最終更新日(Update)'20.08.01

白魚火 令和2年8月号 抜粋

 
(通巻第780号)
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8月号目次
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季節の一句   篠原 庄治
「木の香」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
        竹内 芳子、青木 いく代
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       山田 眞二、石田 千穂
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(群馬)篠原 庄治

おしぼりに十指をほぐす夏座敷  源 伸枝
         (令和元年十月号 鳥雲集より)
 親友と入った炎昼のレストランの席。オーダーした料理が出て来る間に冷たいおしぼりで額からの汗を拭き、両手の指先に滲んだ汗を拭き取る仕種を「十指をほぐす」と詠んだ中七文字に作者の力量を感じる。
 運ばれた料理の味はもとより、盛り付けられた器にまで十二分に堪能した一時を楽しまれた事だろう。

夏の蝶羽根重たげに開きけり  田部井 いつ子
         (令和元年十月号 白魚火集より)
 蝶は初、夏、秋、冬を付け季語として使われ、又多く詠まれている。夏の蝶と改めて詠んだ句は他と比較すれば少ないような気がする。
 蝶と言えども真夏の炎昼などは、時には花の裏側や大木の小枝に縋り静かに休んでいるのを見かける事がある。
 そんな時大きく羽を開き、ゆっくりと閉じる動作を繰り返している。
 作者はそれを「羽根重たげに」と見たのだろう。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 八十八夜 (静岡)鈴木 三都夫
茶祖像に開拓の碑に茶の芽立つ
恙無き八十八夜茶の芽摘む
かがなべて手塩に掛けし茶の芽摘む
茶刈機に緑の海の果てしなき
茶刈機を捌くも夫唱婦随かな
茶刈機の立往生は梃摺れる
一番茶終へ明日からは代を掻く
逸速く蛙の燥ぐ代田かな

 行々子 (出雲)安食 彰彦
沖に雲沖に灯台海猫帰る
眼の前に揚羽一閃舞下りぬ
行々子の鳴き声捉ふ夕間暮
大斐伊の流れ静寂行々子
許されよ湯殿の中の大百足
大百足馳する殺意を許されよ
行々子夕日美し湖もまた
蝸牛の角出しきつて角ふつて

 若葉風 (浜松)村上 尚子
吊革に伸ぶる二の腕夏来る
彫像の天使の羽根や若葉風
今年竹風をあやつり始めけり
手さぐりで通す閂棕櫚の花
早苗田の畦十文字十文字
片蔭を拾ひ無口となつてをり
ソーダ水をんなの自由時間かな
五六本挿せば風くる青すすき

水位計 (唐津)小浜 史都女
近づけばなほ美しき苗障子
青葦や橋桁に朱の水位計
瓦せんべい生姜の効きし夏はじめ
伸びすぎて行儀の悪しき夏薊
花うばら吾に故郷のなかりけり
忍冬腐しの雨の濁りかな
木天蓼の花ひつそりとつけてゐし
みづうみのごと水張つて田植前

 心太 (宇都宮)鶴見 一石子
予科練を育てし空や蓮根掘り
奥州街道逸れし古道の杉の花
湯の宿の灯火が一つ春の月
夢にみし燈下管制朧影
搗棒は杉の香りに心太
蒟蒻の花見て蜻蛉の羽化に遇ふ
金売の吉次通りし木下闇
万緑や白寿の坂を一歩づつ

 麦の秋 (東広島)渡邉 春枝
山鳩のくぐもりて鳴く立夏かな
山道はほどよき湿り沙羅の花
遠くまで風筋見ゆる植田かな
ふる里の夏野に佇てば昭和の香
コロナ禍に籠れば郭公声高に
手作りの前うしろなき夏帽子
夏帽を目深に停止線に立つ
麦秋や古き書棚の古き本

 遠雷 (浜松)渥美 絹代
母の日のときをり強き雨の音
生ぬるき夜風や枇杷に色の出て
双眼鏡持てばにはかに日雀鳴く
朴咲くや修験の道の雲に触れ
花蜜柑匂ひかすかに波の音
家中をよき風の抜け更衣
遠雷や父の読みたる本をよみ
潮の香の風に吹かるる藍浴衣

