最終更新日(Update)'19.07.01

白魚火 令和元年7月号 抜粋

 
(通巻第767号)
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 7月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   坂田 吉康
「四月の雨」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
吉田 美鈴、大澄 滋世    
白光秀句  村上 尚子
平成三十一年度 栃木県白魚火会総会  大野 静枝
計田美保さん白魚火賞 祝賀吟行記  原田 妙子
群馬白魚火会総会・俳句会  竹内 芳子
浜松白魚火会 第二十一回総会・俳句会  大澄 滋世
主宰、村上選者、弓場先生をお迎えしての雲南合同吟行句会を終えて  中林 延子
坑道句会四月例会報  樋野久美子
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    川本すみ江、中村 國司
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(浜 松) 坂田 吉康

幾度も叩かれ百足生きてをり  大石 益江
(平成三十年九月号 白光集より)

 百足は石垣、木の根、床下など陰湿な場所を好んで棲み、暖かい季節を好み六月から八月にかけ活発になる。餌を求めて、時には家の中までやってくる。
居間のカーペットの下に潜んでいた百足を見つけ、咄嗟の事でとりあえず近くにあったスリッパで叩いた。叩く事数度。じっとしているので仕留めたと思い指で抓もうとすると、身をくねらせて逃れようとする。筆者もこんな経験をしたことがある。実体験を詠み、おかしみがあり、百足のしぶとさを言い得て妙。

大泣きの稚の目の追ふ夏の蝶  渡辺 加代
(平成三十年九月号 白魚火集より)

 夏の蝶の代表は何と言っても大型の揚羽蝶である。羽根を広げると一〇センチ前後もあり色彩が美しく如何にも優雅である。
 自我に目覚める頃の子供は、自分の思い通りにならないと駄々を捏ねて大泣きをすることがある。そんな時、折しもひらひらと舞っている蝶が目に入った。成長期の子供は何にでも興味を示し、泣いてはいてもその目は蝶を追っている。子供の泣き声にともすると苛立ちを覚えることがあるが、この句からは作者の心のゆとりが感じられ微笑ましい。

物差しの裏に母の名さるすべり  若林いわみ
(平成三十年九月号 白魚火集より)

 これは竹製の物差しであろう。近年の物はプラスチック製で定規とかスケールと呼ばれ、「物差し」と聞くとある程度の年齢の者は懐かしさを覚える。
 作者は、常に母の事が心の片隅に有る様である。サインペン等無い時代でおそらく名前は墨で書かれたものであろう。使い古された物差しに母の温もりを感じ、恙無い今日の幸せを感謝するのである。
 季語の「さるすべり」が良い。上句との距離感が絶妙。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 青  鷺 (旭 川)坂本タカ女
雪囲ひ解く牡丹に声かけて
片脚をときに浮かせて剪定夫
際立てる雪の連峰夏隣る
靴箆にかかとすべらす地虫出づ
風ゆるるすだれ芽柳美術館
咲き急ぎ散るを急げる桜かな
樹に群れてをりし青鷺営巢期
せせらぎの寄り道をする水芭蕉

 仏 生 会 (静 岡)鈴木三都夫
浮寢鴨花の人出に拘らず
春の鴨無聊を託つ羽繕ひ
風が掃き流れの運ぶ落花かな
老いてなほ棚田を守り畦を塗る
仏生会一山花の浄土かな
花明り浴びて参らす甘茶かな
一杓にとろりと濡れし甘茶仏
散る花を人形塚に惜しみけり

 合歓の花 (出 雲)山根 仙花
星一つ二つ三つ四つ蛙鳴く
木洩れ日の風に忙しき五月かな
燕来て大きな空となりにけり
暑き日の眼の底まで疲れけり
沖を向く木椅子二脚や夏となる
橋一つ渡れば母郷蛍とぶ
子等帰る大夕焼けに胸染めて
淡々と命吹かるる合歓の花

 夏 帽 子 (出 雲)安食 彰彦
ふり返る平成すでに麦の秋
氷水やたらにかわきくつろげず
ひとまづは冷蔵庫開け思案かな
白髪をかくすつもりの夏帽子
夏帽に手あて笑顔の会釈かな
意地張つてみても結局ビール飲む
ビール飲みさて原稿にむかへども
植田澄む水豊かなる里に住む

