最終更新日(Update)'12.09.01

白魚火 平成24年9月号 抜粋

(通巻第685号)
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 9月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   奥野 津矢子
「苺 煮」(近詠)  仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鈴木喜久栄 、大隈ひろみ  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 旭川白魚火会  萩原 峯子
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          中山 雅史 、廣川 惠子  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(札 幌) 奥野 津矢子

  
雨の重たき満開の白木槿  坂本 タカ女
(平成二十三年十一月号 曙集より)

 北国の夏は瞬く間に過ぎ去ります。花々も順序良く咲く気は無いらしく、我先にと咲き誇り散っていきます。そして少し寂しくなった庭先、公園で木槿が秋を告げるように咲き始めます。満開の白木槿は華やかさと、侘びしさをそこはかとなく漂わせ、私達に秋の準備、ひいては冬に入る準備をと、ささやいているように感じます。
 「雨の重たき」で尚一層…

夜の秋「むかしむかし」と子に語る  生馬 明子
(平成二十三年十一月号 白光集より)

 夜だけが秋めいてくる「夜の秋」、秋の夜ではありません。「白魚火燦々」の中で仁尾主宰は〝夜の秋のさらさら落つる砂時計 奥田積〟の句の選後評で、微妙な、感覚的な「夜の秋」であるから取り合せが極めてむつかしい。
「さらさら落つる砂時計」は爽やかでかなり適った取り合せである。とおっしゃっています。
 掲句の「むかしむかしと子に語る」は、どんなお話が始まるのかな、とわくわくするが寝かせ上手な作者。瞬く間に寝付く子の姿が見えてきてホッとします。

木道を歩く靴音ちんぐるま  根本 敦子
(平成二十三年十月号 白魚火集より)

 ちんぐるま(稚児車)の名前は花が終った後の実が稚児が持つ風車に似ていることに由来しています。花は小さく可憐ですが、やはり花の後が印象的。羽毛状に残った雌しべが正に風車、一度見たら忘れられません。
 お忙しい家業の中、休日には山へ登られリフレッシュをしている敦子さん。木道を歩く靴音はいつもの音、安心感があります。
 「ちんぐるま」は町中で見られる花ではありません。勿論ハイヒールを履いていてはいけません。大雪山黒岳、とは言いませんが山の空気を吸いに行きたくなりました。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 緑  蔭  安食彰彦
累代の墓石に青葉のしかかり
梅雨晴や鴨居にかかる秤竿
目礼をされて茅の輪をくぐりけり
緑蔭や日矢のこぼるるそば処
籐椅子や今は煙草をたしなまず
夕端居陶工椅子にまどろみて
夏安居陶師の茶室小暗がり
焼酎を呷り小声で愚痴を云ふ

 送り梅雨  青木華都子
照り降りの曖昧にして梅雨に入る
予定には無き外出や梅雨晴れ間
貸し傘はどれもビニール送り梅雨
昨日とはまた別の風梅雨明くる
橡茂る甘味処に客二人
夏椿散る風向きの変りたる
くねくねと曲る坂道濃紫陽花
前後ろ無きつば広の夏帽子

 ランプの灯  白岩敏秀
六月や水は一途に田へ奔る
一人来てひとりの田植はじめけり
水掬ふかたちに囲ふ夕蛍
よき風によき揺れのあり花菖蒲
煽ぎ消す燭の火匂ふ青葉冷
CDにB面のなし梅雨の晴
青蜥蜴墓の享年隠しけり
夏木立星を近くにランプの灯

 青 林 檎  坂本タカ女
一人づつ去りみな去りぬ滝落つる
小刻みの柱状節理つづみ草
草笛や凭るるによき柵ありぬ
むかしは熊を親爺と呼べり岩魚釣る
跳んで見せ蝦夷赤蛙雨あがる
退屈な風を廻して風車
紐千切れさうな鰐口虎が雨
消し忘れをりし燈明青林檎

