最終更新日(Update)'12.04.01

白魚火 平成24年4月号 抜粋

(通巻第680号)
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 4月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    柴山要作
「寒明くる」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
村上尚子 、森 淳子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 函館白魚火 森 淳子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          坂田吉康 、星 揚子  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(鹿沼) 柴山要作

  
少年の旅立つ朝風光る 出口廣志
(平成二十三年六月号白光集より)

 春は別れと新たな旅立ちの季節である。それを象徴するのが、卒業式と入学式であろう。 掲句は、中学校か高等学校を卒業する少年の姿を活写し、その前途を祝福するものと解したい。「風光る」の措辞がまことに的確で、少年の前途に幸多からんことを祈るとともに、作者の少年を見つめる温かい眼差しが感じられる。
 同じ六月号には、同作者による「番長も天井見上げ卒業歌」も掲載されており、思わず微笑んでしまう。
 教育は国家百年の大計と言われながら、教育行政の腰が定まらない上、物が溢れ、情報が氾濫する中において、わが国の子ども達は、生きにくい状況に置かれている。少子化の折でもあり、子ども達一人ひとりが目的に向かい、自立できるよう、それぞれの立場で関わりたいものである。

草の芽や歩幅大きく少女行く 田原桂子
(平成二十三年六月号白魚火集より)

 一読、少女が草萌えの始まった道を希望に燃え、颯爽と歩いて行く姿が目のあたりに浮かんでくる。季語の「草の芽」に作者の思いが籠もっており、こういう句を読むと、この少女が今後多くの困難に遭遇しても、自分の力でそれを乗り越え、幸せになって欲しいと、思ってしまう。
 作者は長い間、教職にあったこともあってか、若人を詠むのが得意で、近作に「十二月バイク修理の五少年」などがある。ここにも少年たちに寄せる作者の暖かい思いが感じられ、こちらまで気持がほっこりとしてくる。
 私は人事句がなかなか詠めず苦労しているが,本作者のように身近にある若者や地域の人々の暮らしにもっと目を向け、新たな発見、感動が得られるようにしたい。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 春   安食彰彦
くちびるの赤き狛犬春めける
雪解川がうがうと音流れをり
隠れ棲む武者のことなど春の夢
春愁や亭午の浜の貝の殻
桜餅ちと食べすぎてしまひけり
春の雷天にも濁世ありにけり
さう言へば呼びたき漢春の酒
その中に軽き口論春の酒

 薄  氷  青木華都子
冬帽子目深に次の電車待つ
薄氷を踏み壊したる鴉の子
囀のまだまだ舌つ足らずなる
庭の木々芽吹き米粒ほどなりし
白梅の明日咲く蕾ふくらめる
やや日脚伸びしと思ふ雑木山
下萌やここにマンション建つ話
蠟ひいて合はす立て付け春障子

 一  礼  白岩敏秀
初稽古一礼深く終りけり
裏白のちりちり乾く核家族
しんしんと昼が夜となる雪だるま
僧の来て福引ひいて帰りけり
ポケットに小銭の重さ寒波来る
だんまりを決めて悪漢寒鴉
自転車で来て少年の寒稽古
日脚伸ぶ画布に明るく色を足す

 一都扁額  坂本タカ女
褪するなき一都扁額冬薔薇
通夜戻りなるオーバーの肩を抜く
雪しんしん柩に小さき窓ありぬ
木屑噛む遺品の鉋冬ざるる
除雪夫のずらりと二番ホームかな
霧氷咲く絢爛枝垂れ大柳
自分流百回体操寒四郎
馬が尾を痒がつてゐる雪の馬柵

