最終更新日(Update)'21.09.01

白魚火 令和3年9月号 抜粋

 
(通巻第793号)
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9月号目次
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季節の一句   植松 信一
「田水」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 齋藤 文子ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
保木本 さなえ、小杉 好恵
白光秀句  村上 尚子
令和三年度栃木県白魚火会 夏季俳句会 熊倉 一彦
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
青木 いく代、寺田 佳代子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(我孫子)植松 信一

秋の灯や棚田の先の一軒家  萩原 みどり
          (令和二年十一月号 白魚火集より)
 実りの秋の夕暮れの心和む情趣がよく伝わってきます。
 棚田は日本の原風景ともいわれますが、古くから丘陵や山間の傾斜地を切り拓いて耕作してきた大切な土地。近年、景観の美しさのみならず、棚田の持つ多様な価値や意味合いが見直されているようです。
 昨年来、コロナ禍で旅行や遠出も儘ならない這般の状況下ですので、作者が詠まれているのは、旅先での百選棚田とされる棚田の一つというより、身近な近場に在る自然豊かな谷戸の棚田の実りの秋の情景ではないかと想像します。
 豊かに実った稲穂の黄金色の棚田でしょうか、それとも刈入れを終えたばかりの棚田でしょうか。いずれにしても、里山の自然と棚田が織り成す秋の夕べの情景に心の和みを覚えていることでしょう。
 そして何よりも、その棚田の先に見える一軒家。恐らく、その棚田を耕作し、守り続けておられる農家なのでしょう。その一軒家に点っている温かい灯に、朝は朝星夜は夜星、倦まず弛まず営々と作り、守り続けてきている営みに対する労いの深い思いを馳せているのではないでしょうか。
 ひょっとして、その一軒家の方をご存知で、言葉を交わしたことがあるのかもしれません。秋の灯に憩う団欒の「顔」を思い浮かべながら、実りの秋を迎えた安らぎと喜びを共感している、そんな作者のしなやかなやさしい心根が伝わってきます。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 棚田点描 (静岡)鈴木 三都夫
代搔くや棚田へ落す山の水
代を搔く棚田の畦の野面積み
水張りし棚田にはやもあめんぼう
植ゑ終へて峠へ至る棚田かな
一劃は蕎麦播く畝の棚田かな
ちまちまと棚田の畦の小判草
棚田荒れ罅割れ著し夏蓬
夏草や遺構めきたる棚田跡

 茅の輪 (出雲)安食 彰彦
円相の爺や茅の輪をゆつくりと
出雲大社の大き茅の輪を兎跳び
茅の輪くぐる子の手を繋ぎ子を抱いて
洋傘をたたみ茅の輪に手をあはす
幼子のよいしよと茅の輪跨ぎけり
愛しあふ沢の蛍の光かな
むらさきの影つくりをり葡萄房
八つ切りの西瓜の影の揃ひけり

 楊貴妃 (浜松)村上 尚子
夏帽子かぶり一番列車待つ
花あふち高きは雲となりにけり
田植機よりロックンロール聞こえくる
楊貴妃といふ名の金魚嫁にくる
三つ編みの少女沖縄慰霊の日
噴水や夕日と星の入れ替はる
夫に注がれて一杯目のビール飲む
良きことにかこつけて食ふ鰻かな

 丸暗記 (唐津)小浜 史都女
杏子ひとつてのひら熱くころがせり
匂やかにしづくして落つ夏椿
草引けるしあはせけふも草を引く
ご自愛をと結ぶ返信縷紅草
せせらぐは子守うたとも合歓の花
舟虫や先の折れたる碇石
夕菅や海に青さのもどり来て
丸暗記せしころもあり書を曝す

 草相撲 (宇都宮)鶴見 一石子
陽炎にリハビリの杖躓けり
生きてゐることが不思議ぞ亀鳴けり
那須岳を借景として植田風
ラムネ抜くストンと昭和の音のして
梔子の花のをはりの安養寺
太平洋の白波夏を運びをり
余花残花余一の里の草相撲
走り根の噛み合つてゐる苔涼し

 さくらんぼ (東広島)渡邉 春枝
大学を囲む里山百合の花
六月の白きブラウス風を呼ぶ
逆さまに吊す薬草夕焼す
さくらんぼ一粒づつに母の味
会へばまた同じ話に梅雨深まる
外出のままならぬ日々夏蝶来
赤き実のほろほろ苦し南風
肩越しに一日喋る燕の子

