最終更新日(Update)'22.09.01

白魚火 令和4年9月号 抜粋

 
(通巻第805号)
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9月号目次
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季節の一句   西田 美木子
「ふるさと」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
山田 眞二、伊藤 達雄
白光秀句  村上 尚子
浜松白魚火会の吟行 山田 眞二
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
安部 育子、鈴木 誠
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(江別)西田 美木子

一つ家にエアコン五台終戦日  田口 耕
          (令和三年十一月号 鳥雲集より)
 昨今の夏の暑さは尋常ではなくなってきました。一読、「五台」にえっ!と驚きましたが、各部屋にエアコンが無くては過ごせない暑さ。終戦日あたりは猛暑・酷暑の頃。又、夏休みで子供さんも家で過ごす事が多いでしょう。
 北海道も以前は真夏日が年に数回、という年もありましたが、昨年は特に暑く、我が家は全室遮光カーテンに替え、今年は遂にエアコンを一台付けました。お盆過ぎには秋風が吹き始め、残暑など感じず、逆に冬が近付くのを淋しく思ったものでした。近年は残暑もありエアコンを設置する家が増えてきました。因みに我が家のエアコンはまだ仕事をしていません。今年の今後の日本列島の猛暑が心配です。

空染むる百万本のラベンダー  大平 照子
          (令和三年十月号 白光集より)
 「ラベンダー」と言えば北海道富良野地方の一面のラベンダー畑が目に浮かびますが、作者のご覧になった「百万本のラベンダー」は何処の景色でしょう。よく表現されるのは湖面・水面を染める青空や雲などですが、ラベンダーの色が空を染めた・・・。地上も空もラベンダー色。何か不思議なおとぎ話の世界に迷い込んだ気分です。ラベンダーは今が丁度美しい時季。ガーデンにも、街路樹の植込みにも群植する事で特別の景色が出来上がり、香りも素晴しいものです。
 見方を変えると、「耕して天に至る」の如く斜面一帯や段々畑に植えられていて、下から見上げると空までラベンダー色が続いている様に見える風景なのかも知れません。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 梅雨ごもり (静岡)鈴木 三都夫
再びの二番茶の芽に露しとど
葉を濡らす茶刈り泣かせの走り梅雨
縁側に団扇の風を足しにけり
眠るまで団扇の風を送りけり
梔子の無垢の白さの香なりけり
蛍舞ふせちに人恋ふ夜なりけり
父の日といふ独酌の日曜日
梅雨ごもり好きな俳句を好きに詠み

 父の日 (出雲)安食 彰彦
マニキュアの注いでくれたる生ビール
とりあへずビールを酌みてからのこと
濃紫陽花なほ青くする今朝の雨
柴犬の墓石ひそと木下闇
椅子ひとつ出し緑蔭にくつろげる
遠目にも豪農しのぶ柿若葉
百両も意外に軽し小判草
父の日や百薬の長次男より

 姫街道 (浜松)村上 尚子
白波を曳いて舟ゆく薄暑かな
浜名湖の風呼んでゐる花みかん
はたた神姫街道を横切りぬ
竹藪を逸れ若竹の五六本
青田風つぎつぎ雲の入れ替はる
改札の手すりに点字風薫る
夏帽子一万歩なら歩けさう
ヨットの帆水平線を伸ばしけり

 みづうみの風 (浜松)渥美 絹代
長屋門過ぎ螢の五六匹
駅を発つ一輌茅花流しかな
金魚玉吊れば瀬音の高まりぬ
燕子花長屋門へと橋渡る
筒鳥の鳴き宿坊に灯の入りぬ
道路鏡に映り藜の丈伸ばす
田から田へみづうみの風日雀鳴く
日盛の棚田をよぎる鳥の影

 隠し味 (唐津)小浜 史都女
写真家に緊張したる花菖蒲
やうやくに勢ひづきし南瓜蔓
踏んばつて何ごともなしあめんぼう
一蝶も寄せず茂の窯の跡
隠し味に水音ありぬ夏料理
まろやかな白湯をいただく半夏生
梁太し柱もふとし黴匂ふ
整骨院鉄の風鈴鳴つてをり

