最終更新日(Update)'21.12.01

白魚火 令和3年12月号 抜粋

 
(通巻第796号)
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12月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   永島 のりお
「未完の絵画」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
青木 いく代、野田 弘子
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
浅井 勝子、橋本 快枝
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(松江)永島 のりお

三本の大根を選ぶ畝長し  吉村 道子
          (令和三年二月号 鳥雲集より)
 場面が二つ浮かんだ。一つ目。―お知り合いの方の畑に案内されて、「好きなだけ大根、持って帰んなさいよ」と言われた。たくさんほしいけど、抱えて帰るにはせいぜい三本かな。よし、どの三本をいただこうか。それにしても畝が長い。これだけたくさんの中から、どれにしようか…。二つ目は、―ご自宅の畑で。大根を三本ほど持ち帰ると決めて出て来られた。が、いざどれをと見た時、葉の大きさから、あるいは土からせり出している部分から、良さそうな三本を決めようとして迷っておられる。
「畝長し」がそれまでそのことを知らなかった風なので、個人的には初めの方で鑑賞させていただいた。

大根を抜きたる穴をならしけり  篠原 凉子
          (令和三年二月号 鳥雲集より)
 これはご自身の畑でのこと。栽培経験のある方には覚えのある行動と心情。
 大根が大きかったので、踏ん張りながら抜いたら、大きな跡が残った。そのままにしておけなくて、さらっと土をかけ、軽く踏んで穴を埋めた。多少、大根や大地に感謝の念も。雨は降っていないが、時節柄、土にはかなりの湿り気がある。

土大根抱へて園児帰りくる  太田 朋子
          (令和三年二月号 白光集より)
 大根は一本だが、大きい。園児には重すぎる。抱える手がしだいにだるくなってきた。だが、まだ「自分で持つ」と言う。家まではもうしばらくある。隣で、親ははらはらしている。
 作者は、その一部始終を見ている祖母か、それとも親子をよく知るご近所の方か。いずれにしても、親と同じ視線と愛情で。
 「土」付きなので、園の菜園か、または近辺の畑を借りて、園児も栽培にかかわってきたのだろう。だから、バザー等で買ったものと違い、「自分の大根」だ。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 鰯雲 (静岡)鈴木 三都夫
止まる葉を風に取られし糸蜻蛉
長々と湯舟に虫を聞く夜かな
鳴く虫へ閉めし網戸や仕舞風呂
鬼やんま伏せたる網を子へ渡す
戯るることゑのころ草のまだ知らず
一画は蕎麦の花咲く棚田かな
晩酌を汝も終へしか酔芙蓉
灘覆ふ空大漁の鰯雲

 咳二つ (出雲)安食 彰彦
今年酒吾が家に吊るす紋提灯
枝豆を真中に置き黄泉ばなし
片方の手に手を添へてましら酒
度忘れを許せと言うて新走
元副知事と肴を語る古酒もよし
さはやかに肩書のなき名刺出し
柿を剥ぐただただ齢重ねけり
なにもかもさらりとかはす咳二つ

 蚯蚓鳴く (浜松)村上 尚子
本立てに本の片寄り蚯蚓鳴く
椿の実日は濡縁を逸れてをり
腰折りて百の糸瓜の下通る
利酒や蔵を貫く水の音
鶏頭に午後の日重くなりにけり
荒縄で結ふコスモスの胸あたり
一水に触れ秋燕の向きを変ふ
とろろ汁山の日暮のまつしぐら

 窯元の鯉 (唐津)小浜 史都女
せせらぎにとどかんと萩しだれけり
山を降りきて藩窯の水澄めり
窯元の低く咲かせし濃りんだう
曼珠沙華己あざむくとき真つ赤
いつも見る窯元の鯉天高し
裏年か窯元の柿二つ三つ
寒露かな背筋正して歩かねば
落鮎や河口にはかに暗くなる

 藤袴 (東広島)渡邉 春枝
藤袴アサギマダラを誘へり
新参の店員にして爽やかに
しんがりは園長先生花野径
木犀の日暮れてよりの香り満つ
鳴くほどに闇の深まるつくつくし
長き夜の大きく開く日本地図
明方の浅き眠りや野分跡
奥宮へ径七曲り薄紅葉

 貝塚 (浜松)渥美 絹代
秋風や貝塚の貝みな白し
鍛冶屋より戻りし鍬や小鳥くる
こぼれ萩踏んで露店を組みにけり
潮動き出し鯊釣の竿うごく
駅発てばすぐに鉄橋星月夜
首塚のまはりの稲の稔りたり
しばらくは強き雨脚野紺菊
新蕎麦を待つ山鳩の声聞いて

