最終更新日(Update)'20.12.01

白魚火 令和2年12月号 抜粋

 
(通巻第784号)
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12月号目次
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季節の一句   福嶋 ふさ子
「円空仏」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
        鈴木 誠、富田 倫代
白光秀句  村上 尚子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       宇於崎 桂子、寺田 佳代子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(群馬)福嶋 ふさ子

大嚔地球に罅の入りさう  原 美香子
         (令和二年二月号 白光集より)
 私が俳句を始めた頃「俳句は誇張する文学」と教えられた。掲句は正しくその通りである。嚔は鼻の粘膜が寒気や光に刺激をされて誘発される。ところ嫌わず。又、風邪の前兆である場合もある。「地球に罅」の入るほどの大嚔を発した作者の屈託のない精気と、快闊さにエールを送る。誰からも束縛を受けない良い環境のもとには、新型コロナウイルスなど入り込む余地など微塵もない。

大根の恵みの土を洗ひけり  遠坂 耕筰
         (令和二年二月号 白光集より)
 日本の大根は最も用途の広い野菜である。用途によって沢庵大根、干大根、煮大根というように区別している。
 十一月ともなると大根の取り入れが盛んとなる。空つ風に乾く幾段もの大根はざは冬の風物詩である。又、各家庭でも多かれ少なかれ沢庵漬をつける。作者は、「恵みの土を洗ひけり」と天のめぐみ、地のめぐみに感謝しつつ洗った。何事にも感謝の気持を忘れない心に染みる佳句。理想に叶った育ちの大根が目に浮かぶ。

初冬や乾びし音の電車過ぐ  髙島 文江
         (令和二年二月号 白魚火集より)
 冬は初冬、仲冬、晩冬に分けられる。十一月初旬から十二月初旬の初冬、田仕舞も済み風は北風に変わり空気も乾燥してきた。そんな中万歩計をつけ畦道を散歩しているのであろうか。カタカタと音を立て電車が通る。見送る電車には乗客は疎らのようである。採算のひき合わないローカル線かも知れない。眼前を通り過ぎる電車の音に「乾びし音」とした季節の移ろいと作者の感性のこもった感銘句。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 良夜 (静岡)鈴木 三都夫
千切れたる雲より秋の立つ気配
よく回りさうな木の実を拾ひけり
椎の実を拾ふ思ひ出拾ふごと
はまなすの実や懐郷の遥かなる
草の名の吾に貧しき花野かな
括られて孤髙を正す男郎花
晩酌は吾が漢方の温め酒
妻の句に朱を入れてゐる良夜かな

 白木槿 (出雲)安食 彰彦
木槿咲く頃おもひだす天馬塚
天馬塚見学朝の白木槿
白木槿天馬の塚のあの金冠
美しき木槿の柄のチマチョゴリ
白木槿咲かせ幼きチマチョゴリ
石碑(いしぶみ)にチョゴリの供ふ白木槿
石橋も木槿も水に映りけり
マッコリとキムチの酒場白木槿

 ふるさと(浜松)村上 尚子
枕木を鳩が歩くよ震災忌
病院の中庭に椅子小鳥くる
飛石へ秋蝶影を置いてゆく
ゴンドラの影すべりゆく花野かな
鵙鳴くやいちにち絶えぬ窯の煙
一団の声に飛び付くゐのこづち
草の花くるぶしに風通り過ぐ
ふるさとの音のひとつに桐一葉

 薩摩切子 (唐津)小浜 史都女
た(せいたか)矜羯羅仏(こんから)も秋思かな
菊月や薩摩切子で句集祝ぐ
稲の花十粒ばかりの雨止みぬ
満天の星の降りくる落し水
づかづかと稲田を踏んで野分去る
稲穂垂る名は夢しづく佐賀びより
台風の近づいてくる砂時計
松原の松みなかしぎ雁渡し

 冬至宿 (宇都宮)鶴見 一石子
稲光り来るか大雨会津富士
水を出て水潜るとき水澄めり
薬師寺の高僧の塚男郎花
大鬼怒の川幅五百余枯尾花
白樺の白良く抜けし落葉篭
錆はしる南部風鈴月冴ゆる
のぼり来し会津田島の串おでん
殺生石のほどよき硫気冬至宿

 鵙日和(東広島)渡邉 春枝
黙考にほどよき木椅子月涼し
白きもの白く乾きて鵙日和
園児等の声はね返す秋の空
水音のやがて川音沢桔梗
山頂の佛めく岩初紅葉
木道の尽きて坂道花芒
登りきてマスク外せば天高し
秋霖や目をこらし読む説明書

