最終更新日(Update)'21.08.01

白魚火 令和3年8月号 抜粋

 
(通巻第792号)
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8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   挾間 敏子
「日曜」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 辻 すみよほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
坂田 吉康、萩原 峯子
白光秀句  村上 尚子
静岡白魚火 総会記 田部井いつ子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
山田 惠子、北原 みどり
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(東広島)挾間 敏子

海の匂ひ山の匂ひの夏帽子  鈴木 敬子
          (令和二年十月号 白魚火集より)
 海には海用の、山には山用の、とそれぞれ帽子を使い分けておられる元気一杯の明るいご家族の誰かのことか。過ぎ行く夏の潮の匂いや山の樹々の匂い―。夏果てのころには誰しも独特の感慨を持つ。一句、とても明快にスパッと言い切ってあり気持ちがよい。中七を「や」と切りがちなのを「の」と下へ続けられていて正解だと思う。季語「夏帽子」がよく効いていて好きな句だ。

出来たての飛行機雲や広島忌  秋穂 幸恵
          (令和二年十月号 白魚火集より)
 一九四五年八月六日の朝、警報解除中だったので人々はB29の爆音に訝しんだという。その直後の原子爆弾の炸裂で広島は一瞬に焼き尽くされた。作者は飛行機雲からあの日を連想されたのだと思う。「出来たて」という言葉が妙になまなましい。広島忌の句は多いが、発想が新しい。筆者は疎開中だったけれども動員学徒の姉と祖母を失い遺体も不明のまま。作者ももしかしたらお身内に犠牲者がいらっしゃるのかもしれない。

音読の奥の細道燈涼し  鎗田 さやか
          (令和二年十月号 白魚火集より)
 朗読にふさわしい格調高い文章である。芭蕉が推敲に推敲を重ねた生涯の傑作「奥の細道」は彼の人間観・芸術観すべてが凝縮されていると言われている。筆者も昔毎日音読してその所要時間を記録するように課されたころがあった。今それを日常に実行されていることに敬服のほかない。「燈涼し」は音読における作者の高揚した思い、澄み切った心境を思わせる。もう一度やってみようかという思いになった。あのころ確か全編で五十数分かかったと記憶している。どうか頑張って続けて頂きたい。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 棚田 (静岡)鈴木 三都夫
藤棚の花翳といふ暗さかな
はじめから破れてをりし破れ傘
浦島草御伽の釣りの綸伸ばす
竹皮を脱ぎぬ人目のあるごとく
食べ料に応へてくれし茄子の花
相伝の棚田を守り代を搔く
棚田また一年経たり田を植うる
早苗はや水に馴染みて立ち揃ふ

 梅雨晴間 (出雲)安食 彰彦
木下闇ひとつの石は行者墓
作句することは生き甲斐梅雨晴間
華やいで揺れて揃はぬかきつばた
蹲踞のそばに咲きたる花あやめ
庭園に彩競ひゐる花菖蒲
傍らに歳時記を置く夕端居
めづらしき寧夏風鈴いまだ鳴る
掛軸も写し絵らしき夏料理

 遠忌 (浜松)村上 尚子
ちちははの遠忌さくらを見て過ごす
植樹祭木の影すぐに立ち上がる
一陣の風に牡丹のどつと散る
手みじかに朝書く手紙風薫る
夫とゐてちがふ氷菓を舐めてをり
舞殿に涼しき風の通り過ぐ
定刻に来ぬバス日傘ひらきけり
緑蔭を抜け出て影の若返る

 夕べ来る (唐津)小浜 史都女
草笛をならしてけふもひとりきり
雨脚の近づく烏柄杓かな
花海桐空が曇れば海もまた
真つ白はいろのはじまり鉄線花
小満やさざなみのごと夕べ来る
向うむきなれど見てゐる川鵜かな
歌垣に生まれ育ちし天道虫
道すがらびつくり茱萸の熟れてをり

 苗木市 (宇都宮)鶴見 一石子
山藤の雪崩る日光高速道
初音ふと吾妻小富士の峠口
苗木市五差路に神を奉る
片栗の駆くる風音一里塚
以心伝心陶の狸の苗木市
短夜の夢に出て来る絵蠟燭
枯蓮の見ゆる茶店の雨蛙
由緒ある茶店飛石蝦蟇

