最終更新日(Update)'22.08.01

白魚火 令和4年8月号 抜粋

 
(通巻第804号)
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8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   坂田 吉康
「白湯」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
藤田 光代、鈴木 誠
白光秀句  村上 尚子
静岡白魚火 総会記 大塚 澄江
旭川白魚火会句会報 吉川 紀子
令和四年六月坑道句会報 樋野 美保子
令和四年度栃木白魚火夏季俳句大会吟行会 星 揚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
安部 育子、鈴木 けい子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜松)坂田 吉康

手花火の消えぬ間の火を貰ひけり  小村 絹子
          (令和三年十月号 鳥雲集より)
 手花火は盛りを過ぎると急に火勢が衰えてたちまち消えてしまう。消える前に次の花火がその火を貰う。こうして次々に花火をつないで行くのも手花火ならではの趣である。
 呉れたり貰ったりする相手は兄弟、従弟、はたまた恋人同士か、読み手によって想像する情景は様々であるが誰もが経験のある事柄である。
 石田波郷の句に〈手花火を命継ぐ如燃やすなり〉がある。常に命と向き合って生涯を終えた波郷は心情を詠み、この句は行為そのものを具体的に詠んだ。

水打つや客の途切るる昼下り  秋葉 咲女
          (令和三年十月号 白光集より)
 オフィス街の路地裏にあるこぢんまりとした和食の老舗を想像した。昼食時の賑っていた店内も客の途切れる昼下がりである。
 割烹着のおかみさんが打ち水をしている下町の情景が目に浮かぶ。広辞苑に昼下りとは正午を少し過ぎた頃、午後二時頃とある。夏は最も暑くなる頃で、夕刻の仕込みまでに少し間のあるほっと息を抜く時間でもある。

おしやべりの眼が一匹の蠅を追ふ  町田 由美子
          (令和三年十月号 白魚火集より)
 今は、衛生面の改善や冷房の完備で蠅をほとんど見かけなくなった。それでも稀に、何故こんなところに蠅がいるの、と云う事がある。
 「そう、そう、そうなのよ」などと、女性同士のおしゃべりの最中、どこからか飛んできた蠅が近くに止まった。間もなく何事も無かったように蠅は飛び去ってゆく。作者は行き先を見届けるように眼で追っている。コマ送りのように映像が浮かぶ。〈おしやべりの眼が〉と捉えたところが省略が効いていて面白い。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 薫風 (静岡)鈴木 三都夫
揚雲雀見えぬ高さにとどまれる
銘柄は八十八夜てふ新茶
馥郁とお湯にほぐるる新茶の香
筍を探り当てたる土の中
筍を猪の荒せし跡無惨
灯台を海へ突き出す花海桐
腰浮かせ浜昼顔の吹かれ咲き
薫風や風を孕みし真帆片帆

 涼殿祭 (出雲)安食 彰彦
揚雲雀水ゆたかなる神の国
ひと雨に瓜の花咲く岬畑
一度打ち二度も撃ちたる蠅飛べり
すさまじくなりたるいくさ藪蚊討つ
髪洗ふ笑顔の写真とるだけに
ここに紅かしこに白のさるすべり
見渡せば植田日毎に力充つ
涼殿祭みどりゆたかな真菰敷き

 柏餅 (浜松)村上 尚子
夏めくや積木の家に窓一つ
濡縁に雨見えてをり柏餅
沖を行く船に灯の入る薄暑かな
剃りたての僧のつむりや若楓
藻の花に触れつつ舟の通り過ぐ
夏つばめ艇庫の扉みな開く
ねぢればな意志あるごとくねぢれけり
つかみたるものに草の香南吹く

 斑鳩 (浜松)渥美 絹代
ポポーの木花つけ八十八夜かな
武具飾る天井高き八畳間
草を焼く煙植田にひろがりぬ
通夜の家蜜柑の花のよく匂ふ
なんぢやもんぢや東司の屋根に花こぼす
麦秋の蔵の柱に深ききず
堂縁に足を垂らせば斑鳩鳴く
清水汲む御嶽講の五六人

