最終更新日(Update)'19.10.01

白魚火 令和元年9月号 抜粋

 
(通巻第769号)
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 9月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   寺田佳代子 
「大きな眼」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載) 坂本タカ女 ほか
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
斎藤文子、寺田佳代子
白光秀句  村上 尚子
実桜吟行会  根本 敦子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    斎藤文子、吉田美鈴
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(多 摩)寺田佳代子

秋風や地に譜を開く辻楽師  渥美 絹代
(平成三十年十一月号 曙集より)

 秋風に誘われるように街角に音楽が流れる季節となってきた。作者の住む浜松市は音楽の盛んな街である。駅前広場では楽器が奏でられ、リズムに乗って人々が集まり、思い思いに音楽を楽しむことも身近であろう。
 「地に譜を開く」に景色が良く見える。楽師は腰を据えての演奏だろう。奏でている楽器は?曲は?と想像するのも楽しい句だ。演奏が終わり、楽器ケースにはお札や小銭が大いに投げ込まれ、そして人々は、それぞれの行く道に何もなかったかのように散っていったのであろう。街角の一齣を鮮やかに切り取った一句である。

鈴虫のこゑ鋼めく武家屋敷  中村 國司
(平成三十年十一月号 白魚火集より)

 この句を読み、縁側で鈴虫を飼っていた祖父を思い出した。餌に新鮮な茄子や胡瓜を与え、水遣りにも気を遣っていたようだ。日中にも鳴く鈴虫だが、夕方になるとその澄んだ音色は一層響いてきたように思う。
 掲句では鈴虫の声を鋼のようだと捉えた作者。確かにあの硬質な音色は鋼のようだと思う。少し震えるような美しい鈴虫の音色が武家屋敷に一層風格を添えたことだろう。

封筒にあさがほの種青とのみ  砂間 達也
(平成三十年十一月号 白魚火集より)

 朝顔は古くから園芸種として改良され、庭やベランダに色も形もさまざまな美しい花が咲いている。そして、真っ黒な種が見え始めれば種の採取も楽しみである。
 掲句は作者が朝顔を咲かせて種を採ったのか、人から頂いたのかは書かれていないが、「青とのみ」とあるので、どなたかから頂いたのではないかと思う。からからと乾いた音を立てている封筒に来年の楽しみが読み取れ、青い朝顔が庭一杯に咲いている景色を想像し気持ちの良い一句となった。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 螢    (旭 川)坂本タカ女
川面くる風心地よし螢待つ
道草の草を入れおく螢籠
火を焚ける川原の煙螢闇
里の子の螢のはなし見にゆかむ
掛軸のごとくに月や螢の夜
螢火のときに二つに見ゆるとき
日中鳴らざりし風鈴夕べ鳴る
捩るほかなき天上へねぢり花

 夏  炉 (静 岡)鈴木三都夫
民宿の用なき用の夏炉かな
滾つ瀬のしぶきを躱し岩つばめ
滴りの苔に滲みては滴れる
聞き耳に応へてくれし河鹿笛
草笛の茶の芽もつとも響きけり
どつと咲きどつと散り終ふえごの花
思惟仏のおん目涼しく在しけり
宗長と端居心の茶庭かな

 蛍 の 夜 (出 雲)山根 仙花
一匹の虻の行方を目で追ひぬ
白く巨き船のゆくなり初夏の海
子燕の胸元荒るる日本海
窓少し開け涼風を貰ひけり
足で足洗ひ蛍の夜を帰る
桐咲いて郵便局の多忙な日
裏戸の灯沈め安らぐ夏の宵
鶏千羽千の顔して秋めけり

 焼  酎 (出 雲)安食 彰彦
饒舌のやや多くなり芋焼酎
人生愉快芋焼酎が好きと言ふ
冗談と噂肴に芋焼酎
止り木の隣りは寡黙芋焼酎
もつれたる記憶のあはれ芋焼酎
ひとり居の昼の焼酎いとかなし
芋焼酎雨の日暮となりにけり
ゆつくりと夕日を眺め芋焼酎

 父の日の観覧車 (浜 松)村上 尚子
話す間も空を見てゐる薄暑かな
高みより海がよく見え棕櫚の花
菖蒲見の危ふき橋を途中まで
今切を開けて船くる麦の秋
雲はやく過ぐ父の日の観覧車
南吹く遊覧船に日章旗
沖へ出て船の揺れだす雲の峰
青嵐航跡波にまぎれけり

