最終更新日(Update)'20.11.01

白魚火 令和2年11月号 抜粋

 
(通巻第783号)
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11月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   三原 白鴉
「競争馬」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
        高橋 茂子、永島 のりお
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       山田 ヨシコ、田中 艶子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(出雲)三原 白鴉

茶の花の蕊浮き上がる夕べかな  柴田 まさ江
         (令和二年一月号 白魚火集より)
 茶の木は椿の仲間で、奈良時代に中国から伝えられたとされる。花を愛で、実を利用する椿と違い、葉を利用するために栽培されるので、花は小さく控えめで数も少ない。よい茶葉を採るためには花を咲かすのはよくないとされているので、小さく少ないのは当然であろう。満開になったとき、小さく白い五弁の花びらの真ん中に黄色い蕊が丸く大きく盛り上がる。そんな花が、茶の木に点々と下向きに咲く様子は、まるで白い笠の電灯が明るく点ったようである。茶の花は夕暮れがよく似合う。
 「蕊浮き上がる」の措辞が誠に適切で、読む者に茶樹の処々にぽっと点るように咲く花の静かに暮れゆく情景が浮かび心癒される。

生涯を出雲訛で文化の日  江⻆ トモ子
         (令和二年一月号 白魚火集より)
 作者は、出雲に生まれ、出雲に嫁ぎ、出雲に暮らしてきた生粋の出雲人。そこで話される「出雲弁」は、奥羽、薩摩と並んで日本三大方言の一つとも言われ、明治時代に標準語が定められ人々の行き来も多くなった昭和の時代になっても他所から来た人には通訳がいないと何を言っているかさっぱり分からないと言われた。かつて方言は野卑、標準語は上品とされ、学校では方言を使ってはいけないなどと指導され、社会に出てからも出雲弁を使うのは肩身が狭かった。
 しかし、現在は方言の持つ温かみや表現力などが見直され、各地に保存会が出来るなど、出雲の文化を代表するものの一つとして大切に長く伝えていくための努力がされている。作者も、出雲弁を使用しないよう指導された年代だが、生粋の出雲人として出雲の地に根を張って、家を守り、米や野菜、花を栽培し、出雲弁を喋り続けてきたことに今は誇りを持っているのではないか。そんな思いが「文化の日」に滲む。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 終戦忌 (静岡)鈴木 三都夫
日日草俳句に余生なかりけり
打水の撥ね返されし埃かな
門を出し一歩に目眩めく炎暑
魂の虚け心の昼寝覚め
放牧の牛の遊べる花野かな
さやさやと風の渡れる稲の花
天守なき石垣崩れ昼の虫
終戦忌船と沈みし日の日記

 濁り酒 (出雲)安食 彰彦
訳ありの祖父の位牌へ濁り酒
とりあへず枝豆つまみ濁り酒
腑におちぬ彼のひと言濁り酒
仙花句集虜となりぬ秋灯下
秋灯下湯呑ひとつと師の句集
還らざるレイテの伯父よ敗戦日
敬老日夢をすてたることかなし
なによりも俳句と歩む敬老日

 林檎のうさぎ (浜松)村上 尚子
読みさしの本に栞や原爆忌
正面を向き盆波の後退り
どう置いてみても西瓜の落ち着かず
赤とんぼ艇庫の空を回しけり
秋燕や駅に点字の案内板
児に見られ林檎のうさぎ耳立つる
二百十日船板塀に釘の穴
舞殿を抜けて色なき風となる

 津和野の旅 (唐津)小浜 史都女
草刈女顔もあげずに折り返す
かき氷津和野の旅の鮮明に
娘より目高の機嫌きかれけり
うやむやな生命線や半夏生
めまとひの叩けば増えてきたりけり
盆過ぎの口あたりよき胡麻豆腐
便箋と対の封筒星月夜
八十のあとは数へず衣被

 道鏡の塚 (宇都宮)鶴見 一石子
朝靄のきれ郭公の会津富士
浮萍は宿場の余波水車
この林道五時に閉門蚊食鳥
曹洞宗の山門潜り彼岸花
適ふなら杖持たぬ身の墓参り
裏漉しの漉餡よけれ生御魂
松手入れとどかぬ蒲生君平碑
道鏡の塚の毒茸笑ひ茸

 コスモス (東広島)渡邉 春枝
土間ありし頃の庭下駄月涼し
立秋の夕日とどまる地平線
秋めくや水音にまじる鳥の声
溜池の底の泥水秋旱
次の会までの宿題秋暑し
秋うらら長寿の血筋われにあり
コスモスや裏も表も開けて留守
山に来て海を見てをり鳥渡る

