最終更新日(Update)'22.05.01

白魚火 令和4年5月号 抜粋

 
(通巻第801号)
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5月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   渥美 尚作
「波を踏む」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
岩井 秀明、坂田 吉康
白光秀句  村上 尚子
令和四年度白魚火通巻八百号記念全国大会(東京)吟行地案内 岩井 秀明
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
青木 いく代、寺田 佳代子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜松)渥美 尚作

吊革に花見疲れの手を預く  村上  修
          (令和三年七月号 白魚火集より)
  日本のどこにでもあるような場所に桜の木はある。里山であったり城跡であったり、町中を流れる川の岸辺にも、又小学校、中学校、高校、職場近くの公園にも、最後にお世話になる寺院にまでいたるところにある。花の季節ともなれば、それぞれの所で花見の会が行われる。今日は昔の職場の同僚との花見の会があった。なつかしく少し気をゆるめ過ぎたのか、深酒となり足取りもおぼつかなくなっていた。帰りの電車に乗るが、座席がなく吊革に頼るしかない。
 非日常の楽しい一日であったが、少々の疲れが残った。
 「手を預く」の表現がうまいと思った。

木漏れ日の中にひとりの春惜しむ  寺田 悦子
          (令令和三年七月号 白魚火集より)
 冬の間に枝打ちされた林の中の木々が少しずつ新しい芽を出し、おだやかなたたずまいを見せている。春の日差しが美しい緑の葉の間を通り身に降りかかる。何とも心地良い。
 この林の中を散策しているのは自分一人しかいないのだと思うと楽しくなる。
 この春も間もなく過ぎ去ろうとしている。
 木漏れ日、ひとり、春惜しむとあっさり詠んであり、また余韻も感じられ、とても良いと思った。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 鳥雲に (静岡)鈴木 三都夫
落椿思ひ思ひの裏表
春蘭の一人ぼつちの香なりけり
蕗の薹一つ見付けて二つ三つ
せせらぎは背戸の洗ひ場芹を摘む
奔放に瑞枝を撥ねし野梅かな
山河また一年経たり鳥雲に
鳥帰る国境の空遥かにし
風蘭の心許なき吹かれ咲き

 春 (出雲)安食 彰彦
早春の光と影の古川句碑
旅伏嶺の谺は里の早春賦
頰すべる剃刀の音春うらら
玄関に笑ひ声するあたたかし
孫帰り部屋の日差しのあたたかし
三度目のコロナワクチン山笑ふ
日は高し春の日差しの傾けば
たらちねの斐伊の大河や春日和

 デパートの鏡 (浜松)村上 尚子
デパートの鏡に春の来てゐたり
てのひらのマシュマロ二色春兆す
二月礼者大福餅を提げてくる
街灯の点ればすだく春の雪
春炬燵だれかの足に触れてをり
円墳の空晴れてをり百千鳥
春北風貨車百両をつなぎゆく
馬鈴薯植う三方ヶ原のよく晴れて

 きりん (浜松)渥美 絹代
柊を挿せば踏切鳴り出しぬ
昼の月仰ぎ建国記念の日
ひと煙あげ耕のはじまりぬ
雛段の端に張子の小さき虎
つちふるやなぞへ畑の上に墓
あがりゆく凧に夕日のあたりをり
永き日やきりんはあをき物くはへ
開脚し水飲むきりんうららけし

 赤絵の町 (唐津)小浜 史都女
四温光庭にかささぎじようびたき
雨脚の明るくなりぬ柳の芽
何もせぬ疲れもありぬ梅二月
水温む潮入川に鷺かもめ
ふきのたう赤絵の町に摘みにけり
大楠の瘤にちからや冴返る
七段飾りみな色白の陶雛
雛を見て唐臼を見て赤絵町

