最終更新日(Update)'12.08.01

白魚火 平成24年8月号 抜粋

(通巻第684号)
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 8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   田口 耕
「羅」(近詠)  仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
出口サツエ 、小川惠子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 鳥取白魚火 はまなす句会  田中ゆうき
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          福田  勇 、斉藤かつみ  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(島 根) 田口 耕

  
漁火を沖に従へ揚花火  古藤 弘枝
(平成二十三年十月号 白光集より)

 我が島でも浦に台船を浮かべ、花火大会が催される。すぐ間近で見上げ、花火が頭上に降ってくる光景は、まさに圧巻。しかし、毎年句にならなかった。この句を目にし、これこそ海の花火の句と合点した。私には、遠くの漁火にまで目を向ける心の余裕がなかった。掲句は、大海原を背景に余裕を感じさせてくれる句なのである。

空つぽの虫籠残し帰りけ  角田しづ代
(平成二十三年十月号 白光集より)

 この句を読んで、父一桜の句を思い出した。蝉声をあげゐる籠を胸に抱き 田口一桜
もちろん、この子は私である。
 空っぽの虫籠を眺めながら、お孫さんのこと、そして、お子さんの幼き日のこと、はたまた御自分の夏の日の思い出を重ねておられたのだと思う。三世代にわたる追憶の句ではなかろうか。

片蔭に入るや頭上の石落し  村上 尚子
(平成二十三年十月号 白魚火集より)

 石落しとは、やぐら・天守閣などに床を前方に造り出して設けた開口部のこと。石を落下させ、石垣真下の敵を防ぐ。夏の暑さから逃れた石垣にふっと目を遣ると、そこには美しい急勾配が。そして、頭上に石落としが口を開けていたのである。
 日本の伝統芸能には「序破急・残心」というリズムがある。簡単に言えば、「ゆっくり・速め・速く・停止」と言えよう。ゆっくり動き始めた視線が、石垣の反りを破急と走り、石落としの一点で「ぴたっ」と止まった。まさに、能・神楽の舞を見る思いで小気味好いリズムである。また残心の冷汗感に、この句のおもしろさを感じる。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 薔  薇  安食彰彦
まほろばの里の大宮片かげり
緑さす宮司の木沓白緒下駄
軽トラの中の作業夫午睡かな
さまよへる湯殿の窓の大百足虫
さりげなく庭師に渡す落し文
黒蟻の小蟻の列を横切れず
一束の深紅の薔薇を抱く新婦
揚羽蝶斎庭の新郎新婦かな

 チマチョゴリ  青木華都子
揺らしつつ渡る吊橋谷若葉
いろは坂下りは一気若葉風
新樹晴れ甘味処に椅子二つ
緑陰のベンチはどれも二人掛け
触れ合うて弾んでをりし手毬花
行き当りばつたりの旅枇杷熟るる
涼しかり旅の土産のチマチョゴリ
じぐざぐに雲切り裂いて稲光

 旅 終 る  白岩敏秀
新緑や女人埴輪の首かざり
着陸のベルトのサイン麦の秋
玄関に初夏の灯を点け旅終る
ジャンプして少女触れゆく藤の花
コルク栓すぽつと抜いて五月かな
子燕のつばめ返しに空晴るる
草笛の青臭き音鳴らしけり
回診の女医鈴蘭に触れて去る

 さくらさくら  坂本タカ女
胸高に水はばたけり帰る鴨
バスを待つ雪解け水のとばつちり
昼しづか白鳥雪解田に下りし
日の差して沈黙やぶる桜かな
さくらさくらつられて笑ひ出しにけり
一花咲くくぼみの浅き穴居跡
耳元を風音過ぐる松の芯
すかすかな鴉の古巣薄日さす

