最終更新日(Update)'22.02.01

白魚火 令和4年2月号 抜粋

 
(通巻第798号)
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2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   山本 絹子
「少年の息」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
鈴木 誠、福本 國愛
白光秀句  村上 尚子
令和4年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表
「仁尾正文先生の句碑」を巡る吟行会開催 渡辺 強
令和三年栃木県白魚火会 秋季俳句大会 佐藤 淑子
令和三年栃木白魚火 忘年俳句大会報 本倉 裕子
坑道句会通信句会報 原 和子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
山田 ヨシコ、中村 早苗
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(出雲)山本 絹子

鬼の豆百歳の食み恵比須顔  関口 都亦絵
          (令和三年四月号 鳥雲集より)
 なんとも素晴らしい。百歳の方のことですね。百歳で鬼の豆を食べることができるとは、とても健康な証拠です。「八十歳で二十本の歯を」と言われていますが、百歳といえばそれより二十歳も年上なのです。そして、この方は、鬼の豆を痛々しく食べていらっしゃるのではなく、恵比須顔なのです。皺の一つひとつに長い人生で積み上げられた豊かな経験が刻み込まれていると思います。思わず「百歳ばんざい」と叫びたくなるような恵比須顔です。お元気で節分を迎えられ、これからもきっと日常の身の回りのこと、自分の好きなことに励まれ、周りの方々との触れ合いを楽しまれ、明るく元気に過ごされることと思います。とても元気をいただく句です。

嫁ぎたる子らの部屋にも福は内  萩原 みどり
          (令和三年四月号 白光集より)
 お母さんとしてのお気持ちがとてもよく伝わります。家族はもちろんですが、嫁がれたお嬢さん一家にも福がきますようにと嫁がれる前に使っておられた部屋に心をこめて豆をまかれたのです。離れて暮らしているからこそ、一層その気持ちは強いと思います。私にも嫁いだ娘が二人います。今は、スマートフォンで写真や動画も一瞬にして交換できますが、やはり母としては、娘たちの幸せをいつも祈ります。共感を覚える句です。

園児らの泣きごゑもあり鬼やらひ  髙添 すみれ
          (令和三年四月号 白魚火集より)
 保育園の豆まきの様子が浮かびます。年中児さんや年長児さんは、張り切って鬼を追いかけています。でも年少のお子さんの中には、鬼は怖いし、いつもと違う興奮した雰囲気に思わず泣き出してしまった子もいたことでしょう。叫び声、泣き声、走り回る足音などが入りまじり元気いっぱいの豆まきです。今年泣いていたお子さんも来年はお兄ちゃん、お姉ちゃんになり、きっと大声をあげて鬼を追いかけることでしょう。お子さんの成長は頼もしいかぎりです。これから大きく成長する子ども達のエネルギーを感じる句です。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 水 鳥(静岡)鈴木 三都夫
少しづつ増えて今年の鴨の数
戻り来し鴨か人馴れしてゐたる
水鳥の池に馴染みし水走り
浮寝鳥思ひ思ひにゐて安し
地図に無き沼にも鴨の二羽三羽
人の世の憂さなど他所に鴨浮寝
かいつぶり池の深さを潜りけり
かいつぶり水を弾きて浮かびきし

 なでぼとけ(出雲)安食 彰彦
冬の日を集めて浮子の浮き沈み
釣人の背に小春日のありにけり
冬ぬくし波止の先まで竿並ぶ
落葉焚く一瞬火柱あがりけり
山茶花や陶に画かれしいろはうた
石蕗の花関守石の傍らに
撫仏落葉を入れし頭陀袋
閼伽桶に銀杏落葉の浮いてをり

 茹で卵(浜松)村上 尚子
立冬の日が滑り込む縁の下
茹で卵にゑくぼ勤労感謝の日
絨毯の花に埋もるる椅子の脚
畳替部屋の四角を歩きけり
冬山の襞に動かぬ雲の影
朴落葉踏めば親しき山の音
冬木立すつとんきやうな鳥の声
人思ふとき白息を空へ吐く