 神南備山 (浜 松)村上 尚子
春昼の大きく揺るる伯備線
神南備山なべて霞の中にあり
春の靄神木の空かくしけり
簸川の流れをゆるめ野大根
龍天に登る棚田の半ばより
雉鳴くや棚田一枚づつに空
遠くにも山見えてをり遅桜
駅弁のぬくみを膝に春惜しむ

 歌垣の里 (唐 津)小浜史都女
歌垣の碑にほたほたと八重桜
こゑ高に歌垣山の鳥の恋
かたまつて家族のやうな春りんだう
歌垣のつつじにあはき昼の月
畳より止り木がよき心太
山城に天守うぐひす老を鳴く
夏うぐひす山城にある方位盤
歌垣の里に植田の五、六枚

 春 の 海 (宇都宮)鶴見一石子
山菜の芽吹きの里の牛蒡汁
大鬼怒の川幅五百猫柳
送電線こんな処に山桜
リハビリの杖二本突き春の海
孫と妻花の巻繊汁所望
訳もなく花の散りゆく会津領
吉次の碑鉄砲百合を手向けをり
余花残花孫のハンドル捌きかな

 庭 若 葉 (東広島)渡邉 春枝
春風や夢二の描くほつれ髪
年ごとに増ゆる捨畑いぬふぐり
五月来る机の上の万葉集
焼きたてのピザの届きし子供の日
手文庫に記念の切手夏に入る
まとめ置く異国の硬貨庭若葉
風五月庭一面に日の匂ひ
初夏の波音近きレストラン

 桜   (浜 松)渥美 絹代
べんがらの格子戸かすめ初燕
仏生会歩く方へと鯉の来る
藁葺きの屋根にしめりや鳥帰る
旅にゐてげんげ咲く田のなつかしき
花どきの師のふるさとを歩きけり
夜桜や大手門にて待ち合はす
花冷の焼きながら売る団子かな
牧場に遅き桜のふぶきをり

 冴え返る (函 館)今井 星女
水仙の芽を喜ばす小雨かな
マフラーをぐるぐる巻いて小買物
冴え返る日々くり返し北に住む
春雨や新しき傘ひろげみる
君子蘭扇のごとき葉をひろげ
君子蘭花芽大事に育てけり
恋猫の走り高飛び成功す
野良猫が居ついてしまふ春炬燵

 花 御 堂 (北 見)金田野歩女
苗札の右に片寄る幼な文字
清明や車椅子にて投票所
山の池の生命千万蝌蚪生まる
無住寺の屯田人形桜散る
御仏の御足ふくよか花御堂
知床に水溢るるや落し角
鯉幟一尾加はる子沢山
斑の入りし杜鵑花の鉢に一目惚れ

 行 く 春 (東 京)寺澤 朝子
鳥引きしのち茫々と隅田川
落花舞ふ大道芸の皿廻し
暫し春惜しむ城堀波立てず
鳥の恋ちよつかい鴉がやつてくる
風さやと雀隠れに佇めば
雲雀落つ「野菊の墓」の碑の辺り
平成の御代に名残や春の行く
エスケープめくひとときよ踊子草



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 握  手 (浜 松)林  浩世
洗ひ場に亀の子束子木の芽風
花の昼僧ふたり乗る人力車
丁寧に畳まれてゐる花筵
鳥籠に清明の日の差し込みぬ
春の夜のとろりと酔うてゐたりけり
惜春や最後の握手かもしれず

 柞  山 (松 江)西村 松子
雁帰る母ねむる地に日の当たり
水口にほど良き石や蝶生まる
芽吹かんと息ととのふる柞山
清明や水を打ちたるやうな空
畦塗れば峽しつとりと黄昏るる
田水張り千の漣はしらする

 春  光 (東広島)奥田  積
永き日の渚離れぬ波の音
春光のかけらとなりて滝の水
春埃たてて白馬の調教中
馬の碑に水供へあり桜の実
麦刈りの一服猫の来てをりぬ
若葉して天文台の丸き屋根

