最終更新日(Update)'20.04.01

白魚火 令和2年4月号 抜粋

 
(通巻第776号)
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4月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   平間 純一
「寒柝」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
        塩野 昌治、野田 弘子
白光秀句  村上 尚子
旭川白魚火「新年句会」 淺井まこと
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
       鈴木 敬子、宮澤 薫
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(旭川)平間 純一

水の音光らせてゆく春の川  坂本 タカ女
芽吹かんと空へ羽ばたく大樹かな  山根 仙花
          (令和元年六月号 曙集より)
 坂本タカ女先生、山根仙花先生は、共に令和元年をもって曙集同人を勇退された。ご両人とも長寿の家系にお生まれになったとはいえ、タカ女先生は今年で九十二歳、仙花先生は九十八歳をお迎えになられる。
 タカ女先生は、昭和二十三年旭川へ転勤されて来た西本一都先生に見出され、三十四年一都先生が白魚火選者になって間もなく白魚火に入会、以後ずっと白魚火ひと筋で来られた。
 仙花先生は、白魚火が創刊して間もなく、三十二年荒木古川先生に出会い、白魚火に入会された。そして、三十四年十月創刊五十号を期して創設された白魚火賞第一回の賞を受けられた。若冠三十七歳の仙花氏が並み居るベテラン作家を押えての受賞であったと仙花句集「秋燕」の序文に仁尾正文先生が寄稿されている。
 一句目のタカ女先生の句は、〈水の音〉を〈光らせてゆく〉との発想の飛躍に感心させられる。「さらさら」と言う水の音が、「きらきら」と言う水の煌めきになって流れて行く。
 かつて、神居古潭にある句友佐藤春野さんの果樹園にタカ女先生とよく行ったことを思い出す。そこに流れている砂金沢という、小さな流れの雪解の頃に掲句の様子が浮んでくる。
 二句目の仙花先生の句は、まさに芽吹こうとする大樹の枝々に、エネルギーが満ち満ち、空へ向かってどんどん伸びようとしている情景が浮かんでくる。まるで大樹に羽根がついて、空へ飛びたとうとするというのである。
 〈空へ羽ばたく大樹かな〉という詩的な飛躍がすばらしい。
 このお二人が勇退されるのは、惜しまれてならない。まだまだ若く、柔らかな発想の句を見せていただきたいものである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 どんど (静岡)鈴木 三都夫
万葉の里に揚がりしどんどの火
川風にどんどの祝詞千切れけり
左義長を急かす乱舞の百合鷗
しはしはと汐の満ちくる川どんど
一崩れしたるどんどの灰神楽
何か爆ぜ何か舞ひ立つどんどかな
左義長の縁起の尉を分けあへる
どんど終へ俄に戻る寒気かな

 紅梅 (出雲)安食 彰彦
紅梅の蕾ふくらむ地蔵堂
佛壇の母に紅梅一枝挿す
紅梅の咲けば月日の動きだす
紅梅の半透明の花の数
紅梅やゆつたりと息吐きにけり
紅梅の紅ほんのりと日を吸うて
紅梅の色も香も冴え凛として
紅梅の咲き揃ひたる躙口

 歌留多取 (浜松)村上 尚子
獅子舞の顎の調子を試しをり
歌留多取大きな膝がぶつかり来
八卦見に両手を預け女正月
野水仙日輪海を渡りけり
牡蠣殻を鳴かせて歩く夕べかな
話聞く外套の衿立て直し
大寒の梢に揺るる柿の蔕
探梅行富士を見てより引き返す

 酒蔵 (唐津)小浜 史都女
火の神にさぐりあてたる龍の玉
梅をうながす雨の三寒四温かな
三寒の雨の酒蔵通りかな
高き日に菰のり出して寒牡丹
日脚伸ぶ真鯉の右往左往かな
一輪の梅に陶卓陶の椅子
風ゆるみ花のはこべら犬ふぐり
神官に跡継ぎのなく梅真白

 春月 (宇都宮)鶴見 一石子
寒晴れや常陸の海の大礁
白鷺を神とし杜の百千鳥
止り木に春の七草籠に盛り
雪解水一木一水那須疏水
葦焼や軒寄せ合へる漁師町
白濤や常磐の海の黄水仙
太平洋の白浪春を呼べるなり
卒寿坂登り春月仰ぎけり

