最終更新日(update) 2007.03.06 | ||
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平成18年6月号より転載 |
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みづうみ賞は、毎年実施の“白魚火"会員による俳句コンテストで、今回(平成17年12月〆切り)が13回目となります。1篇が25句で、本年は応募総数78篇でした。これを先ず予選選者で31篇に絞り、更に主宰以下8名の本選選者によって審査され、賞が決定しました。 | ||
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発表 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平成十八年度 第十三回「みづうみ賞」発表。 第十三回応募作品について予選・本選の結果、それぞれ入賞者を決定いたしました。御応募の方々に対し厚く御礼申し上げます。 平成十八年五月 主宰 仁 尾 正 文 |
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(名前をクリックするとその作品へジャンプします。)
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みづうみ賞 1篇 |
山 行 (磐田)村上尚子 まんさくや山は聞耳立ててをり 窓越しに遠山を見る春暖炉 辛夷の芽空にゆるみのなかりけり 春の雪かぶりて山を大きにす 北岳の肩に雲あり苗障子 しろがねの山を遠くに初桜 花山葵噛み青春をはるかにす 木道の続くゆふすげ明かりかな 新しき遭難碑ありちんぐるま ケルン積む祈り小さき声にして 肩に荷の食ひ込んできし旱坂 駒草や落石音に振り返る 雪渓を行く靴跡を深く置き 花野見しあとは一気の登りかな 真横から見る啄木鳥の仕事ぶり ゆつくりと雲の過ぎゆく吾亦紅 山の日を引つ張り合ひて柿熟るる 霧を来て霧に戻りし歩荷かな 山番の過去に触れゐる濁り酒 白樺の幹さんさんと冬に入る すれ違ふ男の匂ひ猟期来ぬ 凩の山総立ちとなりにけり アイゼンを履きつつ雪を恐れけり 灌木の影の伸びくる深雪晴 山小屋の庭に木の椅子冬銀河 |
受賞のことば 吉報は春一番が運んできてくれました。 家の改築の為、昨年十月半ばより仮住いすること約五ケ月、押し掛ける様に我家へ戻った二日目の事でした。家中の荷物の中を擦り抜けていち日が過ぎ、俳句の事もすっかり頭の中から抜けてしまっておりました。 その様な折に「みづうみ賞」のお知らせを頂き、本当に驚きと喜びで一杯です。白魚火に入れて頂いて日の浅い私ですが、俳句が好きである事におきましては、仲間の一員として決して恥じないと思っております。 仁尾主宰はじめ、白魚火の大先輩の皆様と、磐田槙の会を熱心に御指導して頂いている黒崎治夫先生、そしていつも励まして下さる句友の皆様に、心から感謝とお礼の言葉を申し上げます。 今後自分を磨くと同時に、少しでも多くの方々と俳句を楽しんで参りたいと思っております。 これからもどうぞ宜しく御指導下さいます様お願い申し上げます。 住 所 静岡県磐田市 生 年 昭和十七年 俳歴 平成四年十二月 木語入会 平成九年五月 木語同人 平成十五年七月 白魚火入会 平成十七年六月 みづうみ賞選外佳作 平成十七年十一月 白魚火同人 |
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総評 |
仁 尾 正 文 |
昨年は、白魚火創刊六百号記念行事に参加したい意欲が社内に溢れていて第十二回「みづうみ賞」は前年度より二十四篇増え九十三篇の応募があった。今回はそれより十五篇減って七十八篇。応募された方々に敬意を表する。全応募者の予選結果を見せて貰ったところ、今回初めての者が十余名あった。会員歴、俳句歴二、三年のものも数名居り、予選通過に一点足らぬという惜しい者も見られた。 例によって入選作品を再審査したが、全篇誤字脱字、仮名づかいの誤りは皆無であったことは偉とするに足りる。その上にどの作品も字がきれいであったことは気持よかった。ただ、一篇だけ促音の表記が間違っていた。促音とは「もっぱら」とか「さっき」のような「つ」で表すもの。新聞雑誌などの現代文は「っ」と小文字で書かれているが、文語の場合は「つ」と普通の字の大きさが正しい。詳しいことは知らぬが、契冲による歴史的仮名づかいは、江戸時代から戦後の昭和二十一年の発音式表記に改悪されるまでわが国の公用文となっていた。 多くの伝統俳句の結社誌と同じように白魚火も特別な口語俳句を除いて文語である。文語には歴史的仮名づかいがふさわしいとされている。促音表記も歴史的仮名づかいの一部、注意して欲しい。 予選、本選選者の方々のご苦労にも深謝したい。白魚火では、不定期であるがしばしば特別作品の募集があり一都先生選により成績が発表されていた。これを結社賞級のコンクールに制度化したのが平成五年。第一、二回の予選は、同人集選者の藤川碧魚先生と白魚火集選者の筆者の二名が当ったが、第一回は百四十八篇の応募で大変だったことを思い出している。第三回は募集発表後に碧魚先生が逝去され筆者一人が選に当ったが、責任の重さを痛感した。その後山根仙花、坂本タカ女、水鳥川弘宇氏と筆者の四名が三年程予選し、以後現在の形になっている。 初期の頃は、二十五句は底に流れる主題―テーマ―が欲しいということを盛んに言った。角川俳句賞等の選考委員の選考座談会の発言の口移しの感がないでもなかったが。「海女慕情」や「太鼓師」などの受賞作はその最たるものであった。ところがある応募作に「聴診器」という題で二十五句の座五がすべて「聴診器」というのがあって唖然としたが、指導者側にも問題があったよう思う。 最近筆者の指導は「季語はなるべく沢山使え」に変ってきている。今回の入選作品は全篇二十五の季語が使われていて「総評」をよく読んでくれていると思った。今回の「山行」「神田川」「武蔵野」ははっきりしたテーマを持っているが、内容は弾力的である。季語を多く使った効能かと思う。最近の多くの作者は白魚火投句の外に作り溜めておき一年間の作品を構成している群作が多い。取り立ててテーマを言わなくても各作者の「旦暮」がテーマだと幅広く考えてよい。内容によっては同一季語を四つ五つ使うケースもあるだろう。それはそれで構わないが構成には気をつけるべき。同一季語が何句もべた並べになると選者に退屈される。退屈するとその後秀句が並んでいても秀句に見えないのである。読者心理―選者心理である。 今回の応募者数は静岡県が二十名で群を抜いていた。静岡の作家の入選が多かったのも、当然と言ってよいのかもしれない。入選を逃した人達が後押ししたといえる。 |
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