 草 競 馬  鈴木三都夫
草競馬落馬の騎手が後を追ふ
スタートは人馬の阿吽草競馬
往年の名馬の気負ひ草競馬
二周目の乱るる人馬草競馬
浜競馬一等席の砂被り
浜競馬若布干場を使ひきり
浜競馬ブルドーザーが浜均す
人の出の二万六千草競馬
 蛍 の 夜  山根仙花
桜蘂降るを見上げて僧帰山
一匹の虻の漂よふ空眩し
新緑を写し神鏡鎮もれり
みどり濃きなか目薬は目に溢れ
村中の蛙鳴き出す夜となりぬ
麦秋や村に馴染みの研屋来る
ごくり飲む水のうまさよ蛍の夜
薫風や机上にひらく新刊書

 更  衣  小浜史都女
抱卵の鳥に日食近づきぬ
遺品まだ残つてゐたり更衣
一度きり被りし夫の夏帽子
鮎高く跳ねたり雨の近かりし
草引くや近くにとまる消防車
卯の花のはりつめてゐる白さかな
玉葱を抜きゐて飯に呼ばれけり
ふるさとの闇や水音や螢とぶ

 山  祇  小林梨花
蝮草飾る受付名画展
薫風や筆の穂先のやはらかく
アカシアの花はらはらと晶子の忌
山祇の化身の川か河鹿笛
神代から今も植ゑ継ぐ植田かな
限りなく深き水底夏の雲
我が髪の緑に染まるまで座せり
浜昼顔咲くや幽かな波の音

 水 中 花  鶴見一石子
蕺菜を干せる秩父の荒筵
馬頭尊牛馬慰霊碑木下闇
六道の辻朧なる戊辰の碑
けふもまた畏みてゐる蝸牛
新緑の真只中の握り飯
干草や本家分家の日の匂ひ
短夜や眠りのうすき迷ひ夢
水中花人は想ひ出尽きぬもの

 中国紀行  渡邉春枝
旅五月パンダ飼育の森に入る
紫のつつじ囲める九寨湖
薫風やかぎりなく澄む湖の碧
新緑の山を映して湖の黙
石楠花の森や水音の絶ゆるなし
幾すぢにも落つる瀑布の日を散らし
枇杷熟るる李白生家の村を過ぐ
チベットの集落十戸麦の秋


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 げんげ風  関口都亦絵
放ちたる子犬げんげの風となる
子ら帰りバケツの蟇をもてあます
母の日や使ひ込みたる赤絵皿
リラの雨駅に花柄小座蒲団
百態の羅漢埋もるる樟若葉
仰山に十薬干せる庫裡の軒

 祭  寺澤朝子
浅草へ人波つづく祭かな
四つ辻に神輿の揃ふ三社祭
スカイツリー指呼に神輿の折り返す
飛び退り通すは娘神輿かな
腰の帯男結びや祭髪
新月や倉に納まる宮神輿

 恋  螢  野口一秋
桐の花薄化粧して湯女出仕
幽冥へ縺れ墜ちゆく恋螢
柴折戸に絡み鉄線通せん坊
翩翻とハンカチの花いま満開
雨しぶく螢袋の花が樋に
袋蜘蛛天狗の鼻に棲みつける

 茅花流し 福村ミサ子
待たさるる茅花流しの踏切に
御霊屋に芭蕉は玉を解きはじむ
遺跡谷の暮色にまぎれ桐の花
日食の騒ぎの中や草を刈る
甌穴の水に寄り合ふ黒揚羽
はるか来て夏行始めの噴井汲む

 卯 の 花  松田千世子
白い花其處比處初夏の園巡り
花嫁がゆく卯の花の水鏡
あぢさゐの白に始まる初初し
新しき木橋の香り松の花
石段の踏み減著き竹の秋
氷川丸幾年月の青葉汐

 退 院 す  三島玉絵
山若葉ぐつと近づけ雨上る
新緑へ動き出したる山の色
横たはる青嶺の先の日本海
軒合はす中の一戸の鯉のぼり
退院を告げられし日の雲の峰
われ生きて青田の家へ退院す