 春の山 (名張)檜林 弘一
朝市の出店は疎ら椿東風
末黒野の真中に岩の据りたる
引鴨を吸ひ込んでゆく空の紺
啓蟄や付箋を増やす一句集
朝刊の配達員と初音聞く
吊橋を引つ張りあへる春の山
目を入れし魚拓の臭ふ日永かな
春光へひらく京都の鳥瞰図

 国々の (宇都宮)中村 國司
侵攻の始まつてゐる犬ふぐり
彼の国の田舎や春を侵さるる
せんさうと平和の挟間鳥帰る
せんさうはさせぬに限る白椿
せんさうに白鳥帰る日を忘る
雛の日の地球儀包む空気かな
そのうちの三人(みたり)の雛怒りをり
春夕焼おどしあふ世の国々の

 梅林 (東広島)渡邉 春枝
靴紐を締め直し行く梅林
すれ違ふ人に目礼梅見園
風の吹くたびに梅の香園に満つ
浅春の鳥が鳥呼ぶ昼さがり
泉亭のここが絶景うららけし
満開の梅園に引くみくじ札
片隅に薬草園ある梅林
紅梅の咲いて自粛の日々なりし

 笑顔 (北見)金田 野歩女
風花や前触れも無く音もなく
枝先の数多の氷柱触れ合へり
福豆の拾ひ忘れを拾ふ朝
吊橋の隙間覗けば雪解川
海明の此処にしか無き青さかな
雛の宴赤子笑へばみな笑顔
さりげなく合格通知ひらきあり
春駒や潮風牧を吹き抜くる

 山笑ふ (東京)寺澤 朝子
春めくや帽をあみだに似顔絵師
妓王忌の雨にけぶれる薄紅梅
涅槃絵図をろがむときは膝ついて
わかさぎの(句会兼題二区)光となりて釣ら((宍道湖))れけり
わが山の独活掘りし日よ夫とゐて
巣作りの鴉ハンガー咥へとぶ
あたたかや金の成る木に花咲いて
一つづつ身の枷解かれ山笑ふ

 腸のポリープ (旭川)平間 純一
初場所や大一番の砂を掃く
除雪車の雪の行方をながめをり
枯木にはしやべり通しの雀咲く
蒸気吹く醬油屋壁の大氷柱
白粥てふ検査食かな鬼は外
立春や腸のポリープ美しく
声あぐる囚はれの鷲流氷期
微熱でるワクチン接種おぼろ月

 黄水仙 (宇都宮)星田 一草
SLの煙崩るる枯野かな
銃の音猟犬の声谺せり
寒明くるひとり体操骨鳴らす
黒土の畝間正しく麦青む
しつかりと二月の庭の土を踏む
約束を残せし母の黄水仙
早暁の沙羅の芽吹きのひかりかな
東に雲のたなびく春の月

 蕨餅 (栃木)柴山 要作
泣き笑ひの老々介護日脚伸ぶ
けふも噴火ぞ待春の土竜塚
大神(おほみわ)の杜叩く啄木鳥(けら)寒明くる
先陣は百羽北帰の小白鳥
水紋の()げが光げ追ふ犬ふぐり
また少し春田の貌に昨夜の雨
蘆の角一点となる鳶の輪
耳に残る巴波(うづま)舟唄蕨餅

 春雨 (群馬)篠原 庄治
風邪気味の舌に転ばす白湯甘し
心身の何処か緩みぬ今朝の春
今朝も又朝寝許さぬ雪を搔く
天を突く辛夷のつぼみ春近し
たたみ皺付きたるままの春ショール
寡夫となり耐へし一年二月尽
春耕や天地返しの坪畑
春雨や垂るる雫の円かなり

 立春 (浜松)弓場 忠義
立春のひかりの中に山羊の髭
砂浜に足投げ出して浅き春
早春の日の匂ひたるバスタオル
筆立てにルーペを戻す春の宵
七曜のありてなき日々水温む
風船の我が息足らず妻の足す
浮かれ猫柱に深き爪の痕
吉良邸の本所松坂柳絮舞ふ