 山の畑 (浜松)渥美 絹代
献血車の日除プラタナスに触るる
検温の間も四十雀よく鳴けり
牧場の売店に飼ふかぶと虫
遠雷や足に鼻緒の食ひ込んで
花合歓のときをり落つるカフェテラス
山裾に沿ふ旧道や盆の月
かなかなや三和土に供花の水こぼし
草ひとつなき八月の山の畑

 花蝋燭 (北見)金田 野歩女
長考の棋士の着こなす絽の羽織
青空を掬ったようなソーダ水
握力の衰へ少し胡瓜揉み
盆用意花蝋燭を一打
流れ星海へ落ちゆく島泊り
露草の露を落として実を結ぶ
黍嵐転がつてゆく竹箒
爽涼や刺子布巾のおろしたて

 爽やか (東京)寺澤 朝子
隣る椅子永久の空席秋立ちぬ
暮れ方の淡く灯ともる草の市
盆花の抱きてかろきものばかり
敗戦忌女子も唱へし「戦陣訓」
無き家に母ゐる夢や夜半の秋
一椀に透けて冬瓜の清まし汁
星飛ぶや五指に余れるひと逝かせ
然る可く端渓ゆづり爽やかに

 走り蕎麦 (旭川)平間 純一
紙紐で句稿をつづる涼新た
流燈の岸へ寄りつつ灯しつつ
山暮れて川暮れなづむ流燈会
送火の崩れて川の暮れにけり
ぎんやんま逃ぐる小灰蝶に翻る
なまぬるき闇夜となりぬおけら鳴く
受けつぎし味は確たり新豆腐
井水に手もみ洗ひの走り蕎麦

 涼新た (宇都宮)星田 一草
江戸風鈴ぴくぴく動く猫の耳
凌霄の散り継ぐ雨の重さかな
雨音を聞くも独りや夜の秋
風渡る甘き匂ひの稲の花
一行の妻の名のみの墓洗ふ
寝転んでゐる茄子の馬瓜の牛
爪切りて指そらし見る涼新た
暮れてなほ大地の火照る残暑かな

 獺祭忌 (栃木)柴山 要作
新涼や朝日射しくる藍甕場
銀やんまついと紺屋の通し土間
陶匠の大きな草屋白木槿
酔芙蓉百花真白き朝かな
吾の指をしばし基地とす秋あかね
積ん読の部屋にあふれて秋暑し
解夏告ぐる法螺一山に轟けり
獺祭忌術後五年を生かされて

 新生姜 (群馬)篠原 庄治
寝付かれぬ枕を返す熱帯夜
糠床に一夜委ねし茄子胡瓜
百本の足並み揃ふ蜈蚣かな
辻褄の合はぬ空夢三尺寝
天高し日がな草食む牧の牛
黄金つき頭垂れゐる早稲田かな
歯応へに辛さ程よき新生姜
蝶々の飛び交ふ蕎麦の花ざかり

 歌女鳴く (浜松)弓場 忠義
秋めくや道にはみ出す古本屋
缶詰の蓋ぽんと開き秋うらら
渡し舟一棹さして水の秋
鰡飛んで浜に人影二つ三つ
残る蚊とて一筋縄にはゆかぬなり
我が影の中より出づる秋の蝶
歌女鳴くやネオンサインの点りをり
靴の音つまくれなゐの種こぼし

 秋風 (東広島)奥田 積
日の斑道もう秋風が吹いてゐる
図書館の大きな窓や稲光り
うれ色の田圃一枚秋夕やけ
目の前に来て折りかへす鬼やんま
葛の花自転車押して少女来る
水引の色をなすほど咲いてをり
テーブルの桃や女のひとり言
月光や返信メールすぐ来たる



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 蟬しぐれ (多久)大石 ひろ女
蟬しぐれ文珠菩薩の岩庇
あの頃のふたりに戻る生ビール
わだつみの沖を紫紺に秋立てり
霊送り終へてひとりの皿洗ふ
新涼の枕辺に聞くオルゴール
星の位置すこし変はりぬ虫時雨

 栓抜き (鳥取)西村 ゆうき
駄菓子屋の栓抜きに紐ソーダ水
秋扇奈良絵の塔をたたみけり
稲の花小さくたたむエコバッグ
流れ星いづれは捨つるガラス瓶
花カンナ路地いつぱいにチョークの絵
鵙鳴くや牛舎の屋根の乱反射