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


 出口サツエ

吊皮に両手蛙の目借時
多佳子忌の海たゆたうて暮れにけり
字小字消えし母郷や草の笛
風五月真白シーツ干して老ゆ
風薫る森の小さな美術館



 小川 惠子

ひと呼吸置いて剪りたる白牡丹
夕風を待たず牡丹崩れけり
睡蓮の咲きそむ雨の上がりけり
薔薇を描く絵具に香溶かしつつ
薔薇の苗蕾は取れと言はれても



白光秀句
白岩敏秀


多佳子忌の海たゆたうて暮れにけり  出口サツエ

 橋本多佳子は星野立子、中村汀女、三橋鷹女らと共に頭文字のTを取って四Tと呼ばれた。山口誓子に師事し「七曜」を主宰する。昭和三十八年五月二十九日に六十四歳で世を去った。
 五月の海は春の名残を楽しむように穏やかに波打っている。そんな海を見ながら今日は多佳子の忌日だと、ふと思い当たったのである。「乳母車夏の怒濤によこむきに 多佳子」。格調の高い句でありながら、どこか寂しさが感じられる。
 揚句は多佳子忌の怒濤とならなかった海が、今静かに一日を終わろうとしている情景である。香り高い多佳子の作品をたゆとう海に重ねて余韻がある。
吊皮に両手蛙の目借時
 読み手にまで乗り物の振動が快く伝わってくる。乗り物はゴトゴトと走る路面電車、車内のアナウンスは程よい子守歌。吊皮を握る両手も自ずからゆるみがちだ。晩春の暖かさが飽和した昼下がりのこと。

ひと呼吸置いて剪りたる白牡丹  小川 惠子

 美しいものを剪ったり取ったりするには大きな勇気がいる。蕪村は牡丹を切って気が衰えたと感じ、芭蕉はすみれ草は野に置けと言った。作者のひと呼吸は蕪村になるか、芭蕉になるかの間合いだったのだろう。
 日本人は古来から自然を身近に引き寄せて楽しんできた。庭園や盆栽、箱庭がそうだ。作者も立派に咲いてくれた白牡丹を飾って、日々の生活を豊かにしているのである。蕪村でも芭蕉でもない本当の自分を確立している作者がいる。

岩かげに焚火してゐる山女魚釣  福永喜代美

 山女魚は渓流の女王と呼ばれるほどに美しい。しかし、貪欲で警戒心が強い。山女魚の解禁日は地方によって様々だが、雪解けが始まる頃が一般的ではなかろうか。山女魚は五月山女魚と言って旬は五月頃。
 山の奧は夏といえども寒い。雪解けが終わったばかりの川筋なら尚更である。焚火して暖を取りながら昼食や休憩をする。しかも、敏感な山女魚に気づかれない岩陰に身を潜めてである。「岩かげに」という具体的な描写が山女魚釣の姿を伝えてリアルである。

農を継ぎ父と来てゐる農具市  花木 研二

 この青年は幼い頃から農作業の父の背を見て育ったのだろう。しっかりと農業を継いでいくことを決めている。とはいえ、彼は新人、父はベテラン。学ぶべきことは多い。父と農具市を巡りながら様々な知識を吸収してゆく。
 将来の目標を持った青年の人生が肯定的だ。父親にも作者にも青年の明るい未来が見えている。

人いつもゐる安らぎの軒つばめ  福嶋ふさ子

 大空を切って飛ぶ燕に新鮮な春の到来を感じ、軒の燕に親しさを感じる。「燕が巣を作ると縁起がよい」とか「火事がおこらない」との言い伝えがあるのも親しさを感じる一因であろう。
 上掲の「人のゐる安らぎ」とは燕の側からの発想である。つまり人間は外敵から身を守ってくれる燕のガードマンということ。闘う武器を持たない弱い燕には仕方ないことだろう。燕はこの軒が安全で安心できるところだと知っている。毎日、燕を見守っている作者の暖かい気持ちが燕に通じているのである。

さりげなく気遣はれをり立葵  永瀬あき江

 気遣って欲しい思いとそっとしておいて欲しいとの間が「さりげなく」なのだろう。気がつけば相手の思う通りにされている自分。それを少々いまいましく思いながらも有り難く受け取っている自分。どちらも本当の自分である。やれやれと苦笑している作者が見えるようだ。庭の立葵が作者の思いの外に涼しげに咲いている。