 木の芽風 (東広島)渡邉 春枝
あらたまの風のいざなふ大社
凍蝶の光となりて飛びたてり
誰も来ずどこへも行かぬ女正月
水仙に寄り添ふ日ざしありにけり
持ち物の中の口紅春立てり
残り鴨一羽の翔てばみんなたつ
読み終へぬ間に次の号木の芽風
久々の出合ひものみな春めきて

 節分の風 (浜松)渥美 絹代
雨粒のつきたる飾かけにけり
女正月縁側に日のたまりゆく
粥占の鍋置く堂の茣蓙あをき
大寒や皮のブーツに深き傷
寒波来る神棚の幣すこし揺れ
真直ぐに畝たて日脚のびにけり
水仙を持ちて電車の中歩く
ちぎれたる四手節分の風に乗る

 初詣 (函館)今井 星女
雪道をころばぬやうに初詣
しんがりにつきそろ〳〵と初詣
黙々と本殿までの初詣
産土の迎へてくれし初鴉
騎初は八幡様の境内へ
柏手に作法のありて初詣
産土の山ふところに初詣
お降りに地球きれいになりにけり

 町工場 (北見)金田 野歩女
水鳥の溜まる支流のありにけり
青頸の翔ぶと構へて翔び立てり
峠茶屋休業札まで雪の嵩
回覧板届くるだけの冬帽子
バス旅や樹氷耀ふ峠越え
軒氷柱のぐんぐん太る町工場
雪晴やどの枝も纏ふ雪の紐
日脚伸ぶ児童書書架に行き渡り

 春隣 (東京)寺澤 朝子
ほんのりと料紙にかをり筆始
七種粥能登のお椀のめでたさよ
せつせつと自愛のこころ寒波来る
撒かれたるごとく地に降り寒雀
梅探る湯島坂道切通し
すれ違ふ二月礼者の胸に鈴
日脚伸ぶ一葉旧居井の涸れず
文机の向き替へてみる春隣

 寒北斗 (旭川)平間 純一
火の色のレンガ庁舎や寒北斗
セールスの之日日や冬銀河
風呂吹を熱ある妻に食べさせむ
吐く息の樹氷の橋をゆきかへる
木華咲き儚き夢のごとく散る
恋きざす鴉の乱舞雪晴間
寒禽の庭によく来る日和かな
氷鈴のかすかに鳴りて春隣

 冬籠 (宇都宮)星田 一草
さらさらと水音やさし初景色
初笑ひ司会のうまき子に釣られ
葱の葉のはみだしてゐる頭陀袋
太き薪くべて河原の牡丹鍋
書き散らす反古に囲まれ冬籠
首の骨こきこき鳴らし冬籠
梢渡る風が哭きゐる寒さかな
朴落葉朴の高さを仰ぎけり

 春寒し (栃木)柴山 要作
七不思議の寺懐に山眠る
禅寺の磴ハイカーの冬帽子
寒木の生きてゐるぞと細き末
蕎麦百袋晒す出流の寒の水
   ※出流・・・栃木市
十一面観音すくと笹子鳴く
葉牡丹の渦ぎつしりと師は卒寿
侍塚古墳ほつこり春を待つ
汚染水タンク林立春寒し

 盆梅 (群馬)篠原 庄治
車窓より小さき初富士拝みけり
納豆の引く糸手繰る四日かな
初市や顔良きおかめの熊手買ふ
仕上げには塩を一振り七日粥
山里に人住む証冬菜畑
寒水に放つ茹で菜のさみどりに
老松の葉さきに育つ糸氷柱
盆梅を咲かせ年金暮しかな

 空つ風 (浜松)弓場 忠義
空つ風にあらがふもののなかりけり
天心の冬満月の怖ろしき
初鏡虚像の我も我として
空つぽの田に正月のいかのぼり
湖の見ゆる駅舎や福寿草
大吉のみくじを枝に寒に入る
みづうみに跳ぬるものあり春兆す
筆立てを一つ残して春炬燵

 立春の頃 (東広島)奥田 積
冬桜午後の授業の始まりぬ
日輪の映りてまぶし鴨の水尾
とんど餅少しこがして昼の月
恋子てふ名の看護師や寒明くる
海光に浮ける島山春立ちぬ
摘みたてのめでたき色や菠薐草
クラブ終へ駆けて戻る子梅の花
狛犬の笑まひてをりぬ紅白梅



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 焚火 (浜松)大村 泰子
冬凪の浜に正午の時報きく
風ときに潮の香連れて水仙花
夕風に吹かれてゐたりゆりかもめ
暁闇の浜うごき出す焚火かな
保線夫の厚き肩幅寒に入る
待春の釣果取り出す馬尻かな

