最終更新日(Update)'21.06.01

白魚火 令和3年6月号 抜粋

 
(通巻第790号)
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6月号目次
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季節の一句   横田 じゅんこ
「海の色」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
篠原 亮、青木 いく代
白光秀句  村上 尚子
函館白魚火会 句集出版お祝会 森 淳子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       
渡辺 伸江、浅井 勝子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(藤枝)横田 じゅんこ

蛇の尾の見えてをりたる土管かな  森 志保
          (令和二年八月号 白光集より)
 蛇という季語は何となく嫌われているようだ。しかし古くから伝説や民話に登場している。ながむし、くちなわの異称もある。蛇は穴に入り冬眠して冬を越し、春に目覚め穴から出て来る。出て来ても暫くは動作が緩慢でとぐろを巻いて、外界に身を馴らす。数ヶ月暗闇にいた蛇には青空は恐ろしい世界に違いない。掲出句は頭で考えてのものではなく、たまたま出会ったのであろう。土管と蛇の尾を詠みインパクトが強い。無気味さと、ある種の不安感があり、作者の立ち位置の奥行きを深くしている。

診療所の前はバス停花蜜柑  原 美香子
          (令和二年八月号 白魚火集より)
 童謡「みかんの花咲く丘」を彷彿とさせるやさしい俳句。五、六月頃枝先の葉に白い花をつけて、芳香を漂わせる。タチバナと呼ばれ万葉集には六十八首詠まれている。
 このバス停の名称は何であろうか。花の時期は昇降のたびに心癒されるに違いない。

本物を見する約束蛍狩  中村 早苗
          (令和二年八月号 白魚火集より)
 自然の闇を飛び交ふ蛍を見なくなって久しい。環境が保護されていて、天然の蛍を楽しめるところもあるようだが、おおかたは保護団体や愛好者が、川辺で食用の蜷を育て、蛍を飼育し、放して鑑賞することが多い昨今のようである。掲出句は「本物を見する」という詠みで一句が生きた。本物は天然の蛍のことと思う。恐らく作者の気持ちの中には、闇の中で明滅する幻想的な蛍が乱舞していることだろう。何としても蛍を見せてあげたいという思いが、一句を為した。その約束は果たせたのであろうか。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 日脚伸ぶ (静岡)鈴木 三都夫
ポケットに句帖鉛筆日脚伸ぶ
地虫出づ暦に嘘のなかりけり
命愛し犬ふぐりとて踏むまじく
初蝶の訪ねてくれし狭庭かな
初蝶の溺れ消えたる風の中
楤の芽の摘むを許さぬ針の棘
灯台へ行くだけの径藪椿
山桜満開にして驕るなし

 桜 (出雲)安食 彰彦
朋友は桜の花も酒も好き
花吹雪浴びて廃校美しき
一片の落花茶庭の蹲踞に
花の径下り見上ぐる義勇の碑
みいくさにささげしいのち桜咲く
咲き満つるあすは切らるる桜かな
飛び来たるつばくろ一羽空まぶし
うつぶせに落ちたる椿踏みがたく

 モノレール (浜松)村上 尚子
風光る象の形のすべり台
蛇穴を出づ戸車へ差し油
風ふつとよぎり真砂女の紫木蓮
桃の日の卓にキューピーマヨネーズ
折りかけの鶴を机に春の宵
永き日の空を横切るモノレール
鳶の輪の上に鳶の輪春夕焼
海へ出て引鳥列を正しけり

 耳ざはり (唐津)小浜 史都女
一輪より花の城址となりにけり
ひつそりと太閤道の山桜
小ぶりなる野点の茶碗花筵
花おぼろむらさきの貝拾ひけり
花弁のはりつく元寇供養塔
耳ざはりよき渚波飛花落花
散るさくら美し長寿もよかりけり
花筏戸惑ひつつも流れけり

 茂林寺 (宇都宮)鶴見 一石子
加波筑波一つの姿麦を踏む
リハビリの杖残雪の茶臼岳
針供養道のつながる石工小屋
紫木蓮咲いて茂林寺賑はへり
百貫の石を背中に蕗の花
大鬼怒の川幅五百水温む
桐生銘仙機織る音の長閑なり
種蒔のすみし六畝会津富士