 新涼 (東広島)吉田 美鈴
風紋の影新しき今朝の秋
濡れタオル首に秋暑の厨かな
新涼やひらく文よりインクの香
空青きままに日の暮れ葡萄棚
川の瀬を飛石伝ひ赤とんぼ
牛舎まで続く小径の花すすき

 秋の蛍 (浜松)佐藤 升子
小舟来て流燈ひとつづつ置きぬ
鳳仙花弾け青空残りけり
てのひらを離れぬ秋の蛍かな
花木槿残りわづかな常備薬
盆ほどの水見えてゐる芒原
ポケットに秋思の諸手ありにけり

 星月夜 (出雲)渡部 美知子
新涼や警策の鳴る座禅堂
谷川の音こだまして里は秋
寝静まる棚田百枚星月夜
桔梗や母の命日過ぎて咲く
鈴虫に奥の二間を明け渡す
秋落暉いま千年の神杉に

 終戦日 (浜松)安澤 啓子
烏瓜咲きさう鳥の群西へ
小児科の待合室に蟬の殻
起き抜けに一杯の水終戦日
生ぬるき終戦の日の夜風かな
茅門をくぐる手前に椎拾ふ
磐座に一尺の罅秋の声



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 高橋 茂子 (呉)
秋立つや草の中より水のこゑ
揃へたる靴に鳥影今朝の秋
八月の川沿ひをゆく市電の灯
子の涙拭ふ母の手草の花
秋夕焼舳先に降るる二羽の鷺

 永島 のりお (松江)
油蟬散り一本の樹にもどる
川中を舟の行き交ふ今朝の秋
仏壇のみの家に海風盆用意
蹴るに良きかんから一つ敗戦日
赤とんぼ町営バスに三姉妹



白光秀句
村上尚子

八月の川沿ひをゆく市電の灯 高橋 茂子(呉)

 川沿いを電車が走る風景は取り立てて珍しいものではない。しかし、作者が広島県にお住まいであり、「八月」ということになれば、即、原爆ドームの周辺の景色が見えてくる。戦争は生まれる前のこととは言え、悲惨な出来事は広島に限らず世界に語り継がれてきた。「市電の灯」は、今後も平和の象徴の一つであり続けなければならない。目の前の光景をたんたんと語っているが、その奥に秘められた思いは自ずと伝わってくる。
  秋立つや草の中より水のこゑ
 ただの草むらだと思っていた所から水の音が聞こえてきた。敢えて「水のこゑ」と表現したのは、水への親しみと立秋ならではの感慨である。切れ字の効果も遺憾なく発揮されている。

蹴るに良きかんから一つ敗戦日 永島のりお(松江)

 敗戦日は行事の一つとして歳時記に載っているが、単なる記念日などとは訳が違う。多くの犠牲者を出した戦争への戒めの日である。
 道端にころがっていた空き缶を見ての発想である。特別な物が無くても、そこそこの広場があれば楽しめる缶蹴り。近頃空き缶を見て思うことは資源ごみ位かもしれない。「かんから」と表現したのも思い出へのこだわりであろう。貧しい時代から得たものはたくさんある。
  油蟬散り一本の樹にもどる
 蟬の中でも最も身近な油蟬。暑さをかき立てるように、木にしがみつくように集団で鳴いているのを見掛ける。しかし秋が近付くといつとはなしにその声も途絶えてしまう。あれほど頼りにされていた樹も、今は退屈そうに立っている。

夏落葉井堰の渦を抜けだせず 阿部 晴江(宇都宮)

 夏は松や杉、樫、椎などの常緑樹が、徐々に新しい葉と入れ替わる時期である。冬の落葉とは違いあまり目立たない。しかし、この句は落ちた場所とその状態の一点にのみ目を止め、新しい境地を開いた。

有り無しの風きてからすうりの花 青木いく代(浜松)

 赤く色付いた実からは想像もつかない繊細なからすうりの花。人肌にも感じられないほどの夕風に揺れている。
 簡素な表現でありながら核心を衝いている。

母のもの解く夕べや虫時雨 加藤三惠子(東広島)

 一瞬あれこれと思いを巡らした。単に使わなくなったものか、あるいは遺されたのか…。それによって心の動きは大きく変わる。しかし、「虫時雨」により、後者ではないかと想像した。糸を一本ずつ解きながら、母上への思いは募るばかりである。

木には木の草には草の盆の風 篠原 亮(群馬)