 父の日 (北見)金田 野歩女
夫婦箸替へて目刺を頭より
川筋の桜の小道句碑の道
花明りもう使はれぬ轉車台
音たてて膨らむ五色の紙風船
空海像網笠目深花吹雪
つばめ魚海藻乾ぶ磯伝ひ
父の日の母にも届くメッセージ
河原鶸鈴転がしてゐるのかと

 落し文 (東京)寺澤 朝子
歌舞音曲鳴りをひそめて夏に入る
母の日の花が文机ひとり占め
女子寮の昼はしづかや紫蘭咲く
在五忌のかきつに雨のふる日かな
運河てふ音なき流れ夏燕
古書街の老舗が閉ぢぬ皐月空
武蔵野の木立に拾ふ落し文
風鶴院波郷墓所とてさみだるる

 蝦夷春蟬 (旭川)平間 純一
闌けたりて蝦夷春蟬の山揺らす
再開の句会に集ふ若葉風
郭公の遠くに鳴きて山遠く
村中の野良にいそしむ閑古鳥
縄文の土器の焦跡青嵐
土笛の縄文の音や星涼し
縄文のぐい飲徳利白夜くる
木下闇疫病紛れて潜みけり

 蕗の葉 (宇都宮)星田 一草
風の音水の音して木々芽吹く
蕗大葉揺らして雨の音過ぐる
母の日と子が言ふ妻の今は亡く
臥す牛の遠く見てゐる青嵐
落し文城史に遺る悲話あまた
緑差す水面に浮かぶ山の影
唐突に竹の子道のど真ん中
老鶯や木道に鳴る靴の音

 麦熟るる (栃木)柴山 要作
土地改良記念碑ららら踊子草
金の蕊にもぐり込む蜂白牡丹
夕さざ波腰の据らぬ早苗かな
搦手は鬼怒の断崖青嵐
扉を置かぬ教会の門薄暑光
久々の授業のチャイム麦熟るる
故郷の山を遠退け麦藁焼く
先づコロナ退散祓ふ夏越かな

 松の芯 (群馬)篠原 庄治
お忍びの番の鴛鴦や峡の湖
散り落ちてなほ艶やかな椿かな
老幹のねぢれ強か松の芯
棄て屋敷伸び放題の松の芯
明星を浮かべ代田の澄めりけり
万緑や日差とどかぬ山の神
老鶯や四五戸の残る開拓地
手の甲に止まり尺蠖天仰ぐ

 若葉の窓(浜松)弓場 忠義
公園の石のテーブル夏兆す
推敲す若葉の窓を開け放ち
矢車のからから暮るる日なりけり
足下の犬が見上ぐる袋掛
きらら虫大歳時記をさ迷へり
糶札のつぎつぎ飛んで初鰹
水底の影美しく目高かな
若竹の藪を外れて二三本

 田植機 (東広島)奥田 積
籠りゐる庭に来てゐる雉子かな
岩をはむ水の青さや山つつじ
吊橋を渡り吊橋青嵐
牡丹や人の世にある憂ひごと
樹の幹にまだらな日差し若葉風
斑猫や無口な人の口を開け
田植機の村縦横に動き出す
石庭に石の影濃き青葉風



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 一青忌 (宇都宮)星 揚子
閉店の貼り紙軒のつばめの巣
ゆるやかに揺れてゐるなり白牡丹
ふはふはと夏蝶吊橋の高さ
鶏の砂蹴つてゐる薄暑かな
青田風の末広がりや一青忌
郵便夫のバイク弾んで止まる夏

 雛罌粟 (牧之原)坂下 昇子
雛罌粟や双子乗せ行くベビーカー
おとなしく風を待ちゐる鯉幟
若葉風吹くたび消ゆる摩崖仏
潮騒の届く岬や鯉幟
潮騒のかすかに聞ゆ花蜜柑
夏草や石垣のみの城の跡

 大薬罐 (出雲)三原 白鴉
遠蛙独りつきりの自習室
柿若葉雨きらきらと降りにけり
柏餅どこか気弱な長子ゐて
老鶯や畦端に置く大薬罐
夏薊バイク爆音立てて過ぐ
山法師咲いて図書館休館日

