最終更新日(Update)'21.11.01

白魚火 令和3年11月号 抜粋

 
(通巻第795号)
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11月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   小村 絹代
「杉林」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
森山 真由美、福本 國愛
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
渥美 尚作、原 和子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(松江)小村 絹代 

「盛衰記」語りし母の夜長かな  加藤 三惠子
          (令和三年一月号 白光集より)
 「盛衰記」といえば真っ先に浮かぶものは平家物語であろう。祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・誰もが一度は口遊んだ事がある書き出し。この句はお母様がこの物語を淡々と語られた夜長ではなかろうかと思う。きっと歴史好きな母上であったのだろう。平清盛の出生から、平家滅亡まで一夜では語り尽くせぬ物語であったかと思う。静かに聞いている作者の真摯な姿も見えてくる。「母の夜長」と表現したことで、母への想いが深まってくる。
 壇ノ浦の戦でわずか八歳で入水した安徳天皇を祀った下関の赤間神宮、平家一門の七盛塚、かつてこの地で浪音を聞きながら感慨にふけった昔を懐かしく思い出す。「十六夜や海の底より平家琵琶 成瀬櫻桃子」の句をも連想させられる奥深い句である。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 一都忌 (静岡)鈴木 三都夫
師の色紙俳画は夫人さくらんぼ
緋と燃えて百日紅の日数かな
道草の子の草笛の突拍子
夏萩の名を貰ひたる走り咲き
波が消す恋の落書夏終る
一都忌やその日の如き蟬時雨
終戦日即ち一都忌なりけり
一つ灯を分かち二人の夜長かな

 夕涼し (出雲)安食 彰彦
句を愛し我が家を愛し夕涼し
ときたまに一句を拾ふ夕涼し
総理退陣五輪終はる夏の果
白萩を明るく賞でし配達夫
物思ふ一人種なし葡萄食ふ
秋の蚊の吾を待ち伏せしたるごと
秋の夜栞をはさむ「信介伝」
ちちろ鳴くまだ帰り来ぬ丑の刻

 初秋の夢 (浜松)村上 尚子
かんかん石叩き暑さに耐へてをり
枝下す夫に梯子の番をさせ
踏ん張つてサーフィン次の波を待つ
眠る子に風鈴ひとつ鳴りにけり
百日紅今日の終りの手を洗ふ
立ち上がる波に音なし晩夏光
鏡見て夏負けの顔拭いてをり
いもうとと会ふ初秋の夢のなか

 雨の匂ひ (唐津)小浜 史都女
伸ぶるまま伸ばしてやりぬ南瓜蔓
実紫玄関にはく女下駄
約束のなき日が続き花オクラ
嫋々と秋の来てゐる文机
ながながと雨を降らせり竜田姫
ひむがしに主峰天山秋あかね
畑はまだ雨の匂ひやつづれさせ
灯ともしてけふの褪せゆく白露かな

 菊日和 (東広島)渡邉 春枝
流れゆく雲の早さよ秋に入る
集めては捨つる空箱秋しぐれ
口ばかり達者なれども秋暑憂し
秋耕や予報通りに午後は雨
桐一葉涙もろきは母譲り
奥宮へ径七曲り薄紅葉
言葉なく座る親子の良夜かな
待合のときめきのあり菊日和

 濁流 (浜松)渥美 絹代
にはたづみ踏む掃苔のみちすがら
濁流の大河八月十五日
白墨に湿りのすこし初嵐
かなかなや書き込みしつつ本を読む
色褪せし黒き板塀秋暑し
父の忌や柿にうつすら色のきて
鳶鳴いて夕日花野をつつみけり
濁流にいたみし河原小鳥くる

 喜雨 (北見)金田 野歩女
麦の穂を一網打尽コンバイン
待ち合はす南部風鈴鳴る茶房
お待たせの喜雨畑にも私にも
文月や今だ苦手な肥後守
棚経や父母に灯せし絵蠟燭
鬼やんまに逃げられし網空を切る
蔓龍胆山路に沿うて石仏
爽やかや試合終了礼深し