 木も草も季節やその日によっていろいろな表情を見せる。少ない言葉で語っているが、「盆の風」によって思いは俄に遠き日へとさかのぼり、作者の胸へ寄り添ってくる。俳句ならではの表現である。

リハビリの初めは十歩木槿咲く 鈴木 誠(浜松)

 リハビリにもいろいろあるが、先ず自分の意志で動けることが何よりの喜びである。一歩ずつ進めば今迄見えなかったものが見えてくる。木槿は朝咲き夜には萎んでしまうが、長い日数をかけ、次々と咲き続ける。そんな姿に励まされているのだろう。

汲み上げて青竹に盛る新豆腐 萩原みどり(稲城)

 輸入大豆が大半を占める市販の豆腐に馴れ、新豆腐を見分けるのは難しい。この景は特別な場所であろう。きれいな水から掬いたてのものを青竹に盛る。ここならではの風情や風味が伝わってくる。

送り火を風が浚ひてゆきにけり 岡部 章子(浜松)

 盆の行事の最後に祖先を彼岸へ送るための送り火である。迎え火とは心持が違う。じっと見つめていた火が、突然の風に消されてしまった。残された煙が空へ昇ってゆくのをいつ迄も見送っている姿が見える。

のけぞつて水飲む鴉今朝の秋 佐久間ちよの(函館)

 町なかのどこでも見かける鴉だが、人間に一番嫌われているかも知れない。そんな鴉の一瞬の動作に秋を感じ取ったという。作者のやさしさからの発想であろう。

時計台の正午の鐘や終戦日 石田 千穂(札幌)

 聞き馴れている札幌時計台の鐘の音だが、今日が終戦日と気付くと、いつもとは違って聞こえてくる。足を止めてその一つ一つに耳を傾けた。鎮魂と平和への願いの音は、町中へ響き渡っていった。


  その他の感銘句

行く夏や駱駝の膝に座り胼胝
山の湯の天窓に見る星月夜
棚経に水筒持つて和尚来る
新涼や産湯の傍の温度計
大股に歩く住持や桐一葉
屋号にて呼べば振り向く豊の秋
遥かなる山に風車や稲の花
秋の鮎塩うつくしく焼かれけり
開いては閉づる歳時記秋暑し
けん玉の剣をみがきて敬老の日
待たされて白靴の足組み直す
審判の大きゼスチャー雲の峰
城山の西に図書館小鳥来る
瀬戸内の漁火の消え盆の月
小鳥来る屋根に大きな風見鶏

坂田 吉康
富岡のり子
山本 絹子
秋葉 咲女
鈴木 利久
若林 光一
徳増眞由美
大野 静枝
大菅たか子
川神俊太郎
村松ヒサ子
根本 敦子
小林 永雄
原田 妙子
市野 惠子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 牧之原 山田 ヨシコ
喜雨のあと打ち込む鍬の深さかな
解く菰の露を零して草の市
持ち帰る茣蓙に湿りの地蔵盆
盆棚に使ふ芒の一と抱へ
流灯会託する波を待ちにけり


 浜松 田中 艶子
コスモスを揺らしてをりぬ鬼ごつこ
栗食みてふる里の山思ひけり
金秋や吊り橋ゆらし渡り来る
声を追ひ芒の迷路抜け出せり
獅子唐の真つ赤になりぬ秋の風



白魚火秀句
白岩敏秀

喜雨のあと打ち込む鍬の深さかな 山田ヨシコ(牧之原)

 今年の夏は暑く長く、作物が枯渇するほどであった。ところが、ある日にわかにかき曇った空から大粒の雨。待ちに待った恵みの雨であり、喜雨である。「打ち込む」には喜雨に元気を貰った作者があり、「鍬の深さ」には作者に応えてくれる柔らかな土がある。テーマは喜雨への感謝。
  流灯会託する波を待ちにけり
 流灯会は一年に一度帰ってきたご先祖を彼岸へ送り届ける日。灯籠を無事に送るために、ほどよい波を待っているのだが、思うような波がやって来ない。「波を待つ」によい波で霊送りをしたいとの思いと、もう少しこの世にいて欲しい思いがにじむ。

栗食みてふる里の山思ひけり 田中 艶子(浜松)

