最終更新日(Update)'22.12.01

白魚火 令和4年12月号 抜粋

 
(通巻第808号)
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12月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   鈴木 誠
「山の雨」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
渥美 尚作、原 美香子
白光秀句  村上 尚子
令和四年度栃木白魚火 秋季俳句大会吟行会 菊池 まゆ
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
野田 美子、大滝 久江
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜松)鈴木 誠

東寺から見る極月の京の町  池島 慎介
          (令和四年二月号 白光集より)
 東寺は平安時代の初め、嵯峨天皇より下賜されて、弘法大師空海が密教の根本道場として整備した寺院です。ですから、高野山と並んで真言宗の総本山です。境内には国内最大級の五重塔を始め、講堂には国宝の仏像が数多く並ぶ立体曼荼羅、空海の像をまつる御影堂等があります。四国八十八箇所を参った、お遍路さんが最後にお礼参りに訪れる聖地でもあります。
 こうした伽藍を持つ東寺は正しくは教王護国寺と言い、平安京の守護の為に都の南端、九条通りに建立されています。
 掲句の「東寺から見る」とは都の安泰を願う、空海の眼差しが感じられ、「極月の京の町」と相俟って荘厳さが感じられます。

木枯を蹴つて空手の少女かな  本倉 裕子
          (令和四年二月号 白魚火集より)
 木枯を蹴ると言うフレーズがとてもユニークで新鮮です。それが、また空手をする少女なのですから驚きです。想像では、少女の髪型はポニーテール、その眼差しは凛として空をにらみ、甲高い気合いと共に寒風を蹴る光景が浮かびます。もう少し立ち入れば、この蹴りが、前蹴りか、後ろ蹴りか、飛び蹴りか、それとも回し蹴りかと言う事です。やはり見えぬ敵に目掛けて蹴るのであれば、飛び蹴りが似合うのではないだろうか? などと、この句から色々と楽しませて頂きました。

おもしろき未来信じて日記買ふ  原 美香子
          (令和四年二月号 白魚火集より)
 「おもしろき未来信じて」に深い思いを感じます。コロナ禍、ウクライナ侵攻、温暖化等の暗いニュースばかりの昨今に、少しでも明るい未来を信じて日記を買う。その白いページにこれからどんな事が書き込まれて行くのか?
 少しでも楽しい出来事が書き込まれます様に、作者ならずとも願わずには居られません。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 敬老日(静岡)鈴木 三都夫
ほのぼのとやがて定かに今日の月
雲を脱ぎ月の七曜始まりぬ
羽衣の雲を脱ぎたる今日の月
天心の月下に眠る山河かな
初秋ふと吹くとしもなき風に触れ
ほんのりと夕べの色の酔芙蓉
白寿てふ己を褒めて敬老日
晩酌の今日のお供の衣被

 柿(出雲)安食 彰彦
遠来の客に熟柿を勧めけり
空は晴れひとつ熟柿を啜りけり
享年白寿母の位牌に柿ひとつ
手に貰ふ柿は少女の頰のごと
柿食へば卒寿がちかしもうそこに
軍服の遺影に今も柿供へ
物音は父かもしれぬ十三夜
酒少し起きてたしなむ後の月

 風見鶏(浜松)村上 尚子
ぶらぶらと揺れて人呼ぶ青瓢
十月の海を見てゐる風見鶏
鶏頭やわれにも引けぬ一事あり
色鳥のこゑ入れ替はる天守閣
秋の蟬小さき山より暮れてゆく
山内に入る鬼の子に見られつつ
シテ方の袂に通す秋の風
只事ですまぬ夜長の電話かな

 法師蟬(浜松)渥美 絹代
法師蟬鳴きそろばんを入れ直す
草の根につまづく二百十日かな
大風の一夜明けたり新松子
濁流の引きたる土手の葛に花
野分去り引売りに買ふ油揚げ
よき風を入れ新米の量り売り
一束の稲穂を壺に団子売る
穴に入る蛇や川原に鳶の影