 ほととぎす  鈴木三都夫
残雪の富士を遥かに若布干す
揺れ揃ふことなく揺れて藤の房
皮を脱ぎ益荒男ぶりの今年竹
葉畳を座に睡蓮の一淨土
憚りもなく崩れたる牡丹かな
色滲む箱根卯木に雨催ふ
鳴く声の一途が哀し河鹿笛
裂帛の山ほととぎす続けざま
 夏 座 敷  山根仙花
みどりさす机上開きしままの書に
菖蒲湯に目つむりて呼ぶ若き日々
老い二人勝手気儘に更衣
手鏡の中の梅雨雲拭きにけり
大声で話す簾の内外かな
水打つや門灯届くあたりまで
人待つにあらねど打水丁寧に
大の字に寝て風貰ふ夏座敷

 半 夏 雨  小浜史都女
靫草かたまつて咲くそれもよし
千年の桧ほとけとなり涼し
小ぶとりの虻もぐり込む花擬宝珠
梅雨深し二重囲ひの窯の跡
合歓の花真下よりみて見えざりし
どの竹も七夕竹になりさうな
槙の木も注連も太しよ半夏雨
甘茶の葉ふふめば甘し夏至の雨

 夕  影  小林梨花
蓮の葉のまみどり谷の風染めて
届かざる池の真中の蓮の花
覗きみる古代住居の五月闇
雨空を恋ひもこもこと濃紫陽花
沙羅咲くや荒神谷の夕影に
夕影鳥啼く一峡の日暮かな
夕影に溶けゆく谷の花空木
十粒程拾ひて来たる実梅かな

 銀 舎 利  鶴見一石子
本陣の雑兵具足蒲筵
荒御輿鞐七つの足袋跣足
百貫の甕に睡蓮花一つ
滝がしら水あをあをと湛へをり
天界の風を賜はり蓮ひらく
採りたての茄子の紫転がれり
水中花眠たきときに沫一つ
銀舎利の言葉なつかし終戦日

 さくらんぼ  渡邉春枝
いち抜けて二ぬけ三ぬけゆすらうめ
さくらんぼ好きな子の来て種とばす
末の子にうすき口髭雲の峰
拳もて泣く少年の燃ゆる夏
噴水の俄に変はる風の向
夏蝶や野外ステージの昼の顔
正装を解けば涼風おのづから
香水を知らざる母の一世かな


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 牡丹咲く  今井星女
五分咲きといふまだ小さき牡丹かな
牡丹咲き狭庭明るくなりにけり
ためらひつ剪る牡丹の一花かな
牡丹の一番咲きを仏壇に
牡丹の一卓一花よかりけり
牡丹の蕾かぞへし夕べかな

 白き椅子  織田美智子
藤棚の下に真白き椅子置かれ
茄子トマト二株づつを植ゑてあり
コールタール臭へる路地の薄暑かな
百年の柱時計や麦の秋
糠床にそそぐ麦酒の香なりけり
紫陽花に適ふ花瓶を選びをり

 合歓の花  笠原沢江
洗ひ場の残る門川蛍飛ぶ
母の忌を修する墓参合歓の花
苗植ゑて逝きたる人のトマト熟る
納骨の読経の僧に蚊遣焚く
紫陽花の中より子等の声溢れ
蛍や故郷の山河目裏に

  星   金田野歩女
青葉潮ひいふうみいよう無人島
五月雨や捨て段畑の続く島
万緑や路面電車の風通し
背伸びせば星取れさうなキャンプの夜
神々も遊びに来るよお花畑
玫瑰や湖より海へ続く道

 老  鶯  上村 均
城跡に標あるのみ百合の花
草原のゆるき起伏に夏雲雀
老鶯や高嶺に寄する雲の波
四葩咲く海の香りの強い町
雨ながら一舟滑る青芒
イベントに町の団扇が配らるる

 古 代 蓮  上川みゆき
二千年の命を今に古代蓮
荒神谷へおいでましたと今年竹
大賀蓮の葉裏に触るる幼なき手
空のあを山湖の蒼やひつじ草
炎天や出土斜面の銅剣図
荒神谷吟行了へて玉の汗


