最終更新日(Update)'19.12.01

白魚火 令和元年12月号 抜粋

 
(通巻第772号)
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12月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   岩井 秀明
「幹の太さ」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集 (巻頭6句のみ掲載) 坂本タカ女 ほか
白光集 (村上尚子選) (巻頭句のみ掲載)
       
高橋  茂子、小村  絹代
白光秀句  村上 尚子
区会報 東京&栃木合同吟行会 中村 國司
区会報 今井星女先生感謝の会 𠮷田 智子
区会報 群馬白魚火会小幡吟行記 天野 幸尖
白魚火集(白岩敏秀選) (巻頭句のみ掲載)
   渥美  尚作、寺田 佳代子
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(横浜)岩井 秀明

石蕗の花淋しき庭に色を呉れ  田中 惇子
          (平成三十一年二月号 白魚火集より)
 石蕗の花は彩りの少ない冬の庭にひっそりと咲いて心を和ませる。必ず庭隅に植えられ、咲き様はどこか淋しさがあり、そのように詠まれた句が多いと思う。掲句は下五の「色を呉れ」という表現が極めて巧みである。石蕗の黄色い花が庭隅にありながら庭全体を明るく照らす灯りのような存在であることを感じさせる。

日めくりの風に吹かるる十二月  樋野 久美子
          (平成三十一年二月号 白魚火集より)
 月めくりにしても日めくりにしても暦は十二月になると薄くなる。特に日めくりは年末の残り少ない日数になると、その薄さによって暮れの慌ただしささえ感じさせる。掲句の中七の「風に吹かるる」という表現がうまいと思う。一枚の日めくりが風でひらひら捲れている様子を自ずと想像させる。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 雪蛍(旭川)坂本 タカ女
手紙魔と言はれしむかし落し文
向日葵の葉を蝶の影よぎりけり
手をあぐることが挨拶麦の秋
蛇穴に入るや道草してをりぬ
うたた寝にさめし文机ちちろ鳴く
茸採る人声山を降りてくる
コスモスに触れあばれだす風となる
ふゆるほど淋しさ増せり雪蛍

 地蔵盆(静岡)鈴木 三都夫
水子仏小芥子並びや地蔵盆
地蔵盆水子の供花は風車
十団子売る新発意も地蔵盆
見えてゐて凡その数の青蜜柑
山里のほんの暮しの芋茎干す
蔓荊の種の零るる残暑かな
海へ出て一万匹の鱗雲
盆のもの打ち寄せられし渚かな

 くだもの(出雲)安食 彰彦
無花果を鳥より先にむしりけり
栗をむくときは子の顔孫の顔
たつぷりの栗飯とどくあたたかし
渋柿や楷書のやうな人来たる
柿の種とばしてあそぶあにおとと
梨ひとつはぐこと頼む父のゐて
冥界の地平を飾れ曼珠沙華
曼珠沙華なにもまとはぬ姿して

 大谷資料館(浜松)村上 尚子
下野の九月木の影石の影
天高し百丈の石迫りくる
石山の天辺仰ぐ残暑かな
句碑の辺に寄れば白露の風となる
秋澄むやこゑにして読む一都の句
磨崖仏色なき風をてのひらに
観音の千の手と目や秋のこゑ
色変へぬ松石山を足場とし

 雨の予報(唐津)小浜 史都女
降つてきてよろこぶへくそかづらかな
父の忌の花替へ二百十日かな
踏石に踏み凹みあり秋思仏
冬瓜のとろりと雨の予報きく
錆浮きし城門の鯱新松子
秋蟬や佐賀の殉国烈士の碑
秋の深まる吊橋も小流れも
秋深しヒマラヤ杉もユリの木も

 絵蝋燭(宇都宮)鶴見 一石子
雷神の追ひかけて来るいろは坂
登高や階三十の山の駅
海なしの野州の空を鰯雲
朝採りのリヤカーで売る秋なすび
長き夜の夢の継ぎ接ぎ絵蝋燭
颱風の雨地を奔り地を叩く
塵一つ無き箒川水澄めり
肩の荷を下ろし名月待てるなり