 まつぼくり(唐津)小浜 史都女
上流は母のふるさと祭笛
青柿も青柚も二百十日かな
犬好きは犬も知るなり鳳仙花
八千草や舟に艪もなく櫂もなく
底紅の終の一花も落ちてをり
台風一過本丸跡のまつぼくり
敗荷や水の修羅場となりてゐし
刈田道歩けば青き匂せり

 秋の声(名張)檜林 弘一
秋分の夜空に合はす星座盤
飛石のほどよく離れ昼の虫
真つ新な木彫の菩薩秋の声
純白は緩まざる色菊花展
鹿垣の丈足す話してをりぬ
友禅を流しし川辺薄紅葉
擬宝珠に明治の日付露の声
鯔飛んで棒切れとなる夕間暮

 てらてらと(宇都宮)中村 國司
重ねおく名刺のしまつ秋夕焼
にくやさい炒め匂はす台風裡
大戸開け敬老の日の風とほす
青空の過ごし易さよ蕎麦の花
青淡き秋茄子サラダグラス酒
畦に伝金売吉次墓彼岸花
コンバイン眺めて畦の彼岸花
てらてらと翅に夕日を赤蜻蛉

 鵙日和(東広島)渡邉 春枝
白き物白く乾きて鵙日和
初紅葉昨日の色と今日の彩
コスモスや風立ち易きひとところ
白菜を蒔き終へてより空の青
秋耕の一畝づつに札を立て
秋暑し素顔のままに暮るる日々
立読みの本屋にひびく虫の声
形なき物に躓く文化の日

 吟行(北見)金田 野歩女
花野行く俳人三人俳談義
名月や夜の学舎よく照らす
吟行の先々秋の孔雀蝶
青北風や仲良く暮らす家並かな
水の秋笹舟の影雑魚の影
金風の鳥居の紙垂を揺らしゆく
小鳥来て数羽一樹に零れけり
黄落を帽子に受けて車椅子

 実むらさき(東京)寺澤 朝子
駅ピアノぽろんと終はる良夜かな
寝に落つる明かり落とせば虫の闇
窓開けて今日の始まる秋日和
いつ拾ひしかどんぐりがポケットに
大輪の芙蓉を咲かせ無縁寺
鶏頭花ごつんと頭ふれ合へる
鳥渡るこの郷愁は何処より
夫の亡きのちは余生か実むらさき

 秋彼岸(旭川)平間 純一
早稲を刈る一番乗りは若頭
縄文のヴィーナスの腰豊の秋
月光の流るる音のするやうな
曼陀羅の燭の揺れをり秋の声
鉦打ちて秋の彼岸会始まれり
声明の高く澄みゐる秋彼岸
月光にこゑ昇りゆくつづれさせ
ダム底に沈みし暮し山粧ふ

 路地(宇都宮)星田 一草
竹箒路地掃く音の涼新た
コロッケを買うておしろい花の路地
しなやかに水引の紅跳ね交はす
幹なでて大樹を仰ぐ秋の声
一片の彩雲まとふ今日の月
小さき旅駅に燃え立つ曼珠沙華
草虱飛び付きさうに跳ね上る
執拗な秋の蚊はらふ耳の裏

 豊の秋(栃木)柴山 要作
雁来紅飛び火しさうな山の寺
稚のもの乾く山寺秋うらら
名月や戦のニュース果てもなく
明々あかあか畳屋けふも夜なべかな
病妻にたつぷり絞る酸橘かな
綺羅零す重連水車秋高し
ゆつくりと見えはかがゆく稲刈機
迸る尊徳の水豊の秋

 新生姜(群馬)篠原 庄治
一灯が虫を鳴かしむ野天風呂
匂良し辛さ程よし新生姜
穂芒を映す湖畔を一と巡り
菊日和師の句碑を訪ふ百句塚
草の穂の覆ふ忠治の処刑跡
山野辺の千草実を持つ秋深し
今生の声ふりしぼる秋の蟬
選句する句座の静寂や虫時雨

 白バイ(浜松)弓場 忠義
爽やかに喇叭のリズム豆腐売り
秋冷や干し物たたむ膝の上
石舞台よひやみの草立ち上がる
枕もて泊りくる子や十三夜
バー出でて露の世に我が影を置く
荻の風吹きて湖畔の夕べかな
白バイをすいと追ひ越す鬼やんま
オクラ刻む緑の星を転がして

