最終更新日(updated) 2022.02.01

令和4年 白魚火賞、同人賞、新鋭賞
           
      -令和4年2月号より転載

 発表

令和四年度「白魚火賞」・「同人賞」・「新鋭賞」発表

  令和三年度の成績等を総合して下の方々に決定します。
  今後一層の活躍を祈ります。
              令和四年一月  主宰  白岩 敏秀

白魚火賞
浅井 勝子
 

同人賞
青木 いく代

新鋭賞
森山 真由美

  白魚火賞作品

浅井 勝子

     春炬燵
片耳の甕うぐひすの来てをりぬ
雛飾り終へて静かな夕あかり
丘の上の大きな空や鳥交る
長生きの血筋うとうと春炬燵
音立てて川急ぎゆく朝桜
あかんぼの扁平足のうららけし
山吹や平らに運ぶ素焼壺
うすうすと雲流れゆく今年竹
遠き海照る柏餅一つづつ
鬼百合や三十回のスクワット
晩涼や瀬戸の小鉢のごまよごし
夏つばめ午後はからりと霽れ上がり
野の川の静けさ盆の過ぎてをり
輝きて海へ出る河朝の鵙
竹林の奥に抜け道曼珠沙華
目礼へ返す目礼年つまる
艮を守る柊の花盛り
十二月音楽室のハンドベル
蕪蒸し日暮れて風の治まりぬ
霜焼かゆし夕空に星一つ

白魚火賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば>  浅井 勝子                 

 白魚火に入会させて頂き三年余りになりました。まさかまさかの白魚火賞のお知らせが全く予想もしていない事、びっくりするやら戸惑いやらで頭が混乱してしまいました。先輩の方々が大勢おいでの中での受賞になんだか申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。
 推挙して下さった事、まことにありがたく謹んで頂戴いたしたく存じます。衷心より御礼申し上げます。
 縁あって二十三歳で当地へ稼ぎ三人の娘を得ました。四十歳の頃、地元の俳句教室へ参加しました。その後「沖」へ入会。「畦」や磐田市の「木の中」加入と右往左往して参りました。その後しばらくして村上先生にお会いでき、白魚火に入会させて頂きました。
 村上先生直接の御指導による少人数の句会を開いて下さる幸運に恵まれ、基本から学び直す事となりました。
 もう一つの句会、黒崎治夫先生、村上先生御指導のもとでも恐る恐る勉強させて頂いております。元来の口下手、社交性の無さ、老化による難聴などマイナス点ばかりを抱えている現状ではありますが、句友の皆様のあたたかいお力添えを頂いて、今後も精進してゆきたく存じます。
 白岩先生、黒崎先生、村上先生のお導きに深く感謝申し上げ、今後共何卒よろしく御鞭撻下さいますよう心よりお願いいたします。



 経 歴
本  名 浅井 勝子 (あさい かつこ)
生  年 昭和十五年
住  所 静岡県磐田市

 俳 歴
「沖」   二十年間
「畦」   八年間
「木の中」 八年間
平成三十年 白魚火入会
令和二年  白魚火同人
令和二年  みづうみ秀作賞
令和三年  みづうみ秀作賞


浅井勝子さんおめでとう 村上 尚子

 この度は「白魚火賞」受賞おめでとうございました。
 勝子さんのお名前はかれこれ二十年程前から、私の姉の俳句仲間として知っておりましたが、お会いすることもなく過ぎてきました。しかし、その機会は平成三十一年一月に突然やってきました。それ迄所属していた「木の中」が突如終刊となり、仲間の山田惠子さん、松山記代美さん、鈴木竜川さんが加わり、すぐ「白魚火」へ入会され、新しい句会も生まれました。
 初めての句会から勝子さんの実力は本物だと分かりました。その経歴は「沖」に二十年、「畦」に八年、「木の中」に七年と長年研鑽を積まれてこられた証でもあります。
  洗ひたてのやうな星粒雛まつり
  風紋は波をかたどり鳥の恋
  天気晴朗沖へ出てゆくヨットの帆
  しもつけや母の遠忌に僧一人
  跳べさうな小川ままこのしりぬぐひ
 これらは令和二年、三年の「みづうみ賞」秀作賞の作品です。
  正面に姿よき山走り蕎麦
  流木の首立ててゆく出水川
捨て舟の ( あか ) に厄日の雲走る
 これらは令和三年静岡県俳人協会への初出句でありながら、特選、入選、そして高点賞に輝きました。
 日常の勝子さんは至って物静かですが、ひとたび俳句と向き合うと生まれ持った才能に加え、長年の努力が発揮され、周囲を圧倒してしまいます。
 今回の受賞は、老いにも若きにもきっと何らかの刺激をもたらすのではないかと信じております。
 今後も健康第一に、益々のご活躍を祈ります。

