最終更新日(Update)'19.09.01

白魚火 令和元年8月号 抜粋

 
(通巻第768号)
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 8月号目次
    (アンダーライン文字列をクリックするとその項目にジャンプします。)
季節の一句   伊藤 達雄
「吹く風」 (作品) 白岩 敏秀
曙集鳥雲集(巻頭6句のみ掲載)
白光集(村上尚子選)(巻頭句のみ掲載)
       
原  和子、保木本さなえ
白光秀句  村上 尚子
第三十八回柳まつり 全国俳句大会報告  柴山 要作
静岡白魚火会総会記  相澤よし子
函館白魚火会 新鋭賞受賞祝賀会  広瀬むつき
令和元年度 浜松白魚火会吟行記  大庭 成友
坑道句会六月例会報  松崎  勝
第七回栃木・東京白魚火 合同句会  萩原 一志
白魚火集(白岩敏秀選)(巻頭句のみ掲載)
    牧野 邦子、萩原 一志
白魚火秀句 白岩 敏秀


季節の一句

(名古屋)伊藤 達雄

白衣脱ぎ祭司の顔へ風青し  松尾 純子
(平成三十年十月号白魚火集より)

 この句は、自身若しくは身内の方の仕事の体験からのものであろう。白衣を着る仕事には医療はじめ多々あるが、いずれも清廉・清潔を表現している。掲句の「白衣脱ぎ」からは主たる仕事から次の行動への速さを感じさせる。中七の「祭司の顔へ」は前の仕事から同じ白装束の祭司へと全く異なる顔の表情を表わしている。どの様な顔つきなのかと思うと楽しい。季語の「風青し」は顔の緊張を和らげているようにも、着替えの汗を爽やかに撫でているようにも感じさせる。過去に白衣を着た者としては、仕事への切換えの判断と時間、その心構えに苦慮したこともあり、理解できる。
 俳句は自身の行動や対象となる物をよく観察して作るようにと教えられている。掲句はまさにその通りであり共感させられた句である。

ラベンダー咲く北海道の臍の町  花木 研二
(平成三十年十月号白魚火集より)

 「北海道の臍の町」とのみで地名はないが、直ぐに富良野一帯が思い浮かぶ。ラベンダーと言えば富良野である。ラベンダーは夏の季語であるが、北海道で咲くのは初夏を過ぎた頃である。真夏とは少し時間がずれる。写真等で見る七~八月頃のラベンダーは観光用に咲かせていると聞いている。
 ラベンダーは数年の寒さに耐えて木となったものではなく、一年毎に植え替えられている物を句にしていると思われる。
 下五の「臍の町」の富良野は北海道の中心に位置し、夏の観光の中心地でもある。この句は何の説明の必要もなく素直に読み手に伝わり、旅情を掻き立たせてくれる。
 作者は北見に居住されておられる。北海道の観光の一助の句となりそうである。



曙 集
〔無鑑査同人 作品〕   

 風  鈴 (旭 川)坂本タカ女
にぎり読む新聞の皺鳥雲に
行き止りより引き返す鴨の雛
夕日落つ頭引つこむ烏の巣
鴨の仔や木つ端が浮いてをりにけり
消火器にたまる埃や半夏生
命綱太し電工日焼して
向日葵や肩いからせて服乾く
風鈴をうかがひにきて風遊ぶ

 八十八夜 (静 岡)鈴木三都夫
躑躅句碑つつじ明かりを両肩に
句碑の座に句碑に且つ散る躑躅かな
抱き上げて触れんばかりに藤の花
暖かや鯉に千切りしパンの耳
屋敷畑石垣造り豆の花
茶工場の八十八夜徹夜の灯
畦なりの植田の景も棚田かな
牡丹の色を違へて妍競ふ

 涼あらた (出 雲)山根 仙花
あやしつつ片陰をゆく乳母車
六月の風に胸張る大樹かな
牡丹の大きく崩るる日の盛り
築地松の全容写し代田澄む
花合歓に夕月淡く上りけり
山一つ動かしてゐる蝉時雨
水打つて人待つ夕べの灯を点す
満水のダムひたひたと涼あらた

 閻  王 (出 雲)安食 彰彦
ほととぎす二声朝の鬱はらす
筒鳥のときをり鳴ける夕まぐれ
筒鳥の鳴きやめば山深くせり
河鹿鳴く分校のあと水清し
晩酌の友となりゆく夕河鹿
翡翠の狙ふは池の水輪かな
独り居る鳴けばさみしき青葉木菟
青葉木菟閻王と逢ふ夢の中