 薬 売(浜松)渥美 絹代
霊園の花屋地の柿売つてをり
紅葉且つ散る本堂に椅子並べ
切株にすこし紅さし神還る
口開けて鯉の寄り来る冬日和
小春日の庫裏に来てゐる薬売
返り咲くつつじ酒屋の釣瓶井戸
大根干す山襞深くなりにけり
三線(さんしん)の胴に蛇皮山眠る

 十割そば(唐津)小浜 史都女
唄ふかに笑ふかに揺れ秋桜
遺跡野の蕎麦刈るころとなつてゐし
かりがねや海の中まで朱の鳥居
行く秋を惜しむがごときしじみ蝶
秋寂ぶやいよよ深まる海の紺
枯るる中十割そば屋湯気あぐる
火入れ待つ窯のしづけさ冬紅葉
ふところに観音さまや山眠る

 花八手(名張)檜林 弘一
天守より琴の音降る冬日和
町医者の木彫り看板花八手
時雨るるや農夫顔出す錻力小屋
墓石彫る鏨の音も十二月
火鉢置き赤福餅を食はさるる
手も足も頭も休めちやんちやんこ
電球を灯せる外湯夕時雨
兜煮の骨しやぶりをる寒夜かな

 山 家(宇都宮)中村 國司
悠然と冬に入りたる山家かな
こんなにも月光受けて冬薔薇
地を庇ふ菊の伏せざま霜の朝
冬山のふもと街あり恋のあり
沿道の枯野きらきら我を拒む
視野にある総て荒野や冬日和
この頃の冬晴濃ゆき野州かな
桜三樹いま裸木になるところ

 竜の玉(東広島)渡邉 春枝
山茶花の垣根に猫の出入口
幼児を抱く着ぶくれの膝の上
こけら葺の屋根よりしづく竜の玉
歳時記に付箋のあまた紅葉散る
コロナ禍の心に満つる冬の薔薇
万両の実のくれなゐに風そよぐ
竹組の井戸蓋古りて年つまる
年の瀬のシニアで入る映画館

 製糖所(北見)金田 野歩女
アイヌ名の読めぬ地名や残る虫
送る荷に郷里のものと庭紅葉
今朝の冬白き煙の製糖所
落葉焚く撞木の綱の握り艶
白鳥来まだねず色の子も混ざり
戸障子を震はせてゐる雪起し
枯芒耀ふ湖の風吹けば
仕込み味噌開けて石狩鍋の卓

 十二月(東京)寺澤 朝子
神集ふ国へと今し日の沈む
孫ほどの翔平追つかけ冬ぬくし
(句会兼第二句)
おでん鍋つるりと卵逃げにけり
牡蠣打女裾を払ひて立ち上がる
波郷忌とおもひ今宵の燗熱く
騒めきもネオンも恋し冬の星
先師の忌父の忌重ね十二月
さびしらに起ちて見に行く冬桜

 遠州の北風(旭川)平間 純一
いま離陸雪後の天へまつしぐら
雪の富士間近に仰ぎ銘茶汲む
遠州の北風肝吸啜りをり
今切の潮はおだやか冬鷗
糸垂るる太公望の小六月
色滲む新居の関の白障子
石蕗の花女改面番所
万両や水琴窟に往時の音

 竹を伐る(宇都宮)星田 一草
竹を伐る音一山を揺るがせて
銀座てふ町の名残や柳散る
一献にもつてのほかの菊膾
銀杏散る真只中にゐて無心
一握り足して新米炊きにけり
冬ざるる紺屋に水の音絶えて
落葉踏むことも一句を得ることも
もの言へばおでんが応ふ一人酒

 小 春(栃木)柴山 要作
銀杏散る時に舞ふごと刺さるごと
隠沼や鵜は羽広げ鴨眠る
冬桜日に透けさうな溶けさうな
切株で熱きコーヒー欅枯る
ゆつたりと下校のチャイム小六月
若き日の岩峰緩ぶ小春かな
術後五年やつと賜はる小春かな
大綿に息詰めしばし歩を合はす