 秋風 (浜松)渥美 絹代
竹組んで塗る土壁や鳥渡る
秋風や吊つて売るものよく光り
投網打つたびいわし雲ひろがりぬ
椋鳥の群れ交番に灯のともる
観覧車に鵙の鳴く声聞いてをり
朝露の草に置きたる旅鞄
小鳥来る友のやうなる夫のゐて
くわりんの実落ち畑均す音続く

 谿紅葉 (北見)金田 野歩女
秋の旅乗り継ぎ待ちの句集かな
手をつなぐ兄妹秋の影法師
隠れ沼の蘆掻き分くる雁の胸
無雑作に鮞ほぐす漁師妻
お通しに穂紫蘇を扱く店の主
岩奔る早瀬の清し谿紅葉
懸巣飛ぶ小さな杜を抜け出して
紅葉山展望台の塩むすび

 秋の雲 (函館)今井 星女
三階のビルの高さに秋の雲
窓越しに見る十月の空青し
ゆつくりと雲流れゆく秋の空
秋の空心ゆくまで眺めをり
秋の句を一日一句めざしけり
秋晴やゆつくり歩む試歩の道
十月の雨に打たれつ歩みけり
句帳手にそろそろ歩む秋の園

 今日の月 (東京)寺澤 朝子
咲きのぼる葛の花見ゆ山手線
荒草の中に摘みたるをみなへし
秋の蝶乱気のごとく宙へ舞ふ
ついと来しやんまよ遺品整理中
影踏みの子ら散りぢりに夕月夜
燈火親し今に「源平盛衰記」
ふるさとに眠るちちはは今日の月
しみじみと月を恋ふるも齢かな

 雁渡る (旭川)平間 純一
爽籟や西洋松の空揺るる
末枯のつるあぢさゐの密かなり
秋灯や綾子の部屋に綾子ゐず(綾子=三浦綾子)
歯にしむるマロングラッセ秋思とも
百年の木造校舎しんちぢり
雁渡るにしん漁場の釜の錆
廃線の終着駅や海猫帰る
岳に雪鮭の話を熱つぽく

 温め酒 (宇都宮)星田 一草
大空をゆさゆさ揺らし竹を伐る
重陽や人たをやかに老いゆかむ
呼気もまたゆつくり吐きて子規忌かな
汝も菊ぞはきだめ菊と呼ばるるも
千丈の城攻め上ぐる葛の花
花芒無造作に活け荒野めく
老いしこと誉め合うてをり温め酒
釣瓶落し山並み黒く迫り来る

 木犀の香 (栃木)柴山 要作
百年桜けふを限りとつくつくし
田の色を見遣る仁王の大眼
稲刈機大きなロの字書き進む
花芒倒れしままの鉱夫墓
国分尼寺跡を歩けば秋の声
僧寺跡耳を澄ませば木の実落つ
ポストまで歩きて二分星月夜
木犀の香の圏内に歩を緩む

 白萩 (群馬)篠原 庄治
師の句碑や今白萩の花ざかり
野仏を覆ひ隠せり葛の花
水引の紅に雨降る狭庭かな
釣舟草漕ぎだす風の来りけり
彼方此方に木の実降る音山の秋
神杉の葉ずれの音や秋深し
名月や我の先ゆく影法師
木犀の香の降りそそぐ径をゆく

 展墓 (浜松)弓場 忠義
空瓶の積まるる酒屋秋暑し
一杓の水のきらめく展墓かな
十月やブックカバーを新調す
高跳びの背をそらして秋の空
竿先の小鈴のひかる鯊日和
蒼天にひかりふれあふ金鈴子
一葉の音を違へて落ちにけり
魁て桜紅葉の散り急ぐ

 式部の実 (東広島)奥田 積
秋灯や亡くし戻らぬものばかり
目の合ひて身じろぎもせぬ飛蝗かな
雨しづく光ためをり式部の実
内海に潮目くつきり秋日つよし
秋深し山また山の展望台
澄む水に映れるもののなつかしき
かまきりの我が庭に来て動かざる
波が好き波音が好き月のぼる



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 水美き国 (浜松)林 浩世
霧湧いて森の匂ひの深まりぬ
穴まどひ倉庫の窓の割れてをり
水美き国に生まれて新走り
台秤より秋鯖のこぼれ落つ
秋日和庭より母に声かくる
アンティークの銀の指輪や秋ともし