 栗を食べるとふる里の山が思われ、瓜を食べればふる里の野が思われる。若いときは余りふる里を思うことはなかったが、今は何かにつけてふる里を振り返るようになった。山上憶良は栗を食んで子を思い、作者はふる里を思った。若くして離れたふる里をしみじみと偲ぶ齢になったということ。
  金秋や吊り橋ゆらし渡り来る
 金秋は「秋。五行のひとつである金が四季では秋にあたるのでいう」と広辞苑にある。山歩きをして渓谷などを楽しんだのであろう。吊り橋を渡って来るのは同伴者であろうが、あたかも秋が渡って来たかのように叙してユニーク。秋は山から来るとも暗示していよう。

新涼や川いきいきと流れゆく 浅井 勝子(磐田)

 川の水も、さすがに夏の暑さでけだるそうに流れていたが、秋が来ると流れに生気が戻ったようだ。「新涼」は肌で感じる秋の涼しさだが、説明しにくい季感である。それを「いきいきと流れ」と目に見えるかたちで示している。そして、「水澄む」ことも言外に言っている。

朝顔の藍朝空に譲りけり 大石 弘子(牧之原)

 涼やかな朝が始まった。夕顔は眠りにつき、朝顔は藍を開き始めた。刻々と青空を広げてゆく空。それを朝顔が藍色を空に譲ったと捉えた。天上と地上の藍色の交感に秋の爽快さを感じたのであろう。発想が新鮮。

をやま出てどつと沸き立つ村芝居 北原みどり(飯田)

 秋の収穫が終わって、村芝居が始まった。毎年のことなので、場面やストーリーは知ってはいるが、それでも女形が登場するとやんやの喝采で盛り上がる。白粉で顔を真っ白にしていても、体つきでどこの誰かはすぐ分かる。普段は厳つい身体が今日は嫋やかな女形に変身して爆笑を誘う。拍手にも笑いにも親しさがあるのは村芝居だからこそ。

いわし雲墓山ほとけ日和かな 安部実知子(安来)

 長い間のご無沙汰を詫びつつ、花を供え線香を上げて手を合わせる。無心で先祖の墓に向かい合っていると心の落ち着きを覚える。空には鰯雲がゆっくりと広がり、墓山に秋爽の風が吹く。まるで極楽浄土のよう…。「ほとけ日和」は辞書にない言葉。仏に貰ったよい日和ほどの意味の造語だろうが、あたたかみのある言葉である。

帽子似合ふ若き日ありて炎暑かな 渡部千栄子(出雲)

 炎天の日に外出しようとして帽子をかぶってみたが、どうもしっくりしない。少し斜めにかぶり直しても似合わない。若い頃には帽子がよく似合うといわれたものだが…。失っていく若さと時の流れの速さを嘆く女性の微妙な心理。

枝豆の青さを口にころがしぬ 鍵山 皐月(唐津)

 枝豆はビールの友にはなくてはならないもの。指で押さえてぽんと弾き出して、そのまま口に放り込む。青いルビーを含んで気分はまさに王様。細見綾子の〈そら豆はまことに青き味したり〉は味覚、こちらの句は「青さ」として視覚的に捉えた。どちらも新鮮さが魅力。

稲雀逃ぐると見せてすぐ戻る 福光 栄(東広島)

 稲の稔るころに大群でやってくる稲雀。追い払おうとすると、三十六計逃げるにしかずとぱっと逃げる様子をみせるが、油断をするとすぐ戻ってくる。孫子の兵法を知っているがごとき稲雀の作戦。穫り入れが終わるまで続く稲田の攻防戦である。


    その他触れたかった句     

法隆寺の塔にはじまる白雨かな
新涼の駅に降り立つ旅鞄
かなかなや乾ききつたる畑の土
検診の固きベッドや夏果つる
水筒の紐の捩れや敗戦忌
商談は日焼の訳で始まれり
緑蔭を玄海の風吹き抜くる
ヨットの帆湖面に触るるほど傾ぐ
秋の灯や棚田の先の一軒家
棚経の僧ていねいに灯を消しぬ
草いきれ残し暮れゆく山の墓地
八月の客おしだまる夜汽車かな
指染めて藍の糸織る夏座敷
暮れてなほ風に熱ある残暑かな
夏帽の広き鍔上げ撮られをり
燈明の燭の形に烏瓜
渡されし手紙の熱し花カンナ

溝口 正泰
水島 光江
中林 延子
斉藤かつみ
熊倉 一彦
富樫 春奈
谷口 泰子
土江 比露
萩原みどり
大澤のり子
大滝 久江
内山実知世
山本かず江
岩井 秀明
髙橋 圭子
奈良部美幸
材木 朱夏


禁無断転載