 牧水忌(東広島)奥田 積
白々と湖白々と台風圏
厄日無事手術終はれり無影灯
秋澄むや雲を眺めて日を過ごす
鷹渡る病室の窓磨かれて
初もみぢ看護師さんは妊婦さん
忘れゐる恋もありけり牧水忌
病室の窓に鳥影楝の実
暗れてゆく稲田遠くに街路灯

 すぐそこに(出雲)渡部 美知子
朝顔の藍や明日はすぐそこに
萩の家訪うて親しき勝手口
通し土間の奥に人ごゑ秋澄めり
荒神の出雲狛犬秋日嚙む
シーソーの尻をくすぐる猫じやらし
十六夜や息を潜むる大蛇川
この闇を闇とは知らず虫鳴けり
色鳥の色散らしゆくささら川



鳥雲集
巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 赤とんぼ(呉)大隈 ひろみ
面影をさがす再会秋桜
振つて出す靴の砂粒赤とんぼ
万年筆措けば机辺に秋の風
梨を剝く白磁に指の影こぼし
幼子も絵本を膝に夜半の秋
髪を吹く風の軽さや草の花

 曼殊沙華(浜松)野沢 建代
転がして置きても邪魔な大冬瓜
隣家へは背戸でつながり十三夜
籾殻焼く匂ゆふげの茶の間まで
紫蘇の実を扱きて爪を汚しけり
畝少し曲がつてをりぬ貝割菜
パラグライダー着地真つ赤な曼殊沙華

 御饌の藷(出雲)三原 白鴉
雁渡る三日続きの湖の荒れ
岸に来て消ゆる波音蘆の花
一斗缶叩いて散らす稲雀
藷太る浜の石積む海女の畑
御饌の藷皮を大事に洗ひけり
秋風や鉄師の長の土蔵群

 大花野(鳥取)保木本 さなえ
木の実落つる音に寄り来る池の鯉
よき顔を乗せて花野をバス帰る
船の帆のくつきりと立つ秋の潮
ひぐらしのいつもとほくにないてをり
大花野縦一列にリュック行く
桐の実の鳴れば日暮の近づきぬ

 星流る(浜松)阿部 芙美子
補聴器の拾ふ雑音星流る
秋草を束ねて象の献花台
初潮や孔雀大きく羽広げ
あれこれと母思ふ日や草の花
彼岸花棚田への道狭まりぬ
新松子波音高く夜の来て

 曼珠沙華(多久)大石 ひろ女
堅穴の天窓に星流れけり
落人の里遠巻きに曼珠沙華
台風の進路にをりてバッハ聴く
雁渡る注連を確かに夫婦岩
雁の棹一番星を瞬かす
秋深し潤みてゐたる神馬の目

 案山子(高松)後藤 政春
晩年の日々睦まじや零余子飯
敬老日席の並びは年の順
ひんがしにみんな向きをり秋あかね
秋出水ボトルシップの流れ着く
台風の逸れてしづかに村老ゆる
拍手を打つて峡田の案山子抜く

 秋の雲(松江)小村 絹代
事もなき二百十日の熱き飯
反り橋の十歩に尽きて秋の雲
余生まだ遊び足らずや猫じやらし
石塊のひとつは仏草の花
水を張るやうな大空秋桜
冬瓜を割れば遠くに母のこゑ

 秋の声(江田島)出口 サツエ
秋の声上がり框に腰かけて
背伸びするだけの体操秋高し
足元の風柔らかし草の花
目の前に海ある暮し大根蒔く
秋澄むや山の形に山暮れて
秋の蚊を打ち損じたる齢かな

 草の花(呉)久保 徹郎
鬼灯や酒は二合と置き手紙
逆上がり出来て近づく鰯雲
十五夜の父の影踏み子の跳ぬる
草の花一人しやがんでかくれんぼ
溢蚊や祖父の遺しし裸婦の像
秋空へ大き泣き声水天宮