 雛の膳 (東広島)奥田 積
瓦屋のうすらびかりや風花す
早春の雲の動きを見てをりぬ
末黒野をかけゆく小鳥飛ぶ小鳥
卒業の花束二つ胸にだく
(しで)吹く風せつぶん草の大群落
酒麹のもろみの蓋に紙雛
蒸籠(せいろう)も展示品なり土雛
旅だつ子に調へてゐる雛の膳

 冴返る夜 (出雲)渡部 美知子
冴返る夜や一片の月を上げ
百年の学舎に降る初音かな
立ち話に割つて入りぬ春の鳥
ほどほどといふこと知らずうかれ猫
二月尽関守石の縄ゆるぶ
肩よりは雫となりぬぼたん雪
受験子の付箋あふるる参考書
屋根よりの雪解雫の三拍子



鳥雲集
巻頭1位から10位のみ
渥美絹代選

 鳥雲に入る (浜松)安澤 啓子
冴返る指にぴしつと静電気
涅槃西風切れ味悪き裁ち鋏
鳥雲に入るや住持の跌足袋
啓蟄や泥煙あげ池の鯉
淡雪やけむりのにほふ登り窯
薫風や胸にオカリナぶら下げて

 春夕べ (東広島)吉田 美鈴
雪しづる音に目覚めし母の家
畝高く立つる背戸畑笹子鳴く
春待つや靴底厚きスニーカー
浅春の鱗張りつく出刃包丁
囀や出払つてゐる農具小屋
譜面台立てて運べり春夕べ

 水温む (多久)大石 ひろ女
なやらひの鬼の逃げ道開けておく
きさらぎの月の雫に兄の逝く
星霜の祖母の命日水温む
うすうすと明けの明星春の鴨
犬ふぐり淋しき時は空を見て
ささやかに喪中に雛を飾りけり

 春雪 (隠岐)田口 耕
ぐいぐいと井戸水をくみ春動く
雪解水筧をまろびつつ来たる
春泥の脛光らせて牧の牛
春雪へ足跡つけにくる烏
松籟の渦まく御陵紅椿
起上り小法師寝ころぶ春の朝

 野鳥図鑑 (札幌)奥野 津矢子
地吹雪や蹴りたき缶の転がり来
春隣野鳥図鑑を食卓に
教壇に豆腐一丁針供養
鳥帰るみんな地球に生きてをり
弾ませて軽きレタスを買ひにけり
折紙の孔雀七色風光る

 猫の顔 (宇都宮)星 揚子
はち蜜の淡き乳色水温む
涅槃会や一つ増えたる土竜塚
柱より猫の顔出す涅槃寺
川の名の古き料亭立雛
鳥鳴けば摘草の手を止めにけり
浮き出づる線刻仏や春時雨

 蕪蒸し (松江)西村 松子
蕪蒸し夜はみづうみの波荒し
かの世でも(仙花師を偲びて)ひとり冬田を打たるるや
冬耕のときをり見たる海の紺
寒禽の一瞬零す瑠璃のいろ
板一枚渡す小流れ梅探る
走る子の靴の音より春立てり

 早春 (稲城)萩原 一志
縮面の雪の棚田に晒さるる
早春の光へ稚児(やや)の一歩かな
はだれ野や村にくじらの滑り台
山独活の笊一杯に香の満つる
ダービーを目指す厩舎の仔馬かな
立雛の裾縫ひ直す夕べかな

 うすらひ (一宮)檜垣 扁理
うすらひに一声落とし明鴉
如月の注射器の針皮膚を刺す
月おぼろ裸電球やはらかし
日だまりに星をちりばめ犬ふぐり
揚雲雀昼の月見え星見えず
未だ旅の途中や回れ風車

 初蝶 (諏訪)宮澤 薫
初蝶の三尺飛んで地に沈み
涸川にもどる水音蝶生る
神木の杉の花粉をかむりけり
子安社の底ぬけ柄杓雪解風
禅林を訪ふ紅梅の女坂
繭倉を酒亭となせり鳥雲に