 蝌蚪の池(東広島)渡邉 春枝
大学の空を自在に囀れり
溜池の水まんまんと残り鴨
赤松の林を抜けて蝌蚪の池
あたたかや校内にあるビオトープ
校内のどの径行くもうららけし
たんぽぽの白に黄色に膝を付く
海を来る風に色あり桜散る
園児らの声に色増す黄水仙

 春の月 (浜松)渥美 絹代
紅椿落つ鯉群るる水の上
掘り返す土塊ひかり鳥帰る
ベランダに見知らぬ鳥や雛祭
春時雨母の足踏みミシン錆び
みづうみの岬の十戸風光る
かつて父に負はれし坂や春の月
盗塁をねらふ少年山笑ふ
畳屋の奥に神棚燕来る

 蝦夷赤蛙 (北見)金田 野歩女
怪獣のやうに薄氷踏みゆく児
強東風の鷗を煽る五羽七羽
鷽啼くや山の宮居の裏手より
蝌蚪の池探鳥会に囲まれて
道産子によくぞ生まれし鰊焼く
百千鳥参道の磴一歩づつ
おほらかな北見の空の春の鳶
知床の蝦夷赤蛙啼き交はす

 長閑やかに (東京)寺澤 朝子
敷曼陀羅めきて大樹の落椿
阿の狛の口中埋むる春落葉
初花や樹下に縁起のさざれ石
花を見て常なる日々を疑はず
細りゆく身は軽々と桜東風
花の雲いのち惜しめと父のこゑ
落花飛花遠くなりたる父母の墓所
晩成もならずと知れば長閑やかに

 銃声二発 (旭川)平間 純一
露天湯の湯気も巻き込み雪しまく
火を灯すランプの火屋の朧かな
吹かれては揺るる光の猫柳
燻し香に閉ざせるチセの雪間草
引鳥やカムイプラヤのまだ明かず
(カムイプラヤ=アイヌのチセの神の窓)
堅雪の山に銃声二発聞く
「こー」と鳴き帰る鵠の朧月
こぶしの芽みな一斉に歌ひだす

 芽吹き (宇都宮)星田 一草
橡の芽の拳ゆつくり開きけり
勢ひたつ拳を開く牡丹の芽
前髪の簪に欲し紅椿
ばさと音立てて鵯翔つ藪椿
ハンカチに包みて野辺の蕗のたう
雑木林つぶやくやうに芽吹きけり
春眠や有線流れ理髪店
花山茱萸有精卵の手に重し

 春の宵 (栃木)柴山 要作
春光の千筋がうがう峡の堰
懐かしき牛舎の匂ひ涅槃西風
算数が好きと言ふ子や風光る
満開の梅に顔ごと車椅子
黒々と春田の貎に昨夜の雨
雲雀野に佇つ何もかもゆつたりと
未だ出口見えぬコロナ禍花万朶
亡き父と一献かはす春の宵

 木の芽吹く (群馬)篠原 庄治
一輪の花が鳥呼ぶ藪つばき
魁のまんさく咲ける谷深し
履きしまま洗ふ長靴春の泥
花の種蒔く指先の縒り加減
塩餡の味も又よしよもぎ餅
画眉鳥の声喧しき朝まだき
喪に籠もり開くること無き春障子
やはらかく山彦帰る木の芽吹く

 囀 (浜松)弓場 忠義
二つ三つ堰を越えつつ水温む
風紋に深き足あと春愁
みづうみへ潮の入りくる朧かな
田楽の串あをあをと残りをり
囀やペンキの匂ふ牧の柵
外堀の水のうつろふ土佐みづき
白木蓮の翼ひろげて立ち上る
日曜のピアノ工場花の雨

 桜 (東広島)奥田 積
桜山その入口のドッグラン
島巡る航跡しるし桜山
瀬戸内のこの一島の桜かな
満開のこずゑにかかる朧月
未来から吹きくる風や花万朶
さざ波のひかりに寄れる落花かな
落城址いただく山や飛花落花
先の人も吾も踏みゆく落花道

 輪唱 (出雲)渡部 美知子
笹藪の揺れうぐひすの声のゆれ
ためらひの箸にこぼるる白魚かな
春雨を聞く丑三つと思ふ頃
地に近き風をとらふる糸柳
きりもなき話へひらく春日傘
朧夜の子の部屋に鳴るオルゴール
うららかや負けてばかりの紙相撲
輪唱の十万本のチューリップ