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 渥美 尚作(浜松)
製材の鋸に錆浮く残暑かな
色鳥や午後二時となる花時計
城山の物見の松に新松子
さやけしや山に日の射す雨上がり
稜線に鉄塔十基秋の風

 原 美香子(船橋)
天上に星屑伊那の虫の闇
馬繋ぎにつなぐ自転車大花野
秋高しホルスタインの耳にタグ
御朱印を待つ藤の実に振れながら
秋灯や保育所にまだ子の姿



白光秀句
村上尚子

紅芙蓉ひと日いたはるやうに閉づ 安部実知子(安来)

 芙蓉には白芙蓉、紅芙蓉、酔芙蓉などの種類がある。一本の木に多くの花を付け、入れ替りつつ華やかに咲き続けるが、一つ一つは一日だけの命である。その習性を見たまま詠めば芙蓉の説明をしているだけとなる。数日間向き合うことで「いたはるやうに」の言葉に行き着いた。すなわち、作者の思いと重なったのである。
  萩白しどれも蓋もつ斎の椀
 「斎」には昔から仏家としてのいろいろな決まり事があるようだが、ここでは一般的な仏事の場所として解釈した。法要のあとそこへ出された膳の上の椀である。確かにいずれにも蓋がしてある。言われてみればその通りだが、言葉にしてこそ俳句である。庭に咲く萩の白さが一層際立って見える。

説法の僧に首ふる扇風機 落合 勝子(牧之原)

 法要のあとのしばしの時間、僧侶と故人のことや世間話をしたりするが、時にはありがたい話に耳を傾けることがある。そこで役目を果たしている扇風機。最近は冷房装置が進んでおりその出番は減っている。しかし風の向きや風の量を加減することで、よりやさしさを感じる。話にうなずく人達と一緒になって扇風機もうなずいているように見えるところが面白い。
  傘立に一本の杖梅雨明くる
 足腰の弱い方にとって杖は一番身近な助っ人である。ある集りに杖を突いて出掛けたが、帰りはその必要もなく帰ったことになる。事情は分からないが、折りしも長かった梅雨も明けた。残っていたのが傘だとしたら単なる忘れ物で終わってしまう。続編が聞こえてきそうな一句である。

海兵の先師の写真夏の果 松本 義久(浜松)

 「先師」とは前主宰の仁尾正文先生に違いない。海軍兵学校時代の軍服姿の写真に触れ、一気に懐かしさが込み上げてきたのだろう。「夏の果」は単なる夏の終りのことだけではなく、年毎に遠ざかる先師への思いに通じる。

色違ひのスリッパ二足今朝の秋 勝部アサ子(出雲)

 同じ種類のものでも色違いのものはたくさんある。洋服、靴、帽子、鞄等々。その中のスリッパだった。季節の移り変りに合わせて新調した。足元から俄に秋がやってきた。

新涼や白寿益々健やかに 鮎瀬  汀(栃木)

 ここ数年暑さは厳しくなるばかり。自然環境に逆らう術はなく、少しでもしのぎ易い工夫をするしかない。病人や老人にとっても我慢を強いられる。そんななかで作者は九十九歳の夏を迎えられ、「益々健やか」だと言っている。大先輩にあやかりたいものだ。

髪を切る合せ鏡に晩夏光 高田 茂子(磐田)

 美容師が「どの位切りますか」と問いかけているのだろう。その時片手に持った鏡に一瞬日差しが飛び込んできた。晩夏とは言え特に暑かった夏を惜しむというより、秋への期待が大きいようだ。

西瓜切る嫁のまはりに四人居る 谷口 泰子(唐津)

 核家族では西瓜を丸ごと買うことは少ない。しかし、この句の登場人物は本人を含め六人ということになる。どの様に切るのかみんな興味津々。色々な声も聞こえてくる。大勢で食べる西瓜の味も又格別。日本のよき時代を彷彿させる。

夏期講座終へ野球部の服を着る 森  志保(浜松)

 夏休みに開かれるさまざまな講座。ここでは一定の時間を室内で過ごしたのだろう。このあとは大好きな野球の練習がある。服を着替えることは気持の転換にもなる。少年のユニホーム姿がまぶしい。