 月渡る (東京)寺澤 朝子
水底に映ろふ空も澄めりけり
蜻蛉つるむ閼迦井の水面羽搏ちつつ
竹伐つてあつけらかんと寺の裏
新しき仏へ灯す盆提灯
五山送り火遥かへ合掌してをりぬ
ひつそりと路地の奥なる地蔵盆
老いて良きいまも紅緒の踊下駄
座に置いて捲る歳時記月渡る

 天の川 (旭川)平間 純一
宵闇をうるほす仕掛花火かな
石狩川いしかりの秋暑纏ひてまつたりと
墓洗ふ父の背中を流すやう
新涼の神に捧げし木幣イナウかな
腰丈の楓小さき初もみぢ
天の川ニシパ漕ぎゆく丸木舟(ニシパ=長老(アイヌ語))
長老の爽気を纏ふ厚子アツシかな
木幣立て鮭の川へと丸木舟

 天の川 (宇都宮)星田 一草
万緑やゆつくり動く牛の群れ
あめんぼう流るる雲を乗り替ふる
碧梧桐句碑は峠に大夕焼
空蟬の脚ふんばつて寄り添へり
竹林のそよりともなき残暑かな
一日の了はり木槿の散ることも
雨粒をとどめ水引草の紅
山小屋の空より谷へ天の川

 田の色 (栃木)柴山 要作
下野惣社一万坪の蟬時雨
暑中見舞八十路の友の義憤満つ
山門の涼風に大くさめかな
琅玕のかすかなそよぎ今朝の秋
辿り来し尾根黒々と天の川
橡の実落つ御神楽殿の屋根打つて
豊の秋田虫地蔵にワンカップ
田の色の真只中や国庁址

 秋 (群馬)篠原 庄治
長雨に蚯蚓悠々伸び縮む
コロナ禍や廻し間をとる白日傘
吹く風の匂ひ変はりぬ今朝の秋
上州路まだ奥深し真葛原
秋草の花みな小さし過疎の村
亡き妻に無性に逢ひたし秋の夜
コスモスや来る風拒むこと知らず
小さくとも花も実となる秋の草

 オクラの星 (浜松)弓場 忠義
茹で卵塩きらきらと今朝の秋
物の影一つ一つに秋の声
砂浜に座して見上ぐる星月夜
星月夜汀に拾ふ貝一つ
砂浜のジープの轍敗戦日
簾外し隣の声のなつかしく
燈火親し新刊の帯読み返す
俎のオクラの星を掬ひをり

 稲の花 (東広島)奥田 積
山清水に浸すタオルや風に色
野良歩きまづは漆の初もみぢ
学校の瓦屋光る女郎花
露草のまだ濡れ色に咲きそろひ
月の出てブランコひそと静まりぬ
注視する人は幾人鷹渡る
箱棟の大きな藁屋稲の花
耳遠き二人の会話秋燈下

 秋霖 (出雲)渡部 美知子
桔梗のあをむらさきは母の色
鳳仙花ほろと亡き師の句に会へり
簸川野を出で簸川野へ秋燕
やせ畑に脈打つてをり鶏頭花
返信を待つ虫の音を聞きながら
山霧の晴れてはるかに意于の海
むら雲の間をさまよふ夜半の月
秋霖に明日の予定を一つ消す



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 草の花 (浜松)佐藤 升子
盆の月小さく鳴いて猫の過ぐ
秋涼し卵の黄身の盛り上がり
風吹けば吹かるるままに草の花
みづうみの波立つてゐる無月かな
鶏頭に雨足太くなりにけり
秋晴のポストへ葉書出しに行く

 びつくり水 (藤枝)横田 じゅんこ
ひとひらづつ蓮華崩るる静かさよ
秋立つやびつくり水に鎮まる湯
芳名録のための硯を洗ひけり
鬼灯を活けて西洋美術館
新しき百葉箱や小鳥来る
どんぐりやきのふの雨の水たまり

 秋出水 (隠岐)田口 耕
一つ家にエアコン五台終戦日
秋の蟬木々の高みに飛び交へり
それぞれの部屋に子がをる盆休み
参道の秋の出水の跡深し
台風過流木磯に刺さりをり
道の辺に露草群れてまた群るる

