最終更新日(Update)'11.12.29

白魚火 平成24年1月号 抜粋

(通巻第677号)
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 1月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句    野口一秋
「花八つ手」(近詠) 仁尾正文
曙集鳥雲集(一部掲載)安食彰彦ほか
白光集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
       
大隈ひろみ 、村上尚子  ほか    
白光秀句  白岩敏秀
句会報 追悼句 磴の会  松村ミドリ 
白魚火集(仁尾正文選)(巻頭句のみ掲載)
          阿部芙美子 、中村國司  ほか
白魚火秀句 仁尾正文


季節の一句

(宇都宮) 野口一秋 

  
路地小路辻あり京の時雨来る 阿部芙美子
(平成二十三年三月号白魚火集より)

 源氏物語や枕草子などの描く京都の四季の移ろいは、一千年の年月を閲し、日本人の美意識を育んできた。
 花に紅葉と月と、まさに、格好な舞台を我々に提供してくれるのも京都である。
 掲句、花でも紅葉でもなく、時雨を詠んだのである。京都の時雨は、捨てがたい趣があり、京都ならではの風物詩でもある。
 上五、路地小路辻ありと一気の詠みぶり、短兵急な時雨にふさわしい表現となっており、はんなりと路地小路を濡らしゆく、時雨が美しい。

枯菊の香を抱きては焚きにけり 村松典子
(平成二十三年三月号白魚火集より)

 秋を代表する菊も重陽の節句を過ぎると、残菊、晩菊と呼ばれるようになり、冬には枯れてしまう。
 菊には菊の衿恃があり、枯れても色香を残し、千草の中に、その、余薫を放っている。
 掲句の眼目は、中七の抱きしめてはの措辞にあり、愛情を注いで育てあげた菊を束ねては焼べる仕草が見えて哀れを誘う。女性ならではの作品。

こなた魚鱗あなた鶴翼鴨の陣 岡田暮煙
(平成二十三年三月号白魚火集より)

 この作品、数多の鴨の句の中で、異色な詠みぶりになっており、魚鱗、鶴翼という、陣構えの形容が、まことにおもしろい。
 私は、鎌倉八幡宮にある源平池を想像し、空想を描いたのである。同宮の入口にある太鼓橋の右側が源氏池、左側が平家池になっており、太鼓橋を挿んで両陣営が対峙するという、シナリオである。
 特に、こなた、あなたの呼称に諧味があり、思わず苦笑してしまう。


曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 新 米  安食彰彦
奥出雲の新米神の座に運ぶ
花鋏鳴らし陶工菊を剪る
名札のみ揺るる白菊県知事賞
もう誰も拾はぬ木の実吹かれをり
幾度も数へてみたき熟柿かな
風邪声の人足早に来て会釈
大鳥居人待つ人のくさめして
大前にあがり国造咳ひとつ

 もみぢ晴れ  青木華都子
秋桜活けてホテルの百畳間
秋暑しキムチ尽くしの夜の宴
夜のちちろ鐘撞き堂の四隅より
社殿へと続く坂道もみぢ晴れ
戦場が原千畳の草もみぢ
石蔵を這ひ登りたる蔦もみぢ
鰯魚鱗一枚づつ消ゆる
芒枯る無人となりし石工小屋

 竪穴住居  白岩敏秀
新米の弾力にぎる塩むすび
花すすき風をはなして立ち直る
蓑虫の顔だす空の晴れてをり
秋の昼石屋に文字のなき墓石
晩年へ吊す干柿二連ほど
窓のなき竪穴住居小鳥来る
折鶴は泣く目を持たず神無月
初時雨自転車右へ傾ぐ癖

 童 像  坂本タカ女 
明日捥ぐための脚立を林檎の木
目に見ゆる風美しき花野かな
蜑の声してゐる葡萄畑かな
鮭漁を見に行く橋の下通る
全身の蜻蛉まみれ童像
秋日傘たためり檻の鶴のまへ
車止め佇む橋の十三夜
遠近両用天性視力星月夜