 落  椿  鈴木三都夫
あらたまや四恩に加ふホ句の恩
老いの句は詠まじ米寿の屠蘇祝ふ
燃えながら消えし吉書の一字かな
水打つて治むどんどの灰神楽
直会にほろと酔ひたるどんどかな
ふくらむとしもなく緩む辛夷の芽
落椿布置とも遊び心とも
床の間の一幅一花落椿
 寒  灯  山根仙花
寒灯下座せば孤独の影生る
今日終る手袋一指一指ぬぐ
裸木の梢こまごまと暮れにけり
冬苺一戸へ遠き坂となる
洗ひあぐる冬菜みどりの滴れり
海荒るる冬たんぽぽの小さな黄
本棚の本鎮もりて雪降れり
鍬掛けの鍬に日脚伸びにけり

 酒蔵通り 小浜史都女
三寒の彩をたのしむ神の鯉
酒蔵のぼんぼん時計日脚のぶ
春立つとかささぎが告げゆきにけり
立春大吉どれも笑へり鬼瓦
浅春の継場に低きすり上げ戸
余寒なほ昭和のピアノ蓄音機
酒の銘は「鍋島」蔵に木の芽張る
魚は氷に上り宿場に武家屋敷

 岬  小林梨花
黒々と書き込む文字や雪明り
切干しの篭の揺れゐる枝の先
ほこほこと雪に眠れる王墳墓
背山より通す懸樋や寒の水
節分の風がうがうと岬かな
立春の窓の明るさ青菜茄づ
未だ黄砂降らぬ岬の怒濤かな
旅伏嶺の影の中にも麦青む

 若布刈る  鶴見一石子
赤味噌の具の有耶無耶の鮟鱇鍋
笑ひ好き冗談が好き春の山
杉並木雀隠れの一里塚
地震胎動臆せずけふも麦を踏む
薄氷や日を載せ岸を離れゆく
雪柳雪をこぼせる午後の風
生活の海こそよけれ若布刈る
登り窯地震跡あまた冴返る

 春立てり  渡邉春枝
浮寝鳥うかべて湖の真青なる
古戦場笹子の声の幾重にも
何せむと上りし二階寒夕焼
笹鳴や客間につづく佛の間
母がりの大き食卓春立てり
杉玉に雀来てをり春の雪
北窓を開き机の位置正す
願望と言ふもささやか雛飾る


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 日光の冬  加茂都紀女
初護摩の法螺のとよもす輪王寺
雪煙あげ男体山の襞太る
瀑氷柱龍頭の滝を羽交締め
氷もて中禅寺湖の氷割る
大寒の朝日をまとひ女峰山立つ
法堂の龍が目を剥く吉書揚

 春  隣  二宮てつ郎
塗りにけり皸薬なるものを
皸も寝よと手袋して眠る
流離めきてをり大寒の家にこもり
枯木枯木今日は日向の枯木かな
枯山の声聞く日なり風の日は
春隣裏山に浮く午後の雲

 寒 山 寺  野沢建代
冬霞して暮れて行く西湖かな
初旅の十元を置く枕銭
正月の鐘聞く旅の寒山寺
寒椿鐘の余韻の長かりき
乗初は五分リニアモーターカー
日本円で初詣する寒山寺
 冬 の 沼  星田一草
輪飾りを掛けてピアノをぽんと打つ
豆腐屋の刻を違はず四日かな
底冷えす杉参道の石畳
年輪のままに残りて榾の燠
薄濁る水の動かぬ冬の沼
大鬼怒の音を潜むる寒四郎 

 四 温 光  奥田 積
落葉踏み落葉を踏みて霊山へ
霊山へ寒月高くのぼりたり
咳を一つこぼして位置につく
寒紅梅矢を射る頬のくぼみかな
一の矢の的を射抜けり四温光
院展を出て藩庭の梅の花

 一天の紺  梶川裕子
一天の紺一群の浮寝鳥
とんど火のどんと崩れて浪の音
息つめて押す落款や筆始
如泥臼に波裏返る初景色
ひと駅の切符手にして初句会
太柱に歳月のいろ寒に入る