 夏はじめ (浜 松)村上 尚子
折紙の家に窓描き五月来る
ふる里の縁側にをり子供の日
濡れてゐる粽の紐をほどきけり
薫風や殿橋といふ小さき橋
本音には本音の返事くずざくら
葉桜やたゝみて小さき旅鞄
鉢替へて大山蓮華一つ咲く
山帽子名もなき星と向かひ合ひ

 終 の 家 (唐 津)小浜史都女
茶碗屋のとなり箸屋よ風薫る
湯上がりの肌ももいろに端午の日
茅花風一湾暮れてしまひけり
花あふち匂ひも色もよかりけり
空木咲く湧水の町城下町
花うばら咲くといふよりなだれけり
あめんぼの生れしばかりの平泳ぎ
青嶺よりかこまれてゐし終の家

 津軽富士 (宇都宮)鶴見一石子
武者塚の霜除け外す女松かな
渡良瀬の芝焼く煙くぐり抜け
リハビリの電動ベット帰る雁
割箸の杉の香りの桜餅
鳥帰る高圧線は北へ伸ぶ
峠とは息つくところひとよ酒
青葉木菟脚立の中の津軽富士
万緑の真つ只中の茶臼岳

 芒  種 (東広島)渡邉 春枝
蛙鳴くたびに詩情をくすぐられ
岳好きの庭に育てし山帽子
青葉木菟鳴くたび闇を深めけり
鳩の声こもる芒種の宮居かな
薫風や木目浮きたつ床柱
聖五月机上を乱す未完の句
どの路地も海に果つるや花とべら
母の忌の新茶の香り部屋に満つ

 麦  秋 (浜 松)渥美 絹代
えごの花散るや釣竿をさめても
自転車に荷を積み茅花流しかな
式台のありたる蕎麦屋緑さす
みづうみの風早苗田に吹いてをり
明易の柱に古きほぞの穴
住職の車になんぢやもんぢや降る
麦秋の土間にただよふくどの煙
鮎を食ふ厚さ二寸の杉の卓

 牡丹咲く (函 館)今井 星女
牡丹色とはよくぞいふ牡丹かな
牡丹活け机上たのしくなりにけり
牡丹の一番咲きを仏壇に
満面に笑をたたへし牡丹かな
牡丹の一花が散りて一花咲く
牡丹のひとひらが散りどつと散る
惜しみなく牡丹がどつと崩れ散る
牡丹散り狭庭淋しくなりにけり

 ドクターヘリ (北 見)金田野歩女
山吹の花散らす雨散らす風
牡丹に息吹きかけば開かむと
マンションの間の廃屋姫女苑
麦の秋一人つきりのバス発車
蝦夷黄菅砂洲に一句を拾ひけり
碧魚忌の来るアカシアの匂ひ初む
風薫る樺太校庭より臨む
半夏生ドクターヘリの前のめり

 碧 魚 忌 (東 京)寺澤 朝子
林泉をめぐるせゝらぎ五月来る
一花咲く泰山木は父の花
夏木立わけて欅の男振り
四阿の冷し甘酒ひと寄せて
泉水の大鯉揺揺夏帽子
えご散るや遥か家郷を想へとぞ
ひつそりと青梅実る六義園
遺句集も「遥か」となりぬ碧魚の忌



鳥雲集
巻頭1位から6位のみ

 天 道 虫 (東広島)源  伸枝
柏手を打つ背に茅花流しかな
御社の彼方涼しき日本海
アカシアの花はらはらと子の忌日
手に這はす草の匂ひの天道虫
小流れの目高散らして鍬洗ふ
独りの灯離れに点し青葉木菟

 豆 の 飯 (浜 松)佐藤 升子
葉桜や木札を吊す蔵の鍵
いちにちを上手に使ひ豆の飯
思ひ切り手を振つて水打ちにけり
水を打つ水に溺るるもののあり
ひとすぢの光を曳きて紙魚走る
地図開く額にあづくるサングラス

 梅 雨 畳 (藤 枝)横田じゅんこ
えごの花研師の水に浮かびをり
時刻表開いてありぬ梅雨畳
登山靴柩に入れて送りけり
色揺らし音揺らし来る風鈴屋
押し合うて窮屈さうなひつじ草
睡蓮を飲み込みさうな鯉の口