 父の日 (浜松)渥美 絹代
濁りをり解禁の日の鮎の川
みづうみの風くる駅に燕の子
父の日の夕日台地を包みけり
本読めばかじかの声の近くなる
野仏の背にささゆりの触れてをり
いくたびも開く画集や灯の涼し
麦刈つて潮騒近くなりにけり
仏具屋に青鬼灯の鉢ふたつ

 青楓 (北見)金田 野歩女
髪剪つて項に通す初夏の風
吟行といふ道連れや青楓
四十雀双眼鏡より外れゆき
峡底の目に鮮やかな青田かな
黒百合の森の小人のやうに咲く
北限の糯米(もちまひ)といふ青田波
苑昏し白根葵の仄明り
餡蜜を脇に句談義盛り上がる

 明易し (東京)寺澤 朝子
実梅落つ観音詣での女坂
立ち尽くす身の新緑に染まるまで
青梅の水をくぐればなほ青く
夏行にも似たる一と日よもの書いて
ぎこちなくナイフ・フォーク使つて夏
渡し場に人影見えず河鵜浮く
子を抱ける若き日の夫セルを着て
読み返す句集は「黙示」明易し

 ワクチン接種 (旭川)平間 純一
百歳の画家壮健にかし若葉
蘆花の歌碑えぞ春蟬の競ひなく
雛罌粟や会へざる人へ糸電話
緑蔭のしんと鎮まる学舎かな
尺蠖のわが脛計り消えにけり
万緑やオリーブオイル透けて見ゆ
薔薇満開妻の丹精うらぎらず
栗の花ワクチン接種の微熱かな

 竹皮を脱ぐ (宇都宮)星田 一草
竹皮を脱ぐ静けさの昼下り
青田風朽ちゆくままの水車小屋
夕づきし植田蛙の総出かな
沼の水震はして鳴く牛蛙
橋くぐり来て宙返る夏燕
岩のごと牛は動かず大夏野
見えぬものひらりと躱す蚊食鳥
八十を律儀に生きてパナマ帽

 閑古鳥 (栃木)柴山 要作
麦殻焼く嬥歌の山の遠退ける
花合歓の紅濃くしたる日照雨かな
市民農園じやがいもの花盛りかな
受験子に花栗匂ふ夜もすがら
千段を上り形代納めけり
梅雨晴や窓全開の藍甕場
石筍の観音菩薩目の涼し
湯の町の気怠き真昼閑古鳥

 初蛍 (群馬)篠原 庄治
寝ねがてに啼く背戸山のほととぎす
花茄子にはや蝶の来る坪畑
短夜や辻褄合はぬ夢ばかり
一つ飛び後は暗闇初蛍
お茶請けは初採り茄子の一夜漬
切りも無く梅雨雲湧けり浅間山
冷奴一皿でよし独り酒
遠郭公ひねもす谺浅間山

 馬鈴薯の花 (浜松)弓場 忠義
片陰より電柱の影飛び出して
古すだれ掛くれば人のこゑ恋し
ハチ公の前を男の日傘かな
五月田の水口に置く石一つ
釣船を追ひ越してゆくつばめ魚
海までは遠き道なり蝸牛
蹲踞にあぢさゐの花二つ三つ
馬鈴薯の花むらさきの雨降らす

 梅雨ごもり (東広島)奥田 積
屋敷神泰山木の咲きにけり
離したる手が戻らざり螢の夜
ちろちろと水音木蔭に山蚕蛾
庫裡脇に使はぬ井戸や柚の花
クレオパトラの最期見届け梅雨ごもり
城壁めく大石垣や花サボテン
韮の花飼はれてゐるは烏骨鶏
まだ白を見せず真直ぐに半夏生草

 夜の金魚 (出雲)渡部 美知子
梅雨の星億光年を流れ来て
梅雨の夜を泣くだけ泣いて寝る赤子
雨一過梅雨満月のゆたゆたと
大南風沖の小島をけぶらせて
瞬く間に一線となる烏賊釣火
夏空の下へくり出す白帆かな
決意少し揺らぎ出したり青林檎
知らぬふり聞かぬふりして夜の金魚



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 山の雨 (磐田)齋藤 文子
玉虫の月に向かひて飛び立ちぬ
青蘆の伸びゆく音を聞いてをり
雲ひとつなき父の日のカレーパン
一夜酒急に降り出す山の雨
片白草ふつと途切るる水の音
一本の向日葵のたつ法務局

