最終更新日(Update)'23.02.01

白魚火 令和5年2月号 抜粋

 
(通巻第810号)
R4.11月号へ
R4.12月号へ
R5.1月号へ
R5.3月号へ

2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   砂間 達也
「青インク」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
高田 茂子、岡 久子
白光秀句  村上 尚子
令和5年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表
令和4年東京全国大会参加記
令和四年栃木白魚火忘年俳句大会 田所 ハル
名古屋句会報「俳句講座」開催 伊藤 達雄
坑道句会十一月例会報 榎並 妙子
ひひな会一泊吟行会 田久保 峰香
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
小杉 好恵、青木 いく代
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜松)砂間 達也

わがひげも息子のひげも三日かな  田口 耕
          (令和四年四月号より)
 この原稿を書くために四月号を見直していた際、まず目についた一句。いろいろと想像が広がる句である。
 新春を迎え、元旦は身を清め、大概は家内で静かに過ごす。これが二日になると、初荷、年賀、書初めと打って変わって行事も多く、酒席になる場面も多かろう。
 そして、三日。これはどうしても四日の仕事始めへの助走とも言え、三が日の最終日でもある。その日の「ひげ」である。
 ものの本によると男性のひげは、成長ホルモンの多寡に影響され、成人を迎えるあたりから徐々に目立ち始め、最も濃くなるのは四、五十代の壮年期であるとのこと。たしかに我が身に振り返っても、はたちの頃は、時々剃れば十分であったものが、だんだんと濃くなり毎日でも剃らずにはいられなくなってきたのを思い出す。
 掲句ではそのひげが自分とご子息に生えているのに気付いた。とすると、三日の朝のことではないか。「我も彼も」とされているから、ご子息にも作者と同じくらいはっきり生えていたのだろう。するとご子息も少年でなく成人されておられるか。
 これは全く想像だが、するとすでにご子息は独立されていて、この年末年始で帰省されたのではないだろうか。そして、そろってひげがあるとすると、二日に親子で酒席を囲まれ、三日目を迎えられたのではないか。時間の経過を感じられる。
 作者の顎にひげが触り、ご子息にも確かなひげがある。親子であり男同士の紐帯を感じる。「女同士」というときのほんのりとした華やかさはないが、「男同士」という言葉はお互いの信頼感と、ちょっとたくらみの匂いも漂う言葉である。明日は四日、仕事始めとするところも多く、無精髭も今宵限りであろうから、その「髭」を捉え発想された着眼が素晴らしいと思う。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 年送る (静岡)鈴木 三都夫
立冬といふ曖昧な寒さかな
らんごくを極めて蓮の枯れにけり
蓮掘女薬缶の水を喇叭飲み
石蕗明り庭灯籠を灯しけり
日向ぼこ仲間は膝の中の猫
年忘れ俳句の外は皆忘れ
一つ済み一つまた増え年用意
一病を以つて息災年送る

 冬薔薇 (出雲)安食 彰彦
冬薔薇かくも明るき恋に逢ふ
冬薔薇静かに燃ゆる心かな
絵手紙の紅き大輪冬薔薇
蜜柑むくそれから話聞こうかな
蜜柑むいてからあの話してあげる
マニキュアの指が上手に蜜柑むく
病名は癌だと云うて蜜柑むく
どの部屋に置こうかピンクシクラメン

 尻尾の名残 (浜松)村上 尚子
初しぐれ花見小路を濡らしけり
酉の市そば屋の前で待ち合はす
糀屋の軒と触れ合ひお酉さま
人間に尻尾の名残小六月
威勢よき槌音桃の返り花
にはとりに残るみづかき神の留守
庭を見るたび山茶花の散つてをり
よき夢の途中に目覚め羽ぶとん

 ゐのこづち (浜松)渥美 絹代
神官の袴の裾にゐのこづち
鳴き声を探せば木の実降りにけり
猪撃のひとりは若き宮大工
赤き実の残る山城初時雨
小春日の駅に丸太の椅子五つ
大根の葉の揺れ月の欠けゆける
冬紅葉鳥声絶えぬ皇子の墓
小春日の湖を向きたる佃煮屋