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 岩井 秀明(横浜)
百二歳の父に二粒年の豆
立春や散歩の犬の尾を振りて
八幡に柏手二つ冴返る
丸山の遊女着飾る絵踏かな
猫の恋犬は時々薄目して

 坂田 吉康(浜松)
立春と知り散髪を思ひたつ
盆梅の咲いて近づく正文忌
雄鶏のよく鳴く日なり地虫出づ
馳くる児が止まればとまる風車
落つる度地球を頭突き奴凧



白光秀句
村上尚子

猫の恋犬は時々薄目して 岩井 秀明(横浜)

 犬と並び猫はペットとして人気が高い。世話に時間や手間がかからないのも人気の一つらしい。しかし途中で見捨てられる猫も後を絶たない。そんな猫にも恋の季節はやってくる。発情した雌猫に誘われて雄猫も発情する。特に雄は昼も夜も食べることも忘れ、傷を負ってまでさ迷い歩く。そんな猫の姿を我関せずと見て見ぬ振りをしている犬。「薄目して」とは言い得て妙であり、滑稽である。
  丸山の遊女着飾る絵踏かな
 キリスト教を弾圧していた頃の「絵踏」である。旅先か資料館などで見掛けたものだろう。遊女達が着飾ったまま絵踏をする姿は反って哀れである。疾うに廃止されたことだが、今も春の季語として生きている。
 〈遊び女のちひさき足の絵踏かな 細川加賀〉は、その姿を一層細やかに伝えている。

落つる度地球を頭突き奴凧 坂田 吉康(浜松)

 作者のお住まいの浜松市では、男児の初節句を祝い凧を揚げる習わしがあり、多くの観光客で賑わう。それぞれの凧には初子の名前や町の名前が書かれ、勇壮な凧合戦が始まる。しかし、この句は近くの子供達だけで遊んでいるのだろう。凧の具合が悪いのか、風が無いのか思うようには揚がらない。揚がったと思えば逆さになって落ちてくる。その様子が「地球を頭突き」である。奴凧だけに臨場感が高まった。
  立春と知り散髪を思ひたつ
 散髪は特別な事でもない限り、それ程こだわることではない。退職後の身となれば尚更である。さもない事を「立春」という暦の節目に思い立ち行動したところが面白い。鏡に写った散髪したての姿にいつもとは違うものを感じたに違いない。

星一つ加へて宵の犬ふぐり 福本 國愛(鳥取)

 早春の日当りのよい草むらに、星を散りばめたように咲くいぬふぐり。夕刻ともなれば子供達の声も消え空には星が出番を待っている。いよいよメルヘンチックの世界が繰り広げられる。

大らかな埴輪の笑みや寒明くる 沼澤 敏美(旭川)

 言われてみれば人物の埴輪は確かに口を開けている。衣服や装飾品、武器などは当時の暮しを表わしているというが、顔の表情は素朴ななかにも感情が表現されているという。いつの世も「笑み」は人の心を慰めてくれる。

区役所に岡持届く春の雪 鈴木 敦子(浜松)

 アメリカから伝わったという〝ウーバーイーツ〟だが、コロナウイルスの蔓延に伴い都会では日常的なものとなった。しかし、地方によっては「岡持」による配達は捨てがたい。春の雪の散らつくなかを配達されたものには温かい湯気が立ち上ったに違いない。

鏡台をきれいに拭いて春を待つ 若林 眞弓(鳥取)

日本の四季のなかで最も待たれるのは春である。寒い地方なら尚更であろう。鏡台を拭くことはそれ程特別なことではないが、季語と相まって作者の心の内が投影されている。

卵割る音こつこつと春来る 太田尾千代女(佐賀)

 物事を感じ取るには五つの感覚器官があるが、ここでは聴覚が働いている。「こつこつ」という音を聞いた瞬間に春を感じ取った。待ちかねていた春の足音である。

春昼の卓に紅茶とビスケット 原 美香子(船橋)