 まばたき (唐津)小浜 史都女
薫風や禰宜の白足袋白雪駄
茄子植ゑてより十日目の花二つ
朝夕によき風のあり花菖蒲
枇杷すする父母淡くなりにけり
緑さす床屋の古き掛時計
陶風鈴ひくく吊りたる音なりし
有りのまま生くるのもよし水を打つ
梅雨に入るまばたき重ね眼の検査

 風青し (名張)檜林 弘一
省略を尽くして初夏の空広し
万遍のなき細波を立て代田
天守閣跡は百畳青嵐
風青しぶつかりあへる恋の絵馬
どの峰も姿を正し山開
総身を森の青さに染め登山
叡山の阿吽の獅子の眼の涼し
絵日傘を男に預け鐘を突く

 田植寒 (宇都宮)中村 國司
あくまでも一つの花に蝶戻る
くつきりと飛行機雲や田植寒
天平の竹の子にしてやや斜め
天平の御代の礎石を蟻わたる
国原の気に水ふふむ五月かな
丹の色に瓦かげおく植田かな
早苗饗や孫の庖丁研ぎをりて
世の隅に散りはじめたる花樗

 夏の蝶 (東広島)渡邉 春枝
葉桜の語るがごとき日の斑かな
夏蝶の舞ふや二の丸三の丸
夏帽子高く振り上げ再会す
夏の月ナプキンの立つ予約席
坊守の笑はせ上手濃紫陽花
紫陽花の彩をこぼして雨上がる
麦秋や移植の松に支へ棒
今は亡き姉の手紙に風入るる

 筒鳥 (北見)金田 野歩女
老桜の一片に気の宿りをり
緋牡丹に雨風凌ぐもの欲しき
葉脈の未だ柔らかき若楓
大き火蛾舞ふ終電の待合所
筒鳥の啼く二拍子の名調子
しとしとと喜雨なり蝦夷地息衝けり
夏の潮網を繕ふ三代目
梅ゼリー固まるまでの読み聞かせ

 夕焼空 (東京)寺澤 朝子
白玉は懐か句会兼題二句し母の味のして
下戸にして夫の好みし鯵たたき
「母の日」の何もせぬ身の祝はれて
新茶汲む馴初めなぞを子に問はれ
九分九厘生きしとおもふ更衣
青しぐれ隅田川畔二句何処までつづく並木道
水母浮く潮入川の船溜り
その先に亡き父母在す夕焼空

 黒揚羽 (旭川)平間 純一
ころんでもころんでもまた稚の春
小壜に挿す白山吹の厠かな
葉桜や先師の句碑をなぞりたる
ひと鍬に太き蚯蚓ののたうちて
図書館の吹抜け窓や若葉風
泣きつかれ乳房へ寝落つ合歓の花
黒揚羽ビッキの化身かと思ふ
(ビッキ=アイヌの彫刻家)
姥百合や戻りし遺骨地に還る

 終の牡丹 (宇都宮)星田 一草
咲き足りて枝の重たき八重桜
雀ゐる雀隠れの草の丈
白き花ばかりの咲いて夏めける
老いぬればふる里遠き麦の秋
数ふればふゆる葉陰の桜の実
オムライスふんはり盛りて麦の秋
軽き身を軽く屈伸更衣
園丁と終の牡丹を惜しみけり

 青時雨(栃木)柴山 要作
市民農園馬鈴薯の花盛り
野末まで麦田植田の幾何模様
牛小屋の匂ひ高々桐の花
衣更へて背筋伸びたる心地かな
ゆつたりと下校のチャイム麦の秋
八十歳はちじふの乱読楽し青葉風
吾にもありし無頼の時や桜桃忌
戦の碑も芭蕉の句碑も青時雨

 梅雨入 (群馬)篠原 庄治
畦塗や器用に使ふ鍬の身
囀に覚めさへづりに里暮るる
満天星の万鈴揺るる音微か
足の先まで緑射す山路かな
冷麺で昼餉草々済ましけり
むちやくちやに手を振り蠛追ひ払ふ
野仏に錆びし賽銭梅雨入かな
休耕畑独り占めする草雲雀

