最終更新日(Update)'21.10.01

白魚火 令和3年10月号 抜粋

 
(通巻第794号)
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10月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   西田 美木子
「赤い実」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 三原 白鴉ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
塩野 昌治、妹尾 福子
白光秀句  村上 尚子
栃木県白魚火総会 俳句大会報告 谷田部 シツイ
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
青木 いく代、寺田 佳代子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(江別)西田 美木子

秋刀魚焼く太平洋の色のまま  花木 研二
          (令和二年十二月号 鳥雲集より)
 太平洋側の釧路漁港に水揚げされる秋刀魚は、脂がのっていて焼くと香ばしく美味しい庶民の味だった。しかし昨今、回遊魚である秋刀魚は、地球温暖化の所為か不漁が続いていて「高級魚」になってしまった。
 作者はオホーツク海側の北見市在住。北海道の夏の海は、オホーツクブルー・積丹ブルーと呼ばれその透き通った青が美しい。青魚である秋刀魚は焼いても、太平洋ブルーとでも言いたい位ぴかぴかと美しいままだった。

ままごとの飯もお菜も菊ばかり  伊東 美代子
          (令和二年十二月号 白光集より)
 一読、と言うより上五・中七まで読んだところで、星野立子作「ままごとの飯もおさいも土筆かな」が頭に浮かんだ。
立子作は季語「土筆」の印象で普段の食卓風景が連想されるが、掲句は「菊ばかり・・・」と結んだ事で、色とりどりの菊の花が見えてくる。食卓には御馳走が並んでいる。

花野みち富士に向かひて伸びにけり  大石 益江
          (令和二年十二月号 白光集より)
 作者がお住まいの茶所牧之原からは富士山の美しい姿が間近に見られるのだろうか。他の作品からお茶の他に稲作等もされている様子。
 俳句は自然の営みと共にあり、農業も自然相手。正に農家の方は常に俳句の題材と共に暮らしている。
 日本人の誇り、日本の象徴とも言える富士山を仰げば、道沿いには富士山に向かって花野が続く。何とも美しい光景。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 夜涼 (静岡)鈴木 三都夫
碧潭を一閃掠め岩燕
河鹿鳴く恋々とはた嫋々と
民宿の蚕屋の名残の夏炉かな
ふくらんで来し滴りのもたせぶり
瓜の蔓摑みそこねしもの探る
サングラス外せば山河一変す
望郷に似て玫瑰を去り難し
足元に汐の満ちくる夜涼かな

 出水 (出雲)安食 彰彦
梅雨滂沱樋をあふるる音のみが
出水急道も畑も川となり
出水急またも線状降水帯
出水急あつと云ふ間に床の上
目いつぱいの泥土と芥出水あと
手渡しの土嚢担ぎし出水あと
ともかくも出水のあとの拭き掃除
御佛も神も出水を教へざる

 明易し (浜松)村上 尚子
運河より始まる航路明易し
ハンカチの木の花風を待つてをり
葉を叩く音より白雨きたりけり
ねむの花言葉遣ひのきれいな子
白靴の一団バスに吸ひ込まる
隣の子めだかに声をかけにくる
祝宴の上座に細る花ごほり
みどり子の裸またもや逃しけり

 牛の顔 (唐津)小浜 史都女
梅雨ひぐらし涙が乾くまで鳴けり
天山の匂ふばかりよ植田晴
沙羅落花咲くときよりも美しく
夕菅に玄海灘の紺締まる
黄菅咲き牛一斉に動き出す
三伏やふり向く牛の顔四角
海底の魚としばらく遊山船
実を結ぶ瓢にくびれ出来てをり

 広島忌 (東広島)渡邉 春枝
夏休み佛間にこぼす海の砂
砂に書く思ひの一句夏怒濤
自他ともに許す我がまま夏休み
蟻の道踏みたる後の悔少し
再会の話の尽きぬソーダ水
酒蔵の裸電球青すだれ
山に来て海を見てをり晩夏光
広島忌祈りて心静めけり

 切子灯籠 (浜松)渥美 絹代
よき声の鳥を近くにハンモック
ふるさとの茶を濃くいれて暑気払
波の音聞きつつ崩すかき氷
寄りてくる父の在所の黒揚羽
遠雷や畳にこぼす供花の水
夜の秋三和土に下駄の音ひびく
山の水引きたる蕎麦屋ぎすの鳴く
夕日受け切子灯籠よく揺るる

