最終更新日(Update)'12.02.01

白魚火 平成24年2月号 抜粋

(通巻第678号)
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 2月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    齋藤  都
「潮止り」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
鷹羽克子 、内田景子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 飯田白魚火「かざこし俳句会」  大澤のり子 
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          谷山瑞枝 、出口サツエ  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(鹿沼) 齋藤 都 

  
飛び石の一つを浮かす霜柱 篠原庄治
(平成二十三年四月号白光集より)

 霜柱は地中の水分が地表にしみ出て凍結し、細い柱状の氷の結晶体となり地表に現れる現象で、この際、多くは表土を押し上げる。寒さが続くと霜柱が重なってでき、一〇~二〇センチ位まで成長する。その霜柱の力は飛び石の一つまでも浮かした景をしっかりとらえた事は、まさに足もて作る俳句であると、それを見た事もない人にも想像出来る発見の一句と思う。

灯台をひき立ててをり紅椿 長尾喜代
(平成二十三年四月号白魚火集より)

 花暦では椿は二月の花である。濃い緑の艶のある厚い葉の間から真紅の花をのぞかせている様子はほっとすると同時に感動的でもある。花には一重、八重、色も多種多様で、品種も自生、園芸、交配もある。ちなみに花ことばは「気取らない優美さ」である。まさにその通りだと思う。椿にまつわる縁起の良い話として伝わっているのは、遠い日、外国からの船の船員たちは航海の安全を願い魔除けにと日本の椿を買い求めたと言う。
  この句は、航海安全の標識白い灯台を見事に引き立てている紅椿をさわやかに余分な物を介入せず「目で見たことを着実に奥行きのある絵のように作る」を実行していると思う。かつて、御前崎で開かれた白魚火全国俳句大会の吟行で見上げた灯台が目に浮かびそこに咲く紅椿の花の大きさ、高さなど感じさせてくれた一句であった。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 鞆 の 津  安食彰彦
冬の黙豊太閣の能舞台
短日の首塚に銭散らばりて
魚売りの路上に座り着ぶくれて
坊守の会釈返さぬ冬座敷
鞆の津は美し背の山は眠りをり
鞆の津も阿伏鬼も小春賜りて
鞆の津より荷物をひとつ小春かな
宮仕へ辞して小春の十余年

 日光いろは坂  青木華都子
薄紅葉濃もみぢ日光いろは坂
銀杏散る樹下に客待つ人力車
一葉も残さず銀杏散りしかな
五六羽の鴨の来てゐる山上湖
いろは坂一気に枯木坂となり
柚子百個浮かべ露天の仕舞風呂
白壁の蔵に干し柿すだれかな
雪化粧してをり朝の輪王寺

 内 緒 話  白岩敏秀
行く秋の息吹きかけて眼鏡拭く
冬が来る茅葺屋根の急傾斜
初しぐれ丹波口より京へ入る
チェンソー音を飛ばして冬ぬくし
落葉踏む内緒話のやうな音
木の葉降る子らの笑ひのなかに降る
石庭の抽象具象寒椿
勾玉のふくらみ碧き十二月

 鮭 還 る  坂本タカ女 
雪虫の夕べや赤き郵便車
渡れそなアイヌ名の川鮭還る
さし当り坐り遡上の鮭を見る
鮭遡る倒木川に横たはり
末枯れし実のはまなすの虫柱
引つぱつて帽子の耳をかいつむり
狸死にをる高速道路枯るる中
音たてて風走りだす落葉かな

 自 愛  鈴木三都夫
目移りに蝶の迷へる花野かな
忍びよる色といふべし薄紅葉
照り翳り山の紅葉の逃げ易く
蹤いて来る子鹿と秋を惜しみけり
南円堂一稜隠す実橘
枯れ急ぐものに紛れず野紺菊
熱燗に米寿の自愛忘るまじ
年忘れ即ち齢忘れかな
 落 葉  山根仙花
落葉降るかそけき音の中に居る
掃き溜めし落葉の嵩に落葉降る
凭れ合ふ墓石や落葉降るままに
後ろより落葉踏む音近づけり
何んの木か知らねど落葉急ぎをり
落葉降るかそけき音の積りけり
落葉積む磴吹き上ぐる海の風
落葉して月の一樹となりにけり