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 鈴木喜久栄

エプロンをはづし戸口に神輿待つ
茄子の花朝刊少し湿りをり
青芝に水撒く光まくやうに
抽出しに物のあふれて梅雨に入る
香水の若き歩幅に追ひ越され



 大隈ひろみ

形よき尼僧の頭柚子の花
石臼の音の遥かに麦こがし
夏蝶や造り酒屋の煙出し
子らどつと来て噴水の弾みけり
サングラス童顔のまま友老いて



白光秀句
白岩敏秀


エプロンをはづし戸口に神輿待つ  鈴木喜久栄

 祭は日本人のこころの原風景であろう。いつでも胸が躍る。かっては親類縁者の誰彼を呼んで大いに盛り上がったものだが、今はそれ程でもないようだ。
 今日は町内の氏神さんの祭。遠くで神輿を練り歩く声が聞こえてきた。祭料理の支度を調えた作者は御輿の到来を待つ。祭の日の誰でもすることが何の気負いもなく描写されている。それでいて、エプロンをはずしたり、戸口で静かに待つという慎みの深さが一句の要をなしている。
 やがて神輿に爆発する男達の荒々しさや観衆の熱気が、作者の家の前を通過していった。祭のエネルギーも女性の慎み深さも日本の古来からのものだ。
香水の若い歩幅に追ひ越され
 仁尾主宰の言葉のとおり〈俳句は詞芸〉。言葉の引き出しは多い方がいい。表現には苦労の跡が残らない方がいい。「若い歩幅」は颯爽として追い越されても気持ちがいい。

子らどつと来て噴水の弾みけり  大隈ひろみ
 
 子どもは水と仲良しだ。水があれば子どもはいつまでも遊んでいる。ある日ある時、どっと来た子ども達が一斉に噴水に飛び込む。水が子ども達をしっかりと受け止める。噴水のしぶきと子ども達のしぶきが一緒になって水を掻き回す。子ども同士や水とのスキンシップ。歓声と勢いよく上がる噴水が真夏の真っ只中で弾んでいる。
 夏の健やかな開放感を全身で受け止めている子ども達。

茄子の紺達者な母をたまはりし  阿部 晴江

 子どもにとって一番うれしいことは、親が元気でいてくれることである。作者のお母上は歳相応に或いはそれ以上に達者なのであろう。今日も元気で野菜の世話に精を出している。
 仁尾主宰の代表句〈頑丈に生んでくれたる柚子湯かな〉は両親への深い感謝がある。しかも、それをあらかさまに口にしない男の含羞が感じられる句である。
 親の達者が子を幸せにし、子の頑丈が親を元気にする。畑には丹精の茄子がつややかな紺色をして大きく実っている。

定年の男の畑薯の花  平間 純一

 男が定年を迎えた時、何を考えるのだろう。生活資金のことか、再就職のことか。そんなものは既に考慮済みだろう。趣味や旅行のことは考えるかも知れないが…。
 作中の主人公が考え至ったのは晴耕雨読の生活。時間に縛られ、仕事に追われた生活から解放され、自由に思いのままに使える自分の時間。晴れた日には畑で汗を流し、雨が降れば静かに書を読む。小さくても良い、曲がっていてもいい。畑は手間ひまをかけたぶんだけ応えてくれる。
 定年になったら年々歳々畑をつくる。人生は思っているほど長くはないかも知れない。

馥郁と泰山木の花咲けり  篠原 米女

 馥郁―よい香りのただようさま。泰山木の花はこの香りから気づく。そして、大きな木に大きな白い花。この句、馥郁とだけ言って「花咲けり」で終わった。これ以上つけ加えることも、引くこともできないぎりぎりの表現である。それでいて、泰山木の花の咲きようの十全を伝えている。まさに泰山木の花への賛歌である。

万緑の要に句碑や里ことば  江角トモ子

 一読して前主宰荒木古川師の句碑と分かる。〈晩じるといふ里ことば稲の花〉の句碑は平成八年十月四日、旧平田市の愛宕山公園に建立された。その翌年に『白魚火』の五百号記念大会が島根の玉造温泉で行われた。
 句碑は愛宕山に抱かれるようにあり、万緑のそして公園の要として立っている。稲が日本を支えてきたように、故荒木古川師は創刊以来、要として『白魚火』を支えてきた。『白魚火』は平成二十五年十二月に七百号を迎える。