同人賞
青木 いく代

   絹を縫ふ
絹を縫ふきぬ糸ひかり合うて春
春の鴨水面の雲に乗つてをり
紅梅白梅梵鐘に飛天の図
山ざくら仰げばひかり降つてくる
春満月まだ見ぬ街に住まふ子と
潮の香のかすかに茅花流しかな
鉄のにほひ残して梅雨の貨車過ぐる
牛蛙鳴くや真昼の闇ありて
藤村の「初恋」めくりつつ曝書
晩夏光ゆつくりひらく紅茶の葉
灯されて縁から上がる盆の家
諸手あげ子はとんばうの群れの中
糸瓜忌の机を庭に向けて置く
芋に髭三方ヶ原の土つけて
少しづつ向きを違へて峡の稲架
冬菊の夕日の色をのせてをり
蘆刈舟あしの重さをのせ帰る
団欒の中にゐて母毛糸編む
祝事を先づは書き込む新暦
みづうみの光のとどく野水仙

-同人賞受賞の言葉、祝いの言葉-
<受賞のことば> 青木いく代              

 この度は、同人賞を賜りありがとうございました。俳句を続けているということだけで満足していましたが、このような賞をいただき本当にうれしく、感謝しております。  主人と共に長く続けられることをと、思って始めた俳句でした。社会保険センターは、定員のあるカルチャー教室でしたので朝早く申し込みの列に並んだことを思い出します。それが「白魚火」との出会いであり「円坐B句会」との出会いでした。前主宰の仁尾正文先生の御指導で五句ずつ、月二回のペースでしたが、それは今も変わりありません。「好調が続いているようだね」と褒めていただいたことがあります。ということは「不調の時もある」ということですから、それは又そういう時の励みにもなりました。「沢山つくって沢山捨てる」という教えもいただきましたが、それは私にとって今でも難しいことです。
 今まで何げなく見ていた風景、季節の移り変り、日常のできごとを俳句にしてみますと、一句が自分の中で思いがけない広がりを見せることもありますし、句を見てくれた人に、もっと違う意味合いを伝えることになっているかもしれないと思うと楽しくなります。
 このような俳句の奥深さ、楽しさを教えていただきました仁尾正文前主宰、白岩敏秀主宰、黒崎治夫先生、村上尚子先生、渥美絹代先生に心より感謝し、御礼申し上げます。そして温かな家族のような雰囲気をいただきました句会の皆様ありがとうございます。これからも俳句と向き合い、楽しみながら続けていきたいと思います。今後とも御指導をよろしくお願い致します。ありがとうございました。


 経 歴
本  名 青木 昱代 (あおき いくよ)
生  年 昭和十七年
住  所 静岡県浜松市

 俳 歴
平成十三年  白魚火入会
平成十七年  白魚火同人
平成三十年  俳人協会会員
令和三年   みづうみ賞秀作賞

青木いく代さんのこと 林 浩世

 いく代さん、「同人賞」受賞おめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。
 いく代さんは平成九年ご主人の源策さんが会社をお辞めになったのを機に一緒にできるものをと、お二人で円坐B句会に入会され、仁尾正文前主宰の下で俳句を始められました。
 初心の頃の句にすでにいく代さんらしい俳句がみられます。
  向日葵をゴッホになつて活けてみし
  涼しさは笠一つなり托鉢僧
  里帰りして春風の中にをり
 いく代さんは三十年以上「着物のお教室」を続けられ、生徒数は三百人余となるそうです。浜松白魚火大会の折などには素敵な着物姿を披露してくださいます。
 おしとやかな中にもお茶目で素直ないく代さんと洒脱でユーモアのあるご主人のコンビは端から見ても羨ましいほどでした。円坐の合同句集からは仲の良いご夫婦の姿と子育てをしっかりとされた良き母の顔が浮かび上がってきます。
  病室の夫と見てをり春満月
  恋知らぬ子の読む恋の歌留多かな
  大試験前子は海を見に行けり
 ご主人は六年前にご逝去されました。その後、円坐合同句集より抜き出してお二人の句集『風の吹くまゝ』を作られました。ご主人を亡くされた後、お力を落とされていましたが、その後、槙の会、柚子の会にも入会され、もともと持っていらした俳句の才能がさらに磨かれたと思います。いく代さんの句はご自身そのもののような明るいしなやかさが持ち味ですが、その中に鋭い写生の力があり、ご主人譲りの軽やかなユーモアもあります。
  エスカレーター風船先に上りゆく
  宿題の自由研究パンに黴
  飛びたくて風待つてゐる蓮の実
 令和三年には白魚火巻頭二回、副巻頭一回。白光集巻頭一回の成績を残され、「みづうみ賞」秀作賞も受賞されました。
  鉄のにほひ残して梅雨の貨車過ぐる
  牛蛙鳴くや真昼の闇ありて
  沈黙を運ぶ東京メトロ朱夏
 白魚火集からの抜粋ですが、匂ひ残して、真昼の闇、沈黙を運ぶ、という単なる写生に終わらない感覚の冴えがあります。
 いく代さんはご自分から前に出て行かれる方ではありませんが、常に周りを気にかけてくださり、私もずっと支えていただいています。円坐Bにはなくてはならない方です。
 この度の同人賞、本当におめでとうございます。とても嬉しいです。