 簗の杭 (浜松)弓場 忠義
屋上の若葉の囲むカフェテラス
新緑の街角に立つ巡査かな
白山の滴り受くるたなごころ
簗の杭うてば山彦さそひけり
一本の葭ゆらしたる行々子
老鶯の声もて統ぶる山一つ
豌豆の筋よく取るる日なりけり
銀の雨ふらしたる翁草

 植田 (東広島)奥田 積
つばな流し水田に映る雲の影
田植機のか細き苗を挿してゆく
揚水音夕日植田を染めにけり
廃屋の撤去されをり花うつぎ
ころころと豌豆の実の剝かれゆく
根づきたる植田をわたる風さやか
竹落葉古刹の池に亀の浮く
麦秋や少年の夢消えずあり

 新樹光 (出雲)渡部 美知子
海よりの風をひと呑み鯉幟
胎内の子も新緑の香の中に
閉店の噂しきりや麦嵐
夏帽子海のかなたを見て飽かず
忘れ得ぬ言葉も遺品新樹光
教会のうるむ明かりや聖五月
岩坪へ青葉光降る鳥語降る
暮れ切らぬ杜の奥より青葉木菟



鳥雲集
巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 柿の花 (浜松)大村 泰子
くり返し子雀びびと飛びゐたり
空耳にははのこゑ聞く柿の花
青葦を吹き割る風のありにけり
境内の案内板を蟻走る
遠くより鐘の音日傘畳みけり
黴拭ふ父の鞄の捨てきれず

 一青忌 (宇都宮)星 揚子
あいさつは薔薇の生垣褒めてより
馬鈴薯の花や跡継ぎ決まりたる
田の奥に連なる青嶺一青忌
ラベンダー校舎東の化学室
単線の青嶺を割つて進みけり
屈みたる子らのま中のてんと虫

 A定食 (磐田)齋藤 文子
緑さすキャンパスに立つ大時計
学食の白きテーブル薄暑光
空き瓶にガーベラA定食頼む
東京タワー見上げ泰山木の花
子の声をのせ噴水の飛び散りぬ
鳩居堂に扇ひろげて売られけり

 更衣 (浜松)佐藤 升子
しほさゐを近くに聞きて更衣
厩舎より馬の顔出す新樹光
読まぬ本積んで卯の花腐しかな
走り梅雨一人の部屋に一人をり
あしうらに石ごつごつと螢狩
からうじて顔の隠るる白日傘

 髪洗ふ (浜松)阿部 芙美子
無口なる子のざりがにを見せに来る
うつうつと日が過ぎ蛍袋咲く
髪洗ふ医師の診断聞きし夜
魚屋のとろ箱に飼ふ金魚かな
清水汲む二の腕までも濡らしゐて
端居せるかたはらに置くラジオかな

 梅雨の月 (群馬)鈴木 百合子
用水に流るる夕日花茨
田水張り峡の青空ひろげたり
どくだみの十字一叢暮れ残る
万緑の山をダム湖に落としけり
母の忌の近き筍流しかな
一葉のはがきに心経梅雨の月

 みどりの夜 (松江)西村 松子
歌垣の山を映して植田澄む
しあはせは平凡な日の豆の飯
翡翠を見し昂りや瀬の早し
三角巾一枚濯ぐみどりの夜
少年にやる気の兆す雲の峰
峰雲むくと裾野広がる伯耆富士

 葉桜 (出雲)荒木 千都江
皿洗ふ厨の音も夏立ちぬ
二つほど花を付けての茄子の苗
田植機の描く直線柔らかし
濡れてゐる手で母の日の荷を受くる
夏きざす湖のとほくの光りをり
葉桜が風にそよげば木洩れ日も

 竹皮を脱ぐ (長野)宮澤 薫
竹皮を脱ぐ堂裏の静けさに
宝輪の上行く雲や青嵐
夏山を映す隠沼一周す
アイヌ語の山小屋があり山滴る
急流を逃げおほせたり赤楝蛇
とぐろ巻く蛇や縄文住居跡