 枯 蓮  鈴木三都夫
鵙高音一声秋を誤たず
渡る風嫋々と蓮枯れにけり
蓮台花の数だけ漂へる
蓮田かく掘り散らかして誰もゐず
掘る鍬を手に替へ蓮の探り掘り
掘りすすむ泥の修羅場の蓮田かな
残る虫雨に途切れてかく細く
淼々と鴨待つ沼の展けけり
 露 寒  山根仙花
星飛ぶやみづうみ大き闇の中
秋草の数々を活け一寺守る
み仏のどの手もやさし小鳥来る
秋風に並び古りゆく仏達
千段の磴吹き上ぐる秋の風
立てかけてある露寒の竹箒
露寒や忘れ砥石の片ちびり
漆黒の湖に音なき十三夜

 生くる力  小浜史都女
蛇穴に入る水音のしてゐたり
枝つけしままひよんの実の落ちてきし
忘れゆくこと怖ろしき白式部
小ぶりなる白ほととぎす釜鳴れり
鰯雲うろこ締めたり弛めたり
露踏んで生くる力としたりけり
天上へ還る花とも返り花
返り花はにかむやうな空ありぬ

 御 洗 米  小林梨花
八万四千佛色なき風の渡りけり
天井絵写して澄める御霊水
にぎはひて門前茶屋の零余子飯
ゆく秋や樹海の果の湖に日矢
龍蛇神祀る御輿に今年米
漁舟ゆるりと湖は冬に入る
笹鳴の声らしきこゑ神域に
噛み締むる神在祭の御洗米

 菩 薩  鶴見一石子
累々と大樹の屍秋出水
復興の大鍋滾る茸汁
手をつなぎたくなる菩薩虫鳴けり
尾に鮱に紅葉山女の化粧塩
朴落葉漢靴底重ねゐる
枯尾花風となりゆく夕べかな
起き抜けの句帳持つ手や霜の声
裸木となりて明るさきそひをり

 野 紺 菊  渡邉春枝
コスモスを括り心の揺れ正す
赤もまた寂しき色よ曼珠沙華
立つたまま休むがれ場の野紺菊
金銀の木犀にある香の違ひ
句すさびの水琴窟に秋の声
写経堂の軒借る秋のしぐれかな
早起きの一日の弾み藷を掘る
音読の子を傍に夜長かな


鳥雲集
一部のみ。 順次掲載  

 返 り 花  富田郁子
気がつけば八十半ば星流る
色変へぬ松とて門に伸び放題
はかどらぬ絵や松手入思ひつつ
鶲来る搬入の日の迫る窓
旧友の電話の後の秋思かな
老いてなほ多忙の日々や返り花

 二股大根  田村萠尖
腰入れて引けば二股大根かな
白菜の重さに腰を落としけり
空つぽの田に晩秋の風渡る
岩肌を浮かせ紅葉づる天狗岳
鈴生りの小式部の実の日に弾む
旅びととなりたき思ひ秋深し

 十 三 夜  桧林ひろ子
笛の音の間に間に虫の加はりし
一管の奏者影引く十三夜
躓きて色なき風を掴みけり
一雨に木犀の香を攫はれし
名にし負ふ丹波の栗の茹で上る
ことことと煮物の音も冬隣
 木曽の風  橋場きよ
たをやかに風を往なして秋桜
藤村の馬籠賑はふ文化の日
秋晴や恵那山全貌を間近にす
峠茶屋窓に風船葛揺れ
一筋の木曽の山道秋の声
木の実降る肌に荒き木曽の風 

 柿  武永江邨
夕映えに染まりきつたる山の柿
野菊摘む土の匂ひも混じりけり
放牛ののつしのつしと秋果つる
古刹とはなべて山の上初紅葉
薄紅葉薄目に在す佛達
野菊晴れ路傍に石もなかりけり