 花煙草 (多久)大石 ひろ女
灯台に返る波音夏薊
佃煮の火種つなぎぬ半夏生
髪濡るるまで螢に近くゐる
けふのことふつ切る髪を洗ひけり
夕菅やぬたに腹這ふ牧の牛
壱岐望む上場台地の花煙草

 鰻筒 (浜松)林 浩世
磐座へ届く水音初夏の風
古墳より見下ろす代田光りをり
十薬へ午後の雨脚強くなり
目高飼つて少年いつも一人きり
軽口を叩く男や鰻筒
髪洗ふ明るさのまだ残る空

 深みどり (鳥取)西村 ゆうき
粽解く人数分の笑ひ声
父の日の父は話の輪を抜けて
監督を囲む日焼子負試合
片陰や画集の堅さ抱へゆく
夏鶯暮れて山湖の深みどり
滴りや修験の道の昏さゆく

 祇園 (名張)檜林 弘一
碁盤目の地図を頼りに鉾祭
風鈴を吊るし料亭開きけり
離れへの飛石づたひ蚊遣香
月涼し写楽の暖簾割つて入る
花街の白雨の流す石畳
閉店の木札を返す涼しさよ

 夏の雲 (松江)西村 松子
めつむれば師の温顔やみどりの夜
風に散る薔薇の香りを掃き寄する
つと夏の雲に足かけ足場組む
夏燕ひらりと風を裏返す
薫風や明るき色に舟を塗る
渡舟場に休業の旗海月浮く



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 保木本 さなえ(鳥取)
白い花咲きたる朝の更衣
梅干して梅の匂ひの中にをり
雲ひとつ浮かぶ青空桐の花
夏草の刈られて風の生まれけり
向日葵の明日を見てゐる高さかな

 小杉 好恵(札幌)
夏至の日や麒麟の首の長きこと
夏旺んショートカットの三姉妹
流木に腰かけて見る夏の海
末つ子は金魚の柄の浴衣選る
緑蔭の一等席に車椅子



白光秀句
村上尚子

向日葵の明日を見てゐる高さかな 保木本さなえ(鳥取)

 最近の向日葵には丈の短いものや、一本にたくさんの花をつけるものもあるが、これは昔から見馴れている背の高いものである。なかには人の顔ほどの大きさで、二階まで届きそうなものもある。夏を代表する花と言われるだけに、見上げているだけでそのたくましさに元気付けられる。
 「明日を見てゐる」は、向日葵のことだけではなく、作者自身の明日への前向きな姿に重なる。
  夏草の刈られて風の生まれけり
 刈っても刈ってもすぐ伸びてくる夏草は、暑さと生気の象徴である。その反面、芭蕉の「夏草や兵どもの夢の跡」のように過去への感慨へ通じるものもある。この句は今まで夏草によって阻まれて見えなかった風が、一気に見えるようになった、と言っている。

夏至の日や麒麟の首の長きこと 小杉 好恵(札幌)

 初めて麒麟を見たときから、首の長さは脳裏に焼き付くに違いない。一年で最も昼が長い夏至の日に出会ったことで心が動かされた。しかし、理屈に合わせようとしている訳ではない。あまりにも長い首に容赦なく日が差している様子を述べているだけで、表現も至って簡素である。
 作者ならではの捉え方と表現が新鮮である。
  夏旺んショートカットの三姉妹
 長かった梅雨が明け天気が安定すると、いよいよ真夏の到来である。夏休みも始まる。「夏旺ん」と「ショートカットの三姉妹」という分かりやすい言葉の出合いだけで、その様子は誰の目にも見えてくる。
 健康的な夏をすっきりと描写している。

明易や病者を照らすナースの灯 舛岡美恵子(福島)

 ナースは一日に何度か患者の様子を見て回る。たとえ短い時間でも、患者にとっては心の安らぐひと時であろう。眠れないままにやっと訪れた夜の終りに、ぽっと表われた温かいナースの灯だった。

蝦夷萱草風のなき日を数へをり 沼澤 敏美(旭川)

 北海道の北部、日本海に接するサロベツ原野に咲く萱草である。集中の「サロベツの風となりたる蝦夷萱草」と合わせて読むと、この地ならではの気候の厳しさと広さが見えてくる。視界の良い日には海の向こうに利尻富士が見えることだろう。

柿若葉ロールケーキを切り分けて 小林 永雄(松江)

 ロールケーキはショートケーキとは違い、その場にいる人の数に切り分けられる良さがある。窓辺には、実の成る庭木として最もポピュラーな柿の若葉が見頃である。子供達の賑やかな声が聞こえてくる。