 大 嚏(群馬)篠原 庄治
小豆莢竹笊に乾す小百姓
浅間嶺の雲足迅し冬に入る
独り居の家中ひびく大嚏
ままならぬ足を労る柚子湯かな
薄ら日の仰げば淋し冬ざくら
横咥へして焼鳥の串を抜く
枯れ切つて風素通りの芒原
落葉降る音の静けき山路かな

 やさしき嘘(浜松)弓場 忠義
くちびるに牛乳の膜冬の朝
狐火や壺のいしぶみ濡れてをり
冬耕の己が影打ちつつ進む
マスクしてやさしき嘘をついてゐる
大熊手ネオンサインに消えゆけり
右肩にひと筋ひかる木の葉髪
工学書括り勤労感謝の日
畑中の手押しポンプや冬ひばり

 冬 耕(東広島)奥田 積
残りたる白菊の日を集めをり
大花野貨物列車の呑まれゆく
ソナチネのもれくる窓や花八手
舞ふ落葉ひかり放てる椿の葉
落葉踏んで大き古墳の口覗く
冬耕す赤鮮やかなトラクター
冬青空大樹放てるものの舞ふ
参道の枯木となれる夕日影

 神在の月(出雲)渡部 美知子
神杉の鎮もる径を石蕗の花
磴十段枯葉が先に登りゆく
神在の月皓々と夜を統ぶる
茶の花に遣らずの雨のひとしきり
ひと呼吸置いてアクセル冬の虹
岩神の岩の嚙みゐる落葉かな
一舟を追うて風行く冬日行く
福神の一幅揺らす隙間風



鳥雲集
巻頭1位から10位のみ

 石蕗の花(鳥取)西村 ゆうき
なほ淡しらつきようの花たばねても
秋行くや死者は新たな名をもらひ
一双と数ふる軍手冬に入る
七五三拍手の空晴れわたり
飛石は歩幅に余り石蕗の花
旅の荷を解く寒禽の声ゆたか

 小 春(牧之原)坂下 昇子
口開けて夕日まみれの通草の実
日差しまだ届かぬ谷の紅葉かな
銀杏散る空に一番近きより
よく動く赤子の手足小六月
小春日や紙飛行機の高く飛ぶ
水鳥の翔つとき日差し零しけり

 雪 婆(中津川)吉村 道子
イニシャルの大きな手提げ冬うらら
冬日和大黒様の腹撫づる
柊の咲き神鶏のうづくまる
閂を掛くる裏木戸花八手
断層のあらはなる崖雪婆
鰭酒にぽつと火の付く夕べかな

 遷座式(浜松)林 浩世
大豆干す峡の短き日差しかな
花柊母を想へば香りけり
日溜りのまん中にゐる冬雀
灯の全て消され遷座や冬北斗
底冷えの遷座の闇を沓の音
千年の闇の変はらず堂冴ゆる

 冬木の芽(多久)大石 ひろ女
確かなる固さ未来へ冬木の芽
湯の町の小路小路の石蕗の花
冬落暉一樹火のごと燃え立たす
朝霜やこの身預くる救急車
病室のひと日の長し虎落笛
点滴を見つむるだけの神の留守

 冬菜洗ふ(松江)西村 松子
テトラポッドに波の昂る新松子
神迎大きな星のまたたけり
薄氷のやうな朝月枇杷咲けり
木の葉髪丹田に息太く吸ふ
冬菜洗ふひたすら水をゆさぶりて
冬の鵙ひとつの悔をもてあます

 短 日(東広島)挾間 敏子
境内につづく校庭木の実降る
短日やラッシュしきりの小さき駅
先をゆく人のあるらし落葉山
路地裏の小さき理髪屋枇杷の花
脚立より枯葉を散らす学芸会
深々と踏む祇王寺の散紅葉

 くぐり戸(呉)大隈 ひろみ
ぬけ道の地層露はにすがれ虫
児の髪に落葉のにほふ夕間暮
葱きざむ子らの暮しに安堵して
明治村
漱石邸に猫のくぐり戸石蕗の花
寺の名の駅に降り立つ冬うらら
夢殿に拝する秘仏小六月

 悠然と(出雲)岡 あさ乃
日記果つ父の蔵書を背にしつつ
手繰るほどに逃ぐる真つ赤な毛糸玉
生き生きとあの世のはなし日向ぼこ
悠然と尺余の鯉の沈む冬
みづうみの夕日とろとろ鴨浮寝
炉話やあぐらの中に子が眠り