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 甑 (出雲)三原 白鴉
山焼の火入れの前の静寂かな
春昼のころんと止まるオルゴール
囀や餅屋の裏に乾す甑
神名火の影を砕きて春田打つ
浮き沈む園児の帽子花菜畑
花筵女二人の横座り

 捨て鏡 (鳥取)西村 ゆうき
切り傷の思はぬ疼き木の芽風
山笑ふカーナビ時に嘘をつく
春雷を浴びて短き列車くる
春の野の雲の流れを捨て鏡
かがまねば標の読めず花菜風
話すこと億劫な日の揚雲雀

 夕桜 (多久)大石 ひろ女
啓蟄の雨音にゐて身を解す
春暁の三日月旅の始発駅
一筆の眉うつくしき陶雛
行灯の和紙のぬくもり夕桜
経典を音なく畳む春障子
刻むもの多き俎板木の芽雨

 春雷 (藤枝)横田 じゅんこ
有るところにはこんなにも犬ふぐり
縁側に日ざしこぼるる雛祭
春雷や背伸びしてとる薬箱
剣道着干されふくらむ牡丹の芽
錠剤に小さきローマ字春の月
見ゆる雨見えぬ雨降る花馬酔木

 春祭 (島根)田口 耕
海風に両手を広げ青き踏む
渡船場に受験子の声あつまり来
青空に鳴き声のこし落雲雀
百千鳥の迎ふる島の港かな
歳時記に父の書込み花菜漬
篠笛の袋の金糸春祭

 春の雲 (浜松)林 浩世
木の芽吹く土塁に太き根を伸ばし
青き踏む手帳にあまた未完の句
象が行き鯨が追うて春の雲
父の前ぶらんこ高く高く漕げ
釣人の返事短し風光る
橋脚ををりをり仰ぎ磯遊



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 篠原 亮(群馬)
昼は日を夜は星あげて春田かな
川音をしづめて花の咲いてをり
たんぽぽの咲いてみ寺の蛇口かな
満開の重さに揺るる桜かな
ひとすぢの水の流れて春の山

 青木 いく代(浜松)
みづうみへ流れを繋ぎ芹の水
春の鴨水面の雲に乗つてをり
春満月まだ見ぬ街に住まふ子と
バス停に新時刻表つばめくる
山桜仰ぐやひかり降つてくる



白光秀句
村上尚子

川音をしづめて花の咲いてをり 篠原 亮(群馬)

 雪月花という通り、花は日本の春を代表するものであると共に、最も美しい言葉である。詩的であり、見た目以上に心に訴えるものも多い。花が咲くことは自然の節理だが、この句は人間と同じ生き物のように捉えている。
 作者は九十二歳である。今迄どれ程の花と向き合ってこられたのだろう。歳を重ねることで気付くことや見えてくるものもある。我々が学ぶべきことはたくさんある。
  昼は日を夜は星あげて春田かな
 冬を越し、苗を植える前の田だが、その様子はまちまちである。草が生えているもの、れんげが咲いているもの、あるいは既に鋤かれているもの等々……。そんな田から空へ目を向け広い時空をもって語っている。
 風景はやがて〝瑞穂の国〟へと繋がる。

みづうみへ流れを繋ぎ芹の水 青木いく代(浜松)

 芹は万葉集や古事記にもその名が出てくるように、食用の歴史は古く春の七草としても親しまれている。
最近は郊外でも栽培されているが、これは自生のままの姿である。その名の由来の通り流れの両岸に、あるいは中程に競り合うように育つ。水はそのそばを縫うようにして下流を目指す。決して滞ることはない。
 目の前の景を忠実に詠んでいるだけだが、やがて咲く白い花の清楚な姿と、湖の広い様子も見えてくる。
  バス停に新時刻表つばめくる
 新年度に向けいろいろ変わるものが多いが、バスの時刻表もその一つ。「つばめくる」は新たな出発に向けての希望にも重なる。
 季語の取り合わせにより、結果は明らかに変わってくる。

車椅子押され花見の客となる 加藤 芳江(牧之原)

 コロナ禍ということで、今年も制約を強いられたお花見だった。その中で車椅子に乗っている人も多く見かけた。押す人も押される人もみな笑顔だった。

昼過ぎの雨啓蟄の畑ぬらす 森 志保(浜松)

 「地虫穴を出づ」「蛇穴を出づ」とあるように、冬の間地中に眠っていた生き物が地上へ出て活動を始める頃で、三月五日か六日にあたる。昼過ぎに降り出した明るい雨が、いよいよ暖かくなる春を端的に表現している。