 薔薇 (東広島)渡邉 春枝
薔薇の香の風ゆきわたる休館日
薔薇の園ふいにあの日の風過ぐる
黄には黄の赤には赤の薔薇香る
紫陽花の彩をこぼして雨上がる
新緑や今朝も混み合ふ野菜市
緋目高を一匹加ふめだか桶
休業の貼紙はがす南風
日曜の早き夕餉や冷奴

 青梅 (浜松) 渥美 絹代
立て続けの雷の八十八夜かな
えごの花こぼれ川原に火の匂ひ
イーゼルを畳めば牡丹崩れをり
日雀鳴き棚田に水の渡りゆく
灯台にゐて新緑を見てをりぬ
大雨のあとかたまつて鮎のぼる
水口に青梅ふたつ沈みをり
教会の屋根にこぼるる花樗

 旅気分 (北見)金田 野歩女
風止んで踊子草の小休止
池の辺の立て札「軽鳧の子育て中」
老鶯や地面の温き火山帯
足元の濡れて夕立の雨宿り
夏の夜の地図をなぞつて旅気分
登山小屋の主バンダナに顎の髭
七彩に変はるホテルの作り滝
滴りの山路湿らす一ところ

 燕の子 (東京)寺澤 朝子
鈴蘭へかがめば小さき風立ちぬ
ぷくと浮くあぶくに揺れて蓮浮葉
ワイングラス透かしてえらぶ薄暑光
大ぶりは母の習ひや笹ちまき
伝来の茶壺に満たす新茶かな
梅雨寒し暑しと衣を袖だたみ
二重虹ふたり姉妹のひとり欠け
母校への駅は無人や燕の子

 軽き目眩 (旭川)平間 純一
残雪の大雪連峰やうやうと
うふふふとえぞ山桜咲き初むる
花冷の雨にそぼつる鳥四五羽
最果ての小熊の詩碑やさくらちる
(小熊=小熊秀雄)
花筏みつめて軽き目眩かな
目薬のあふれて滲む花かんば
花は葉に昨日のことはもう昨日
夕映えの代田はるばる風わたる

 若葉して (宇都宮)星田 一草
真直ぐに挙りて空へ松の芯
早苗田に風のやさしく芭蕉句碑
若葉して道白河の関に入る
夕暮れて里の植田に灯の映ゆる
若竹の雲掃く高さたをやかに
人はただ見てゐるだけの田植かな
隠沼に青き空あり朴の花
初夏の風の触れゆくイヤリング

 茅の輪くぐり (栃木)柴山 要作
五月来ぬひたすら伸ぶる真葛の秀
歩行器の触れ大牡丹蜂を吐く
立ち漕ぎのポニーテールや若葉風
顎鋭き少女目深に夏帽子
麦刈りて父祖の大地の芳しき
麦殻焼く煙突つ切り郵便夫
霧吹けば明滅確と蛍籠
大神の茅の輪くぐれば野の匂ふ

 揚雲雀 (群馬)篠原 庄治
鳴く声の宙に止まる揚雲雀
葱坊主人影も無き過疎の村
一輪を孤高に咲かせ朴大樹
山里の水忙しき田搔き時
産土の山影映し代田澄む
己が入る墓の開元桐の花
散りてなほ白の清しき沙羅の花
師の句碑のびしよ濡れ梅雨の滂沱かな

 十薬 (浜松)弓場 忠義
山一つダム湖に浮かべ青葉風
筒振れば幽かに応へ古茶の音
黒焦げの莢の中よりはじき豆
河鹿笛流るる宿の夜なりけり
老鶯の競うて山を深くせり
十薬や秘めたることを独り言つ
竹の皮脱ぐ怖きものなかりけり
花海桐かの日のことを思ひをり

 桐の花 (東広島)奥田 積
黄砂降る街の南にのつぽビル
新緑をもるる光や古墳径
子どもの日水田に雨のドレミファソ
実桜のつつましやかな色をこそ
瑠璃蜥蜴切株に出て昼餉時
鉄錆の線路のバラス桐の花
神木の八百年の橡に花
青嵐土流れたる造成地

 ダリア (出雲)渡部 美知子
髪ゆらすひと風欲しき薄暑かな
青葉風入れて赤子の機嫌とる
どの路地へ入るも四葩に迎へらる
青梅雨の夕べ産着をたたみをり
みどりごをやつと寝かせてソーダ水
初めての町の花屋に買ふダリア
人寄せて無愛想なる金魚売
マンションの向ひの窓に知る夕焼