 柿 の 里  小浜史都女
柿剥きの追ひ込みに入る柿の里
捨畑があり捨ててある柿の皮
どの柿も日のゆきわたり柿干し場
干柿の仕上りのいろ夕のいろ
山間の枯れの奥なる紙漉き場
楮の木枯れを極めてゐたりけり
吹き寄せの干菓子さながら散紅葉
楪やいまにつなぎて紙を漉く

 海 猫  小林梨花
国引きの岬に高舞ふ冬の海猫
人気なき魚番屋の虎落笛
波郷忌の入江に集ふ海猫千羽
浦路地に僅かな日差し野水仙
笹鳴きの一声にある力かな
宗廟を抱き深々眠る山
枯山となりし背山の明るさよ
夫のもの繕うてをり一葉忌

 熊 談 義  鶴見一石子
疵柚子に黒きものうくシーベルト
蒼穹の空の深さよ木守柿
茅葺きの五層の重み炉火明り
石組みの石の風格石蕗の花
戦中を生き開戦のけふの句座
短日の闇載せて来る救急車
茶の花やけふある命神に謝す
熊の皮敷きて吊して熊談義

 水 鳥  渡邉春枝
小春日の海光に干す鯵鰈
路地曲るたびに山茶花散り急ぐ
水鳥の群をゆすりて小舟発つ
船軋む音水鳥の声に似て
琴の音に枯れ葉舞ひ散る船溜
首塚は尼子の武将冬すみれ
冬うらら祈願の乳房あふれをり
沈む日を波のゆさぶる百合鴎


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 茶 の 花  関口都亦絵
実むらさき七情包む尼衣
凡庸の日々を大事に返り花
冬ぬくし檻の孔雀が羽ひらく
冬晴や孤高の白衣観世音
茶の花の香りにひかれ回り道
かいつぶり一羽潜けば二羽三羽

返 り 花  寺澤朝子
樹を移す一と鍬新酒もて祓ひ
亀を彫る余生を生きて亥の子餅
庭に剪る供華の一輪返り花
神等去出の先づは言の葉慎めり
無住寺のけふは開かれ臘八会
まだ使ひ切らざる余生龍の玉

 冬の花蕨  野口一秋
釣日和綿虫日和無風なり
初しぐれ流浪の猫が勝手口
金輪際通らぬ針孔や木の葉髪
滝の丈あらはに山の眠りけり
吐く胞子渦なす冬の花蕨
抱へ来るシクラメンの鉢顔隠す
冬 の 海  福村ミサ子
引くと見せ岩噛む波や神渡
尻重き神もあるらんお忌荒れ
神謀る最中や忽と時雨くる
神等去出の前ぶれならん海騒ぐ
木枯や白き波寄す国来岬
口乾くまで冬の海見てゐたり 

 冬 日 向  松田千世子
しげしげと牛の貌見る冬日向
残菊やホルスタインの目の潤む
放牛の耳に番号牧閉ざす
小春日の嶺のパラボラ海へ向く
がまずみの実の赤々と風生庵
短日の風生庵にひたごころ

 冬 紅 葉  三島玉絵
ちぎれ雲迅し神来し気配かな
荒神のお着き給ひし風ならむ
旅の神腰を下せし旅伏山
土笛に確と火襷冬紅葉
がまずみの実の撓なる遺蹟路
落葉して空軽くなる山居かな



