最終更新日(Update)'20.03.01

白魚火 令和2年3月号 抜粋

 
(通巻第775号)
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3月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   村上 修
「募金箱」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 鈴木 三都夫ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
伊藤 達雄、村松 ヒサ子
白光秀句  村上 尚子
栃木白魚火新春俳句大会 熊倉 一彦
坑道句会十二月例会記 金築 暮尼子
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
   斎藤 文子、寺田 佳代子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(磐田)村上 修

田に畑にちらばる人や風光る  保木本 さなえ
          (令和元年五月号 白光集より)
 待ちに待った春がやって来た。子供達は寒さから解放され、野に川に遊び、そして農家は次の耕作へ向け、その準備に余念がない。
その傍らには畑や畦を焼く煙が立っている。
一般的な風景だが、季語の「風光る」により春への大きな期待を感じさせる。そこに立つ作者自身も一緒になって春を受け止めている。

息かけて鏡拭きつつ春を待つ  吉川 紀子
          (令和元年五月号 白魚火集より)
 北海道の冬は、厳しくそして長いと認識はしているが、実際に生活をした経験がないので想像の節囲を出ないのが現実である。
旭川に暮らす作者を想像してみた。毎朝冷え切った鏡を使うたびに、息を吹きかけつつ「春が早く来たらいいね」と語りあっているのだろうか。

涅槃図の裾は畳に広げらる  谷口 泰子
           (令和元年五月号 白魚火集より)
 釈迦が入滅した日とされる陰暦二月十五日。各寺院では、涅槃図を掲げ遺徳を偲ぶ習わしが今でも続いている。
鴨居に涅槃図が掛けられていた。これがあまりにも大きいため、畳にまで及んだという景。間近に見る多くの鳥獣の嘆きの姿からは、声までも聞こえてくるような気がする。それを見ている作者や仲間の感嘆の声も聞こえてくる。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 数へ日 (静岡)鈴木 三都夫
数へこの辺り蜜柑畑にも猪囲ひ
烏瓜意味なく垂れてゐたりけり
踏み込みし落葉の中の木の実かな
その数の楚々と盛りの冬桜
噛む岩を曝して水の涸れにけり
鴨浮寝千里飛翔の羽根休め
空洞の鉄幹にしてふふみ初む
数へ日の終の一日も句と遊ぶ

 初夢 (出雲)安食 彰彦
初夢に亡き父の声聞きもらす
初夢の中に名菓を置きわすれ
恙なきわが身ひとりの初湯かな
破魔矢受く双児の稚を抱く夫婦
淑気満つ門に日の丸ひとり住む
御降りの音の失せたる午前五時
筆始自選の一句癖字なり
筆始色紙に散らす仮名の文字

 師走 (浜松)村上 尚子
浮寝鳥山は夕日を離しけり
買つて出て退くにひかれぬ大根引
短日や切られて和紙の耳揃ふ
遠きほど光る川波冬至梅
聖夜劇星を抱へて帰りゆく
木枯や夫を待つ灯と子を待つ灯
百の壺並べ師走の登り窯
文机の下の暗がり除夜の鐘

 末の子 (唐津)小浜 史都女
着膨れて身を飾るものなかりけり
冬至南瓜珠のごときを畑より
ももいろに爪染めメリークリスマ
ス 着膨れの胸と背なかに聴診器
イヤリングはづす疲れや十二月
和らふそく炎のふとき淑気かな
田にこぼれ畑にこぼれて初雀
ゆづりはや末の子もはや成人す

 波颪 (宇都宮)鶴見 一石子
元朝の常陸の海の波颪
松の匂ひ潮の匂ひの初詣
荒海の常陸磯節年立てり
冬の海拝すリハビリ杖二本
右に凪年立つ常磐高速道
初売りの笠間納豆求めけり
悄々と鬼怒の流れや寒の月
子と孫のハンドル捌く落葉山

 初日の出 (東広島)渡邉 春枝
裾上げの糸のからまる十二月
数へ日の一日を使ふ美容院
ところどころ空白のあり日記果つ
初日の出待つ両の手を握りしめ
飛ぶ鳥の茜に染まる初日の出
夫の亡きあとの長生き初日受く
松風に吹かれて進む初詣
後継ぎの子の顔揃ふ雑煮餅