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 村上尚子

人を待ち夜の障子となりにけり
月を得て雪山ひとつ抽んづる
冬の日に吊す亀の子束子かな
少し目を離せし餅のふくれやう
日の当る場所へ置き替へ初音売


 森 淳子

馬小屋に続く畑の冬菜かな
狐棲む大沼小沼晴れ渡る
米櫃に米ゆたかなり年の暮
雪払ふ啄木歌碑の薄き文字
花器の水少し減りたる三日かな



白光秀句
白岩敏秀

人を待ち夜の障子となりにけり  村上 尚子

 誰を、そして何故待つのか、背景は一切説明していない。それでいて雰囲気に急迫したものを感じさせる。
 「人を待つ」と「人を待ち」ではニュアンスに違いがある。「待つ」には約束の時刻までの余裕が感じられ「待ち」はすでにその時刻が来たか過ぎたか、待つ人の緊張感が伝わって来る表現である。
やがて玄関に「今晩は」と訪問者の声がして、その時から寒々とした障子は暖かな障子へと変わり、明るい声に満たされる。
 平坦に流れていく時を「待ち」といったん止めることによって句に緊迫感と起伏が生まれた。
 月を得て雪山ひとつ抽んづる
 一読して冠雪の富士山を想い描いた。雲ひとつない夜の青空を背景に月光を浴びて屹立する雪の富士山。それぞれの地域に名山、名峰はあるが、これは日本の名峰富士山への賛歌。

米櫃に米ゆたかなり年の暮  森  淳子

 北海道で米が生産されるようになったのは明治六年。大阪河内の中山久蔵が今の恵庭市に入植して、寒品種「赤毛」の種籾で月寒村(現・北広島市)に苦労して栽培に成功した。その後種籾は石狩、空知、上川へと伝わり北海道の米作りが広がったという。
 しかし、先人達の苦労も今は遙か彼方のこと。米櫃には新年を迎えるに十分な米が満ちている。充実した気持ちで新しい年を迎えようとする作者の心意気が「ゆたかなり」と力強く表現されている。

積む雪の物の怪立ちてゐる夜道  大滝 久江

 吹雪や地吹雪となって襲ってくる雪は白い魔物である。積もった雪を掻き上げ掻き上げして、もうこれ以上掻き上げることの出来ない高さになった雪の壁は白い物の怪である。その物の怪が雪明かりの夜道の両側にずらり立っている。これも雪国での神の采配と畏れながらも「物の怪」と冷静に描写するところに雪国に暮らす者の強さがある。
 積もった雪はやがて融ける。春遠からじ。

弁当にバレンタインのハートかな  稗田 秋美

この弁当を貰った人も楽しいだろうが、作者はもっと楽しかったに違いない。読む者も勿論楽しい。 
商業ペースに乗せられたり、ちまたの流行を追ってのバレンタインは嫌味なものだが、これは手作りのバレンタインだ。
普段は思っていてもなかなか口に出せないことがある。バレンタインの日を借りて、日常のなかにそっとそれをすべり込ませる。家族のよさはそんなところにもある。

気づかれず少し淋しき冬帽子  上野 米美

 「あら、あの人だわ。気づいてくれるかしら」
 ……
 「あっ、こっちを向いた。あ~、気づかなかったみたい…」
  念のために振り返ってみたが、あの人はすたすたと遠ざかって行った。冬の日のとある街でのこと。

文鳥を指に遊ばす三日かな  渡辺恵都子

 夏目漱石に「文鳥」という小品がある。そのなかで文鳥を淡雪の精の様だとか餌の粟を啄む音を菫程小さな人が、黄金の鎚で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いている様な気がするとかと美しく書いている。この文鳥は家人の不手際で死んでしまうのだが、最後まで漱石の指で遊んでくれなかったようだ。
 作者の文鳥はしっかりと指の上で遊んでくれた。しかも正月の三日にである。春から縁起の良いことこの上もない。