 白萩(東広島)渡邉 春枝
手作りの服の身に添ふ白露かな
道標の文字の薄れや穴まどひ
芒野に風のつけたる風の道
揺れゐるは芒か我か夕日落つ
白萩や天守にのこる武士の意気
楽章の切れ目きれめの秋思かな
おろおろと試飲に酔うて月の路地
藤袴アサキマダラを誘へり

 鰯雲(浜松)渥美 絹代
爽やかや山の向かうの山が見え
秋簾揺れ雨脚の強くなる
鰯雲綱を長めに山羊つなぐ
石切りしあとの絶壁鳥渡る
採石場の底に歌声秋気満つ
均されし畑に足跡星月夜
野分だつ口に十粒の百草丸
ゆく秋の前かがみなる磨崖仏

 秋日和(函館)今井 星女
遠来の客をもてなす秋日和
花芒おいでおいでとトラピスト
マリア像かかぐる秋のトラピスト
聖堂にパイプオルガンひびく秋
秋薊ぐるりと囲む青畝句碑
修道女には逢はざるも秋の旅
修道士弾くオルガンは秋の曲
牧場で牛乳を飲む秋日和

 裏摩周(北見)金田 野歩女
摩周岳より摩周湖へ雨燕
黙祷をしてより昼餉終戦日
稜線の谷へもつとも流れ星
裏摩周晴れたり秋の麒麟草
その先は国後鮭の定置網
秋桜垣を溢るる家を訪ふ
唐黍を頬張り十代よく育つ
大役に意気込む夫の里祭

 秋つれづれ(東京)寺澤 朝子
おしろいの花の彩る御殿坂
まんじゆさげ此処道灌の物見塚
山頭火句碑の裾なる水引草
草の花「女院」とのみの墓一基
男郎花さみしき花をこぼしけり
剪るによき芒もありて月今宵
秋ともし書肆に新版山家集
星飛んで生国隔つ幾山河



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 菊の酒(藤枝)横田 じゅんこ
桐一葉風のやさしく吹く日かな
秋風と葉書いちまい投函す
茸飯相槌欲しき夜なりけり
膝かるく寄せ合ひ菊の酒を酌む
庖丁を使はぬ一日やや寒し
仏には天こ盛りなり栗ごはん

 折鶴 (浜松)弓場 忠義
脇堂の十の石仏秋日射
百丈の一都の句碑や秋の声
色変へぬ松石山の切通し
折鶴を子のてのひらに良夜かな
笹舟のやうに落鮎流れけり
小鳥来るゆつくり回す転車台

 雁の頃  (松江)西村 松子
吹きくぼむ夫の白粥今朝の秋
秋耕の土いきいきと影を生む
秋燕の去りたる空へ足場組む
母を抱くやうに倒れし稲起こす
稲滓火は母の割烹着の匂ひ
大斐伊の砂洲の締まりも雁の頃

 良夜 (江田島)出口 サツエ
習ひ囃し波に乗り来る良夜かな
十六夜の月待つ波止に足垂らし
十六夜やはがき一枚出しにゆく
豆腐屋へ近道の畦彼岸花
体内ウイルス暴れだしたる残暑かな
昨夜の雨上がり帰燕の空となり

 唐藷 (浜松)大村 泰子
十六夜や音たて離す連結車
五位鳴いてみづうみ平なる良夜
さはやかや転居通知が北京より
蒸籠に唐藷の皮反り返る
酒粕に鮭の切り身を包みけり
小突き合うて風に鳴りたる種瓢

加賀の国 (呉)大隈 ひろみ
逆光の海へかしげて秋日傘
デボン紀の化石出でし地水澄めり
吾亦紅山荘どこも鎖されて
邯鄲を枕に聞くや加賀の国
山国の大き餅菓子秋日和
捨つる写真残す写真や秋の風