 寒波来る (浜松)渥美 絹代
枇杷の花夕映えしつつ雲ちぎれ
冬の日の板戸にしみて山庄屋
笹鳴やぬくみの残る喪服吊る
十二月八日燭の火よく揺らぎ
焚き口より炎師走の雨の音
数へ日の雀をあまた容れたる木
濡れ縁に昨夜の湿りや年用意
塗り直す横断歩道寒波来る

 雪あかり (函館)今井 星女
雪あかり頼りに友を訪ねけり
凍道を一歩一歩と踏みしめて
雪に雪積み上げてゆく雪捨場
雪掻は良き運動と云へるかも
極月や甘きコーヒー所望して
降る雪や明日の予定の定まらず
戸締りをたしかめ雪の夜となりぬ
つつがなき米寿の春を祝ひけり

 地響き (北見)金田 野歩女
糟漬も予防接種も冬支度
手袋のまま鈴鳴るカフェの扉押す
初硯自在にならぬ小筆の穂
絵馬掛の抱ふる願ひ雪の中
左義長の風が風呼ぶ神の域
小豆粥助詞に迷ひし一句かな
街灯を背の寒影の長き脚
除雪車の通る地響き午前四時

 初句会 (東京)寺澤 朝子
東京の空晴れわたりお元日
初明り大きく窓を開きけり
戦なき月日重ねて初暦
偕老といふ語しみじみ年迎ふ
初夢の双親吾より若くして
三人の子入れてあふるる初湯かな
子育ての歳月淡し若菜摘む
六十代いまが青春初句会

 冬至の日 (旭川)平間 純一
居酒屋の猫の愛想や漱石忌
光り合ふ千木鰹木や冬至の日
雪原の里のしじまに立ちつくす
風雪に天幕押さへ飾売る
初暦わが句小さく記されて
賀状来るともがら子年恙なし
産神に子の声あふれ初参
風花や絵馬にひと筆願ひ込め

 十二月 (宇都宮)星田 一草
一枚となりし暦の寒さかな
蒼然と岳迫り来る十二月
笹子鳴く沼黒々と昏れゆけり
雪吊を張りて雄松のたくましく
冬うらら亀ありつたけ首伸ばす
走り根の大地を掴む大冬木
満ち足りて雨音を聞く柚子湯かな
雑踏の流れの中に年惜しむ

 読初 (栃木)柴山 要作
畳なはる遠嶺近づく懸大根
対岸の疎林大きな冬満月
色見穴ゆ噴き出す炎冬銀河
数へ日の船頭手持ち無沙汰かな
妣の手の温みが今も除夜詣
初男体大薙小薙耀へり
読初の一書買ひきてミルクティー
なんとなく路地裏もまだ松の内

 初明り (群馬)篠原 庄治
ままならぬ足も我が足柚子湯かな
ゆつくりと入る微温湯の冬至風呂
ちやんちやんこ着て立つ厨妻の留守
神苑の真砂に弾む寒雀
初明り畳を過る鳥の影
産土の嶺々浮き彫りに初明り
片脚で立ちゐる鷺に初日かな
彩りの花麸浮かする雑煮かな

 裸木 (浜松)弓場 忠義
一滴の点眼十二月八日
安らかな妻の寝息や冬の月
香煙の真つ直ぐに立つ冬座敷
磯千鳥二三羽風にさらはるる
裸木に深き傷痕ありにけり
大根引き三方ヶ原の風起こす
柊の花活けてある東司かな
万両を活けて床の間正しけり

 冬桜 (東広島)奥田 積
夕鐘を撞く坊守や実南天
籾殻の山燃えてゐる霜の朝
見かへれば見送られをり冬の月
御仏の辺にさざんくわの散りにけり
赤松の幹に日当り鴨着水
冬桜朝日の中に消えにけり
焼け跡の残る礎石や山眠る
閉山の鎖一本山眠る



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 晩秋 (函館)森 淳子
教会を囲む真つ赤な秋の薔薇
教会の重き扉や秋深し
晩秋の聖堂にゐて跪く
神無月オルガンを弾く老神父
掌にのせてもみたき雪蛍
言ふなれば冬木のごとき男かな

 ポストまで (浜松)林 浩世
セロリ刻む青春の香のはじけたり
冬薔薇抱へホテルの車寄せ
遠火事や雨本降りとなるらしく
鴨を見てゐて青空となりにけり
ポストまで夫のマフラー借りてゆく
利き猪口の渦の鮮やか年忘