冬の駅人の温みの小座布団  中曽根田美子

 小座布団は駅員の心遣いなのか地域の人たちのボランティアなのか分からないが、小座布団の温みは席を譲ってくれた人の温みであろう。寒い駅にはストーブが焚かれていて親しい人との楽しいお喋りがある。
 この句には待っている列車のことも外の寒さも忘れさせる暖かさがある。

郵便夫に声かけらるる日向ぼこ  伊藤 巴江

 なんとも朗ら朗らした句である。
 うららかな冬の日差し、広々とした縁側、ゆったりと流れる時間そして明るいひと言を掛けていった郵便屋さん。
 「現実にかくまで美しきものはなし」(ワーズワース)という恙ない暮らしの充足感が感じられ、読む者まで日向ぼこに引き込まれてしまいそうだ。


    その他の感銘句
大杉の切り株匂ふ初詣
吉書揚げかつと炎の尖りけり
初泣きを父の胡坐に入れにけり
紅梅の力ためたる蕾かな
竹垣の縄締め直す春隣
雪しんしん妻は夜なべのミシン踏む
幼子の一歩の歩幅春隣
岩国の六万石の日脚伸ぶ
待春や遊び心のイヤリング
寒鯉の色寄り合へる流れかな
巨人来てぱらりと撒きぬ寒雀
凍雲に余韻残せし落暉かな
剪定の音跳ね返す山の晴
夜廻りの靴音コツと冴返る
味噌桶を逆さに干して寒の入り
岡部 章子
久家 希世
鈴木喜久栄
竹田 環枝
横手 一江
岡崎 健風
小林さつき
池田 都貴
原  みさ
柿沢 好治
久保 徹郎
大石伊佐子
黒崎すみれ
小林 久子
中村美奈子


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 浜 松  坂田吉康

月一の主治医に申す御慶かな
一つ売れ一つ補ふだるま市
万人の万の願ひやだるま市
どの窓も日当る校舎冬木の芽
寒明の風にゆるめる舫ひ綱


 宇都宮  星 揚子

胸反らしゐる正月の風見鶏
極寒の背表紙厚き大字源
咳一つしてより入る大師堂
灯明の時折動き春寒し
受験子のけふは口笛吹いてをり



白魚火秀句
仁尾正文


一つ売れ一つ補ふだるま市  坂田 吉康

 だるま市は、旧年中から節分の頃まで寺社の縁日にそれぞれの境内に立つ。参道の両側に茣蓙など敷いて、二千円、三千円、五千円、一万円あるいは三万円級まで並べられている。正月の神棚に祀られる福だるまなどは年末年用意に買われるが、大方は正月を過ぎてから。商売繁盛、家内安全、満作などを祈念した縁起物である。
 掲句。狭い売場に多種のだるまを並べるので一つ売れると同じ種類のものを側から取り出して来て補う。単純明快な一物仕立ての一句である。昭和三十年、既に盛名を馳せていた細見綾子は「からたちの新芽単純希び止まず」を残している。単純化するには詩想をしっかりと固めて無駄な言葉を完璧に削ぎ落さなければならぬ。単純化されたものは、しらべがよく、その声調が、その時の作者の心のありようを読者に伝えてくれる。
 掲句を巻頭に推したのは単純化が成功したことによる。

極寒の背表紙厚き大字源  星  揚子

 大字源は、大言海や広辞苑などと共に国語すなわち日本の公用語を収録した権威のある大辞典である。
 掲句は、「背表紙厚き」と大字源によく目を凝らしている。背表紙が丸味を帯びて少し厚いのは、三千ページにも及ぶ辞典を、五百ページ程を一綴りにした幾綴りを強度のある用紙に貼りつけるから。この綴り目は一切分らぬようにした製本技術はすばらしい。平らな裏表の表紙より裏表紙が厚くされていることを見定めたのである。「極寒の」との取り合せであるが、一切の妥協を許さぬ製本技術者を称えた季語としてよく適っている。