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  唐津  谷山瑞枝

肩こりに肩の体操冬に入る
裸木や動ずることは何もなし
家系図の末広がりや笹子鳴く
谷間の真赤なる橋風冴ゆる
実南天和紙工房の紙暖簾


  江田島  出口サツエ

身に入むや捨畑となる開拓地
連絡船待つ波止釣瓶落しかな
潮騒の近きに住みて大根干す
冬鴎浮かべて潮の満ちにけり
冬凪や行き交ふ漁船灯したる


白魚火秀句
仁尾正文

家系図の末広がりや笹子鳴く 谷山 瑞枝
 
  家長に三人の子がありそれぞれが結婚すると婚姻相手も家系図に入るので少なくとも六人の名が誌される。更に次の世代になると十二名が書き加えられるという風に鼠算式に拡大してゆく。掲句の「家系図の末広がり」とはそのように一家が繁栄してゆく様が家系図から分るというもの。季語の「笹子鳴く」も一句によく適っている。
 昨秋全世界の人口が七十億を越えたと報ぜられた。発展途上国の人口増がすさまじいようだ。対してわが国は出生率が年々減り、社会保障費の若年層の負担が限界にきて大きな問題になっている。どの家庭もが掲句の如く家系図が末広がりになって欲しいものである。

冬鴎浮かべて潮の満ちにけり 出口サツエ

 先般広島白魚火会に招かれて福山市の鞆の浦を吟行した。ここは、その昔潮待港、風待港として知られた。瀬戸内海は東の鳴戸海峡、西の関門海峡の潮の干満により潮流が出来、帆走や漕船にその影響が大きかった。この干満が平衡すると潮流が止まってしまう。これを潮止りといって潮の動き出す迄鞆の津で待った。又順風を待ったり台風などの待避するのもこの津で風待港ともいわれた。
 掲句は、潮止りが止んで満潮になってきたところ、今時は汽船であるから潮流の干満に関係ないのであるが、鞆の津に身を置いて満潮を見ると、いやが応でも往時が思われたのである。
 一連五句は、よくこなれていて鞆の浦でなくても見られる景。吟行ではどうしても地名を入れたくなるものであるが固有名詞の入ったものが一句もないのも余裕があってよい。ここに身を置かなかった者にもよく分る。

湯奴の肩を怒らす鍋の中 坪井 幸子
 
  湯奴とは湯豆腐のこと。湯豆腐というと熱々のものが先ず頭の中に飛び込んでくるが、「湯奴」というと豆腐の稜角が印象される。作者が「湯奴」としたので「肩を怒らす」の擬人が生々としてきた。仲々の句だ。

じやんけんのあひこが続き日の短か 大塚 澄江

 師走とか短日とかは忙しく詠まねば、と勘違いしている向きがある。両者とも季語のイメージはあわただしいのでこれを忙しく詠むと季語の説明に終る。掲句の如く大らかに詠むと季語が生気を放つ。

方言にへつりといへる紅葉谷 増田 一灯
 
 「へつり」は広辞苑にも出ていて立派な国語。山中の岨道、絶壁や険岨な道もいう。絶壁をなす一谷がすべて紅葉というのは佳絶である。

お喋りの箍のはづれて湯ざめかな 田口 啓子

 電話口ででもあろう。親友とお喋りを始めたら箍が外れたように、もうどうしても止まらない。ために湯冷めをしてしまった。選をしながら思わず笑いが噴き出た。愉快な句だ。

冬ざれや錆びたるままの夫の鍬 斎藤かつみ
 
 亡くしてまだ月日の経たない夫の鍬。こうした悲痛の句に送る言葉もないが、一句は凛乎としていて作家魂はいささかも揺るいでいない。

飛沫あげ鮭の産卵始まりぬ 森  淳子

 鮭の産卵には、強い種を残すため強い雄鮭でなくてはならぬ。この「飛沫あげ」は雄鮭が強さを競っている格闘のさまである。
 昨年の第十八回俳人協会大賞は八人の選者が二十句を選句したが白魚火からこの作者の外に特選の辻すみよ、入選の加茂都紀女が居て結構であった。今年は大勢応募して大賞を取って欲しいものだ。