 日 時 計 (唐 津)小浜史都女
プリンセス・アイコと名乗り薔薇の花
稚児笹の丈をそろへて夏旺ん
大旱やからすはこゑを嗄らしたる
待たれたる青水無月の雨の音
上流にダムあり鮎の解禁日
山梔子や日時計正に十一時
あれもこれも七夕竹によささうな
八十にまだある未来桃すする

 落 し 文 (宇都宮)鶴見一石子
曇天の重なり梅雨の深まり来
高僧の塚には寄らぬ道をしへ
万緑の山重なりて彩競ふ
ラベンダー植ゑし野州に北の風
葭暖簾守るは女将や二八蕎麦
薔薇百花刺千本を潜り抜け
落し文寺に伝はる七不思議
綿菅の会津街道夏帽子

 大 内 宿 (東広島)渡邉 春枝
またたびの花を左右に一両車
夏燕大内宿を低く飛び
神木に蔓あぢさゐの昇りつめ
溝川の水透きとほる立葵
家ごとに洗ひ場のありラムネ浸け
大内宿の守り継がれし清水川
茅葺きの駅舎の夏炉囲みけり
梅雨晴るる駅の足湯に笑ひ声

 雷  鳴 (浜 松)渥美 絹代
夕星や植田の濁りまだ消えず
笹百合に触れ切株の朽ちゆけり
式台に定家葛の花匂ふ
夕焼や鴉くはへしもの落とす
白き花散りたるあたり鯰ゐる
針持てば雷鳴近くなりにけり
大揺れの青葉遊覧船の出る
釣人の背に卯の花のこぼれをり

 残  暑 (函 館)今井 星女
蝶とんで狭庭の景の変はりけり
七月の朝の空気のうまきかな
七月や上衣ぬいだりはおつたり
外に出でて一句を拾ふ夏の夕
花束に百合の蕾を切りにけり
わが庭の花でたりたる墓參かな
墓參終へ心満ちたる一と日かな
北国の短き残暑愛しめり

 笑  顔 (北 見)金田野歩女
俳人のみな立ち止まる蝮蛇草
鋸草縞栗鼠の子の見え隠れ
朝な夕な栃の花屑掃き清む
句仲間の笑顔の集ひ五月晴
辻地蔵へ傘差すやうに桜の実
青蔦や裏口昏き開かずの戸
青駒の音立てて呑む夏の水
好日や青野蒼空碧い湖

 向島百花園 (東 京)寺澤 朝子
夜は蛍とぶを幻想水辺往く
百花園百花に惑ふや梅雨の蝶
夏萩や古井に釣瓶遺されて
青葉雨百花しづくを零しけり
水琴窟涼しき音を地中より
丈なして古井囲めり花萱草
こゑ聞かな蛍袋に耳寄せて
江戸の粋いまに伝へて梅雨の園



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 夏  炉 (札 幌)奥野津矢子
畳み持つ万緑行きの旅程表
父の日の夫に留守居を頼みけり
明易し大樹の騒ぐ山の朝
甚平着て雨の飛石見てゐたり
夏炉焚くワッカは風の湧くところ
緑蔭を食み出してゐる丸木舟

 烏瓜の花 (浜 松)安澤 啓子
走り梅雨写経の墨のよく匂ふ
玄関のチャイムに目高乱れけり
行者像のまなじりに皺風薫る
青梅のこつんと落ちて雨来たる
折詰に径一寸の葛饅頭
大粒の雨くる烏瓜の花

 夏  越 (東広島)源  伸枝
朝の月端山に残りほととぎす
鉋屑くるくる茅花流しかな
旅涼し会へば言葉のあふれ出て
一日は傘さす旅や沙羅の花
旅の荷を置くや夏炉に身を寄せて
奉灯の揺れて夏越の杜しづか

 色 鉛 筆 (藤 枝)横田じゅんこ
学校にそろそろ慣れて花楝
梅雨深し色鉛筆の折れやすき
誰もゐぬ茅の輪くぐりて禰宜帰る
夕つづやいよいよ白き月見草
涼しさや星座の名前鳥・楽器
睡蓮の水の眠たくなつて来し