 雪ぼたる(宇都宮)加茂 都紀女
瞽女唄のおさらひをする夜長かな
半眼の如来の視野に銀杏散る
本堂の鴟尾に日のあり雪ぼたる
綿虫や小声で唄ふ子守歌
鬼怒川の源流に散る冬紅葉
菜園の畝の短し冬の蝶



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 誠(浜松)
鬣に朝露ひかる寒立馬
秋天を回しつ戻るブーメラン
飛び石を伝ひて秋の暮れにけり
笠木より鳩が見てゐる七五三
冬菫小石もたげて咲きにけり

 福本 國愛(鳥取)
冬に入るオセロゲームを子に勝たす
ジャムの蓋開かぬままなり神の留守
ランドセル銀杏落葉の音を蹴り
枯菊の影も香りも刈られけり
づかづかと長靴の来て大根引く



白光秀句
村上尚子

秋天を回しつ戻るブーメラン 鈴木 誠(浜松)

 オーストラリアの先住民の狩猟用具だったというブーメラン。今では子ども達の遊具として、又、スポーツにも取り入れられている。目的物に当たらなければ元に戻ってくる。
 回っているのは確かにブーメランだが、「秋天回しつ」と捉えたのは作者の感性である。
 晴れ渡った秋の空に、ブーメランの他には何も見えていない。
  笠木より鳩が見てゐる七五三
 着飾って千歳飴を提げて歩く子供の姿が目に浮かぶ。そばには子供にも負けないほど着飾った両親や祖父母の姿も目立つ。その様子を鳥居の天辺から鳩が見下ろしている。
 みんなが幸せな一日だった。

ジャムの蓋開かぬままなり神の留守 福本 國愛(鳥取)

 出雲へ神様が集まっている間、その他の諸国は「神の留守」となる。季語としても色々な使い方が出来、至って重宝である。
 ジャムの蓋が開けにくいことはよくあるが、「開かぬままなり」とあきらめ切ったような表現が滑稽である。
 〝神等去出の神事〟が行なわれるまで、蓋は開かないままになっているのだろうか。
  ランドセル銀杏落葉の音を蹴り
 大きな銀杏の木に、色付いた葉がくまなく付いている様は見事だが、それらがすべて落ち、地を染め尽くしている様もまた美しい。
 そこへランドセルを背負った子供達が通り過ぎようとしている。「音を蹴り」は元気な躍動感そのものである。
 
炭籠の底に昭和の新聞紙 藤原 益世(雲南)

 日常生活では殆ど見かけることのなくなった炭籠だが、この句は炭籠そのものではなく、底に敷かれたままの「昭和の新聞紙」。汚れて見えにくくなった文字を読み取ろうとしている。〝昭和は遠くなりにけり〟である。

おでん食ぶ具の好ききらひ言ひながら 鈴木 花恵(浜松)

 おでんの種は、店や家庭によってもさまざまだが、多かれ少なかれ好みは分かれる。ごく普通にありそうなことだが、こんな所にも俳句の「種」はころがっている。団欒の声も聞こえてくる。

知らぬ子にばあばと呼ばれ冬ぬくし 清水 京子(磐田)

 幼児が祖母を親しんで呼ぶ〝ばあば〟という言葉。しかし、見知らぬ子に突然そう呼ばれて困惑気味の作者。子供は正直である。一瞬の戸惑いも「冬ぬくし」により払拭されたことがよく分かる。

老ゆる身に大根育ち過ぎにけり 大澤のり子(飯田)

 米でも野菜でも豊作を願うのは人の常。しかし、特に家庭用に作っている野菜では、漬物にしても干しても限度がある。嬉しい悲鳴と、ご近所との会話が聞こえてくる。

枯菊を焚く思ひ出も共に焚く 陶山 京子(雲南)

 しばらく楽しんだ庭の菊も、寒さと共に枯色を深めてゆく。惜しみながらも片付けるしかない。火にくべられた菊の香を楽しみつつも、作者の脳裏には過ぎ去った日々の思い出が次々とよみがえってきた。