新茶愛で淹れ方を誉め夫婦老い  佐藤陸前子
 
 夫婦が共有してきた長い時間が感じられる。夫婦の穏やかな暮らしぶりも想像できる。夫婦で味わう新茶の芳醇な味と香りが、二人の時間を貴重なものにしている。
 新茶を愛で、淹れ方を誉める、この思いやりが一句をあたたかくしている。「夫婦老い」と言いながら精神はまだまだ若いのである。

みちのくの願ひの糸の太きかな  河島 美苑

 東日本大震災を経験して初めて迎える七夕。多くの生命や財産を奪いながら、思うように復興が進まないみちのく。七夕にかける願いが切ない。
 鎮魂、復興そして帰郷。願いの糸の太さはそれらの全てを含みながら、日本人同士の絆の太さでもあろう。


    その他の感銘句
梅雨晴れや島を竹屋の声まはる
出来上る七夕笹にある重み
宿直の仮眠に落ちて明易し
鉛筆を削る音たて梅雨寒し
夏萩や蹲踞に水細く垂る
鳴き止めば遠くの蛙鳴きにけり
加齢とは目に見えぬ間に燕の子
サングラス外してどつと里言葉
火の山に向けて草矢を放ちけり
外海の夏潮荒れて来たりけり
転た寝の肩より覚むる梅雨の冷え
青柿のこらへ性なく落ちにけり
くぐりたる茅の輪に月の上りけり
あればまたなけねば淋し冷奴
打水や間口の狭き古本屋

田口  耕
齋藤  都
遠坂 耕筰
後藤よし子
牧野 邦子
大石 益江
坪井 幸子
挾間 敏子
森  淳子
鍵山 皐月
大石美枝子
杉原  潔
塚本美知子
永瀨あき江
滝見美代子



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 浜 松  中山 雅史

日盛りのことに大河のほとりかな
蔵に父入りきりなる夏の午後
沓脱の傍に吊るす蛍かな
村々に薪の積まれ明易し
夕焼けして国境なる十四五戸

 
 東広島  廣川 惠子

山深く玲瓏として滝の落つ
楊貴妃と名付け売らるる金魚かな
山滴る数多の牛の放たれて
向日葵の咲いて婚約整へり
夏祭肩車の子紅引かれ



白魚火秀句
仁尾正文

蔵に父入りきりなる夏の午後  中山 雅史

 防火の為蔵の壁は随分と厚いので夏は涼しい。夏のうだるような暑さの中蔵に入り切りの父は何をしているのであろうか。古い文書の調べに没頭しているのだろうか。亡父への情緒的なものは感じられない。壮年時代の亡父を思い出しているのかもしれない。だが、べたべたしたものはなく、非情ともいえる筆致で父を描いた。これが中山雅史流であるが、その中に隠れなく父への思いが出ているのに気付く。同掲の「夕焼けして国境なる十四五戸 雅史」は日本の幕藩時代の国境である。最近三遠南信の待望久しかった高速道路の極く一部が開通した。三河、遠州、信濃の旧国名であるが、人々にもマスコミにも「三遠南信」の語が頻出している。この地区の神事芸能の音曲は殆ど同じ。行政区域とは別の連帯があったのだろう。一句がなつかしさに溢れるのはその為だ。
 さて、七月初め、中山君は業務中交通事故に遭い入院している。加害者側の保険屋は百パーセント加害者に非があると詫びているが、集中治療室に六日も居た程の症状である。
 中山君はNHKの通信講座で三年程俳句を学び平成十三年五月私どもの初生句会へ入ってきた。「古書店に神父の長躯忘れ霜 雅史」を示して初心者の域は疾く脱していると思わせた。白魚火のバックナンバーを見ると翌平成十四一月より「今月読んだ本」(受贈句集二冊の紹介、一ページ)を執筆し平成二十年七月迄続けた。村上尚子さんが永年続けてきた「現代俳句を読む」の後を受け現在に至っていた。この間テレビも携帯も遠ざけて執筆に専念し白魚火の窓を俳壇に開け続けた労を多としたい。両手足は不自由であるが頭脳は明晰で大きな地声は健在。闘病心が強いのできっと本復するに違いない。