 夏 神 楽 (出 雲)渡部美知子
瀬戸を行く船に大きな鯉のぼり
新緑の海へ降り行くロープウェー
百枚の早苗田渡る風の色
若葉雨止むや勅使の沓の音
苗売を質問攻めにしてをりぬ
砂蹴つて大蛇の舞へり夏神楽

 太き指貫 (宇都宮)星  揚子
横顔は団十郎の雨蛙
若葉風背筋の伸ぶる乗馬かな
美しく竹皮を脱ぐ一青忌
亡き母の太き指貫柿の花
雨止めば雀鳴き出す夏野かな
馬鈴薯咲くや自衛隊駐屯地

 袋  掛 (浜 松)早川 俊久
水底に日の斑さゆらぐ時鳥
一顆二顆たちまち千の袋掛
ネクタイも疲れも解き冷奴
郷愁の色けぶらせて桐の花
声あげて逃ぐる跣や蒙古斑
雨戸繰るすでに真夏の匂ひせり



白光集
〔同人作品〕 巻頭句
村上尚子選

 原  和子(出 雲)

神杉に瘤あり空に鳥の恋
蕗の薹長けて手水の龍の口
鰐口の房の湿りや春惜しむ
琴の音や寺苑をわたる藤の風
横断歩道の黄色い旗や夏つばめ


 保木本さなえ(鳥 取)

青空の奥に風吹く薄暑かな
母となるカーネーションの束貰ひ
青簾だんらんの灯を透かしけり
地球儀を回せば青し南風
どこよりも涼しき家に帰りけり



白光秀句
村上尚子


神杉に瘤あり空に鳥の恋  原  和子(出 雲)

 ここは古事記や出雲国風土記など、神話が多く残っている雲南市の須我神社で、日本初之宮とも言われている。境内には〝八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣つくるその八重垣を〟の碑があり、和歌発祥の地とされている。その先には拝殿をはさむように神木が立ち、その幹を亀が空を目差して上ってゆくような大きな「瘤」がある。空にはそれを称えるように、この季節ならではの鳥達がやんやと飛び交っている。
 目の前の景を素直に詠みつつも、長い歴史と今後の繁栄を願う作者の姿が見える。
  蕗の薹長けて手水の龍の口
 同じ境内でも、こちらは対照的にすぐ近くの景。どちらも熱心な写生から得た作品である。

どこよりも涼しき家に帰りけり  保木本さなえ(鳥 取)

 季語としての「涼し」は、特に直接肌で感じるときに使われることが多いが、この句はそれだけに終っていない。以前、テレビでサラリーマンが仕事が終わってもすぐに家に帰りたくないと言っているのを見て、原因はどこにあるのだろうと思ったことがある。この日の作者は外出し、暑いなかで目的を果した。あとはまっすぐ家に帰るのみ。家族がきっと待っている‥‥。着いた途端に疲れも吹っ飛んでしまったことだろう。日々のしあわせな暮しぶりが垣間見える。
  青空の奥に風吹く薄暑かな
 梅雨に入る前の一日。茂り始めた木々の緑が気持ち良さそうにそよいでいる。その時、青空のはるか先にも風が吹いているように見えた。あくまでも作者だけの感覚である。

男体山に離れて女峰山河鹿笛  中村 國司(鹿 沼)

 遠くに見える日光連山の内の、男体山と女峰山に注目。近くの渓流からは河鹿の美しい鳴き声が聞こえる。遠近に見る大きな自然の姿と、小さな生き物の姿の対比。人間もその中で生きるものの一つ。技ありの一句である。

亀鳴くやペダルで動く治療台  髙橋 圭子(札 幌)

 「ペダルで動く」とはどんな治療台だろうか。しかし治療は信じてこそ治癒につながる。そこへ登場した「亀鳴くや」である。この季語については諸説あるが、やはり遊び心と想像力の所産であろう。作者の揺れ動く胸の内が見えるようだ。

残りたる母の香水瓶ふたつ  溝西 澄恵(東広島)

 見えているものは「香水瓶ふたつ」のみ。しかし誰が読んでもそうなった状況は察しがつく。語られていない部分にこそ、深い思いが含まれている。

一泊の旅に知覧の新茶買ふ  山田 哲夫(鳥 取)

