最終更新日(Update)'22.04.01 | |||||||||||||||
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白魚火通巻八百号を迎えて 白岩 敏秀 |
季節の一句 大石 ひろ女 |
「合掌」 (作品) 白岩 敏秀 |
曙集・ 鳥雲集 (巻頭10句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか |
白光集
(村上尚子選)
(巻頭句のみ掲載) 荻原 富江、長島 啓子 |
白光秀句 村上 尚子 |
白魚火集(白岩敏秀選)
(巻頭句のみ掲載)
内田 景子、藤田 光代 |
白魚火秀句 白岩 敏秀 |
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白魚火通巻八百号を迎えて |
白岩 敏秀 |
白魚火はこの四月で通巻八百号に達しました。これまで一度の欠刊や合併号もなく続けて来られたことは、一重に諸先輩や会員の皆様の温かいご支援によるものと深く感謝申し上げます。 白魚火は昭和三十年九月に元郵政省松江地方貯金局で産声を上げました。当時は荒木古川先生によるガリ版刷りの白魚火誌で、投句者は三十二名ということでした。今は七百人近い会員のそれぞれが切磋琢磨して俳句の向上を目指しています。 白魚火は富安風生の直弟子であった西本一都を初代の主宰として、荒木古川、仁尾正文と続き、現在は四代目となっています。 この間に、何の危機もなかった訳ではありません。中村春逸から一都先生が選者を引き継いだ昭和三十四年から主宰に就任する昭和三十八年まで、主宰のいない時がありました。そして、主宰の一都先生が昭和六十年に病気で倒れられたときは、副主宰の栗間耿史先生が選に当たられ困難を乗り越えました。平成三年に一都先生が急逝されて一番の危機を迎えましたが、同人会長の藤原杏池先生が白魚火代表となり、速やかに白魚火が平常に復しました。このような数々の困難を解決する中心に荒木古川先生がいました。先生は怒濤のような困難な時期に編集と白魚火誌の運営に見事な手腕を発揮されました。 平成七年に代表の藤原杏池先生が病気により代表を辞任されると荒木古川先生が主宰に就任されました。そして、平成十年に島根県から「島根県文化奨励賞」を授与されました。白魚火誌の発行により「文化の発信」を続けてきたと評価されたのです。同十二年、先生は編集の全てのノウハウを現編集長の安食彰彦氏に伝授して逝去されました。その後は仁尾正文先生が主宰として白魚火を指導してきました。 一都・古川両先生が白魚火の基礎を固めたとすれば、仁尾先生は白魚火の名を全国に知らしめたという大きな実績を残されました。先生によって地方結社から全国結社へと飛躍したのです。先生は足繁く各地区の句会へ出席されて、会員との絆を深めて来られました。今でも先生を慕う会員は多いのです。 八百号までの道のりは、平坦なときもあり、険しいときもありましたが、その都度にベテランも新人も力を合わせて、白魚火のために立ち上がっていただきました。この絆が白魚火の強さであり、社風といえましょう。 白魚火を支えているベテランの曙作家がおり、それを取り巻いて鳥雲作家がいます。さらにそれを囲むように同人や誌友が俳句の向上を目指して切磋琢磨しています。この勢いが八百号から次のステップへの原動力となっています。 これからも白魚火の「足もて作る」俳句をモットーに、更に前進をしたいので、会員ならびに関係各位の変わらぬ御支援をお願い申し上げます。 |
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季節の一句 |
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(多久)大石 ひろ女 |
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有るところにはこんなにも犬ふぐり 横田 じゅんこ
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曙 集 | |
〔無鑑査同人 作品〕 | |
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寒明(静岡)鈴木 三都夫 |
靴紐(北見)金田 野歩女 |
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鳥雲集 | |
巻頭1位から10位のみ | |
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ペンケース(藤枝)横田 じゅんこ |
日向ぼこ(浜松)阿部 芙美子 |
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白光集 | ||
〔同人作品〕 巻頭句 | ||
村上尚子選 | ||
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荻原 富江(群馬) |
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初電車白寿の婆と隣り合ふ |
陶山 京子
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白魚火集 |
〔同人・会員作品〕 巻頭句 |
白岩敏秀選 |
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唐津 内田 景子 |
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白魚火秀句 |
白岩敏秀 |
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ぼた山も今日は名山初日の出 内田 景子(唐津) |
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