トロ箱に飛び立ちさうなつばめ魚 福間 弘子(出雲)

 魚市場の風景だろうか。豊漁のつばめ魚は次々とトロ箱に移されている。威勢の良いものは勢い余って大きな胸鰭をいっぱいに広げそのまま海まで飛んで行ってしまいそうになる。産地以外の者にはなかなか出合えない光景である。

占ひを信じ白靴履いて出づ 渡辺 伸江(浜松)

 科学が進んだと言え、占いを一番に信じる人がいることは確かである。それによって大きな決断をするとも聞く。しかし、この句はそれ程切羽詰まっている訳ではない。白靴を履いて出掛けることにより、何か良いことがあるかもしれないという、遊び心からである。

きつとある夫へ四つ葉のクローバー 森田 陽子(東広島)

 四つ葉のクローバーは幸福のしるしとされ、見つけると幸福が訪れると言われている。作者は自分のためではなく、御主人のために一生懸命探している。「きつとある」は、その強い意志の表れである。後日談が聞きたい。

噴泉に尻つけてゐるむつきの子 砂間 達也(浜松)

 暑くなると町なかの公園などで見かけることのある光景。しかし俳句にした人はまだいなかったのではないか。幼子の嬉しそうな姿は周囲の大人をも和ませてくれる。

洗ひ髪卓上にある航空券 原田 妙子(広島)

 旅に出掛ける前とも後とも取れるが、「卓上にある航空券」には夢がある。濡れた髪を梳かしながら思いを巡らしている。女性であることに寄り掛かった句が目立つなかで、異質とも言える。

頰杖のがくつとはづれ昼寝覚 樋野久美子(出雲)

 経験がすべて俳句になることばかりではないが、一読すれば誰でも思い当たるふしがある。季語と真正面に向き合い、その特質を明確に捉え、ウイットにも富んでいる。


その他の感銘句

潮の香を突き出してゐる心太
山の雨蛍袋を濡らしけり
憂ひ事沈むる如く水中花
サイゴンの風に吹かれて六月来
髪洗ふ排水口の先は海
ラムネ飲む横じまのシャツ仰向けて
担ぎ来て潮のしたたる昆布干す
暗けれど人居るらしき夏座敷
涼しさや水琴窟に竹の筒
川とんぼ念ひは風となりにける
口開けて甲冑坐る夏座敷
波の穂のかがやき梅雨の明くるらし
一木の茂りに茶の間昼灯す
水はじく実梅やさしく洗ひけり
父と子のつゆの晴れ間のすべり台

福本 國愛
多久田豊子
工藤 智子
村上千柄子
前川 幹子
市野 惠子
赤城 節子
篠原  亮
松崎  勝
五十嵐好夫
渡辺 加代
横田 茂世
郷原 和子
佐々木智枝子
本杉智保子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

浜松 青木 いく代
図書館に天窓新緑の大樹
草刈機ときどき石を撥ぬる音
鉄のにほひ残して梅雨の貨車過ぐる
牛蛙鳴くや真昼の闇ありて
藤村の「初恋」めくりつつ曝書

多摩 寺田 佳代子
緑蔭に続きの頁開きたり
時鳥啼くや吊橋渡り切り
山の水ゆたかに桶のラムネかな
蜘蛛の囲の木々を引き寄せ弛みなし
夏蝶や赤い表紙のパスポート



白魚火秀句
白岩敏秀

鉄のにほひ残して梅雨の貨車過ぐる 青木いく代(浜松)

 雨が降るなかを踏切で列車の通過を待つ。やがて、轟音とともに貨物列車がやってきた。長く連結した貨物列車が過ぎたあとに、鉄の匂いが残った。貨物を運ぶことだけに特化した鉄の塊はひたすらに走り続ける。鉄の匂いが男梅雨を想像させる。
  牛蛙鳴くや真昼の闇ありて
 牛蛙は食用のため輸入された蛙。昼でも夜でも池や沼で鳴いている。真昼の闇とは濁った川底の暗さを言うのだろうが、人間の世界にも、人間の心の中にもある。闇に棲み、闇を振るわして、ぐわっぐわっと鳴く声は不気味な牛蛙の姿を彷彿とさせるに十分。

山の水ゆたかに桶のラムネかな 寺田佳代子(多摩)