 赤い羽根 (北見)金田 野歩女
つまべにへ水を婦警の昼休み
秋灯終着駅は潮の香
さよならと翻りては秋燕
赤い羽根男の子の募金ありがたう
それぞれの厨の匂ひ秋の暮
古酒酌むや自説を曲げぬ人のをり
椋の群れ広き河口を渡り切る
絵葉書と胡桃を買ひぬ道の駅

 紅葉かつ散る(東京)寺澤 朝子
秋彼岸山門ひらく無縁寺
十六夜の月のいざよふ雲間かな
相見たき人みな彼岸秋袷
相客の割子(わりご)十杯走り蕎麦(出雲そば)
仏飯は高盛り今朝の栗おこは
いま一度訪ひたき秋の深大寺
紅葉かつ散るこの道をひとり行く
かにかくにこの世混沌花めうが

 ほほづき (旭川)平間 純一
曲がるまで見送りくれし秋桜
白萩や窯を開きて五十年
日だまりに秋の薔薇咲く日和かな
ほほづきの吊られてよりの赫さかな
名月の雲にかくれつあらはれつ
母恋の微かにゆるる吾亦紅
末枯の蔓紫陽花の吹かれつつ
白露を万と結びて蜘蛛の網

 芋の露 (宇都宮)星田 一草
崩れてはまた結ばるる芋の露
とんぼの尾こつんこつんと沼叩く
ホバリングふと引き返す鬼やんま
吾亦紅揺らして風の定まらず
無造作に転がる南瓜美術室
線香をにぎやかに立て魂迎ふ
独り居の一語に惑ふ夜長かな
全天の星搔き消して今日の月

 豊の秋 (栃木)柴山 要作
日向艶日陰妖艶曼珠沙華
一揆の徒駆けし縄手の曼珠沙華
憑かるるよに飛び交ふ黄蝶乱れ萩
谷中村跡地鳴りのやうな昼の虫
佇めば秋声しきり国庁址
水澄むやナイフのごとく雑魚光る
堰の上は大きな鏡秋澄めり
落慶の大寺の庫裏豊の秋

 爽やか (群馬)篠原 庄治
生きてゐる証の握手爽やかに
鰯雲生涯百姓峡に生く
斜張橋渡る故郷豊の秋
露草の花はすがしきなみだ色
余念なく小花を漁る秋の蝶
枕辺に虫の音を聞く旅寝かな
日を散らし風をちらして芒原
当り障りなき話など日向ぼこ

 鵙猛る (浜松)弓場 忠義
爽やかやメロンパン買ふ列につく
月の雨くつぬぎ石を濡らしをり
ちちははの墓に影置く秋日傘
小鳥来る風を入れたる旅鞄
鬼やんま生まれし沼の面叩く
一寸の丈なす鯊の面構へ
鵙猛る一片の雲なかりけり
白波の岬はなるる秋つばめ

 島の段畑 (東広島)奥田 積
サックスの高音泣けり秋彼岸
野の風を受けとめてゐる吾亦紅
式部の実色を増したる雨あがり
頼政の遺児の塚とふ蔦紅葉
石積みの島の段畑貝割菜
鴉吊るす島の段畑山葡萄
月を仰ぐかの地は雨であるらしき
灯を消してしばし沈黙居待月

 木の実 (出雲)渡部 美知子
朝市の秋茄子すぐに売り切れて
ダム湖まで稲架組む道を幾曲り
童子墓へはや灯をともす彼岸花
快音を残す一打や獺祭忌
星ひとつ先達にして今日の月
虫の闇一息に読む夢十夜
秋の蝶時折影を重ねゆく
ポッケより落つる木の実をまた拾ひ



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 國引きの綱 (出雲)三原 白鴉
秋の浜國引きの綱やや緩ぶ
豊の秋塗り直されし蔵の壁
十六夜の硯の海にあるぬめり
八雲忌の秋日机上に至りけり
紫苑晴献体の兄帰りくる
ゐのこづち寂しきときはただ歩く

 いなびかり (多久)大石 ひろ女
屋根を打つ雨音二百十日かな
果実酒の瓶のうす紅酔芙蓉
干拓の先の海原いなびかり
真青なる東シナ海雁渡る
一湾の波を平らに秋夕焼
堅穴の天窓つるべ落しかな