楊貴妃と名付け売らるる金魚かな  廣川 惠子

 楊貴妃と名付けた金魚を売る粋な親爺さんであるが、こう名付けられた金魚も大きな裳裾を翻して名前負けをしていない。
 唐の玄宗皇帝の寵愛を一身に集めた楊貴妃が戦乱で殺され、玄宗は見るに耐えない程の落胆ぶりであった。これを白居易が『長恨歌』に詠じた。作者惠子さんは、これらの史実に詳しかったようで、掲句は金魚屋を登場させた作者の作品でないか、とひそかに思っている。
 一連五句は芸域が広く、何れも明るくて若々しい。

短夜や一巻足らぬ大事典  山口あきを

 第一巻から十巻までの『日本国語大辞典』とか十五巻まである百科辞典とかの内一巻が何かの事由で欠落し残念がっているのである。この種の「コト俳句」では作者の思いを伝えるのは季語。季語が一句の成否を決める。掲句の「短夜」は絶妙とまでは言えぬかもしれぬが、成功の部類に入れた。
 筆者にも似た経験がある。香川県に単身赴任していた頃、『定本 高濱虚子全集』十六冊を買った。一冊二、五〇〇円であったが、町に一軒きりの本屋から毎月一冊ずつ届けさせていた。箱には第十巻から第十二巻までが「俳論・俳話集」第十三巻が「自伝・回想集」である。ある俳論が見たくて第十巻を開いたところ中味は第十三巻の「自伝・回想集」であった。第十三巻を見るとこれは箱と同じ「自伝・回想集」つまり第十三巻が二冊あり第十巻はなかった。読みたかった所は第十巻に収められていたのだ。既に浜松へ転勤で戻っていたので毎日新聞に相談すると配本の間違いである証明があれば何とかなる、と言ってくれたが…。当方に落度があるので諦めた。「短夜や」は分る気がする。

滴りの痺れ切らして落ちにけり  大石 越代

 突き出した岩盤にかすかな水が伝わってきて滴りになって落ちるのを辛棒強く凝視していると何分かかかった。「痺れ切らして」は作者の方であるが滴りの方が痺れを切らしたと表現した技法はみごとだ。

鬱の字をルーペで見入る梅雨の夜  脇山 石菖

 象形文字である鬱の字は見るからに憂鬱そうに見える。梅雨の夜のつれづれに作者はルーペで再確認してみた。表意の漢字を表音にした万葉仮名はすばらしい知恵である。表音用に片仮名や平仮名を作り出した日本人は優秀だ。現在の中国の乱暴な略字を見るととても「中華」と自負はできない。

夏燕月々火水木金々  石川 式子
 
 旧海軍に「海の男の艦隊勤務 月々火水木金々」という軍歌があった。年中無休の訓練ということであるが、最近サラリーマンの過労死が労災認定されたというニュースが折々出る。旧海軍では睡眠時間八時間は確保されていたが、これよりも遙かに厳しい労働を強いられている人々が居るようだ。



    その他触れたかった秀句     
首飾り宝貝なるアロハシャツ
介護妻今日父の日の耳掃除
父の日や勝手にしろは許すこと
あかときの紫陽花に目を洗はれし
滝に来てしばし無言でありにけり
田植祭雲を払へる那須五岳
参拝は後回しにす菖蒲苑
棘のなき薔薇の名プレーボーイとふ
小流れに影を作りし茂りかな
沖見むと咲きのぼりゆく立葵
父の日の料理を父が作りけり
母の忌のひとつ捥ぎたる初茄子
施餓鬼会を修し暫しの端居かな
髪洗ふ隣りもひとり暮しなり
一ケ寺は雲の上なり夏遍路

萩原 峯子
古藤 弘枝
弓場 忠義
大澤のり子
相澤よし子
宇賀神尚雄
原  和子
舛岡美恵子
仙田美名代
川島 昭子
森  志保
安納 久子
白岩 茂子
早坂あい女
中野 元子

禁無断転載