 ポストの点字 (宇都宮)星 揚子
雲垂るる二百十日の朝かな
新涼の光を宿す雨雫
道の名は教会通り秋の風
頷き合ひベンチに憩ふ秋日傘
なぞりみるポストの点字秋桜
爽やかに羽を反らして鳩下り来

 島泊り (稲城)萩原 一志
西日差すファラオの眠る美術館
語り部は被爆のピアノ終戦日
八月の川へ祈りを捧げけり
銀漢に触るるばかりや島泊り
夕刊の漫画読みつつ鰯食ふ
鰡の飛ぶコンビナートの水路かな

 虫時雨 (東広島)挾間 敏子
朝市の裏は涼しき日本海
愛されてゐると信じてレース編む
朝顔や起きてすぐ来る隣の子
トンネルを出てまた一つ踊の灯
呼鈴に応答遅し虫時雨
ややあつてひぐらしのまた鳴き始む



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 森山 真由美(出雲)
教室に空席三つ秋の蟬
あんパンに空洞のあり秋の風
嚙み合はぬ会話も楽し今年酒
爽やかや海岸で吹くハーモニカ
野仏の赤き前掛け涼新た

 福本 國愛(鳥取)
日めくりを音なく破る今朝の秋
Gパンの穴はファッション白木槿
新刊の帯の水色秋めきぬ
新涼やホームルームのはじまりぬ
新豆腐角より白さ崩しゆく



白光秀句
村上尚子

教室に空席三つ秋の蟬 森山真由美(出雲)

 それぞれの席に子供たちの元気な姿が並ぶことで、学校の一日が始まる。というのがごく普通の風景のはずである。しかし、思いも寄らない新型コロナウイルスの蔓延により、世界中が翻奔されている。その危惧は子供にも及んでいる。学校は勉強の場であると共に、友達と出合い、遊んだり運動することに意義がある。多くを語っていないが「空席三つ」には胸が塞がる。その思いは外から聞こえてくる蟬の声にも重なる。
  あんパンに空洞のあり秋の風
 たとえあんパンとは言え、それなりの期待がある。こんなはずでは無かったという落胆…。一度は誰も経験のありそうなことだが、俳句としては意表をつく。「秋の風」は作者の気持を代弁している。若さ故の発想である。

日めくりを音なく破る今朝の秋 福本 國愛(鳥取)

 以前、暦は日めくりでなくては困るという人がいた。毎日一枚ずつめくり、今日のために書かれていることをよく読むのだそうだ。作者もそれなりにこだわりがあるらしい。一気に剝ぎ取るのではなく、丁寧に次に出てくるものへ期待を込めながらめくっている。猛暑続きのなかにも「立秋」の文字を見、しばしの安らぎを感じているのだろう。
  新涼やホームルームのはじまりぬ
 巻頭の句とも重なるが、こちらは全員揃っての教室の風景と解釈した。授業の前の短い時間かも知れないが、授業時間とはまた別の役割を果たしている。最近はきっとコロナ禍の過ごし方などを話し合っているのだろう。「新涼や」に救われる思いもあるが、本来の学校の姿に戻る日を切に願う。

禅堂の壁のうどんげ吹けば飛ぶ 鈴木 利久(浜松)

 うどんげは草かげろうの卵で、天井や壁を好んで生みつける。そんな珍しい姿を見れば通り過ぎる訳にはいかない。思わず息を吹きかけると、さっと飛んで行ってしまった。その奇異な姿から、仏教では三千年に一度咲くという想像上の花「優曇華」の名になぞらえ、吉兆のしるしにしているという。

散財をして虫の夜を戻りけり 野田 弘子(出雲)

 どこへ出掛けたというのだろう。その場の雰囲気に呑まれ、前後の見さかいもなく散財してしまった。すでに暗くなった道を虫の音を聞きつつ家へと向かった。しかしこの句に暗さはない。喜んでいる人がいるに違いない。

更けて行く夜をちちろと一つ灯に 山田ヨシコ(牧之原)

 蟋蟀は草むらだけではなく、人家のすぐそばでも鳴くことから、最も身近なものとして知られてきた。周囲が暗くなればその鳴き声は一層身に迫ってくる。一つの灯を分け合うように心満たされた時間が過ぎてゆく。