 春隣 (名張)檜林 弘一
低き軒連ぬる置屋寒椿
大寒のごとりと始発電車発つ
寒牡丹蕊を大事に開きけり
盃に地酒のあふれ春隣
立春の湖に日差の跳ねてをり
白梅のふふみて一の鳥居かな

 鳥追太鼓 (群馬)鈴木 百合子
ひとすぢの涙を頬に冬の月
伸し板の取り粉を削る冬日向
寒日和すうつと抜くる仕付け糸
疣結ひの雨を吸ひをり鳥総松
餅間のトーストすこしこんがりと
天地を震はす鳥追太鼓かな

 日だまり (呉)大隈 ひろみ
初凪や橋に曙光のさし初めて
日だまりに零れて跳ねて寒雀
半身買ふ寒鰤の胴つやつやと
一通も来信なき日実万両
正論のつぶやき一つ海鼠噛む
鯛焼のぬくき湿りの紙袋

 日脚伸ぶ (浜 松)早川 俊久
雪晴の土蔵小暗し一茶の忌
凍裂のおと漆黒の闇の奥
影淡きルルドの聖母冬すみれ
日脚伸ぶ妻の遺愛の鏡拭き
末黒野の果に影おく近江富士
曲屋の角は馬小屋梅真白

 いぬふぐり(松江)西村 松子
冬木の芽出揃ふ空のあたらしき
日矢といふ光の束の淑気かな
サッカーのボール冬日へ蹴り返す
風花や胸に匂へる新刊書
決断をゆだねし夫と枯野ゆく
いぬふぐりの一花に止まる試歩の杖



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 塩野 昌治(磐田)
紀ノ川の土手に日の差す七日粥
湯豆腐や耳こそばゆき京言葉
海に出て風花波に呑まれけり
日の恵み潮の恵みや寒の海苔
ペンギンの列なして行く春隣

 野田 弘子(出雲)
「貴婦人」といふSLや旅始
松七日朝の厨に味噌を溶く
女正月足湯に浸す脹脛
カステラの耳買ひに行く女正月
走り根に足をあづけて芹を摘む



白光秀句
村上尚子

ペンギンの列なして行く春隣 塩野 昌治 (磐田)

 ペンギンは南極付近に棲息し、上手に泳げても飛べない鳥として知られている。この句のペンギンは動物園などで飼われているものだろう。運動を兼ね、入場者に喜んでもらうのが目的で散歩をさせるという。それにしても、あの短い脚で、体を左右に振って歩く姿は愛くるしい。皆、寒いことなど忘れて見とれている。
 気がつけば春はすぐそこ迄来ている。ペンギンに励まされて帰る作者である。
  海に出て風花波に呑まれけり
 雪の珍しい土地に住む者にとっては、つかの間に見る風花の美しさに息を呑む。やがてその一片一片は、太平洋という大海原へ一瞬にして飲み込まれてしまう。その美しくもはかない姿を端的に語っている。

カステラの耳買ひに行く女正月 野田 弘子 (出雲)

 言うまでもないが、パンの耳は内側よりかなり固い。しかしカステラの耳を固いと思う人はいないだろう。あくまでも好みだが、外側の焦目はむしろ内側より旨い。下に粗目の沈んだ部分はなお旨い。
 およそ俳句になりそうもない事柄に目を向け、「女正月」という季語と取り合わせたことで、ユニークな作品となった。
  「貴婦人」といふSLや旅始
 人口減少や電気化、スピード化により、「SL」の姿を見ることは減った。しかし、今となっては却って珍重されている。「貴婦人」という名前、そして「旅始」となれば、何とうらやましいことか。結果は聞くまでもない。
 素晴しい一年の始まりである。

春炬燵立てばボタンの転がれり 稗田 秋美 (福岡)

 炬燵にあたりながら、洋服の仕上げのボタンを付けている。心が躍る時間でもある。突然の用事で立ち上がると、一つのボタンが膝から転がり落ちた。春にふさわしいきれいな色に違いない。

校庭の柵に抜け穴冬休み 松本 義久 (浜松)

 しっかりとした柵が廻らしてあるらしい。しかし一箇所だけ、人ひとりが通れる位の穴が開いている。遊びのために出入りしたり、ボールを拾いに行ったり…。暗黙の了解である。今は冬休み。抜け穴も寂しげに見える。

放物線描く一球春隣 本倉 裕子 (鹿沼)