 涼し (名張)檜林 弘一
古書街を旅のごとくに梅雨晴間
また違ふ香水過る銀座の夜
ういらうの素直な甘さ夕涼し
打水に祇園小路の風生る
夕風の立ちて簾の町祇園
涼気過ぐ白木作りのカウンター
忙中の閑の心を冷し酒
浜風を背中に孕みサングラス

 パグ (宇都宮)中村 國司
入梅や黒毛のパグの黒きまゝ
夜をしらに浪と逆立つ栗の花
日の差して沙羅の花散る女坂
菩提樹の花にやしなふ虫の数
刈取も見ゐるもしとど汗拭ひ
裸にはならず猛暑の街ありく
人生は穴ぼこばかり鮎を釣る
しみじみと足裏広し独歩の忌

 青田風 (東広島)渡邉 春枝
酢の匂ひ残る空瓶梅雨上がる
順番に顔の近づく百合の花
青田風今日は一日農休日
山城の跡の古井戸楠若葉
ばら園の隅に薬草育てをり
たいくつな一日終はる夏の月
うたた寝の父を呼び出す庭花火
庭花火よちよち歩きの稚騒ぐ

 ボランティア (北見)金田 野歩女
針槐源流に添ふバスの旅
六月の海清掃のボランティア
紫陽花の彩の足し算昨日今日
梅花藻の花も葉もはた雑魚も愛し
亡き母の浴衣の絵柄眼裏に
吟行の程好き疲れ髪洗ふ
玫瑰の花に優しき汐の風
蝦夷丹生や待避所多き峠道

 夏羽織 (東京)寺澤 朝子
乗り越して車窓に植田見ゆるまで
ふるさとの香に噎びつつ粽解く
禅堂に踏める畳も梅雨じめり
紫陽花の終の色見せ裏参道
快活に物言ふ男の子雲の峰
久々に夏服で句に集ひけり
夕端居猫も端居の貌でをり
形見とて五三の桐の夏羽織

 五分粥 (旭川)平間 純一
菓子工場の真つ赤に塗られ麦の秋
五分粥を啜りて旨し夏木立
でつかい窓に大雪山(だいせつ)を入れて夏
夏暁や大雪山麓霧厚く
マーチング少女の汗のきらりとす
ぶらさげて媼嬉々とす蛇の衣
古りたるはみをつくし句碑青梅成る
青嵐朽ち行くものにビッキ墓碑

 夏野(宇都宮)星田 一草
教室の窓全開に初夏の風
初生りの胡瓜に鳴らす花鋏
おちよぼ口紅濃く開く花ざくろ
稲荷門奥へと続く大茂り
梅雨晴間みみずの乾くアスファルト
むらさきの風の流るるラベンダー
大夏野ゆつくり動く牛の群れ
納骨の了はる植田の畦の墓地

 芭蕉庵 (栃木)柴山 要作
素謡の声よくとほる単衣かな
万緑や両家総出の宮参り
放牧牛たちまち点となる夏野
蝙蝠や沢音高き満願寺
蛍火の闇深ければ深きほど
アリバイはしろがねの(すぢ)なめくぢら
奥処(おくか)より涼しき水音芭蕉庵
芭蕉庵翅音ひそめて藪蚊かな

 河鹿笛 (群馬)篠原 庄治
息ころしじつと見てゐる蟻地獄
谷深し風に乗り来る河鹿笛
滴りを受くる一杓奥の院
濯ぐもの薄物ばかり酷暑かな
神杉の走り根涼し奥の院
出つ会す青大将に立ち竦む
屋根越しの風に匂へり栗の花
妻に供ふる水蜜桃の紅哀し

 二丁目の辻 (浜松)弓場 忠義
衣更へていつもの席に診察日
点眼の一滴はづれついりかな
黒南風や船瀬のかもめ動かざる
一呼吸して形代に息かくる
二丁目の辻に消えたる黒揚羽
立葵時刻通りにバス来る
遥かなるちちはは泰山木の花
草いきれ貨物列車の通過中