若葉風旅の鞄の膨らめり  三岡 安子

 旅の鞄は出かける時より帰りの方が膨らんでいるようだ。ツアーバスが停まるたびに土産を買い込んでくる人がいる。勿論、行く先々の観光地の土産はたっぷりと買い込み済みである。孫や子や仲良しの友達等々。ああ、あの人から餞別を貰っていたわ、とかで旅鞄がいくらでも膨らむ仕儀となる。そんな鞄も喜ぶ誰彼の顔を思い浮かべれば重たくはない。
 鞄には若葉風に誘われた旅の思い出や土産がぎっしりと詰まっている。

渡し船乗ればすぐ出る夏燕  藤尾千代子

 乗れば間髪を入れず出航して目的へ急行する船と大空を切って飛ぶ燕。海と空でのスピードの競演である。すぐに点となって遠ざかったあとの海と空には、夏の青さだけが残った。「乗ればすぐ出る」に作者の目がある。


    その他の感銘句
母の日や振りて缶入りドロップス
紫陽花の中より僧侶顔を出す
棕櫚の花赤子こぶしを突き上ぐる
肥後牛ののつそり動く雲の峰
葉桜や城下の町の常夜燈
白鷺の大きく見ゆる植田かな
ひたすらに昭和を生きて昭和の日
初蝶の風の匂ひの方に飛ぶ
早苗田の逢魔が刻の水明り
紫陽花の雨待つ色の見えて来し
どくだみのそよぎて雨の匂ひかな
子無き身に羅すべり易きかな
茄子苗を歩巾に計り植ゑにけり
夏草や鉄路草津へ岐れ行く
四万十の河に架けたる鯉幟

斎藤 文子
弓場 忠義
谷田部シツイ
田久保峰香
福田  勇
松本 光子
田久保柊泉
広瀬むつき
水出もとめ
山本 美好
竹田 環枝
上野 米美
江角眞佐子
町田  宏
伊藤 政江



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

 浜 松  福田  勇

礼状の届く八十八夜かな
岩村の藩校跡や桐の花
隣組絆深むる溝浚へ
授粉日の札を付けたる花西瓜
路地裏に「ゆう子」と染めし夏暖簾

 
 群 馬  斉藤かつみ

農場に生徒賑はふ麦の秋
緑蔭の古井を覗く館あと
成り行きに任す老後や更衣
裏山に声しぼり鳴くほととぎす
腰蓑に飛沫のかかる鵜匠かな



白魚火秀句
仁尾正文

礼状の届く八十八夜かな  福田  勇

 単純化を果し、清朗なしらべが快い。為に、作者が省略した大方は読者が補完して読み取ってくれる。つまり余韻がある。
 閏年の今年の八十八夜は六月一日。例年なら八十八夜茶は四月の末には出廻っているが、少し冷えたので掲句の如く八十八夜に礼状の届いた新茶は、四月下旬の大走り茶であろう。こういう高価な茶を送るのは、平常余程親しくしている友人とか何時も世話になっている人が予想される。すぐに礼状が来るという両者の間柄も分かる。「八十八夜かな」の納めが最もしらべがよく秀句を生んだ。同掲の
  岩村の藩校跡や桐の花   勇  
 岩村城は標高七二一メートルで日本一高い山城である。織田、武田の覇権争いの最前線で城も取ったり取られたりして幾多の悲劇があった。資料館には「岩村藩士の家譜」が何冊も残されていて藩士を大切にしていたことが分る。日本国語大辞典の中で「森蘭丸」は「名は長定。信長に小姓として仕え、その才能を愛されて美濃岩村五万石を与えられた。本能寺の変で戦死、十七歳」との解説があり驚いた。蘭丸もこの藩校で学んだことであろう。