盆波に舳先のゆるる舫舟 三浦 紗和(札幌)

 沖から押し寄せてきた波に、入江につながれていた舟の舳先が揺れた。単なる高波ではなく「盆波」だったことで景色だけには終っていない。読み手の心に訴えるものがある。

真つ新な雑巾しぼり墓洗ふ 市川 節子(苫小牧)

 一読して「真つ新な雑巾」に目が止まる。使い古しのものは確かに使いやすいが、今日の目的は日常とは違う。ご先祖のことをあれこれ説明するより、その思いは充分に伝わる。

冬瓜の針千本の産毛かな 松崎  勝(松江)

 最近店頭に並ぶ冬瓜は、小家族でも使いやすいように切ったうえラップされているので、「針千本」に気付くことはなくなった。この冬瓜はまさに昔からの品種で、その大きさと皮の様をリアルに詠んでいる。

髪を切る鏡に残る暑さかな 渡辺 加代(鹿沼)

 髪を切るために鏡の前に座った。「鏡に残る暑さ」は映されている本人の姿そのものを指している。しかし切り終わったあとの鏡にはすっかり涼しくなった姿が映されていたことだろう。鏡は正直である。

刃のたたぬ南瓜キューバのラベル付け 大野 静枝(宇都宮)

 丸ごとの南瓜を切るのは至難の業である。あれこれ迷っていると、キューバ産と書かれたラベルが目に付いた。原産地はアメリカ大陸と聞くが、今や世界各地で作られ品種も多い。さて、この南瓜はどうなったことやら。

鰯雲小川に鍬を洗ひをり 貞広 晃平(東広島)

 鰯雲は秋の雲の形を代表するもので、鱗雲、斑雲などの一種である。漁師にとってこの雲は大漁の兆しとされている。作者は一日の農作業を終え鍬を洗っている。充実した時間が流れている。


その他の感銘句

浜名湖へ繋かる銀漢仰ぎけり
新しきリュックや明日の麦茶煮る
三合に二十粒と決め栗の飯
大根蒔くときどき空を見上げつつ
秋くれば風が話をして通る
玄関の二つある家花木槿
自販機の「ホット」に替はる今朝の秋
一幅の軸の墨書や堂涼し
朝霧に包まれ峡の時報鳴る
鱧捌く先づ包丁を研ぎてより
水色の朝顔天へのぼりたる
国道を越えて晩夏の海を見に
ささ濁りしたる湖今朝の秋
新しき刻字の墓碑や昼の虫
長靴の土落としをり秋夕焼

高井 弘子
工藤 智子
江角真佐子
中林 延子
篠原  亮
田渕たま子
樋野久美子
川神俊太郎
松尾 純子
⻆田 和子
今泉 早知
河森 利子
榛葉 君江
上松 陽子
石原 幸子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

浜松 渥美 尚作
へつつひに残る温みや河鹿鳴く
浮雲のうすくれなゐに門火焚く
鶏小屋の横に犬小屋月上る
両の手でつかむ吊革秋夕焼
手入れ良き分校跡や里祭

出雲 原 和子
洗ひやる児の脚かたし日焼して
訃報受け蟬の啼き止む朝かな
午後は波荒くなりけり夏の果
仲良しと同じサンダル星まつり
涼やかに今朝の一輪牽牛花



白魚火秀句
白岩敏秀

両の手でつかむ吊革秋夕焼 渥美 尚作(浜松)

 吊革は大抵、片手で摑むものだが、両手で摑むのは一日の疲れが溜まっていたのだろう。折しも電車に差し込んできた弱々しい秋の夕焼けが、疲れた身体を包んでいる。両手で吊革を摑んで、電車の揺れに身を任している姿に、都会の倦怠感がある。
  手入れ良き分校跡や里祭
 そこにはかつて、子ども達の走る姿があり、歓声があった。しかし、今は子ども達の姿は消えて校舎のみが残っている。子ども達の親たちも祖父も皆ここの卒業生である。村人に手入れされ、大事に守られてきた分校。年に一度の祭に村に活気が戻ってきた。

訃報受け蟬の啼き止む朝かな 原  和子(出雲)