 涼し (東広島)奥田 積
池に映る病棟の揺る夏つばめ
点滴のきらりきらりと芒種かな
同室の一人退院青葉風
明易し五本のチューブに生かされて
朝ぐもり熱きタオルを手渡さる
みどりさす試歩をナースに抱へられ
データを打ち込むナース目の涼し
家やよし草木茂れる家やよし

 蛍の夜 (出雲)渡部 美知子
切れ切れの記憶をつなぐ蛍の夜
神杉の天辺見えず梅雨曇
飛石の一つ前行く雨蛙
右足で夏掛さがす夜明け前
稚の声大緑蔭へ吸ひ込まる
香水の香の残りたる診察台
黙りを通してをりぬ軒風鈴
滝壺を覗くに欲しきあと半歩



鳥雲集
巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 雲の峰 (東広島)吉田 美鈴
落ちて来し枇杷に鋭き嘴の跡
一夜さに傘ふくらませ梅雨茸
立つ羅漢座る羅漢や夏木立
電工夫旗を振り合ひ梅雨の晴
頂へ鉄鎖を手繰る雲の峰
木苺を摘んでは含み下山道

 かたつむり (鳥取)西村 ゆうき
山法師夜風たひらに渡りきて
万緑の芯に花嫁立つてゐる
太藺咲く夜更けて雨の本降りに
かたつむり小雨に渦をほどきゐる
ごきぶりに致死量の美味つくりをり
掘り上げしらつきよう熱き砂こぼす

 金魚 (浜松)阿部 芙美子
手に残る草の匂や梅雨に入る
牧場へ車前草の花踏んでゆく
厩舎より馬が貌出す草苺
パナマ帽ズボンの筋の縒れてをり
金魚屋に亀も家鴨も放し飼ひ
熱の子に金魚が見ゆるやうに置く

 早苗田 (呉)大隈 ひろみ
本尊は永遠なる秘仏若楓
薄にごりして早苗田の暮れのこる
梅雨寒の厨ににほふ正露丸
水底のやうな大空夏の月
開店のパン屋へ青田道抜けて
あの尾根を踏みし日はるか夏の雲

 古地図 (浜松)林 浩世
買つて飲む水の甘さや山若葉
玉葱を刻む良妻とは言へず
虹色に光りてゐたる蜘蛛の糸
昨夜の雨こぼるる茅の輪くぐりけり
青梅雨や古地図のままに道残り
ジーンズの尻ポケットに夏帽子

 あめんぼう (牧之原)坂下 昇子
ほととぎす鳴いて明けゆく棚田かな
雨止んで風の残れる菖蒲園
花びらに風の絡まる花菖蒲
あめんぼう流れに背きゐて流る
睡蓮の開きて時を止めけり
螢出で闇の生き生きしてきたる

 夏至ゆふべ (旭川)吉川 紀子
渡りゆく雨後の八つ橋夏つばめ
石楠花や菩提寺の斎いただきぬ
雪渓を仰ぎ見てより一仕事
次のことば待つまでの黙合歓の花
アカシアの花の通りを役所まで
もう一つ橋渡りゆく夏至ゆふべ

 青梅雨 (群馬)鈴木 百合子
山法師一茶の句碑に影及ぶ
青梅雨の帰去来峠師の里へ
山裾に張り付く里曲梅雨ふかし
梅雨雲を載せ千曲川たうたうと
杏熟る師の墓石に夫婦の句
音なきに杏のひとつ落ちにけり

 木のベンチ (出雲)三原 白鴉
星数多宿して峡の植田かな
夏蝶の海の青へと飛び出せり
息詰めて蓮の開花を待ちにけり
古代蓮浄土の色を見せて咲く
天道虫並んで座る木のベンチ
半夏生水面に雨の十粒ほど

 山羊 (浜松)安澤 啓子
まなかひに南アルプス花山葵
山羊小屋に裸電球走り梅雨
時鳥山羊の乳房の張つてをり
入海の鳶より低き雲の峰
白昼の干草にほふ象舎かな
水船に時折あぶく未草