 初明り (東広島)源 伸枝
後手に結ぶエプロン霜日和
掃き寄する銀杏落葉の湿りかな
落葉して大樹の肌の粗さかな
窯の火を止めて師走の星仰ぐ
歳晩や全身で撞く鐘一打
陶房の小窓染めたる初明り

 手袋 (浜松)佐藤 升子
下足札の五十四番鮟鱇鍋
手袋の十指揃へて脱いであり
風邪の子にぼんやり上がる昼の月
買初の本にカバーをして貰ふ
みづうみの吹雪きて遠き灯が一つ
腹押せば鳴る人形や日脚伸ぶ

 一升枡 (唐津)田久保 峰香
冬ざるる棚田の里のそば処
冬がすみ雲を近くに電波塔
大根畑みな青首を出してをり
山眠る五百羅漢も眠りしか
一升枡に屋号の彫りや年の米
屠蘇祝ふいつもの下座に腰おろす

 つるし柿 (出雲)荒木 千都江
行き止まりとみえて道あり草紅葉
うどん屋の軋む木椅子やそぞろ寒
ふるさとの色となりゆくつるし柿
川の面に風を映して散紅葉
白菜をばさつと二つ断ちにけり
初雪の挨拶ほどで止みにけり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 伊藤 達雄 (名古屋)
置石の並ぶ板屋根初しぐれ
冬田打そばに雀の群れてをり
蹲ひのしぶきのかかる返り花
香花を取り替へてをり冬の蝶
数へ日の堂にたてかけ竹箒

 村松 ヒサ子 (浜松)
掃き寄する落葉にまたも風の来て
冬空へ蹴り上げし球見失ふ
笹鳴の次を待つ耳敧てて
歳晩の書肆に長居をしてしまひ
初旅の土産に京の金平糖



白光秀句
村上尚子

香花を取り替へてをり冬の蝶 伊藤 達雄 (名古屋)

 〝墓参〟や〝墓掃除〟は秋の季語になっているが、墓前ですることは春や秋の彼岸も年末も変わることはないだろう。掃除のあとはやはり新しい花を供え、しばらく先祖と向かい合う。特に年末は、一年間の出来事や思いが次々と浮かんでは消えてゆく。その時突然舞ってきた「冬の蝶」。思いがけない出合いにご先祖との会話もいつになく弾んだに違いない。
 明るい新年の予兆でもあるように見える。
  数へ日の堂にたてかけ竹箒
 墓掃除に欠かせない竹箒。回りはすっかりきれいになった。「数へ日」という忙しない日々のなかにも、ほっとした瞬間でもある。前出句と共に景がよく見え、作者の穏やかな人柄まで見えてくる。

冬空へ蹴り上げし球見失ふ 村松 ヒサ子 (浜松)

 昨年開かれたラグビーのワールドカップの熱気は、新年のトップリーグの開幕戦まで続いた。子供から老人までの俄ファンも増えた。
 この「球」は直観的にラグビーボールを想像したが、サッカーボールであっても句への支障は何も無い。冬空は地方によっても、その日によっても表情を変える。この日はきっとよく晴れていたに違いない。まばゆい日差しのなかで作者と球は一体となっているのである。
  歳晩の書肆に長居をしてしまひ
 年末の忙しいのは承知で書店へ寄った。少しだけのつもりだったが、手に取るもののそれぞれが興味深い。気が付いたときは、予定より大幅に時間が過ぎていたが、満ち足りた気分で帰途についた。

遠ざかる飛行機冬の虹残し 藤原 益世 (雲南)

 石川啄木の詩『飛行機』の〝見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。〟が頭に浮かんだ。平和な空に見上げる飛行機には夢がある。虹との偶然の出合いが十七文字の詩へと昇華させた。

枇杷の花雲低き日の貨車の音 砂間 達也 (浜松)

 枇杷の花は盛りのときも近くに寄らないと分かりにくい。そこへたまたま聞こえてきた貨車の音。くもりの日は確かに遠くの物音が聞こえやすい。瞬間的に捉えた遠くの音と近くのもの。耳と目を駆使しての作品である。

冬の星一つ一つに力あり 大石 登美恵 (牧之原)

 防寒具をまとって見上げる冬の星は、他の季節とは違った趣がある。また空気も乾燥しているので一番きれいに見えるという。その「一つ一つに力あり」には作者のこだわりもあるのだろう。しばし時を忘れて星と向かい合っている。