 夏きざす (浜 松)大村 泰子
蜂蜜の瓶の封切る遅日かな
余念なくミット磨く子百千鳥
蝶々の触れしガラスにふれてみる
膝折れば踵のさみし松露掻き
直ぐ脱げぬ靴の片方亀鳴けり
夏きざす使ひ切つたるカタン糸

 大きな車輪 (宇都宮)星  揚子
火の山の硫黄の匂ふ花馬酔木
煤けたる岩をあらはに焼野かな
切つ先のまだ柔らかな菖蒲の芽
もつれては戻る柳のうすみどり
かたくりの花の盛りを俯いて
浦島草まだ幼くて糸持たず

 花 の 雨 (高 松)後藤 政春
天神に隣る和菓子屋花曇
花の雨ひとりぼつちの喫煙所
寄り来るは白蝶ばかり試歩の杖
大学の裏門辺りひばり落つ
花嫁は漁師の末子桜鯛
逢引は歌声喫茶昭和の日



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 吉田 美鈴(東広島)

フルートの息継ぎ深く春の宵
パリの地図大きく広げ春炬燵
のどけしや風に驚く羊の仔
音程の狂ふ遅日のサキソフォン
空広き国分寺跡つばくらめ


 大澄 滋世(浜 松)

春潮に耳傾くる羅漢かな
メーデーの先頭を行く鼓笛隊
日もすがら雨の八十八夜かな
見はるかす四方の山より夏きざす
惜しみなく剪る一本のカラーかな



白光秀句
村上尚子


パリの地図大きく広げ春炬燵  吉田 美鈴(東広島)

 暖を取るのが目的でなくても、そこに炬燵があるだけで家族の拠り所となる。その上には入れ替り色々な物が置かれたり、広げられたりする。今日は「パリの地図」である。エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ギメ美術館等々…。記憶に新しいところでは、四月に火災にあったノートルダム大聖堂である。
 炬燵という日常生活の一画から、夢は大きく膨らんでゆく。この「春炬燵」もぼつぼつ片付ける時期がきている。
  音程の狂ふ遅日のサキソフォン
 柔らかい甘美な音色が耳に入ってきた。ゆったりと酔い痴れたsいところだが、この日は思いも寄らず音程が狂ってしまったのである。敢えて裏目の出来事に注目したところが面白い。

メーデーの先頭を行く鼓笛隊  大澄 滋世(浜 松)

 今年の「メーデー」は新元号令和の始まりだった。かつては国際的な祭典であり、流血事件まで起きたが、最近はメーデーという言葉を聞くことも少なくなった。この句は作者の思い出のシーンかも知れないが、今、目の前を通り過ぎてゆく「鼓笛隊」の音と姿がありありと見えている。俳句は過去に見たこと体験したことを蘇らせるという、大きな力も持っている。
  見はるかす四方の山より夏きざす
 メーデーの句とは対照的である。作者は広々とした山が見えるまん中に立っている。昨日よりまた緑が濃くなった。気を付けて見ることで季節の移ろいの中にも新しい発見があり、言葉も生まれてくる。「夏きざす」は風景だけではなく、気持にも通じている。

磯巾着指突つ込めば潮を噴く  福間 弘子(出 雲)

 水族館で見る磯巾着は種類も多く、色や姿も実に美しい。こちらは浅い海でたまたま見付けたものだろう。毒があるとも聞くがよくわきまえているらしい。率直に表現したことで、その場の様子が実感として伝わってくる。

母の日や納屋に禿びたる鎌と鍬  貞広 晃平(東広島)

 景としては何の変哲もない。しかし「母の日」という季語によって、納屋の様子が特別なものに見えてくる。平明な表現の中にも作者の深い思いが語られている。

菜園にラジオ持ち出す日永かな  鈴木けい子(浜 松)

 テレビと違って、ラジオの良いところは耳だけ傾けていれば手足は自由であるところ。楽しい番組を聞きながらの作業は、きっとはかどることだろう。時によっては時計の代りにもなる。明るい日差しの下で楽しそうに働いている姿が見える。

バーボンを飲むや夕べのスイートピー  檜垣 扁理(名古屋)

 アメリカの昔の映画を見ているようだ。ビールでもワインでもカクテルでもない。「バーボン」としたところがいかにも作者らしい。「夕べのスイートピー」が想像を掻き立てるだろう。