日本海の男波女波や神の旅 石田 千穂(札幌)

 日本全国の神様が出雲大社に集まり談合するための旅。
 作者のお住まいが札幌と分かれば、近道は確かに日本海だと気付く。男波女波を乗り越え、無事に出雲へ着かれたことか。

大甕に活くる棉の実爆ぜてをり 古川美弥子(出雲)

 棉の栽培は、本来綿や糸にするのが目的だったが、最近は鑑賞用としても珍重される。
 丹精に育てられた高価な花は勿論喜ばれるが、敢えて枯れた木や実を重んずる場合もある。棉も花ではなく、すでに実が裂けて中から棉が吹き出していることで、大きな甕と一体化しているのだろう。
 
赤飯の届く勤労感謝の日 大菅たか子(出雲)

 今月は、特に「勤労感謝の日」の作品がたくさん見られた。その中で「赤飯の届く」という、日常の中でも少し特異性を感じるものを取り上げた。平明な表現でありながら、作者の周囲の人柄や声までも聞こえてきた。自身の声が聞こえてきたことは勿論である。

十二月八日ペペロンチーノ食ぶ 徳永 敏子(東広島)

 太平洋戦争の発端となった、昭和十六年十二月八日である。日本人にとって忘れてはならない日でもある。実際に知る人は年毎に減るばかりだが、ペペロンチーノを食べながら、開戦日であることを胸に刻んでいる。


  その他の感銘句

竹林のきしむ音聞く冬の星
草の花石狩治水事務所跡
ラグビーや勝者敗者の讃へ合ふ
括られてより残菊のひと盛り
宇宙との電波交信花八手
括られてコスモス車道へと傾ぐ
駅に人溢れ勤労感謝の日
声のする別のところにかいつぶり
八人の付添ひがゐて七五三
あるだけの冬ばら活けてより匂ふ
山茶花を生けむとすれば散りにけり
柚子三つふやけて浮かぶ仕舞風呂
返り花しらじらとある昼の月
水鳥の影を乱さず浮いてをり
検温器に顔突き出して冬に入る

富田 育子
高田 喜代
岩井 秀明
山田ヨシコ
中村 早苗
野田 美子
森  志保
高田 茂子
花輪 宏子
安部実知子
谷口 泰子
大原千賀子
周藤早百合
河森 利子
江⻆トモ子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 牧之原 山田 ヨシコ
命綱縄一本の松手入れ
揺れながら乾く軒端の吊し柿
大根を漬けて長閑な里に住む
大根の幅を利かせて恵比須講
日替りの値札の下がる暮の市

 宇都宮 中村 早苗
日時計の役目短く冬に入る
人込みの中の一人や十二月
十二月八日始発のベル響く
ポインセチア出窓華やぐ鉢二つ
木漏れ日に耀ふ冬の紅葉かな



白魚火秀句
白岩敏秀

揺れながら乾く軒端の吊し柿 山田ヨシコ(牧之原)

 吊し柿は吊してしばらくは、柿の色が残ったり重さがあって、なかなか揺れないが、柔らかくなる頃には揺れ始める。やがて、柿は飴色を深めて、白い粉を吹き出す。「揺れながら乾く」に吊し柿のありようを見事に表現。吊し柿は秋の風物詩…。
  大根を漬けて長閑な里に住む
 前揭の句を延長するとこの句になる。干したばかりの大根は瑞々しくて重たい。やがて、よい風を受け余分な水分が抜けて、しんなりしてくれば漬けどきである。何事も自然に任せた、のどかな里の暮らしぶりを言い止めた。

十二月八日始発のベル響く 中村 早苗(宇都宮)

 この日がなければ、悲惨なめや悲しいめには遭わなかっただろう。「ニイタカヤマ ノボレ」の一通の電文が日本を戦争に突入させた。この日にとりわけ大きく響いたのは発車ベルが戦争への合図のように聞こえたのだろう。平和のありがたさを改めて思った日でもある。
  日時計の役目短く冬に入る
 日時計は太陽光線で出来た影によって時刻を知る装置。秋分を過ぎれば日が短くなり、冬になれば日の光も衰える。文字盤の影も薄々として、日時計の役目も果たさなくなった。立冬の季節感を日時計の影で表してユニークである。