寒星の中父母がゐる姉がゐる 小林 さつき (旭川)

 無数の星のなかで、目に止まったものを見つめ、自分なりにあれはお父さんとお母さん、あれはお姉さんと思って、眺めているのだろう。年月は経っても家族との思い出は褪せることはない。冬ならではの感慨もある。

雪起し歪に割るるチョコレート 川本 すみ江 (雲南)

 「雪起し」の季語は「冬の雪」とは別仕立になっている。前者は突然激しい雷鳴があり、雪が降り出すことを言う。あまりの驚きにきれいに割れるはずのチョコレートが「歪」に割れてしまった。

手袋に指入れ穴をかがりをり 鈴木 けい子 (浜松)

 毛糸の手編みのものだろう。少しかがれば充分に使える。何より気に入っている。物資の少なかった時代は日常的なことだった。今はお金を出せば何でも手に入るが、良いことばかりではない。温かく冬が過ごせそう。

寒紅を差して言葉を選びけり 大石 益江 (牧之原)

 寒中に造られたものは品質が良いとされ、寒紅と言われてきたが、今は寒中にさす口紅をいう。女性にとって最も親しみのある化粧品の一つ。さすことにより華やいだり、引き締った気持になるが、今日は少し改まった席にいることが分かる。

ひらひらと泳ぐ鮃と這ふ鮃 三浦 紗和 (札幌)

 鮃の両眼は左側にあり、鰈は右側にあるというが、それ以外では素人に見分けにくい。又、鰈が季語にないというのも不思議である。鮃が泳いでいるだけだが、何故か心を擽る。

一陽来復木洩れ日の坂下りにけり 加藤 德伝 (海老名)

 日が短いだけで気持が塞ぎがちになるが、長くなれば気持も明るくなる。一陽来復は冬至の副題で、中国ではこの日を境に日差しが回復するとしてこう呼ばれてきた。作者の新たな気持が伝わってくる。


その他の感銘句

冬日向骨董市のとんぼ玉
短日や娘が作るオムライス
二寸ほど枯菊の株刈り残す
磴千段足に任せて四方の春
ラジオより落語の啖呵賀状書く
風花や血圧計に腕あづけ
峡の湯に首までつかり十二月
埋火や茅葺屋根の太き梁
一病の機嫌のよくて日記買ふ
煤払赤チン残る薬箱
ゴーフルの軽き歯ごたへ冬うらら
空つぽの頭となりて日向ぼこ
セロリ一株サラダ、和へ物、漬物に
葉牡丹の渦巻く駅のロータリー
大道へ出で元朝の富士に逢ふ

鈴木 敦子
水島 光江
福本 國愛
若林 光一
山田 眞二
大滝 久江
小林 永雄
池森二三子
山田 哲夫
宇於崎桂子
萩原 峯子
滝口 初枝
榛葉 君江
樋野久美子
横田 茂世



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

磐田 斎藤 文子
綿虫のとんで六波羅蜜寺かな
麩饅頭を包む笹解く夕時雨
冬晴を褒めて清水寺にをり
数へ日の祠の裏に竹箒
冬桜空の明るき日なりけり

多摩 寺田 佳代子
地下鉄は地上へ十二月の空
粕汁や木曽の檜の夫婦箸
三日目は雨となりたり羽子板市
数へ日や鎮火の鉦の遠くより
ぼろ市の目差遠きこけしかな



白魚火秀句
白岩敏秀

麩饅頭を包む笹解く夕時雨 斎藤 文子(磐田)

 麩饅頭は、生麩で小豆の漉し餡を包み、笹の葉でくるんだ饅頭。笹の香が生麩に移り、風味ある生菓子で、京都の名菓の一つである。時雨も山がちな京都で見られる現象。
 夕暮れ時の時雨を避けるために入った菓子舗か、菓子舗で出会った時雨か。いずれにしても、京都らしいたおやかな雰囲気がある。
  冬晴を褒めて清水寺にをり
清水寺で冬晴れの空を仰ぎ、褒めることができる場所は舞台。高さは十二メートルで、ビルの四階に相当する。この高さに上って、京都の澄み切った冬空を褒め、古都の風情を愛でているのである。京には千年の美がある。

数へ日や鎮火の鉦の遠くより 寺田佳代子(多摩)