 草笛 (東広島)挾間 敏子
草笛を上手に吹いて無口の子
軍服の遺影鴨居に青田風
仏間より青田の見ゆる母の家
窓磨くのみの連休風薫る
五月まぶし籠りてものを読みゐても
軒下に小舟伏せあり麦の秋



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 藤田 光代(牧之原)
茶の芽摘む日がな指先弾ませて
掠め行くものに勢ひ夏燕
四阿を遠くに描き花菖蒲
田の名残ある住宅地蟾の声
大南風外洋を行く大型船

 鈴木 誠(浜松)
次々と峯に雲湧く立夏かな
全校の生徒十人楠若葉
バリカンを当てられし子の端午かな
蒸し麺麭の臍にレーズン走り梅雨
鉛筆の芯を尖らせ梅雨に入る



白光秀句
村上尚子

茶の芽摘む日がな指先弾ませて 藤田 光代(牧之原)

 この舞台は宇治と並び茶所で知られる牧之原台地である。
 茶摘み歌の〝あかねだすきに菅の笠〟の風情とは変わり、最近は殆ど機械で摘みとられるが、一部の高級茶は今でも手で摘んでいる。鮮やかな茶の芽に目を凝らしつつも、時々富士山に目を移す。一日中同じ作業の繰り返しだが、やがておいしく出来上がるであろう新茶への思いが強く伝わってくる。またそれを楽しんでいるらしい姿が何よりである。
  四阿を遠くに描き花菖蒲
 絵画は筆づかいや色づかいと同時に構図も大切である。この句は十七文字のなかに遠近も意識している。主眼は「花菖蒲」。初夏の日差しに最も美しく見える時期でもある。

蒸し麺麭の臍にレーズン走り梅雨 鈴木 誠(浜松)

 ケーキと並び最近のパンの種類の多さに驚く。もとは欧米から渡来したものだが、日本古来の餡とマッチングさせたことで、明治初期から今まで人気の木村屋が存在する。臍には桜漬が使われている。この句はもっと手軽に蒸したもので、臍にも手っ取り早くレーズンを使っている。家庭でも短時間に出来、おやつにも打って付けである。
 「走り梅雨」との取り合わせは理屈ではない。
  次々と峯に雲湧く立夏かな
 春を思う気持の方が強いこの時期だが、空を見上げれば山から湧き上がる雲に、昨日との違いを感じ取った。「立夏かな」のかな止めには、季節の大きな移り変りに対しての作者の覚悟のようなものが垣間見える。

噴水の天を突く水帰る水 横田 茂世(牧之原)

 最近の噴水は大規模小規模も含め、色々な工夫が凝らされ実に楽しい。共通しているのは水を噴き上げ、それが落ちてくること。当り前のことだが、こうして言葉にしてみると改めて納得させられる。

母の日の仏壇の鈴よく響き 鈴木 敦子(浜松)

 毎朝の習慣で仏壇の鈴を打ち手を合わせる。今日が「母の日」と気付けば、その思いを新たにする。「よく響き」は母上の声とも取れる。作者の心の動きを捉えた音でもある。

郵便の今日は来ぬ日や若葉雨 古川美弥子(出雲)

 最近の郵便事業の大きな変化で戸惑うことが多くなった。投函する都合より、配達される日を意識して望まなければならない。しかし郵便を受け取る喜びには変わりない。長年の習慣から脱け出すのには努力も必要である。そんな日の「若葉雨」が恨めしい。

子のシャベル立夏の海を掬ひけり 森田 陽子(東広島)

 子供達にとっていよいよ楽しみな水遊びのシーズンである。早速浜辺で貝拾いや砂遊びが始まる。足元に寄せてきた大海原の端に、子が持つシャベルが濡れた。至って些細なことだが、「海を掬ひけり」という言葉を生んだのは、この日の海の輝きにも負けていない。

母の日の似顔絵みんな笑ひをり 太田尾利恵(佐賀)

 母の日にちなみ、人の集まる場所に母の似顔絵を展示しているのをよく見かける。描く子供の年齢によっても、その表現方法は様々だが、言われてみればなるほどみんな笑っているように見える。一番身近にある平和の象徴とも言えるかも知れない。