 酒の神 (唐津)小浜 史都女
満天星の実やひつそりと酒の神
神留守の寂しき鈴を鳴らしけり
七五三園児らどつとバスを降る
砂浜につづく小春の相撲部屋
山茶花や馴染の茶屋に猫二匹
冬紅葉やはらかに踏み憶良の碑
落葉掃く男無口を通しけり
散紅葉日に日に土になりゆくか

 十二月 (名張)檜林 弘一
慧眼の蔵王権現十二月
白息を鼓に掛けぬ能舞台
神奈備の風に素麵干す寒夜
枯野原小川一本通しけり
おでん屋の素性の知れぬ酒美味し
熱燗やどこかで流行り歌ながれ
レントゲン技師の一声隙間風
日めくりの一言一句年歩む

 初時雨 (宇都宮)中村 國司
演奏の道に喰み出て文化祭
犢鼻褌 たふさぎ 型録 カタログ 五色銀杏ちる
太陽のいろ甘さうに吊し柿
墨堤に人かげ見えず初時雨
大会の余韻またもや冬夕焼
頰被すれば敵無し杣暮し
溝川に初冬の日かげ蝶の影
冬ざれの新宿越えて湘南へ

 年つまる (東広島)渡邉 春枝
幼児を追ひかけて行く庭落葉
冬耕の地の温もりに膝をつく
田も畑も宅地となりて冬深し
冬帽子求め八十路の浪費癖
一人居の二日続きのおでん鍋
駄菓子屋の閉ざされしまま年暮るる
十二月赤き蠟燭求めけり
思ひ出は姉のことのみ年つまる

 切干 (北見)金田 野歩女
秋晴のあつぱれ振りをぶらぶらと
東京は何処も行列麦とろろ
蔦紅葉廃屋覆ひ尽くすまで
湖を跨ぐ大橋冬の靄
お日さまの恵み切干ちりちりと
雪雲の懸かつて晴れてそれつきり
突堤に向き揃へたる百合鷗
立ち上がる畑の煙霜白し

 年の暮 (東京)寺澤 朝子
風と行く (東大通り) 本郷通り銀杏散る
神の旅神にことづて託したき
「十一月ですね」と医師くすし脈を取る
言問橋渡るは久し小春空
冬晴の都心の空を鳶の舞ふ
かたちよく子は箸使ふ一葉忌
暮早し句会の余韻ふところに
今生は物みな足りて年の暮

 枯紫陽花 (旭川)平間 純一
枯蔦の石倉に差す斜陽かな
陽を欲し枯紫陽花の枯れがれに
赫き月の神々談議神あつめ
冬雲を従へでんと大雪山
報恩講娑羅樹に遊ぶすずめかな
寂深まる屋根の緑青冬もみぢ
初雪や閉ざす書院の花頭窓
歪みある大正硝子冬館

 星月夜 (宇都宮)星田 一草
鶏頭に触るる指間に種こぼる
胡蝶三千飛び立つごとく銀杏散る
杜の影深く鎮もる星月夜
一山は照り一山翳る紅葉かな
蟷螂の枯れゆく眼みづいろに
枯蔓を仕舞ふ大空引き寄せて
妻ひとり残して旅へ帰り花
観音の慈眼たまはる小春かな

 落葉踏む (栃木)柴山 要作
パレットの絵具にぎやか山粧ふ
蔦紅葉妻へと栞る句帳かな
裾端折り磴百段を七五三
我よりもお主敏なり冬の蠅
面取れば竹馬の友や里神楽
けふは真つ赤贔屓のアナのカーディガン
八十路には八十路の小春おきのごと
落葉踏むリズムだんだん少年に

 冬至粥 (群馬)篠原 庄治
長き夜や独り地酒にほろと酔ふ
いさぎよく今朝に散りたる大銀杏
枯萩を括り身幅の仏道
棄て畑の幾星霜や枯葎
着ぶくれて鰥夫暮しに夜の黙
枯れ残る醜草の性吾の性
名札のみ残し花園枯尽くす
遠き日の祖母に想ひの冬至粥