火の尾鰭付けて吉書の舞ひ上がり  吉村 道子

 小正月頃行われるどんど焼には、書初も吉書揚げとして一緒に焼かれる。今しも、書初の一端に火が付いて揚っているものを「火の尾鰭付け」と確かに描写した。うまい句だ。

赤灯台赤い灯回す寒暮かな  萩原 峯子

 「赤い鳥小鳥」は赤い実を食べたから赤いという童謡がある。掲句の赤い灯台も同じような発想による「創作」であろう。赤い灯台には当然の如く赤い灯が回るのである。
 平成十五年、旭川における全国大会の吟行。笹小屋の近くの高い枝に止まっていたのは青葉木莵だと誰かが言い、大勢の視線がこの鳥に集まった。青葉木莵は青葉の頃の夜「ホーホー」と鳴き、声は知っていても姿を見たことはなかった。真黒で山鳩より少し大きいこの鳥を詠まんとしたが出来なかったが、この作者の「月色の目をしてゐたり青葉木莵」に感嘆したことを覚えている。最近テレビで青葉木莵の大写しを見たが目の縁は濃い黄色であった。そうであっても「月色の目」とは感性のいいすばらしい表現だと改めて感心したのである。

沈丁花町家の奥の奥に井戸  金原 敬子

 江戸時代町家は間口の長さで税を科せられたのでどの家も奥行は間口の何倍もあった。掲句の「奥の奥に井戸」は一番奥まった所に井戸があり、その近くに厨があり、神棚や仏壇のある居間があり、家人のくつろぐ一画があるのである。

知命とはいくつなりしや寒玉子  後藤よし子

 知命とは論語の「五十而知天命」より五十歳のことをいう。信長の好んだ幸若舞でも「人間五十年、下天の内にくらぶれば……」と人生は五十年と定着していた。ところが戦後衣食住に加えて医療の技術が画期的に進み日本人の平均寿命は男性八十、女性八十七と世界一の長寿国となった。こうなると孔子の知命も八十いくつとなるが「知命は五十歳」という言葉であるからそれを変えることはできない。

鵠鳴く空へ真つ直首伸ばし  森脇 和恵

 鵠は白鳥の古称。鳥獣魚介は弱肉強食によって生態系が維持されているが、弱者といえど知略により強者に立ち向かって撃退したり、ひたすら遁走して難を逃れたりもする。白鳥が長い首を真直に伸ばして天に向かって叫ぶごとき姿態をとるのも威容を見せつけているのかもしれない。

駅伝の靴供養あり十二月  中村 義一

 作者は本年全国高校駅伝大会で優勝した世羅高校陸上競技部の教師。年中厳しい練習が行われ、選手の履き潰した靴を供養して廃棄する行事が十二月に行われているようだ。「駅伝の靴供養」に感銘した。


    その他触れたかった秀句     
初春や一族集ふ大広間
屋根の雪立方体に切り落とす
きらめける霧氷や川と橋の街
風待ちの船が火灯す寒夜かな
めでたやな阿波のをみなの木偶回し
暮早しひとりの家に鍵三つ
カクテルのすこし甘かり女正月
初詣葺きし桧皮の百万枚
越天楽流るる社淑気満つ
鷽替へて小さき運を貰ひけり
七草の振り仮名付きの名札かな
御祝を平包みにし春隣
雪中に探り当てたる蕗の薹
頃合ひを見て玉葱の寒肥ふる
巻き癖を寝押しで直す新暦
福田  勇
高野 房子
平間 純一
橋本志げの
後藤 政春
小村 絹代
鍵山 皐月
山田 俊司
高田 喜代
澤本千代子
吉原絵美子
大坂 勝美
田原のぼる
櫻井 三枝
水島 光江

禁無断転載