 注射跡 (磐田)斎藤 文子
小鳥来る胸ポケットに金の文字
台風来熱もつてゐる注射跡
竜淵に潜み携帯電話鳴る
月今宵夢食ふ獏を信じをり
ドーナツの穴を抜けくる秋の風
読みかけの本二、三冊後の月

 かなかな (出雲)渡部 美知子
かなかなにかなかな応ふ連歌庵
気に入りの風に乗りたる草の絮
一陣の風去つてふと秋の蝶
峡十戸秋の灯はまだふたつほど
宍道湖の銀波ささめく良夜かな
おほやしろの御山深くを秋時雨

 稲架 (浜松)野沢 建代
斎田の短き稲架の組まれあり
菰巻きて社務所に届く萩・すすき
雲薄く置きて十月桜かな
色鳥や井桁正しく井戸の蓋
飴色の艶ある熊手秋の風
新藁を敷きて庭木の史料館

 蕎麦の花 (高松)後藤 政春
長き夜や枕辺に積む龍馬伝
一杯が旨し夜長の盗み酒
虫の音のふつと止みたる厨窓
秋風や妻の見てゐるハイヒール
名月や屋島にて聴く平家琵琶
なほ奥に人住む気配蕎麦の花

 月(苫小牧)浅野 数方
迫らるる決断二つ露の玉
二日月少女の大人ぶる仕草
腹割つて話す良夜の更けにけり
検査後の安堵に眠る良夜かな
車椅子月の光を反しけり
新松子紙飛行機は高く飛ぶ



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 鈴木 誠 (浜松)
せせらぎに月の溺れてをりにけり
秋風に輪袈裟なびかせ伊予に入る
棚田より海を見つめてゐる案山子
豊の秋村の鴉は良く鳴けり
天高く岬の馬の嘶けり

 富田 倫代 (函館)
聴診器にひたと吸ひつく汗の背
鳥籠のごと編まれたる蜘蛛の糸
丸くなる媼の背や草むしり
初秋や雲のひとすぢ風となる
伸び過ぎの枝の高きに秋の薔薇



白光秀句
村上尚子

せせらぎに月の溺れてをりにけり 鈴木 誠(浜松)

 雪月花という通り、月は秋を代表する季語であり、多くの名句が残されてきた。その月の姿もさまざまだが、この句はせせらぎに映った月である。池などに映る月とは違い、当然水の動きに従わざるをえない。「溺れてをりにけり」と見たのは、作者ならではの捉え方である。
  秋風に輪袈裟なびかせ伊予に入る
 作者はよく遍路に出掛けるようだが、これは秋の風景である。秋の風は特にその日の天候により、体への感じ方が大きく変わってくる。この日はきっと良い日だったに違いない。首に掛けた輪袈裟を風になびかせながら、いよいよ今回の目的地であろう伊予へ足を踏み入れたのである。

聴診器にひたと吸ひつく汗の背 富田 倫代(函館)

 汗ばんだままの体で診察を受けるのは気をつかうが、この句は作者が医師として遭遇した一齣である。
 暑いなかを急いで病院へ来られたのであろう。問診もそこそこに、大きな背中に聴診器を当てた。真剣な時間が過ぎてゆく。そこから聞こえてくる鼓動には、暑さまでも伝わってくる。〝張りつく〟ではなく、〝吸ひつく〟に実感が籠っている。
  初秋や雲のひとすぢ風となる
 今年の立秋は八月七日だったが、その後の暑さはいつになく長く厳しかった。そんななかでも、束の間に見上げる空には確かに秋の気配を感じるものがあった。ほっとした瞬間である。

みどりごの摑む乳房や豊の秋 内田 景子(唐津)

 赤ちゃんが母親の胸に抱かれて無心に乳を飲んでいる。昔は外でもこんな姿をよく見掛けた。季語は周囲に存在するものなら何でも成立するように見えるが、「豊の秋」と取り合わせることにより、強い生命力が生まれた。

誰も居ぬ生家に秋の灯をともす 宇於崎桂子(浜松)

 久し振りに生家を訪れた。外は暗くなってきたが誰も居ない。勝手知ったるかつての我が家である。ひと部屋に明かりを点けてみた。迎えてくれる人が居てこその生家である。「秋の灯」が心中を語っている。

指先をこぼれ紫蘇の実香るかな 神田 弘子(呉)