還暦や孫と揃ひの半ズボン 土井 義則(東広島)

 還暦は人生の一つの区切りに違いないが、若者の減りつつある日本にとって第二の人生のスタート地点とも言える。活躍の場はたくさんある。お孫さんにとっても自慢のおじいちゃん。「お揃ひの半ズボン」姿が若々しい。

虫の音の止みて独りと気付きけり 冨田 松江(牧之原)

 「止みて」は時季的に鳴かなくなったのか、時間的に聞かれなくなったのかは不明だが、今迄聞こえていた「虫の音」が突然止んだことで、はたと独りであることに気付いた。一抹の淋しさだけが残った。

葉鶏頭の紅や鍋島御庭焼 新開 幸子(唐津)

 鍋島藩の鍋島氏の庭に設えてある御用窯である。その性質上作品が民間に出回ることを厳しく取り締まってきた。葉鶏頭の「紅」は鍋島藩の隆盛の時代を語っているようだ。


  その他の感銘句

足跡を渚に残し九月来る
臍も背も出したる佳人日の盛
酢を打つて飯粒ひかる今朝の秋
芒野に来てポップスを口遊む
秋隣体重計に乗せられて
叢草や色なき風に応へたり
夏座敷遺影の夫と二人きり
さはやかに卒寿の朝を迎へけり
星祭会ひたき人の名を書きぬ
暮の秋明かりの洩るる駐在所
白球を追ふ少年や夏さかん
昔の恋待宵草が知つてゐる
粥作る米の五勺や秋の雨
墓掃除三男坊がとりしきる
ポケットに喉飴ひとつ草むしる

春日 満子
岡部 兼明
周藤早百合
中村喜久子
唐沢 清治
山口 和恵
徳永 敏子
山田ヨシコ
鈴木 花恵
多久田豊子
杉原 栄子
安川 理江
埋田 あい
佐藤 琴美
吉田 智子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 愛知 野田 美子
塚に添ひ身の丈ほどの女郎花
秋の夕子を負ひミシン踏みし母
草の絮古墳の空へ昇りゆく
鳥かぶと沼へ入りくる山の水
修道女の墓へとつづく葡萄棚

 上越 大滝 久江
とんばうを連れて園児の縄電車
米山は信仰の山秋澄めり
この落暉今宵の月を疑はず
鳥渡る青空深くなりにけり
郊外に出るや稲刈真つ盛り



白魚火秀句
白岩敏秀

修道女の墓へとつづく葡萄棚 野田 美子(愛知)

 緩やかな起伏に添うて一本の道がある。両側にはたわわに実をつけた葡萄棚が並ぶ。道の彼方に十字墓が小さく見える。さらにその奥には修道院が見えている。散文にすればこれほどの文字が必要となる。景の一部を描写して、景全体を描きだしている。十七音の俳句の大きな力である。
  秋の夕子を負ひミシン踏みし母
 今は電動ミシンだから足で踏むことはない。かつては廊下や部屋の隅で、母がミシンを踏んでいた。足踏みミシンだから今のことではない。「踏みし」と過去の助動詞「し」(「き」の連体形)を使って作者が直接見た思い出を詠んでいる。助動詞の一字で過去と現在を明確に区分している。

米山は信仰の山秋澄めり 大滝 久江(上越)

 米山は、上越市と柏崎市の境に位置する標高九九三メートルの山。別名「胞衣山」や「五輪山」と呼ばれる信仰の山である。作者は朝夕米山を仰ぐたびに、この山に守られていることに感謝しながら暮らしているのだろう。米山に対する敬虔な気持ちが自ずと「秋澄めり」の季語を選ばせたに違いない。米山は今日も凜として秋空に聳えている。
  郊外に出るや稲刈真つ盛り
 久し振りに郊外に出てみた。出てみるとたちまちに稲刈りの真っ盛りの光景を目にした。この句の「出るや」の「や」がポイント。「や」は切字でなく、「…やいなや」「するとすぐに」の接続助詞である。杉田久女に〈花衣ぬぐやまつはる紐いろ〳〵〉の句がある。