 テーブルの上に紅茶とビスケットが置かれているだけのシーン。季語に夏の昼や冬の昼がないように「春昼」により、明るい日差しと楽しそうな話し声が聞こえてくる。この部屋の時間だけはゆっくり進んでいるようだ。

大根漬踏んで重ねて又踏んで 飯塚富士子(牧之原)

 よほどたくさんの大根を漬けているのだろう。大きな樽の底が見えなくなるまで並べ、その上に塩や糖をまんべんなく振り、次々と重ねてゆく。作業の工程を順序だててリズムよく表現し、経験のない人にもよく分かる。

春一番胸の釦の弾け飛ぶ 本多 秀子(浜松)

 立春過ぎに初めて強く吹く南風。この風により木の芽がほころびるという。火事や海難事故のもとともなるが、本格的な春の訪れに期待はふくらむばかり。「胸の釦」が代弁している。

吉報の春一番が戸を叩く 唐澤富美女(群馬)

 「春一番」の副題には春二番、春三番があるが、この句に限り春一番でなければならない。吉報が叩く音とはどんな音だろう。俳句ならではの表現である。


  その他の感銘句

歩かねば棒となる脚犬ふぐり
折鶴のどこも鋭角凍返る
飲み薬みなカタカナやつくしんぼ
教壇の大きそろばん春の昼
東風吹かば青春十八切符買ふ
忘れもの探してゐたり納税期
たまご焼の卵溶く音春の朝
寒明や合はせ鏡の右ひだり
失恋の数だけ作る雪だるま
虹色のポイントカード春兆す
包丁を研ぎて春日にかざしけり
経蔵の牡丹の鏝絵鳥つるむ
恋猫の尻尾を立てて庭過る
ストレスも病のひとつ二日灸
春の昼地下街で買ふメンチカツ

川本すみ江
山田 哲夫
西山 弓子
森  志保
砂間 達也
川上 征夫
徳永 敏子
高山 京子
安川 理江
坂口 悦子
中村美奈子
松崎  勝
榎本サカエ
斉藤 妙子
河森 利子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 浜松 青木 いく代
菜の花忌砂丘に沖の船ながめ
黒板に解けぬ数式冴返る
竹林の高みを渡る風二月
二つ三つ残して摘めり蕗の薹
川縁の親子を映し水温む

 多摩 寺田 佳代子
春の雪ときをりペンを休ませて
梅ふふむ手を打ち鯉を呼び寄する
オカリナの音や紅梅の向かうより
公魚釣少年の目に湖の青
諍ひの羽音水音春の鴨



白魚火秀句
白岩敏秀

菜の花忌砂丘に沖の船ながめ 青木いく代(浜松)

 菜の花忌は小説家司馬遼太郎の忌日で二月十二日。数多くの歴史小説を書いたが『菜の花の沖』もその中の一つである。沖を行く船に、小説の主人公である廻船商人高田嘉兵衛の姿を重ねながら眺めているのだろう。「修忌とは、生前の故人のことを想いだすことが第一」と仁尾先生の教えである。
  黒板に解けぬ数式冴返る
 簡単な数式であるが、簡単に解答が見つからない難問題。中には懸賞金の掛かった問題もあるという。黒板の数式はそれほどまでに難しいものなのだろう。進級のシーズン。チョークの白さが視覚的にも心理的にも寒さがぶり返した気分。

諍ひの羽音水音春の鴨 寺田佳代子(多摩)

 大方は北方へ帰ってしまって、広くなった湖で始まった諍いの水音羽音。広い湖なのでテリトリーや餌の奪い合いは必要のない筈。他より少しでも多くという欲からの諍いか。鴨の世界に人の世をみる思いがする。
  公魚釣少年の目に湖の青
 公魚は寿命一年の年魚で、普通五センチから八センチぐらいの大きさである。氷上釣りが有名だが、氷のない湖でも釣れる。寒さの中でじっと湖面を見詰めている少年。その目に映る湖の青さに少年の一途さがある。