   新鋭賞 
    森山真由美

   花の道
妹の勝つまで続く歌留多かな
予定なき休暇酸つぱき蜜柑むく
パンの生地よく膨みて寒明くる
胸像の胸板厚し風光る
自転車のベル走りゆく花の道
春の朝ミント強めの歯磨き粉
教科書の角のめくれて四月尽
反抗期の子にひとつ買ふ柏餅
高跳びの棒よくしなる梅雨晴間
女生徒も混じりて初夏の応援団
腕時計外して開くる缶ビール
氷水崩しつつ聞く友の愚痴
爽やかや絵筆泳がす水の青
庭先で子の髪を切る小春かな
あんパンに空洞のあり秋の風

新鋭賞受賞の言葉、祝いの言葉

<受賞のことば> 森山真由美                

 このたびは新鋭賞をいただき、ありがとうございます。白岩主宰をはじめ白魚火の先生方、句会の皆様に心からお礼申しあげます。受賞のお知らせをいただき、うれしさよりも戸惑いのほうが大きく、これからさらに研鑽を積まなければと、気の引き締まる思いです。
 私の俳句との出会いは、平成二十九年の正月に参加した同窓会の席で、小学校時代の恩師である生馬明子先生にお誘いいただいたことがきっかけでした。こうして生馬先生と同じ「さざなみ句会」の仲間に入れていただいて約四年半。白岩主宰に郵送で丁寧に添削いただくとともに、句会では幅広い知識をお持ちの先輩方にご指導いただきながら、なんとか句作を続けることができました。
 日々慌ただしく過ぎる日常の中で、面白いと思ったことや気づいたことをスマホのメモに記録して、それを題材に俳句にできないか考えています。俳句を始めて、通勤途中の風景や家族の趣味、職場での出来事などから題材探しをするようになり、生活に張り合いが出たように思います。
 俳句との出会いに感謝し、さらに勉強をして、これからも長く楽しく続けていきたいと思います。

 経 歴
本  名 森山真由美(もりやま まゆみ)
生  年 昭和五十二年
住  所 島根県出雲市

 俳 歴
平成二十九年 白魚火入会
令和二年   白魚火同人


    <これからはお友達として>  生馬 明子

 私は山根(旧姓)真由美さんと昭和六十二年四月平田市立久多美小学校の先生と生徒という立場で出会い、五・六年生の二年間担任しました。真由美さんは私や友達の話に耳を傾け、学習内容を確実に理解する子どもでした。ですから友達の信頼も厚く、友達の輪の中に静かにいました。
 五年生の〈きょうは……がありました。おもしろかったですといった日記は卒業しよう〉と呼びかけた〈読んで楽しい書いて楽しい日記アラカルト〉(自主単元)では、歳時記日記、ニュース日記 ことわざ日記 漢字日記 慣用句日記の中から漢字日記を選び、次のような日記を書きました。
 木世雨部ん加千多ー手、絵井賀尾美真舌。土囲津群画伊木理素二場九男尾小都市手、町十賀保宇社能出目茶苦茶二菜留歯奈詩出州。名煮面輪加良奈井男戸子戸尾ん奈野火戸賀、亜真美図尾野ん打理、二輪二出田理四多野出、可美輪ぬ毛尾血、手亜紙二歯ん手ん画出手、病木二奈留来野度久奈歯奈四手酢。
個人文集(自主単元)「わたしの平田」の「 雲州平田 ( おんすうひらた ) の名物は――平田かるた」では、「足もとはもみじのじゅうたん鰐淵寺」と平田の名所鰐淵寺を表現、俳句になりました。
 六年生の俳句カレンダーコンクール(自主単元)では、一茶、芭蕉、蕪村、子規、虚子等の名句の学習のあと、好きな句を選び俳句カレンダーを作りました。真由美さんは
  荒海や佐渡に横たう天の川  松尾芭蕉
を選びました。景がよく見え、絵が描きやすかったからと語っていました。
 その後、平田中学校、平田高校、広島大学教育学部へと進み、卒業後は平田市役所職員となりました。
 再会は、三十年ぶり四十二歳厄落しの同窓会でした。偶然席が隣り合わせになり、ふと思いついて俳句に誘ってみました。すると、「今は何も趣味がないから、やってみます。」と快い返事。白魚火に入会してくれました。そしてさざなみ句会にも入会。会員の平均年齢は七十歳位ですが、毎月出席して静かにみんなの話を聴いています。白岩主宰の御指導を真摯に受けとめ、作句に生かしています。
 そして私が一番すばらしいと感心するのは、何にでもポエムを感じ、俳句にしてしまうことです。
  妹の勝つまで続く歌留多かな
  風光る集合写真みな笑顔
  腕時計外して開くる缶ビール
  読み聞かす絵本と同じ今日の月
  予定なき休暇酢つぱき蜜柑むく
 このような作品に出会うたびに、「新鋭賞」ま近か?と楽しみにしていました。今、こうしてお祝の「受賞者の横顔」を書く幸せをかみしめています。ほんとうにおめでとう。
 「先生」とは「先に生まれる」と書きます。生徒より秀れているわけではありません。これからはお友だちとして俳句を楽しみましょう。

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