 冬木の芽 (浜松)弓場 忠義
久に見る尊徳像や文化の日
富士塚の天辺のこゑ七五三
天職は無職勤労感謝の日
霜の朝富士は裾野を長うして
片言と思ふ赤子のくさめかな
冬木の芽軍手干しゐる町工場
山茶花や爪切る音の乾きをり
艮の角に柊咲きにけり

 枯蟷螂 (東広島)奥田 積
どこへも行かず好天続き木守柿
笑つたり笑はれゐたり日向ぼこ
こんなこと間違ふるのか枯蟷螂
さびしさはかくなる色か冬満月
踏まれたる邪鬼に日の差す冬もみぢ
水音のきらめいてゐる石蕗の花
青空やいちやう全き裸木に
酒蔵の中庭静か雪ぼたる

 冬青空 (出雲)渡部 美知子
足音へ鯉の寄り来る小春かな
柿落葉の穴より青き空のぞく
石庭の名残を囲む冬木の芽
検温の列へ木枯割り込みぬ
大根引く暮の時報を聞きながら
ぽつねんと冬青空に昼の月
大木の冬日へぐいと傾ぎ立つ
冬晴や一山揺らし列車過ぐ



鳥雲集

巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 ピアノ鳴る (藤枝)横田 じゅんこ
正客に背広の市長文化の日
螺子一つ落としてさがす夜寒かな
信号を待つ小春日の交差点
冬ぬくし麵麭屋の隅に書架のあり
セーターや調律すみしピアノ鳴る
葉牡丹の渦一鉢に溢れたる

 美術室 (浜松)佐藤 升子
地下にあるライブハウスや神の留守
石蕗の花厚き封書を開きけり
児の周りもつとも木の葉降りにけり
香煙の風下に立ち十二月
美術室の机の上の冬林檎
セーターの緩ぶ袖口折り返す

 雪婆 (高松)後藤 政春
秋天へ色とりどりの熱気球
三毛猫の紛れ込みをり菊花展
口笛の鳴らぬ朝や冬に入る
転んでも泣きはせぬ子や雪婆
回診を待つ病窓の冬薔薇
参道はまだ風の中神迎

 長き坂 (出雲)三原 白鴉
黒ズック履いて尼僧の落葉掃く
落葉踏み母校へ長き坂登る
校訓を刻む石碑や返り花
風丸く抱いて白鳥着水す
シリウスや音なく廻る防霜扇
おでん酒いつしか混じる国訛

 砂場の子 (宇都宮)星 揚子
小春日の郵便受けを開けに出る
片時雨顔上げてゐる砂場の子
水音の中を紅葉の散りゆけり
浮く落葉沈む落葉のありにけり
首伸ばし鷺歩き出す冬の川
暮早し山に山影重なりて

 冬はじめ (出雲)岡 あさ乃
雀らの日向に散つて冬はじめ
冬うらら丸まつてゐる鉋屑
石階に日差しつつじの返り花
右肩をほぐす左手一葉忌
しぐるるや圧力鍋のピンの揺れ
散りゆけるものに紛れて冬の蝶

 小春おばさん (一宮)檜垣 扁理
小春おばさん (井上陽水) 」てふ唄のあり小六月
モーニングサービスはジャズ室の花
ドミグラスソース匂ふや笹子鳴く
食パンで消すデッサンや冬雀
ファイティングポーズ崩さず枯蟷螂
石蕗の花喪中葉書を出しにゆく

 白き息 (鳥取)保木本 さなえ
灯を消してよりの風音聞く夜寒
湯沸しの音に始まる冬の朝
眼の高さまで降り来たる雪婆
白き息見えゐて言葉届かざる
焚火の輪子の加はれば子の話
風つれて置薬屋の来る師走

 山眠る (浜松)阿部 芙美子
痛めたる膝に猫来て冬ぬくし
路地大路抜けて四条へ十二月
人ひとり犬一匹や枯野道
朝靄の立ちたる川面山眠る
路線バスの椅子白葱の忘れ物
風花やロダンの像の前屈み