成り行きに任す老後や更衣  斉藤かつみ

 日本人男性の平均寿命が八十を、女性は八十七歳を越えたと報じられていたが、生命維持の為の医療やすべて介護に頼らねばならぬ者も居り、これらを計算に入れると平均寿命は三、四歳低いとの見方もある。
 掲句はそうしたものに意を介せず余生はあるがままに、大事に生きたいという。こういう措命は立派だ。浜松白魚火会の「ひらめき句会」は天竜区の市の施設で句会をしているが、会場入口には
  生くることやうやく楽し老の春  風生 
の句碑が建っている。頭掲句に置いた「更衣」から風生の「老の春」の心境に作者は近づいたように思える。

3Bの鉛筆削る春の昼  森  淳子

 上代の歌垣で詠み交した歌や元禄の俳諧連句などは主に耳で聞き分けたが、印刷が発達した頃から詩歌も視覚に訴えるようになった。歌人上田三四二は片仮名は異様と見ていたふしがあり「なるべく片仮名は歌に用いない」「一首に片仮名語が二つあるものは先ずダメだ」と言っている。さて掲句の表記。3Bの鉛筆はこのように表記せざるを得まい。
 最近読んだ戸恒東人氏の句集の中に
  草笛やめぐるさかづきあたりまで
がある。草笛やの次のとめぐるさかづきの次のは楽譜で読みはサイレント。の間は彼の「荒城の月」の一節「春高楼の花の宴めぐる盃かげさして」である。ユニーク。前人未踏の表現方法と言ってよい。

東浄に今年も蜘蛛の糸渡す  石川 寿樹

 東浄は東司ともいい禅宗の厠である。仏法の守護神が立っていて厳かである。そこに今年も蜘蛛が一本糸を張った。蜘蛛は生きるために糸を渡したのだが作者には、仏心があるかのように見えた。

指先に釣人抓み箱庭へ  森井 杏雨

 箱庭に流れを作り巌を置きほぼ完成した。最後は釣竿を持った釣人を抓んでそこに置き画竜点睛とした。「指先に釣人抓み」が何ともユーモラスだ。

碁盤罫刀で彫れる夏座敷  高野 房子

 榧の厚さ一尺もある碁盤は一千万円単位の高価なものである。碁盤に作り上げたのも匠の技であるが、仕上げの罫入れも亦業の粋を要する。刃先に漆と墨を混ぜたものを付けて寸法通り力を入れて盤に罫を刻む。作業場は清楚な夏座敷であるが作業中は修羅場の趣を呈する。
 かつて高名の面打師の仕事を見せて貰ったことがあるが作業場は十畳間の夏座敷だった。

万緑や鉄路の跡に遊歩道  高橋 見城

 昔の軽便鉄道の跡は拡幅して車の通る道路になっている所が多い。駅舎やレールや古いアクセス道路の形状から今も三方信号の所がある。歩道専用として煉瓦張りのトンネルが残っている所等は涼しくて美しい。

風呂上り団扇片手に男前  土井 義則

 この句からは古俳句の「夕涼みよくぞ男に生れたる」が想起された。風呂上りに団扇を片手に涼を取っているが膝にはタオルが一枚掛けられただけ。この句を更に面白くしているのは下句の「男前だ」。世の男達よ、男に生れてよかったなあ、という意味であろう。何故か共感させる力を持った措辞である。



    その他触れたかった秀句     
一節切涼しき音を奏でけり
青葉木菟カムイの酒を回し飲む
風薫る鰊干場の丸木組
桐の花昼静かなる風吹いて
初夏や絣仕立ての色紙掛
たかんなや掌に乘る嬰の靴
海の藻を添へて皿鉢の夏料理
本殿の栩茸の反り新樹光
行商が田の畦に来て鰹売る
枕辺にリュックと帽子明易し
繕ひのある甚平を愛しけり
草履履く素足の少しこそばゆき
お薬師の真言となふ麦の秋
荒代田蛙鳴き出す一斉に
卯の花や捨て鐘とどく山裾に
竹元 抽彩
小林布佐子
塩野 昌治
田原 桂子
後藤 政春
内田 景子
高村  弘
福間 弘子
岩崎 昌子
飯塚比呂子
浅見 善平
中西 晃子
樫本 恭子
関本都留子
石原登美乃

禁無断転載