 夏めく (名張)檜林 弘一
遠蛙今夜の酒器を選びをり
明日も聴く夏鶯と思ひけり
真ん丸の夕日を映し田植終ふ
月涼し小さき屋台の小さき椅子
遠山に拳のやうな夏の雲
見据うれば泡をはなせる水中花

 風炉開き (藤枝)横田 じゅんこ
桜蘂降りだんご虫丸くなる
水音も夏立つものの一つかな
石楠花に山の日くもりやすきかな
竹籠に野の花を入れ風炉開き
誰も来ずどこへも行かず豆ごはん
敲きつつきしきし締むる単帯

 月涼し (東広島)源 伸枝
厨の灯消して卯の花月夜かな
大空にひとひらの雲田水張る
城山のふもと涼しき水の音
牛小屋のからつぽ茅花流しかな
短夜や森の匂ひの髪を梳く
城山の闇を深めて月涼し



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 竹内 芳子 (群馬)
模様替へしたる我が家や夏来る
雛罌粟の色とりどりの風渡る
郭公の二つ目の声遠ざかる
草刈りて日の目を見たる道祖神
登山客どつと下りたり無人駅

 青木 いく代 (浜松)
桜蕊降る廃校のにはたづみ
衣更へて煮込む辛口カレーかな
カーネーション不惑の息子より届く
丈くらべしてをり風の今年竹
竹皮を脱ぐ嶺々のよく見えて



白光秀句
村上尚子

郭公の二つ目の声遠ざかる 竹内 芳子(群馬)

 森を歩いていると、突然郭公が鳴いた。もう一度聞きたくて待っていたが、その声は既に遠ざかっていた。
 郭公は名前の通り〝カッコー、カッコー〟 とのどかな声で鳴くので一度聞けば覚えられる。日本へ渡来し、鵙や頬白等の巣に卵を生んで雛を育てさせるというちゃっかり者。そして八月頃には南方へ帰ってしまうと言う。
  雛罌粟の色とりどりの風渡る
 粗々しい毛を持った細い茎を伸ばし、それぞれに紅、桃、白等の薄い花弁を開く。風が吹くたびにそれらの色が語り合うように揺れている。その様子を「色とりどりの風渡る」と鮮やかに表現している。

桜蕊降る廃校のにはたづみ 青木 いく代(浜松)

 少子化に伴い統合や廃校のニュースをよく聞くようになった。この学校もいつ頃迄子供達が通っていたのだろうか。校庭の周りには大きな桜の木がそのまま立っている。満開だった花も散り、今は蕊だけが降ってくる。「にはたづみ」は大勢の子供達が遊んだ鉄棒の下か、ぶらんこの下に出来たものだろう。
 淡々とした表現の中にも、過去への深い感慨が込められている。
  竹皮を脱ぐ嶺々のよく見えて
 筍から竹になるまで僅か二、三ヶ月しかないが、その成長ぶりは見るたびに変化する。茂った竹藪の中からぐんぐん伸びれば、今迄見えなかった世界が広がって見えてくる。
 未来に向けて成長する子供達の姿にも重なっているようにも見える。

香草は片仮名ばかりソーダ水 橋本 晶子(いすみ)

 香草を代表するものにラベンダーやセージがある。花の香りを楽しむだけではなく、お茶や料理にも多く使われる。その名前の多くは確かに片仮名ばかり。そのひらめきとソーダ水との取り合わせは、まさに胸がすく思いである。

農道に黒穂三本捨ててあり 鈴木 利久(浜松)

 黒穂は麦にとって恐ろしい病害の一つである。伝染するというので一刻も早く抜き取る必要がある。「捨ててあり」には農家の嘆きが聞こえてくるようだ。「三本」だったことに救われる。

夏めくや二つに分くる海の色 横田 美佐子(牧之原)

 海を見ていると、岸に近い所と沖では確かに色が違う。太陽の光、プランクトン、温度、深さなど理由はある。しかしこの句は理屈を言おうとしているのではない。「夏めく」という開放的な主観から出た言葉である。

一つ買ふコロッケ春の暮れにけり 内田 景子(唐津)

 家で食べるためではなく、旅先で大きな声に誘われての行動と思われる。俗に言う〝食べ歩き〟を楽しんだのだろう。
 抒情性に寄りかかりたくなる季語とは相反しているところが新鮮である。