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 山田 眞二(浜松)
梅雨夕焼電車ぐいつと曲がりけり
まくなぎや餓鬼大将の額にこぶ
揚がりゆく日の丸に皺明易し
表札の無き家ばかり夕焼雲
日の盛ほんの少しの祝酒

 伊藤 達雄(名古屋)
山門にときをり触るる山法師
夕焼空ギターの弦を張り替ふる
夏の雲サッカー終はるホイッスル
仙人掌の花けふの日を閉ぢにけり
山清水貯めたる桶の苔生せる



白光秀句
村上尚子

揚がりゆく日の丸に皺明易し 山田 眞二(浜松)

 日の丸は、ペリー来航後対外関係のうえから国旗として必要とされてきたというが、その後一般家庭でも祝祭日には玄関に掲げられてきた。しかし、最近は神社や官公庁以外で見る機会はめっきり減った。とは言え日の丸を仰ぐ気持に変りない。特に作者は仕事上で長年切っても切れない存在だったに違いない。この日たまたまわずかな皺があるのに気付きながらも、長い一日の平安を願った。
  まくなぎや餓鬼大将の額にこぶ
めまとい、めまわり等と呼ばれるように、払っても払っても付き纏う。餓鬼大将も困惑している。その時少年の額にがあるのに気付いた。最近は餓鬼大将という言葉も死語に近くなったが、思わぬ場所で少年の一面を垣間見た。

仙人掌の花けふの日を閉ぢにけり 伊藤 達雄(名古屋)

 同じサボテン科でも月下美人は夜咲き朝には萎んでしまう。仙人掌の花は華やかで強そうに見えるが、一般的なものは夕方になると萎み、翌朝になると同じ花がまた開く。この様子を人間を見るような目で捉えているところがユニークである。「けふの日を閉ぢにけり」と自身の姿にも重ねて、少しほっとしているのだろうか。しかし明日への思いも忘れてはいない。
  山清水貯めたる桶の苔生せる
 地方へ行けばよく見掛ける景だが、山から湧き出てくる水が豊富でなければならない。水道が完備している現在も天然の水は特別の存在である。昔から、日々の暮しに恩恵を受けてこられた人が大勢いるに違いない。又、多くの旅人の喉を潤してきたことも理解できる。

梅酒飲みわが死を思ふ夜空かな 富田 育子(浜松)

 誰でもふと自分の死を思うことがある。梅酒は誰かの思い出に繋がるものかも知れない。夜空を見上げ、今は亡き人のことを思い出している。人間生きているからには否が応でもその距離に近付いているのも事実である。

花木槿きちんと畳む新聞紙 本倉 裕子(鹿沼)

 木槿は朝咲き始め夕方には萎んでしまう。翌朝には別の花が咲き萎んでゆく。それをしばらく繰り返し楽しませてくれる。「きちんと畳む新聞紙」は木槿の習性に重なる。一日一日丁寧に過ごされている作者の姿でもある。

玫瑰や海は大きく息をして 小林さつき(旭川)

 自然はその日の気持によって見え方が違うことがある。玫瑰は北海道にお住まいの作者にとって身近な花でもある。〈玫瑰や今も沖には未来あり 草田男〉の代表句と重ねて読ませてもらった。

何にでも使ふ玉葱軒に吊る 榛葉 君江(浜松)

 最近の物価高は気になるが、特に玉葱の値段には驚きである。重宝なだけに一年中欠かすことはできない。軒に吊られたものを必要に応じて使えるとは何と贅沢なことか。

新茶いれ思ひ出したること一つ 佐久間ちよの(函館)

 物事を思い出そうとしても思い出せない反面、思いも寄らない時思い出すことがある。その切っ掛けが新茶を淹れた時だった。九十六歳の作者にとり、思い出すことは数え切れない程ある。お元気そうな姿が嬉しい。

灯の届くあたりを千歩星涼し 藤原 益世(雲南)

 日中暑くて思うように動けなくても、夕方になれば元気を取り戻す。運動のために近場を歩くのだろう。足元に届く明かりを拾いつつ行けば星の数も増してくる。一人だけの涼しい時間が過ぎてゆく。