 夏  至 (愛 媛)二宮てつ郎
夏至暮るる言葉忘れてゆくばかり
咲きのぼるグラジオラスや雨兆す
指先に軟膏を塗り梅雨深し
病葉や遥かなる海色持たず
夏痩せもせず病院に通ふかな
櫨の実の真緑今日も雨の中

 透 百 合 (苫小牧)浅野 数方
師の和顔夏野を駈くる風軽し
佐呂間湖の風のふところ丹生の花
海鳴に声を落として海鵜去ぬ
雨に咲き雨に散りたる透百合
いつ来ても風棲む湖の蟻の塔
もてなしの夏炉に集ふ握手かな



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 斎藤  文子(磐 田)

泰山木咲いて鑑真和上の忌
灯明に影の涼しき伎芸天
あめんぼの水輪正午の時報なる
閂のかかる墓域や若楓
城址にベンチが二つ夏薊


 寺田佳代子(多 摩)

大川の風にふくらみ夏衣
桟橋を離るる船や梅雨の川
墨堤の老舗の団子青しぐれ
夏萩のトンネル風の抜けやすく
夕風の時に玻璃打つ夏座敷



白光秀句
村上尚子


泰山木咲いて鑑真和上の忌  斎藤 文子(磐 田)

 鑑真は、日本の留学僧らに懇願され渡航を決意したが、難破により五度の失敗を重ね、視力まで失うという不幸に見舞われた。後に唐招提寺を創建し、その教えは今も続いている。目の前の泰山木の花を見上げ、千二百年以上ものはるかな世界に身を置いている作者である。肖像彫刻の最高傑作といわれている鑑真の座像と、泰山木の花の白さがいつ迄も目に残る。
  灯明に影の涼しき伎芸天
 秋篠寺の伎芸天立像が思い浮かぶ。本堂に踏み入り、ふくよかな姿をまのあたりにした途端、声より先に息を呑み込んだことだろう。しばらく外の暑さも忘れて佇んでいた。
  女身仏に春剥落のつづきをり  細見綾子
  一燭に春寧からむ伎芸天    阿波野青畝

夏萩のトンネル風の抜けやすく  寺田佳代子(多 摩)

 単に萩といえば、秋の七草の筆頭に挙げられるが、この萩は夏に開花するもの、あるいは花が咲かなくても青々としているものを差す。場所は東京向島の百花園。背を越えるほどの茂りの中を、人が通れるようにトンネル状に仕立ててある。思わず通り抜けてみた。それ迄気が付かなかった園内の風が、一気に集まってきたような気がした。萩の別の一面を捉えている。
  桟橋を離るる船や梅雨の川
 浅草駅から百花園迄、およそ四キロを歩いての吟行。途中に見所はたくさんあるが、先ず渡るのが吾妻橋。その下を流れるのが梅雨時の隅田川である。折りしも出合った光景をすかさず捉えた。吟行句ならではのとっさの一句である。

百花園の揃はぬ百花梅雨の蝶  萩原 一志(稲 城)

 江戸時代の文人墨客の協力を得て出来たという「向島百花園」。名前の通り、時期によっては百花繚乱のはずだが、生憎の端境期。当日の様子を率直に表現すればこの通りであろう。丁度舞ってきた「梅雨の蝶」に慰められている。

富士塚へのぼり涼しき風に会ふ  鎗田さやか(西東京)

 江戸時代に富士山に模して築いた塚。富士講の人達が実際に富士登山をするように行なってきた。いわばミニチュアの富士登山。あっという間に頂上の小高い所へ着く。同じ風でもビルの間の風とは全く違う涼しさである。

零れさうな仁王の目玉ユッカ咲く  内田 景子(唐 津)

 山門の両脇に安置されている一対の金剛力士。仁王立ちとか仁王力等という言葉があるようにいかにも厳しい。特にその目の印象を「零れさうな」としたのは言い得て妙。季語との取り合わせも奇抜である。

みづうみを傾けてゐる夏つばめ  青木いく代(浜 松)

 南方から飛来し、子育てもすみ、日本の地にも慣れて最も燕らしい姿が見られる時期である。「みづうみを傾けてゐる」はそんな燕の生き生きとした姿を表現している。自ずと湖の広さも見えてくる。