 色々な場面を想像する。ラグビーボールやサッカーボールのキック。野球ならホームラン等々…。いずれにしてもこの一球は、何も遮るもののない空へ大きく放物線を描いて飛んだ。本当の春はすぐそこまでやってきている。

春立つやせせらぎ弾むやうに来る 中村 早苗 (宇都宮)

 大雨でも降らない限り、せせらぎの音が突然変わることはない。しかし、暦の上で春がきたというだけで気分は変わる。この句の軽やかなリズムと表現は、そのまま作者の喜びとなっている。

初刷の干支のねずみの走り出す 大平 照子 (三好)

 元日に配達された新聞に、ねずみの絵か写真が掲載されていた。その姿はあまりにもリアルだった。本当に走り出すはずはないが、これが俳句の面白さである。

バス停まで登校の子に雪をかく 中山 啓子 (西東京)

 今年の冬は雪不足で、特にスキー場からの悲鳴が聞こえてきた。しかし、場所によっては日常生活に支障をきたすこともあった。ここの学校はかなり遠くにあるらしい。せめてバス停まで歩きやすいようにしてあげたい。子供さんへのやさしい計らいである。

鍬始楔に水をたつぷりと 加藤 美保 (牧之原)

 新年に入って始めて畑へ出た。使い馴れた鍬の楔にも水を吸わせた。年が変わったというだけで、改めて鍬への愛着を深めている。九十五歳というお元気な姿が見えてくる。

もぐら打藁くづ風に舞ひにけり 鳥越 千波 (唐津)

 竹の先に藁苞をつけた棒や、藁束で地面を叩いてもぐらを追い払うという。やり方は地方によって違いがあるらしいが、豊作を祈願する小正月の行事である。この句の景は土を打つたびに、藁くずが風に乗って空へ舞い上がってゆくという忠実な写生である。

探梅やみな覗き行く空の井戸 溝口 正泰 (磐田)

 春にさきがけて咲く梅を、いち速く山野に入りさがす「探梅」。道の途中にはいろいろなものがあって興味深い。ここで見つけたのは、かつて使われていた井戸。一人が覗けばみな覗く。楽しそうな会話が聞こえてくるようだ。


  その他の感銘句

生きてゐる証拠の賀状出しにけり
掌に弾む子の尻春隣
無造作に活けて飯場の猫柳
二度咲や朝のサイレン鳴つてをり
年用意馬に寝藁をたつぷりと
待針の珠の七彩縫始
初買の長靴赤を選びけり
初空やパラグライダー鳥となる
初仕事二円切手のシート買ふ
頭上飛ぶ白鳥声を発しけり
女正月特売品を買ひに行く
堰越えて泡の生まるる春の川
縫初や針にすんなり糸通る
それぞれの願ひの絵馬や春を待つ
マネキンの細き手足や春を待つ

埋田 あい
富岡のり子
若林 光一
大庭 成友
赤城 節子
神田 弘子
関本都留子
大塚 澄江
原  和子
内山実知世
多久田豊子
中間 芙沙
広川 くら
平野 健子
山崎てる子



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

 磐田 鈴木 敬子
辻褄の合はず鰰焦げてゐる
倒木の切口にある寒氣かな
冬ともし紅差し指に残る紅
枯木立抜けてさびしき諸手かな
雁供養波音だけの夜がくる

 諏訪 宮澤 薫
黒文字と名札してあり冬木の芽
ひむがしに大き昼月辛夷の芽
巡礼の鈴が二月の磴のぼる
露天湯にタトゥーの女椿東風
頬杖をつく出窓あり春の湖



白魚火秀句
白岩敏秀

辻褄の合はず鰰焦げてゐる 鈴木 敬子(磐田)

 先程の話は疑う余地のないほど完璧なのだが、全体としてはしっくりと胸に納まってこない。考え込んでいると鰰が焦げて煙を上げているではないか。「はたはた」は鰰とも鱩とも書く。神や雷をもってしても解けない気持ちのもやもや…。
  雁供養波音だけの夜がくる
 雁供養は雁風呂のこと。雁が北へ帰ってから何日も経つが、海岸には木片が残されたまま。夜の彼方から湧いてくるような波音は、北へ帰れなくなった雁たちへの挽歌のように響く。むつかしい季語を生かした巧みな句である。

巡礼の鈴が二月の磴のぼる 宮澤 薫(諏訪)