 天の川 (北見)金田 野歩女
えごの花距離をとつての立ち話
寝付かれぬ子のむづかるや半夏生
駒草や山水を引く宿の池
待ち合はす南部風鈴鳴る茶房
標的にさるる先生水鉄砲
整ひし三日の日和梅を干す
くつきりと北見の空の天の川
鮮度佳き鰯手開きさくさくと

 夜の秋 (東京)寺澤 朝子
南無と経唱へて朝を涼しく居
緑蔭に憩ふ白衣の医学生
ビルの間のこんな処に姫女苑
雨のちの夕焼全天朱に染め
夏の霧生絹(すずし)のべたるやうな宵
職退きし子への贐冷酒酌む
羅を幾年寝かせ老いゆくか
思ひ出は秘して語らず夜の秋

 涼気さす (旭川)平間 純一
神木の大楡注連に涼気さす
鈴なれる風鈴の路風いちぢん
噴水のひと呼吸入れまた昇る
胸元をかざり七星てんとむし
深く座するコタンの長や鬚涼し
焚く人のなきチセの炉蠅一匹
群れ鳩の晩夏の光啄みて
八月やかつて軍靴がこの橋を

 さくらんぼ (宇都宮)星田 一草
九九上手割り算上手さくらんぼ
さくらんぼ双子のやうな姉いもと
白鷺のじつと動かぬ目に射らる
梅雨深し淀みに鴨の黙ふたつ
梅雨明くる真つ赤な花の咲きてより
牧の牛臥して動かず雲の峰
一匹の蚊に惑ひゐてひとりかな
天道虫葉先まで来て飛び立てる

 青時雨 (栃木)柴山 要作
空と出合ひやつと秀を解く今年竹
青嶺映る放牧牛の瞳かな
鳴りやまぬ風鈴激つ竜吐水
滝行や飛沫の光る蜘蛛の糸
賓頭盧の美しき玉眼青時雨
夏籠や餌に飢ゑたる鯉の群
熱き視線父の手元に西瓜切る
頰骨の尖る石工や秋暑し

 夏座敷 (群馬)篠原 庄治
遠郭公ひなか谺の浅間山
そよぎ合ふ丈に揃ひし青田かな
我が味となる糠床のなすび漬
風鈴や音の届かぬ亡妻に吊る
通る風褒め座りたる夏座敷
冷奴一皿肴に独り酒
桃を喰ふ皿の汁まで舐め尽くし
牧水像霧に濡れたる旅衣

 白雨 (浜松)弓場 忠義
滴りの一粒に足る齢かな
引き潮の汀にのこる晩夏光
みづうみの一隅ぬらす白雨かな
鰻焼く昼酒の酔ひまはりたり
へぼ茄子の油断ならぬは蔕の棘
浮雲にひかりを含み仏桑花
のぼりつつ凌霄の花こぼしをり
鬼灯を抱き地下鉄に乗りにけり

 一本道 (東広島)奥田 積
鍬の柄に楔打ちこむ朝ぐもり
牧牛の艶めいてゐる半夏生
生きて見る五輪炎暑の続きをり
炎帝やチャレンジといふしばしの間
疲れたる目に点じたる夏薊
蟬しぐれ一本道のあるばかり
立秋や新調したる夫婦箸
流星や今は使はぬ釣瓶井戸

 群青を行く (出雲)渡部 美知子
夏怒濤岩肌にたつ潮けむり
汗の子の絆創膏を貼りなほす
選句の手止めて聴きゐる祭笛
砂浜に尻あと二つ大夕焼
海の日の群青を行く白帆かな
炎天へきれいに揃ふ四拍手
風走る青水無月の参道を
神木の太き走り根晩夏光



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 水の帯 (出雲)三原 白鴉
泡ひとつ吐いて金魚の潜りけり
一本の棒切れとなり蛇泳ぐ
浮かぶものみな浮かばせて梅雨出水
風死すや糶場に光る水の帯
大西日割つて電車の来たりけり
単線の長き待合ひ蟬時雨

 青田波 (牧之原)坂下 昇子
サーファーの海を傾け転落す
昼顔に潮風強き日なりけり
潮の香の届くお堂や浜万年青
浜木綿や夜風に潮の匂ひして
青田波うねりに重さ見えて来し
静けさのつのりて蓮の花開く