造船所のトラスの梁や雲の峰 松崎 勝(松江)

 土地によってはあまり目にすることのない造船所の風景。注目したのが「トラスの梁」だった。一口で説明すると、三角形を基本とした構造物の骨組である。きっと大きな船が造られているのだろう。その上に見えている雲の峰との構図が一層力強い。

農日記に書き込み多しラムネ飲む 原田 妙子(広島)

 何を作るにも農家は収穫の日まで気が抜けない。毎日の気温はもとより、雨や風等々。特に最近多い異常気象には注意を要する。この日までは何とか順調に生育しているようだ。一服のラムネの味もひとしおである。

点と点結べば楽し夏の星 大平 照子(三好)

 秋や冬の星とは又違う、夏ならではの星の見え方がある。特に梅雨明け後は楽しみである。図鑑を見ながら空を見ていれば、時間が過ぎるのも忘れてしまう。星と星を結べば琴座、白鳥座、鷲座等々が見えてくるのだろう。夢は広がるばかりである。

放たれて犬は五月の風の中 中嶋 清子(多久)

 公園や町なかでの犬の散歩に引綱を使うのは当然のマナーだが、誰もいない広場や野原では思い切り遊ばせてやりたい。そんな思いを叶えたのがこのシーンである。喜んでいるのは犬ばかりではない。五月ならではの風が心地良い。

若葉風少女ひかりの中を来る 小林 永雄(松江)

 初夏ならではの新緑のまぶしさは〝ひかり〟と呼ぶのに最もふさわしい。その中から少女がこちらへ向かって駆けてくる。多くを語っていないが、これで充分言い尽くされている。


  その他の感銘句

浅間嶺の雲や泰山木の花
金星のいよよ輝く子供の日
青き踏むくぢら半島見ゆる丘
旅伏嶺の山襞夏の靄抱く
憲法記念日夫に買物頼みけり
土手の草靡き立夏の日を反す
前髪に隠すにきびや更衣
味噌蔵に鉤の手の土間走り梅雨
初夏やボヘミアグラスに酒を汲む
風涼し髭剃りあとの夫の顔
老鶯や背中合はせに椅子二つ
庭いぢりの麦わら帽子買ひにけり
時報がはりの曲のかはりて夏に入る
針穴をかざし春日へ糸通す
ほととぎす朝の玉子のきれてをり

五十嵐藤重
鈴木 敦子
小杉 好恵
福間 弘子
原 美香子
郷原 和子
花輪 宏子
金原 恵子
中村 公春
宇於崎桂子
篠原  亮
鈴木 利枝
太田尾千代女
山羽 法子
山口 和恵



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 浜松 山田 眞二
葉桜や昼酒すこし利いてをり
見え初むる海まで続く青田かな
夕風を孕んでゐたり夏のれん
地球儀の黄道あたり黴びてをり
しつけ糸解かぬままや藍浴衣


 札幌 石田 千穂
風車遊郭跡の地蔵尊
外出の無き七曜や花は葉に
薄暑光植樹の松に赤い紐
一位の名負ふアララギや夏の霧
          ※アララギ・・・一位の異名
切株に残る木の香や青嵐



白魚火秀句
白岩敏秀

見え初むる海まで続く青田かな 山田 眞二(浜松)

 海に向かって長い道のりを歩いてきたのだろう。やっと海が見えるところまで辿り着いた。道の両側には青田が波打っている。遠景の海と近景の青田。それをつなぐ一本の道がある。外出のままならぬ時勢にあって、遠い海が希望のように見えてくる。
  地球儀の黄道あたり黴びてをり
 地球儀には赤道や黄道、日付変更線などが描かれている。ある日、どこかの国を調べるために、久しぶりに地球儀を回してみたのだろう。ところが、黄道付近に黴を見つけてしまった。かつては地球儀で頻繁に世界一周していたので、黴など生えさせなかったものだと、少し反省しているところ。

切株に残る木の香や青嵐 石田 千穂(札幌)