夏蝶の風を乗り継ぎ湖渡る 山口 悦夫(群馬)

 水辺に蝶がきて渡ろうか引き返そうか迷っている。ここは水の青さで知られる四万湖だろう。蝶は迷いつつも飛び立った。湖上の風をうまく捉えつつやがて渡り切った。そこには作者の安堵の姿が残っていた。

補聴器を試してゐたり風薫る 伊藤 妙子(名古屋)

 最近の補聴器は種類が多く、選ぶ時はきっと迷うことだろう。値段もピンからキリまで…。よく合えばわが身の一部として大いに役立ってくれる。「若葉風」に応援され良い結果になったに違いない。

大福を食らふ卯の花くだしかな 前川 幹子(浜松)

 長雨に卯の花も腐ってしまうだろうという季節。何をするにも気が乗らない。そばにあった大福につい手が伸びた。敢えて「食らふ」とぞんざいな言葉が出たのはこの日の作者の心の置き所が悪かったため。

鳥帰る天塩平野を後にして 三関ソノ江(北海道)

 秋に日本へ渡ってきた鳥も、春には北へ帰ってゆく。どこでも見られる景だが「天塩平野」と言えばロシア領のシホテアリニ山脈もサハリンもすぐそこである。鳥たちにはどのような景色に見えるのだろうか。


  その他の感銘句

若葉風閲覧室のブラインド
薫風や階一つ上がるたび
朝ひばり雲の切れ目のあをあをと
菜の花や風の向かうに光る海
春愁や鋏鳴らして髪切られ
棕櫚の花手書きの地図に字小字
水替へて金魚しばらくよそよそし
母の日のシンクに映す我の顔
早起きの燕と我が家子育て中
みづすまし水面に飽きて跳びにけり
鯉幟鱗に鰭に園児の名
夕やけと鞄背に負ひペダル踏む
さのぼりやピザと唐揚げ食卓に
青鳩や森の小人の水飲み場
蛍追ふ水の音のみ残りけり

鈴木けい子
加藤三惠子
富田 倫代
落合 勝子
佐久間ちよの
周藤早百合
森  志保
佐藤 琴美
髙田 絹子
多久田豊子
加藤 明子
山越ケイ子
大菅たか子
勝部アサ子
安部実知子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 松江 安部 育子
アルバムの父母若し昭和の日
まつすぐに風の来る日や豆の花
村中の風を集めて鯉のぼり
山々はみなよき容青葉かな
兜の緒結び直して飾りけり

 浜松 鈴木 けい子
お開きに新婦の配る花の種
若楓の木洩れ日を浴び献茶式
苔むせる句碑の崩し字桐の花
五月晴同点となるホームラン
日傘差し母の歩幅に合はせをり



白魚火秀句
白岩敏秀

村中の風を集めて鯉のぼり 安部 育子(松江)

 年々に住む人が減っていく山間の村に鯉のぼりが上がった。それを待ってましたとばかりに村中の風が集まってきた。風を味方に威勢よく泳ぐ鯉のぼり。村の期待を背負った男の子を応援するようなダイナミックな風であり、鯉のぼりの泳ぎである。
  兜の緒結び直して飾りけり
 五月の節句には武者人形を飾る。箱に閉じ込められていて、出陣の機会がなかったが、端午の節句を迎えて出陣した。兜の緒を結び直して、すっくと立った武者人形の姿が凜々しい。

お開きに新婦の配る花の種 鈴木けい子(浜松)

 結婚披露宴のお開きである。新婦が帰ってゆく参列者の一人一人にお礼の言葉と花の種を配っている。今日の思い出が来年も美しい思い出となって咲いてくれる。正に幸福の花の種である。
  五月晴同点となるホームラン
 白球が五月の青空へぐんぐん伸びていって観覧席へ飛び込んだ。これが逆転のホームランならゲームはここで終わり。そうならないのが、この句の面白いところ。試合は振り出しに戻って、一進一退となった。今度は声援の大きさが勝敗を決めることになる。