 髪洗ふ (浜松)林 浩世
磐座へ届く水音初夏の風
十薬へ午後の雨脚強くなり
目高飼つて少年いつも一人きり
地底より呼んでゐたるか牛蛙
緑雨かなパン屋は小さき灯をともし
髪洗ふ明るさのまだ残る空

 金亀虫 (呉)大隈 ひろみ
虹の輪をくぐりて子らの帰り来る
坂下へ豆腐を買ひに梅雨夕焼
梅雨ふかしマッチで点す仏の灯
暮れがたの空のむらさき月見草
青茅の輪くぐれば風の軽くなる
いつたんは捨てし句拾ふ金亀虫

 青すすき (東広島)吉田 美鈴
青すすき方位磁石は隠岐を差し
山襞の深きより湧き夏の霧
テントの灯消え満天の星あかり
昼顔や時をり波の立ち上がり
満席のフェリー出航夏の星
浮雲の流るる早さ茄子を捥ぐ

 庭花火 (苫小牧)浅野 数方
空知野の青田の中のバス通り
打水や玄関にまだ夫の靴
遺言は聞かぬ儘なり冷奴
夕涼や猫に鼻先舐められて
健診を終へて愉しむ庭花火
ダリア切る寂しき心切るやうに



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 塩野 昌治(浜松)
遠郭公牧の傾斜を放れ馬
道逸れて冷素麺を食ひにゆく
半分はこぼれ両手の山清水
ハンモック乗りたがる子と入れ替はる
綿菓子を大きく育て海の家

 妹尾 福子(雲南)
夏萩や土階十段風の道
笑ひ声生まるる法座蟬しぐれ
垣越しに嬰の笑顔や凌霄花
朝顔や手作りのパンこんがりと
湯上がりのシャボンの匂ふ星月夜



白光秀句
村上尚子

綿菓子を大きく育て海の家 塩野 昌治(浜松)
 綿菓子と言えばすぐ縁日の出店を思いだす。しかしこの句は「海の家」というところに意外性がある。言われてみれば確かに色々なものが売られている。浮輪やおもちゃに加え弁当や駄菓子等々・・・。その上綿菓子まであれば泳げない子供達も退屈することはない。
ほんの少しのざらめ・・・が加熱回転する綿菓子機にかけられると溶けて霧状となり、割箸にからめられて膨らんでゆく綿菓子。大人が見ていても楽しい。
 一日も早くコロナ禍を抜け出し、当り前の時間を子供達に楽しませてやりたい。
  遠郭公牧の傾斜を放れ馬
 山の地形をそのまま利用した牧場である。柵の中とはいえ制約があるらしい。この馬はその制約を解かれて自由にしている。遠くで鳴く郭公まで一緒になって喜んでいるようだ。

笑ひ声生まるる法座蟬しぐれ 妹尾 福子(雲南)
 「法座」という少し改まった席である。集まった人達も顔見知りとは言え、観劇やコンサートのときとは違う面持ちである。説法の内容は得てして堅苦しいものだが、ここでは通り一遍のものではないらしい。ありがたい教えのなかにもユーモアを交え語られている。
 本堂を囲む広い庭からは、たくさんの蟬が加勢をしているように鳴いている。法座を聞き終わった面々のにこやかな話し声が聞こえてくる。
  夏萩や土階十段風の道
 大修館の四字熟語辞典に「土階三等」という言葉がある。それは宮殿の入口に土の階段が三段しかないということで、いわば質素なことをいう、と書いてある。この句は十段あるというが、宮殿ではなく、単なる庭園か公園だと解釈した。そばに咲く夏萩が涼しい風を呼んでいる。

李もらふ隣も夫婦ふたりなり 三加茂紀子(出雲)
 昔に比べ近所付合いは希薄になった。しかし、場所によっては根強く残っている。この句からは現代の核家族と、隣同士の良い意味での暮しぶりが見える。何かにつけて助け合っているのだろう。

ここやしの寄する浜辺や初嵐 古橋 清隆(浜松)
 この句を読めばすぐ伊良湖岬と島崎藤村の「椰子の実」の歌を思いだす。一つの椰子の実が黒潮に乗って長い旅の末、流れ着いたという場所である。「初嵐」が秋を知らせる風だと思うと、その思いは一層深くなる。

花茗荷摘む暮六つの鐘の音 陶山 京子(雲南)
 一般的に食用とするのは茗荷の子で、料理のつまや薬味に使われる。その時期が過ぎると先端へ淡い黄色の清楚な花をつける。小鉢などへ浮かべて楽しむこともできる。遠くから聞こえる夕暮れの鐘の音を聞きながら、都会では味わえない贅沢な時が流れている。