音を立てて桶に溢れている山水。透き通った水にはラムネが冷やされている。今では氷や冷蔵庫で短時間で冷やしてしまうが、かつては半日をかけて水で冷やしていた。ゆったりと流れる時間とゆたかな水。時が徐々にラムネを冷やしていく。水の透明感や吹く山風にも涼味があふれている。
  緑蔭に続きの頁開きたり
 家でクーラー漬けで本を読んでいたのだろうか。身体が冷え過ぎて外に出たところ、こちらは焼けるような暑さ。やっと見つけた緑蔭で、ほっと一息ついて開く「続きの頁」に緑蔭の心地よさが出ている。

朝夕の水の加減の青田かな 貞広 晃平(東広島)

 昔から「青田から飯になるまで水加減」と言われている。米という字は米作りには八十八の手間がかかるということからきているらしい。その手間のひとつが青田の水加減。米はご飯になるまで手抜きが出来ないのである。

白南風や輪中の軒に小舟吊り 伊藤 達雄(名古屋)

 輪中は水害から集落や耕地を守るために周囲を堤防などで囲んだところをいう。水害により家屋が浸水すると、避難や生活のために舟を利用する。軒にある舟はその時に備えての非常用の小舟である。梅雨が明けても吊るされている小舟は、使われることがなかったのだろう。水害もなく梅雨が明けた安堵感。

青葉闇蹴上げの高き城の磴 原  和子(出雲)

 石段の蹴上げが高いと垂直距離が短くなるから、火急の場合の伝達は早い。敵にとっては急勾配で攻めにくい。甲冑の武士達が槍を小脇に抱えて幾度も上り下りした城の石段。今は青葉になった夏木立のなかにひっそりとある。まさに「兵どもが夢の跡」である。

サングラス外せば色の溢れけり 横田美佐子(牧之原)

 サングラスを掛ける理由は色々あるが、見える世界は単色の世界。海に行ったのか、山に行ったのか。強い日差しを避けるためのサングラスを外した途端に色が溢れたという。改めて造化の美しさに触れた次第である。

晒布着て未だ赤ちやんといふ名前 横田 茂世(牧之原)

 「吾輩は猫である。名前はまだ無い」の冒頭が思い浮かぶ。夏目漱石の猫は大人だが、こちらは生まれたての赤ちゃん。両親は既に名前を考えているのだが、名前を呼ぶにはまだ早い。今は、保育器のなかで元気に泣きながら赤ちゃんと呼ばれている。

農楽し茄子の手入れの一日かな 竹田喜久子(出雲)

 茄子に徒花はないと言われ、花が咲けば必ず実がつく。茎も花も実もみんな紫で統一して美しい。しかも、秋になっても実をつけてくれる。おそらく、一日を費やして手入れをするのは茄子だけではなさそうだ。「農楽し」と言い切れるのは、農一筋に生きてきたからだろう。

梅雨晴間提灯脱ぎの子のズボン 福光  栄(東広島)

 衣服の脱ぎ方にも色々あるようだ。上着の場合は「腕抜き形」「捲り上げ形」「引き抜き形」など。字を見ていれば何となく想像出来そうな脱ぎ方である。では、ズボンの提灯脱ぎとは。辞書には載っていない言葉で、どうやら脱いだ後の形が、提灯を畳んだ形になっているのを言うらしい。折角の梅雨晴に洗濯しようにも形を崩すのは惜しい。せめて写真に残そうと、カメラを構えているところ。


    その他触れたかった句     

山里の五風十雨の青田かな
刃物屋のまづ風鈴を吊しけり
百年を灯す燈台夏の月
毎朝見て瓜の一つを今日は採る
滴りの光あつめて落ちにけり
六月の鶏は大きな卵産み
空き箱でつくる怪獣青嵐
風鈴屋真昼の風を集めをり
土偶にもふるさとありて草茂る
橋渡りこれより参道日傘閉づ
郭公の声透き通る夜明けかな
赤ちやんの笑顔のやうな薔薇の咲く
風入れや婚の着物に仕付糸
神杉の高みに消ゆる蛍かな
何万も率ゐて静か蟻の列
蜘蛛の巣に雨の名残りのありにけり
白紫陽花ピンクの差して終はりけり

中嶋 清子
野田 弘子
木村 以佐
川上 征夫
富岡のり子
中村 和三
田渕たま子
大村キヌ子
西山 弓子
今泉 早知
竹内 芳子
沢中キヨヱ
渡部美智子
石川 式子
門前 峯子
田中かほる
吉原 紘子


禁無断転載