 龍の玉 (江田島)出口 サツエ
差し潮に波止の洗はれ神渡し
メモにある数字の不明神の留守
日だまりや掌に遊ばせて龍の玉
戦なき世江田島湾に牡蠣育つ
冬紅葉予定なき日のよく晴れて
千年の塔に木洩れ日冬ぬくし



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 高田 茂 子(磐田)
鬼柚子や膝に母校の百年史
新藁の届き今年の無事思ふ
船上より富士の全容小春凪
凩や夫の指圧のよく効いて
箱詰の蜜柑四角になりてをり

 岡 久子(出雲)
鵙日和庭に小さな靴の跡
茶の花や参道に押す車椅子
石蕗の花板塀にある日の匂ひ
かくれんぼ落葉踏む音消えにけり
夜神楽の笛の音窓を開けて聞く



白光秀句
村上尚子

鬼柚子や膝に母校の百年史 高田 茂子(磐田)

 詳しくは文旦に属するという「鬼柚子」。普通の柚子の十倍ほどもあり、存在感は満点である。膝には今年百年を迎えたという母校の冊子。どのページを捲っても思い出ばかりである。日頃忘れていた恩師や友達の姿や声がよみがえってくる。
 鬼柚子の大きさと重みは、長年の思い出そのものである。
  箱詰の蜜柑四角になつてをり
 丹精を込めて作られた蜜柑が箱詰で送られてきた。底の方にあったものは、数日たつと上の重みで箱の形に従うしかない。結果を見れば子供でも気が付くかも知れない。日常のちょっとしたことに目を止め、それを言葉にすれば俳句が生まれる。〝嘱目〟が大切だという典型的な作品。

夜神楽の笛の音窓を開けて聞く 岡 久子(出雲)

 日没から夜を徹して行われることから、季語としては「里神楽」と区別している。宮崎県の日向神社や高千穂神社はよく知られているが、各地の集落でもさまざまな形で行われている。神楽と言えば「笛の音」が付きものである。締め切った家の中でも充分聞こえているが、思わず窓を開けた。笛の調子により、作者には神楽の場面がきっと分かるのだろう。夜の寒さと静けさが伝わってくる。
  鵙日和庭に小さな靴の跡
 鵙の贄という季語もあるように、鵙は鳴き声も含め獰猛な気性をもっている。しかし人里近くに棲み、他の鳥の鳴きまねをすることから親しみも湧く。今日は良い天気に誘われ機嫌よく鳴いている。こんな日は人間も取り立てて用事がなくても外へ出てみたくなる。
 庭先で見付けた小さな靴の跡も何やら楽しげに見える。

朴落葉吹かるるままに日を返す 髙部 宗夫(浜松)

 朴は山野に自生し、初夏には清楚な花を咲かせ、大きな葉と幹の美しさが人の目を惹く。冬にはすべての葉を落とし風の意のままになる。落葉になっても存在感のある朴の葉の様子によく目が行き届いている。

張板の布よく乾く小春かな 菊池 まゆ(宇都宮)

 最近はあまり見掛けなくなった洗い張りの〝張板〟のことだろう。洗った布に糊をつけ平らな板に皺を伸ばして張る。小春日和に味方され、新しい布のように仕上がったことだろう。

立冬やドライブスルーで薬受く 春日 満子(出雲)

 フライドチキンやハンバーガーが主流のドライブスルー。最近コロナ禍で人混みを避けるためにも利用は高まっている。PCR検査は知っていたが、「薬」まで受け取る時代になったとは…。

産土の空へ押し合ふ冬木の芽 安部 実知子(安来)

 子供の頃から見馴れてきたふる里の大木であろう。葉を落としても寒さに耐えながら、春の芽吹きの準備をしている。その一つ一つは力強く空へ向かって立ち上がっている。何年経ってもふる里はありがたい。

小春日や大工の小さき握り飯 武村 光隆(浜松)

 特に働く人にとって食事は楽しみの一つ。たまたま見掛けた大工さんのにぎり飯が、思ったより小さかったことに驚いている。「小春日」の季語により楽しげな声が聞こえてくる。