 秋の声 (松江)西村 松子
一片にひとつのひかり鰯雲
縄文の色となりたる早稲を刈る
一湾の波音にある秋の声
鰡飛んで硬くなりたる水の音
憂きことは胸にたたみて今日の月
露の野へ軽く踏み出す夫の背

 新蕎麦 (隠岐)田口 耕
銀漢や海にたゆたふホテルの灯
花野ゆく時をり馬とすれ違ひ
月明に行く道うかぶ子規忌かな
窯の火の怒濤のごとし寝待月
秋の虹片足雲を貫けり
炊き出しの新蕎麦の湯気余震なほ

 今朝の秋 (浜松)佐藤 升子
今朝の秋母の遺影を置きなほす
秋暑し今日一日の眉を引く
花芙蓉明るき雨となりにけり
目薬のあふれて二百十日かな
地虫鳴くモノクロームの写真帳
秋高し波音近きドッグ・ラン

 温め酒 (浜松)阿部 芙美子
をなもみや四つ角にきて道迷ふ
風紋にしるき足跡いわし雲
針山に絡まる糸やちちろ鳴く
島の子の到着を待ち運動会
暫くは手にあそばする木の実かな
かたはらに猫が来てをり温め酒



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 青木 いく代(浜松)
法師蟬この道海に抜くるはず
鰡とんで水輪のひとつそれつきり
木簡に「天」の文字あり星月夜
住職のさはやかに歳とり給ふ
榠樝の実ぶつきらぼうに生つてをり

 野田 弘子(出雲)
抱へ来てかかへて活くる秋の草
遠回しに聞かるる齢草の花
カラフルな旅客機の発ついわし雲
木犀の香や納経の朱印受く
三合の米のとぎ汁今日の月



白光秀句
村上尚子

榠樝の実ぶつきらぼうに生つてをり 青木いく代(浜松)

 榠樝は他の果物のようにそのまま食べることはなく、果実酒や砂糖漬にする位である。
 「かりんあたま」という言葉があるように確かにでこぼこで飾り気はないが愛嬌がある。晴れ渡った空に色付き始めた無骨な姿を見ると、なぜかほっこりしてくる。その様子を一言で「ぶつきらぼう」と言ったところが、この句の醍醐味である。
  木簡に「天」の文字あり星月夜
 木簡の実物を見る機会は少ないが、紙のない時代からの社会生活を知る上で、貴重な記録の資料となっている。この句はその中から読み取った「天」という一文字だけに注目をしている。
 「星月夜」により、ロマンは広がるばかりである。

三合の米のとぎ汁今日の月 野田 弘子(出雲)

 「三合の米」から先ず核家族であろうということが想像できる。とぎ汁はそのまま流し台へこぼしたのではなく、庭先の花壇へ撒いたのだろう。見上げれば今日は満月だった。主婦の穏やかな日々のほんの一齣を詠んでいるだけだが、今はきっと離れて住む子供さん達に思いを馳せているのだろう。
 「雪月花」、「花鳥風月」の言葉からも分かるように、日本人にとって特に秋の月は特別なものである。
  木犀の香や納経の朱印受く
 作者はよく遍路に出掛けると聞いたことがある。木犀の咲く頃は絶好の時期でもある。この日もいくつかの礼所を巡り、その都度ご朱印を受けた。どこからともなく匂う木犀の香りに、しばし疲れを忘れているのだろう。

松茸飯お(とき)の席を楽しうす 中 文子(御前崎)

 お斎にはかつて厳しい決まりがあったようだが、現在は仏事における食事一般を差す。この日、法要を済ませた席に出されたのが松茸飯だった。何よりのご馳走にその場の人達との会話も弾んだことだろう。

相客は笑ひ上戸や温め酒 大河内ひろし(函館)

 酒場でたまたま出会った見知らぬ者同士。酒がすすむにつれ話も弾む。どうやら肌が合うようだ。そして何よりよく笑う。同じ酒でも楽しく飲めば一層旨いはずである。

バギーの子歩く子みなの赤とんぼ 佐藤 琴美(札幌)

 ここは公園だろうか。秋晴の日差しに誘われ、その場に居る人はみんな楽しげである。そんな様子はとんぼにも通じるらしい。一句の軽やかなリズムの中には、作者のやさしい目差が見える。

昼の日に瓦まぶしく厄日過ぐ 松本 義久(浜松)