どの子にも大空のあり七五三 中嶋 清子(多久)

 七五三の着飾った子ども達が三々五々に神社に集まってくる。得意そうな子や恥ずかしそうな子。どの子にも大空は分け隔てなく日の光を与えている。恰も子ども達の明るい未来を祝福しているようである。子ども達に向けられた作者の目が優しい。

小鳥来る古地図のままの宿場町 村上  修(磐田)

 秋の旅行の一こまであろうか。古地図を片手にぶらぶらと、宿場町のあれこれを覗いている。ふと迷い込んだ路地も地図にちゃんと載っている。こんな宿場町だからこそ、小鳥も安心して来てくれるのだろう。変化しないものの美しさを言い止めた句。

霜の声里の空き家に帰りけり 佐藤やす美(札幌)

 「霜の声」は霜がおりた時にしんしんと音が聞こえるような寒さを言う。里の空き家とは、父や母はすでに亡く、そのまま放置された家のことだろう。久しぶりに掃除に帰ってみると庭は霜枯れで荒れ放題。「霜の声」には気候的な寒さの外に心理的な寒さも加わっていよう。

神在祭稲佐の沖の波高し 福間 弘子(出雲)

 出雲大社では旧暦十月十日に稲佐の浜で神迎祭を行った翌日から「神在祭」が行われる。出雲の人達は神在祭のあいだ歌舞音曲を慎み、ひたすら静粛を保つとされている。一方でこの頃の出雲の沖には強い偏西風が吹いて海が荒れる。「神在祭」の海の荒れを神の威力と表現して、身の引き締まる一句。

冬の田の力使ひて休むなり 大原千賀子(飯田)

 春の耕しから始まって、秋の実りまで、田は働きづめである。稲を刈ったあとの田は冬耕されてやっと休むことが出来る。やがて、雪にすっぽり覆われてしずかな休み田となる。「休むなり」は田の一年に関わってきた人ならではの表現。労りと感謝の気持がこもる。

子としての永き年月除夜の鐘 永田 喜子(東広島)

 母の子として生まれ、ずっと母と一緒に生きてきた。今までに母に心配を掛けたり、些細なことで喧嘩したり和解したり…思えば永い年月であった。除夜の鐘を聞きつつ、母と一緒に無事に年を越えた喜びと母への感謝。

しあはせの部屋となりたり掘炬燵 川本すみ江(雲南)

 寒くなってきたので、炬燵を出すことにした。炬燵に足を入れてしばらくすると、身体全体がじんわりと温まってくる。そのうちに極楽にいる気持ちで思わずうとうと…。炬燵の部屋を「しあはせの部屋」とは言い得て妙。

冬の雷をんなの暮し驚かす 岡本 正子(出雲)

雷は夏の季語ではあるが、冬に鳴ることもある。規模は大きくないが、夏の雷と違って音もなく近づいて、いきなり光って鳴る。これでは男でも驚く。ましてや女の一人暮しにおいてをやである。雪国では雪を連れて来ることがあるので尚更のことである。


    その他触れたかった句     

ふり洗ふ牡蠣より海の香り立つ
マスクして五感鋭くなりにけり
寒ざくら米屋に今も釣瓶井戸
手品師の声に木の実の落ちにけり
外套の警官不意に笛を吹く
銀杏散り銀杏の道となりにけり
枯菊を折るや細かき音立てて
躓いて我に返れる枯野かな
投錨の音の響ける小春かな
茶畑に藁敷き詰めて冬用意
冬晴や船頭宿の急階段
縁側の小春の日差し分け合ひて
地球儀の海へ冬日の差してをり
寒林の真中に富士を置きにけり
谷川の音ある暮し山眠る

河島 美苑
長田 弘子
野田 美子
村上千柄子
古橋 清隆
一場 歳子
江連 江女
本倉 裕子
砂間 達也
橋本 快枝
植田美佐子
津田ふじ子
徳永 敏子
安藤 春芦
大滝 久江


禁無断転載