 十 三 夜  桐谷綾子
十三夜たまむし色の帯を締め
厄日かな少しいびつな塩むすび
曼珠沙華寄木木地師の通ひ道
蹲踞の柄杓新し水の秋
長き夜の子等に伝ふることあまた
お守りに東光庵の榎の実



白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
仁尾正文選

  浜松  阿部芙美子

虫すだく心音ときに消ゆるほど
源流を一跨ぎして紅葉狩
敦盛は緋の袴なり菊人形
隠れ里と云ふも十五戸柚餅子干す
字の名は神領すだち捥ぎにけり


  鹿沼  中村國司

山城や楚歌とも聞ける虫の声
信号に止まるそのつど虫の声
起重機を据ゑて大鬼怒川普請
湖に影を落とせる山の錦かな
破れ芭蕉芯に玉巻く芽を抱く


白魚火秀句
仁尾正文

源流を一跨ぎして紅葉狩 阿部芙美子

 琵琶湖や諏訪湖をそれぞれ源とする淀川や天竜川は別として大抵の川の源流は、ちょろちょろと音を立てている小流れ。掲句のごとく一跨ぎする程のものである。
 京都の季物を基準にして編まれた歳時記であるが、京都の紅葉は十一月末から十二月にかけてが最も美しい。東海地方以西の平地の紅葉は厳密にいうと大方は冬紅葉。この作者は登山を愛好するので、この紅葉狩はかなりの高山だったようである。源流を一跨ぎしての紅葉狩はさぞ爽快であったのに違いない。

破れ芭蕉芯に玉巻く芽を抱く 中村國司

 落葉の跡を仔細に見てみると、すでに冬芽が用意されているのは誰もが知っている。すべての動植物が種の保存、いのちの継承に必死であることは感銘ふかい。
 秋も末頃になってずたずたに破れた芭蕉を凝視すると芯に、春になったら玉巻く芽が蔵されていたのである。当り前といえば当り前であるが、破れ芭蕉に次の芽が用意されていると詠んだ句は寡聞にして初めて接した。心がそこになければ毎日見ていても心は動かない。「凝視」は作句意欲が強くないとできぬ。

吊橋を引つぱり合うて紅葉山 山本まつ恵

 斜張橋という吊り橋がある。支点となる高塔から斜めに張ったケーブルに橋桁を吊るもの。だが、掲句はそれを意識したものではない。紅葉谿に架った吊橋。まるで両岸の紅葉山が引っ張り合っているようだという有情の一句である。

腰弱き刷毛をだまして障子貼る 後藤よし子

 「腰弱き刷毛」。その刷毛を縦に使ったり引き摺るように横に使ったりして障子を貼っている。
 一句は物を大切にする作者を褒めただけのものではない。日常の些事にも心がそこにあれば佳句を生む材料があるということを申し上げたい。

連山を動かざる雲きのこ汁 齋藤 都

 まだ夏雲の重さをもった初秋の雲が連山の上に横たわっている。その景を見ながらきのこ汁を楽しんでいる景であるが、一句の声調がすこぶるよい。切れ味の鋭い詠法である。

三男に兄より届く今年米 松原政利

 この三男は作者であろう。家を継いだ長兄から毎年家で取れた新米が送られてくるのである。仲のよかった兄弟であっても配偶者ができるとトラブルが生れぬでもない。そんな中で今も変らぬ兄弟のつき合いができていて羨しくもある。
  はらからに母はかすがひ単帯 西嶋あさ子
もそんな機微に触れた秀句である。

朝刊の初白鳥の大見出し 原 菊枝

 一般にテレビや新聞に出たもの―時事―は俳句に適さない。大抵は解説者や記者の論調をなぞったものになり勝ちだからだ。だが、この句は初白鳥の飛来を詠んだもので「朝刊」「大見出し」は「初白鳥来」の表現に使われただけで時事とは無縁なもの。
  梅に新聞開くや何ぞ茂吉死す 清水 基吉
時事俳句で成功したものは右しか知らない。