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 子燕 (牧之原)辻 すみよ
子燕に朝一番の空のあり
蕗を煮て母恋ふる日となりにけり
著莪咲いて山門までの女坂
山越えの道の名残や夏薊
草刈りて水の流れの見えて来し
枇杷熟れて来て雨の日の続きけり

 パナマ帽 (浜松)阿部 芙美子
ぼうたんを剪るいつときの惑ひあり
粽食ふ少年に髭うつすらと
夏帽のリボン網棚より垂れて
パナマ帽脱ぎて会釈をされにけり
滴りや息ととのふる峠道
花とべら最終バスの折り返す

 柿若葉 (鳥取)西村 ゆうき
雉の鳴く荒れ野思はぬ風吹いて
箸割つて杉の香立たす豆ごはん
向けらるる耳へ声寄す柿若葉
写真家と同じ風見る青野かな
知らぬ街身軽に歩く夏帽子
麦秋や浅き眠りを誘ふ汽車

 薫風 (松江)西村 松子
陽炎を連れて一畑電車来る
足早に過ぎゆく余生蕗を剝く
薫風や晩年へ息ととのふる
はつきりと風見えてをり植田澄む
艫綱に藻のからみつく青岬
短夜や水口に泡あつまりぬ

 鳶の笛 (多久)大石 ひろ女
老鶯のこゑ雨音に紛れ来る
風薫る蔵に手描きの宿場絵図
えごの花散る夕ぐれの鳶の笛
天霧らふ峡の水音花樗
別れての歳月長し麦の秋
竹皮を脱ぐ青年の匂ひして

 風青し (群馬)鈴木 百合子
総身に母のもの着け更衣
子持嶺を植田のなかに据ゑにけり
卒塔婆の木の香墨の香風青し
法要の後の筍流しかな
薫風や二ミリの蕎麦を太しとす
居並べる苔の碑緑雨しきりなり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 坂田 吉康(浜松)
石橋にたてば鯉寄る立夏かな
歯磨きの匂ふ朝や走り梅雨
卯浪たつ沖へ異国の貨物船
卯の花や二重にかかる月の暈
まくなぎに絡まれてゐる太公望

 萩原 峯子(旭川)
によきによきと一人に余る松葉独活
隠れ家のやうな四阿花あけび
会ひたくて会へぬ卯の花腐しかな
新しき木の俎板や瓜きざむ
給料日前すかすかの冷蔵庫



白光秀句
村上尚子

石橋にたてば鯉寄る立夏かな 坂田 吉康(浜松)

 立派な日本庭園が思い浮かぶ。観賞本位の石庭や枯山水もその一つだが、ここは池を中心として、橋や築山も構築されている。その歴史は平安時代から形を変えつつ造られてきたという。日常の暮しから離れ、しばしその歳月の移り変りに思いを馳せ、風景の中に身を置いている。石橋を渡れば親しげに鯉も寄ってくる。
 「立夏かな」の断定と、かの二音の響きも心地良い。
  歯磨きの匂ふ朝や走り梅雨
 当り前に使っている歯磨きだが、使い始めと最後にしぼり出すようになって初めて気付くことがある。気候の変化で嗅覚も敏感になっているのだろう。

新しき木の俎板や瓜きざむ 萩原 峯子(旭川)

 昔は俎板と言えば木に決まっていたと思うが、最近はその種類の多さに驚く。色もさる事ながら、合成ゴム、プラスチック、ポリエチレン等々。その反面、木にこだわる人の為にオーダーもあり、数万円もする物があるようだ。それはさておき、新しい俎板の使い始めは気分が良い。その最初の俎板に乗ったのが瓜だった。ベテランの主婦の腕が益々冴えたことだろう。
  給料日前すかすかの冷蔵庫
  〈ぶるうんと始動し真夜の冷蔵庫 仁尾正文〉
は、冷蔵庫そのものに視点をおいて詠まれている。しかしこの句は違う。多くの庶民を代表して詠んでいる。特に年金生活をしている者にとっては実に懐かしい。確かに思い当たるふしがある。しかしこの句には暗さがない。既に給料日がきたら買おうとするものが、あれこれと頭をよぎっているに違いない。

水馬の水へこませて泳ぎけり 山西 悦子(牧之原)

 あめんぼは体の割には長い脚をもち、水面張力を利用して生きている。よく観察して「水へこませて」の言葉に行き着いたことで俳句になった。言い得て妙である。

物銜へ鴉飛び立つ梅雨入かな 永島のりお(松江)