 紫蘇は夏の間は葉を、秋には実をと、いずれも料理に使われ、香が楽しめる。実を取るには手を扱くようにするが、手の中はその実でいっぱいになり指からこぼれるものがある。その時の状況を繊細な感覚で捉えている。

遠ざかる夕日を背に秋収め 山田ヨシコ(牧之原)

 秋収めは、秋の収穫作業を終えたあと、親戚や近隣の人々が集まってする祝宴を言うが、この句はそれほど大げさのものではなく、作者の気持の上だけの「秋収め」であろう。遠ざかる夕日に感謝の気持が籠められている。

草相撲幼なじみが立行司 五十嵐好夫(札幌)

 草相撲は、祭礼などで素人が行うもので、勿論行司も素人だが、あえて「立行司」としたところが面白い。これはあくまでも仲間同志の決めである。俳句に詠むことで、遠い昔のことまで鮮明に蘇ってくる。

見るのみの旅のちらしや小鳥来る 田渕たま子(浜松)

 コロナ禍により、今年は大幅に外出が制限されてきた。最近になって〝ゴートゥートラベル〟などと銘打って旅への呼び掛けをしている。しかし心底その気にはなれない。庭へ来ている小鳥の声を聞きながら、今日も暮れようとしている。

小豆干す予報は晴れとききながら 佐川 春子(飯田)

 良い日が続くのを見計らって小豆を干している。何より天候に恵まれることが一番ありがたい。小豆は餡にしたり、赤飯にしたり、良いことに使われることが多い。それらを作る楽しみや、食べる楽しみを思いながらの作業には、自ずと心が弾む。

朝寒や水道のみづ細くして 西山 弓子(鹿沼)

 夏の間は何をするのにも、蛇口を広げて水をふんだんに使うことが多い。朝の寒さを感じる季節になるとその行動は変わってくる。下十二のフレーズは「朝寒」に対する体の自然の反応である。

賞味期限切れてゐるパン日雷 村松 綾子(牧之原)

 まだ大丈夫と思っていたパンが、賞味期限を過ぎていた。パンに限らずままあることである。この日常の出来事に「日雷」を取り合わせたところが斬新である。どう解釈するかはそれぞれである。


  その他の感銘句

ケアハウスは五階建てなり稲の花
木の橋で待つ約束や草の花
梅干すや昨日の色に日を重ね
コスモスの白がリズムを取つてをり
秋の虹病室にあるカレンダー
ひぐらしを背に一日の終はりたる
膝の傷きれいに治り秋学期
青空や熟柿今にも落ちさうな
痩身の秋刀魚鋭く光りけり
金木犀誰も来ぬ日も匂ひけり
青竹を継ぎ足し稲架の出来上がる
割烹着の白し八月十五日
中天に来て満月のちんまりと
秋雷や稚魚はバケツの水叩く
寝待月明日の天気を確かむる

相澤よし子
田中 知子
江⻆トモ子
三関ソノ江
前川 幹子
落合 勝子
中山 啓子
佐々木智枝子
田島みつい
山越ケイ子
塚本美知子
山西 悦子
脇山 石菖
若林 眞弓
小松みち女



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 浜松 宇於崎 桂子
涼新た革のなじめる腕時計
団栗の花瓶にためてありにけり
すぐ転ぶブリキのおもちや地虫鳴く
ピノキオの鼻の伸びゆく良夜かな
友禅の袱紗にくるむ新走り


 多摩 寺田 佳代子
裁ち鋏拭いてをさむる白露かな
敬老日勝たせてもらふ指相撲
眠る子の靴紐を解く花野かな
休憩に寺の軒借る菊日和
秋の灯のパズルのやうにビルの窓



白魚火秀句
白岩敏秀

ピノキオの鼻の伸びゆく良夜かな 宇於崎桂子(浜松)

 今年の良夜は十月一日であった。美しい月が昇った夜に、ピノキオの鼻が伸びたという。ピノキオはおもちゃ職人のゼペットが作った木のあやつり人形。嘘をつくと鼻が伸びる。今夜はどんな嘘をついたのか…。名月を見ながら子どもに絵本を読み聞かせているような語り口が楽しい。
  団栗の花瓶にためてありにけり
 秋の花を活けようと花瓶を探したが見つからない。家中の思いつくところを探してみたがどこにもない。お気に入りの花瓶だったので、落胆していると子どもの部屋で見つけた。大人にとって花を活ける花瓶であっても、子どもには宝ものを仕舞う大事な秘密倉庫。勿論、気づいても気づかぬふりをしていたことは言うまでもないこと。