雨音に目覚む勤労感謝の日 村松 綾子(牧之原)

 気持ちよく眠り込んだらしい。雨音に気付き目が覚めた。そうだ、今日は「勤労感謝の日」だと気が付いた。〝勤労を尊び生産を祝い、たがいに感謝し合う〟の趣旨の通り、心身の健康を象徴したような一句。

ヘルパーのつくる肉ジャガ夜半の冬 中村 公春(旭川)

 高齢化、そして核家族が増えホームヘルパーが必要とされることが多くなった。「夜半の冬」は気にかかるところだが、よほどの事情があってのことだろう。しかし寒い夜に食べる肉ジャガはさぞおいしかったに違いない。

犬行に猫の足跡冬日和 熊倉 一彦(日光)

 建物の周りに人が歩けるほどの幅で、調和と保護を兼ね備えた「犬行」。犬走りとも言う。そこで見付けた猫の足跡。濡れていたのか泥が付いていたのか…。日和に誘われ、猫にも行くところがあったらしい。


焼菓子はハートのかたち草紅葉 広川 くら(函館)

 おやつの菓子を持って出掛けた。通り過ぎてしまうのはもったいないような景色。見晴らしのよい場所で袋を開けた。「ハートのかたち」だったことでまた話が弾む。それに応えるように草紅葉も輝いている。


その他の感銘句

咲き切つて皇帝ダリア空を突く
ちちははの句碑十月の桜咲く
神の留守叩いて動く洗濯機
退職の足にまとはりつく木の葉
落葉搔く園丁時に空見上げ
沓掛の坂のたもとのかへり花
暮早し町の時報のわらべ歌
眠る子の睫毛の長し神の留守
独り居を猫と紛らす夜半の冬
牛蒡引く吾のそばには妻のゐて
子の匂ひ遺るねんねこほどきけり
落葉踏む音後へあとへとついてくる
村しぐれ母の縁者が一人ゐて
颯爽と現れ黒のコート脱ぐ
冬の夜の更けてしみじみ一人かな

西沢三千代
伊能 芳子
田渕たま子
古橋 清隆
中間 芙沙
砂間 達也
荻原 富江
市野 惠子
川本すみ江
唐沢 清治
陶山 京子
埋田 あい
三関ソノ江
中村喜久子
鷹羽 克子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

札幌 小杉 好恵
万歳で締むる大会秋うらら
喪の葉書湿りて届く夕時雨
引退の車輛勤労感謝の日
奥宮に一陣の風落葉舞ふ
冬暖大きな窓を拭きあぐる

浜松 青木 いく代
叡山より望む淡海の雁渡し
封切の焙じ茶熱く冬初め
小春日の海を見に行く切符買ふ
冬うらら北斎漫画動き出す
「硝子戸の中」の一日漱石忌



白魚火秀句
白岩敏秀

万歳で締むる大会秋うらら 小杉 好恵(札幌)

 「白魚火通巻八百号記念」全国大会が令和四年十月二十四日と二十五日に行われて、そして無事に終わった。事情で参加出来なかった人、申し込みしても突発的事情で参加出なくなった方もあろう。それでも全国から八百号を祝って大勢の誌友が集まった。大会では白魚火の盛んな勢いが示された。大会の最後は恒例の「白魚火万歳」の大きな声が会場に響き渡った。大会は秋うららかに終わった。
  冬暖大きな窓を拭きあぐる
 大きな窓とは、例えばショーウィンドウのような大きさを言うのだろう。背伸びしては上を拭き、屈み込んでは下を拭く。時には汚れに息を吹きかけて落とす。窓拭きが終われば暖かな冬の日がたっぷりと射し込んでくる。この明るさがいい。

「硝子戸の中」の一日漱石忌 青木いく代(浜松)