図書館の大きな絵本みどりの日  市川 節子(苫小牧)

 たくさんある絵本のなかでも、やはり大きなものは目に付く。一頁めくるたびにより心が躍る。親子の静かな会話も爽やかであり、少し異質な「みどりの日」が光る。

棚田見る展望台に雉の声  中林 延子(雲 南)

 この場所は雲南市にある。「日本の棚田百選」に認定されており、地区の農家により今も大切に守られている。中程にある展望台は、二百枚あるというその全容と、神話の時代からの山々が見渡せるはずである。この日は折しも「雉の声」が聞こえた。四季折々、日本の原風景を彷彿させてくれる場所である。

浦島草糸を収めて惚けけり  加藤 芳江(牧之原)

 典型的な写生の句だが、それだけに終っていない。浦島草の今の姿を見て「惚けけり」と言った。よく観察した結果、作者だけが感じ取った素直な言葉である。こんな擬人化も面白い。

夏鶯桃色に爪塗つてをり  久保美津女(唐 津)

 最近のマニキュアは色だけに限らず、さまざまな模様を描いたりして楽しみ方は自在である。ここでは一般的な「桃色」。爪をきれいにしただけで心は弾む。鶯の声に誘われて外出されたことだろう。

煙突の螺旋階段揚雲雀  大滝 久江(上 越)

 煙突に沿ってまっすぐに付けられているものもあるが、これは「螺旋階段」。かなり大規模であろう。堅い建造物と小さい生き物の対比が鮮やかに見えてくる。


    その他の感銘句
スカートのひだを数へて入学す
春かなし長い廊下の行き止り
直球を受くるミットや風光る
遠き日の夢青麦の目に痛し
清明や「い」よりはじまる出席簿
ポケットに土筆三本ペダル漕ぐ
よく走りよく転ぶ児や風光る
年輪の渦の桃色春の雨
直線の飛行機雲や鳥の恋
春雨や黄色の傘が横断中
風呂炊きは子供の仕事昭和の日
誕生日の祝ひは絵本夏きざす
楠若葉風土記の講義始まりぬ
弟に言ひぶんのあり葱坊主
突くたびに重たくなりし紙風船
花輪 宏子
佐藤 貞子
高橋 茂子
鈴木 敬子
福本 國愛
野田 美子
大澤のり子
野田 弘子
山下 勝康
富田 倫代
栂野 絹子
河野 幸子
小林 永雄
大石 益江
橋本 快枝


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 雲 南 川本すみ江

天水に頼る棚田の畦を塗る
田水張り輝く棚田となりにけり
築地松映る代田の一町歩
列をなし足跡太き植田かな
草刈りて棚田の畦の曲がり美し

 
 鹿 沼 中村 國司

花の雲五重塔を浮かべゐる
引退の砕氷船につばくらめ
花屑を逃がさず巫女の竹箒
霜くすべ昨日天皇退位の日
雉子鳴く今日は天皇即位の日



白魚火秀句
白岩敏秀


天水に頼る棚田の畦を塗る  川本すみ江(雲 南)

 天水田という田がある。川や溜め池などの水源を持たず、雨水だけに頼って耕作する水田である。雲南市の「山王寺の棚田」がそうである。
 「雲南合同吟行会」が行われた四月二十五日は霞とも小糠雨とも分からない日であったが、標高三○○メートルにあるこの棚田で、畦塗りをする人がいた。大自然のなかで、黙々と畦を塗る姿に「耕して天に至る」との思いを重ねた。
  築地松映る代田の一町歩
 築地松の周囲には、満々と水を張った代田が広がる。その面積一町歩。高々と枝を張る実の築地松と代田に映る虚の築地松。代田を通して出雲地方の独特な築地松の景観が詠み込まれていて見事。

花屑を逃がさず巫女の竹箒  中村 國司(鹿 沼)