 鴉は、人家の近くで年中見掛ける身近な鳥でありながら人間には好かれない。この様な光景も決して珍しくはないが、「梅雨入」という時期が作者の心にも作用したようだ。

萱葺きの屋根に日のあり苔の花 富田 育子(浜松)

 余程の歴史的建造物でもない限り、萱葺き屋根は姿を消すばかりである。この屋根も長い年月が経っているのだろう。地に咲く可愛い姿を見る時の思いとは別の思いに駆られる。しばしの日差しに小さな命が輝いている。

母の日やテイクアウトのピザ囲む 山田 哲夫(鳥取)

 母の日への思いは変りなく続く。それをどの様に表現するかはそれぞれだが、先ず思いが届くことが一番。「テイクアウト」という言葉がこれ程一般的に使われるようになったのもコロナ禍のせいである。新しい形の過ごし方である。

レガッタの水面突つ切る櫂の先 髙部 宗夫(浜松)

 レガッタはあくまで競争である。若者の声と共に進む櫂の動きは「水面突つ切る」という表現がぴったりくる。その多くは大学や会社の対抗レースであり、水辺に集まる応援の声にも力が入る。

夏燕ポニーテールをかすめけり 鈴木 花恵(浜松)

 長い髪を後頭部の高いところで束ね、馬の尻尾のように垂らしたポニーテール。駆けると上下左右に揺れるのもこの髪型の特徴である。そこを目掛けるかのように燕がかすめていった。

泡一つ吐きて落ち着く水中花 大野 静枝(宇都宮)

 少し照明を落とした部屋で見る水中花には、生の花とは違った美しさがある。狭い容器の中で精一杯その役目を果そうとしている。その姿にほっとしているのは作者も同じである。

かはほりや月にも音のあるやうな 中山 雅史(浜松)

 「かはほり」は蝙蝠の副題だが、敢えてかはほりとしたところにこの句の良さが窺える。あるはずも無い音が作者だけには聞こえるような気がした。独自の感覚が俳句ならではの表現に行き着いた。

弁当はおにぎり二つ若葉風 栂野 絹子(出雲)

 部屋の中で食べる二つだけのおにぎりだとしたら、いかにも間に合わせのようで寂しい。しかし、同じ物でも戸外で食べれば数倍の味を感じるものである。青葉の中を渡ってくる風は何よりのご馳走だった。


その他の感銘句

川風に流るる鳰の浮巣かな
ひと一人捕へさうなる捕虫網
目高泳ぐビニール袋の水の底
筍を貰ひ米糠買ひに出る
梅雨晴や海へ一筋日の刺さる
棚田植うひとりの水輪重ねつつ
母の日や男の子ひとりのすべり台
箸置きは珊瑚の欠片沖縄忌
直球とおもへば魔球夏燕
鯉のぼりお下がりなれどよく泳ぐ
よく当たる観天望気蜘蛛の糸
ドラえもんの電車風きり夏に入る
滔々と中国太郎梅雨兆す
山門の仁王の拳梅雨に入る
姫女菀金子みすゞの本開く

佐々木よう子
森  志保
高田 茂子
中山 啓子
田部井いつ子
森田 陽子
中村 公春
三浦 紗和
山口 悦夫
堀口 もと
石田 千穂
榎本サカエ
松崎  勝
大江 孝子
多久田豊子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

磐田 山田 惠子
金鍬へ打ち込む楔つばめ来る
メモ書の丁寧な文字クレマチス
挽回へ円陣を組む青葉風
イヤリング揺らし新茶を売りにけり
ガード下くぐる筍流しかな

飯田 北原 みどり
窓際に巣箱眺むるための椅子
開け放つ窓よりどつと新樹光
初夏やポニーテールの女学生
桐高く花を掲ぐる村境
山寺の長き参道遠郭公



白魚火秀句
白岩敏秀

メモ書の丁寧な文字クレマチス 山田 惠子(磐田)

 メモは自分への備忘録としての役目と他人へ連絡するためのメモがある。この句のメモ書は後者。丁寧な文字とあるから、きれいな達筆ではなく、書き手の真面目な性格を表すような文字だったのだろう。クレマチスの花言葉は「美しき精神」。大輪のすっきりした花が似合いそうなメモの文字である。
  挽回へ円陣を組む青葉風
 九回裏、点差一点。勝者敗者の分かれ目の残り一回。といっても、そこまで緊迫感のないのは「挽回」の言葉。おそらく回はまだ残っているのだろう。そして、ツキが回ってきた感じ。元気にプレーする少年達に青葉風が爽やか。