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 高橋  茂子(呉)

秋涼し舌に程よき七分がゆ
テーラーの首に巻尺秋うらら
遠山に白雲ほぐる椿の実
おひさまにこゑある童画小鳥来る
秋風や荷台に積める古畳

 小村  絹代(松江)
新涼や土偶の乳房ふくよかに
石室へ差し入る夕日穴惑ひ
やはらかき子山羊の耳や秋の風
倒木に宿る命や雁のこゑ
ていねいに掃く馬溜り桐一葉



白光秀句
村上尚子

テーラーの首に巻尺秋うらら 高橋 茂子(呉)

 町を歩いていると、窓越しに仕立屋が仕事をしている姿に目が止まった。テーラーにとっては当り前の姿かも知れないが、通行人がそこへ目を止めるのは当り前ではない。
 春の「うららか」に対し、「秋うらら」である。どちらも風がなく、太陽が降り注ぐような明るい日を差すが、冬は間もなくやってくる。腕の良いテーラーの生き生きとした仕事ぶりと、それを見ている作者の姿が浮かんでくる。
  おひさまにこゑある童画小鳥来る
 この絵は子供が描いたものか、子供のために描かれたものか、そして声が出るように作られているのかよく分からない。しかし、あるはずもない「おひさまのこゑ」があると言うのが面白い。想像はふくらむばかりである。

石室へ差し入る夕日穴惑ひ 小村 絹代(松江)

 気象の変化のせいか、蛇を見掛けるのは少なくなった。たまたま出合ったのは、冬眠のために過ごしやすい場所を探しているところだった。一般的には嫌われ者だが、春の「蛇穴を出づ」、夏の「蛇衣を脱ぐ」、そして秋の「蛇穴に入る」まで、俳人にとっては大いに楽しませてくれる句材である。出合った場所と時間も神秘的である。
  やはらかき子山羊の耳や秋の風
 家畜のなかでも、山羊は犬や猫ほど身近ではないが、見掛けると思わず近寄ってみたくなる。たまたま外に繋がれていたのだろう。あまりの可愛らしさに耳へ触ってみた。その感触を楽しみながら、爽やかな風のなかで、しばし童話の世界に身を置いている。

木印の墨くろぐろと秋めけり 熊倉 一彦(日光)

 伐採する木や、伐採した木の所有、所属を示すための「木印」。鉈や斧で印すのが本来の姿らしいが、ここでは墨で書かれているらしい。これからの季節は、森林の伐採により良い時期となる。「くろぐろ」からは山への強い思いが伝わってくる。

裁ち落とす鮭の頭をもらひけり 三関ソノ江(北海道)

 店頭には既に切り身にされていることが多いが、作者のお住まいが北海道と分かれば成程と思う。「裁ち落とす」としたところがいかにも鮭の頭らしい。産地ならではの作品である。

コスモスの空を称へて咲きにけり 塩野 昌治(磐田)

 コスモスはどこに咲いていても可憐で親しまれ、二、三輪咲いても何万本咲いてもさまになる。風に揺れれば一層美しい。この句は敢えて風を言わずに「空を称へて」として、青空に応えて咲くコスモスの動きを表現している。

山鳩の声を近くに大根蒔く 谷田部シツイ(栃木)

 最近は一年中見掛ける大根だが、今蒔くものは冬の間、おでんを筆頭に食卓を楽しませてくれるものである。山鳩の声に励まされ、農作業を楽しいと思うひと時でもある。

荒れ山も捨て田も故郷草もみぢ 中嶋 清子(多久)

 人口減少のためか、都市集中のためか、見放された山や田を見掛けることが多い。その場所が故郷となれば一層心が痛む。眼裏には子供の頃見た美しい風景が蘇る。足元まで広がる草もみじが、美しくもかなしく見える。

新米の光零さぬやうに食ぶ 田島みつい(苫小牧)