 美しく咲いた桜も時期が来れば散ってしまう。散ってもなお、美しい桜であるが、境内は常に神聖のところ。神聖さを犯すものは花屑さえも見逃さない巫女の眼である。神に仕える巫女の懸命な姿が見える。
  霜くすべ昨日天皇退位の日
  雉子鳴く今日は天皇即位の日
 元号が平成から令和へ変わる前日と当日の句。「霜くすべ」は籾殻や松葉などを煙らせて、桑や茶の葉などを遅霜から守ること。雉子は国鳥。白い雉子は瑞祥と云われている。
  虹立ちて忽ち君の在る如し   高浜虚子
  虹消えて忽ち君の無き如し    同
 虚子は森田愛子とのほのぼのとした交歓の句を詠み、作者は日本、秋津島の改元の句を詠んだ。退位と即位を対句とした意欲作である。

忘れ物の如く朧の駅に居り  藤原 翠峯(旭 川)

 乗降客のいっときの賑わいが去って、もぬけのようになった夜の駅。次の列車を待ってぽつんとベンチに座っている作者。認められもせず、褒められもしないが、真面目に暮らしている庶民の共通の姿がある。「忘れ物の如く」が共感を呼ぶ。

白木蓮散る追伸の一行に  小村 絹代(松 江)

 「かしこ」と結んで書き終えたところ、まだ書かねばならぬことを思い出した。ペンを取って早速に一行を書き始めたとき、白木蓮が散った。次の二行目には白木蓮のことが書き足されたことだろう。春らしくなるにつれて、言葉も解放されていくようだ。

富士の影いつもの位置に春惜しむ  萩原 一志(稲 城)

 富士山は四季折々に多彩な貌を見せてくれるが、その泰然とした姿は不動のものである。その富士山に対して、作者はいつもと変わらぬ位置で春を惜しんでいるという。「いつもの位置」に作者の気負いのない存在感がある。

母の日の手持無沙汰や鍋みがく  徳永 敏子(東広島)

 自分の子育ては終わり、息子や娘たちが子育てをしている年齢の母である。息子や娘は自分のことで精一杯、なかなか母親までに目が届かない。分かっていても、その淋しさがごしごしと鍋を磨かせることになる。「鍋磨く」と放り出した言い方であるが、同揭の〈風薫る部屋に残りしぬひぐるみ〉とあるから、連休に孫達に囲まれた時間があったことが分かる。楽しい思い出の余韻に磨く鍋なのである。

豪快な風出て来たり鯉幟  榎並 妙子(出 雲)

 バタフライやローリング泳法があってこその鯉幟。ひもすがら垂れていては、鯉幟の面目がない。波に男波女波があるように、風にも男風女風があるのだろう。豪快な風に鯉幟のダイナミックな泳ぎが見せ場。

畦塗の老農鶴のごと歩む  鈴木  匠(群 馬)

 今は、畦シートという便利なものがあって、かつてのように苦労しなくてもよくなった。しかし、この老農は田の泥土を畦に叩きつけては、ぴかぴかに光るまで丁寧に畦を塗っている。若いときからそうであったように、今もその遣り方は変わらない。「鶴のごとく」は一生を農に生き、農を守ってきた人への賛辞である。

葉桜や嬰は夜泣きをしてをりぬ  升本 正枝(浜 松)

 若い母親にとって、赤ん坊の夜泣きは悩みの種。一晩中抱いていたり、夜気に当たらせたりしている。その結果〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎 竹下しづの女〉と思いたくもなる。葉桜が泣く嬰をあやすように揺れている夜。


    その他触れたかった句     
棚田見し靴にわづかな春の土
春愁や言葉を足さば言ひ訳に
一生を一壺に納む春の果
春愁や音を洩らさぬ砂時計
花房を空より青き瓶に挿す
影淡し春夕焼の浅間山
大小の靴のよろこぶ花筵
どこかしら母の面影春の雲
踏切を越えて農夫の春の泥
ほきと折り指のたのしむ蕨採り
初夏や席譲られて面映し
遠足のリュックが並ぶ丸太かな
母の日や土蔵に古き糸繰機
少年は寡黙花冷え続きをり
パンジーやひと駅分の切符買ふ
夕迫る春耕の腰伸ばしをり
中林 延子
村松ヒサ子
西村ゆうき
金子きよ子
橋本 晶子
天野 幸尖
大川原よし子
中嶋 清子
橋本喜久子
伊藤かずよ
渡辺 加代
磯野 陽子
福光  栄
村上千柄子
太田尾利恵
加藤 德伝

禁無断転載