朝蟬や仏花の水を替へてをり 清水 京子(磐田)
 日課として仏壇の水を替えている。外では早くも蟬が鳴き始めた。暑くなりそうな日には、それなりに蟬も頑張って鳴いているような気がする。先祖に今日の無事を願いつつ、夏の一日が始まろうとしている。

蟻の列砲台跡にひびあまた 内山実知世(函館)
 この砲台は函館市にあるもので、作者も見馴れているはずである。しかしそこへたまたま表れた蟻の列に目が止まった。最も強固な構築物と最もこわれやすいものとの対比。「ひびあまた」に長い歳月と歴史を思う。

薔薇満つる坂やイギリス領事館 工藤 智子(函館)
 同じ函館の景だが趣は変わる。市内には数々の歴史的建造物があるが、旧イギリス領事館もその一つ。薔薇が咲き誇る坂を上り詰め振り向けば眼下に函館湾が広がる。平成二十一年度の白魚火全国大会の開催地でもある。

日焼してチームワークの輪の中に 仲島 伸枝(東広島)
 試合の前、円陣を組み大きな声を出してチームは一丸となっている。日焼は日々の厳しい練習のあかしでもある。健康的な少年少女達に大きな拍手を送りたい。

夏空へ東京タワーの赤き骨 西山 弓子(鹿沼)
 東京スカイツリーが出来、高さでは二番手となった。しかし建設当時はエッフェル塔より九メートル高いというのも自慢だった。それ以来多くの人達を喜ばせてきた。「赤い骨」にはそれぞれの思い出が詰まっている。

新しき二本の竹刀夏休み ⻆田 和子(出雲)
 夏休みに新しいことに挑戦するのは絶好の機会である。「二本の竹刀」は兄弟のものだろうか。二学期が始まる頃にはもっと逞ましくなっているに違いない。


その他の感銘句

梅雨に入る庫裡に転がる(うへ)ふたつ
八月の白波し吹く九十九里
水揺れて開かむとする蓮の花
土偶みな好きな方向き夏の雲
端居して町の謂れを聞いてをり
守宮来る雨の湯殿の磨硝子
案外と生真面目な人サングラス
玫瑰や海に裾引く利尻富士
辛口のキーマカレーや夏休み
供花選ぶ先づはポンポンダリアから
明易し母に最後の添ひ寝して
土用太郎一片の雲動かざる
籐椅子に今は人形座らせて
浜木綿や浮灯台に灯の点る
唐黍の畑のマネキン項垂れ

鈴木 利久
橋本 晶子
大石美枝子
廣川 惠子
吉原 紘子
三島 明美
山口 悦夫
沼澤 敏美
花輪 宏子
田島みつい
榛葉 君江
岡部 章子
佐藤やす美
柴田まさ江
永島のりお



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

浜松 青木 いく代
橋ふたつ渡つて茅花流しかな
遠青嶺少し離れて雲動く
炎天を来て東京の地下に入る
沈黙を運ぶ東京メトロ朱夏
遠雷やかすかな記憶確かにす

多摩 寺田 佳代子
桟橋を突いて漕ぎ出す貸ボート
足下へ水鉄砲の流れ弾
魚の影見失ひたる滝しぶき
放たれて矮鶏は溽暑の砂を浴ぶ
湯上がりの子へも声掛け庭花火



白魚火秀句
白岩敏秀

橋ふたつ渡つて茅花流しかな 青木いく代(浜松)

 「茅花流し」は茅花の穂がほぐれて綿状になる頃に吹く南風で、季節風である。橋を二つ渡って郊外へ行ったのだろう。行き着いた野原では茅花の銀穂が一斉に靡いていた。橋という人工物を抜けた後に広がる白い草原。思わず大声を出したくなるような開放感がある。
  沈黙を運ぶ東京メトロ朱夏
 この句の背景にはコロナ禍が潜んでいる。喧噪の東京が沈黙するほどのコロナウイルスの蔓延。そして、沈黙を強いるマスク。もの言わぬ人々を、ただ運んでいる東京メトロ。東京の暑い夏である。

桟橋を突いて漕ぎ出す貸ボート 寺田佳代子(多摩)