みをつくし橋に遠雷ひとつ聞く 高田 茂子(磐田)

 万葉集に〈遠江引佐細江の吾を頼めてあさましものを〉と詠われた場所であり、澪標という橋の名前の由来になっている。この橋を渡りかけた時の雷である。俳句の題材になるものは突然表れるという、典型的な一句。

朝曇利き手の爪を切つてをり 前川 幹子(浜松)

 この方の利き手がどちらかは不明だが、利き手でない方の手で爪を切っている。ただそれだけのことだが、「朝曇」という季語が心の微妙な動きを想像させる。取り合わせの妙味である。

二度三度のぞく夜干しの梅筵 山田ヨシコ(牧之原)

 昔から〈三日三晩の土用干し〉と言われてきたように、夜露に当てることでより良い梅干が出来上がるという。しかし雨に濡らしては台無しとなる。作者の熟練の技により、今年も自慢の味に出来上がったことだろう。


  その他の感銘句

節くれの指にマニキュア梅雨の雷
道草の風持ち帰る小判草
水打つてはるかより来る子らを待つ
ボート番椅子にどか弁置いてゆく
栗の花湖は小雨にけぶりをり
あぢさゐの毬のむかうに日本海
晩涼やはじめて夫の爪をきる
肩よせて月下美人の咲くを待つ
夏帽子絵本の森へ迷ひ込む
白寿には白寿の力草むしる
木に登る蛇指差せば去りにけり
日かみなり孔雀は卵産んでをり
算額の珍紛漢紛風涼し
麦茶ぬるしメールの返事書きあぐね
パナマ帽の紳士降り立つ飛行場

多久田豊子
福本 國愛
陶山 京子
浅井 勝子
⻆田 和子
富岡のり子
森田 陽子
関  定由
佐藤 琴美
鮎瀬  汀
栂野 絹子
菊池 まゆ
舛岡美恵子
鈴木 花恵
中村喜久子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 松江 安部 育子
栗の花日暮は母の匂して
六月の村六月の雨を待ち
許せないことを許して茄子の花
待たさるる闇に嬉しき蛍かな
振り返ることなき別れ梅雨の蝶

 浜松 鈴木 誠
肩車され麦笛を吹く子かな
夏帽子数へてバスの発車せり
万緑の底を流るる水の音
赤子泣き梅雨前線北上す
紙魚棲める我青春の日記帳



白魚火秀句
白岩敏秀

六月の村六月の雨を待ち 安部 育子(松江)

 六月は梅雨のころであり、田植えの始まるころである。雨の鬱陶しさを厭いながらも、田植えの雨を待つ農家の人達。昔からの農家の営みが六月の言葉を借りて端的に語られている。
  許せないことを許して茄子の花
 許せないほどの裏切りを我慢して許したという。出来ぬ堪忍するが堪忍と諺にある。出来る堪忍はだれでもするが、出来ぬ堪忍をすることが本当の堪忍ということ。堪忍の果報は己に帰って来て花を咲かせる。徒花のないと言われる「茄子の花」が程よい距離で働いている。

赤子泣き梅雨前線北上す 鈴木 誠(浜松)

 今年の梅雨前線の北上は早かった。最速で梅雨が明けた。揚句の赤子の鳴き声と梅雨前線は関係が無いが、戻り梅雨が日本列島に災害をもたらしたことを思えば納得がいく。まるで、大雨の予兆のような句。
  夏帽子数へてバスの発車せり
 幼稚園の子ども達がどこかへ見学に出掛けるところか。幼稚園児も年長組になると少しもじっとしていない。あちこちの座席に移動したり、座席の下に隠れたり…。やっと静かになった夏帽子を数えて出発。目的地に着いてからの先生方の苦労が思いやられる。

風鈴や鋼に軽き音生まれ 中村喜久子(浜松)

 風鈴にも色々な種類がある。ガラス風鈴、鉄風鈴、火箸風鈴、陶風鈴等々。これは黒鉄の南部風鈴だろう。あの黒々とした鋼から澄んだ軽やかな音が生まれてくる不思議。うだるような暑さで聞く風鈴の音は地獄に仏、まさに涼しさの一打である。