 立春からかぞえて二百十日目に当たる厄日である。台風シーズンでもあり、最近は特に心配が絶えない。しかし今日は好天に恵まれ日差しが町中の屋根に照り付け、無事に一日が終わろうとしている。

落札の木槌の響き馬の市 坂口 悦子(苫小牧)

 狭い日本だが、全国の暮しや行事をすべて知ることは難しい。「馬の市」もその一つである。最近は農耕馬も使われなくなり、今や競走馬の「市」となっているようだ。実際に見たことがなくても威勢のよい木槌の音は聞こえてくるような気がする。

樟脳の小袋匂ふしまひ盆 三島 明美(出雲)

 家族と過ごした先祖の魂も彼岸へ送った。数日の間使われた道具も服も、また元の場所へ納めることとなる。主婦としての行動の一端を、女性ならではの目と感覚で捉えている。

蔦紅葉キャンパスにある男子寮 石田 千穂(札幌)

 広い大学の風景が、三つの名詞をつなぐことでよく見えてくる。その敷地の中に建つ男子寮だが、「蔦紅葉」という季語に出合うことにより、全体が生き生きとして、学生達の姿や声までも聞こえてくる。

潮先に小さき魚飛ぶ秋彼岸 杉原 潔(鹿島)

 秋彼岸は秋分の日の前後三日間で、計七日間をいう。丁度季節の変り目でもあるが、特に最近は暑い日が多く涼しさへの期待感が強い。目の前に広がる潮先の一つ一つの輝きの中に、小魚が勢いよく飛び跳ねるのが見える。実景ではあるが、この時候の取り合わせの句としての良さがある。

白桃を顔中で食ふ子の笑顔 水出もとめ(渋川)

 「西瓜を顔中で食ふ」としたら平凡に終わってしまう。高級で繊細な白桃であってこそ、この句の面白さがある。それを見守る大人達の声も姿もある。この中には九十八歳になられたお元気な作者の姿も見られる。


その他の感銘句

長き夜の膝に「シートン動物記」
海荒るる日は強く吸ふ若たばこ
虫の音やビルの灯ひとつ消えてをり
秋澄むやお堂に皆が使ふ数珠
供花を切る朝露に袖濡らしつつ
おほかたは嚙みて捨てたる柘榴かな
台秤に空のトロ箱秋夕焼
月の敷く光の道に立ち止まる
放たれて園児花野の風となる
ぢいちやんもままごとの客赤のまま
秋茄子の傷ある皮を剝きにけり
小鳥来る負けずぎらひの子の涙
潮の香の漂ふ河口秋惜しむ
湖の風ひとかたまりの韮の花
絵馬堂の格天井や秋の雨

福本 國愛
中山 雅史
塩野 昌治
伊藤 達雄
北原みどり
山田 眞二
鈴木けい子
工藤 智子
本倉 裕子
高田 喜代
徳増眞由美
高橋 茂子
藤田 光代
藤田 眞美
金原 恵子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

磐田 浅井 勝子
次々と群れて帰燕となりにけり
流れゆく雲のさざ波桐一葉
軽く塩振つて仏へ衣被
赤松の伸び伸びとありいわし雲
帰るものみな去りゆきし空に月

牧之原 橋本 快枝
新しき朝の始まる白芙蓉
簡単にいかぬ深さや牛蒡引く
華やかに咲いて寂しき彼岸花
小鳥来るちつともぢつとしてをらず
高々と産声を上ぐ良夜かな



白魚火秀句
白岩敏秀

流れゆく雲のさざ波桐一葉 浅井 勝子(磐田)

 虚子に〈桐一葉日当りながら落ちにけり〉の句がある。虚子の句は一葉がスローモーションで地上へ落ちる様子を描いたが、この句は空へ落ちたと捉えた。空へ落ちて瞬間に広げたさざ波が「流れゆく雲」なのである。天地を正反対にした発想に「天下の秋」を知る。
  帰るものみな去りゆきし空に月
 春に日本にやって来た燕や雁などの鳥は仲秋のころには、それぞれ南や北へ帰っていく。がらんとした空に月だけが煌々と輝いている。仲秋の名月の夜のこと。

華やかに咲いて寂しき彼岸花 橋本 快枝(牧之原)