夫宛の差出人は雪女 佐藤 貞子

 前人未踏の秀句といってよかろう。創作(虚)でありながら雪女が身近か(実)。写生の技も見えて今号最も「面白い」と思えた一句である。

冬ふかむ満足できぬ句のままに 中山 雅子

 作者は九十二歳。昨秋の俳人協会静岡県支部の俳句大会で「地蔵盆みんな近道知つてをり 雅子」が特選を含めて十一人の選に入り大会最高得点、白魚火の名を高くしてくれた。掲句からも日々怠らず精進していることが分る。

十二月また十二月十二月 小林 昭八

 十二月が三回も出て用言は「また」の二字のみ。上句はまた十二月が来て加齢させられたというものだが下句の十二月は五年先、十年先の余生を思っていて思念的。ユニークな秀句だ。


    その他触れたかった秀句     
帰り咲く野牡丹色を欺かず
バス停は工学部前銀杏散る
境内に出船の汽笛石蕗の花
佳き笑顔作る練習冬薔薇
箪笥より父の遺品の冬羽織
禁苑の小賀玉の木に小鳥来る
果樹園に今日打ち止めの威銃
小春日の銀座お洒落な人と会ふ
絵手紙で白菜一つ届きけり
小春日や潮騒絶えぬ朱の御堂
生き方を丸出しにして蔓枯るる
柿熟れて時々鳴りぬ猿威し
葉の散りて梅もどきの実みつしりと
秋祭オーストリアの権宮司
橋本志げの
後藤 政春
中山 啓子
山岸美重子
福田  勇
森井 杏雨
高岡 良子
陸川 直則
町田 道子
樫本 恭子
峯野 啓子
山田しげる
財川 笑子
三谷 誠司


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


  鷹羽克子

森閑と唐招提寺秋惜しむ
御社の千木きつぱりと冬に入る
飛石の小さき歩巾笹子鳴く
冬の鵙野はがらんどうとなりにけり
しみとほる空の青さよ十二月

  
  内田景子

通草の実大きな声で笑ひませう
結末はハッピーエンド照紅葉
貰ひしはおでんてふ名の大根かな
冬の薔薇匂ふ本日誕生日
寒風にやる気の飛んでしまひけり


白光秀句
白岩敏秀

森閑と唐招提寺秋惜しむ 鷹羽 克子

 唐招提寺といえば幾多の困難に遭遇し、盲目になりながも日本に戒律を伝えた唐僧鑑真を思う。そして、それを題材とした井上靖の小説「天平の甍」。
 南大門を入ると正面に森厳な金堂がある。金堂の甍の両端には雄壮な鴟尾がある。その鴟尾を吹く風は秋の終りを告げている。
 打てば音が跳ね返って来そうな張り詰めた唐招提寺の静けさ。身の切れるような静けさのなかで鑑真和尚の徳を偲び、去っていく秋を惜しむ。七音の固有名詞「唐招提寺」に全体重をかけて簡潔に言い切った表現に次に来る厳しい冬の覚悟さえ感じさせる。
 御社の千木きつぱりと冬に入る
 この「きつぱり」は千木にも冬にも係って、句を明快にしている。千木には外削ぎと内削ぎがある。これは外削ぎの千木であろう。
 「雲に分入る ちぎの片そぎ」(寂連法師)すっくと雲に向かって立つ千木。いよいよ冬だ。

結末はハッピーエンド照紅葉 内田 景子

 平成二十三年は色々なことがあったが、それらを乗り越えて、今年はハッピーエンドでゴールしたいものである。
 さて、この句、色々と苛められ苦労しながらも、最後は白馬に乗った王子様と結ばれるという夢のあるメルヘンの世界。「ハッピーエンド」や「照紅葉」の無類の明るさがいい。
 他の作品もユーモアを含みながら健康な明るさがある。作者の人となりが現れているのだろう。