梁伝ふ電気のコード梅雨深し 岡 久子(出雲)

 昔の家には電気メーター器がなかった。六十ワットや百ワットの電球を使い、定額料金の時代。屋内の配線も梁や壁を這っていた。この家も築何十年かの古民家なのだろう。戦時の灯火管制を経験しながら、現代まで続いて来た家。家の歴史を物語る電気コードが梁を伝っている。

空中に炎の匂する暑さ 田原 桂子(鹿沼)

 ひと口に暑さと言っても、薄暑、大暑から炎暑、極暑まで色々とある。風も樹木も全ての動きが止まったようなじりじりと照りつける暑さ。何もかも焼け尽くす日差しに「炎の匂」を取った感覚が鋭い。自分の身体からも炎が立ち上ってきそう。

父の日の駄洒落をひとつ考ふる 鈴木 花恵(浜松)

 父の日は六月の第三日曜日。母の日に比べると影が薄い。それでも、晩酌の酒の一本ぐらいのおまけはあるかも知れない。そんな父を喜ばそうと考えた駄洒落。娘の駄洒落に父は大笑いしてくれたことだろう。父が浮世を忘れるひとときでもある。

日にいくど寄る病窓や新樹光 広川 くら(函館)

 病院にいると、個人の自由がほとんど利かない。そんな病気との闘いのなかで、外部との接触は窓を通してのみ。「日にいくど」に病を持つ身の悲しさが痛いほど伝わる。木々はいつの間にか新緑となっていた。

はやばやと魚拓や鮎の解禁日 曽布川允男(浜松)

 鮎は香魚、年魚、細鱗魚などと書き表し、俳句では春の若鮎、秋の落鮎、冬の氷魚。それほどに鮎は古来から日本人に親しまれていたのだろう。主人公も相当な釣り好きのようだ。解禁日の早々から大物を釣り上げて、早速に魚拓にしてしまった。魚拓を見ながら釣り上げたときの竿の手応えを思い出しているに違いない。

働いてはたらいて母夏芝居 黒木ツネ子(東広島)

 炊飯器や洗濯機のない頃の母はよく働いた。朝目覚めると母の姿はなく、寝る時には母はまだ起きていた。いつ眠るのか不思議であった。母は夏に巡業してくる芝居の見物が唯一の楽しみ。遠い記憶をたぐり寄せるような「働いてはたらいて」である。

賑やかな声の静まる溝浚へ 榎本サカエ(狭山)

 溝浚えは町内が総出で行う。同じ町内でも顔を合わすのは久し振り。挨拶を交わしたり、近況を尋ね合ったりして、がやがやと賑やかなこと。しかし、賑やかな話し声も溝浚えが始まるとピタリと止んで、溝浚えに集中。きっと、昔からある町なのだろう。〈あたらしき水走りくる溝浚へ 正文〉


    その他触れたかった句     

郭公のこだまとなりて湖渡る
少年のプール帰りの匂かな
桃熟しゐる善光寺平かな
日盛の宝くじ買ふ最後尾
幾度も鏡をのぞく初浴衣
水占の恋浮き上がり星迎
蠛蠓の渦に巻かれて日暮来る
石少しずらし青田へ水をひく
清水汲む柄杓に木の香残りをり
夏帯を締めて舞台の袖に立つ
リハリビや四角く泳ぐ熱帯魚
アルプスの風渡りくる麦の秋
向日葵の空少年は走り出す
畔道の深き濡れ色芒種かな
図書館へ紫陽花通り抜けてゆく
前髪のかすかに揺れて夏の宵
あいの風光る瓦の八十戸

関  定由
佐藤やす美
天野 幸尖
松本 義久
渡辺 伸江
安部実知子
勝部アサ子
藤原 益世
神保紀和子
桂 みさを
小嶋都志子
大原千賀子
岡本 正子
岩井 秀明
栗原 桃子
佐々木美穂
小澤 哲世


禁無断転載