 彼岸花は、約束のように突然に咲き、知らぬ間に消えている。曼珠沙華、幽霊花、捨花などと多くの名前を持っている。突然に真っ赤な花が群生しているのは華やかであるが、一茎一花で咲いていて寂しさもある。華やかさの裏には寂しさがある。どこか人間にも当てはまりそうである。
  簡単にいかぬ深さや牛蒡引く
 牛蒡は根を食用にするが、これは日本独特の習慣という。牛蒡は兎に角長くて折れやすい。大根のようにひょいと抜くつもりが、そうは問屋がおろさない。その驚きが「簡単にいかぬ」の思いになる。じっくりと腰を据えて全長を掘り上げた喜びと満足感。

米櫃を一気に満たす今年米 清水 京子(磐田)

 故郷から送られて来た今年米なのだろうか。重たい袋を開けると、艶やかな今年米がぎっしり。早速に米櫃に移し替えると、一気に一杯になったという。「一気に」に今年米に対する喜びがあり、米櫃に入る音までも聞こえてくる。

撓ふ竹宥めて稲架を組みにけり 仙田美名代(群馬)

 一年間、わが子のように苦労して育てた稲を刈る時がきた。刈った稲は稲架を組んで天日干しにする。竹が撓うのは新しく伐った竹なのだろう。思うに任せない竹を宥めながら稲架を組む作業に出来秋の弾みがある。きっと竹も豊作の稲の重みに耐えてくれることだろう。

江川の岸に始まる草紅葉 山崎てる子(江津)

 江川は島根と広島の県境にその源をもち、北流して江津市で日本海へ出る。江の川とも中国太郎とも呼ばれる暴れ川ではあるが、地元民に愛されている大きな川。草紅葉はこの川の「岸に始まる」に深い郷土愛がある。今年八月に氾濫をしたばかりなのに…。

稲刈の鎌ざくざくと暮れゆけり 佐藤 琴美(札幌)

 稲刈の鎌には鋸の刃のようなものが付いていて、これで刈ると音がする。日暮れに追われながら稲刈りを急ぐ様子がざくざくの音にある。豊作満作を思わせる。

稲刈機凱旋のごと帰り来る 周藤早百合(出雲)

 夕方近くの農道を、エンジン音を響かせて帰ってくる稲刈機。一日中、立ち並ぶ稲を敵をなぎ倒すように刈ってきたのである。稲刈機の調子もよく、向かうところ敵なしの働きぶり。豊の秋の喜びが「凱旋」の二文字に込められていよう。

小鳥来てふたりの会話多くなる 新開 幸子(唐津)

 夫婦も長くやっていると会話が少なくなる。話がない訳ではなく、あれそれで話が分かり、余分な説明をしないで済むというだけのこと。新しいことが始まると会話は復活する。庭に来た小鳥に、秋の深さを知り、冬の近いことが話題になる。穏やかな夫婦の暮らしぶりが垣間見える句。

一つづつ外す農衣の草虱 難波紀久子(雲南)

 朝から晩まで畑仕事をした農衣。草虱など生えないように手入れしているのだが…と思いつつ、丁寧に取り除いている。〈畑にゐし暫くの間に草虱 山口誓子〉 畑仕事でつけた草虱は、一日中よく働いた勲章のようなものと思えば納得がいく。

本抱いて釣瓶落しのバスの中 徳永 敏子(東広島)

 勤め帰りに買った本なのか、買い物途中で見つけた本なのか。大事そうに胸に抱いてバスに身を揺らしている。釣瓶落しを帰って、本を開けば夜長の読書。時は読書の秋である。


    その他触れたかった句     

落鮎の堰のしぶきへ消えにけり
ベランダの手摺の湿り夜半の月
花野来て峠は雨となりにけり
焼米や三日も降れば濁る井戸
露草の瑠璃色広ぐ一都句碑
行く秋や屈みてこなす農作業
きちきちを湖畔に追へる旅の靴
蕎麦粉挽く小屋は一坪草の花
稲雀夕日の中に飛び去りぬ
露草に露より小さき蕾あり
木の実落つ小さき丘に大きな木
朝寒をぎゆつと握つて歩きけり
稲雀仲間を集めもどりけり
揺れながらコスモス花をふやしけり
三輪車地をける足にこぼれ萩
爽やかに重いですよと配達夫
秋茜空の広さに紛れこむ

植松 信一
橋本 晶子
沼澤 敏美
中山 雅史
井原 栄子
大澤のり子
舛岡美恵子
鮎瀬  汀
富田 育子
山越ケイ子
渡辺 加代
田中 京子
伊能 芳子
安部 育子
中澤 武子
佐久間ちよの
岩﨑 昌子


禁無断転載