 日頃何げなく食べている御飯も「新米」は特別である。茶碗に盛られた炊き上がったばかりの湯気と香りと艶。「零さぬやうに」は喜びと感謝の深い思いがこもっている。

ぐづる子に彼の手此の手や草の花 津田ふじ子(出雲)

 子供には子供の言い分があるらしい。日常のよくある一齣だが、俳句ならではの表現でその場の様子がよく見える。草の花がやさしく見守っているようだ。

いくたびも両手で掬ふ今年米 貞広 晃平(東広島)

 まだ籾殻のついたものか、あるいは精米されたものか。掬うたび両手に触れる一粒一粒がいとおしくてたまらない。手に触れるたび田植から刈り取りまでの日々が思い出される。今年米に対する思いの全てが、上十二文字に集約されている。

解かれて棒となりたる案山子かな 川本すみ江(雲南)

 案山子が立っている姿はよく句材にされるが、この句は役目を終えた姿である。〝おどし〟のなかでもなるべく人間に似て作られているため「棒となりたる」姿はあまりにも哀れである。


その他の感銘句

ぢいちやんは遊ばせ上手赤のまま
ままごとのママは母似や赤のまま
秋澄むやドアの鈴鳴るレストラン
秋蟬や茶釜に水を足してをり
九年母や土間の足袋沓へたりをり
敬老の日の半日を美術館
人声の方へ方へと夕花野
秋の雲寄せて筑波の峰二つ
上げ潮に川面の月のをどるなり
灯籠の闇を押しつつ流れけり
一食の塩は二グラム豊の秋
ひとところ雲切れてをり今日の月
水澄めり黒谷和紙に走り書き
家中のみんな元気や今年米
上京の一番列車鰯雲

荻原 富江
妹尾 福子
朝日 幸子
大庭 成友
牧沢 純江
坂田 吉康
若林 眞弓
若林 光一
横田 茂世
河森 利子
藤尾千代子
田部井いつ子
村上千柄子
加藤 美保
鈴木 利枝



白魚火集
〔同人・会員作品〕  巻頭句
白岩敏秀選

浜松 渥美  尚作

蓮の実の飛んで正午の時報鳴る
街路樹の葉擦れの音や秋茜
葛咲くや空どこまでもひと色に
日の温み残る粟の穂にぎりけり
集会の最中鳴子の鳴つてをり


多摩 寺田 佳代子

ホールより調律の音花木槿
小鳥来る公園口の改札に
パレットに絵の具乾ぶる九月かな
秋思いまアンモナイトに触れてより
野分だつ夜の湿りのなか眠る



白魚火秀句
白岩敏秀

蓮の実の飛んで正午の時報鳴る 渥美 尚作(浜松)

 蓮の実が飛んだから、正午の時報が鳴ったのか。或いはその逆だったのか。飛び出したくて仕方がなかった蓮の実に、正午の時報が飛び出すきっかけを作ってくれたのだろう。新しい天地を目指して、勢いよく飛び出していった蓮の実に夢がある。
  日の温み残る粟の穂にぎりけり
 粟は五穀(米・麦・粟・豆・黍)の一つ。米よりも味があわいので粟と言われたらしい。栽培されることが珍しい粟を見かけて、思わず手にした。そして、ぎっしりと黄色に実った一粒一粒に太陽の温みを感じている。飯田蛇笏の〈をりとりてはらりとおもきすすきかな〉は芒の重さを詠い、揚句は粟の温みを詠った。同じイネ科の植物でも対象が違えば感じ方も違う。

秋思いまアンモナイトに触れてより 寺田佳代子(多摩)

 「化石の王様」と呼ばれるアンモナイトの化石を見ているうちに、気の遠くなるような古代の世界に迷い込んでいたのかもしれない。およそ三億五千万年の間に進化や繁栄をして、六千五百万年前に突然消滅したアンモナイト。ひんやりした化石に触れてから、更に深まる秋思である。
  ホールより調律の音花木槿
 今日は音楽会でもあるのか。朝からピアノの音を調節している。がらんとしたホールにポン、ポロンと音が響く。調律師も木槿も今日一日の栄のために、全身全霊でその務めを果たしている。秋は芸術の季節。