手をあぐるそれが挨拶稲を刈る 渡辺 加代(鹿沼)

 同じ集落の人は後ろ姿でも分かるし、声を聞けば顔を見なくても誰か分かる。畦から大声で挨拶されたが、それが誰か分かっているので、手を振って応えただけ。相手も心得た様子ですたすたと去って行ってしまった。まさに猫の手を借りたいほどの忙しさである。

竹の色あをあをとしてばつたんこ 富岡のり子(さいたま)

 添水は庭園などにもあるが、「ばつたんこ」の音からすると田畑を荒らす鳥獣を威す装置だろう。しかも、竹がまだ青々としているので作って間もないことが分かる。新人のばったんこが果たして、海千山千の鳥獣をみごと追っ払うことができるかどうか興味津々…。

稲雀仲間をつれてきたりけり 村上 修(磐田)

 何度、威しても何度もやってくる稲雀。よい餌場を見つけた稲雀が仲間を連れてきたのか、威されて逃げた稲雀が大勢の仲間を引き連れて仕返しにきたのか。いずれにしても、一羽では弱い稲雀も「赤信号大勢で渡れば怖くない」というところか。

彼岸花仏心秘めてゐる如し 陶山 京子(雲南)

 彼岸花には曼珠沙華、死人花、幽霊花など、さまざまな名がある。死をイメージする名前があるところから、彼岸花はこの濁世の衆生済度のために化身した仏ではないかと思った。コロナウイルスや戦争などの不幸な出来事を憂いているからだろう。

爽やかに風のことばを継ぐ瀬音 長田 弘子(浜松)

 風が木の葉を借りて音を立てている。やがて風が止むと、今まで聞こえなかった瀬音が蘇ってきた。風音と瀬音が紡ぎだす爽やかな共演である。「風のことばを継ぐ瀬音」は詩情ゆたかな表現。

父おくり母の夜長のはじまりぬ 坂本 健三(浜松)

 長年の連れ合いを亡くした喪失感は、誰にも理解して貰えないだろう。今までは夫と語りながら過ごしてきた夜長。今は一人で過ごさなければならない。家族でさえ慰めの言葉を失うほどの悲しみ、孤独感。

百歳に近づく幸の身に入みぬ 鮎瀬  汀(栃木)

 男八一歳、女八七歳は日本人の平均寿命である。人生百年時代と言われているが、もう少し届かないようだ。「百歳に近づく幸」とは至福そのものである。幾多の喜びや悲しみを経て、「しあわせ」を感じている九十九歳の作者の今。人生を精一杯生きてきた充実感に溢れる句である。

はじめての四歩の出来て今朝の秋 淺井ゆうこ(旭川)

 「這えば立て、立てば歩めの親心」。伝い歩きをしていた我が子が、ある日突然に独歩して歩き始めた。歩数は四歩であっても、親にとっては大きな喜び。爽やかな秋が始まる朝のことである。


    その他触れたかった句     

鳳仙花人来れば発つ渡し舟
気負ひ無き齢となりて今朝の秋
良き事の有りし一日の良夜かな
墓じまひのあとの歳月鰯雲
河馬の耳くるくる回る秋日和
夕べには刈田となりて田の匂ふ
天竜の瀬音昂ぶる野分後
花にゐて共に揺れをる秋の蝶
水引や帯に惹かれて買ふ詩集
藍甕の泡の膨らみつづれさせ
飛行機の爆音空は鰯雲
初めての句集を抱く星月夜
七歩行く七つの音の落葉道
新涼の木立の囲む古代窯
秋の夜や吾子に口髭うつすらと
小鳥来る石屋に石のウルトラマン
浅間嶺の向かうは信濃雲の峰

塩野 昌治
大石登美恵
平野 健子
高橋 茂子
熊倉 一彦
門前 峯子
後藤 春子
山本 絹子
久保久美子
石原  緑
佐川 春子
中村 文子
小村由美子
脇山 鈴子
乗松さよ子
中間 芙沙
山口 悦夫


禁無断転載