆腐売り去りて竿売り年の内 大村 泰子

 師走ともなると様々な商いの声が町内を通り、忙しさに追い打ちをかけているようだ。この句、忙しい年の瀬に豆腐売りと竿売りを登場させたが、売り声はいたってのんびりしたもの。そのミスマッチが何とも可笑しい。
 売り声も途絶え夜の帳がおりる頃、年越し蕎麦を食べて静かに新年を待つ。日本人が古来から守ってきた慎み深い年の迎え方だ。

ビル一階へ下りて実物大の冬 小林布佐子

 「実物大の冬」に出合った驚きが七・七・五の破格のリズムになってしまった。
 窓の外の雪を見て、慌てて窓を開けて階下を見下ろす。垂直に見下ろしてはものの深さが分からない。急いで一階に下りて、積もった雪の深さに実物大の冬を見た。それがそのまま一句になった。
 雪国に生活しているとしばしば雪の深さに驚かされるが「実物大の冬」という発想は出てこない。この発想を大切にしたい。

短日や母を迎へに畑まで 大石 益江

 軽やかな口調からこの畑は遠いところではなさそうだ。ひょっとすると家から畑仕事の母の姿が見えているかも知れない。
 迎えに行った作者もしばらく畑仕事を手伝ってから、母と一緒に鍬を担いで帰って来たのだろう。短日の夕日が二人の影を長く伸ばしている。
 日常が自然体でさらりと詠まれていて余韻がある。

数へ日や白魚火発送完了す 竹元 抽彩

 昨年の八月号「白魚火の窓」に投句から発送までの編集部の動きが載った。作者も編集部の一員。この句の発送完了号は一月号のことである。自らの年末の忙しさを顧みず、『白魚火』の編集、発送に専念し完了した。思わず「万歳」と叫びたくなる。
 作者が屠蘇を祝っているころには誌友の手元に一月号が届いているに違いない。

比良に雲立ちて近江の時雨けり 塩野 昌治

 スケールの大きいしっかりした写生句だ。比良は琵琶湖の西に千メートルを越す十五峰が連なる比良山地のこと。
 比良に黒雲が立ち込めたと思うと、琵琶湖にさざ波を立てて時雨が近江へやって来た。雄大な景色と時雨の時間的経過が巧みに捉えられている。しかも、そそり立つ比良の山々と平面の琵琶湖、立ち上がる雲と落下してくる時雨。対照の妙が十七音の中で一幅の景になっている。

七草粥母の匂ひのふきこぼる 桑名  邦

 幾つになっても母は懐かしく恋しいものである。そして、何をしても母には遠く及ばないと思う。この句もそんな思いから作られている。「母の味」ではなく「母の匂ひ」と捉えたところが新鮮。「母の匂ひ」で七草の緑も粥の白さもそして母の仕草も見えてくる。きっと母の直伝の七草粥だったのだろう。

冬うらら河原に子らの草野球 田口三千女

 寒さは子ども達にとって或いは友達かも知れない。大人達が家で寒さに縮こまっているとき外で聞こえるは子ども達の声である。
 子ども達は今日も元気に河原で草野球をしている。そんな子ども達に対して寒さなんかに負けるなと応援する気持ちが「冬うらら」の季語を選ばせたのだと思う。


    その他の感銘句
狐火の消えて屋根石濡れてをり
注連綯へる藁を湿らす山の水
片時雨木曽路に残る石畳
百年の家百年の冬構
雨粒の小枝をつつと冬芽かな
鍛冶祭白装束の向ひ鎚
ひとり居の障子の中の返事かな
鍵盤の埃払つて十二月
短日や畳屋トンと針返す
満天の星震はせて除夜の鐘
注連飾り藁の匂ひを飾りけり
つなぐ手の小さきぬくもり冬帽子
時雨るるや沖に艀の灯がひとつ
後ろより人の気配の落葉径
通夜の席膝より寒さしのび寄る
弓場 忠義
鈴木百合子
大澤のり子
山田 春子
荒木千都江
谷山 瑞枝
新村喜和子
吉田 美鈴
丸田  守
北原みどり
福間 静江
渡邊喜久江
池森二三子
安納 久子
守屋 ヒサ

禁無断転載