一葉落つ磴より望む湖平ら 原 和子

 過日の一畑薬師における坑道北浜句会の吟行は三十名余が集まって盛会だった由。こうした吟行で目薬師とか塔頭が詠まれるのは勿論結構だが、この句のように純粋な写生句は大いに結構である。長磴の眼下の湖は宍道湖であろうという想像もできて、当日吟行に参加しなかった者にも十分な鑑賞ができる。
 吟行俳句会で気を付けなくてはならないのは、当日そこに居た者同士で分り合う句。その日その場で成立しても普遍性のないもの。吟行は取材であるからその辺りを念頭に入れ帰宅後の推敲は欠かせない。

新ちぢり村一番の婿もらふ 加藤美保

 逞ましくてハンサム、職業も安定して人も羨やむ若者を婿に貰うことができた作者。何物にも変えられぬ喜びを、青々として包鱗のがっちりした新松子で象徴した。

天棚の三百年の夜長かな 佐藤琴美

 天棚は天井から囲炉裏に吊した棚。三百年もの間茅葺家を燻らせ続けて炉と共に旧家の要になっている。「三百年の夜長」が重厚な表現だ。

    その他触れたかった秀句     
一つ家に句敵居りて夜長し
意識なき夫に唐津くんち言ふ
姫りんご白雪姫にあげやうか
盆栽の一丁前の新松子
水澄んで底まで日差し届きけり
神来ると畑の大豆の莢ならす
三段の稲架を覆へるシートかな
落慶の木の香にはえて花八つ手
一輪の菊に残れる日ざしかな
零余子落つ天領の地の片すみに
猫じやらし揺れをりたわいなき風に
絹の靴絹の道来て奈良の秋
えごの実を拾ひお手玉五つほど
猫の目の海の色して小春かな
重機出てさあ千人の芋煮会
出口サツエ
古藤 弘枝
林 あさ女
橋本 快枝
花木 研二
荒木千都江
森  志保
上武 峰雪
小林 春子
高島 文江
平 さつ子
徳増真由美
成田 幸子
勝谷富美子
坪田 旨利


白光集
〔同人作品〕 巻頭句
白岩敏秀選


  大隈ひろみ

月代や石州和紙の象牙色
をさな子のくすくす笑ひ小鳥来る
口笛をたれかが吹いて柿の空
秋風のやうな男と坂くだる
巴里からの受話器を置けば秋の声

  
  村上尚子

木の実踏み木の実に打たれ熊野道
草じらみつけて電車に飛び乗りぬ
落栗や思ひ出ひとつづつ拾ふ
おしろいやひらひら乾く竿のもの
喪の袂色なき風を通しけり


白光秀句
白岩敏秀

口笛をたれかが吹いて柿の空 大隈ひろみ

 昨年は柿の生り年だったようだ。あちこちに柿がたわわに実っていた。この句にもそんな背景がある。
 口笛を吹いたのは野遊びから帰ってくる子ども達だ。たっぷりと遊んだ満足感が思わず口笛を吹かせたのだ。
 帰る道すがらの一面の刈田やたわわに色づく庭の柿そして澄んだ青空。遠い日本の原風景のような秋である。そういえば、私たちの頃の男の子は誰でも口笛が吹けたものだが、今の子も吹けるのだろうか。
  秋風のやうな男と坂くだる
 秋風のような男とは…。多分、気性がさっぱりした気さくな男に違いない。体格は大柄でも小柄でもないスマート。
 勿論、一緒に坂をくだる作者もスマート。絵になる。

落栗や思ひ出ひとつづつ拾ふ 村上尚子

 思い出が日記の一ページから最終ページまでべっとりと続いていたら、きっと懐かしくも美しくもないであろう。思い出は日常生活の中の所々にビーズ玉のように嵌め込まれ、光っているからこそ尊いのだと思う。
 作者の拾った思い出は光沢のある美しいものや雨風に打たれた悲しいものもあったに違いない。
 眼前の落栗から過ぎ去った遠い時間を引き出し、それを緊密に結び響き合せている。山口誓子の『我が主張・我が俳論』の「俳句は感性と知性の美しい融合である」の言葉が思い出される。