アルプスの風に向かひて柿を干す 塩野 昌治

 遠くには高い嶺々のアルプスが連なり、中景に日当たりの良い家々がある。そして近景に干し柿。
 ぐいぐいと的を絞っていく構図にアルプスと共に暮らしている人々の心意気があり、力強さがある。
 アルプスから貰うものは風のほかにも光や水そして雲などがある。それらの全てが干し柿をおいしく仕上げてくれる。干し柿の出来上がる頃にはアルプスは白く雪に覆われていることだろう。

冬青空髪ととのへて東京へ 中田 秀子

 作者のこころの弾みがすっと伝わってくる句。とんとんと刻むようなリズムが東京への足取りの軽さを表している。
 東京は子どもにとっても大人にとっても魅力的な街。交通の便もよく東京への距離もずっと縮まった。
 今日は抜けるような冬の青空。たっぷりとお洒落をして、さて、どこでショッピングして、楽しいお喋りをしようか。冬晴れの一日を贅沢に使おうとする作者の遊び心が弾んでいる。

草紅葉鮭の川まで続きけり 広瀬むつき

 川で生まれた鮭は海へ出て、数年して生まれた川に戻ってくる。その頃の鮭はサーモンピンクの恋愛色である。鮭は産卵を終えるとその一生を終える。
 作者は故郷へ帰って来た鮭を美しい草紅葉で迎えた。やさしい迎え方だ。
 作者と鮭の川を結ぶ一本の草紅葉の径。子孫を残すために懸命に遡上した鮭と今生の色を尽くす草紅葉の組み合わせが美しくもあり、哀れが深い。

和菓子派も居て大家族聖夜の灯 大野 静枝

 クリスマスにケーキを食べるとは一体誰が決めたのだろう、そんな呟きが聞こえてきそうな和菓子派である。
 和菓子派もいればケーキ派もそして甘党もいれば辛党もいる大家族。賑やかで明るい大家族に聖夜の灯がいつまでも輝いている。

引潮に現るる雁木や冬深む 石原 幸子

 昨年十一月二十九日と三十日に「広島白魚火会」の吟行句会が広島県の鞆の浦であった。仁尾主宰と安食編集長と私が参加して、あたたかい歓迎を受けた。
 この句はそのときの印象を十分に推敲して発表したものだろう。吟行で素直な目で見た景が素直な言葉で描写されている。吟行日の鞆の浦は静かな波が雁木に打ち寄せていた。欲のない詠みぶりが鞆の浦の情景を彷彿と思い出させてくれる。

大蛇川渡れば出雲神の旅 田口三千女

 大蛇川は素戔嗚尊の八岐大蛇退治に出てくる出雲の斐伊川。十一月には全国の神々がこの川を渡って出雲に集まる。「渡れば出雲」は目的地に着いた神様の安堵の声のようで、神様の方へ一寸身を寄せた表現だ。
 出雲に着いた神々はやがて出雲大社の十九社で旅装を解いて寛がれることであろう。


    その他の感銘句
冬の鷺夜明けの海を低く飛ぶ
冬の日の日暮は人を遠くする
今朝冬の外して温きネックレス
窓際の脚長き椅子ホットレモン
冬銀河声をかければこゑ返り
息白く神立橋を渡りけり
狐火や村に一つの薬師堂
湖渺々はづみをつけて鳰もぐる
臘梅の香り雫となり零る
指先の荒れのはじまる朝の霜
のつけから子役が柿食ふ村芝居
近道は手間のかかりし草虱
福耳の男の背負ふ大熊手
綿虫の舞へばさみしき空のあり
神官と二言三言冬ぬくし
西田  稔
田久保柊泉
松本 光子
金原 敬子
竹内 芳子
三上美知子
上武 峰雪
生馬 明子
藤田ふみ子
横手 一江
岩崎 昌子
加藤 美保
天野 幸尖
大澄 滋世
岡部 章子

禁無断転載