 青嵐は青葉のころに吹く強い南風のこと。周囲の木々は大きく揺れているのに、切株はもう揺れることはない。つい最近までは、仲間の木々と一緒に揺れていたのだが…。木の香を残しながらも仲間外れになった木の悲しみ。どこか人間社会にも通じそうなところがある。
  風車遊郭跡の地蔵尊
 この風車は地蔵さんに供えてあるのだろう。地蔵尊は子供を守護する仏。遊郭は遊女屋のあった地域。こうして並べてみると、遊女とその子供の悲しい物語がありそうだ。この句は日本が貧しかった頃の一断面を衝いている。

空海の洞より見ゆる初夏の海 鈴木 誠(浜松)

 空海の洞は高知県の室戸岬にある「御厨人窟」のこと。四国八十八箇所の番外札所である。空海はこの洞に籠もって修行し、悟りを開いたという伝説が残る。この洞から太平洋の空と初夏の海を見て、弘法大師空海のパワーを貰ったにちがいない。

穏やかな水一瞬に滝となる 山田 ヨシコ(牧之原)

 何事もないように流れていた水が巌頭に来るやいなや一瞬に消え、修羅となって滝壺へ落ちてゆく。静と動の刹那の動きを見事に捉えている。〈滝となる前のしづけさ藤映す 鷲谷七菜子〉から〈白馬駈け下りるごとくに滝の水 鷹羽狩行〉へと移行する瞬間の水。

大山に雲湧きあがる立夏かな 山田 哲夫 (鳥取)

 大山は鳥取県西部にある。標高一七二九メートルの中国地方第一の高峰。その頂上あたりからむくむくと夏雲が湧き上がったという。活気ある夏の到来を、湧きあがる雲で表現して、簡にして要を得ている。

摘みたてのパセリの色を刻みをり 松浦 玲子(東京)

 パセリは香りも栄養価も高い。まして、摘みたてなら尚更のこと。それをまな板の上で微塵に刻んでいく。刻むことで新緑の森がまるで緑の草原へ変わっていくようだ。刻む音を示さず「パセリの色」を示して、句を印象深くした。

団欒の真中に母の柏餅 周藤 早百合(出雲)

 今日は端午の節句。家族が揃って囲む団欒のテーブルの真ん中に置かれたのが柏餅。勿論、母の手作りである。店で売っているほどに形の良いものではないが、餡こはたっぷりと入っていて、子ども達の喜ぶ顔が見えてくる。今日食べた柏餅の母の味を、子ども達は決して忘れることはないだろう。

蜘蛛の糸天とつながる糸電話 内山 純子(函館)

 空から一本の蜘蛛の糸が風に吹かれて揺れている。芥川龍之介は蜘蛛の糸を極悪人カンダタを救う糸に使い、高野素十は百合の花の前をよぎらせた。作者は天につながる糸電話と詠んだ。夢のあるメルヘンチックな発想が楽しい。

青葉より風届きたる午後の庭 佐々木 美穂(東広島)

午前中ははっきりしない空模様であったが、午後からはからりと晴れてきた。庭仕事でもと思いたって庭に出たところ、青葉をそよがせて一陣の風が吹いてきた。「青葉より届きたる」が初夏のすがすがしさを伝えている。


    その他触れたかった句     

たんぽぽの絮乘せ風の弾みけり
小判草風の流れをつなぎけり
スカートに寝押しの温み進級す
水面より立ちて五月の風となる
遥かなる水平線より夏来る
影踏みの影のぶつかる夏初め
うとうととすればぷるーんと冷藏庫
対岸の街の灯潤む夜釣かな
吊り橋の峡の深きに朴咲けり
葭切や天竜川は風の道
田水張るさざ波つづく日暮かな
馬鈴薯の花摘む手元暮れにけり
ほつほつと植田へ星の降りはじむ
国引きの海より押してくる暑さ
麦笛で対岸の子に応へたり
晶子歌碑浜昼顔の丘にあり
鯉幟意宇の平野の風孕む

太田尾利恵
森下美紀子
舛岡美恵子
友貞クニ子
柴田まさ江
後藤 春子
福光  栄
坂口 悦子
渡辺 加代
大澤のり子
関本都留子
朝日 幸子
藤江 喨子
安部実知子
吉原 紘子
大滝 久江
金織 豊子


禁無断転載