新涼の灯火に母の寝顔あり 森脇 和惠(出雲)
 作者の母は闘病生活をなさっているようだ。秋になって、病状も少し落ち着いたのか、穏やかに寝についてくれた。その静かな寝顔に安堵している作者。余分な説明もなく抑制された表現に、母を看病する覚悟が見える。

逃がしたる鈴虫それつきり鳴かず 吉村 道子(中津川)

 虫籠を開けた途端に、逃げてしまった鈴虫。普段からよく鳴いてくれていたが、自由の身になった途端に鳴かなくなった。隠れているのか、飼い主の機嫌を取る必要がなくなったのか。兎に角、逃げた魚は大きいということ。

秋晴や届く所の窓を拭き 金子 きよ子(磐田)

 今日は秋晴れのよい天気。早速に部屋の掃除を始めた。いざ、窓を拭こうとしたところ、高いところには手が届かない。踏み台や脚立は面倒である。そこで、手の届くところでお終いにする。足るを知り、自足することも人生の智恵である。

一枚は巻き上げられて秋簾 富士 美鈴(静岡)

 秋になって日差しも弱くなったので、そろそろ仕舞おうとしている簾だが、それでもまだ必要と思いながら吊っている。「一枚は巻き上げられて」に『枕草子』の「香炉峰の雪、いかならむ」と問われ、清少納言が簾を高く上げた場面を思い浮かべる。残る一枚もそろそろ仕舞い頃。

小鳥来るやや細身なる一都句碑 渡辺 加代(鹿沼)

 一都句碑は宇都宮市大谷資料館の前にある。
 百丈の石修羅を懸けほととぎす 西本一都第九句碑になる。古川句碑や正文句碑は横長のどっしりした句碑であるが、こちらは縦長でほっそりとしている。この日は白魚火鍛錬会で大谷資料館付近を吟行した。句碑には秋の日差しがやわらかく当たっていた。

灯火親し明日のはじまる時報かな 萩原 峯子(旭川)

秋の夜長に読書でもしていたのだろう。夢中に読書していた耳に突然、時計が鳴った。思わず時計を見上げると、短針と長針がぴったりと重なり、午前零時を報せている。深夜と言わず、「明日のはじまる」といって新鮮である。

挨拶を笑みで返さるあきうらら 池本 則子(所沢)

 例えば、他人以上、親友未満ぐらいの仲なのだろう。それでも親しいことには変わりない。道で行き合って挨拶すれば、にっこりと笑みで返された。途端に大手を振って歩きたくなるような、うららかな秋の一日になった。

末席の気楽さにゐて秋扇 藤江 喨子(出雲)

 前列にいると、身じろぎや脇見をすることはそれなりに遠慮して、やりにくい。末席ならば少しは気楽。末席にいる気持ちをずばりと言い当てて胸の透く思いがする。


    その他触れたかった句     

鈴虫や太字のペンに持ち替へて
桔梗挿す七十歳の身ほとりに
小豆引く午後の日差しに莢弾け
秋蝶の日向ばかりを飛びにけり
朝の供華露にぬれたる花鋏
保育所に釣瓶落しの灯のともる
さはやかに切株森の貴賓席
コスモスの揺るる高さをランドセル
秋風に乗つて噂の届きをり
名月や軒端に小さき椅子一つ
秋日和ひとつ手前の駅で降り
物置の戸口に隙間いなびかり
教室に笑ひ声ある九月かな
爽やかや野球チームの一少女
朝寒の衿立てて待つ始発駅

田口 耕
中村 國司
山羽 法子
吉田 美鈴
牛尾 澄女
篠原 凉子
花木 研二
山田 哲夫
鈴木 花恵
竹内 芳子
淺井まこと
山田 惠子
西澤 寿江
松田独楽子
有川 光法


禁無断転載