眠る子の靴紐を解く花野かな 寺田佳代子(多摩)

 走っても走っても花野のなかである。思い切り遊んで疲れてしまったのだろう。眠ってしまった子ども。子どもの遊びに付き合ってくれた靴の紐を解いて足を自由にしてやった。子どもは軽くなった足を使って、夢の花野を駆け回っていることだろう。花野の一日を満喫した子の寝顔に微笑みがある。
  敬老日勝たせてもらふ指相撲
 子どもと指相撲をして負ける訳はないのだが、そこはそれ。子どもにいつも勝っていれば、子どもの機嫌を損なう。だから、いつも子どもに勝ちを譲り、時おり勝たせてもらう。子どもと遊ぶときはそれなりの計画と工夫が必要なのである。

上州の稲架棒太く低く組む 水出もとめ(渋川)

 刈り取った稲を天日干しをする稲架を組んだ。上州は風の強いところだから、稲架は風を躱すために低く組む。太く組むのは稲穂が充実して十分な重さを持っていたため。豊作の喜びを上州独特の稲架の組み方で表現した。

新道は青嶺つらぬく高架橋 鈴木 利枝(群馬)

 カーブの多かった今までの道路に替わって新しい道路ができた。道路は青嶺に向かって一直線に伸びトンネルの中へ消える。トンネルは標高の高いところにあるため、高架橋で導かれる。「青嶺つらぬく」の勢いが高速道路を走る車のスピード感と重なる。

アクセルを踏み込む釣瓶落しかな 村上千柄子(磐田)

 「アクセルを踏み込む」とは、秋晴れに誘われて遠出して帰路を急いでのことか。或いは車の渋滞から抜け出て遅れを取り戻そうとしたときか。秋の日暮れの早さと運転手の焦燥感。一読して納得できる句。

秋簾外せば雨のきたりけり 植田美佐子(浜松)

 夏の間は大いに役立ってくれた簾ではあるが、暑さが過ぎると邪魔になってくる。それでももう少しと吊っていたが、思い切って外すことにした。ところが、それを待っていたように雨が降り出した。秋の定めなき天気を恨めしく思う心…。

牛飼ひに嫁来る噂鰯雲 藤原 翠峯(旭川)

 〈牛飼が歌よむ時に世のなかのあたらしき歌大いにおこる〉と意気軒昂に伊藤左千夫が詠う一方で、嫁の来手がないと嘆く牛飼いもいる。火のないところには煙は立たないというが霞を煙と間違えることだってある。とはいえ、瓢簞から駒で噂が本当になるかも知れず、これからが楽しみである。

日の当たるところに見ゆる木の実かな 良知あき子(牧之原)

 木の実をつける木は高くて、葉に隠れていて実はなかなか見つけにくいものだが、それを日の当たっているところに見つけたという。落ちている木の実と違って、木にある実は生きている。その新鮮な感動がたたみかける句のリズムとなって表れた。

秋祭鳥居の下の検温所 小村由美子(出雲)

 今年はコロナウイルスの流行で自粛生活を余儀なくされた。俳句にもコロナがよく出てきた。流行に敏感なのは良しとするものだが、詠まれた内容にポエムがあるかどうか。新聞記事のような句ではさびしい。この句はコロナを背景としているが、秋の収穫を祝う秋祭りがテーマ。豊年を祝う神社の太鼓が力強くひびく。


    その他触れたかった句     

一雨に香りたちたる今日の菊
阿修羅より風の起こりぬ木の実雨
結願の寺まで三里秋遍路
校庭に増ゆる足音木の実落つ
胡麻干すや土蔵の壁に陽と陰と
エプロンを着けて落ち着く鰯雲
曼珠沙華川のほとりに乳母車
隠岐航路水脈真つ直ぐに秋立てり
参道の秋海棠に水音かな
小鳥来る追伸二行ほど書きぬ
虫の音や看取りの家の小さき灯
よく回るピンチハンガー小鳥くる
幾重にも赤城背にして稲架襖
蟋蟀がぴたりと止みて胸騒ぎ
待宵や自転車キッと曲がり来る

渡辺 加代
市川 泰恵
鈴木  誠
佐藤やす美
大庭 南子
後藤 春子
清水あゆこ
佐々木よう子
板木 啓子
大江 孝子
三浦マリ子
材木 朱夏
天野 幸尖
野村弥二郎
大嶋惠美子


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