窓際に巣箱眺むるための椅子 北原みどり(飯田)

 庭の木に巣箱を掛けたのだろう。或いは、裏山かも知れぬ。兎に角、巣箱を眺めるための椅子を一脚。それだけで作者のわくわく感が読み取れる。待つという楽しみのある句である。
  桐高く花を掲ぐる村境
 敢えて目立つ高い木を植えたのは、かって境界争いでもあったのか。今は昔のことを忘れたように、紫の花を凜と咲かせている。この句は「掲ぐる/村境」と「掲ぐる」に意味の断絶がある。「花を掲げ」ているのは村境ではなく、桐の木だからである。このように文法上切れないものの、意味上で切れているものを「読解上の切れ」(佐藤郁良)という。〈頑丈に生んでくれたる柚子湯かな 正文〉はその例である。

百段の磴の半ばの若葉風 牧野 邦子(出雲)

 高い石段のあるところといえば、寺院が思い浮かぶ。息を切らしながら半ばまで登って、やっと小休止。息も絶え絶えなところに、折からの若葉風。地獄に仏とはこのことか。若葉風に助けられながら、登り切った世界は格別であったろう。

舟虫の前後不覚の走りやう 稗田 秋美(福岡)

 舟虫はものの気配に敏感で逃げ足が速い。まさに電光石火、姿かたちが一瞬で消え失せる。その逃げっぷりを前後不覚と見て取った。逃げる以外に身を守る術のない舟虫にとって、危機管理能力を高めることが生存の条件。

保育園の一日を話す夏夕べ 小林 永雄(松江)

 「あのね、今日ね」で始まる保育園での一日の出来事。お父さんやお母さんを前にして、目を輝かせて話しかけている。たろう君のこと、はなこちゃんのこと、そして先生のこと。両親は微笑みをもって応えている。平和な家庭の平和な一日が暮れようとしている。

緑蔭を出る文庫本読み終へて 市川 泰恵(静岡)

 緑蔭の個室で思うままに読書。風でもくれば、まさに天然のクーラーとなる。たつぷりと、ゆっくりと文庫本を読み終えた。本の結末はハッピーエンドのようだ。ためらいもなく緑蔭から日盛りへ出たことがそう思わせる。

名を付けて野鳥に撒き餌バードデー 鈴木 利枝(群馬)

 バードデーは五月一○日から一六日までの一週間。鳥類保護の活動や啓蒙が行われる。はじめは警戒していた鳥たちも、次第に馴れて撒き餌に近づいてきた。撒き餌に集まる鳥もさまざま。「名を付けて」に鳥と一緒に楽しんでいる様子がありありと出ている。

芒原子らは棒切れもちたがる 平田 美穂(鳥取)

 戦前の子は、棒を持てば兵隊ごっこ。一時代前はチャンバラごっこや忍者ごっこ。子どもは遊びを発見する名人である。広い芒原でどんな遊びを見つけたのだろう。棒切れを振り回して遊ぶ元気な男の子たちを活写。

サングラスかけて他人となつてゐる 村田 恵子(飯田)

 サングラスをかける理由は、強い日差しをさけるため、変身願望、身を隠すためとさまざま。さて、この句はどれだろう。「他人となつてゐる」とあるから、ご夫婦なのだろう。久しぶりで夫婦で買い物に出かけたところ、サングラスを掛けた夫はまるで独身者のような振る舞い。やっぱり、変身願望なのだ。


    その他触れたかった句     

注連張れば祭の町となりにけり
胎動に醒めまた眠る夏の朝
本箱の板の撓める薄暑かな
指笛が帰りの合図初蕨
緑蔭に野良着の腰を下ろしけり
花柄の服に蚊遣の匂ひつく
なびく穂の乾く音して麦の秋
何万と率ゐて静か蟻の列
カルストの大地に根ざす夏薊
少年のおとがひ尖る立夏かな
雨音を桜の音と聴いてをり
早苗田に手直しの腰屈めをり
鯉のぼり乳母車より指の出て
薔薇の花両手に抱へ退職す
八十枚の苗箱洗ひ田植終ふ
青葦の葉擦れの音の夕べかな
水加減計りて田植はじめけり

栂野 絹子
淺井ゆうこ
久保 徹郎
沼澤 敏美
山田ヨシコ
森  志保
土江 比露
門前 峯子
大平 照子
阿部 晴江
工藤 智子
岡部 章子
齋藤 英子
松山記代美
松﨑 吉江
増田 通江
三島 信恵


禁無断転載