春塵を載せて傾く弥次郎兵衛 福本 國愛(鳥取)

 弥次郎兵衛を見るとつい触ってみたくなる。その瞬間大きく揺れるが、しばらくすると何もなかったかのように釣り合いを保って止まる。大げさな表現がこの句の面白いところである。

鉄瓶の湯にて点つる茶桜餅 富岡のり子(さいたま)

 静かな茶室に湯の沸き立つ音が聞こえてきた。意匠を凝らした南部鉄瓶が思い浮かぶ。目の前に出されたのが桜餅。茶道という伝統の静かな動きのなかにも、それを楽しむ時間がゆっくりと流れてゆく。

ロッカーに小さな鏡春立ちぬ 佐藤陸前子(浜松)

 仕事着に、あるいは私服に着替えたとき、殆どの人は鏡の中の自分を確かめるに違いない。そしてそれなりに納得する。暦の上の立春はまだ寒いが、気持ちの上での春の覚悟はこの鏡と向き合ったことで決まった。

竹林にシタール響く養花天 村上千柄子(磐田)

 シタールは、日頃あまり見かけることは少ない、北インドの撥弦楽器である。その音色が竹林に響いているという。「養花天」の季語により、異国情緒のある音色が益々その場の雰囲気を盛り立てている。

女手に重き鶴嘴雪を割る 大河内ひろし(函館)

 機械化が進み、工事現場でも鶴嘴はあまりみかけなくなった。しかし雪国では、普通の家庭でも必要な場合がある。冬の間の苦労がよく分かる。作者のやさしい眼差しが見えるようだ。

靴変へて四月の一歩踏み出しぬ 仙田美名代(群馬)

 この靴は新しいものか、あるいはよそ行きのものか。早速履いて足元を見ながら数歩あるいてみた。それだけで気分が良い。幾つになっても純真な気持ちは失いたくない。四月は新年度の始まる月でもある。

黄砂降る太陽まるく沈みけり 仲島 伸枝(東広島)

 春の季節風に乗って、モンゴルや中国からやってくる砂塵である。厄介だが、俳人にとっては見逃がせない季語の一つでもある。いつもとは違う夕日を楽しんだ。


その他の感銘句

子持鮒みぎはの葦をゆらしをり
木のいろいろ草のいろいろ山笑ふ
芋を植う赤芽白芽と確かめて
具の大き夫の味噌汁春灯
白魚を掬へば跳ぬる光かな
遠浅の岸に波寄せ涅槃かな
紫木蓮剥がるるやうに散りにけり
春夕焼玄界灘に舟一つ
駅に立ち眉山を仰ぐ遍路かな
残雪の遠山を背に貨物船
鳥の声止み春雨の音となる
雉の恋きれいな羽根を広げけり
剣先をしやんと突き出す菖蒲の芽
蕗味噌や母のレシピに胡麻油
古書店に並ぶ句集や春夕べ

鈴木 利久
北原みどり
横田 茂世
原田 妙子
舛岡美恵子
中山 雅史
中村 早苗
谷口 泰子
樫本 恭子
西川 玲子
吉原 紘子
榛葉 君江
塚本美知子
関 仙治郎
加藤 葉子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

浜松 渡辺 伸江
春光にひらく新居の設計図
笑ひ声の絶えぬ三人うららけし
桃の花笑窪のできる舞子かな
子雀に米一粒の至福かな
蘖の伸びゆく森の瀬音かな

磐田 浅井 勝子
雛飾り終へて静かな夕あかり
長生きの血筋うとうと春炬燵
校庭に小さな林小鳥の巣
舫ひ杭の天辺に鳥風光る
春深し雨の中なる百度石



白魚火秀句
白岩敏秀

子雀に米一粒の至福かな 渡辺 伸江(浜松)

 季語は子雀。雀は孵化して二週間ほどで巣立ちする。巣立ちしても生活能力はないから、親から餌を貰う。この子雀は親離れして間もないのであろう。自力では満足に餌が取れない時の米一粒の有り難さ。身近な存在である雀の、か弱い子雀に思わず手を差し伸べる優しさである。
  春光にひらく新居の設計図
 春光は明るくて希望に満ちた日光。あたたかな日の恵みを受けながら、新しい家の設計図をいく度も開いて見る。この部屋はこう使って、ここにテーブルを置いてなど様々な計画が浮かぶ。新しい家、新しい夢を春の日差しがやわらかく包んでいる。