 『硝子戸の中』は夏目漱石の最後の随筆で「朝日新聞」に連載された。硝子戸で世間と切り離された書斎で、身辺の人々のことや思い出が語られる。後半の思い出の話の中に〈有る程の菊投げ入れよ棺の中〉が出てくる。菊を投げ入れられた人は大塚楠緒子という才色兼備の歌人。ほのかな恋心を感じさせる文章である。漱石は大正五年に四十九歳で亡くなった。漱石忌は十二月九日。
  冬うらら北斎漫画動き出す
 葛飾北斎の『北斎漫画』は人物や動物、植物、建物、風景などのあらゆる題材が描かれた絵本。「漫画」とあるが、今のようなストーリー性のある漫画とは違うが、一枚ずつにそれぞれ表情があって、今にも動きそうである。うららかな日差しのなかで、眺めている作者の気持ちも動いたのだろう。

たましひの抜けんばかりに咳込める 神田 弘子(呉)

 風邪で熱が出たと思ったら咳も出始めた。咳はだんだんと激しくなって、終いにはたましいが飛び出るほど咳込んでしまった。「たましひの抜けんばかり」は咳き込みの激しさ、苦しさ。咳が止まれば〈咳止んでわれ洞然とありにけり 川端茅舎〉の状態になる。

向き正す白緒の草履七五三 才田さよ子(唐津)

 白緒の草履と言えば着物袴姿の男の子。これはお祓いを受けるために神殿へ登った時の動作だろう。神殿に向けた草履の爪先を外に向きを正す。その流れるような作法が美しい。独特な視点から捉えた七五三の句。

振り向けば寂光院の時雨かな 榛葉 君江(浜松)

 寂光院は京都大原の地にひっそりとある。三代目庵主は建礼門院で安徳天皇の母である。寂光院を出て名残を惜しむかに振り向くと、思わぬ時雨が降ってきた。残る紅葉に囲まれた寂光院に降る時雨。寂光院や時雨の持つ伝統を現在に引き戻した表現が「振り向けば」にある。

神木の落葉の嵩の大いなる 中村美奈子(東広島)

 樹齢何百年かの神木なのだろう。高さも幹回りも立派。産土を守って堂々としている。それが落葉した。落葉の量も尋常ではない。改めて見上げた神木。テーマは神木への畏敬。

冬ぬくしひとり遊びのケンケンパー 齋藤 英子(宇都宮)

 母の帰りを待っているのか、友だちが帰ったあとに一人で遊んでいるのか。日暮れの近い公園で遊びに夢中になっている子ども。「冬ぬくし」の季語の斡旋も句のリズムもよく、ひとり遊びのさびしさを感じさせない。

寒月や言葉少なく叱らるる 稗田 秋美(福岡)

 叱る相手が大人でも子どもでも、多くの言葉は必要がない。この場合は子どもだろう。自分のしたことを十分に反省している。改めて長々と叱る必要はない。「寸鉄人を刺す」の言葉がある。

自らを燃やし尽くして紅葉散る 唐澤富美女(群馬)

 紅葉の美しいのは自らを自らで燃やしているからだという。そして、自らを燃やし尽くして、はかなく散っていく紅葉。どこやら恋に殉じた女性の物語のようにも思える。身を焼く一途さが紅葉の美の世界。


    その他触れたかった句     

ハイネ詩集ひもとく窓辺冬銀河
小春とは母に抱かるる思ひかな
月食の庭に湯冷めをしてしまふ
三陸の海の色なす初さんま
弔問の途絶えてよりの冬の月
切干や程よき風を軒に受け
子 柿落葉音を集むる庭箒
菊花展しづかに人の離れけり
秋祭ガラスの指輪ひとつ買ふ
腁の手が小さき両手に包まるる
小春日の潮待ち船や鞆の浦
掛時計つるべ落しを刻みけり
雨よりも雨音さびし冬に入る
冬に入る土手より低き街明り
快晴のまつただ中の花野かな
冬の夜肩寄せ合うて笑ひけり
銀杏落葉花束の如集め持ち

中山  仰
橋本 快枝
川本すみ江
鈴木 竜川
富樫 明美
福間 弘子
福本 國愛
山口 悦夫
安川 理江
杉山 和美
貞広 晃平
佐久間ちよの
坂本 健三
栂野 絹子
板木 啓子
大塚 美佳
細田 益子


禁無断転載