いきいきと風になじみて奴凧 坂田 吉康(浜松)

 奴凧は奴が筒袖を着て左右に両手を広げた形の凧である。奴とは武家屋敷で働く身分の低い者を言った。普段は平身低頭で主人の言いなりの生活をしているが今日は違った。よい風を得て高く高く揚がっている。普段の苦労を忘れて喜んでいるだろう奴の姿が見てとれる。
 
流れゆく水を見つむる余寒かな 中嶋 清子(多久)

 春といえど暖かさからは程遠く、岸辺を吹く風もまだかたい。雪解けの始まらない川の水も細々と寒さを曳いて流れて行く。〈うしろより見る春水の去りゆくを 山口誓子〉誓子の句は春の川を後ろから見ているが、これは余寒の川を真横から見つめている。

八十の現役集ふ農具市 貞広 晃平(東広島)

 農具市は農作業が始まる前に、鎌や鍬等の農業に必要な用具を売る市のことで、近郷の人達で賑わう。今年も農具市に集まってきたのは八十歳台の現役の人ばかり。元気といえば元気だが、これからの農業の行く末が案じられる農具市である。

五大陸の縮図めきたる春の泥 安藤 春芦(浜松)

 五大陸は五大州ともいい、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、オーストラリアをいう。雨の降ったあとに出来たぬかるみが五大陸の形をしていると見た。宇宙から地球を俯瞰しているような気宇壮大な句である。作者は大学生。

新しき校舎の灯る春の宵 前田 里美(浜松)

 旧校舎を新築したのか、学校の統合で新校舎ができたのか。夕方になると校舎に明かりがついた。開校への準備に忙しいのだろう。新しい学校に新しい歴史が始まる春の宵である。

道脇の雪の高さに子等の影 畠山 香月(函館)

 今年はいつまでも寒く、雪も多く積もった。雪を搔いても搔いても積もり、そうして搔き上げた雪の高さが、子ども達の背丈を越えて壁になった。子ども達は雪の白い壁に影を映しながら、毎日登校や下校をする。雪国の積雪の凄まじさを如実に示した句である。

春耕や明るき声の農夫かな 岩田久美子(雲南)

 雪が解けて草萌が始まると、あちらこちらの田や畑で農作業が忙しくなる。耕す隣同士で交わす挨拶、道を通る人との挨拶。明るい声は明るい春が来た喜びでもある。

春浅し婆の一団声より来 長田 弘子(浜松)

 春は名ばかりと言えど春は春。冬の間、炬燵を守っていた婆様たちも動きやすい季節になった。何をする為か婆様の一団が早速にやって来た。足の運びは遅いが、口はまだまだ達者。それを証明するものが「声より来」。人生百年の時代である。


    その他触れたかった句     

春めくや手紙載すれば針揺れて
日脚伸ぶ命の伸ぶるごとくなり
春の昼講師のチョークよく折れて
似合ふより好きを選びぬ春の服
春の闇光の棒めく列車かな
泣くほどにくちびるかわく春火桶
石橋に梅の影這ふ月夜かな
ふらここのひと漕ぎ空を裏返す
猫柳水も豊かに暮れにけり
鷹の舞ふ里は静かに暮れにけり
平家谷赤旗神社寒椿
初宮参り鶯の鳴いてをり
ぐづる子を胸に抱きゐて暖し
武蔵野の林の名残独活芽吹く
薄氷に虹色を見る朝ぼらけ
美術館音の冷たき掛時計
クロッカス空の青さに気づきけり

岡  久子
埋田 あい
古橋 清隆
鈴木 花恵
牧野 敏信
材木 朱夏
土屋  允
高橋 宗潤
山西 悦子
樋田ヨシ子
板木 啓子
三浦紗枝子
淺井まこと
大嶋惠美子
渡部 忠男
渡邉知恵子
清水 京子


禁無断転載