 訃報は突然に来る。その日はうるさい程の蟬時雨の朝。その蟬の声が一瞬止まった…と思うほどの驚き。実際に主人公の頭の中は真っ白になったに違いない。驚きの大きさが分かる句である。
  仲良しと同じサンダル星まつり
 幼稚園か近所のお友達かも。兄弟で同じサンダルはあるかも知れないが、友達は珍しい。同じサンダルを履いて、天の川に祈る姿が可愛い。童画の世界を見ているようだ。

川の名は地名をもらひ稲の花 永島のりお(松江)

 大地があり、大地をうるおす川がある。土地の名を貰った川は、その恩返しのように広々とした田畑を潤している。土地もそれに応えて稲の花を咲かせた。土地と川そして稲の花が一体となり、豊かな稔りを約束している。

鷹渡る群青の海静かなり 榛葉 君江(浜松)

 鷹が越冬のため南方へ渡っている。群れは上昇気流に乗って海上へ出た。鷹の渡りと大海原の大景を詠みながら、「静かなり」の言外に「海よ 鷹が目的地に着くまでは静かにしてくれ」との作者の願いが込められていよう。

幼子に夢を問はるる敬老日 小杉 好恵(札幌)

 質問者はお孫さんであろうか。幼稚園で先生からされた質問を、そのまま祖母に問うているところ。正面きっての質問に思わず口ごもってしまう作者。子どもは正直者であるが、時には残虐な質問者でもある。

ハンガーの服に疲れのある大暑 岡  久子(出雲)

 大暑は七月二十三日頃で暑さがもっともきびしいときである。干からびそうな暑さの中で、一日中働いた作者に付き合ってくれた服。帰宅してハンガーに吊った服がだらりとしている。それを疲れと表現して見事。暑さに疲れるのは人間だけではなさそう…。

異郷にて義母が目にする盆踊 西中 裕一(旭川)

 何かの事情で同居するようになった義母と一緒に盆踊りを見にいった。盆踊りも義母の住んでいたところとは違っていたであろう。踊のみならず、見るもの聞くものも習慣までも色々と違っている。年を取ってからの「異郷」が心細く響く。

青柿の数定まつてきたりけり 加藤 芳江(牧之原)

 柿の実は熟れると目立つが、それまではひっそりとしている。花は落ちてから咲いていたことに気づくし、青い実は青葉に隠れていくつも落ちる。あたかも木が良い実、悪い実を選別しているようである。「定まって」は立派な柿となる自信の数である。

秋雨や家の手摺の一つ増え 大場 澄子(唐津)

 若い時には苦にならなかった階段も、いつしかに上るのが辛くなった。小さな段差も怖くなった。転ばぬ先の杖とばかりに手摺を付けて貰ったが、増えた手摺にしみじみと老いを感じている。秋風が身に入む頃のことである。

秋灯し切符売場の丸き窓 金原 敬子(福岡)

 遊園地でも動物園でも切符売り場がある。その窓が円いとは誰もが知っていて、だれも詠まなかった。あまりにも当たり前のように思えたのだろう。当たり前のなかにオヤとした驚きがあれば俳句になる。それが俳句の面白さであり、良さである。


    その他触れたかった句     

朝顔の開きて海の明け初むる
蜩や畝間の水の捌けてをり
灯されて縁から上がる盆の家
星月夜貨車は支線に入り行く
打水の路地の奥より三輪車
鳳仙花はじけ長女の出産日
故郷の夜や胡桃割る音のして
置き去りにされし思ひや昼寝覚
母と子の乗馬に秋の日差しかな
感涙の勝者敗者も日焼の子
目と本の間合涼しき金次郎
桐一葉ささいな事に涙して
てつぱう百合我に向かつて咲きにけり
一葉落ち軽き疲れを誘ひけり
せせらぎに開けてありたる夏座敷
二百十日髪の中まで風ぬけて
山鳩の声を間近に掃苔す

田部井いつ子
伊東 正明
青木いく代
溝口 正泰
福本 國愛
品川美保子
小林さつき
冨田 松江
田島みつい
門前 峯子
菊池 まゆ
中村 文子
鈴木 和枝
栂野 絹子
川神俊太郎
松下加り子
佐川 春子


禁無断転載