遊船や名前忘れし人とをり  山田 眞二(浜 松)

 日常の暮しから離れ、水上で過ごす特別な時間である。たまたま出合った人と挨拶を交し話が進む。しかし肝心の名前が出てこない。今さら聞くのもばつが悪い。誰にでもありそうなことだが、この取り合わせで俳句にした人はいないように思う。

糠床をしかと叩きて土用入  冨田 松江(牧之原)

 新鮮な野菜を糠漬にすることの効果に加え、程良い塩加減は食欲もそそる。しかしその元となる「糠床」の世話は暑くなるほど油断は出来ない。作者の掌からその意気込みが音となって伝わってくる。

馬洗ふポニーテールの厩務員  市川 節子(苫小牧)

「馬洗ふ」は馬冷やすの副題。そして「厩務員」とは広辞苑によると〝厩舎で競走馬の飼養、手入れなどの世話をする人〟とある。それが男性ではなく、若いと思われる女性だったというところに詩がある。

新茶呑む卒寿の夫婦茶碗かな  剱持 妙子(群 馬)

 年中呑むお茶も「新茶」には特別な思いがある。作者は正真正銘の九十歳。来し方を振り返りながら味わっている。両手に包む「夫婦茶碗」には思い出が一杯詰まっている。

鼻と口のでかき大仏夏の雲  伊藤 政江(伊 予)

 丈六以上のものを大仏と呼ぶらしいが、その目や眉は細くて涼やかである。しかしこの句は敢えて鼻と口のことだけを見て、「でかき」と言っている。「夏の雲」にも加勢されその俗語が、より効果を上げている。


    その他の感銘句
ままごとの茣蓙にこぼるる柿の花
図書館と繋がる駅舎夏燕
教会の鐘の音響く夏野かな
夏みかん添へて彩り良きサラダ
亡き母の籐椅子海を見てをりぬ
富士山の見ゆる牛舎や柿若葉
きらら虫太宰の『斜陽』横切りぬ
国分寺遺跡なんぢやもんぢや咲く
船渡御の百艘橋をくぐり来る
くびれたるところが腰や竹夫人
白南風や歩き疲れし足洗ふ
ベビーカーの足が蹴るける夏の空
ロープウェー植田に影を落とし行く
青蘆をぬつて艪櫂の進みゆく
逃水や広漠の道溶けてをり
北原みどり
石田 千穂
谷田部シツイ
高井 弘子
鈴木  誠
落合 勝子
檜垣 扁理
埋田 あい
原  和子
三谷 誠司
山本千惠子
若林いわみ
相澤よし子
金織 豊子
大野 静枝


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

磐 田 斎藤 文子

玉砂利を踏む音梅雨に入りけり
五月雨や鞄に母の家の鍵
膝たてて足の爪切る梅雨の雷
ネックレスはづしみどりの夜となりぬ
短夜の手紙のインク滲みけり


東広島 吉田 美鈴

迷ひ込む難波の小路濃あぢさゐ
天守閣正面に据ゑ鵜舟発つ
鵜の吐ける魚に鋭き嘴の痕
冷房車始発の汽笛鳴らしけり
全長を見せ石段の蚯蚓かな


2

白魚火秀句
白岩敏秀


ネックレスはづしみどりの夜となりぬ  斎藤 文子(磐 田)

 外で色々と気を遣いながら過ごした一日であったのだろう。ネックレスを外すことによって、これらの緊張感から解放された喜び。その弾んだ気持ちを「みどりの夜」がしっかりと受け止めている。装飾品ひとつで変わる気持ちを若々しく詠みあげた。
  五月雨や鞄に母の家の鍵
 娘にとって、母の家は遠慮のいらないところで、いつでも自由に出入りができる。母の家の鍵は万一の用心のためでもあるが、娘にとっては御守りのようなもの。今も、自分の玄関の鍵と触れ合って小さな音を立てている。

全長を見せ石段の蚯蚓かな  吉田 美鈴(東広島)

 石段に足を掛けようとしたところ、蚯蚓が長々と横たわっていたという。踏み出そうとした足が一瞬宙に浮いたことだろう。「全長を見せ」が蚯蚓の長さ、太さを想像させる。
  冷房車始発の汽笛鳴らしけり
 炎暑の中を、多くの客を乗せ、長距離を走らねばならぬ列車である。汽笛は自らを鼓舞する汽笛であろうか。「始発の汽笛」が力強く響く。