雛飾り終へて静かな夕あかり 浅井 勝子(磐田)

 今年も例年のとおり雛を飾り終えた。一年ぶりの雛を丁寧に飾ったために、夕暮れまでかかってしまった。飾り終えた雛としばらく向かい合って座っていると、母のことや子ども達と一緒に飾ったことなどが次々と思い浮かんできたのだろう。夕明かりが雛の白い顔をほのかに照らしている。雛と作者の間に静かな時間が流れていく。
  長生きの血筋うとうと春炬燵
 春炬燵ほど厄介なものはない。あれば邪魔になり、無ければ寂しい。しかも、一度入ると抜け出ることがなかなか難しい。いまも、炬燵に足を入れていると、ついうとうと…。これは怠惰でなく、血筋のせいであり、春炬燵のせいという弁解がまた滑稽。

彼岸会や思ひ当たらぬ供花のあり 石岡ヒロ子(鹿沼)

 所用を済ませて、少し遅れて墓参りに行ったところ先客があったようだ。新しい花と線香が供えてある。「はて…?」と思い巡らすが、思い当たる人がない。もしや…とあらぬ方向へ思いがいって、改めて「思ひ当たらぬ」供花を見直しているところ。これからの展開に興味津々な句。

木蓮や鎮魂の灯の海へ向く 久保 徹郎(呉)

 多くの人達の命を奪った、東日本大震災から十年が過ぎた。いつまでも癒えることない痛みである。久保さんの「海へ向く」灯は津波で亡くなった人達へ捧げる、人間の鎮魂の灯であるが、季語の「木蓮」は草木さえも鎮魂の花を咲かせるということ。そういえば、木蓮の莟は蝋燭に似ている。

角兆す牧の仔牛や風光る 後藤 春子(名古屋)

 「風光る」とあるから、牧開きの光景であろう。親牛と一緒に放された仔牛にとって、牧場は初めての世界。珍しそうに人に寄ってくる仔牛の頭が少し盛り上がって、角が生えて来そう。角はやがて切られてしまうのだが、そうとも知らずに今を楽しんでいる。知らぬが仏とはこのこと…。

晩年といふ日をあそび花疲 川神俊太郎(東広島)

 一日をたっぷり使い花見をした。美味しい料理も食べた。満ち足りた思いで帰宅した途端に、どっと出てきた花疲。花疲れに年をとったとの思いと一日を十分に楽しんだ思いが重なる。「遊ぶ」に老いてもなお、失わないこころの余裕を感じさせる。

うららかや赤きポストの貯金箱 吉原絵美子(唐津)

 街角のポストが四角に変わって、以前の丸いポストは貯金箱になった。あの大きなポストが身を縮めたように小さくなり、箪笥の上に置かれている様子を「うららか」と感じ取った作者。「うららか」以外の季語では成り立たない句である。

金曜の夜はコーラス春の月 佐藤 あき(出雲)

 地区の合唱団で練習しているのだろう。金曜日はいつもの通りの練習日。家事を終えて練習に急ぐ楽しそうな姿が浮かぶ。発表会が近いのかもしれない。弾むようなリズムが快い。

初蝶の飛び立つ風を選びをり 埋田 あい(磐田)

 蝶々にも風の好みがあるらしい。ましてや初蝶である。初めて出合う風に戸惑いながらも、しっかりと飛び立てる風を選んでいる。これから生きていくために大切な選択である。


    その他触れたかった句     

耕人に土生き生きと応へけり
一日といふ隔たりを花に見し
予算書の重たき鞄春の雨
海を見て海を離れて啄木忌
花冷や夜の顔みせて五重塔
鶯餅指やはらかくしてつまむ
春嵐少女は棒となりにけり
木の芽晴かざして磨くマグカップ
花月夜雨の匂ひの残りをり
初燕鏡のやうな今朝の空
洗ひ上げはつしと切りし芹の水
春風や絞り木綿の小風呂敷
時計針ピクリと進み寒戻る
進路希望は空欄に花曇
春風や採血を待つパイプ椅子

水出もとめ
上尾 勝彦
唐沢 清治
安部実知子
渡辺 加代
高山 京子
森山真由美
佐藤 琴美
鈴木 花恵
脇山 石菖
横田 茂世
徳永 敏子
松田独楽子
赤塚優里香
松山記代美


禁無断転載