かりがねの声一湾の空に満つ 渡部幸子
 
 渡って来た雁が今、湾の上を通過してゆく。先頭も最後尾も全て一湾の空に納まって、それぞれに声を降らしている。
 この湾は作者の住む十六島湾だ。『出雲風土記』に載る良質な十六島海苔がつくられる。
 湾に満ちた雁の声は陸地に着いた喜びとも作者への挨拶ともとれる。
 いっとき湾に満ち満ちた雁の群れは、なお南を目指して飛んでいった。浜辺には作者と波音だけが残った。日本の秋が深まっていく頃のこと。

天平の甍の空を秋つばめ 内山実知世

 天平時代といえば奈良の平城京があった頃だが、天平の甍がどの寺なのか詮索する必要はなさそうだ。あおによし奈良の都の空と考えればよいのだろう。
 来るものがあれば去るものがある。この秋つばめは子育てを終えて南へ帰るところ。
 大寺の古い歴史とつばめの新しい命。そして不動の大寺と燕の軽快な飛翔。奈良の美しい秋空を背景に新旧、動不動の絡み合いが調和よく描かれている。

新聞紙すつくと立ちし野分かな 丸田 守

 何かの拍子に家の中まで進入して来た野分。この句を読んで思わず「あるある」と合点してしまった。
 私の場合は掲句のように恰好良くはなかったが、ふわりと立ち上がり全面を広げ飛んでいってしまった。
 掲句は野分に対抗するために新聞紙に意志を持たせ「すっくと」立たせた。しかし、その抵抗も束の間で、すぐに元の新聞紙に戻ってしまう。
 昨年は地震や津波そして大雨の被害など自然の恐ろしさと人間の非力を痛いほど経験した。

祭り着を竿いつぱいに広げ干す 飯塚富士子

 この祭り着を着たのは子どもか或いは父と子か。いずれにしても、「いつぱいに広げ」の措辞が祭りへ爆発したエネルギーの大きさを表している。同時に背中をどーんと叩いて祭りに送り出した作者の心意気も伝わってくる。
 町中を湧かせた祭りの興奮がたっぷりと残っている句である。

長き夜李白一斗の詩に更くる 山田しげる

 この句は杜甫の「李白は一斗 詩百篇」(飲中八仙歌)が下敷きにある。とは言え秋は酒の美味しい季節。李白ならずとも盃に手が伸びる。そこでついつい時を忘れ「牀前月光を看る/疑うらくは是れ地上の霜かと」と煌々とした月に驚くことになる。秋の夜長は酒佳し月佳し詩佳しである。
 この句の漢詩のようなリズムが快い。

煙立つ里に灯の入る秋の暮 三岡安子

 田仕舞の煙があちこちで上がっている。遠くの山が棚引く煙で霞のかかったようだ。野良を終えた家々に藁火のような明かりがぽつりぽつりと点いていく。
 静かに暮れていく日本の里の秋がある。

    その他の感銘句
大雨の朝新米の炊きあがる
酢の香り残して祭り果てにけり
話しつつ人遠ざかる今朝の冬
雁渡し隠岐へ飛び立つプロペラ機
新灰に取替へ開く囲炉裏かな
物売りの釣瓶落しを帰りけり
満月や一本の松立ちあがる
蟷螂のまなこの濡れて枯れはじむ
いわし雲軒の蜂の巣日日太る
ゆらゆらと昼の日に酔ふいぼむしり
灯の幽か流れの痩せし下り簗
秋没日話に一人加はれり
何ごとも無く天高き日でありぬ
夕暮の空の蒼さや柿熟るる
天高し黄身こんもりと目玉焼
中山 雅史
米沢  操
鈴木 敬子
生馬 明子
福田  勇
斉藤かつみ
阿部 晴江
木村 竹雨
古藤 弘枝
稲井 麦秋
成田 幸子
野田 弘子
重岡  愛
池森二三子
新開 幸子

禁無断転載