 先ず「知覧」という地名に目が止まった。鹿児島県にある陸軍飛行場の跡地であり、第二次大戦中は特攻隊の基地であった。旅の目的は定かではないが、知覧茶としての産地でもあり、迷わず買った。帰宅して淹れたその味の一口ずつに戦時中のことが蘇ったことだろう。

行きに一つ帰りに二つケルン積む  根本 敦子(北 見)

 登山道や山頂などに、記念や道標として石を積み上げる「ケルン」。ここでは同じ道を登って帰るコース。その時にしたことを述べているだけだが、「一つ」、「二つ」と具体的にしたところに作者の思いが伝わってくる。

縫ひかけの服に涼しき紺の糸  山西 悦子(牧之原)

 既製服が溢れている現代だが、自分の服を自分で縫う楽しみはまた別である。思い付きで、ある部分に「紺の糸」を使ってみた。この「涼しき」は見た目だけではなく、納得の結果の気持ちが含まれている。

アルプスへ乾杯なんぢやもんぢや咲く  冨田 松江(牧之原)

 雄大なアルプスを背景とした「なんぢやもんぢや」との取り合わせ。目の前に広がる山々への何よりの讃歌である。これ以上の言葉は見付からない。

掛時計少し進んで夏に入る  吉原絵美子(唐 津)

 季節の移り変わりへの思いは人それぞれである。ここでは掛時計のことを言っているが、それに釣られて作者も一緒にそんな気持ちになっているように思えるところが面白い。

短夜や夫のベッドに鈴五つ  佐藤 琴美(札 幌)

 白魚火五月号の〝こみち〟を読んでいたのでこの句がすぐ理解できた。その内容に驚きつつ、御主人共々頑張っている姿が目に浮かんだ。その状況は今も続いているらしい。「鈴五つ」がその様子を物語っている。慰めの言葉が出てこない。


    その他の感銘句
青梅や水府の日ぐれ堤より
そら豆むく子の音読をかたみみに
回転ドア抜けて若葉の丸の内
ふところに仔犬のぬくみ花うばら
夕薄暑木綿豆腐を買ひ足して
老鶯や僅かばかりの濯ぎ物
花あふち降る校庭のビオトープ
スタートの位置はあいまい草競馬
一本の糸大凧を意のままに
今年竹空の入口さぐりをり
春の夢さめて老女に戻りけり
交叉する飛行機雲や今年竹
男性の料理教室走り梅雨
万緑や天守を小さくのせてをり
ぺしやんこの母のベッドや合歓の花
鈴木 敬子
高橋 茂子
寺田佳代子
山田 春子
福本 國愛
⻆田 和子
鈴木 利久
相澤よし子
山田ヨシコ
牧沢 純江
落合 勝子
江⻆トモ子
樋野久美子
伊藤 寿章
熊倉 一彦


白魚火集
〔同人・会員作品〕 巻頭句
白岩敏秀選

 出 雲 牧野 邦子

いもうとへ編む蒲公英の冠かな
思ひ出は佳きことばかり遠霞
白浪や大きく傾ぐ潮見船
早苗田のゆらぎ青空揺れにけり
青葉若葉苗函洗ふ水の音

 
 稲 城 萩原 一志

桶叩く桶屋の木槌夏来る
産土の庭の夕映え柿若葉
紫陽花や雨の滴る九輪塔
一葉の通ひし質屋枇杷熟るる
水甘き谷戸の小流れ蛍舞ふ



白魚火秀句
白岩敏秀


青葉若葉苗函洗ふ水の音  牧野 邦子(出 雲)

 田植えも今は機械化の時代である。田植機の後ろに苗函を積んで一人で植えていく。
作業は楽になった。田植えが終わって、ざぶざぶと水を掛けながら、苗函を洗う音にも活気がある。今日植えた早苗も間もなく青々と成長していく。山の青葉若葉に負けないほどに。
  いもうとへ編む蒲公英の冠かな
 春の野の代表的な花の蒲公英。お日様のような明るい黄色が幸せな気分にさせてくれる。その蒲公英で妹の冠を編んであげたという。仲の良い姉妹なのであろう。うらうらとした春の野の、眼前の景のようであり、遠い昔のことのようでもあり…不思議。

水甘き谷戸の小流れ蛍舞ふ  萩原 一志(稲 城)