 巡礼は霊場に参拝して回る人のこと。西国三十三ケ所や板東三十三ケ所などが知られている。この句は不要な説明を一切捨てて、「鈴が二月の磴のぼる」と簡潔に表現した。このぎりぎりの省略によって、二月の寒さの中を巡礼する信仰の厳しさを浮き彫りにしている。
  露天湯にタトゥーの女椿東風
 スポーツなどで外国選手のタトゥーはよく目にするが、露天湯でのいきなりのタトゥーは身のすくむ思いがすることだろう。季語は「椿東風」。「東風」には吹く時刻や地域によってまちまちな呼び名があるが、「椿東風」は歳時記にはない。しかし、平成二十年五月号の「白魚火」に〈舟寄せに浮かぶ芥や椿東風 梶川裕子〉が載っている。それは兎も角、「椿東風」を使ったのは作者の進取の精神によるものだろう。

初鏡今朝は真白の割烹着 友貞クニ子(東広島)

 元日の朝、鏡に向かって念入りに身だしなみを整えている。身に着けているのは真っ白な割烹着。「真白の割烹着」に新年のめでたさと一年の最初の日の引き締まった気持ちがこもる。

冬木宿漢が座る嬶座かな 荻原 富江(群馬)

 かつて、田舎では囲炉裏のある家が普通であった。囲炉裏には座る場所が決まっていて、正面が主人の座る横座、横座の右手が客座、左手が嬶座である。嬶座は台所に近い席に定められる。食事の采配権が主婦にあったからだという。ところがこともあろうに、嬶座に漢が座ったのだ。仕来りを知らない漢に対する溜息が聞こえてきそう。

新年の決意大きく発表す 森山真由美(出雲)

 冬休みが終わると、学校には色々な宿題が持ち込まれる。このクラスでは正月に立てた一年の抱負や決意を発表している。発表のたびに、友達から感嘆や拍手が起こり、賑やかだ。「大きく発表す」に明るく、元気な授業の様子が伝わってくる。

あたらしき頬紅そろふ鼓草 清水あゆこ(出雲)

 春になれば服装も化粧も明るい色になる。頬紅も一色ではなく、その日の気分に合わせて色々と使い分けるのだろう。自分の気に入りの頬紅が全て揃ったうれしさが、春を楽しくする。鼓草が女性のふっくらした頬をイメージさせる。

七人の家族となりて屠蘇を酌む 桂 みさを(磐田)

 正月に家族が揃って屠蘇を酌んでいるところ。去年と違うところは家族が一人増えて、七人となったことだ。きっと息子夫婦に赤ちゃんが授かったのだろう。大勢の家族の愛に囲まれて笑ったり、泣いたり元気な赤ちゃんである。

初硯筆重きまで墨吸はす 川神俊太郎(東広島)

 初硯は新年になって初めて硯を使って墨をすることで、書初とは別立ての季語になっている。威儀を正して机に向かい、こころ静かに墨を磨る。やがて墨の香が立って「淑気満つ」の気分。「筆重きまで」に墨のみならず、正月のめでたさがたっぷりと含まれている。

しんがりはいつもおしやべり梅の花 溝口 正泰(磐田)

 「しんがりは」とあるから、大勢で梅の名所あたりを吟行したのだろう。皆は梅を仰いだり、句帳に書き込みをしているのに、遅れてくる一団がある。連中は梅以外のお喋りに夢中になっている。これから始まる句会のことを心配するのは句友なればこそ。


    その他触れたかった句     

テーブルを転がる卵寒の入
吊し柿風の甘さを含みをり
寒梅や置薬屋のたて続け
日脚伸ぶ亀一匹の飼育小屋
受験子の結びの固き絵馬の紐
岩海苔の四角に乾く浜日和
寒雀ひとかたまりで移りけり
東雲に寒九の雨の残りをり
重き戸に鍵の冷たき異国かな
落椿うすき流れの陣屋川
悴みて書く駅前の署名かな
どの部屋も声満ちてをり年迎ふ
里川の水のきれいな二月かな
羽子板の淡き記憶も飾りけり
沈丁花角を曲がりて香りけり
子の重さ膝にうけとめ日脚伸ぶ
雪つけて石垣島へ投函す

塩野 昌治
原田万里子
稗田 秋美
若林 眞弓
橋本 晶子
山田ヨシコ
鳥越 千波
渡辺 伸江
中村 和三
山崎てる子
安藤 春芦
中山 啓子
剣持 妙子
山越ケイ子
茂櫛 多衣
池本 則子
三関ソノ江


禁無断転載