 オールで桟橋をトンと突いてボートを湖へ押し出す。若い二人だけの世界への出発である。「桟橋を突いて」の具体的な動作に若さがある。貸しボートの親父さんの満足そうな顔も見えてくる。
  足下へ水鉄砲の流れ弾
 間一髪で躱して、足下を濡らした水鉄砲の流れ弾。しかし、敵もさるもの。次々に水鉄砲を撃ってくる。やがて、命中してしまう。追ったり逃げたりして、水遊びを楽しんでいる様子が「流れ弾」にある。

送り火の煙座敷に戻り来る 大石 弘子(牧之原)

 盆も無事に終わって、先祖を送る苧殻を焚いていると、その煙が座敷に戻って来たという。やがて煙は吹いてきた風に連れ去られて、何事もなかったように消えていった。先祖が盆のもてなしのお礼を言いに戻ってきたのだろう。

病める身に心地よき嘘心太 久保久美子(呉)

 嘘には詐欺をするための嘘、不正を誤魔化すための嘘などあまり好い意味では使われない。しかし、この句は違った。病人を元気づける嘘である。気休めと分かっていても、病人には心地よい嘘である。透視できるほどの透明感のある「心太」が動かない。

百日紅わが通院のながびけり 貞広 晃平(東広島)

 病院には待たされに行くようなものだが、それでも行かねばならない。思えばこの病院に通うようになってから、何年になるのだろう。百日を咲き続ける百日紅を仰ぎながら、思わず出た呟き。「ながびけり」に深い嘆きがこもる。

笑ひ声左右に広げ扇風機 渡辺 伸江(浜松)

 楽しいお喋りの最中である。置かれた扇風機が恰も皆の笑いを左右に拡げるように首を振っている。扇風機で拡げられた笑いが、更に新しい笑いを誘う。お喋りはますます佳境へ。これも扇風機ならばこそ。ルームクーラーではこうはならない。

夏至の夜は親しき友に文を書く 中村 公春(旭川)

 なかなか暮れない空を見ていると、親しい友達の誰彼を思い出した。思い出すと懐かしくなり、手紙を出すことにした。長いご無沙汰を詫びる挨拶から始まり、近況のこと健康のこと…。夏至の夜の短さを忘れて書く。ゆるやかな句のテンポが手紙の長さを思わせる。

一人寝て雑魚寝の乱れ熱帯夜 徳永 敏子(東広島)

 眠れないことは辛いこと、まして熱帯夜なら尚更である。寝たときは姿勢正しく仰臥したはずなのだが、起きてみると枕はどこかへ行っているし、シーツは捲れて皺くちゃになっている。正に雑魚寝をしたほどの乱れ具合。熱帯夜の寝苦しさが如実に示されている。

潮の香のバスの終点日輪草 樋野美保子(出雲)

 一台のバスがやって来て、海の見える広場で方向転換をした。終点が始発となるバス停留所。このバス停は、どうやら路線バスのものではなさそうだ。海水浴客のための夏の期間だけの臨時停留所と思われる。そう思うのは潮の香と季語の日輪草=向日葵との斡旋による。人気のある海水浴場なのだろう。

前山へ夕立雲の屏風立ち 河森 利子(牧之原)

 遠くの方に一点の黒雲が現れたと思う間もなく、たちまちに前山を夕立雲が覆った。山が見えなくなるほど立ちはだかった夕立雲を「屏風立ち」と捉えてリアル。「屏風立ち」は作者独特の把握である。


    その他触れたかった句     

雀の子最後の一羽飛び立てり
鳴き終へて山軽くなる法師蟬
健康な色に玉葱干されあり
螢火や放射線量掲示塔
宍道湖の風に涼しき一都句碑
島にある小さきドック法師蟬
おしやべりの眼が一匹の蠅を追ふ
雲の峰蝦夷開拓の三角点
無人駅停車のたびにカンナ揺れ
浅間嶺に突き当たるまでキャベツ畑
夜濯を終へて日記を書いてをり
何処やらが焦ぐる匂ひのして炎暑
炎天に奪はれてゐる記憶かな
七月の色を見に行く日本海
向日葵の咲けば一色増ゆる村
夏帽子海に向かつて走りけり
青嵐妙義山頂雲奔る

山本 絹子
福本 國愛
田原 桂子
舛岡美恵子
福間 弘子
鳥越 千波
町田由美子
田島みつい
中澤 武子
中村 和三
前川 幹子
横田 茂世
安藤 春芦
清水 順子
高橋 宗潤
松下加り子
八下田善水


禁無断転載