 広辞苑によると「谷戸」→「谷は(関東地方で)低湿地。やち。やと。(以下略)」とある。谷地は近年の宅地開発で随分と少なくなったが、揚句は開発を免れた谷地なのだろう。自然に濾過された水は甘い。水の甘さは蛍を誘う。蛍はやがて蛍を誘い光の乱舞となる。櫂未知子さんは「蛍は虫の中でも別格です。紅葉と同じく、「狩」という言葉が使われています。桜狩、紅葉狩、そして蛍狩。美しいものを見に行くとき、われわれの祖先は「狩」を使ったのでした」(「季語の底力」 NHK出版)と書いている。
  一葉の通ひし質屋枇杷熟るる
 小説家樋口一葉の本名は奈津。「にごりえ」「たけくらべ」「十三夜」などの小説や「一葉日記」などがある。明治二十九年に貧困のうちに亡くなった。享年二十四歳。
 一葉が通った質屋は東京の本郷にある伊勢屋質店。一葉が亡くなったとき、香典を持って来たという。貧乏しても士族の娘という誇りに生きた一葉なのである。旧伊勢屋の一部が一般公開されている。

余所の子の育ちの早し浮いてこい  市川 泰恵(静 岡)

 「余所の子の育ちの早し」、それぞれが経験して十分に納得できるフレーズ。まさに「三日見ぬ間のなんとやら」である。それに取り合わせた「浮いてこい」が絶妙な季語。風呂の底から飛び上がってくる浮き人形と目を見張るほどに子の育ちの早さ…。とは言っても、それはあくまで余所の子のことである。

母となる子に一輪のカーネーション  佐藤やす美(札 幌)

 いつもは貰っていたカーネーションを今年は母となる娘に贈った。立場は逆転したようでも、親子の温かさは変わらない。カーネーションの花言葉は「母への愛」。母となった娘もやがてその子どもからカーネションを受け取る日がくる。いつの世でも変わらない親子の愛である。

新しき友の名を訊く豆御飯  森山真由美(出 雲)

 入学したばかりの我が子に対して、母親の一番の気がかりは子どもに仲の良い友が出来たかどうかということ。心配そうに訊く母親に、子どもは次々と友達の名前を答えて屈託がない。学校にだんだんと慣れていく子への信頼感が、温かく盛られた豆御飯に見てとれる。

若ければ若く被りて夏帽子  福井 住子(広 島)

 ある日、街で鍔広の夏帽子を粋に被った若い女性に出合った。夏帽子は強い日光を遮ったり、日射病の予防など実用的で、春帽子ほど派手さはないが、それでも仲々のファッション。女性は夏帽子を無造作に被っているようでいて、軽やかにそしてちょっと斜めに被っている。なるほどと感心すると同時に若さを羨やむ気持ちも覗いているようだ。

靴の紐新しくして山開き  小林 永雄(松 江)

 山には山の神がいて神聖なところ。今日は山開きということで、早速参加することにした。履いている登山靴は長年の登山に耐えてそれなりに古い。山の神に対する礼儀として、せめて靴紐を新しくした。神への敬虔な気持ちの表れである。

水平を積み重ねゆく植田かな  中村 和三(長 野)

 曲線を幾重にも積み重ね、天に至る程の棚田である。初々しい早苗が風に靡いている。「水平を積み重ね」とは棚田の姿をズバリと言い当てて見事。

母の日に長男が来て長女来る  岩﨑 昌子(渋 川)

 今日は母の日。滅多に来ない長男がやって来た。しばらくすると長女が子どもをつれてやって来た。嬉しい気持ちの弾みがそのままリズムとなって表現されている。


    その他触れたかった句     
狛犬の阿吽に力新樹光
師の句碑へあぢさゐの風吹いてをり
夏帽子中座の椅子へ預け置く
鈴蘭の香りの中へ跪く
葉桜の夕べ静かに昏れゆけり
姿見に風の通りし更衣
草笛を吹くふるさとの風の中
田植女の腰伸ばす時富士仰ぐ
緑蔭にひとりの時間ありにけり
葉桜や夕日のなかの天守閣
桑苺少年夢を語りけり
思ひきり髪切つてより朝涼し
風薫る今日一日の鎌を研ぐ
千曲川ゆつたり流れ花杏
薔薇真紅石の館の石の椅子
田口  耕
高井 弘子
浅井 勝子
高山 京子
檜垣 扁理
中嶋 清子
富田 育子
大石 益江
鍵山 皐月
原田万里子
溝口 正泰
上早稲惠智子
安部 育子
一場 歳子
鮎瀬  汀

禁無断転載