六月や北見は薄荷色の風  三原 白鴉(出 雲)

 北海道「実桜吟行句会」の北見市での吟。北見市はかつて薄荷を生産していた。その生産量は最盛期には世界の七〇パーセントのシェアを占めていたという。今は「北見ハッカ記念館」に、かつての盛況の様子を見ることができる。薄荷は北見の誇りなのである。訪れた先の固有名詞を用いるときは根底に「その地への挨拶」の気持ちが必要と仁尾先生は教えている(『白魚火燦々』)。揚句はその意に適った上等な挨拶である。

かたまつてぶつかる風や浜豌豆  高田 喜代(札 幌)

 「実桜吟行句会」でサロマ湖へ行った。揚句は「ワッカ原生花園」での吟。この日は風の強い日で、オホーツク海とサロマ湖からの風が合体して、衣服をはためかせ、歩調を乱すほど強く吹きつけていた。「かたまつてぶつかる風」とは、この日の風の強さを表すにぴったりの表現である。

耶馬渓の風の中なる青葉木菟  萩原 一志(稲 城)

 耶馬溪は大分県中津市にある。菊池寛の小説『恩讐の彼方』の「青の洞門」は本耶馬溪にある。競秀峰より起こった風は耶馬溪の万緑を吹き、山国川を渡ってゆく。そんな風の中で聞いた青葉木菟の声はいかにも涼しい。

座る位置かへても一人梅雨晴間  金子きよ子(磐 田)

 久し振りに梅雨晴になった。早速に部屋を掃除して、さっぱりした部屋のいつもの卓に座った。しかし、この席はかって夫が座っていたところ。梅雨時のいっときの晴れ間に忍び寄った孤独感。桂信子に〈春燈のもと愕然と孤独なる〉がある。

玉の汗同じタオルで拭く涙  井上 科子(中津川)

 日盛りのグランドで一点の攻防をかけた野球の試合。結果は…?勝っても負けても、グランドで流した青春の汗と涙である。「同じタオル」に選手の感極まった気持ちがよく出ている。甲子園への思いが選手達を熱く燃え上がらせている夏である。

夏蝶や一木あつけなく伐らる  山田 惠子(磐 田)

 毎日眺めて手入れをしてきた木。夏になれば蝉が鳴き、木蔭を作ってくれた。その木があっけなく伐られてしまった。今まで積み重ねて来た長い時間があっという間になくなった。このようなことは人間世界にもありそうだ。日蔭を失った夏蝶が頼りなく飛んでいる。

病院のベッドの上の夏帽子  西澤 寿江(浜 松)

 病院のベッドの上に無造作に置かれている夏帽子。それだけの描写である。帽子は見舞客のものなのか、外の世界を思い切り楽しみたいと希う病者のものなのか。作者は答えを出していないが、小説の書き出しのような切り口。

一夜さの雨に収まる水喧嘩  藤原 益世(雲 南)

 灌漑水路が整備された現在でも、水不足になると水喧嘩が起こる。水の取り合いで口角泡を飛ばして喧嘩しても、一晩の雨で水不足が解消すると途端に収まってしまう。相手が憎いのではない。稲を立派に育てたい一心なのである。


    その他触れたかった句     
梅雨晴の島へフェリーの口開く
御朱印の列に付きたる夏帽子
片蔭に音休ませて耕耘機
実梅捥ぐ畑に円座の昼餉かな
あぢさゐがどうにもならぬほど咲いて
白牡丹咲ききる悔のなき一日
落雷やドラマ佳境となつてをり
朝曇十円切手足す葉書
雨あとの光をゆらす若葉風
柱の疵残し引越す夏休み
傘の色足して紫陽花日和かな
輪の中のひとりとなりて藍浴衣
ぼうたんの豊かに揺れて雨になる
噴水の押し上げてゐる大き雲
高橋 茂子
松崎  勝
八下田善水
篠原 米女
秋穂 幸恵
山田 春子
中野 元子
高橋 裕子
椙山 幸子
渡部千栄子
塚本美知子
金子千江子
橋本喜久子
太田尾利恵

禁無断転載