 近頃は、炊事器具や暖房器具が改良されて、火事を起こしにくい構造となっている。しかし、それでも火事は起こる。けたたましいサイレンを響かせて通った消防車が、しばらくして鎮火の鉦に変わった。鎮火の様子に胸をなで下ろすとともに、にわかに数え日の慌ただしさが蘇ってきた。忘れたことを一瞬で気づかせる鎮火の鉦の響きである。
  地下鉄は地上へ十二月の空
 「この電車をどうやって地下にいれたの」と子どもに聞かれたことがある。人工照明の明るさの地下を抜け出た電車が、最初に出会う本当の地上の明るさ、そして十二月の透き通った青空。「トンネルを抜けると雪国であった」を思わせ、何かドラマが始まりそうな予感がしてくる。

吊る位置の低くなりたる初暦 徳永 敏子(東広島)

 今年も暦を吊った。ところが去年より位置が低くなっている。背丈が縮んだのかと思うが、改めて踏み台などを持ち出すのも億劫。年齢や体力が暦を吊る高さに出ていて、作者の切ない思いが言い止められている。

なめらかなペンを選びて初日記 髙橋 圭子(札幌)

 元日の一日も滞りなく終わった。家族がそれぞれの部屋に帰り、しずかになった居間で日記の最初の一ページを開く。選んだ「なめらかなペン」には一年が流れるような平穏であれとの思いが籠もる。

指先で凧との会話筑波山 増田 尚三(守谷)

春とはいえ、まだ冬の寒さの残る原っぱで凧を揚げているところ。風に乗った凧はぐんぐんと高さを増して、遠くの筑波山より高くなった。風の勢いを見ては、糸をしゃくったりゆるめたり。凧の糸が伝えてくる微妙な震動を「凧との会話」と言って凧揚げの楽しさを伝えている。

一年の計を言葉に筆始 服部 若葉(苫小牧)

 一年の計は元旦にありというように、先ず初詣で一年の計を神に誓う。そして、その誓いを書初めとする。誓ったことを文字に書きとめることで、年が改まったという新鮮な気持ちになる。

衣手の句碑の辺りの冬紅葉 升本 正枝(浜松)

  衣手を押へ灌仏し給へり 正文
 浜松市引佐町奥山の方広寺敷地内に句碑が建立され、平成十五年三月三十日に除幕式が行われた。句碑は地元の「白魚火」有志によって、いつも掃除がなされている。これは句碑を掃除したときの吟であろうか。亡き師を慕う気持ちが切である。

己が曳く水尾の長さを鴨知らず 大石 登美恵(牧之原)

 冬の日のうららかな湖で、鴨がゆっくりと沖の方へ泳いでいる。鴨が曳く水尾は岸辺から沖へと長々と続いているが、鴨はその長さを知らないという。水尾を長く曳いて泳げることは鴨の能力である。自分の能力に気づかないのは、鴨だけではなさそう。

誉められて膨らむ話からつ風 田中 明子(磐田)

 はじめはもじもじと話をしていたが、少し誉められると話がだんだんと膨らんできた。外はあたかも話を煽るような空っ風。聞く人も眉に唾をつけながら、楽しんで聞いているに違いない。

柿捥げば青空へ枝跳ねにけり 鈴木 けい子(浜松)

 高いところの枝を撓ませて、柿をとって後に手を離す。枝は勢いよく空へ跳ね返る。青空の柿を捥ぐ句はよくあるが、枝に目を遣った句は珍しい。青空へ跳ねた枝の勢いがすなわち、捥いだ柿のおいしさ。


    その他触れたかった句     

雪囲仕上げの縄の固結び
包丁を研いで磨いて年終る
飛石の微かな温み冬の蜂
雪の朝音なき音に目覚めけり
笹子鳴くいま来し道に日の当たり
病室の窓際に置く冬帽子
手で拾ふ落葉恩師の墓の前
記念樹の名札の揺れて冬木の芽
冬至風呂種痘の痕をなでてをり
初夢や少女の私駆け回る
穭田の真中を走る新幹線
水仙を活けて客間となりにけり
冬耕のひとりに晴れて伯耆富士
唇に湯呑の厚み雪の夜

山越ケイ子
大石美千代
船木 淑子
根本 敦子
保木本さなえ
森下美紀子
渥美 尚作
友貞クニ子
篠原 凉子
田島みつい
佐久間ちよの
金子千江子
安部実知子
川神俊太郎


禁無断転載