鳴虫山から晴れ上がる大夕立 大野 静枝(宇都宮)

 鳴虫山は日光市に位置する千百余メートルの山。地元では「鳴虫山に雲がかかると雨になる」と言い伝えられ、それが名前の由来とされている。山の名を詠んだ句に山口青邨の〈祖母山も傾山も夕立かな〉がある。固有名詞には季語に劣らないつよい働きがある。

茶所の八十八夜更けにけり 松本 義久(浜松)

 今年の八十八夜は五月二日。このころから茶摘みがはじまる。揚句は八十八夜の夜が静かに更けていったと淡々と詠んでいるが、句の背後には霜の害もなく無事に茶摘みを迎える喜びと新茶への大きな期待が籠もる。茶所に住んでいる作者かも知れぬ。

越されゆく柱の疵や子供の日 松原 政利(高松)

 ♪柱の傷はおととしの♪で始まる童謡「背くらべ」。この童謡は弟の視点から描かれているが、揚句は父親の視点で詠まれている。子供の時に計って、柱に付けた疵を遥かに越えた子の背丈。子どもの成長を喜ぶ気持ちとその分、年を取ったと思う父親の複雑な心情が表現されている。

気に入りの香水今日は月曜日 栗原 桃子(東京)

 週休二日制で土曜、日曜でたっぷり休養をして、リフレッシュした気分で月曜日に臨む。その弾んだ気持ちが「気に入り」の香水であり、「今日は月曜日」。山口誓子の〈麗しき春の七曜またはじまる〉とは季節は違うが心情的に通うものがある。

電子音に指図されをり夏の朝 岸  寿美(出雲)

 主婦の朝は忙しい。登校、出社のための準備。炊飯器や電子レンジの電子音が鳴って次の仕事を指図してくる。おまけに汗まみれの洗濯物までどっさり。そんなこんなの忙しさを上手に捌けるのも家族を愛していればこそ。

柏餅買つて帰れば妻もまた 坂本 健三(浜松)

 端午の節句に供える柏餅。妻を驚かそうと帰宅途中に買ったのだろう。柏餅を土産に帰ってみれば、妻も買って帰っている。お互いに顔を見合わせて笑いあう。夫唱婦随か妻唱夫随か、兎に角、気の合った夫婦ではある。

薫風やバス誘導のホイッスル 金原 恵子(浜松)

 かつて路線バスに車掌が車内で切符を切っていた頃、バックするバスを誘導するのは車掌の役目であった。この句の誘導は観光バスのガイドがしているのだろう。ピッピピッピはバックオーライ、ピーで止まれ。薫風の観光地で昔を感じている場面。

園児等の集まる所かたつむり 池本 則子(所沢)

 園児たちの集まりの真ん中にいるのは蝸牛。子ども達の好奇の目と声が蝸牛に集中している。子ども達は危害を加えないものの多勢に無勢で、逃げるにしかずと動く。それがまた面白くて園児たちが声を上げる。進退窮まった蝸牛の動きがますます遅くなってしまった。


    その他触れたかった句     

聖五月生後二日の手形とる
一鍬に筍荒き香を吐けり
洗顔の泡のとんがり夏に入る
静かなる水のくもれる燕子花
水中花泡のひとつの離れたり
磨かれし窓いつぱいに夏来る
鯉幟揚がる一軒峡も奥
旅に会ふ人みなやさし青田風
白牡丹白を極めて散りにけり
四十雀森に小さなカフェ開く
草笛に嬰の笑顔のこぼれけり
便数の減る炎天の停留所
一花にて一壺を満たす薔薇の紅
ランドセル大きく揺れて立夏かな
時の日をゆつくり落つる砂時計
麦秋やさざ波のごと来る日暮

池森二三子
落合 勝子
田渕たま子
市川 泰恵
江連 江女
野浪いずみ
山崎てる子
上尾 勝彦
鮎瀬  汀
中山  仰
町田 志郎
金原 敬子
難波紀久子
殿村 礼子
髙橋とし子
三島 明美


禁無断転載